2022/10/2, Sun.

 私の生活方法はただ書くことに合わせてあり、それが変るとすれば、それはただ書くことにより良く適応するかもしれぬというためです。つまり、時間は短かく、力は小さく、オフィスは恐怖であり、住居は騒がしい。ちゃんとし(end55)た、まっすぐな生活でやっていけないなら、曲芸で切り抜けるよう努めねばなりません。時間の区分で成功したそのような曲芸に対する満足は、しかし元来書こうとしたものより、その時々の疲労の方が、はるかによく明瞭に、書いたものに現われているという、永遠の嘆きにくらべると無に等しいのです。一と月半前から、私の時間区分は、最近たえがたい疲れのため若干障害が生じましたが、次の通りです――八時から二時あるいは二時二十分までオフィス、三時あるいは三時半まで昼食、それから七時半までベッドで睡眠(大概試みだけ。一週間のあいだこの眠りのなかで私はモンテネグロ人しか見ませんでしたが、彼らの複雑な服装のあらゆる細目に至るまで、ひどく厭らしい、頭痛を催させるような明瞭さで見たのです)、それから十分間、窓をあけ裸かで体操、それから一時間ひとりで、またはマックスと、あるいは他の友人と散歩、それから家族のなかで夕食(私には三人妹がいます。一人は結婚し、一人は婚約し、未婚の妹は、他の二人も愛してはいますが、私の最もお気に入りです)それから十時半に(しかし十一時半にすらよくなりますが)書くため机につき、そのときの力、欲求、幸運次第で、一時、二時、三時、ときにはまた朝六時まで。それからまた上述のような体操、もちろんごく軽いものですが。体をふき、大概かるく心臓がいたみ、腹の筋肉がぴくぴくしますが、ベッドに入ります。それから眠りこむため、つまり不可能を達成するためのあらゆる試み。というのは眠れないからです(神は夢のない眠りさえ要求します)、そうしながら同時に自分の仕事を考え、その上翌日貴方の手紙がくるかどうか、そしていつくるかという明確に決定し難い問題を、明確に解決しようとします。こうして夜は二つの部分、目覚めた部分と眠りのない部分から成り立っており、それについて私が書こうとし、貴方がおききになりたいとしても、私はけっして書きおえることはないでしょう。もちろん私が朝オフィスで、やっとのこと私の最後の力でもって働きはじめるとしても、特別不思議ではありません。しばらく前、そこを通って私のタイピストたちのところへいく廊下に、書類や印刷物をのせて運ぶ棺台のようなものが置いてありました。そこを通るたびに、とりわけそれが私にふさわしく思われ、私を待っているように見えました。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、55~56; 一九一二年一一月一日)




 いちど覚めたときにちょっと身を起こし、手を伸ばして机上の携帯をみると、六時四〇分だった。さすがにそこでは起きられずにまた寝つき、つぎに意識をとりもどしたのが八時過ぎ。うめき声を意図せずちょっと漏らしながら姿勢を変え、カーテンの端をめくってみると、きょうも空は真っ青である。あおむけにもどって鼻からゆっくり息を吐き、からだを目覚めさせようとしたが、水を飲んでからのほうがいいんじゃないかとおもってからだを起こし、低い態勢で冷蔵庫に手を伸ばしてドアをあけると、右側に入れてあった「いろはす」のペットボトルを取った。これは出勤の日などに出先で飲むように、浄水ポットの水を適宜入れているものだ。それをすこしずつ飲んで腹に入れると、布団のしたにもどってゆっくり呼吸し、酸素をめぐらせるとともに各所を揉むなど。きょうは日曜日なので窓外はしずかで、ひとの気配はあまり生じない。胎児のポーズもやっておいて、九時頃起床した。カーテンをあけるとやはり雲が一滴もみられない濃い色の青空で、九月の末から一〇月にはいるにあたってようやく秋晴れがつづくようになってきた。よい季節だ。けれど、これもそうながくはつづかず、じきにまた風に肌寒さが混じるようになってくるだろう。明確な特徴をもった四季区分のあいだにぽっかりとひらいたポケットゾーンのような、外気と体温が摩擦を生まない、一年のなかで二度しかこない貴重な一時期。寝床からはなれて椅子にすわると水を飲みつつコンピューターを支度。Notionのきょうの分のノートは、きのう日付が変わったあとにもうつくっておいた。水を飲むとトイレに行って用を足し、顔も洗って、出てくるとうがい。そうして臥位にもどっていつもどおり過去の日記の読みかえしをした。2021/10/2, Sat.から。風景描写は以下のもの。まあわるくはない。

(……)ちょっとソファについてぼんやりそとをながめる。南の空はだいたいのところ青とも白ともつかない希薄さに晴れているが、窓ガラスの左上部には灰色雲がほつれながらいくらかひっかかり、右側のもっと低い位置でもそれよりも色濃く青さを溜めたちぎれ雲が二、三浮かんでながれる影となっている。左側の中央付近、東南のほうへとひらいた空の先には青とも白ともつかないおなじ希薄さのなかに紫の気味がわずかばかり看取され、そこからひろがるというよりはしぼんで消えていくような色の気配が、ほとんど感知されないとしてもたしかなグラデーションをつくっていた。

 勤務中のようすもちょっとおもしろい。検閲から解除して載せておく。

きょうも一コマで楽なしごとではある。(……)と(……)のみがあいて。(……)の時間であたらしい女子生徒とその母親が面談にきており、あとで授業中にすこし見学をするのでしゃきっとさせてほしいと担当表に指示があったので、多少ようすをとりつくろうような意識を持たないでもなかったが、(……)などいつも眠気に負けがちでだらーっとしているので無理である。そこまでぴしっとさせようという気持ちもこちらにない。きょうも机にたいしてななめにこしかけて、足をちょっと伸ばしつつ、机上に片肘をつきながら手であたまをささえるような、いかにもだらしないような見た目の姿勢だった。(……)もそうだが、彼らは姿勢からしてまっすぐ椅子にすわらない。(……)なんかは椅子のうえなのに器用に両膝を立てるようなポーズだった。いつもどおり携帯をいじっているのでしまうように、もしくはかくすように言って、じつはきょう、いま面談をしているひとたちが見学に来るんですよと秘密を明かし、だからちょっとちゃんとしてくれと頼むと、悪い印象をあたえないように? とかなんとかいって一時はしたがったものの、あとで親子が来たときにもふつうに携帯を出していじっていて、なかなかチャレンジャーだなとおもった。座席の仕切りで見えない位置であることを察してそうしたのだろうが。ほんとうはこちらの事情など明かさず、理由も告げずに権威的に指示するもしくは命じるのがスタンダードに教師らしいふるまいなのだろうが、そういうやりかたをこちらはできない。今回の件などそこまでするほどのことじゃないとおもってしまうし、じつはこういう事情があるから頼むわ、というかんじで、大人というもののフォーマルさをみずから崩して取引するようなからめ手をとってしまう。まあ今回、そうしても(……)をきちんとさせられなかったわけだが、上述のようにそんなにきびしくやる気など毛頭なかった。それに(……)は、さいきんはなんだかいぜんよりも良い雰囲気になってきているような気がする。

 2014/2/24, Mon.も読んだ。前日の『中国化する日本』をめぐる(……)さんとの対立を反省している。

 (……)それから風呂に入ったが、湯に包まれながら昨日のことを思いかえして、もう少し丁寧な言い方をすればよかったと反省した。Nさんに対してはそうだし、著書についても、文調に対する感情的な反発が先に来ていたことは否めず、少なくとも方法的には肯定的な捉え方もするべきだった。ただそう考えたあとでもあの書きぶりはどうなのかという疑問はやはり残って、何よりも著者が学問を標榜しながら挑発的な書き方をするのにほとんど生理的な嫌悪感とも言えるものを抱いたのだった。ポピュラリティを目指した本とはいえ、やたらと皮肉や煽りを入れたり、ひとつの文献だけをあげて(あるいはときには直接典拠も示さないで)通説だとか常識だとか断言するのが学問なのだろうかという違和感は払拭できなかった。

 また、そのつぎの段落には以下のようなことを書いている。このころはいまとくらべて社交性がぜんぜん低かったし、じぶんがやっていることにたいする理解者もいなかったというか、いたはいたけれど、じぶんがやっているのは世の大勢に受け入れられるようなことではないという認識があっただろうから(それでいて同時に承認欲求もかかえていたのだろうが)、このいとなみがじぶんをどんどん孤独にし、世の一般から乖離させていくのではないかという、そういうつめたい不安めいた予感があったのだろう。いまとなればおおげさなおもいだったというか、他人がこちらのおこないをみとめずに拒絶するかもしれないと言っているけれど、現在のこちらにいわせればそれはむしろじぶんのほうが他人を拒絶しているのであって、要するにこの時期は文学にかぶれているから読み書きいがいの時間は基本無駄だとおもっていただろうし、したがって文学や芸術や学問や読み書きに理解のない他人とつきあいたいともおもっていなかったのではないか。ルサンチマンと入り混じった優越感、もしくは優越感と入り混じったルサンチマンをかるくいだいてそういうにんげんを軽視していたのだとおもう。それこそが愚かさであり、傲慢さである。あいてがじぶんを理解せず、拒絶するのではない。こちらのほうが身のほど知らずにも他者をしたに見て、拒否していたのだ。そんなのはたんなる夜郎自大的な増上慢にすぎず、倫理的な態度ではないし、あえていえば小説なんてものを読み、書きたいと口にするものの態度でもない。

 それとは別に、この先どんどん他人から離れていっていつか一人になるのではないかという予感にとらわれて薄ら寒い思いをした。これから出会う人間のなかに、どのような書き方であっても、わずかであっても日記に書かれたくないと思う人はいるだろうし、こちらが日記を書いていることを知らない今の知り合いのなかにもそのたぐいの人がいるかもしれない、彼らが仮に日記の存在を知って自分のことは書かないでほしいと言ったときに、じゃあいいや、と躊躇なく関係を絶ってしまいそうな予感があって、少なくとも確実にそれ以前より疎遠にはなるはずで、結局それは他人を書くための材料としてしか見ていないということではないのか、と考えた。他人のことは書きづらい。このくらいは書いてもいいだろうと思ったことでも当人にとっては触れられたくないことであるかもしれない。そのあたりを考えるのも面倒だ。だから自分一人で完結することだったり、風景だったり、こちらとは何のかかわりもない通りすがりの匿名的な人間のことを書くほうが気が楽だし、そういう思考が意識的なり無意識になりあって少し前からは他人のことはあまり詳しく書かないようになったはずだった。

 一〇時過ぎに再度床をはなれて、ちょっと屈伸したり背伸びしたりしてから椅子のうえで瞑想。二五分ほど。深呼吸しておいたのでわりとよいはよい。ただすわってじっとしていると、ふくらんでいた胸郭が閉じていくような感じがないでもなく、鎖骨のしたあたりになんというか、ひっかかりとはちょっとちがうのだが、まあ感触が生まれるのだけれど、時間が経つにつれてそれがじわじわとほぐれていくのも感じられる。しかし鎖骨あたりから首すじにかけて、胸鎖乳突筋だとおもうけれど、あれの抵抗はなかなかつよい。終えるとまたちょっと体操的にうごき、それからきのうの鍋を冷蔵庫から取り出して、コンロに乗せて火にかけるとうどんを投入。煮込みのばあいはそのまま入れていいとパッケージには書いてあるし、茹でるまえに水洗いすると麺がちぎれるのでおやめくださいともあるのだけれど、やはりちょっと洗ってほぐしたい気はするので、ザルに出して水道から流水を落とし、右手でちょっとつかみあげてほぐす。それから鍋へ。最弱の火にしてじっくりやっているあいだ、水を飲んだり、きのう読んだ山本貴光吉川浩満「人生がときめく知の技法 賢人エピクテトスに学ぶ人生哲学」(https://www.webchikuma.jp/category/chinogihou(https://www.webchikuma.jp/category/chinogihou))のつづきを読んでいた。食後にさいごまで読み終えたが、まあ引いておくほどのことはない。味噌味の煮込みうどんを椀によそってからも、湯気を豊富に立てており熱すぎるそれをすぐに腹に入れると胃にわるいだろうとおもったので、連載を読みつつちょっと冷めるのを待ち、食べはじめるとやはりきのう見た金井美恵子中原昌也磯崎憲一郎の動画を視聴した。うどん、クソうまい。腹もだいじょうぶそうだったので、量をすこしおさえながらも二杯食った。クソうまいといわざるをえない。食ったあとに喉が詰まるということもほぼない。動画はさいごの一〇分くらいをのこすところまでみたが、おもしろかったのは、他人の小説を読んでいて、これじぶんが書いたんじゃないか? とおもう瞬間があるというはなしをしているときの一幕で、それはまずいちばんさいしょのほうで、講談社文芸文庫から出た金井美恵子自選短篇集の解説を書いたという磯崎憲一郎が(中原昌也も書いており、このイベントはそれを期して開催されたものだったようだ)、金井さんの小説を読んでいてそういう瞬間があったということを、そんなことをいうのも失礼なことなんですけど、まあ解説にそういうことを書かせていただきまして、と述べたところからはじまっており、その後あいまをはさみながらなんどか回帰してきた話題なのだけれど、金井美恵子もそういうことは小説家ならだれでもあるとおもうと言いつつ、そういう感覚を起こしやすい作家というのもあって、カフカなんかけっこうそうだとおもう、と言っていた。そういえばそれに関連して金井美恵子カフカだと『アメリカ』がいちばん好きだと言って、中原昌也もおおいに同意し、ストローブ=ユイレの映画も最高だと言い、金井も、中原さんなんかいかにも好きそうな作品ですよねと受けるのだが、そこを見て『アメリカ』がすごく読みたくなってしまい、いったん動画を止めて、たしか持ってきたんじゃないか? と机の左手、収納スペースしたにある、実家からもってきた本を紙袋に入れたまま大量に置いてあるばしょにしゃがみながらはいり、だいたい本のならびでこの塔は実家の部屋のあそこから取ってきたもんだなというのがわかるので、『アメリカ』ならこのへんにあるんじゃないかというあたりを探ったが見つからず、たぶん持ってきていないのだとおもう(その過程で出会ったホメロスの『オデュッセイア』(岩波文庫)は、そのうち読もうとおもって出しておいたが)。実家の自室で文庫本の『アメリカ』があるのは、錆びた銀色ラックの最下段のいちばんひだりの塔のしたのほうだったとおもうのだけれど、たしかに最下段のいちばんひだり、プラトンとかもいろいろはいっているところはまだ置いたままだったような気がする。こんど実家に行ったときに持ってこよう。それではなしをもどすと、うえの文脈で磯崎憲一郎が、さいきん大学の授業なんかでも、はんぶん本気で言っちゃってるんですけど、小説っていうのは作者が書くものじゃなくて、小説じしんが小説を書くものなんだから、書き上げちゃった瞬間に、じぶんからすごく遠いところに行っちゃう感じがするんですよね、書いているあいだ、それは読んでいるあいだでもおなじですけど、そのあいだの小説と、書き上げちゃったあとの小説とではぜんぜんちがう、とこれはおなじみの保坂和志言説だが、そういうはなしをしているときに中原昌也が、ぼく、校閲でじぶんの書いた文章がどんどん他人のものになってくのが好きなんですよ、というのがおもしろく、笑った。ゲラを確認するのがめんどうくさいので、たいして見もせずに、あーオーケーオーケー、まる、と了解してしまうのだという。それでどんどん直されて、ぜんぜんちがう文になっちゃうんですけど、それが好きで、というと金井が、深沢七郎もじぶんのゲラをみるのがいやで、編集者にまかせていたとかいうはなしだと紹介していた。あと印象にのこっているのは、このイベントは「文庫本を読む楽しみ」みたいなタイトルだから、三人のおすすめの文庫本をちょっと紹介したりもしていたのだけれど(磯崎憲一郎はとうぜん、岩波文庫ムージル『三人の女・黒つぐみ』を発見したらかならず買うことにしているというはなしをするわけである)、金井美恵子がいちばんに挙げたというのが岩波文庫フレデリック・マリアット『ピーター・シムプル』という作品で、まったく聞いたことがないやつなのだけれど、Wikipediaによると作者は元英国海軍軍艦長らしく、一八三三年の発表で、「ナポレオン戦争に従軍した著者の実体験をもとに主人公であるシムプル士官候補生の成長をユーモアも交えて描いている。実体験に基づく迫真の描写との賛辞もあり海洋冒険小説の古典とされている」とのこと。一八三三年だから古い小説だし、岩波文庫の初版も一九四二年だったところ、六〇年経て二〇〇一年に第二刷が出ているとかで、これは岩波の編集者がえらいですよね、と金井は褒めていた。小説としては断然おもしろいと。ヴァージニア・ウルフが評価したとかいうはなしがあるらしく、あいまいな情報だが、金井がそれを知ったのは児童文学方面の事典を見ていたときにそういうことが書かれてあったのだといい、マリアットというひとは児童文学のほうでたしょう知られたものらしい。ウルフが評価したといわれれば気になるが、金井の評によれば、『ピーター・シムプル』にくらべたらスティーブンソンの『宝島』なんていうのは、オーソン・ウェルズなんかも好きで映画にしているけれど、やっぱり「低俗」な作品ですね、ということだった。とつぜん出てくるつよいことばでのけなしには笑う。それでいえば講談社文芸文庫の装丁についても(中原昌也いうところの「千代紙みたいな」)、このイベントのすこしあとに出る予定だという『目白雑録』の最新刊でも、この装丁が「きちがいじみてる」ということや、横尾忠則による磯崎憲一郎の本(『往古来今』だろう)の装丁にくらべて文芸文庫の文字のつかいかたが「いかに不愉快か」ということを書いているらしかった。
 食後は箸と椀をさっと洗ってかたづけ、きのうスーパーで買ったヨーグルトもひとつ食べると、エピクテトスの連載を読み、それからさっそくきょうの日記にかかろうとしたところが、やはりからだがなんとなく落ち着かないので、ここを書いているいまも胃がたしょう反応しているような気がするのでやはり文を書くことが心身に負担なのかもしれないが、いったん音楽でも聞きながらじっとしてからだをしずめるかとおもった。Chromebookを持ってきて、碧海祐人『逃避行の窓』をまた聞いた。きょうはさいしょからさいごまで。七曲で二三分だからけっこうみじかい。だいたい書くことはもう尽きたのだけれど、きもちのよい音楽でくりかえし聞ける。これはあいまいな印象だが、『夜光雲』にくらべるとギターがより活躍しているというか、活躍といっても派手なことをやっているわけではなく、ただ要所要所でオブリガート的なフレーズを左右に入れており、それが効いている気がした。あと、#5の”Comedy??”だったか、#6の”Atyanta”だったかわすれたが、ゆるくシャッフルがかったビートなのにドラムのシンバルだけがほぼジャストで打たれている、というつくりになっていて(スネアなどはシャッフルに合わせている)、全篇そうではなくてシンバルもシャッフルに寄っている箇所もあったとおもうのだけれど、これはおもしろかった。最終 #7 “秋霖”はまばゆいような感じの、透明感にあふれ満ちたひかりが空間にながれひろがっているような、どことなくファンタジックな雰囲気も感じないでもない(つまり、美麗なCGで描かれたファンタジー世界をおもわせるような)楽曲だが、これのC部には二箇所だけほんのすこしJ-POP感をおぼえる瞬間がある。ひとつは一周目、なんかたぶんⅢ7みたいなドミナントコードをつかっているところと、もうひとつは一連のさいごにあたる、「いいんだ」の部分で、ここのメロディは四度(「いいん」)→三度(「だ」)の半音下降になっており、コードがsus4なのかはわからないがこの半音下降の感覚はなじみぶかい(J-POPだけではなくて、ポップスでひろくやられるが)。ところで歌詞を想定されたことばとしてただしく聞き取るのはやはりむずかしくて、たとえばこの曲の冒頭は、検索してみると「拝啓 初涼に声が響く折/透明白藍の雲に車窓は過ぎる」なのだけれど、「しょりょう」というのはわかっても所領? とかおもっていたし、「はくらん」も、(つぎに雲が来るし)白乱か? 乱れた雲ってことか? とかおもっていたのだ。このあたりのそんなに日常つかわれない漢語のむずかしさというのは、『夜光雲』を聞いたときにメロディとの結合という点で感想を記したが、この語だというのを音だけで特定するむずかしさはあるにしても、『逃避行の窓』では、くりかえしになるがメロディのつくりかたが全体に伸び伸びとしているので、漢語がその凝縮的なかたちと意味から音に伸ばされて、中和されているという印象をもつ。
 アルバムが終わったあとも自動再生を待ってじっとしていると、ながれだしたのが、あれ、これなんだったかなというやつで、見てみればcero『POLY LIFE MULTI SOUL』の七曲目、”Buzzle Bee Ride”だった。ついに自動再生でceroが来てしまったか。まあそりゃ来るよねという音楽性だが。ただ、この七曲目のはじまりのあたりは、あれこんな感じだったかな? とおもったし、間奏なんかでもドラムこんなことやってたっけ? とか、キーボードの音こんなにぶわぶわしてたっけ? という感じで、まえに聞いていたときと違うように響いたのだけれど、このアルバムはバージョン違いとかあるのだったか? Amazon Musicにうつしだされているジャケットは黄色いやつで、こちらがCDで買ったのは水色のケースだったとおもうので、たしかにバージョンは違うのだろうが、水色のほうはたしかぜんぶインストにしたやつがもう一枚はいっているだけではなかったか。たんじゅんに、実家ではイヤフォンでながすかスピーカーからながすかであまりじっくり聞いてなどいなかったし、たぶんそのためだろう。それでこの曲も聞いたのだけれど、ceroのこのアルバムってやっぱりちょっとすごいというか、日本のメジャーどころ(ceroがどれくらいメジャーなのかわからないし、もしかしたらメジャーどころではないのかもしれないが)でこういうことをやっているひとたちって、ほかにいないのでは? という気がするし(ぜんぜん知らんからふつうにいるのかもしれないが)、この音を聞いたときに、このひとたちのルーツはなんなんだろう? というのがいまいちわからない。このアルバムがどういう素材(や影響)からできたのか、どういうところからできてきたのかというのがわからず、音としてはもうわりと、海外の最前線の現代ジャズの連中のなかで歌ものやるようなやつらがやってそうな音だよね、という印象で、それでメジャーに通用するポップスになっているのだからすごい。まずふつう、七拍子でやろうとしない。とっつきやすさとアプローチ性でいったら『Obscure Ride』のほうがはるかにうえだとおもうけれど、『POLY LIFE MULTI SOUL』ができちゃったのはすごい気がして、これいこうceroがどうなっていていまどんな感じなのかまったく知らないのであれなのだけれど、これをつくったバンドがつぎにどういう音楽をつくるのかというのが非常に楽しみな音だとおもうし、これを受けたつぎの世代がいったいどういうポップスをつくるのかという、そういうことをもおもわせる音ではないかとおもう。せっかくなので、好きな最終、#12 “POLY LIFE MULTI SOUL”も聞いた。冒頭のドラムがたいへんにきもちよい。やや奥にとおくありながら残響を浮遊させるシンバルと、ひっかけるようなタイミングのキックと、裏拍にはいってくるハイハットと、適宜散らされるスネアほか。このアルバムは全体にかなり手の込んだつくりになっており、ととのっているのだけれど、同時にこういうドラムを耳にすると、ライブでやるのをその場で聞いたら最高だろうと。
 ”POLY LIFE MULTI SOUL”の歌詞の一部にround midnightと出てくるので、そこから連想し、Miles Davisの’Round Midnightもめちゃくちゃひさしぶりに聞きたくなったので、Amazon Musicを検索したがぱっと出てこないのは、あのアルバムのタイトルは'Round Midnightではなくて『'Round About Midnight』だからだ。そのことをおもいだして検索しなおし、"'Round Midnight"を聞いた。これは五四年だったか五六年だったかという記憶があいまいで、サックスはColtraneだったはずだけれど、ほかはもうGarlandとChambersとPhilly Joeだったんだっけか、Kenny Clarkeとかじゃないんだっけかとそのへんもあいまいだったのだが、聞き終えたあとにWikipediaをみるともうその五人になっている。あらためて聞いてみるに、まあしょうじきそんなにめちゃくちゃすごいという演奏ではないよね、と。Miles Davisのトランペットの音とれいのしずかでつめたい吹き方が曲調と、タイトルから連想される深夜の表象にこのうえなくマッチしてはいるから、その雰囲気というのは稀有なもので、そこで売れるだろうという感じではあるし、そこを味わうトラックだともおもうが、とちゅうでサックスソロにうつるまえにはいるれいの、これもひとによって好き嫌いあるとおもうあのパッ、パッ、パーッ・パッ、という演出も、むかしはかっこういいとおもったけれど、いまきいてみるといかにもだよなあという感を受ける。Coltraneはこの時期はまだまだひよっこだから、けっこうあぶなげなく歌ってはいるものの、どうしても煮え切らないようなソロに終わってしまい、間延びの感もなくはなく、いまいちピリッとしきらない。リズム隊の一体感や、Paul Chambersが二拍三連とかをやるときの強靭さはさすがだが。
 それで音楽を聞き終えると二時。椅子を立ち、屈伸とかちょっとして、トイレにはいってクソを垂れるときょうのことを書きだして、ここまでで一五時五一分。二時間もかけるつもりはなかったのだが。からだの感じはわるくない。腹も痛くないし、喉の詰まり感もない。養生法としてはとりあえず、やはり覚醒時に深呼吸をして血と酸素をめぐらせるようにするのがよさそうだ。ただ、そうするとからだは活発になるのだけれど、こちらのばあいそれでかえってそわそわするというか、ちょっと緊張につながるようなところがあるので、血液循環性を高めつつも瞑想したりじっと停まりながら音楽聞いたりして、心身をしずめたほうがよさそうだ。


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 したは夕食時に読んだ(……)さんのブログより。

(…)カントの悪は、二つの点においてキリスト教、すなわち聖書における悪と対立する。まずカントが抵抗するのは、キリスト教教義における「論理の歴史化」——聖書において、論理的に最初に来るべきものが時間的に最初のものとして提示されていること——である。聖書は、人類における悪の起源を歴史の起源に位置づける。その結果、悪は、「先祖からの遺産として代々受け継がれてきた」ものとなる。(悪への)〈堕落〉それ自体は、人類の歴史の一ページ、遠い過去の一ページ、というわけである。しかしカントに言わせれば、人間に悪が「内在」するのは、論理的な意味においてのみ、つまり経験におけるあらゆる自由の行使に先立ち、それを可能にする土壌としてのみである。この意味で、悪は人類の誕生期からそこにあったと言えるのだが、だからと言ってその大昔の一事件が原因となって悪が現れたわけではない。確認しておこう。悪に向かう傾向は、ただすべての非合法的な行動の形式的基盤であるのみならず、それ自体(自由な)行為である。
 聖書における第二の問題は、次の点にある。そこでは、無垢な状態から(原罪を経て)悪へ、という人間の移行が、〈法〉、神の掟からの逸脱として描かれている。つまり悪は、無垢なるものが禁じられた領域に足を踏み入れた時に生まれたものとされている。当然、疑問が湧き上がる——どうしたら無垢であるはずの者に、このような悪への一歩が踏み出せるのか? 聖書が用意する答えはこれである——誘惑されたのだ、そうするように煽られたのだ。
 カント曰く、悪の問題に対するこのような答えは、自由に、つまり倫理に矛盾する。悪は人間の外部にあると考えるなら、そしてこの両者を関係づけるものは抵抗することのできない誘惑であると考えるなら、我々は古典的な決定論の難問に突きあたるのみである——避けることのできなかった悪のために我々を罰する神は、何という二枚舌をもっているのか? 逆に、もし我々が、誘惑に耐える能力をもちつつも悪事を行うのであれば、いったい悪はどこから来ると考えればよいのか? カントは、全く別のレベルで悪の問題を考える——人間の性質は善でも悪でもなく無色であり、誘惑もけっして抵抗できないものではないのだが、それでもなお悪はなされる、というように。つまり、悪の問題に関するカントの回答は、「我々は、悪に向かう人間の傾向を、自由というまさに主体的行動の基盤の内に認めなければならない」ということである。我々は、我々の行動基盤の選択それ自体が自由になされる行為だと考えねばならない。他の行為に先立つこの行為において、我々は悪であることを選択することができるのである。
(『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳 p.26)


 四時のあとはまたたしょう体操したりストレッチしたり。胃液なのかなんなのかわからないが、喉にうっすらと液体がのぼってくるのを感じないでもない。酸味はないのだが。胃の痛みや詰まり感がほぼなくなったとおもえば、こんどはそちらが気になるわけで、あちらが立ってもこちらが立たず、神経症者の本領発揮である。たぶん基本的にじぶんは胃が弱いのと、あと胃と食道のあいだの噴門もゆるくなっていて逆流気味なのではないかとおもうのだけれど、ものを食べてまもないあいだは(きょうは深呼吸して横隔膜をはたらかせたこともあるし)いちおう括約筋がはたらいてそれが比較的締まるものの、消化がすすんで胃のなかが軽くなってくるとまたゆるんで、それで胃液未満の液体がじつは常時喉へとあがっているのではないか。ここ数日で空腹時のほうがかえって詰まり感があったというのはそういうことなのでは。まったくの推測でしかないが、そうだとしたら食道内も全般的にけっこう傷んでいるのかもしれない。いずれにしても胃が痛かったり喉が詰まったりするよりは楽だからよい。からだをうごかしたあとはちょっと音読したのだけれど、ねむくなったので、布団に避難。てきとうにウェブを見る。一五日の会合で鈴木大拙の『禅』を読んでくるはなしになっているが、まだ入手できていない。それできのうユーディット・シャランスキーを読み終わったけれど、タイミングが微妙なのでつぎの本に手が向かない。あした『禅』を買ってこようとおもっているのだが。それとはべつで、(……)くんらとやっているオンラインの会はあしたからジョイスのUlyssesを読みはじめるらしいので、もらったPDFファイル(Project Gutenbergにあったやつのよう)をひらいてちょっと読んだ。冒頭からわからん単語もおおいし、どこにいてどういう状況なのかいまいちつかみきれない。なんかボートだかに乗っているようなようすなのだが。Stephan Dedalusはさっそく出てきている。Buck Mulliganというのがそれよりもさきに、いちばんさいしょから出てきていて、このひとがなんかラテン語をおごそかに喋っていたり、blessed gravely thrice the tower, the surrounding land and the awaking mountainsしていたり、肉とたましいと血と……みなさん、目を閉じて。沈黙しましょう、とかいっているから、教会なのか? 司祭なのか? 司祭が船上で儀礼をやっているのか? とかおもったのだけれど、いっぽうでかれがもっているのは石鹸とカミソリがはいったボウルだし、gunrestに乗ったりしているし、その後よくわからんことをStephenとはなしながら髭を剃りだしているから、祈祷は真似事みたいなものなのだろうと。ただ場所の空間性はよくわからん。Buck Mullianはさいしょstairheadからあらわれて、階下に、”Come up, Kinch! Come up, you fearful jesuit!”と呼びかけたあと、船べりに乗ってblessする。それからStephen Dedalusがあらわれて、leaned his arms on the top of the staircaseといっている。この時点で、Kinchってだれやねん、とおもっていたのだけれど、2ページ目まで読んだ感じでは、たぶんMulliganがDedalusにつけたあだ名なのではないか。my name for you is the best: Kinch, the knife-blade.といっているので。だからさいしょの呼びかけは階下にいたDedalusにたいするものだったのではと。それで船のうえらしき場所で似非祈祷みたいなことをやったあと、口笛を吹いて、すると、Two strong shrill whistles answered through the calm.と来る。で、そのあと、―Thanks, old chap, he cried briskly. That will do nicely. Switch off the current, will you?と言っているので、これはなんかtowerにいるやつ(Haines?)に合図して、水路のとちゅうの橋を操作してもらったみたいなことなのかな? とおもったのだけれど、よくわからない。Mulliganはその後、went over to the parapetするのだけれど、parapetというのは調べてみると、城の胸壁か、橋の欄干のことだ。たぶんここでは欄干のことだとおもうが、位置関係どうなってんのかがよくわからん。Dedalusはそばでgunrestに座りながらやりとりしているわけだし。また、Mulliganは、アテネ行くっきゃないっしょ、と言って、おばさんが二〇quid出してくれたらおまえも来る? と聞いたあと、Will he come? The jejune jesuit!とさらにつけくわえているのだけれど、このheがだれなのかはわからず、文脈上、目のまえのDedalusをheと呼びなおしたようにもおもえる。jesuitということばはさきほど、Come up, Kinch!の呼びかけのところで出てきているから、このKinchがDedalusのことを指しているならそういうことになるだろう。ということはこのheは、たしか国王とかがじぶんのことをわざわざ三人称で言う用法があったとおもうけれど、それと似たかんじで、わざと敬語的におおげさに言ってふざけているのかなともおもったのだけれどよくわからず、ことほどさようにいろいろよくわからない。もっと読みすすめてみるか、邦訳を入手しないとなかなかむずかしいだろう。
 読んでいるうちに陽が落ちて部屋が暗くなった。起き上がってあかりをつけ、腹がおどろくくらい減っていたので飯を食うことに。煮込みうどんにくわえてサラダも食べることにして、冷蔵庫に入れておいた鍋を出して弱火にかけるとともに、キャベツを切り、サニーレタスをちぎり、トマトをスライスして外縁にならべ、キュウリを輪切りにしてぜんたいに散らした。和風しょうゆドレッシングをかけてハムを二枚乗せる。金井美恵子らの鼎談動画を見つつそれを食ってから椀にうどんをよそって食べた。うまいが、空腹がきわまっていたためだろう、けっこう胃に重くかんじられて、鍋にのこった少量をぜんぶ食べてしまおうとおもって椀に追加したが、膨満感がややあったので、無理せずこれはラップをかけて冷蔵庫に入れておいた。ヤクを飲み、大根おろしもちょっとすりおろして、垂らしたドレッシングとともに胃に入れる。そうすると皿を洗っているうちにたしょうかるくなってきた。


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 どこかのタイミングで、後藤繁雄「Re-think 現代写真論――「来るべき写真」への旅: 第01回 これは「写真」なの?」(2018/2/23)(https://www.webchikuma.jp/articles/-/1230(https://www.webchikuma.jp/articles/-/1230))を読んだ。写真という分野もいままでほぼまったく触れてきたことがないし、おもしろそうだ。何か月かまえに渋谷だったかでやっていたソール・ライターの展示とか、ちょっと行ってみたかったのだが。このひとの評価では、「スーザン・ソンタグが書いた写真エッセイ『写真論』は、今でも写真と真実と倫理について教えてくれているし、ロラン・バルトの『明るい部屋』はフォトイメージについての、ラカン精神分析学的な背景からした「強度」についての重要な知見は与えてくれたが、もはやすぐに使える地図やガイドではないことを、みんなは口には出さないが気がついてしまっている」「ヴァルター・ベンヤミンの『写真小史』やジョン・バージャーの写真についての文書を僕はとても愛している。読んでもらいたいが、読んだからといって、すぐに旅に役立つわけではない。ハードカバーの「写真論」を、身銭を切って読む人は、少数派になっている。予想以上に急速に、そんな事態にシフトしているのだ」とのこと。『明るい部屋』は読んだし、ベンヤミンの『写真小史』もたしかちくま学芸文庫ベンヤミン・コレクションの一巻だかにはいっていて読んだような気がするが、ぜんぜんおぼえていない。また読みかえしたいな。ジョン・バージャーは写真についての文書は持っていないが、なんか一冊文庫本を持っていたはず。ジョン・バージャーというひとも、界隈ではかなり重要人物としてあつかわれている印象で、そんなになまえはあがらないけれどあげているひとはみんなすばらしいと褒めているみたいな印象で、たしか著作の翻訳もまだまだ不完全だったのではなかったか? ソンタグの『写真論』は読んだことがないどころか知らなかったので読んでみたい。
 

 しかし、最初にはっきりしておきたいのだが、この『re-thinking 現代写真論』は、この現代写真の「分裂生成」を、クリエイティブなカオス、ラディカルな事態と捉えて、旅を始めようとしている、ということだ。事態の良し悪しではなく、新しい現実として積極的に受け入れること。
 [ シャーロット・] コットンの『写真は魔術』 [(二〇一五年)] への人々のコントラヴァーシャルな反応は、逆に、現代写真がいかにホットな状況にあるかも物語っているだろう。
 写真批評自体や、アートのコンテクストが問い返されるような、新しい事態や作品が次々に現れるだろう。写真の分野における拡張や変成は、まだまだコンテンポラリーアートの分野においても過小評価されているように見える。しかし、それも短時間のうちに変化していくだろう。
 当然ながらネガティブな反動も起きる。写真は写真に帰るべきだ、「写真=真実」にリターンすべきだ、という保守的な力も働くだろう。
 しかし、2000年にヴォルフガング・ティルマンスターナー賞を受賞して以降、写真がコンテンポラリーアートへと不可逆的に舵を切ったように、誰もこの流れを止めることはできない。

 ここのさいごでなまえが出てきているヴォルフガング・ティルマンスというひとは、兄がまねいてくれて家族でモスクワに滞在したとき(一九年だっけか? それか二〇年か?)、なんとかいう美術館のルイ・ヴィトン現代美術コレクションみたいなところで作品をみて、とうぜん事前情報がなにもないしはじめて知るなまえだったのだけれど、たしかみたなかでいちばん良い印象をもったのではなかったか。たしか暗い赤っぽいような色調の画面に、どす黒くたまった血のかたまりか血管みたいな線条がちょっとあって、みたいな作品だった気がする。さあここで過去の日記を検索してみよう。Notionよりもブログのほうが検索には簡便だ。Tillmansで検索すれば一発で出てきた。二〇一九年八月一〇日土曜日のことである。みてみればこのころはそうか、一九年だから、まだ人名を(……)で検閲しておらず、T子さんとか書いている。これらもさっさと検閲しなければならないのだが、一四年から一日で一日ずつさかのぼっているとちゅうなので、たんじゅんにかんがえて検閲できるのは五年いじょう経ったあとだ。Wolfgang Tillmansの該当箇所を美術館にはいるまえの時点からながなが引いておく。

 それで大通りに出てタクシーを呼んだ。プーシキン美術館に行くことになったのだった。この時乗ったタクシーの運転手からは洗っていない靴下のような臭いが漂っていた。音楽に関しては特に印象に残っていない。しばらく走ってプーシキン美術館ギャラリーの前に着いた。プーシキン美術館は巨大な本館もあるのだが、別館であるギャラリーは一九世紀から二〇世紀の欧米美術を所蔵しているということで、こちらはそちらに興味があったのだった。ただ、この日この期間はルイ・ヴィトン財団が集めたコレクションを展示する特別展が催されていて、所蔵品を展示する常設展のようなものがあるのかどうかわからなかった。結果から言うとそれはなくて、特別展の現代美術の作家たちの作品が三階分集められているだけで、規模もそれほど大きくはなかった。所蔵品にはピカソだとかマティスだとかセザンヌだとかがあるという話だったので、それが見られなかったのは残念である。
 ギャラリーの前には長大な列が作られていたので、その後ろに四人で並んだ。入口の前には警備員の老人がいて、頃合いを見て何人かずつなかに誘導しているのだった。それほど大きくはない建物だったので、そのように間を開けないと観客で室内がいっぱいになってしまうのだろう。警備員の老人は煙草を吸いながら、道案内などもこなしていた。それでしばらく並んで待ち――そのあいだは例によってこちらは手帳にメモを取っていた――遂に入館した。劇場と同じくここにもゲートが設けられていて、バッグの口をひらいて警備員に渡し、チェックしてもらったり、ポケットのなかの荷物も出して台にに置いたりしなければならないのだった。こちらは荷物はほとんど持っておらず、手ぶらで、手帳とパスポートをポケットに入れているくらいだった。そのうち手帳を警備員に差し出して示すと、Telephone、と言われたので、Telephone? と聞き返し、No、と答えて通過した。それからチケットを購入したのち、母親がトイレに行ってくると言うので三人は通路の途中で待機した。母親が戻ってくるまでには結構な時間が掛かった。おそらくトイレが混んでいたのだろう。そのあいだこちらは通路を行き交う異国人たちを眺めていたが、美術館という場所柄か、結構美男美女が多いような印象だった。
 そうして展示室の方へと進んでいく。展示室に入る前、階段の下のスペースには、ジャコメッティの「背の高い女」と、イヴ・何とかいう人の抽象画が展示されていたのだが、そこのスペースに入る前にも確かチケットを職員に渡し、機械に読み込んでもらって通る必要があったと思う。そこからさらに展示室に行くには階段の入口に立っている職員にチケットをもぎってもらわなければならなかった。時刻は六時だった。自分のペースで自由に見て回りたかったので、待ち合わせ場所と時間を決めて、分かれて回ろうと提案した。それで、チケットをもぎってくれた職員がいるあたりの階段の途中に、七時に集まるということになった。そうして家族と別れ、こちらはさっさと展示室に入って目ぼしい作品をチェックしていった。
 展示品はすべて現代美術で、近代と称される時代の作品は一つもなかったと思う。並んでいたのは、ジャコメッティゲルハルト・リヒタージャン=ミシェル・バスキアアンディ・ウォーホル、マーク・ブラッドフォード、ウォルフガング・ティルマンズ、クリスチャン・ボルタンスキーなどの作品である。
 一階の最初にあったジャコメッティの作品が展示されている室のなかでは、中央に飾られていた目玉らしい作よりも、壁際にガラスケースに入れられて置かれていた"Tête sur tige"という作の方が印象深かった。頭、と言うか生首が上向きに棒に刺されているもので、水面で餌を求める魚のように口をひらいている。顔の妙な細さが魚の印象を強めるのだが、それは断末魔の表情を記録したデスマスクのようでもあり、苦悶の色合いが強かった。
 次の室はゲルハルト・リヒターの作品が壁に大きく掛けられていた。絵画は三つあったのだが、そのなかでは"Gudrun"という作品が一番こちらには気に入られた。ごちゃごちゃと何層にも様々な色が重ねられているのだが、その一番表面では赤い絵の具がモザイク状に、あるいは鱗のような質感で散乱していて、その色とざらざらとした広がり方が苛烈な印象を与えるのだった。「烈」という字の相応しい作品である。キャンバスの左方、端には色の氾濫の向こうに澄み渡った水色も微かに垣間見えて、青空が底に敷かれているような想像もなされる。上端では暗雲めいた、墨のような黒さが湧いていて、右上の端から左方に向けて垂れ下がっているのだった。
 一階にはほか、ウォーホルの自画像がいくつも並べられていたり、クリスチャン・ボルタンスキーの映像作品が展示されていたりした。ボルタンスキーの映像は、暗い室のなかで流されていたが、どこか荒野のような場所に鈴をつけた棒が大量に立ち並んでおり、風を受けて鳴らされるその鈴のきらきらとした音色がひたすらに響き続けているという趣向のもので、これはNさんYさんと先日国立新美術館に行った際に見た、「アニミタス(白)」の違うバージョンである。しかしこちらとしては、「アニミタス(白)」の方が、どこまでも続く真っ白な雪原空間に神秘的で清冽な鈴の音が似つかわしく思われ、そちらの方が美しかったなと想起された。
 次に二階。入って最初の部屋には、初めて知る名前だったがマーク・ブラッドフォードという人の絵画が飾られていた。"OK, now we're cooking with gas"と、"Reports of the Rain"という作品である。ほかにももう一品か二品くらいあったかもしれないが、そちらについては印象が残っていない。前者、後者ともになかなか良い感触を得た。前者はチラシ広告のようなイラストあるいは漫画が下敷きとなっていて、それが濡れた新聞のような灰色に染まり、どのような手法で実現したものなのか、表面が損なわれたような質感になっていた。その上からさらに、ナイフで絵画表面を切り裂いたような傷が縦横斜めに無数に走り、葉脈の迷宮図を思わせる。その傷によって生まれた溝のなかにも、蛍光的・化学的な青の色が差し込まれていた。"Reports of the Rain"も同種の作品だが、これは白が地となっており、その上に縦横に青い筋が描かれて、横はともかく縦の線は確かに雨の軌跡を思わせるようでもある。前者の作品に比べると比較的整然としているが、しかし同時に荒々しくもあって、無数に引かれた縦横の筋は檻の柱のようでもあった。
 次の室にはWolfgang Tillmansという作家の写真が集められていた。この作家も初めて聞く名前だった。スニーカーを拡大して映したものや、人の足を大きく映したものなどがあったのだが、そのなかに"Einzelgänger"という、全面真っ赤な写真の作品があって、これがこの日見た作品のなかでこちらとしては一番良かった。全面を満たしている真っ赤な色は少々暗く、血液を思わせるような色合いで、そのなかにインクが水に混ざって流れているような黒い影が、もうほとんど枯れかけた植物の細い茎のように、あるいは菌糸の集合のように生えている。この偏差のない一様な暗赤色はどうも液体のような質感を持っていて、その点も血液を思わせ、血管のなかを拡大接写して見せているような印象を得る。さらにはそのなかに流れている黒い影も毛細血管を想起させるかのように張り巡らされていて、血管のなかを覗き込んだらさらにまた無数の枝分かれした血管に出会ったというような趣だった。

 あと現在注目されているというアーティストたちのなまえをメモしておく。かんぜんなる門外漢だから、ひとりも聞いたことがない。

 『写真は魔術』については、のちの章で、じっくりと検討するが、このカオスの中にセレクトされた、フォトアーティストたちは、この本が出た以降、堰を切ったように批評やマーケットで注目を集めるようになっていることも書き加えておきたい。
 ワリード・ベシュティやエラッド・ラスリー、タイヨ&ニコ、ジェイソン・エヴァンスたちはすでに評価が先行していたが、さらにルーカス・ブラロック、ジョン・ラフマン、ステファン・ブルガー、ジェシカ・イートン、サラ・ヴァンダービーク、ダニエル・ゴードン、ケイト・ステイシュー、ハンナ・ウィンタッカー、サラ・シャイナー、オーエン・キッド、エイリーン・クィンラン、レイチェル・デ・ヨーデ、アンネ・デ・フリース、小山泰介やネルホル、赤石隆明らも、とりわけ注目されている。

 この日はあと、夜歩きに出た。時刻は八時一五分くらいだったはず。病院なんかのほうはきのう行ったばかりで記憶が混ざってしまうから、たまにはべつの方向、隣の(……)駅に行ってみるかとおもい、出るまえにGoogleMapで道をしらべてみると、家を出て東にちょっとむかい、(……)の角で南に折れればあとは道沿いにひたすら南下するだけでかんたんだった。書店がいちおう九時までやっているはずだから行こうかなともおもっていたのだけれど、時間も遅くなってしまったし、あまりひとなかに出るようなこころもちでもなかったので、この日はただあるくだけとすることに。それで肌着のうえにジャージを羽織り、したはなけなしの美意識で青灰色のズボンを履いて、アパートを出た。右折。もういちど右折して東に向かっていると、歩道と車道の区別もないがわりと幅のひろい通りのむかいに進行中の建設現場があり、三階建てらしいおおきな木組みが夜空のもとに立ち上がっていたが、個人宅にしては横幅がおおきすぎるからなにかの施設ができるのだろうか。夜気は涼しい。まっすぐ進み、(……)の脇の歩道を行く。この歩道はせまく、対向者が来てもすれちがいづらいので、まえからひとが来るのをみたこちらはちょうど車のとぎれている車道の端からすすんで柵のすきまからはいったりしたし、うしろから来た犬連れの婦人も、かろやかに駆ける子犬に引かれるようにして車道のほうを走ってこちらを追い抜かしていった。右手の施設内には木がならび草も生えていて、エンマコオロギなどの声がヒョロヒョロリンリンと湧くけれど、これだけ草があっても地元にくらべるとやはりちょっと声がすくないなとおもいつつ、しかしもう一〇月だから、実家のまわりでもこの時期はこんなものだったかもしれないとみずから補足した。九月中までは透き通った青碧色のビー玉がこすれ合うみたいな、ざらざらした感触をわずかにふくみながらも凛と冴えた、大気でできた金属みたいな鳴き声を中心に数種の虫の音がいっぱいにあふれて自室の窓にも寄せていたものだが、九月後半くらいからその勢力がおとろえるものだった記憶がある。角までいたると右折。おおきな四角形の敷地に沿ってまたすすむと、一瞬ギンナンか? という臭気がかおったが、そのすこしあとでオレンジ色の花の群れが塀のむこうにあらわれて、そこでまたなんともいいがたい、あまりよいとはいえないにおいが鼻にかかったので、さきのものもこれだったらしい。
 一路南下。道中、たいした印象はない。「(……)」というスーパーがあらわれたあたりから、いくらか駅のちかい雰囲気がただよいだす。そのスーパーが面しているのは交差点だし、立ち止まった横断歩道の向かい側にはマンションも立っている。ちなみにスーパー入り口から正面には歩道から一段あがったスペースがあり、そこになにをしているのかおっさんがひとり立ち尽くして、うごかず交差点のようすに目を向けていた。わたってもそのまま直進。韓国料理屋があってスンドゥブとか書いてあるのに、もともと辛いものが得意でないし、いまのじぶんの胃で食ったら死ぬなとおもったり、コンビニがあったり(ローソンの看板のあのマークってミルクを入れる缶のようにみえるのだけれど、どういう由来なのか?)、カップルがいくらかあるいていたり。車道の左右には街路樹がならべられており、とおりすぎながら目にはいったそのこまかくごつごつとした樹肌は、黴が生えた唐揚げの表面みたいだなとおもった。じきに(……)駅にたどりつく。そう遠くはなかった。たぶん三〇分くらいか? その程度もかからなかったかもしれない。ロータリーというにはひかえめすぎるおおきさの、こじんまりとした駅前スペースの縁をまわって、駅舎にはいる階段のまえまで来たところで、そこは同時に踏切りの前でもあるのだが、信号がないけれどここで道路をわたって、さきほどとは対岸からもと来たほうにもどろうかなとおもったところが、ちょうど警報が鳴り出して、それでなぜか踏切り内にはいってしまい、小走りにすすみ、降りつつある向こうの遮断器を身を低くしてすり抜けた。しかしわたったあとからかんがえれば、べつに踏切りを越える必要はなく、むしろ遮断器が降りて車が停まるのだからそのまえを横切って対岸に行けばよかったはずなのだ。しかしともあれ渡ってしまったからにはしかたがない、ちょっとすすめば横断歩道があるだろうと行けばすぐにあったのでそこで岸をうつり、来た方向に、つまりいまだ閉ざされている踏切りのほうにあるいていくと道沿いには「(……)」があって、意気軒昂そうなひとびとがハンバーグやらステーキやらを食っているらしい。レストランのまえにいるときよりも、そこを過ぎたあとから焼いた肉のうまそうなかおりがただよってきた。踏切りで止まる。ここの駅は踏切りの両側に出入り口があり、だから駅舎内で二択をえらんでもいいし、電車が来ていなければどちらに下りたとしてもすぐどちらにも渡れるというかたちになっている。
 その後の帰路もたいしたことはないが、身がほぐれたためかあゆみにつれてだんだんと自由としずけさの感覚がきざしてきており、(……)の南側の角からはいって西にすすむころには(その道をまっすぐ行けば近間のサンドラッグやローソンの場所につうじる)、ウォーキング・チルがはじまっており、ほぼ明鏡止水的にしずまったおだやかなこころもちのうちに、やっぱりいい文章が書きたいなあとおもった。日記というかたちでもいいし、なんらかの作品としてでもなんでもいいが、いい文章、すばらしい文章が書きたいと。それいがいに文を書く動機なんて根本的にはないじゃないか? ドラッグストアの位置まで行かずともそれよりてまえでアパートのある裏路地に曲がることができる。風というほどの速度もないが、夜気はつねに微妙にうごいてひたひたと肌に涼しく、踏み継ぐ歩の律動と、聞こえはしないがじぶんの心臓の鼓動とが一致しているかのような、すくなくともまちがいなく調和はしているそんなリズムが、歩行とじぶんとからだと外界を仲立ちしているようだった。自由は部屋のうちにはなく、そとをあるくことのうちにしか現成しない。とりわけ夜に。かならずひとりで。歩みのなかにおのれと世界との、もしくはおのれや世界とのあいだの調和を見つけることが自由の意味だ。


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  • 「ことば」: 16 - 18
  • 「読みかえし2」: 47 - 55
  • 日記読み: 2021/10/2, Sat. / 2014/2/24, Mon.