2022/10/4, Tue.

 この手紙を書きながら今幾時かはっきりと言えません。時計は少し離れた椅子の上にあるけれど、そこへ行って見る気になりません。もう朝に近いのでしょう。しかしぼくは真夜中がすぎてやっと机に向ったのです。春や夏には――経験から言うのではありません、ぼくの徹夜はごく最近のことですから――こんなに邪魔されないで幾時間も起きてはいられない、すぐに夜明けが人をベッドに追いやるでしょうが、いまこの長い変ることのない夜々には、世界は人を忘れてくれます。たとえ人が世界を忘れないとしても。
 その上ぼくの仕事の工合はひどく惨めだったので、全く眠るに価しませんし、本当は夜の残りを窓から外を眺めてすごすよう宣告されてしかるべきでしょう。お分りですか、最愛のひと、まずく書くということ、しかも完全な絶望に身を委ねまいとすれば、それでも書かなくてはならない、ということが。よく書くという幸運に対してこんなにおそろしい贖いをしなければならないとは! 本当は実際に不(end124)幸なわけでなく、不幸の新しいあのとげを感じるわけでなく、厭でたまらない、嘔吐を催す、または少くとも陰気な無関心を惹き起すようなものが無限に続くノートの頁を見ていくこと、それでも生きるためには筆をとらなければならないということなのです。しかし四日前から書いた頁を、まるきり存在しなかったかのように破り棄てることができるでしょうか?
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、124~125; 一九一二年一一月三〇日〔一九一二年一一月二九日から三〇日の夜〕)




 覚醒して机上にごそごそ手を伸ばし、携帯を取って見ると八時三四分。意識はさだかである。そこでもう起床に向かうことにして、あおむけで鼻からゆっくり息を吐きはじめた。しばらくうごかずにただ呼吸をつづける。きのうの朝もやったからだろう、きのうよりもあきらかに抵抗が軽く、より深いところまで吐くことができる。からだの各所が脈動したりほぐれていったりするのをかんじながらしばらく呼吸をつづけて、それから腹とか脚とかをちょっと揉みだした。合蹠のポーズを取って太ももの側面などちょいちょいと指圧しておく。あいまにカーテンをめくって見てみると、希薄な雲混じりではあるものの空は青くて、妙にあかるくかんじられるのはまだこの西側にはすがたを見せようのない太陽が、東のほうで雲に汚されずにいるからのようで、電線のとちゅうにくっついている接合具かなにか、穴のひらいた白いボール様のものがその表面につやを少々塗っているのを見るに、きのうもおとといもそのまえも目にはいっていたはずなのに、こんなものがあるとは認識しなかったな、とおもった。油めいたひかりの光沢があってはじめて目にとまったのだ。その後もこめかみや頭蓋を揉んだり、首を伸ばしたり、胎児のポーズを取ったりして、九時半過ぎに起き上がった。カーテンをひらくとあかるい空に付された雲は、汗をかきまくった夏場のシャツに浮かび上がってのこる塩の痕くらいの薄さである。脚を揉んでから立ち上がり、椅子について水を飲みつつコンピューターを用意。Notionできょうの記事を作成し、LINEをのぞいたりもしておいて、それから屈伸などちょっとしてトイレにはいった。小便をはなち、顔を洗って、出るとうがい。トイレにはいるまえにもう洗濯をしようとおもって、汚れ物をひとつひとつ落として注水をはじめていたのだった。そうして洗剤をキャップからまわし入れて開始。ワイドハイターが切れているのだけれど、やっぱり漂白剤もあったほうがよいのだろうから、きょうあたり気が向いたら近間のストアに買いに行きたい。あと栓抜きも必要なのだけれど、この経緯を記すのはめんどうなのでいまは省く。いますぐなくてもべつによいが。寝床にふたたびあおむいて、Chromebookをもっていつものように日記の読みかえしをした。一年前、2021/10/4, Mon.はつぎのような天気の描写をしておりわるくない。

(……)なにも読まずに南窓のむこうに視線をくりだしながらものを食べる。快晴というほかない晴れがましい秋の日で、ひかりが空間のどこまでもひろがってあかるさが満ちわたっており、川沿いの樹々およびその果ての山は、まだ東寄りで垂直にちかい角度で落ちるひかりのために緑の露出面よりも翳の色のほうがはるかにおおく、はらんだ黒さを葉の緑でつつみこんだそのすがたをさらに降りそそぐかがやかしさによって希薄化されている。居間の気温計は三〇度のてまえだった。さわやかな暑さ。

 とうじは検閲していたものだが、オンライン読書会については以下の言。

(……)きょうはそんなにしるしておくようなことはない。読点のつけかた、地の文でセリフ的な記述のあとに、「~~、と」というかんじで読点をつけるかそれとも「~~と、」にするかとか、こういう書き方はいつからはじまったのかとか、ながくはなされたこととしてはそれくらい。たしかにこれがいつからやられたのかというのは興味深いし、意外と重要な問題をはらんでもいそう。たぶんそもそも括弧というのも明治あたりに西洋小説の影響がはいってきてつかわれだしたのではないかとおもうが、そのあたりの表記法、書字法という意味でのエクリチュールの歴史と変遷は思想的側面ともからみそうだ。その場で青空文庫にアクセスして樋口一葉の「たけくらべ」をちょっと見てみたが、この時点ではまだ括弧はつかわれていないし、セリフ的部分も見た範囲ではかならず「~~と」と点を打たずにつなげており、くわえて「~~と云う、」みたいなかんじでそのあとに動詞の終止形を持ってきて点をうつかたちの接続がおおいようだった。いまの文章とリズムや点の感覚がかなり違うのだろう。

 あとパレスチナについてのNew York Timesのルポ。

休身。Rachel Kushner, "‘We Are Orphans Here’: Life and death in East Jerusalem’s Palestinian refugee camp."(2016/12/1)(https://www.nytimes.com/2016/12/01/magazine/we-are-orphans-here.html(https://www.nytimes.com/2016/12/01/magazine/we-are-orphans-here.html))を読んだ。東エルサレムにあるShuafat refugee campという場所で過ごしたときのルポルタージュエルサレム内にあってイスラエル管理化なわけだが壁でくぎられており、警察はひとを逮捕するときくらいしかなかのほうまでははいってこず、治安は悪く、精神病をひきおこすくらいに強力なドラッグが八歳くらいの子どもにまで蔓延しており、子どもらが自由かつ安全にあそべるような広場とかストリートすらなく、だから彼らはスクールバスがとまる一画(写真を見るにそこも高い壁でかこまれている)でかろうじてサッカーをするくらいで、そもそも十代前半くらいの歳でも生活のために床屋とかバイクの修理とかじぶんなりにしごとをおこして手がけなければならないらしい。この筆者はBahaといってこの地区の実質的な長というか、子どもからおとなまで多数のひとにしたわれたよられている当時二九歳の有力者に案内されて見回ったのだが、この壁のうちにはショッピングモールのたぐいがかろうじてひとつだけ存在しており、それもイスラエルに二度破壊されながらなんとかつくられてたもたれている状況らしい。成り立ちとしてはもともと四八年の戦争のさいにエルサレム旧市街に避難したひとびとがその後この地区にうつされ、六七年の戦争後にさらにその数が増えたらしいのだが、そこから入植によって外縁部などけずられたようで、そして二〇〇四年からイスラエルはこの地区をかこむコンクリート壁を(「完全かつ統一された首都」だとイスラエルが主張しているエルサレムから切り離し、隔離するかのように)建設したと。まださいごのほうをすこし読み切っていないのだが、Baha Nababtaというこの中心的人物だったひとはその後、素性不明の襲撃者によって銃で撃たれて死亡したらしい。下手人はつかまっていないのだとおもう。

 テレビドラマについてなんかも。

そういえば夕食時に母親が『ごほうびごはん』というドラマを映して、社会人になって東京に出てきた女性がうまそうに飯を食って恍惚とするたぐいのドラマで、さいきんこういうドラマ多くないか? と漠然とおもったのだけれど、そのオープニングでこの主演女性とたぶんその恋愛相手となるのかもしれないと予想される男性が踊る趣向になっていて、数年前に流行った(ほんとうに流行っていたのかよくわからないし、そもそもいまこの現代で流行るというのがどういうことなのかもよくわからないが)いわゆる「恋ダンス」を即座に連想させるもので、母親もおなじことをおもったらしく、あれみたいだね、なんだっけ、源さんの、と(母親が星野源のことを「源さん」と呼ぶのをはじめて聞いたというか、そもそも母親の口から星野源への言及を聞くことなどほぼないが)いうので、二匹目の、なんだっけ? ドジョウだっけ? ねらってるんでしょ、と慣用句がおもいおこされた。いま検索してみると、「二匹目のドジョウを狙う」で合っている。内容はおおかたうえのようなもので、この回(初回のはず)の後半では、同期だがいつもバリバリしごとをこなしていてはなしかけづらかった同僚女性と主演女性が残業後のハンバーガーショップで偶然遭遇し、意気投合して酒を飲みバーガーを食いながらたがいにうまいうまいと恍惚感をかわしあうだけみたいな、世界がいつもこうであったら良いだろうにとおもうような平和な場面が現出していた。芳文社の漫画が原作らしい。さいきんはドラマの多くが漫画原作になっている。

 こういうドラマあったなとおもい、主演の女性の、眼鏡をかけてながめの茶髪をストレートにながしている、きれいだがやや朴訥といったつくりの風貌をおもいだし、あのひとなんていったかなとおもいながら検索してみると、桜井日奈子という女優だった。しかしその名をみてピンとこなかったことからわかったのだが、こちらが想定していたのは有村架純だった。なんかわりと似てない?
 2014/2/26, Wed.も。東山魁夷の画集なんてみている。読み書きをはじめてさいしょのうちは文学のみならず芸術全般に興味が出てまもないから、あたらしいものにいろいろ触れてみようと好奇心が旺盛で、画集とか写真集とかも図書館で借りていくつかはながめた。たまにひとりで美術展に行ったりもしていた。またそういうことをやらねばならない。体調が安心できるようになって、遠出をするのに支障がなくなれば、都心のほうに行って美術展をみたり映画をみたりしたいのだが。したの感想、感想というか色彩がよいと言ってそれをただ列挙しているだけだが、そういう列挙癖とか、いろにくわえる形容修飾のしかたが、いまのじぶんとあまり変わらんというか、いま現在のじぶんの文の原型をみる気がする。この日はほかの部分もまあ一四年にしてはわりとちゃんと書いているんではないか、そんなにぎこちないところもないし、という感じで、このへんからだんだん文章がまとまってきちんと書けるようになってきたのかもしれない。

(……)部屋で『東山魁夷ArtAlbum 第一巻 美しい日本への旅』を読み終わった。なんといっても色づかいがすばらしく、「夕紅」の朱色や、「花明り」の夜桜の淡い桃色やその背景で暗く沈黙した林の墨色、またさらに視線の先に見える夜空のかすかに紫がかった薄い藍色、あるいは「夏深む」の空と池の金色など、色の美しさには事欠かないけれど、なかでも個人的に惹かれるのが青から緑系統の色で、「郷愁」の雨のなかにかすんでいるような淡い青の色調であったり、「月宵」の本人いわく「澄み渡った水の中にいるような月夜」の驚くほど明るい色であったり、「黎明」の沼や霧に煙る山並みの薄めの紺色であったり、「青響」の木々の翡翠色の表現であったり、「夕涼」の松と池に映りこんだその像の深緑であったり、「月篁」の月の下に光る竹藪の緑とも青とも言えないようなほとんど完璧な色の表出であったり、「夕静寂」「夏山白雲」の幽玄さをもたたえた神秘的な深い青であったりが非常にすばらしかった。暖色系統の絵では、前述の「夕紅」もすばらしいけれど、「秋翳」という絵がもっとも印象的で、画面の下半分に三角形の紅葉山が描かれていて上半分には空以外に何もないが、気のせいではないかと思われるほどかすかに薄紅を帯びた空の色合いと、盛りをむかえた秋山の鮮やかな朱色との対比が絶妙で、東山本人の言葉を引けば「凋落の冬を前にしての、秋山の豊かさと静けさ」が完璧に同居している。160.0✕167.6cmという大きさもあって、これは実際に見たらものすごいのだろうと思われるが、巻末のリストを見ると、東京国立近代美術館に東山の作品が多く所蔵されているようで、この「秋翳」もそのなかにあるらしく、常設されているのかは知らないけれど見る機会があったら絶対に見たいし可能性があると思うとどきどきしてしかたがない。

 読みかえしを終えると一〇時四〇分ごろ。保育園の子どもたちはきょうもにぎやかで、公園にむけて出発したりしていたようだ。だいたい朝は保護者に連れられてきたときにやあぁ~だぁあ~~というかんじで保育園に入るのに抵抗する子との交渉が聞こえるし、夕方は夕方で、公園に行きたいとごねてきかない子どもをまえに母親が交渉したり、菓子などのもので取引をしようとしたり、説得したり、怒ったりする声が聞こえる。わりとみんな公園に行きたいんですね。床をはなれると水をもう一杯飲んでから瞑想した。二五分ほどだったかな。もうあまり時間を気にしていないのでおぼえていない。深呼吸をやってからだのすみずみまで酸素をめぐらせておくとそりゃやっぱちがう。胃や喉もとの違和感がまったくなくなったわけではないが、この分なら行けそうという感じで、たぶん朝起きたときに布団のなかでやるだけでよいので、一日一回、きっちり深呼吸する時間をつくる習慣にすれば、それだけでも心身のパフォーマンスはたしょうちがってくるのだろう。
 その後食事。野菜スープ兼うどんはきのう食べ終えたので、一食目はサラダとヨーグルトだけにすることに。キャベツは半玉をつかいきり、サニーレタスも同様、あとトマトが、さいきんは野菜スープにかかずらって食べる機会がすくなかったのだが、いがいと熟しておらず、また身が張って締まっている。そして豆腐にハム。和風醤油ドレッシングをかけて食す。食事中になにを読もうかなとかみようかなというのをまいかいまようわけだけれど、きょうはnoteで先日みかけた藤田一照仏教塾のレポート記事を読んでみることにした。「ひろさん」というなまえのアカウントのひとがここ数年参加しているようでいくつも記事を書いており、二〇一九年の「道元からライフデザインへ」という講座のやつをさいしょから読むことに。月一で四月から一二月までおこなわれたようだが、その四月分から。四月分だけでも五つの記事で書かれており、藤田一照や各人の発言がよく記録されていて充実しており、なかなかおもしろい。けっこうなしごとだ。そこで出てきたメアリー・ボンド『感じる力でからだが変わる 新しい姿勢のルール』という本はちょっと気になる。春秋社。
 食後は記事を読みつつ腹をちょっと揉んでこなしたりしたあと、洗い物をかたづけ、一九年四月分の記事をさいごまで読む。食べてすぐはやはりまだすこし胃がちくちく痛くなったりする。喉も、詰まりというほどではないけれど、なんか奥にひっかかるようで飲みこみにくい感じがあるにはある。わすれていたが、洗濯物は食事のまえに干しておいた。風がひじょうにつよく、干したそばから精霊のうなりが吹き荒れて、宙をはげしくわたる擦過音のなかで吊るしたものがそろっておおきくかたむいて、これだいじょうぶかなとおもうくらいだった。干したときには晴れていたのだけれど、その後わりと雲が出てきてほとんど閉じるような時間もあり、いま午後三時一五分だがさきほどもう入れた。そこだけ吸いこまれたかのような太陽の白い影がレースのカーテンをとおして見えるあかるい曇りになっている。
 その後音読したり瞑想したり。朝に深呼吸しておいて二回瞑想すると、かなりほぐれる。眠気もきょうはそこまでではない。とはいえこれだけほぐれても喉奥の詰まり感みたいなものが消えないのはなんなのか。いまもう消化も終わって腹のなかがほぼ空だとおもうけれど、やはり空腹になったほうが余計に出てくるような気がする。やはり胃が傷んでいるのか。いままでなぜかぜんぜんそういうことをかんがえなかったが、起きていちどめの食事をすこしだけにしたほうがよいのかもしれない。野菜をちょっととヨーグルトだけとか。きょうもサラダだったけれど、量がおおかったのではないか。あとあれだ、瞑想後だったかいつだったかわすれたが、また野菜スープを用意しておいた。タマネギひとつ、きのうつかったエノキダケののこり半分、ニンジン、大根、ネギ。炒めてじっくり煮ており、たまにみて灰汁を取ったり、あご出汁と味の素を入れたり。きょうはシーフードミックスもくわえた。ちゃんぽん鍋のつゆをつかってみようかなとおもっている。しかし野菜スープも、汁まで飲むわけだからもしかしたら塩分とかかなり高くて、じつは胃にもよくはないのかもしれない。栄養はよく取れるだろうが。ここまで書くと三時半前。


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 それから鍋にちゃんぽんスープを足す。パッケージのうえのほうを鋏で半分くらいまで切って、やや白濁した液体をそそいだのだが、しかしよくみてみればよく振ってから入れてくださいと書いてあったし、そもそもつくりかたとしてはさいしょからこれをスープにして煮るものだった。そりゃそうだよなと。鍋料理っていうのはそういうもんだったわ、とおもったが、べつにあとから足して味を調節してもかまわないだろう。三~四人前でこのスープを一袋分ぜんぶつかう目安だったので、そんなに濃くはないのか? とおもいつつ、ある程度入れて洗濯バサミで閉じ、冷蔵庫に保管しておく。それでもうすこし煮ているあいだに洗濯物をたたんだり、あと(……)さんにメールを送っておいた。先日来ていたのだが返信していなかったので。わりとよくなってはいるので、来週から復帰できるとおもっているとつたえておく。(……)さんにも、じっさいの誕生日はあしただったはずだが、一日はやくもうLINEでメッセージを送っておき、からだをやられてまたしても穀を潰していると言っておいた。(……)さんへのメールにも、まだ喉の詰まりみたいなのがちょっと抜けきらないですけどねと書いたのだけれど、いったいこれはなんやねんとおもって、とりあえずスープを食べるまえに背伸びや胸を張るストレッチをしてみたところ、それで楽になったので、やはりポイントは肋骨と胸郭とみぞおちなんだなとおもった。みぞおち部分、肋骨の接合部を中心に、胸郭をぜんたいてきにやわらげるというのが解な気がする。いままでじぶんの胸というのはじつはかなりこごっていたのではないか。胃のほうの問題はまたべつであるとしても(しかしたぶん関連してもいるのだが)、それでこまかいことはよくわからんが、そのゆがみみたいなものがみぞおちの接合部に集約されたようなかたちになっていたのではないか。胸郭をあたためてひろげるために有効だとおもわれるストレッチをいまのところ三つ発見しており、ひとつは背伸びである。たんじゅんに両手を直上にまっすぐあげてそのまま停まるだけである。これをやると上体がぜんたいてきにうえに引き上げられるから、肋骨もたぶんもちあがるだろうし、肋骨と腹の境あたりの肉も伸びる感じがある。ふたつめは両腕をうしろに伸ばして胸を張るやつで、これがたぶんいちばん効く気がする。胸を全体的にほぐしつつ、その中心点であるみぞおちあたりにも確実にアプローチしている感がある。背面にも効く。三つ目がいわゆるセクシーポーズみたいな、組んだ両手をあたまのうしろにあてて、両腕を左右に引っ張るもしくは両肘をうしろに押しやるみたいにするやつで、これも肩甲骨などにも効きつつ、胸のうえのほう、鎖骨にちかいあたりの肉が引っ張られてひろがる感じがする。これらを着実にやって胸をほぐしていれば、喉の詰まり感は早晩克服されるのではないかという見通しを得た。そんなにうまく行くかわからんが。


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 いま八時直前。一〇月二日の記事をしあげてさきほど投稿した。それいぜん、たまには(……)とサシでだべるかとおもい、LINEで呼びかけて、たまにはふたりで駄弁しようぜとよい日時をもとめたところ、あとでもういちどみるとさっそく不在着信がはいっていて、しかしこちらはPCLINEなので通話はできない。それなので八時過ぎくらいからZOOMでやることになり、いまさらにちょっと伸びて八時半過ぎからとなっている。うえで胸郭をほぐすのが解だったのではないかと記したがどうもそのようで、喉の詰まり感はいまほぼない。さらには肺のまわりをやわらげてあたためるわけだからとうぜんだが、呼吸もしやすくなるようで、無意識におこなわれている自動的な呼吸がしぜんと深くなっているような身の感触があり、それで二日の書きものもなんだかちからを抜いてさらさらできた。胸だったのか。胸の柔軟性と解放性こそが鍵だったのかもしれない。まああしたいこうどうなるか、まだわからんが。とはいえ現状心身はかなりニュートラルにおちついており、この状態がたもてればふつうに勤務には復帰できる。ただこれには二錠飲むようになったヤクの効力も寄与しているだろうとおもっている。いまは通話前に飯を食おうというところで、こちらのゆびがこれらの文字群を画面にたたき出しているパソコンの左側、レンガ積みみたいな感じで長方形がならべられた薄青いランチョンマットのうえには、さきほどうどんと豆腐を足して煮込んだスープが、無法則のなまめかしいような回転変容をみせる湯気を椀のそとへとのぼらせている。


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 うどんを食って洗い物も済ませるとちょうど八時半ごろ。(……)は八時半ぴったりにLINEにZOOMのURLを貼っていた。それにアクセスし、通話にログイン。こちらはカメラをつけて顔を見せるが、あちらの画面は黒。声が聞こえないので退席しているのかとおもったところが、チャットにおれの声、聞こえない? と出るので肯定する。マイクの設定の問題かとおもった直後に、そういえばアンプの電源をはずしていたんだったとおもいだし、席を立ってケーブルを部屋の角のコンセントにつなぎ、無事声が聞こえるようになった。熱をもつからたまには休めたほうがいいだろうとおもってはずしていたのだ、と説明。実家からもってきた古いやつで(Sansuiのもの)上部に穴があいているからいくらかそこから排熱されるだろうがと言うと、(……)のオーディオアンプも父親ゆずりだったかもらったものらしく、ただ排熱部は下面で、ほんとうはラックとかに設置するもんなんだろうがかまわず置いているとのことだった。
 さいきんどう? とれいによって漠然と聞いてみる(……)そもそも「女装」ということばが(……)の感覚ではじぶんに合わないとのことだった。(……)がかんがえる「女装」というのは、男性が外見からして男性ではなく女性に見えるように服装やら化粧やらをととのえるということで、(……)は女性に見えるようになりたいとおもっているわけではなく、ただ女性物の服を着てみたい、じぶんに合うスタイルとしてそういう方面を探究したいというだけなので、それを「女装」といわれると違う感じがする、とはなすので、そのとおりだ、ただしい、とこちらは深くうなずいた。女性が男物の服を着たからといって、それをわざわざ「男装」とは言わないもんな、と。男装の麗人なんてことばもあるけれど、あれもまさに女性だけれど男のように見える、しかもイケメンの、みたいな感じだもんな、と笑う。さらに、「女装」ということばにそもそも倒錯的な意味がかなりつよく混じっている、それはやっぱり男女の地位の格差が関係している気がするんだよな、とこちらは述べた。そんなにうまく明晰に説明できなかったのだが、いうまでもなく世界の歴史においては男性優位の社会がたいはんで、それはいまもつづいているわけだけれど、その優位にある男性が劣位にある女性のよそおいをあえてするということで、そこに倒錯的な意味合い、規範の侵犯的な意味合いがつよく出るわけで、だから女装はある種の変態趣味のように扱われることもままある。(……)のように「女装」ではなく、たんにじぶんに合うものとして女性物の服を着てみたいというだけでも、奇妙な印象をもたれることもおおいだろう。その点、男性は社会文化的、また歴史的なイデオロギーとして暗黙のうちに優位に置かれているために、それだけ男性としてかくあるべしの規範性がつよく、拘束されており、その性別規定を越えようとしたときに生ずるインパクトもおおきくなるということかもしれない。それにたいして女性が「男装」をしても男性の「女装」ほどは奇異にみられないようにおもえるし、女性がひとによって男物の服を着るということはもっとハードルの低い、そんなにめずらしいことではないだろう。しかしだからといって女性にたいするかくあるべしという規範性が男性よりも弱いなどとはとても言えないわけだが、しかしこと服装やファッションという面ではなぜこのような非対称性が生ずるのか。それはやはり、そもそも女性のほうがマークをつけられた、有標化された存在だからということだろう。男性優位の社会文化においては、男性のほうがスタンダードで、いわばかれら(というかこちらもふくんだわれわれ)は色がなく、あえていえば「ふつう」なのだ。その「ふつう」の存在が、有標化され暗黙のうちに劣位に置かれている女性に同化変容しようとするから、「女装」にはよりつよい境界侵犯性が生ずる。「ふつう」が、「ふつう」ではなくなることのインパクトである。だからこそ「女装」は一種の「異常さ」や倒錯、変態趣味としての色合いをより濃く帯びかねない。ひるがえって女性はそもそも社会文化的に有標化された立場に置かれており、だからある意味、さいしょから「ふつう」ではない地位を強いられているということになる。そんな女性たちが「男装」をしたり、男物の衣服を身につけたりしても、かのじょらは「ふつう」になるわけではない。そこによほどの強度がないかぎりは、かのじょたちはいわば男性的な「ふつう」の枠組みを一部借りているようなことにすぎず、そこでは女性たちの女性性も男性たちの男性性も根本的には毀損されないし、男女の二分秩序もおびやかされはしない。優位である「ふつう」をみずからかなぐり捨てる存在はシステムにとって明確に異物であり脅威だが(それは「ふつう」の優位性にもとづいた秩序を相対化し、揺らがせるからだ)、「ふつう」でないもののなかから部分的に「ふつう」にちかづくものが出てくることは、システムにとってそこまでの脅威とはみなされない。「ふつう」でない存在が境界侵犯性を生むにはそこに相当な威力や強度が必要で、それをそなえてシステム内の「異物」となることができた女性は、たとえば「男勝り」とかいわれたり、「女だてらに」とかいわれたりして、女のくせに生意気だというかたちで不遜さのレッテルを貼られる。不遜とは身のほど知らずということであり、劣位者が優位者と対等になろうとしたり、越えようとしたときに向けられることばである。ここでもうひとつ、かなりややこしいはなしになってくるが、男女という審級(いってみれば人間全般というカテゴリ)でみたばあいには、男性が「ふつう」(優位・無標)であり、女性が「ふつうでない」(劣位・有標)という価値づけがある。ところが、女性は女性でまた、女性集団の内部において、女性としての「ふつう」をある程度いじょう共有している。女性とはかくあるべし、「女らしさ」とはこういうものだ、という規定のことである。そこではまた「ふつう」(優位・無標)な女性と、その「ふつう」を満たせない、「ふつうでない」(劣位・有標)な女性が区分される。そして、この女性内部における女性としての「ふつう」は、そのそとから男性が押しつけた「ふつうでない」とおなじものなのだ。男性からみて有標であることと、女性として、もしくは女性からみて無標であることがおなじひとつのこととなっている。
 そういったややこしいはなしはもちろんこの通話のじっさいの現場ではできなかったのだけれど(……)
 (……)
 (……)
 (……)


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  • 「ことば」: 6 - 10
  • 「読みかえし2」: 75 - 86
  • 日記読み: 2021/10/4, Mon. / 2014/2/26, Wed.