2022/9/30, Fri.

 すると彼の「真の」生活は、書くことに根ざしていたのか? そう主張するのはしかし、不当に単純すぎるだろう。休暇中の滞在地で知りあいになった、アマチュアの筆跡鑑定家が、フェリーツェにカフカの性格を「占って」くれた。その結果を知らせると「あなた方の宿にいる男には筆跡観相を止めさせなくてはいけません」と一九一三年八月一四日に答えている。なぜなら、その鑑定家の診断はすべてまちがっている。彼、カフカは行動において「非常に決然として」もいないし、「極めて官能的」でもない。反対に「生まれつきの、大変な禁欲能力」を持っている等々で、この男は外れたことしか主張していない。しかしこの筆跡占いで一番の誤りは、彼が文学的関心をもつといわれたことだ。それは全然当っていないとカフカは抗議する。「文学的関心をもっているのではなく、文学から成り立っており、それ以外の何物でもなく、他のものではありえないのです。」 それからある悪魔信仰史からの小さなエピソードを語る。一人の僧侶が非常に美しく愛らしく歌うので、みんなたいへん喜んで耳を傾けていたが、ある日ほかの聖職者が、この愛らしさのなかに悪魔の声をききわけたと思い、すべての讃嘆者のいる前で悪魔を追い出してしまう。すると、ただ悪魔に憑かれていたせいで生きていた肉体は崩れ、たちまち腐敗しはじめる。「ぼくと文学の関係も似たようなもの」とカフカは書く。「ただぼくの文学はあの僧の声のように甘美でないだけです。」 だからフェリーツェは、「気難しい、悲しげな、無口の、不満気な、病弱な人間のそばでの修道院のような生活 [括弧内﹅] 」をおくることになろう、と彼はまた警告する。彼女には狂気とみえるにちがいないが、この人間は「見えない鎖りで見えない文学につながれている。」 そして二日後、彼はもう一度断言する――明らかに彼女が言った言葉に答えて、「書くという性癖」を自分はもっているのではない。いや、それは性癖ではない。「性癖は引きちぎることも抑えることもできるでしょう。しかしこれはぼく自身なのです。」 ――このことから、彼がその遺言執行人に要求したのは、一種の死後の自殺への幇助だったことが明らかとなる。
 つまり自分は文学以外のなにものでもないと彼はいう。これまでのだれにもまして、しばしば、変ることなく、すぐれた散文――彼自身はそう考えなかったが――で、彼はそう語っている。しかし、ほとんどそれに劣らぬ頑固さで、またたしかにそれに劣らぬ散文で、彼はそれ以上のことをいう――そのために自分は魂の幸福を失ったと。たった今、書くことだけが彼の生存に「低い重心」をあたえるかのように、世界はただ芸術によって、純粋で真実で不変なものに高められるかのように、結婚と職業、いや感覚的生存は、(end17)ただ一つの「現実的」世界である精神的世界の悪にしかすぎないかのように――最高のパラドックスは、芸術、ただ芸術のみがその世界を、自ら悪の犠牲となることなく、「明白な」ものにできることだ――見えたのだが、もう悪魔が獲物を、つまり、そんなことを信じる人間をねらっている。なぜなら、カフカは発作的にしか、芸術のそのような優位を信じる気持にならなかった。むしろ彼には、その反対のことこそが繰返し新たに本当らしく思われた。
 カフカが一九二二年七月のはじめ、マックス・ブロートに書いた手紙において、自らの芸術家気質の「自己断罪」だけでなく、芸術自体の自己解釈の歴史も頂点に達している。この歴史の理論をヘーゲルが書き、ドイツ文学におけるその諸段階は、ゲーテの『トルクヴァートー・タッソー』、『パンドーラ』やオイフォーリオンに、グリルパルツァーの『サッフォー』や『哀れな辻音楽師』に、シュティフターの『晩夏』、トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』や『ファウスト博士』に、きわめて明瞭に示されているが、それは芸術がおわるとき始めておわる歴史なのだ。フェリーツェによく言ったように、「書くことがぼくを維持してくれる」と、カフカはあの手紙で述べる。しかし書くことで維持されるのは、どんな種類の生活なのか? きわめて有害な生活だ。なぜといって「書くことは甘美な報酬だ。しかしなにを代償として? 夜、ぼくには児童の実物教授のときのような明瞭さで、それが悪魔崇拝の報酬だということが明らかとなった。」 そして、書くことがカフカにとって悪魔的と思われる点の、すばらしいまた正確な描写がつづく。「暗い諸力へのあの下降、元来束縛されていた魔物たちのあの解放、いかがわしい抱擁やそのほか地下に生じるいろんな現象。それについては、人が日光をあびて小説を書くとき、地上ではもうなにもわからない。ほかの書き方があるかもしれないが、ぼくの知っているのは、これだけだ……。」 もし彼がニーチェを思い出したなら、こういう描写によってディオニュゾス的なもの――カフカの描いているのがまさにそれだ――が、いかにたやすくユダヤキリスト教的なものに「価値変革」されるか、陶酔した神の冷静な悪魔への変身が、どんなにはやく行われるかを、あの偉大な「価値変革者」に教えることができたであろう。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、17~18; エーリヒ・ヘラー「まえがき」)




 たしか七時にいちど覚めたんだったかな。それでまだはやいとふたたびまどろみ、八時にいたって正式な覚醒をむかえた。さっそく腹をこまかく弱く指圧しだす。カーテンをめくってみるときょうは青さが目に染み入る晴れの日である。下腹部や脚の付根から臍まわりやみぞおちのほうまで、腹部を全般的によく揉みほぐしておき、そのほか首を左右にかたむけて伸ばしたり、脇腹や腰もちょっと揉んだり。両手を組んで腕を伸ばしたりもする。あとこめかみと眼窩。目を閉じたまま、そうしてからだの各所をあたためているうちに、一時間も経ってしまって起き上がったのは九時だった。しかしおかげでからだは軽い。腹を揉んでやわらかくするのがやはりよさそうなのと、あとはたんじゅんにロラゼパムを毎日二回飲むようにしたので、それでしぜんとリラックスしているということがあるのだろう。じっさいきのう図書館までの往復で一時間四〇分くらいずっとあるいていたわけだけれど、とうぜん脚は疲れてすこし痛くなったものの、帰ってきたあとの筋肉疲労もまえにくらべるとさほどではなく、回復がはやいような気がしたし、とにかく全体的にからだが軽く、なめらかさが増している。さすがはベンゾジアゼピン抗不安薬だ。なにしろ依存症のリスクすらある薬である。起き上がるとカーテンをひらき、冷蔵庫のペットボトルから黒のマグカップに水をそそぎ、ちびちび飲みつつパソコンをつけた。Notionのきょうの記事は昨晩の日付替わり後にすでにつくってあった。ウェブをちょっと見つつ水を飲んだあとにトイレに行って用足しと洗顔。そうして寝床にいったん帰ると、Chromebookで過去の日記の読みかえしをする。一年前、2021/9/30, Thu.からは、やはり冒頭のレヴィナスについての解説が興味深く、すばらしい。とうじ読んだときよりも、言っていることがすこし、よりつかめるようになっている気がする。

 可視的なもの、つまり現前するものと不可視的なものとをへだてる、「ほとんど透明な隔たり」によってへだてる「皮膚」とは、「現前からの退引」であり「自己じしんの退引の痕跡」であった(三・2・2の引用)。若さを漲らせる肌もそれゆえ、同時に「皺の刻まれた皮膚、自己じしんの痕跡 [括弧内﹅] 」(三・2・3に既引)なのであった。愛撫の切迫が告げているものは、だから、他者の不在、他者の死なのである。顔が皮膚によって覆われ、顔は皮膚の延長であり、さらには顔こそがほとんどつねに剝き出しにされている皮膚である以上、ことの消息はかわらない。あるいは、顔についてこそ事情がより鮮明となる。「顔の開示は裸形であり」、「自己の放棄、老いること、死ぬこと」である。それは「裸形よりも裸形であって、つまり貧困であり、皺の刻まれた皮膚である。皺の刻まれた皮膚であるとは、要するに自己じしんの痕跡であるということなのだ。私の反応は、すでに現前じしんの過去である現前を逸してしまう」(141/169)。――顔は老いる [﹅3] 。顔は老いており、老いつつある。老いるとは、いまが〈いま〉から零れおちてゆくこと、現在のなかで [﹅6] 現在が剝落すること、現在がすでに過ぎゆき、過去になっている、ということである。顔がいま老いているということは、私にとっての他者の現在であるものが、じつはすでに現在じしんの過去であるということ、現前が現前じしんの過去である現前である [﹅16] (une présence qui est déjà le passé d'elle-même)ということなのだ。老いゆくことその(end264)ことは、しかし目にみえる顔だちそれ自体にはぞくしていない。ほかならぬ顔が老いてゆくにもかかわらず、現在において [﹅6] 老いゆくことは不可視的なのである。他者の顔に刻みこまれた無数の皺そのものが、すでに過ぎ去り回収不能な時の痕跡であり、不可測な死の、見ることのできない現前である。それゆえ、どの瞬間であれ、私のいかなる反応も他者の現前を不断に逸してしまう [﹅12] 。
 「顔」あるいは「皺を刻まれた皮膚」は「それ自身の痕跡」である。顔がそれ自身の痕跡であるとは、顔が「あらゆる瞬間において、回帰 - しないことの可能性をともなった、死の窪みへの退引であるような現前」であるということである。死は不可測である [﹅8] 。他者はそれゆえ、いついかなるときにも回帰 - しないことがありうる。可視的な顔だちは現前する。だが、目にみえる顔だちの背後で顔は老い、老いることで死の窪みへと退引し、身をしりぞけている。死の窪みとは「非 - 場所の窪み」、つまりもはやこの世界のかなた [﹅3] である窪みである。死ぬことそのものは世界の内部では生起せず、死は世界の外部をさし示しているからだ。「顔はすでに不在になりつつある」。この不在 [﹅2] こそが「隣人の他性」なのである [註182] 。
 顔は不在になりつつある [﹅11] 。だから、「われわれは他者の顔において死に出会うことになる [註183] 」。他者の顔は文字どおりの意味で、つねに別れ [﹅2] を告げている(adieu)。比喩的な意味では、神に向かっている(à Dieu)。つまり、無限 [﹅2] をさし示している [註184] 。私はこの無限の(end265)まえで〈責め〉がある。つねに・すでに〈責め〉がある。しかも取りかえしがつかず、済むことも果てることもない責めがある。それは、顔において私はつねに、他者が他者であること、他者が私とは遥かにへだてられており、無限の差異によってへだてられていることを受けいれて [﹅5] しまっており、他者の観念のうちにすでに無限を孕んでしまっているからである。
 「無限の観念を有する」とは、「私のうちなる他者の観念 [﹅11] 」を無限に超えでてゆく他者をうけ容れてしまっていることである [註185] 。あるいは「無限の観念を所有しているとは、すでに〈他者〉に応接してしまっているということ」にほかならない [註186] 。すでに・あらかじめ応答 [﹅2] (répondre)してしまっている以上、他者にたいして私には責め [﹅2] (responsabilité)がある。取りもどすことのできない応答の可能性(responsabilité)がひらかれてしまっている。その〈責め〉は私の「現在」につねに・すでに先だつ、「いっさいの現在のてまえにある過去との関係」(24/32)である。そこには「いっさいの受動性よりも受動的な受動性」(31/42)、つまり、もはやその対となるべき能動性を考えることができない受動性(81/100)、ディアクロニーとしての受動性、「〈責め〉というディアクロニー」がある(37/49, 38/50)。(……)

 (註182): E. Lévinas, *Humanisme de l'autre homme* (1972), LGF 1987, p. 12.
 (註183): E. Lévinas, *La mort et le temps*, p. 121.
 (註184): Cf. J. Derrida, *Adieu à Emmanuel Lévinas*, Galilée 1997, p. 206. なお、デリダが引用しているのも、前註183と同箇所。
 (註185): E. Lévinas, Totalité et Infini, p. 43. (邦訳、六〇頁)
 (註186): *Ibid*., p. 94. (邦訳、一三三頁)

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、264~266; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)

 ニュースはした。ワクチン接種拒否で解雇までできるってのはすごいなと読みかえしておもった。

夕食時に読んだニュースもしるしておくと、夕刊に、米ユナイテッド航空がワクチン接種を拒否した従業員六〇〇人ほどの解雇にむけて手続きをはじめたという報があった。同社は米国内の従業員に接種を義務付けており、ほぼ全員、九九パーセントほどは接種したものの拒否するひとびとがいて、それにたいしては解雇という対応を取るらしい。朝刊の国際面には、韓国で改正医療法というものが八月末に成立して、病院の手術室に監視カメラを設置してようすを録画することが義務付けられたと。この成立に国民請願というシステムが寄与したということだった。文在寅政権によって大統領府のホームページにそういう欄がつくられており、三〇日以内に二〇万人いじょうの賛同をえた請願にかんしては政府などが回答・対応することになっていると。赤ん坊の息子が手術を受けたあと容態が急変してミスを疑ったが証拠を見つけられなかった、という夫婦が請願し、メディアにもとりあげられて二〇万を超え、政府がそれにこたえたかたち。もともと韓国では執刀医以外の代理手術や、スタッフによる患者へのセクハラなど手術室をめぐる問題がここ数年取りざたされていたらしく、改正医療法および監視カメラの設置というのは議論されていたようなのだが、それに後押しをあたえることになったのだろう。カメラ設置を拒否したばあいは罰金、全身麻酔をつかって患者の意識がなくなる手術にかんして、患者がもとめれば原則録画をことわれなくなる、と。医師たちの協会は萎縮をまねいて結果的に国民の不利益になる、と反対している。いまでも過去の訴訟事例によって、おおきな手術、むずかしい手術を担当しようという医師が減っているという。

 2014/2/22, Sat.も読む。この日はとうじやっていた読書会の会合で早稲田および高田馬場にあつまっている。この会は、とうじこちらが日記を載せたブログの記事をたしかTwitterにあげていて、そこで(……)くんという早稲田の学生と知り合ったのが発端だったはず。たしかTwitter上でだったとおもうのだが。読書メーターでつうじたべつの会もあったからよくおぼえていない。ともあれその(……)くんは、二〇一三年中にはすでにこちらとやりとりがあって、こちらの日記文を称賛してくれていた。一三年のじぶんの文章をすごいと言っていたあたり、しょうじきなところその審美眼はさほどするどいものではなかったというか、節穴だったと言ってしまいたくなるが、まあでもありがたかった。趣味としてはベケットが大好きで、あと現代詩も好きで読書メーターには現代詩文庫をほぼ毎日読んでいるかのようなペースで感想コメントがつづられており、よくこんなにはやく読めるなとおもったものだが、会では松本圭二もほんのすこしだけとりあげられたことがあった。この一四年二月いぜんにもたぶん一、二回、すでにあつまりはあったはずである。この日の課題書は『族長の秋』で、これはまあじぶんがぶっ飛んだ本としてすごいすごいといつも言っていたからえらばれたのだろうが、参加者は(……)くんとこちらのほか、Hさん、Uさん、Kさんとある。Hさんというのは、いまや(……)にある客単価二五〇〇〇円のとんでもない店で料理長として腕をふるっている(……)さんのことである。Uさんとはいま現在もオンラインで定期的に会合をもっている(……)くんのことで、Kさんというのはかれの友だちである(……)さんのことだ。会のあとは高田馬場駅そばのアメリカンなピザ屋に行って、ピザだのポテトだのをみんなでばくばく食っているのだが、この店のトイレで小便をするときにいっしょになった(……)くんが、あ~きもちいい、おしっこするのって、めっちゃきもちいいですよね、とかもらしていたのをおぼえている。そのあとカラオケにながれておのおのうたい、さいごは小沢健二 feat. スチャダラパーの”今夜はブギーバック”をみんなでうたっておひらきとなった。この曲をこちらがたしかに知ったのはこのときがさいしょである。なんとなく聞いたことはあったかもしれないが、(……)くんがさいごは”今夜はブギーバック”にしようと言ったときに、だれの曲かどんな曲かわからず、知らないっすか? オザケンの、といわれた記憶がある。
 それとはべつで、つぎのような記述も。ひとつひとつの文にたいして記憶がよくよみがえってくる。もう祖母も死んだし、この山梨の家は父親が毎週たしょう行っているくらいで、この物置き場兼車庫はいまどうなっているんだったかな? 一回くらいは行っておきたい気もする。風光明媚というには質朴にすぎるかもしれないが、やや高みにあって、たたなわる山影が空の果てによくみえるよい田舎である。周辺を散歩したり、(……)駅まであるいていって帰りたい。そしてたしかにクジャクはいた。さいしょは二羽いたような気がする。

 父は山梨の実家の除雪に向かうらしい。先日、その家に隣接してある物置き場の屋根が落ちたと聞いていた。そこを通らないと家に入れないため、祖母は叔母さんの家に滞在しているということだった。左側にゴルフ場が広がっている坂を上ってくると右手に立ち並ぶ家のなか、石段の上に物置き場はある。赤銅色の大きな扉をあけると車庫も兼ねた薄暗い長方形の空間が広がっている。左手には細々とした工務用品が置かれた棚が壁際を占領し、右手にはガラス扉が並んでいて上がってきた坂を見下ろすことができる。陽がそこから射しこんで、ちらちらと舞う木くずや埃を映し出す。奥のほうには鉋やなにかだろうか、いくらか大型の機械類が置いてあり、もはや使われることもなくなったそれらは鈍い輝きを秘めながら沈黙している。夜には天井から申し訳程度に下がる電球の光のもと、鉄板を持ち出してバーベキューなどをした記憶がある。あのころはまだ祖父も生きていた。左手の棚が途切れた横に扉があって、そこをくぐると家の前の庭に出る。すぐ右手には鶏小屋があって、昔はにわとりだけでなくチャボや兎、果ては孔雀までいたのだ。その奥にはそれほど大きくはないビニールハウスがあり、ここでトマトなどをつくっていた。庭にはそこらじゅう大小さまざまな花鉢が並び、無造作に花を咲かせるそれらはいくらか無秩序な印象を与えながらもやはりひとつの景観をなしている。照りつける夏の陽射しの下、そのひとつひとつに水をやったものだ。夜には砂利が敷かれた地面の上で、盆の送り火を燃やした。細かく折った麻柄を丸い敷石の上に置いて、背中の曲がった祖母が火をつけた。燃えはじめると祖母は立ち上がって二、三歩下がり、右手を太ももの上に、左手を腰のうしろにあてた。ずいぶん小さく見えた。立ちのぼってくる煙が目に染みた。真上を見上げると、空を遮るものはなにもなく、視界いっぱいに広がった夜を星々が満たしていた。

 ところできのう書き忘れたけれど、2014/2/21, Fri.には「夕食は米、納豆、豚汁、野菜炒め、ソーセージパンだった。食べながら一年前の日記を読み返した。信じられないほどつまらなかった。一年前の二月二十六日も一年前の日記を読み返していた。風呂に入ってからノートにメモをして寝た」という一節があった。一三年の日記が「信じられないほどつまらなかった」というのはもう知っていることで、一三年中の記事は過去にすべて葬り去ったのでよいのだが、注目されるのは、「一年前の二月二十六日も一年前の日記を読み返していた」という情報である。つまり、二〇一二年中もこちらは日記を書いていたということなのだ。たしかにそう、とうじ好きだったブログ「(……)」に影響されて、半端カジュアルみたいな口調でだらだらひとり語りするようなものを書いており、「(……)」というタイトルのブログをつくって載せてもいたおぼえはあるが、一二年の二月というとかなりはやい時点だから、そんなころから書いていたかなと。一三年一月に(……)さんのブログを発見して開眼するそのすこしまえに書いていたようなおぼえはあるのだが。いずれにしても、一三年中の記事が黒歴史的なつまらなさであるのをさらに越えて、一二年中の駄弁そのものみたいなやつは(いまもわりと駄弁感はつよいが)黒歴史時点からみても黒歴史黒歴史をさらに煮詰めた黒歴史みたいな文章だっただろう。いまかりに読んだとしたら、ここ二〇年の範囲で最大の恥をかんじることは請け合いだ。さらに二一日の欄外には、「1年前の日記を読み返してみるのも意外とおもしろいことがあって、それについて考えたことを現在の日記に記し、また1年後にそれを見返して1年後の日記に記し、という風に日記が連鎖的に繋がっていくという風にするのもおもしろそうだ」とも書きつけられているのだけれど、いままさにそういうことになっているだろう。一年前どころか八年前の日々のことを見返している。
 二二日のほうにもどると、会合のまえに朝から労働があったらしく、「八時過ぎに出勤した。重く眠い労働だった。今日が最後だという生徒が泣いてしまって、退勤をひきとめられた。暗いわけではなく馬鹿みたいに明るいわけでもなく、しゃべらないわけではないがぺらぺらと言葉を繰り出すわけではなく、笑いはするが大口をあけることもなく、とても大きな目をひらいて猫のような顔を浮かべた少女だった。その大きな目を細めてだだっ子のようにごねていた。もう一人の生徒と一緒に三人でパンを買いにいった。上司に先日怒られたので、内緒だと言いつつチョコクロワッサンをあげた」という記述があって、この女生徒の顔をおもいだした。あー、たしかにこういうことあったな、いたな、という感じ。たしか、(……)なんとかさんというなまえではなかったか? ぜんぜん自信がないが。したのなまえに「美」の字がはいっていたような気がする。たしかに猫っぽいというか、どちらかといえばクールな雰囲気で、目はおおきめだけれど目つきはすこしだけするどく、感情面でもたしょう抑制的であからさまになつくという感じの子ではなかったので、泣いたのにはおどろいて笑った記憶がある。
 読書会に向かう電車内では、「立ってからは扉際で一年前の日記を読みかえした。まぎれもない駄文を書いて悦に入っていた去年のおのれが許しがたかった」というわけで、一五年くらいまでのじぶんにとっては下手な文章を書いていた一年前のじぶんは不倶戴天の敵だったのだ。読み返すたびにクソだな、つまらんな、とおもい、同時に、そう感じるということは一年後のじぶんが成長しているというあかしだから、このさきもそうおもえるようでなければならない、ともおもっていた。一五年のとちゅうか、一六年くらいから過去のじぶんをゆるせるようになったので、一四年の記事は一部は削除されたけれどだいたいはのこっており、ブログにもあがっている。
 過去の読みかえしを終えると立ち上がって椅子につき、瞑想。九時五〇分くらいからだったはず。もうはじまりからしてからだのかるさがちがう。姿勢をとりつづけるのが楽である。呼吸もかるく、それでいてなめらかに沈む。よくおぼえていないが三〇分すわったんだったか。時間ももうあまり重要ではないなという意識になってきている。そうして食事へ。きのうつくった味噌味の野菜スープにうどんを入れたのが一杯分のこっているので、それを食うとともにサラダをつくることにした。キャベツ、キュウリ、サニーレタス、ハム。胃とか喉もととかの調子はかなりよくなってきたと言ってよいのだが、しかしまだまだ油断はできない、どうせ調子に乗るとすぐに逆戻りするという段階だろうとおもい、サラダもすくなめにしようとおもったところがけっきょく大皿いっぱいになってしまった。和風しょうゆドレッシングをかけてハムを乗せると机に置き、それから冷蔵庫の鍋をとりだして火にかける。熱しているあいだにまな板などつかったものをもう洗ってしまい、水切りケースへ。わすれていたが食事前かどこかのタイミングで、きのう洗ったが半端に陽にあてることしかできずにいた洗濯物たちをそとに出した。食後だったかな? 空は濁りなく水色がひろがってひかりのいろもそこここに散らばりつつ、窓から乗り出した身にふれる外気は清涼で、ようやくカーンと音の鳴って渡るような秋の晴れが来たなという感じ。左右に首を振って目をおくると、雲は左側、南の低みに希薄なやつがあまり浮かび上がらずぽろぽろ置かれているのみだった。のちに昼頃もういちどそとを見たときには、陽射しが厚くなって暖色が増えるとともに雲ももうすこし湧いて天上をのどかげに通過しており、あれに太陽がとまるときもあるだろう。いまは一時四二分で、鍋を火にかけているのもあるがやはりあかるさとさわやかさがなんとなく恋しく、窓を網戸にしてめずらしくカーテンまであけている。そうすると保育園の二階からこちらの部屋内がもろにみえるので、ふだんは恥ずかしくて基本閉めているのだけれど、秋晴れの開放感と体調がよくなってきている気分の晴れとがそうさせたのだろう。それにいまはお昼寝の時間でしずかだから。まもなくだが二時ごろになると子どもたちが起きてまたにぎやかに遊びだすはず。
 食事中はまあたまには日本のメディアもみるかということで、東京新聞にアクセス。「頑張った子が損をする!? 都立高入試「英語スピーキングテスト」の問題点とは? 11月実施目前でも止まない反対運動」(2022/9/30)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/205468(https://www.tokyo-np.co.jp/article/205468))という記事があった。塾講師としてはあきらかに失格だが、くだんのスピーキングテストのこまかいことをここでようやく知った。そういうのがあるぞということだけは聞いており、職場でもそれ用のプログラムをやっている生徒もいるのだけれど、こちらはまったくそっちにふれていなかったので。「区立中3年の母親」であるひとの、「スピーキング能力を上げたいという目的には賛成するが、不完全なテストを入試に使うより、公立中でのカリキュラムや教材の発展に知恵を出してほしい」というのが正論で、これに尽きるのではないかという感じ。なぜなら教育の目的は学力をはかることではなく、学力をそだてることのはずだからだ。

 11月に予定されるテストは、都内の公立中3年生の全員が対象。来年度の都立高入試で、学力試験の得点と中学で学ぶ9教科の成績を反映した調査書点の合計に、新たに加えられる。
 国立中と私立中の生徒にはテストを受けない選択肢があり、テストなしに都立高を受験した場合、「仮想得点」が与えられる。仮想得点は、英語の学力試験の得点が同じ受験生らの平均点を算出。テストの評価は4点刻みのため、学力試験で上回る受験生が、テストを受けたばかりに、テストを受けなかった受験生より、合計得点で下回ってしまう逆転現象が排除できない。

     *

 長男が区立中3年の母親(51)は、スピーキングテストのパンフレットを見ながら、長男が「受けない方が得するんじゃないの」とつぶやくのを聞いた。都教委に対し「スピーキング能力を上げたいという目的には賛成するが、不完全なテストを入試に使うより、公立中でのカリキュラムや教材の発展に知恵を出してほしい」と注文した。

     *

 受験生と保護者は、11月に迫るスピーキングテストに不安を募らせる。テストの停止などを求めて都に住民監査請求した一人で、公立中3年の次女がいる母親(45)は2014年、テストの運営を委託された出版大手「ベネッセコーポレーション」の個人情報流出事件で被害に遭った。
 スピーキングテストを受ける生徒は受験登録時、ベネッセのサイトに個人情報を入力するが、「個人情報の取り扱いに同意しない選択肢がない」(住民監査請求を担当する大島義則弁護士)ため、拒否できない。
 この母親は「今回のテストに泣く泣く登録したが、個人情報を扱う委託会社について、学校も都教委もベネッセも答えてくれなかった。信用しろという方がおかしい」と憤る。
 ベネッセは、受験生の音声データをフィリピンに送って採点するが、誰が、何人で、どのように採点するか、明確な説明がないことも懸念されている。


 「プーチン大統領、南部独立を承認 ウクライナ4州編入、きょう宣言」(2022/9/30)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/205528(https://www.tokyo-np.co.jp/article/205528))も。

 ロシアのプーチン大統領は29日、ウクライナ南部2州の独立を承認する大統領令に署名し、即日発効した。南部と東部計4州の親ロ派支配地域をロシアに編入する法的準備を整えた。プーチン氏は30日午後3時(日本時間同9時)にモスクワで親ロ派と編入条約に調印し、演説で編入を正当化する構えだ。ロシアは4州で強行した「住民投票」での賛成多数を編入の根拠としているが、ウクライナ側は民意の捏造だと批判している。
 4州はウクライナ東部のルガンスク、ドネツクと南部のザポロジエ、ヘルソン。ロシアの編入手続き法は、編入を求める国との条約締結を定めている。東部2州は2月に独立承認済み。


 そのあと、安倍晋三国葬が執り行われた時節でもあるし、まあたまには産経新聞もみてみるかとおもってアクセスしてみると、国葬よりもむしろウイグル関連の見出しが目にとまる。村上栄一「加速する中国の「同化政策」 ウイグル人女性が実態を告白」(2022/9/30)(https://www.sankei.com/article/20220930-KIBGLSSFDJPWTHFFLKM2HEFNLI/)というのをさいしょに見てみたところ、冒頭、「中国の新疆ウイグル自治区ウイグル人に対する人権侵害が行われているとして、日本在住のムカイダイスさんが愛媛県西条市で講演し、植民地となった国に訪れる悲惨な実情を具体例を挙げて述べ、「民主主義の日本がアジアを守る力を持ってほしい」と訴えた。」とはじまっていて、「植民地となった国に訪れる悲惨な実情を具体例を挙げて述べ」というぶぶんに、日本も中国によって侵攻されて植民地化されるかもしれないという危機意識をうながすメッセージが暗黙のうちに織りこまれているのだろうなとおもい、そこから防衛力の強化についてかんがえさせたり、反中国意識をもたせたりするようなことも、産経新聞側としてはたぶんのぞんでいるのだろうとおもったが、この女性じしんが「植民地」ということばをじっさいにつかっていた。いわく、

 ムカイダイスさんは、講演でふるさとについて紹介。東トルキスタンはトルコの東という意味で、日本では西域、シルクロードの国として知られる。広さは日本の約4・6倍で、中国の約5分の1を占め、美しい自然と豊かな文化を持つ、と語った。
 「植民地となって以降、トルコ民族のウイグル人は出ていけと言われた。今は中国の植民地で、中国共産党によりさまざまな人権侵害に苦しめられている。支配者は魂が怖い、文化が怖いのです。言語を失わせ、思想を改造しようとする。私たちを中華民族にしようとしている」と人権侵害が続く実情を、強制される不妊手術、漢民族の男性兵士との結婚など事例を示しながら説明した。
 「私たちは国を守れなかった。世界がジェノサイドを認定しても、誰が誰を助けてくれるのか。自分の国を渡したら悲惨なことになる。ホームステイといって漢民族が一緒に住みます。『親せき』となって家に入ってくるわけです。娘を持つ親は抵抗することはできない。これは合法化されたレイプ政策です。収容所では女性は髪を切られ、中国製のかつら、つけまつげとして日本でも売られています」
 ときおり、涙ぐみ、言葉に詰まりながらもムカイダイスさんは語り続けた。

 この講演会を主催したのは「美しいふるさと西条実行委員会」という団体だといい、文春新書から出ている安倍晋三の著書タイトル『美しい国へ』と類同的な文言をなまえにもつこの実行委員会は、たぶん愛国的なひとびとのあつまりなのだろう。ムカイダイスさんの講演のテーマも、「ウイグル人女性が語る『祖国』への想い」。記事のさいごは、つぎのような感じで、真の意味での日中融和と、日本への感謝、ならびに日本のリーダーシップを発揮してほしいという希望をうったえるかたちで終わっている。

 「収容所は人間の尊厳を踏みにじる。だめです。犯罪です」とムカイダイスさんは強調する。「でも、そこで殴られた人は知っていても、証拠を示すのは難しい。助けてくれたのは、心ある漢民族の方々でした。14億人の漢民族の中に心ある人はたくさんいる。そのような人々は、真の意味で日本と仲良くなりたいと思っています。それを日本の皆さんも知るべきです」と述べた。
 ムカイダイスさんは東京の多磨霊園ウイグル人の墓があることも紹介し、「大事にしてくれた日本に感謝しています」と話した。そして「日本はだめなものはだめと言える民主国家。アジアを救う力を持つことが必要です。中国の暴挙から守ってほしい。日本は世界の平和をリードする国となってほしい」と訴えた。

 ムカイダイスさんの日本への感謝については、記事とちゅうにも、「中国は人権侵害を全面的に否定しているが、日本でも今年2月1日、衆院で「新疆ウイグル等における深刻な人権状況に対する決議」がなされた。「不十分な内容だった」との指摘もあったが、ムカイダイスさんは「民主主義の力が発揮された。対中非難決議はアジアでは日本が初めて。私は日本に感謝したい」と評価した。」というぶぶんで述べられている。
 ほか、「太陽光パネルウイグル製多い指摘に「人権を重視」小池都知事」(2022/9/29)(https://www.sankei.com/article/20220929-WSW4N6WIDRJMPI4FAWQOWKYMC4/(https://www.sankei.com/article/20220929-WSW4N6WIDRJMPI4FAWQOWKYMC4/))、原川貴郎「世界ウイグル会議議長「起きているのはジェノサイド」 安倍元首相に献花」(2022/9/29)(https://www.sankei.com/article/20220929-L5ZGKFAIHNKBDNK4QHQISCY6UE/(https://www.sankei.com/article/20220929-L5ZGKFAIHNKBDNK4QHQISCY6UE/))、「中国、50万人不当拘束か 新疆、テロ名目と人権団体」(2022/9/15)(https://www.sankei.com/article/20220915-24SEGQ6E5RKAXG33BO5BWOKQRE/(https://www.sankei.com/article/20220915-24SEGQ6E5RKAXG33BO5BWOKQRE/))と、ウイグル関係の情報はけっこうあるなという印象で、産経新聞は基本的に(基本的にというかバリバリの、か)反中国スタンスだろうから、やはりあいての悪辣さについてはがんばってとりあげるということなのだろうか。そういう意味では、ウイグルの情報をもとめて産経ニュースをみるのもよいのかもしれない。まあ、GuardianかBBCみたほうがはやいといえばそうだが。それかNew York Times。さいごの記事の情報はつぎのようなもの。

 国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)は14日、中国が新疆ウイグル自治区でテロ行為などを理由に逮捕、拘束し、刑務所に収容しているウイグル族らトルコ系住民が、従来推定より大幅に多い約50万人とみられると発表した。
 「再教育」や「職業訓練」名目で強制収容され、約100万人ともいわれる住民とは別。司法手続きにのっとっているものの、通常の裁判の権利などを否定した不当な拘束であり、HRWは「人道に対する罪」と中国政府を批判している。
 新疆当局がテロ取り締まりを旗印に実施してきた「厳打」キャンペーンで、2017年から21年まで訴追された住民は約54万人。多くは5年以上の刑を受け、現在も刑務所にとどまっているとみられる。
 54万人については、裁判所の判決内容が親族や弁護士にもほとんど明らかにされていない。HRWが58例について分析したところ、法的根拠なしの拘束であることが強くうかがわれたという。(共同)

 ドルクン・エイサ世界ウイグル会議議長のインタビュー全文は以下のような感じで、ウイグルのひとびとがさらされているジェノサイドをうったえるとともに、安倍晋三ウイグルへの関心を証言し、かれへの感謝と日本への期待を述べるかたちになっている。

 --今回の来日の目的は

 「第1は、中国による弾圧、ジェノサイド(民族大量虐殺)の本当の実態を、もっと多くの人に伝え、対策をとってもらうためだ。第2にウイグルの人権問題に早くから取り組んでくれた安倍晋三元首相に弔意を表すためだ。国葬が行われた27日の朝、(一般の)献花場に1時間ほど並び、遺影の前に献花し、感謝を伝え、祈りをささげた」

 --安倍氏はどのような存在だったか

 「今日のように国際的な問題になる前から、ウイグルの人権問題に関心を持っていた方だ。私は2008年に初めて来日した際に、あいさつすることができた。他の国が口にできなかったそのころから、中国の指導者にウイグルの問題を堂々と話したのが安倍氏だった。その死は日本人だけではなく、世界のウイグル人にとっても、すごく悲しいことだ」

 --30日に超党派の「日本ウイグル国会議員連盟」の総会に出席する

 「私たちにとって非常に重要な会議になる。日本の国会や政府に何を求め、期待するか。きちんとした形で示せるよう資料を準備してきた。これから具体的にどのような形で協力するのか、そのための話し合いをしたい。中国が在日ウイグル人に圧力をかけることが多くある。日本のウイグルコミュニティーが抱える問題に対し、政府、議連が何ができるのか。可能性と限界を考えていきたい」

 --ロシアによるウクライナ侵攻後、ウイグル問題に対する国際社会の関心が低下したのではないか

 「ウクライナ危機は国際社会にとって大きい問題だが、ウイグルにとっても大変な問題だと考えられている。ウクライナ危機が始まってから、ウイグル問題が完全に注目されないようになってしまった。中国はこの状況をチャンスと考えて、弾圧、ジェノサイドをはるかに強力に行うようになっている」

 「具体的には、エリート階級の人たちが行方不明になる事案が以前よりずっと増え、以前に逮捕された人たちが、再び逮捕されるといったことが続いている。状況は逆に悪化している」

 --衆院は2月に、「中国」「非難」「人権侵害」といった文言がない人権決議を採択した

 「人権問題は、いろんな場所で、いろんな形で起きているが、ウイグルで起きているのはジェノサイドだ。日本には、ここの区別をはっきりした上で、国際的な舞台で立場を示してもらいたい。日本は世界第3位の経済大国で、アジアでの影響力も大きい。それに自由の国だ。私たちや国際社会の期待に応えられる国だと信じている」

 ムカイダイスさんの発言とドルクン・エイサ議長の発言に共通しているのは、まずなによりも、中国がウイグルのひとびとにたいしておこなっていることはたんなる人権侵害ではなくて、ジェノサイドであるといううったえである(ムカイダイスさんは、国連のジェノサイド条約による五項目の定義を踏まえて、「ウイグルは定義に全部あてはまる」と言っている)。つぎに、日本(もしくは安倍晋三)への感謝である。第三に、日本がアジア地域でおおきな影響力をもてる自由な国家であるという認識と、その影響力を発揮してほしいという期待もしくは希望の表明である(ムカイダイスさん: 「日本はだめなものはだめと言える民主国家。アジアを救う力を持つことが必要です。中国の暴挙から守ってほしい。日本は世界の平和をリードする国となってほしい」/エイサ議長: 「人権問題は、いろんな場所で、いろんな形で起きているが、ウイグルで起きているのはジェノサイドだ。日本には、ここの区別をはっきりした上で、国際的な舞台で立場を示してもらいたい。日本は世界第3位の経済大国で、アジアでの影響力も大きい。それに自由の国だ。私たちや国際社会の期待に応えられる国だと信じている」)。第三の点はどちらの記事でも記事の終わりに結論的に置かれている。
 そのほか食後、Guardianもちょっと。ウクライナとイタリア。Giorgia Meloniについての記事は、きのうのもあわせて、なんか勉強になるな、という感じ。


Léonie Chao-Fong, Martin Belam, Andrew Roth and Rebecca Ratcliffe, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 219 of the invasion”(2022/9/30, Fri.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/30/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-219-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/30/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-219-of-the-invasion))

Vladimir Putin has signed decrees paving the way for the occupied Ukrainian regions of Kherson and Zaporizhzhia to be formally annexed into Russia. On Friday the Russian president is expected to sign into law the annexations of four Ukrainian regions – Kherson, Zaporizhzhia, Donetsk and Luhansk – where Russia held fake referendums over the past week in order to claim a mandate for the territorial claims. Thursday night’s decrees, made public by the Kremlin, said Putin had recognised Kherson and Zaporizhzhia as independent territories. This is an intermediary step needed before Putin can go ahead with plans to declare on Friday that they are part of Russia.

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There are indications that Russia might limit the movement of Ukrainians living in the occupied territories after it announces their annexation. Ukrainians have been told that from Saturday they will need to apply for a pass from the occupying authorities. This comes as the exiled Luhansk regional governor, Serhiy Haidai, said Russia had prevented about 1,000 Ukrainians from crossing the border into Latvia.

Russian forces may face “imminent defeat” in the key north-eastern city of Lyman as Ukrainian soldiers continue their counteroffensive in the east of the country, according to a US thinktank. The Institute for the Study of War, citing Russian reports, said the defeat would allow Ukrainian troops to “threaten Russian positions along the western Luhansk” region. Alexander Petrikin, the pro-Russian head of the city administration, admitted the situation had grown “difficult” for Russian forces trying to hold the territory.

Ukrainian forces have secured all of Kupiansk and driven Russian troops from their remaining positions on the east bank of the river that divides the north-eastern Ukrainian city. Most of Kupiansk, a strategic railway junction, was recaptured earlier this month as part of a counteroffensive by Ukrainian troops. AFP reported that those Russian troops who held out on the east bank of the Oskil river have been driven out.

Finland is closing its border to Russian tourists after Putin’s partial mobilisation order prompted large numbers of people to flee the country. From midnight Thursday Finnish time (9pm GMT), Russian tourists holding an EU Schengen visa will be turned away unless they have a family tie or a compelling reason to travel.

Nato vowed a “determined response” to what it described as “deliberate, reckless and irresponsible acts of sabotage” after leaks were discovered in the two Nord Stream pipelines. Swedish authorities have reported a fourth leak on one of the pipelines. The two leaks in Swedish waters were close to each other.

Gas is likely to stop leaking from the damaged Nord Stream 1 pipeline on Monday, according to the pipeline’s operator. A spokesperson for Nord Stream AG said it was not possible to provide any forecasts for the pipeline’s future operation until the damage had been assessed.

The Kremlin has said incidents on the Nord Stream pipelines look like an “act of terrorism”. The Kremlin spokesperson, Dmitry Peskov, said a foreign state was probably responsible. Russia’s foreign ministry claimed the “incident on the Nord Stream occurred in a zone controlled by American intelligence”.

Angela Giuffrida in Rome, “Italy’s Giorgia Meloni denies she is anti-women as credentials questioned”(2022/9/29, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/giorgia-meloni-italian-women-abortion-pink-quotas(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/29/giorgia-meloni-italian-women-abortion-pink-quotas))

Melons aside, part of Meloni’s appeal to her voters is that she is a strong woman and the only one who has led an Italian party to power while holding her own against powerful men, namely her coalition allies – Matteo Salvini, leader of the far-right party League and Silvio Berlusconi, the three-time former prime minister who leads Forza Italia.

Meloni does not describe herself as a feminist, instead saying she is against “pink quotas” and that roles should be achieved through merit, not gender. She illustrates this point by claiming hers is the only party that contains several women in leadership positions.

“Not only might we have the first female prime minister but we also have a large number of women who were elected to parliament,” said Lavinia Mennuni, a Brothers of Italy councillor in Rome who was elected senator in her constituency after fending off competition from rivals including Emma Bonino, the leftwing leader who was among the feminists who fought to legalise abortion in Italy in the 1970s.

“But frankly, it is not about whether Meloni is a woman or not – she is simply a very good leader, someone who is determined and coherent. We need to stop attributing feminist labels to everything.”

Giorgia Serughetti, a sociologist at the University of Milan-Bicocca who writes about women’s issues, said Meloni’s victory for the rightwing was not about “celebrating women” but a person who “made it”.

“She has no language in terms of women’s battles and neither has the desire to become a role model,” Serughetti said.

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Monica Cirinnà, a politician with the centre-left Democratic party (PD), became a symbol for Italy’s LGBTQ+ community after drafting legislation that led to civil unions being approved in 2016. She said leadership needed to be “earned” and that Meloni had earned her role.

There was an outcry in August after PD leader, Enrico Letta, selected Cirinnà as a senator candidate, but in a constituency she was likely to lose. Cirinnà was also furious but decided to run after being encouraged by her supporters, even knowing she would lose.

“He put me in a losing constituency, essentially he was saying that I was no longer powerful for the party,” said Cirinnà. “Let’s just say he wanted people who are more agreeable; I am difficult and do not give in easily.”

While the PD placed women in ministerial roles when in government, Cirinnà criticised the party, saying elected women were always “chosen by men” and that women who “speak freely” like herself “irritate” them.

Cirinnà argues that voters recognise and welcome women who have the freedom to speak freely and pursue their political path, something that is attractive for Meloni supporters, even if she exalts a macho culture.

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Luisa Rizzitelli, a women’s and LGBTQ+ rights campaigner, was also offered the chance to run as a PD senator but turned it down after realising it would be in a constituency she was guaranteed to lose.

“It was only about the image [of having a woman in the running],” she said. “The really big problem with the left is that they only put women in ‘second level’ positions rather than putting us in leadership roles that would really give us power.”

Rizzitelli said Meloni’s melons video was an astute way for her to present humour, while also expressing masculine values. “Brothers of Italy have understood very well that women can be good in this respect – if Meloni had feminist values, they would never have allowed her to get this far.”

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While Meloni has said she has no plans to abolish Italy’s abortion law, she does intend to limit abortions, such as offering financial support to women to carry through a pregnancy instead of choosing to terminate. Thousands of women protested across Italy on Wednesday evening to protect abortion rights.

Meloni’s agenda is also unlikely to favour giving women special treatment in the workplace.

“For sure we will go backwards on women’s rights because Meloni does not renege her far-right culture, which has always maintained that women need to behave in a certain way and that they should only be allowed a certain amount of freedom,” said Cirinnà.

“As for [mandatory] pink quotas [in corporate boards] – I would like us to overcome this measure too, but until it becomes normal to see women in positions of power in Italy, pink quotas are necessary.”

 たぶん一二時台か一時前か、そのくらいから、また野菜スープをつくることにした。タマネギ、ニンジン、大根、ネギ、キャベツをそれぞれ切って鍋で炒める。鍋のおおきさに比して量がおおく、いっぱいになってしまうので、三回に分けてザルから落とした。しばらく炒めて野菜がしんなりとし、ちょっとぐじゃっ、というような響きが鳴るようになったあたりで水をそそいで、あとは最弱の火でひたすら煮つづけるだけ。てきとうなところで豆腐をくわえ、あご出汁とか鶏ガラスープの素とか醤油も入れた。いま二時半だからもう煮すぎだろうというくらいに煮ているが、こういう感じで野菜スープをつくるのは楽だしうまいからよい。胃にもよさそう。うどんも入れられるし。たくさんつくっておけば二日分まかなえるし。味のバリエーションを追究するのもよいかもしれない。


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 いまもう一〇月にはいってしまい、画面右下の時刻表示が零時一六分をしめしているが、きょうはいろいろものを読んだというか、ほぼものを読むことしかしていない。けっきょく、まったく自由な休みがあたえられても、読むことくらいしかしないのだよな。ほんとうはもっとそとに出てあるき回ったり、いろいろなばしょをおとずれたりしたほうがよいとおもうのだが。それか日記いがいの書きものをするか。いずれにしてもきょうはよく読んで、いちばん読んだのはユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』だろう。100ちょっと過ぎくらいからはじまっていま200のてまえまで来ているから、かなり読んだと言ってよい。おもしろい。篇によってそんなに、というものもあったが。くわしい感想(といってそんなにないが)は書けたらのちほど。したはいま読んだ(……)さんのブログの最新二七日の記事で、おもしろい。すばらしい。きのうきょうのじぶん、ほぼ他人の書いた文を引用するだけのマシンになってないか?

 植物的な存在は固着的なものとして、運動性の本質的な乏しさを特徴とする生命である。これに対し動物的な存在は可動的なものとして、運動性との親和性は明らかである。植物は、自己保存の活動である栄養摂取と生殖を、さしたる動きをせずにおこなうことができる。植物の枠組みのおける生命の諸分岐は、こうした固着したあり方をとりながら自己保存が可能な方法をさまざまに追求し、その戦略をくりひろげていくだろう。動物はそのようなものではない。それは運動をなさないならば、自己の生命の保証すらできないものである。動物の進化は、自己がさらに運動的になり、その俊敏さを高めていくことに結びついていく。この二つの傾向の差異とは、固着性のなかでの生命の保持と、可動性をさまざまな仕方で発揮することという、運動性の強度についての差異なのである。
 しかしさらに重要なことは、こうした運動の展開にしたがって生命に意識が成立してくることである。植物的な生では、意識はむしろ麻痺し眠ったような状態にあるだろう。それは植物が生きる時間が、きわめて緩慢な仕方で現在に閉じ込められていることを示している。麻痺的であるとは、生命が自己のあり方そのものを受容する傾向が強いことを意味するだろう。
 これに対して動物は、その可動性において意識をともなう生を展開する。もちろんたんに可動的であるということは、意識を成立させる理由にはならない(機械の素早い動きが意識をともなうわけではないように)。しかしここで、動物における可動性が何を意味するのかを考えることが必要である。可動的であるとは、生命が一つの形態や環境にありつづけることから抜け出して、多様な場面に自己を置きうることを示すだろう。運動をなしうるとは、ある範囲内ではあれ環境の受容から抜け出して、自己の活動を別様な場面に展開することではないか。こうした事情は、点のように一つの場所へ固定されざるを得ない植物性から、平面上でざまざまな移動をなしうる動物性への質的な跳躍であると描くこともできるだろう。それは点から平面へという仕方で、行動を別の次元に展開していくような進化である。この跳躍は、生命の動きにさまざまな選択の余地を、つまり不確定性をもたらすものである。運動の質的展開によって産出されるこの不確定性の領域を、ベルクソンは意識と呼ぶのである。

檜垣立哉ベルクソンの哲学」第三章 分散する一者としての生命 211~212頁


であるならば、自分がスズカケノキに感じている「生命感」とは、彼がきわめて緩慢な仕方で現在に閉じ込められていて、非可動的で、その緩慢で物質に近しいような生命、自身がそうであることを自ら受容しているかのような様子であることの「気配」なのだろうか。

スズカケノキから「緩慢さ」とか「物質性」を感じてはいないのだ。いや、それは大前提であって、スズカケノキから受け取るべき対象ではない。「緩慢さ」とか「物質性」はスズカケノキを植物的生命としてそこに存在させている基盤部分に属している。その上に、非可動性が乗っているのだけど、その非可動性とは、要するに木肌の色と模様によって、さらに言えば樹木全体の大きさと形状によって、結果的には可動性の痕跡としてあらわされているように思うのだ。(木の、無意識ではなく非・意識、としての主体性、を感じている、動物とも知性とも違う他者の気配を感じている)

これはおそらく動物的生命がその運動性や可動性においてあらわすことの出来るものとは根本的に違う。動物的生命は環境の受容から抜け出すという、その運動性そのものに存在を、持続として記録(?)するだけだ。しかし植物はそのようなことができないので、ほぼ物質としての自らの表面に、「麻痺し眠ったような状態」でありながらも、その時空を緩慢に受容する様子を、記録し続けているのではないかと考えたくなる。

 体調はかなりよくなったと言ってよいのだけれど、どうしてもまだやはり胃がちょっとひりついたり、喉の詰まりがのこっていたりする。時間が経てばそうでもないのだけれど、食後すぐとかは膨満感とか詰まり感とかがわりとありますね。ふつうにさっさと病院行け、それがいちばんはやい、というはなしなのだろうが、ぜんぜん行きたくない。


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 あとこの日(いまから見てきのうにあたるのだが)のことで明確によみがえってくる記憶がみあたらない。二時半以後のことをぜんぜんおもいだせないぞ。あれだ、なんか疲れてしまい、三時か四時かそのくらいに布団で休んでいるときに、ちょっとまどろんだということがあった。さいきんはけっこうそういうことがある。昼寝などもうながいこと、基本しない生活だったのだが。そもそも起きるのが遅いし。あとなにか書くことあったような気がしたのだけれど、あたまのなかにそれが浮かんでこない。気のせいか? 外出せずにこもっていればこんなもんだろう。


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  • 「ことば」: 11 - 16
  • 「読みかえし2」: 25 - 46
  • 日記読み: 2021/9/30, Thu.