2022/10/17, Mon.

 ぼくが本当に怖れているのは――おそらくこれ以上口にするのも耳にするのも厭なことはないでしょう――ぼくが決してあなたを所有することはできないだろうということです。最良の場合でも、ぼくは盲目的に忠実な犬のように、なに気なく差し出されたあなたの手にキスすることしかできないだろうということです。これは愛のしるしではなく、ただ沈黙と永遠の隔離に運命づけられた動物の、絶望のしるしにすぎません。あなたのそばに坐り、これまでそうだったように、あなたの体の息遣いと生気を自分の脇腹に感じ、結局は自分の部屋にいるよりももっとあなたから遠ざかるだろうということです。ぼくは決してあなたの視線を支配できないだろう、あなたが窓から外を眺め、あるいは顔を両手に埋めるとき、あなたの視線はぼくにとって失われるだろうということです。ぼくはあなたと手を取りあって一見結ばれたように全世界のそばを通りますが、それには一かけらの真実もないということです。つまり、あなたが危険になるほどいくらぼくの方に身を低くかがめても、ぼくは永久にあなたから隔離されたままであるということです。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、320; 一九一三年四月一日




 目覚めて薄暗いなかで携帯をみると八時台。きょうは月曜日、一〇時から通話なのでわりとちょうどよい。あおむけの姿勢で静止しつつ、しばらく鼻から息を吐き出すことをくりかえし、九時前になって起き上がると紺色のカーテンをひらく。あかるみの混ざらないどよどよとした曇天である。このとき降っていたかはわからないが、のちにはそとを行く車の音のなかにタイヤが水をこする響きが混ざっていた。立ち上がり、水をちょっと飲んでから便所へ。腰を下ろす。便意をちょっと感じていたからだが、起き抜けとあって出るまでにけっこう時間がかかった。とはいえ寝転がって脚をほぐすことを習慣に復帰させて以降、からだがやわらいで起床時の体温がすこしあがって安定していることが感じ取られる。布団にいるあいだや、そこから起き上がるときの肉体感覚がスムーズになっている。それで出てくるときょうは瞑想よりも養生を優先することにして、寝床にもどって一〇時直前まで臥位で脚をやわらげた。かたわらChromebookでウェブを見たり、日記を読みかえしたりする。一年前で目につくのはニュースとちょっとした音楽関連くらい。

きのうの記事に書くのをわすれたが、夕刊には池辺晋一郎の「耳の渚」があって、今年はサン=サーンスの没後一〇〇周年、またストラヴィンスキーの没後五〇年にあたるとあった。サン=サーンスは大家にくらべると知名度は劣るものの、モーツァルトに比肩するような天才で、うそかまことか二歳のときにピアノを鳴らしたあとその音が減衰して消えていくのをじっと聞いていたというエピソードがあるという。ハイドンモーツァルトからまなんで古典美を受け継いだ大作曲家であり、ひるがえってストラヴィンスキーのほうは二〇世紀の前衛として名高いこちらも大作曲家だが、『火の鳥』だったか『春の祭典』だかがパリで初演されたとき(一九一三年くらいだったはず)に、当時としては最高度だったその前衛性が観客に受け入れられず怒号が巻き起こり、その騒ぎで音楽が聞こえないダンサーたちは振付け役のニジンスキーが大声で怒鳴るリズムにあわせてようやく踊れるという始末で、支配人が登場してともかくもさいごまで聞いてほしい、と観客に懇願してなんとか公演がつづけられたというエピソードがあるらしいのだけれど、そのときに音楽が気に入らずはじまってまもなくさっさと劇場を出ていってしまったひとりがサン=サーンスだったのだという。それはまさしく二〇世紀初頭における音楽界の伝統と革新の遭遇、その転回=展開を強力に象徴するような瞬間であり、半世紀をはさんだそのふたりの没後アニヴァーサリーが今年かさなっているというはなしだった。ところでサン=サーンスは一九二一年にアルジェリアを旅行していたさいちゅうに死んだらしいのだが、一八三五年の生まれとあったはずだから八六歳まで生きたはずでだいぶ長生きではないか。

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(……)新聞では衆院選にむけた枝野幸男のインタビューをいちおう読み、ほか、「ハバナ症候群」について。アメリカのCIA職員や国務省のスタッフなどにここ数年、原因不明の体調不良があいついで発生しており、その総計は二〇〇人ほどにのぼって(半数弱がCIAの職員)、さいしょに確認されたのがハバナ駐在の外交官だったかともかくキューバハバナではじめて確認されたのでそこから取って「ハバナ症候群」と名付けられたという。とうぜん外国、主にはロシアの秘密工作がうたがわれるわけだが、可能性としては電磁波による攻撃がかんがえられると。症状は目まいとか吐き気とかで、ひどいひとだと目がよく見えなくなって車の運転ができなくなったり、脳損傷と診断されたりしたひともいるという。ただ決定的な証拠はないし、仮にロシアなどによる攻撃だったとして、大使などの幹部級の人員に被害がほとんどないというのが解せない、攻撃するならそこをねらうはずだ、という声もあり、究極的には原因はまったく不明だということだ。

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(……)五時で通話は終了し、自室にコンピューターをもどすと上階へ。アイロン掛けをおこなった。台所にいる母親はまた天麩羅を揚げるなど。そこではラジカセからラジオがながれており、それがなかなかいい音楽だったというか、七〇年代から八〇年代くらいの古き良きソウルをおもわせるような曲がつづき、なかに一曲、Deep Purpleの"Lazy"と混同するようなハモンドオルガンのフレーズ(キーもおなじではないかと聞こえたのだが、もしそうだとするとFmということになる)がイントロになっているものがあり、女性ボーカルはStevie Wonderの"Ordinary Pain"(だったとおもうのだが)のバックでうたっているようなかんじの声で、気になったのでアイロンかけのあいまにわざわざ台所に行って、これだれ? と母親に聞いたのだが、わからないという。曲が終わったらもっかいなまえいうでしょ、聞いといて、とたのんだものの、天麩羅が揚がるフライパンのそばにいた母親はその音で聞こえず、またもともと聞く気もなかったようで、再度聞いてもわからなかった。84.7だといったからFMヨコハマのはずだが、いまFMヨコハマのページを見てみたところでは、あきらかにちがう。こんな曲はかかっていなかった、というなまえしか見当たらない。それでたぶん母親はFMヨコハマだとおもっていたところが、周波数がすこしずれていたのではないかとおもい、検索して前後の放送局をしらべ、おのおののホームページをおとずれてみたところ、NHKで「MISIA 星空のラジオ ~Sunday Sunset~」という番組が五時台に見つかり、なおかつ六時からの番組が岡田なんとかというひとになっており、六時になったときにたしかにパーソナリティが岡田なにがしと名乗っていたような記憶があったので、これではないかとおもった。オンエアリストを見てみても、Jimmy Smithの"Can't Hide Love"があるからあのハモンドはこれだったのでは? とおもってさっそくYouTubeで聞いてみたところ、しかしそんなにピンとこないというか、"Lazy"に似てなどいないし、"Can't Hide Love"ならいちおう知っている曲だから、ほんとうにこれだったかなあ、と確信がもてない。だが、距離があったからそうしっかり聞き取れなかったわけだし、雰囲気はあきらかにこちらの方面だったし、そのまえのInner Life "I Like It Like That"をながしてみてもたぶんそうだという気がする。Manfredo Fest "Who Needs It"をながしても、こういうフュージョン的なウネウネフレーズを聞いたおぼえもあるし、たぶんこの番組だっただろう。まあ、このMISIAのラジオでDJ MUROというひとが選曲したらしいリストを聞いてみると、どれもなかなかいいかんじなので、もしちがっていたとしても、もとの番組がなんだったかはもはやどうでも良い。

 2014/3/11, Tue.は(……)さんとはじめて邂逅したときの二日目である。先日の記事におもいだして書いたけれど、東京の西の端から東まで雲をひとつも見ない日だった、という演出味のうっとうしい書き出し(しかもその一文だけで改行しているのがなおさらわざとらしい)をしているのはこの日だった(正確には、「東京の西の端から上野まで、雲をひとつも見かけなかった」)。(……)さんと(……)さんと三人で上野の国立科学博物館をまわって楽しんでいる。たいした文章ではないが、せっかくなのでながくうつしておく。「正直そこらへんの子どもたちより我々のほうがよほど楽しんでいた」というのには笑う。

 上野駅を出て道を渡り、植えこみを囲む段に腰掛けて岩田宏を読んでいた。鳩は人慣れしていて、道ゆく人々のなかを平気な顔で歩きまわっていた。首を突きだしながらこちらの足下にも歩いてきたけれど、触れるかどうかの距離へ来るとすぐに向きを変えてしまった。そのくせまた近づいてきたりする。そしてまた通りすぎる。横断歩道の向かいでは福島の犬猫たちの避難所を運営しているけれど活動資金が枯渇してきて街頭募金をしなくてはならない、そのボランティアを募集している、と男女二人組が訴えていた。街頭募金そのものをしているのではなくて、それをしてくれる人員を探しているらしかった。男性のほうが震災から三年経ちましたがまだまだみなさんのご協力が必要です、とかこのままではわんちゃんねこちゃんたちの行く場所がなくなってしまいます、とか口上を述べる合間に、女性のほうがご協力をお願いします、と声を上げていたけれど、「ご協力を」の「を」を少し伸ばして上ずらせる言い方のせいで、繰りかえされる声が絶妙な合いの手として機能し、全体が妙に芝居めいた響きを帯びていた。きっと練習したんだろうと思った。
 横断歩道を渡ってくるMさんTさんの姿が見えて本をしまった。開口一番、Fくん、ややこしいわ、あそこにな、昨日のFくんの格好とそっくりな人おるねん、なんかメモもとってるからな、日記書いとるんかなと思って、俺もう少しで声かけるとこやったわ、とMさんが指すほうを見れば、たしかに駅の柱の脇にこちらと似た感じの人影が見えた。そんじゃいくか、ということで公園に入った。国立西洋美術館はしばらくのあいだ休館しているようだったが、あいていてもこの日に見にいく時間はなかっただろう。そのくらい国立科学博物館だけでも多くの展示があってすべては回れなかった。
 日本館と地球館の二つの棟があって、来たことのあるTさんが言うには地球館のほうがいいんじゃないかということでそちらから回ることにした。一階は海洋生物と、昆虫や植物のフロアだった。ここだけでもかなり盛りだくさんで、標本が腐るほどあって、これあかんわFくん、とMさんはつぶやいた。これは日記に書ききれんわ。クワガタやカブトムシや蝶だとか貝殻を見て、あれがきれいだ、あの色合いがいい、などと言いあった。みんなさまざまな記憶が喚起されて、昔はカブトムシをとって飼っていたとか、地元ではコウモリが田んぼの上を飛ぶとか、蛇はだめだ、蛇は嫌いやねんとか、沖縄行ったときこれと同じ模様の貝殻を集めたとか、前の家で靴をはいたらナナフシが三匹入っていたとか、ヘラクレスオオカブトが子どものころめっちゃ欲しかったとか、色々な思い出話が語られた。オニテナガエビとかオウゴンオニクワガタとか、安直な名前がついているものにオニってつけりゃいいってもんじゃねえぞとMさんと二人で突っこんで笑った。水槽のなかに巨大な脳みたいな肌色のしわしわの物体が浸けられているものがあって、それはクジラだかなんだかの胃だか腸だかよく覚えていないけれどとにかく内臓だったけれど、そこから細いケーブルのようなものが無数に生えていて、なにかといえばそれが寄生虫なのだという。その脇の壁にはやはり腸だかなんだかが伸ばした形で展示されていて、そのいたるところからも植物の芽が生えて育つように寄生虫が出現していて、うねうね動いたりはしていないもののかなりおぞましい光景だった。できれば正視を避けたいくらいグロテスクで、これ置いていいのか、小さい子どもが見たら下手したらトラウマものじゃないかと危惧した。
 地下一階と二階は化石がたくさん置かれてあって、恐竜の化石にはやはりみんな興奮した。こんなに馬鹿でかい生きものがいたなんて信じられなかった。こいつ格好いいよなとか、こいつの顔間抜けやなあとか、ステゴサウルスの背中のあれって一体なんのためにあるんだとか、こいつの尻尾どんだけ長いんだとか、色々言いあった。正直そこらへんの子どもたちより我々のほうがよほど楽しんでいた。Tさんがこちらの方面についてはよく知っていて知識をいくつか披露してくれた。地下二階のほうは三葉虫とか恐竜以前の生物の化石があって、宝石みたいにきれいなやつとか、石のなかに残った生物の影と全体の色合いが美術品みたいになっているやつとかを見て、これいいなあほしいなあと言いあった。岩みたいなアンモナイトの殻の化石があって、こんなでかい貝がいたら恐ろしすぎるわと笑った。通路の両側に大きな化石が揃っている一角があって、そこの天井に二つ長く伸びた魚と蛇の中間みたいな生物の骨にみんな驚いた。二〇メートルくらいはあったのではないか? その下には馬鹿でかい亀が手を広げて飛ぶような姿勢で天井からつるされていて、Mさんはあれマジで格好いいなあと何度も見ていた。
 ここまでですでにかなりお腹いっぱいというか濃密な時間を過ごした感があって疲れたし、実際の胃のほうは空腹だしということで中二階にあるレストランで少し休もうとなった。それなりに広くてきれいなレストランで、メニューは場所にちなんだものがいくつかあった。外に置かれてある看板のオムライスを見た瞬間からそれ以外を食べることは考えられなくなった。Tさんはトマトスパゲッティ、Mさんは迷ったあげく恐竜の足型ハンバーグというものを頼んだが、出てきたハンバーグはちんまりとしたもので、オムライスや、オムライスが正解やったわ、と嘆いた。注文をとったウェイトレスは奇妙に滑舌よくしゃべる人で、まくった袖から見える腕の皮膚は荒れていた。食後もおのおのコーヒーやケーキを頼んでだいぶおしゃべりした。Tさんのこれからについて、Hさんについて、こちらの文章について、Mさんの同級生の写真家についてなど話した。Mさんの以前の職場の同僚の浪費家のおっさんのエピソードがおもしろかった。アイドル狂で、チケットをたくさんためてAKBの握手会に行き、お気に入りの子と何度も握手してきたその帰り道、駅で加山雄三を発見して思わず握手してもらったという。しかもそのとき一緒にいた友人が「若大将」をまちがえて、「アオダイショウや! アオダイショウや!」と叫んでいた、という二段構えの落ちだった。アオダイショウって蛇やん! あの人ほんまだめな人やけど、その話は聞いたときマジで笑えたなあ。
 四時を過ぎてそれじゃまたいきますか、となった。二階は説明を見た感じパスすることにして、三階にあがった。さまざまな獣、哺乳類や鳥の剥製がやはり腐るほどあって、物量で圧倒してくるのがここの基本的な展示方針らしかった。四時半になるとあと三十分で閉館のアナウンスが流れて、そこで五時でしまることを知った。オオワシの凛々しい姿を見て、でっかいなあ格好いいなあ、あいつが一番強いわまちがいない、と言いあった。鳥の剥製のなかでもっとも大きくて、王者の風格が漂っていた。普段鳥を間近でじっくり眺める機会なんてそうないから、スズメとかメジロとか身近な鳥を見ていてもおもしろかった。フロアの中心を占める巨大なガラスケースを取り囲むようにして通路があり、そのなかには鹿や牛や豹などサバンナにいるような動物たちがところ狭しと並べられていて、やっぱり角だよなあ、角があると格好いいよなあと言いあった。その角にもすっと伸びたものや、段になっているものや、いくらかぐねぐねとうねっているものなど色々なかたちがあった。

 別れを交わしたあとには、「我々も階段を下り、向かいのホームに立ったMさんを見た。手に持った赤い本に目を落として集中していた」と見ているが、このとき(……)さんが読んでいた本はおぼえており、ホセ・ドノソの『夜のみだらな鳥』だったはず。たしかあのへんの、やや古めのラテンアメリカ文学集みたいなシリーズは、どれもカバーをはずすと赤い装丁になっていたんではなかったっけ。図書館でならんでいるのを見たおぼえがある。帰りの電車内で、「TさんとはLed Zeppelinの話や民族音楽の話やクラシックの話をした」とあるが、扉際で向かい合ってLed Zeppelinのはなしをしたのはおぼえている。ハードロックの連中のなかでもZeppelinはやっぱりなんかちがって、枠をはみ出すところがあるような気がしておもしろいですよ、みたいなことを言ったとおもう。
 九時五五分くらいになって床を立ち、コンロのうえに置いたままにしてあった煮込みうどんの鍋を加熱。あたたまると椀に一杯よそり、机についてZOOMにログイン。コンピューターはさくばん落とさず、スリープ状態にしただけだったのですぐにはいることができたのだ。すでに(……)さんも(……)さんも来ているのであいさつ。ちょっと飯を食いながら、と言ってうどんをふーふーやりつつすする。その間、本篇のまえに近況を聞いたり、こちらもじつは九月末くらいから体調を崩して、いまもうかなり回復してきたんですけど、と言って、パニック障害のことをはなしたりする。さいしょの発作時のエピソードとか。そこから大学時代に半年間だけ所属していたバンドサークルのはなしとか。雑談としてはあと、これは本篇が終わったあとの終盤に聞いたものだが、(……)さんは変わらずあるく時間を取っており、まいにちかはわからないが基本二時間くらいあるいているというし((たしか職場のある)(……)から最寄りの(……)駅まであるく習慣になったと言っており、一二~三キロあるとかいうはなしだったが、いまWikipediaで調べてみるとたしかに七駅もあって、それを出勤のたびにあるいているのだとしたらやばい)、先日は新宿からはじまって池袋や上野近辺をまわりつつ、横浜まで五五キロ、一〇時間くらいあるいたというからどういうことやねんというwalkaholicぶりをみせている。しかもそのあいだ英検一級の勉強として、英単語をまなぶ音声を聞きつづけており、じっさいいちにちで三〇〇語くらいおぼえましたよというので、それメソッドとして売れますよ、noteとかに記事書いたらいいじゃないですか、とか、ストア派の連中でもそんなにあるきませんよ、なんかあの、ドラゴンボールのさいしょのほうで悟空とクリリンが重しをつけて走り回るあれみたいな、とか、そのあるいてるあいだのことこんど文章にしてくださいよ、エッセイとして書いてくださいよ、とか言った。そういうはなしを聞くと、ストア派を優に超越したストイックぶりに笑いつつ(まあもともとストア派はべつにそういうマッチョなトレーニングみたいなものを志向したわけではないだろうが)、いや、すごいな、いいな、じぶんもやっぱりあるかなきゃな、という気持ちがかき立てられるもので、いま午後四時八分だがこの記述にけりをつけたらあるいて図書館まで行ってこようとおもっている。もっともきょうは休館日のはずなので、書抜きを終えたカフカ全集をブックポストに返すだけのことだが。図書館まで往復すればたぶん一時間半くらいになるはずで、そのくらいだったらじぶんも、あるいていてあっという間だなという感覚なのだけれど、二時間を超えたり三時間くらいになってくると、コンスタントにそこまであるくというレベルはまだまだ遠い。しかし習慣的にそのくらいあるくようになると、じっさいからだはなにかしら変わるだろうなあ。
 通話中のその他のことはあとまわしとして、一二時半前くらいに終えると、ともあれだらだらして脚をほぐすのが肝要だとふたたび布団のうえに逃げて、ウクライナや中国についての英文記事を読んだりしつつ下半身をさらに養生させた。ウクライナのヘルソンでは、ロシアからコンサート(ウクライナの文化省によれば、〈a concert “intended by the occupiers to demonstrate the so-called ‘improvement of peaceful life’ in Kherson”〉)に参加するようもとめられたのを拒否した指揮者が、ロシア軍兵士によって自宅で射殺されたという。腐っているとしか言いようがない。横になっているとちゅう、眠気が湧いてさからえず、Chromebookをかたわらに起き、いくらか目をつぶってあいまいな意識になった時間もあった。あいまいな意識になりつつも、あたまを左右にころがして首から上背部をやわらげたりもする。そうして時刻は二時へ。
 食事。またうどんである。二杯。それにカステラ。カステラは先日両親が来たときにもらった「(……)」のもので、いちおうもらいはしたもののなかなかそれを食べる気になるような胃やからだの調子でもないし、でも賞味期限は一三日だしどうしたもんかなあとおもっていたところ、無事回復してきてきのう食べる気になったので開封した。それを食べてもからだに違和感はもうほぼ生まれなくなっている。胃のひりつきもないし、喉の詰まり感もほぼない。消化がややすすめばこうして気にせず文を書くこともできる。このときの食後は皿を洗ってからしばらく音読し、それからこの記述にとりかかったのが三時半過ぎだった。ここまで書いて四時二〇分。窓外では保育園の子どもたちがにぎやかに騒いでおり、迎えが来たようでそとに出ているひとりが、東公園行く~~! と保護者と問答していたり、雨降ってない! とか、バイバーイ! と言ったり、奇声を発したりしている。
 

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 四時二〇分のあとはまた布団に逃げてちょっとだけ休んでから出かけることにして、身支度をととのえた。服装はいつもの青灰色のズボンに、うえは肌着にブルゾンを羽織るだけでいいだろと横着する。グレンチェックの、河原にころがっているある種の薄色の石や砂のようないろあいのもの。リュックサックに入れるのは財布と携帯と、図書館にかえす本二冊だけ。カフカ全集の一〇巻目と、パティ・スミスの詩集『無垢の予兆』。後者は読んでいないが、まあいいかなとなったので。パソコンを落としたり、Mobile Wi-Fiを切ったり、あと部屋の隅にあるコンセントからケーブルをそれぞれ抜いておいたりして(延長ケーブルと、アンプと、Chromebookのもの)、そうして出発した。部屋を出て階段を下り、簡易ポストをみてみるとなにやら二つ折りにされた冊子がわりと無理やりといった感で差しこまれていて、開けてみてみると行政からの防災ハンドブックなのでこれはいちおう取っておいたほうがよいだろう。その他チラシ類も、さいきんあまりなかったのに、なぜかこの日はたくさん入れられていた。道に出て腕時計で時間をみると四時五五分。向かいの保育園前ではお迎えに来た保護者や子どもが何組か、敷地縁に沿って横にならび、おのおのやりとりしている。左折して路地をすすみ、公園のところで右に折れておもてへ。車道に出て渡ると、街路樹の足もとや歩道にもうけられた窪みに生えた草が刈られた跡がいくつかあったが、そのうちのひとつには酒のものらしきビンなどが放置されており、帰り道でふたたびみたのだけれど、表面にずいぶん草の破片が付着して汚れていたから、あれは刈られたあとからひとが捨てたものではなく、草刈りをするまえにすでに捨てられていたのがあかるみになっても業者が、そこまではおれらのしごとじゃねえとばかりに放置していったのではないか。小さな葉のあつまってやや不格好な直方体をつくっている植えこみにも、雑誌だかなんだかちょっと投棄されてある。駐車場と整形外科、それに薬局の横を過ぎていけば角にひらくのはコンビニで、いま道の向かいから横断歩道をわたってきた三人の、中学生くらいと見えたがスポーティーなかっこうの男子ふたり女子ひとりが別れるところ、じゃあねー、じゃあねー、と交わしたあとこちらに向かってきた男子ひとりは松葉杖をともなっており、ありがとう! と背後のふたりに礼を放って、それを受けた男女のほうはもともと女子が自転車に乗っていたそのうしろに男子があらたに腰掛けて、いまからこちらが向かう西の方面に発っていった。ふたりがはいったのは裏道であり、こちらがあるくのは車道沿いのおもてである。空は曇天、雲にもあたりの空気にも青みがだんだんと忍びこんでたそがれに向かっているおりである。街路樹が配された道中、駐車場の敷地縁に腰掛けている老人がいたが、そのそばにバス停があったので、バスを待っていたのだろう、(……)じゃねえか、なんとかか、などとひとりでつぶやいていた。(……)通りの横断歩道をわたって、さらに前進すると踏切りにかかり、ちょうど開いたところを渡ってきょうは止められなかったが、過ぎたそばからまた鳴り出して間隔がみじかい。そうして病院手前の草に満たされた空き地である。横をあるきながらなかをたびたびみやってみれば、夜にはとうぜん緑ともつかないひとつのおおきなわだかまりである草ぐさも、暮れ方とはいえ大気にまだ闇のないこの時刻にみれば緑にたしょう差異があり、またかたちや背丈もばらついたものがならんでおり、先端の黄色くなった一種もあったが、そうした多様さがみてとられるのもすぐ近くの範囲までで、そのうしろ、もっと向こうに目をやれば草というより毛のような、画家が塗りわたした色のような、ややかすんだ質感の一様な草むらがひろがっているばかり、それがじっさいにそのような似た雑草しか生えていないのか、それとも距離のためにそうみえるだけなのかわからないけれど、ふさふさとしたその草のうえを、風が吹けばなめらかに軽々とよくながれていきそうだった。空き地を過ぎたところで裏へと曲がる。病院の脇を沿うて行くかたちになる。歩行者用と自転車用とにいちおう分かれた歩道のとちゅうでは、植込みの草を刈ったりそのへんの木を剪定したりする業者がはいっていたらしく、風の出る筒を地面に向けて草の屑を吹き飛ばしながらはこんでいったり、箒で掃いたり、まとめたものを引きずったりしている数人がいる。風をあやつるひとりがこちらの行く手ではたらいていたので、その後ろ姿にちかづいていくと、横から会釈をかけながら邪魔にならないように通り抜けた。この道は正面が駅前にあるふたつのマンションの片方にあたり、視界中央のまっすぐさきはマンションの角、側面がぶつかりあって境をなす縦の一辺とちょうど行き当たり、手前の電柱もその縦線のかたわらにおなじまっすぐさで直立している。裏路地に出ると折れてまた西へ。病院裏、もしくはあいまにある公園敷地の縁に何本か生えているキンモクセイの香りが、マスクをつけていても鼻へと送られてくる。月曜日の午後五時台、人通りはおおい印象で、すれ違いあう自転車や、その子が乗るものなのか否か、まだまだちいさなちょこちょこした幼児を横にともないながらベビーカーを押している母親や、我が子を肩車してすすんでいく父親のすがたなどがみられた。(……)通りに出れば車の響きが一気にあたりをさわがせる。右折して方角は北になる。道路は距離をつかってゆるやかにカーブしており、そこを絶え間なくやってくる車のライト群が蛇をかたどったような破線を描き、よほどたそがれてきたとはいえ夜空はまだ湿った水色の範疇にあるから車体は黒さに沈むことなく、皓々とした二つの目ももといを保って、よどみのないなめらかなうごきで推移してきては風音を寄せる。ホテルまえの交差点を渡り、さらにすすむと立体交差にさしかかるあたり、ホテルの裏に細道をはさんでもうひとつ巨大なビルがあって、それもホテルなのかマンションなのか知らないのだが、その脇、こちらがあるいている沿道からはしだいに段上になっていく裏口めいたところに、オレンジ色の、スーツケースやそういったたぐいの旅行者の荷物というよりスタッフが廊下を押してものを回収していくカートのような、箱型のそういう荷物をともなった男性があらわれて、それをどうするでもなくたたずんでしばらく携帯をみやっていた。とちゅうがすこしだけトンネルめいている立体交差では車の擦過音が苛烈なほどの響きをあげて、街で暮らしていればこういう音響も、慣れてしまって意識されないとしても、知らずのうちに心身に圧迫をあたえてストレスとなっているのだろうなとおもった。前後からものによっては危ないほどのスピードで来る自転車が通りやすいようにと、もっぱら道の端に引っこむように寄ってあるく。壁と地面の接するきわにはネコジャラシのたぐいがたくさん生えており、場所によっては左、車道側の端もおなじだが、どれも穂に緑はうつらず栄養が足りないような白茶けた老成ぶりで、おおきさも指の先から第一関節を越える程度、第二関節までは決して達しないつつましさにおさまっていた。立体交差を抜けて当たるいくつもの道の合流点は駅から見ると北口の東方、そこからいちばん太く伸びる目抜き通りを行けば、北口からまっすぐさきの大交差点にいたり、周辺はビルがつらなって繁華なにぎわいとなる。きょうはしかしそこを通らず、高校時代に午後の授業をフケたときなどひとりで図書館へとたどった裏道を再訪してみようとおもっていた。それで合流点を北側に越えると、そこに一本裏路地があるがこれは先日とおったところで、そこよりもさらに裏がれいの道だとわかっていたので、脇の細い口にはいっていく。右側は駐車場、左側はもともとなにかが建っていたようだがいまは地面に大穴があけられて、掘られた内側の壁には板が張られて遺構めいているが、看板があってなにかの建設途中のようだ。バーだのよくわからないこじんまりした飯屋だのを通り過ぎて、建物のあいまの迷路めいた細道を行くが、すぐに右手にあそこだなという雰囲気の道が見えたのでそちらに折れた。その交差部にはこれもまた、こんな裏なのに白いフェンスで囲われて建設途中の高い建物があり、ここにもやはり「建設計画のお知らせ」の看板がかかっている。そうして出た道は、雰囲気としてはたしかにここだなと判じられたが、もとより一五年ほどまえの正確な記憶をもっているわけでもなく、周囲の家や店にみおぼえがあるのか否かもわからない。そのくせ、なんとなくけっこう様変わりしたのではないかとおもったりもする。じっさい、先ほどの建設中のビルほど高い建物などかつては見かけなかった気がする。魚屋があったはずだとそれだけはなぜかおぼえているのだが、見当たらず、けっこう出口にちかいほうに出てしまったからもっと手前だったのかなとおもっていると、ある一軒が小ガレージめいた空間をあけており、さらにそのうえはながい長方形の看板をもちあげるかたちでひっくりかえしたような見た目と見えて、もしかしてここが魚屋だったのではないかという気もされた。水と魚のはいったケースをおもてに置いていたような記憶があるのだけれど、小ガレージ風の空間がその場だったのではないかと。いずれ知りえぬ過去のことだ。すすむと出口前、右手に人家があって、おもての通りがすぐだからせわしなさそうな立地だが、そこの家のひとだろうか道の端をちりとりと箒で掃除している。抜ければ車道にあたって横断歩道、左右どちらをみてもビルのならぶ小通りで、左方まっすぐが駅にあたって、方角は南になる。通りのむかいのビル一階にとんこつラーメンとかみえるのはむかしこんなのあったかなあという感じだが、渡ってその脇をさらにすすむと、右手にいくつか飯屋がならんでいるこの経過路は、ああここはたしかにこんな風だった、友人といっしょのときにもけっこう通ったおぼえがある、とおもった。ふたたび車道の横断歩道につかまる。図書館のある区画はもうすぐそこで、ビルが前方に見えている。あたりは暗んで宵がかっており、右手からは女子高生ふたりがにぎやかにやってきてこちらとおなじく信号を待ち、向かいは高校生か大学生か若い男らが特有の鈍重さとゆるいような口ぶりでなんとか交わしている。渡ってコンビニの脇をはいり、すぐさま抜ければ図書館のビルは通りをはさんで向かい、車のこない隙をつかむと渡って、階段で高架歩廊にのぼると入り口まで行ってブックポストに二冊を入れた。さてそうしてどうしようかな、というところだ。どういうルートで帰るかとおもい、さだまらないうちに歩廊をあるきはじめてしまい、とりあえずホテルを過ぎたところで止まって、駅まで行って南口から帰るか、それかここでモノレール下広場に下りて、東にながれててきとうなところで南下するか、と迷ったすえ、未知の路程を開拓しようと後者に決めて階段をおりた。しかし広場に出たところで気づいたのだが、右折すれば東だとなぜかおもいこんでいたものの、この広場は南北にながく伸びているもので、じっさい駅北口は左方にまっすぐ行ったさきにある。東というのはむしろいまやってきたくだんの裏路地をもどる方向になる。それでふつうに駅を経由して南口方面から帰ることに決めた。それでモノレール下広場を南下して車道沿いに来ると、たまにはしたの道から行くかとおもったが、そのまえにちょっとトイレに行きたいからと(……)のビルにはいって、エスカーレーターで上階へ。ここにあった(……)というスポーツ用品店はつぶれたようだった。その脇をフロア端にすすんでトイレにはいり、小便をはなって手を洗い、ハンカチで拭きながらもどる。Right-onの横を過ぎつつ瞥見すると、店舗のまえに、トレーナーとかセーターみたいなやつが二〇〇〇円そこそこでならべられてあり、Right-onもこちらが高校大学のころなどはぜんぜん垢抜けない、安めなだけでぱっとしない、それこそ芋臭い高校生がすこしお洒落をしてみたいとおもったときに手を出しはじめるような店だった印象なのだが、ここの店舗のまえを通り過ぎるさいに見るかぎりでは、いつからかなんかそこまでわるくなさそうな雰囲気になった。独居となった現状、そう高い服も買ってはいられないし、この店なんかも見てみてよいのかもしれない。あとは古着屋に行きたいのだが、いざ行こうという気にならない。このビルの一階にもいちおうトレジャーファクトリーがはいっていて、いまもっているBANANA REPUBLICのジャケットは新品がなぜかめちゃくちゃ安くなっていたのをそこで掘り出したのだが、この日とおりすぎてもやはり入ろうという気にはならなかった。ビルを出るとけっきょく高架歩廊を行くかたちになってしまった。人波の一片となってすすみ、北改札のまえをとおって南へと出られる通路をえらぶ。ここを抜ければひとびとでごったがえした駅内コンコースにはいらずに済む。街に出てひとの多いなかにいると、情報量が多いためかやはりまだすこし緊張をおぼえるようだったので、これはまだ電車に乗らないほうがよいだろうなというからだの感触だった。通路は幅広で、西側は景観がひらけていてよいながめと言えなくもなく、ストリートで音楽でもやるならよい場所のようにおもわれたが(新宿駅の南口前、甲州街道沿いのあそこのようなイメージ)、ただひとつ、モノレールが頭上に通っていて走行音をたびたび降らしてくるからそれは都合がわるいだろう。南北をわたる通路を抜けると高架歩廊上(ペデストリアン・デッキと呼ばれているものだが)をさらにすすむが、時刻は午後六時、平日六時の(……)駅前というのはこんなにひとがおおかったかという混雑ぶりで、歩廊上ではこちらがわからすすんでいくひとたちが、左右に分かれておなじように列となっている対向者らのあいだを抜けていかなければならないようなありさまだ。その一角はほぼひとで埋め尽くされている。その他のところもずいぶん人出がおおいなという印象で、さっさとしたに下りるにかぎると階段をくだり、(……)通りへと南下、そうして左折すればあとはこの道をまっすぐ西に移動するだけで自宅の至近にいたる。このあたりから雨がはじまっていた。さいしょに一滴、ぽつりと額に来て、だんだん数が増えながらもまだ差すほどではあるまいと持ってきた黒傘を閉ざしていたのだが、弱いうちから一粒一粒がそこそこ大きい感触で、じきに盛るとまでは行かないけれど鬱陶しいくらいになってきたので傘をひらいて頭上をまもった。そうしててくてく西へ。(……)まえの交差点、つまりさきほどそこで折れて立体交差へと北上した(……)通りとの合流点だが、そこまであっという間の感だった。そういえばこのへんに(……)図書館があるんだよなとおもいだし、渡ったところに地図看板があるのでそれを見て、あのへんかと位置を確認しておいた。分館だが、中央にはない本もときにあるだろう。こんど行ってみてもよいかもしれない。
 残りの道行きにたいした印象はない。肌着にブルゾンでも肌寒さは感じられず、雨が降っても冷えず、ちょうどよい空気の手触りだった。ひとつおもいだしたが、(……)通りを過ぎたあたりで前方にバスが停まっているのを見て、ああここにバス停があったのか、とおもいつつ、いやいぜんもここにバス停があるのは見ていたぞとすぐにつづいて、それどころか行きで老人が座っているのにバスを待っているのだなとおもっていたじゃないか、それがここじゃないかと想起されて、にもかかわらず、バスがじっさい停まっているのを見てはじめてここにバス停があるのを知った反応だったじぶんのあたまを不思議におもった。
 帰ってきたのは六時半、だからやはりちょうど一時間半ほどの路程になった。部屋から出ない日がつづいたあとに一時間半あるけばさすがに脚が疲れて、帰ると布団に寝転んでけっこう休んだ。たしかニーチェを読んだはず。夕食はもう麺がほぼなくなったが煮込みうどんの残りの一杯と、冷凍のハンバーグをおかずにパック米。きょうもまた出先で写真を撮るのをわすれていた。携帯をリュックサックに入れていても、そとにいるときに写真を撮るという観念があたまのなかに浮かぶことがない。夕食の支度をしているあいだ、鍋を火にかけて汁物をあたためているときに、またいっぽうで木製皿に入れたハンバーグをレンジで加熱していたが、意識がこの現在に集束した瞬間があり、あ、このいまを撮っておけばいいやとそこで写真のことをおもいだしたので、机上にあった携帯を取って、ながし付近を横から、あるいはななめから撮った。それがしたのいちまいである。20221017, Mon., 195016。

20221017, Mon., 195016

 その後のことはよくおぼえていない。日記を書こうとおもいつつも疲労のために果たせず、けっこうはやい段階で布団に逃げて、休んだらシャワーを浴びようとおもっていたところが意識をうしなっていた。


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  • 「ことば」: 11 - 15
  • 「読みかえし2」: 204 - 207
  • 日記読み: 2021/10/17, Sun. / 2014/3/11, Tue.


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Helen Sullivan, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 236 of the invasion”(2022/10/17, Mon.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/17/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-236-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/17/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-236-of-the-invasion))

Ukraine’s president, Volodymyr Zelenskiy, said a “very severe” situation persists in the eastern Donetsk and Luhansk regions, with the “most difficult” fighting near the town of Bakhmut. The attacks came as Russia’s war in Ukraine nears the eight-month mark.

Pro-Kremlin officials on Sunday blamed Ukraine for a rocket attack that struck the mayor’s office in Donetsk, a city controlled by the separatists, while Ukrainian officials said Russian rocket strikes hit a town near the Zaporizhzhia nuclear power plant, among other targets.

More than 30 settlements across Ukraine have been hit by Russian strikes in the last day, according to the Ukrainian military. Two schools in the southern Zaporizhzhia region were reportedly destroyed in the strikes, which targeted civilian areas.

The Ukrainian military said the estimated number of Russians killed since the start of the war has reached 65,000. Sunday morning’s update from the general staff of the Ukrainian armed forces said the death toll had risen by 300 over the last 24 hours.

In Ukraine, 423 children have been killed since the start of the invasion the office of the Ukrainian prosecutor general said. It added that a further 810 children had been injured in the conflict and that the highest number of child casualties were in the regions of Donetsk, Kharkiv, and Kyiv.

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Russia is “probably incapable of producing advanced munitions at the rate they are being expended”, according to the latest update from the UK Ministry of Defence. The ministry said attacks like those launched across Ukraine on 10 October, in which Russia fired over 80 cruise missiles, represent a “further degradation of Russia’s long-range missile stocks, which is likely to constrain their ability to strike the volume of targets they desire in future”.

US and allied security officials believe Iran has agreed to provide Russia with surface-to-surface missiles and attack drones intended for use in Ukraine. The topic is due to be discussed by EU foreign ministers in a meeting in Luxembourg on Monday. In a statement, the Iranian foreign minister, Hossein Amir-Abdollahian, “emphasised that the Islamic republic of Iran has not and will not provide any weapon to be used in the war in Ukraine”.

The Belarusian defence ministry has said just under 9,000 Russian troops will be stationed in Belarus as part of a “regional grouping” of forces to protect its borders. Last week, the Belarusian president, Alexander Lukashenko, said his troops would be deployed with Russian forces near the Ukrainian border as part of a “joint grouping”, citing what he said were threats from Ukraine and the west.

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US-based thinktank The Institute for the Study of War has said Russia continues to conduct “massive, forced deportations” of Ukrainians that “likely amount to a deliberate ethnic cleansing campaign”. In its latest assessment of the conflict, the Institute for the Study of War notes that Russian officials have “openly admitted to placing children from occupied areas of Ukraine up for adoption with Russian families”.


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Charlotte Higgins and Artem Mazhulin in Kyiv, “Russian troops kill Ukrainian musician for refusing role in Kherson concert”(2022/10/16, Sun.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/16/russian-troops-kill-ukrainian-musician-yuriy-kerpatenko-for-refusing-role-in-kherson-concert(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/16/russian-troops-kill-ukrainian-musician-yuriy-kerpatenko-for-refusing-role-in-kherson-concert))

Russian soldiers have shot dead a Ukrainian musician in his home after he refused to take part in a concert in occupied Kherson, according to the culture ministry in Kyiv.

Conductor Yuriy Kerpatenko declined to take part in a concert “intended by the occupiers to demonstrate the so-called ‘improvement of peaceful life’ in Kherson”, the ministry said in a statement on its Facebook page.

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The novelist Andrey Kurkov, author of Death and the Penguin, said: ““Now the name of Yuriy Kerpatenko will be added to the list of murdered artists of Ukraine. I increasingly think that Russia is not only seeking to occupy Ukrainian territories, but also diligently destroying Ukrainian identity, an important part of which is Ukrainian culture.”

Ukrainian author Oleksandr Mykhed, who joined the military at the outbreak of the war, and whose home was destroyed by Russian shelling, said: “Russia is trying to reconstruct the Soviet Union in the occupied territories. To reconstruct something improbable.

“One of the key components of Soviet policy was the destruction of culture of the enslaved countries. Murder of cultural figures, purging of libraries, banning of national languages.

“The modern occupiers are fully following this strategy. Destroying culture, sports, education.


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Helen Davidson in Taipei, “China’s Communist party congress: everything you need to know”(2022/10/14, Fri.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/14/chinas-communist-party-congress-everything-you-need-to-know(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/14/chinas-communist-party-congress-everything-you-need-to-know))

About 2,300 senior party members gather at the Great Hall of the People in Beijing, ostensibly representing the tens of million party members across China. Of those, there are 200 members of the elite central committee with voting rights, plus another 170 alternates. That committee is responsible for electing the 25-member politburo, of which the seven most powerful are appointed to the politburo standing committee (PSC).

“You make it on to the big committee and then the power flows to you,” said Ryan Manuel, a Hong Kong-based expert on Chinese politics. Manuel said the reshuffle is much like a multinational announcing a mass of senior retirements and the elevation of junior employees to replace them, but with the new job titles held off until the National People’s Congress (NPC) in March.

“After you’ve been bumped up in seniority you’re given a new position to reflect your new status,” Manuel said.

Everyone is ranked and Xi, as general secretary of the central committee, sits atop the pyramid. He also holds the title of chairman of the central military commission, and president of the People’s Republic of China. The first two are up for renewal at the congress but the title of president – which carries the least power despite being the most commonly used internationally – will roll over at next year’s NPC.

General secretary is the most important role, providing near total control of the CCP. There are a litany of other titles, some relating to specific power over various political and security bodies, and others are more symbolic. The 2016 bestowing of “core leader” elevated Xi to the same level as past leaders Mao Zedong, Deng Xiaoping, and Jiang Zemin.

This year analysts are watching out for one potential addition in particular – the resurrection of Mao’s title of “party chairman”. The return of the title would alter the CCP’s power structure, but also create challenges, as described by Dr Ling Li of the University of Vienna.

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Xi had likely hoped for total stability and positivity across China to set a perfect stage for the congress, but that wasn’t to be. In his second term, Xi proclaimed the elimination of extreme poverty in China, launched massive interventions on the excesses of tech, development, and education industries, essentially took control of Hong Kong, and kept the death toll from Covid-19 low. But the economy is in trouble, and the social impacts of zero-Covid have caused frustration. Last month’s military drills around Taiwan also caused some domestic concern, despite general support for the “unification” of Taiwan.

“We know that Xi Jinping is extremely powerful, but this year has also shown that he has vulnerabilities,” said Margaret Lewis, a law professor at Seton Hall University in the US.