2022/10/15, Sat.

 (……)ぼくがいつかフェリーツェ、――というのはいつかはいつもということですから――あなたのすぐそばにいて、話すことと聴くことが一つのもの、つまり沈黙になったらいいのですが。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、308; 一九一三年三月一六日)




 いま一九日の午後五時過ぎなのだけれど、おどろくべきことにこの一五日の本文はもろもろの引用をメモしてあるだけでまだなにも書いていなかった。この日はほぼ(……)くん・(……)くんと通話して、禅宗まわりのこととかをはなしただけの日なので、それさえ書ければよいし、そこのはなしというのもこちらが喋ったことはだいたいさいきん日記に書いたことがらなので、あまりこれを書こうということがらがあたまのなかに浮かび上がってこない。ともかくもまずは一年前の記事からの引用。ニュースはしたのようなもの。

(……)新聞、国際面。香港民主派の指導層で立法会議員もやっていた羅冠聡へのインタビュー。二〇二〇年六月末の国家安全維持法施行を機に英国にわたっている。二〇一四年の雨傘運動にかんしては、もっとおおくの参加者があればながれは変わっていたかもしれないといい、しかしそれいぜんに、二〇一九年に大規模な抗議の盛り上がりがあった時点では実質もう手遅れになっていて、じぶんたちに利益があるとおもえばなんでも約束しながらのちには何事もなかったかのようにそれを破る(もちろん一国二制度について言っている)という中国の「本質」を八〇年代から見きわめて活動できていれば、またことなった歴史になっていたかもしれないと。羅冠聡は二八歳だか二九歳だかだから九〇年代にはいってからの生まれなわけで、だから先行世代の民主派や市民がけっきょくは香港の「中国化」を座視してきてしまった、という批判なのだろう。英国で仲間たちと今後の方針を発表したりしているらしいが、正直なところ香港にふたたび自由をとりもどすのはきわめて困難だと当人も自覚していると。自由と民主主義は犠牲のうえに成り立ってきたものだから、民主主義国のひとびとにはそのことをよくかんがえてもらいたい、みたいな締めくくりになっていた。

中国関連ではもうひとつ、「抗日戦争」後の国民党との内戦で自爆攻撃だかをしかけた「英雄」を微博上で侮辱したとして拘束されていた女性が七か月の判決をくだされたと。ネット上でなにかいえばすぐつかまってぶちこまれるわけだからおそろしい。おなじような事案では先日、朝鮮戦争(に中国が出兵したこと)の正義や正当性をいまかんがえなおす国民はすくない、みたいなことをネット上で発言したジャーナリストがやはり「英雄」を侮辱したとして拘束されていたはず。

 天気の記述。たいしたものではないが、きもちがよさそう。

(……)二時過ぎに洗濯物をとりこみにいったところ、ベランダをながれる空気が穏和でやわらかく、非常に気持ちが良かった。ひかりの感触もさいしょはぬくもりくらいでほのかにともってここちよく、それで日なたのなかで屈伸などちょっとしたのだが、そのうちにあかるさが厚くなってからだぜんたいをうえから抱いてつつみこむような、ドーム状の精霊みたいなあたたかさにたっした。

 帰路はながくいろいろ綴っている。このころは存在することや他人と接さなくてはならないことそのものの重みに疲労していたらしい。「生においてなにかをやらなければならないということ、なにかをやりたいということ、そういった発想と生存原理からとっととおさらばしたい。結婚もしたくないし金もほしくないし、なにかを達成したくないし、なにかこれをやりたいということをもちたくもない」ともらしているが、いまもこういうきもちはわかるものの、現状の心身はここまで反 - 能動的にはなっていない。これはけっきょく、ヒロイズムとか、主人公的観念とか、ある種の雄々しさを身にまといたくない、それが本質的にじぶんの性分に合わないという、ある意味で幼児的とも見える忌避感なのだ。他人のはなしとかフィクションとして触れれば、じぶんもおもしろく楽しんだり、ときに感動したりもするわけだが。こちらはこちらの物語を生きたくなどまったくないし、「わたしの物語の主人公」になど絶対になりたくないしされたくもないという強固な拒否感があるわけである。そんなことを言ったって、そうなってしまうことは避けられないのだけれど。

八時三五分くらいで退勤。徒歩で帰ることに。もうだいぶ肌寒いような夜気である。月は先ほどよりもややちいさくなって黄色味を増し、ときおり雲にひっかかってからまれながらも意に介さずすがたをみださず、ひかりをひろめて空と雲の色をあきらかならしめながらななめの舟となっている。白猫とひさしぶりにたわむれた。くだんの家のところまで来て車のまえでしゃがむと、ちょっと奥にはいっていたようだがか細く鳴きつつそのしたから出てきた。さいしょはしゃがんだこちらのまわりをうろついて、手を伸ばしてもすぐ移動してしまうようすだったが、膝と腿のあいだにすっぽりはいってたたずんだひとときを機におちついて、道端にすわりこんでうごかなくなり、こちらが撫でても逃げずにされるがままとなった。それでからだをゆっくり、おなじ方向にさするようにくりかえし撫でたり、あたまや首のまわりを指でやさしくこすったりする。そうしているうちにやはりまた、かなしみなのかせつなさなのかよくわからないがそれにちかいような情感をおぼえた。猫にふれているといつも、可愛らしいというおもいと同時にそういう情をえる。ちいさくもろいようなものにたいしておぼえるはかなさとか保護欲のようなものと、つきなみな解釈をしてしまってたぶん良いのだろうが(しかし人間の赤ん坊におなじ感情をおぼえることはない)、これは語源的に見ても正当な反応である。つまり「かわいい」に近似である「かわいそう」にちかい情だということで、検索したところでは「かわいい」の語源となる古語は「かはゆし」であり、「かわいそう」の意味のほうがもともと中心的で、「愛らしい」の意が生じて定着したのは室町時代からだという。「かわいそう」とあわれみのニュアンスのつよい語をもちいるとだいぶこちらの心情からずれるが、おおきな方向としてはそちらのもので、だからこちらの感情的反応は「かわいい」の意味的変遷をさかのぼるようなかたちでその源流を志向していることになる。

この情感は、要するに古文でいうところの「もののあわれ」に相応するものではないかとおもいあたった。

しばらくふれつづけて別れ。その後の帰路はゆるやかな、重さのない自由な気持ちであるいていた。けっきょく、夜道をひとりであるいているときだけがなにものからもはなれていられる。じぶんと風と事物しかない。べつに恍惚とするほどではないがそのときにはそれだけで充足していて、もうこれでいいわとおもっているのだが、家に帰ればそういう気持ちはなくなって、なにかをやったりやらなければならなかったりするのが人間の鬱陶しさだ。家の内に自由はない。じぶんいがいの他人の声や存在を聞かなければならないし、仮にひとりで暮らしているにしても、さまざまなものものや生活の事情によって欲望やら義務やらを喚起され、行動に追いやられる。強制ではなく内発心からなにかをやりたいというのもひとつの束縛である。夜と風と歩行がおりなすみじかい道行きの時刻だけがそういったことごとからじぶんを切り離してくれる。そういうときには、健康な心身をもってとりあえず生きていればもうそれでいいではないか、生きていて特段のことをなにもやらなくたっていいではないか、という気分が生じる。生においてなにかをやらなければならないということ、なにかをやりたいということ、そういった発想と生存原理からとっととおさらばしたい。結婚もしたくないし金もほしくないし、なにかを達成したくないし、なにかこれをやりたいということをもちたくもない。読みたい書きたいと言ってここ一〇年弱を生きてきたが、読むことも書くことも、ほんとうはどうでも良いのだとおもう。ただ存在しているだけで満足することのできないあわれであさましい矮小な生きものたちが、死なないためにおのおのそういう方策を開発してきたのだろう。あわれであさましい、というような形容評価はともかくとしても、精神分析的にはまさしくそういうことになるはずだ。だから、とりあえず生きていればそれだけでいいではないかとおもいつつ夜道をあるいていながらも、帰宅すれば日記を書くだろうということをじぶんは明確に知っていたし、じっさいにそうなって、帰っても臥位になって休まずにすぐにはじめて、この夜で前日分まで一気にしあげることになった。

他人の存在がちかくにあるということはそれだけでつかれることだ。じぶんがあいてのことを嫌っていようが、好いていようが、愛していようが、どうでも良い存在だとおもっていようが、どれだけ気の合うあいてだろうが、いっしょにいて最高に楽しかろうが、それは変わらない。他人を定義するもっとも適切な一語とは、疲労である。なぜかといえば、ひとは他人を無視することができないからである。だれかがじぶんと空間を共有していれば、そのひとをそこにいないものとしてあつかうことは、ひとには決してできない。そのひとがそこにいないとき、そこに事物しかないときの心身の状態と、そのひとが感知できる範囲に存在しているときの心身の状態は絶対におなじものにはならない。人間が存在していれば、じぶんとのあいだに実質的になんの交渉も関係も生まれなかったとしても、それだけで情報の交換が発生し、意味とちからのやりとりがおこなわれるからである。したがって、ひとはひとを無視できないし、ひとはひとをものと同様にあつかうことは、ほんとうはできない。これが疲労の源泉であり、人間の鬱陶しさである。そして、ここにおいてこそ倫理がはじまるはずであり、真に倫理がはじまるべき地点はおそらくここ以外には存在しない。そのことを徹底的にかんがえようとしたのが、たぶんレヴィナスなのだろう。

 あと、「風呂は良い。風呂としずかな夜道と音楽以外にこの世にやすらぎはない」とのこと。
 したは(……)さんのブログから。

 確認しよう。崇高の経験における契機は次の二つである。

一、「宇宙全体」に対して我々は全くとるに足りない存在である(我々は巨大な宇宙の染みのようなものである)、という感覚。
二、日常生活において我々の存在の中心を占めていたものが、突然全くとるに足りないものに見えるという事実。

不安を崇高の感情へと「解消」した瞬間、我々自身と外部世界の関係が逆転する。崇高の感情——その裏の顔は、常にある種の不安である——は、主体に、自分の一部が自分にではなく「外部世界」に属するものであると見なすことを要求する。言うなれば、これは「魂と肉体の分離」、比喩的な意味での死である。我々は、壮大な外部世界に比べて我々がいかに「小さい」か、「とるに足りない」かを悟るのだが、その時、我々の意識は常に「避難」している。意識は常に安全な場所にあり、我々はそこから高邁な判断を下し、またそこで我々の内、小さく、とるに足りないと考える部分を棄てることができる。このようにして我々は、自らを日常の世界、自然的欲求の世界から「もち上げ」、ナルシスティックな喜びに浸る——つまり、カントが言うように、崇高の感情はある種の自尊心を連れてやってくるのである。
 崇高の感情に伴うこの自尊心、およびそれがもたらす「ナルシスティックな喜び」について、もう少し考えてみよう。これらについてのカントの解説は、ラカンによる「鏡像段階」の説明に非常に近いものである。ナルシシズムとは、自分が大好きなあまり外部世界に対して完全に閉ざされてしまっている自我の状態を指すのではない。自己像[イミジ]は、私が、鏡の中など〈他者〉の空間にいる私自身を「外部」から観察することによって形成される。このように主体が、まるで他人と関係するかのように自分自身に関係するという根源的な疎外の構造こそがナルシシズムである。「自分に勝つ」、「弱い自分を打ち負かす」などという表現は、みなこの構造に基づいている。また、カントが扱う「分身[ダブル]」の問題も、このナルシシズムの問題である。
 ナルシシズムには常に死の影がつきまとう。ナルシシズムの「弁証法」は、主体の死(の可能性)の上に成立している。自己とその分身の関係は、常に「あれかこれか」——「君か僕か」——である。主体という場所は、二人が入れるほど広くはないのだから、どちらかが追い出されなくてはならない。つまり、ナルシシズムにおいては、一般に言う「自己愛」と自己に対する憎しみ、破壊的攻撃性とが背中合わせになっている。自尊心というカントの概念、特にそこに含まれる評価という要素は、この次元のナルシシズムをよく表している。主体は、他人との比較において自己を評価するのではなく、自己との比較で自己を評価する。究極的に私は、他の人たちよりも優れているからではなく、自分よりも優れているから私自身を愛するのである。
(『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳 p.175-176)

 通話は二時から八時までながくつづいた。前日にメールを送って、さいきん体調がまたちょっとあれで電車に乗るのが厳しいので、オンラインでできれば助かると告げて、了承を得ていたのだ。ZOOMをつかってもよかったのだけれど、四〇分だかでいちど切れてしまうわけだし、(……)くんがbizmeeというアプリを見つけてきて会議をつくってくれたので、それにはいり、問題なさそうだったのでさいごまでこれをもちいてはなした。さいしょは体調はだいじょうぶかと聞かれるので、先月末くらいからまたちょっと悪くなってと経緯を語り、いろいろやっているうちに背骨がどうも起因してんじゃねえ? という発見をして、それで臥位での養生法をやってみるとだいぶよくなったとはなした。おすすめしておく。(……)くんもけっこう肩が凝るとか。画面に映っているいつもの部屋は書斎のようなものらしく、本棚も背後に見えるけれど、読んだり書いたりする部屋で、ここに布団がないからすぐ横になって休めないんだよねというので、それは疲れるよね、おれもう、すぐ逃げる、ちょっと疲れたらもうすぐ布団に逃げるもん、と笑って返した。じっさいやはりそのほうが良いというか、そうでないとじぶんのからだはどうも保たない。(……)くんにも、そういうからだの不調とかある? と聞いてみると、やはりさいきん肩に来るということだった。右が左かわすれたが、いぜんは逆側に来ていたのが、さいきんなぜか左右が変わって反対側が凝るようになったと。
 この日起きたのは何時だったかわすれたけれど、たぶん一一時くらいにはもう飯を食って活動開始していたとおもわれ、二時までそこそこ余裕があったので、その時間をつかってさいきんの日記に記した鈴木大拙『禅』についての記述とか、瞑想についてかんがえたこととか、あと藤田一照について触れた部分なんかをGoogleドキュメントにまとめて、参考にとそのURLを送っておいた。ながいし読みにくいだろうからべつに会のまえに読んでくる必要はない、気の向いたときに見てもらえればと付しておいたが、通話中はけっきょくこれをその場で適宜参照しながらこちらのかんがえを語るようなかたちになった。その内容は事実日記に書いてあるわけで、こちらがヘラヘラしながらペラペラ喋ったことはおおかたそれに尽きるので、ここにくりかえして記すあたまにはならない。引かれたのは一〇月一一日、一〇月六日、九月二九日の三日間の関連箇所である。(……)くんも(……)くんも、鈴木大拙『禅』を読んだ感触は、わかるようなわからないようなところもあり、これはわかったということもあるけれど、ぜんぜんわからず困惑するという部分がやはりおおかったようだ。それはこちらも同様で、とくに禅問答を紹介しているところなど、なんやねんこれと笑ってしまうようなものも多くて(「仏法の真理をおしえてください」みたいなことを弟子が言ったのにたいして、師匠が、「今日は寒いのでおしえない」とか、「月がほそくてきれいに見える」みたいなことを答えたりしているのだ――後者のような、なんの変哲もない日常の事物についての言を返すばあいはまだわからないでもないというか、その「わからないでもない」という感触はまた説得的に言語化するのがむずかしいのだけれど、そこをあえてやってしまうと、このようなやりとりは書かれたことばの問答になってしまっているからさらりとながれてなんのとくべつな意味も持たないように見えるのだけれど、そのじつこういう回答は、そこにある事物を、概念やいままでの記憶や先入観からなるべくはなれたかたちで、あたかもはじめてそのものを見るかのように見るという姿勢へのうながしなのではないかというような受け取り方が、じぶんのなかにあったようだ。そのへんにあるものの真実というか実相というか、そういうものを、もとめてなのかもとめてはいけないのかもよくわからないが、ともかくもそのものをよく見て、感覚し、日常じぶんが見ているとおもっているすがたとはじつはぜんぜんべつものとしてそのものはあるのだということを体感せよ、というか。このようにもっともらしい(かどうかわからないが)解釈をつけてしまうと、そのとたんにまちがっているようにおもえてくるわけだけれど、これは言ってみればある種の詩人の目でものを見るということで、概念をなるべく経由せずにそのものの実のありかたというか、そのものじたいのありかた(カントの「物自体」とはまたべつのはなしだ)を感得するというか、師匠の禅僧はそういう姿勢や認識を身につけていたのではないかとおもうのだ。つまり、どんなものであってもその存在はある種の深淵さをはらんでいるというか(「深淵さ」という語をつかってしまうとやはりよりまちがいに近くなったような感じがあるのだけれど)。事実、鈴木大拙も後半で加賀千代女のゆうめいな朝顔の俳句を引いて、これは禅の瞬間、禅の感覚をとらえて活写したものであるみたいなことを言っていたはずだ――というわけでそちらにかんしてはひとまず良いのだけれど、「今日は寒いのでおしえない」とかいう回答は、なんやねんそれはと笑わざるをえない)、その挿話じたいの不思議な感じがおもしろくて書き抜きたくなるということもいくらかあった。この日の通話はじぶんの文章を参照してもらいつつかんがえを述べたこともあって、けっこうペラペラしゃべる感じになってしまったというか、からだの調子がよくなってきて気分があかるかったこともあるのだろうが、はなしすぎたかなという感ものこらないではなく、ほんとうはもっと他人の言うことをじっとよく聞く時間を取りたかった。いわゆる傾聴というか。「傾聴」というワードもおそらく介護とかケア方面の実践としてさいきんメジャーになってきている印象で、というのも母親がちょうどこの日よこしたSMSに、一一月から傾聴の研修に行くという一言がふくまれていたのだ。だから介護とか医療の現場で患者と向き合うときに、あいての言うことをよく聞いて受け止めるとともに、そぶりや仕草や表情などもあわせてあいての様子や感情やかんがえなどをより感じ取りつつコミュニケートするということがおそらく言われているだろうとおもうもので、こちらもほんとうはじぶんの意見やかんがえを意気揚々とペラペラしゃべるよりは、そういう聞き役としてなにかあいてのなかにあるものやあらたな側面などを引き出すようなことをやりたい。むかしからはなし聞くのがうまいねみたいな、いい聞き役だねみたいなことを言われてきたおぼえがあるのだけれど、それはたんにいぜんはじぶんから質問や発言をおもいついて口にするほどのコミュニケーション能力がなかったから、必然だまってあいての言うことを聞くがわに回っていたというだけのはなしなのだ。そんなじぶんも成長して(おそらくは)人並みの社交性を身につけて、読み書きの習慣によって言語能力、つまりじぶんのおもっていることをある程度まで明晰に形態化する能力が向上したものだから、さいきんはけっこうペラペラ喋ってしまいがちで、おまえそんなんじゃなかっただろ。ほんとうはじぶんのことなんかどうでもよいのだ。
 題材が題材なだけにはなすことはけっこう小難しいような、観念的な領分にもおよんだのだけれど、それらを仔細に書くのはめんどうくさいし、上述のとおりだいたい過去に書いてある。『禅』のはなしからじきに逸れて、というかまあ気安いあいてとのざっくばらんの会だからしばしば逸れては各人の裁量でもどったりもどらなかったりという具合だけれど、後半はウクライナやロシアのこと、くわえて中国のことをはなす時間がおおかった。たがいにもっている情報を開陳し、プーチンがマジで核をつかうかというとたぶんないとおもうんだが、とか、中国が台湾をものにしたあと日本にも進出するとして、いったいどういうシナリオが具体的にあるのかおれの知識ではぜんぜんわからんとか、習近平プーチンとちがってかなり老獪というかしたたかだろうから、領土を拡張するにしても経済面などもつかってだんだん浸食していって、気づかないうちにもうやばいところまで来ていたみたいな、そういう戦略を取るとおもうんだよね、武力行使は最後の手段というか、武力をもちいた時点でそれはたたかいとしては下策だから、と(……)くんがいうのに、マジで孫子じゃん、たたかいははじまるまえに決まっている、っていう、と笑うとか、そういう素人談義をおこなった。ただし台湾にかんしてはもともと一体だと全世界にたいして宣言しており、統一は悲願だと表明しているから、そこはふつうに武力行使でさーっとやったとしても、ある意味すじは通ることになる、ほかのばしょだったら、いやそんな意図はないということを口ではいいながら、じっさいだんだん影響力をおよぼして侵入する手法をつかうだろうが、とのこと。たしかにそうだなとおもう。(……)くんもこのときちょっと触れていたけれど、オーストラリアだったか、あるいは太平洋の島国だったか、中国人がもともと民間利用として買い取った土地がいつの間にか軍事的に利用されているみたいな、そういうこともあったはず。それで日本も先般、外国人の土地の購入に制限がかけられたらしい。
 時間が経ってしまい、おもいだせることももうないので、このへんで。六時間通話しといてこれだけってのもあれだが。