2022/10/23, Sun.

 書くことにたいするカフカの告発理由は尽きないようにみえるが、そのすべてはきわめて過敏な調子をおびながら、(end18)おそくともキルケゴール以来よく知られていること、キーツがすでに書き、クライスト、グリルパルツァー、フローベールボードレールリルケその他の多くのもの、そしてたえずトーマス・マンが書きつづけた、芸術家の「実存的不安」に帰着する。カフカからいえば、この存在様式の「悪魔的なところ」とは審美的な事業欲であり、それは家や宮殿を建てるが、人がそこにはいり住むことが肝心なのに、自ら賞讃し、他人からも賞讃されるためにそうするのだ。カフカはブロートあてのあの手紙でいう。「それは、自分の姿または他人の姿のまわりにたえず群れとんで、享楽する虚栄心、享楽欲である。その運動はさまざまで、虚栄心の太陽系が生じるのだが。」 それは詩人的実存の非現実性で、すべての他のはかない人間生活よりもはかない。「永続性」をもたず、「塵から作られたものですらなく」、「享楽欲のこしらえごと」にすぎない。他の人において「自我」であるものが、詩人の場合には、それが今まで一度も [﹅3] 生きたことさえなかったという理由だけでもう、永遠への参加はできない。「ぼくは粘土のままだった」とカフカは書く。「ぼくは火花を火に仕上げないで、ただぼくの死骸を彩飾するために利用しただけだ。」(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、18~19; エーリヒ・ヘラー「まえがき」)




 昨夜はまた休んでいるうちにねむってしまったというれいのパターン。三時か四時ごろにいちどうつつにもどって明かりを落とした。朝になってあいまいに覚める。鼻から息を吐きはじめて、より覚醒に向かう。じきにまぶたもひらいてきて天井のいろに目が行く。カーテンからもれだしているひかりの厚みといろあいからしてきょうはおだやかな晴れ、時刻は七時台かなとはかる。携帯をみてみると七時一〇分。しばらくもぞもぞうごいたり脚を反対の膝にかけてぷらぷら振ったり、あたまを左右にごろごろやったりしてから起き上がった。それがいつだったかはおぼえていないが、たぶん七時四〇分くらいだったのではないか。水だけ飲んでゴロゴロしつつ脚をマッサージすることに。起き上がってカーテンを開け、レースも閉ざさず開けておき、カップに水を一杯そそいでさっと飲むと、しかしここでいったん椅子に座って首をやわらげたような気がしないでもない。だが、どちらでもよい。いずれすぐに床にもどると、日記の読みかえし。一年前も似たような天気らしく、たいした文ではないものの、「ひかりをふんだんにはらみながらも涼しさに締まった空気がさわやかで」などと読んでいると、あああそこの道だ、あの感じだなというのが喚起されて、そのさわやかさの表象だけでちょっときもちがよくなる。

(……)きょうの天気はすがすがしく、ひかりがよくとおってひろがるとともに空には雲がはっきり浮かんで白も青もあかるいが、あとで職場の入り口に立っていたときなどは晴天のわりにぬくみがかんじられず空気が冷たいな、とおもった。このときはしかしひかりのただなかにあったのであたたかく、暖気によって背をなでられながら貧相な沢の脇に立ち、丈の低いケイトウといっしょにそこに植えられた青い花、紫もほんのかすか混ざっているような青さの粒がひかえめにつらなっているそのうえに、あれはモンシロチョウなのかそれすらわからないのだが白い蝶がちょっととまっては飛び立つのを見下ろしながめながら母親を待った。この青い花はリンドウではないかとおもったのだが、いま画像検索したかぎりではすこし違うような気がする。もっと粒がこまかかったような気がするのだ。もっとも、おとろえているような印象もあったので、枯死に向かってちいさくなっていたのかもしれないが。

(……)このときも晴天はつづいており、ひかりをふんだんにはらみながらも涼しさに締まった空気がさわやかで、駅を出るとすぐ坂をくだるのではなく街道沿いの日なたのなかをおだやかさにつつまれながらぶらぶらあるき、(……)さんの家の横から林のなかを抜けて下の道におりた。

 この日は午前から労働だった。帰宅後の言。大仰で笑う。

(……)睡眠がいつもより短いのでやはりすこし眠い感覚はあった。職場にいるあいだも何度かあくびが漏れた。とうぜんといえばとうぜんだが、ふだんだいたい七時間くらいは寝ているわけで、からだがいくらほぐれていてもそのくらい眠らないと眠気自体はすこし湧く。肉体はととのっていて疲れはあまりかんじないけれど、眠さはある、という状態になる。あまりにも自明の理だといわざるをえないが、人間は充分に眠らなければ眠気を完全に解消することはできない生きものなのだ。したがって、短眠法のたぐいなど、その根本からして胡乱げな代物だということになる。睡眠時間をみじかくしてそのぶん自由な時間をかせぎ、やりたいことややらなければならないことをやりたいというのはだれもがかんがえる夢想だろうが、そのような人間の生理に反するせせこましいことを画策せずに、胸を張って猫のように堂々と、七時間八時間九時間とたっぷり惰眠をむさぼろうではないか。それが健康で健全な人間の生というものである。個々人においてそれがゆるされないのだとしたら、それはひとりひとりのひとが悪いのではなく、世が誤っているのだ。史上高名なショートスリーパーたる例外者のことなど放っておくが良い。彼らはおそらく、他人に秘密で昼寝をしたり風呂のなかで眠ったりしていたのだ。

 したのような言も。あとニュース。

(……)そこからふたたび「読みかえし」ノートを読んだ。したがってきょうは264番から279番までたくさん読むことができ、よろしい。リルケの詩がいくつもあったが、詩を声に出して読むとやはりなにか散文の文章とはちがう快楽が生まれる。あれがやはり歌の感覚というものなのだろうか。散文でもそういうふうになることは不可能ではないし、文学だけでなく思想方面の文章、それこそきょう読んだ熊野純彦レヴィナス』の文などは、そういうふうになる契機が比較的起こり得そうだった。そもそもソクラテスプラトン以前においては詩と哲学に区別などなかったのだ。パルメニデスは詩のかたちで存在論を述べたわけだし、ヘラクレイトスなど、断片としてつたえられているそれいぜんの哲学者の文も、だいたい詩的な箴言みたいなかたちだったはず。プラトンの野郎が勝手に、詩人とは真実の模倣物をさらに模倣するいやしい虚偽の徒であると断罪しておとしめたにすぎない。しかし作中にそういう主張を書きつけたプラトンが、もっぱら対話篇という文学的な形式をえらんだというのはどういうことなのか?

     *

食事。新聞、フィリピンのドゥテルテ大統領が苦境に立たされていると。麻薬対策として容疑者を殺しまくった件が司法省の調査を受けており、検死記録がない案件がいくつか確認されたとか。司法省の大臣だか担当者は必要があればさらなる調査をおこなうみたいな言を述べているようで、記事には国民の批判にたいするガス抜き的な意味合いでおこなったのだろうみたいなことが書かれてあったのだけれど、となるとこの報道はドゥテルテがみずから指示してやらせたと見ているのだろうか。それが実情なのか、司法大臣が主導したのか、ほかのうごきがあったのか、よくわからない。いずれにしても、任期を終えても権力を握りつづけようとする姿勢が国民から反発をまねいており、娘のサラを大統領の座につけようという目論見があやうくなりつつあるということだった。

 夜には(……)という近所の飯屋(こちらの同級生である(……)の実家)に行っていた父親が酔っ払って帰ってきて、そのようすに嫌悪をつづっており、とうじは検閲していたのを一年経ったしもういいかと引用しようとおもったが、ふつうにたんなる嫌悪感の表明でしかないので、こういうのはやっぱりあんまりよくないかなとおもって、その後公開はいいかとおもいなおした。べつにわざわざ他人にみせなくても。書いてはあるわけだし。去年くらいになるとあからさまに酔っ払う機会はそこまで多くはなくなっていた印象だが、家でふつうに酒を飲んだり飯を食ってテレビをみたりしていても鬱陶しいことはちがいなく、要はその存在そのものが鬱陶しかったのだけれど、むしろよくあのストレスでパニック障害再発しなかったなとおもう。同居しているとだれだってそういうふうにうざったいところに間近で接しなければならないわけだから、相性が良かったりうまい関係をつくれたりしないと感情がみだされることはおおいとおもうが、距離をとればそういう影響がなくなってにんげんおとなになるものなので、いまはやさしいきもちをすこしはとりもどすことができている。ここ数年のじぶんの父親にたいする嫌悪というのはいかにもエディプス・コンプレックスそのままという感じなのだが、これは、こちらが小中高のころなど父親は仕事で帰りがおそくてそんなに接する時間がおおかったわけではなく、反抗期らしいものも明確にはなかったから、それがおくれてやってきたようなものなのだろうか? などとおもったりもする。
 2014/3/17, Mon.の冒頭は以下のような記述で、まあとうじはがんばっているだろうけれど、どうもつまらんのだよなあとおもう。感応はしているわけだけれど、文はやっぱりまだまだぎこちなくて、大仰でわざとらしいし(いまも大仰でわざとらしい部分はたくさんあるとおもうのだが、というか風景描写なんてごてごてやりがちだけれど、それがたぶんもうならいになったので、その他の部分とそんなに断絶なくおさまっているのではないか)、リズムみたいなものがまだぜんぜん。たぶん、じぶんの文章を口に出して読んでいなかっただろうから。さいごの原初の朝もというのはたしか、磯崎憲一郎の『眼と太陽』のなかで、なんか主人公(話者)だったかそのあいての女性だったかがつとめている工場前の広場だったか、それかふつうに公園だったかで、子どもたちがボール遊びをしているところに日が暮れていく場面があって、そのなかに太古以来変わらぬ空の色うんぬんとかあったとおもうのだけれど、この原初の朝うんぬんを書いたときはそれを連想していた気がする。

 あけたカーテンの隙間から陽の光が射しこみ、棚に置かれた本の前に薄明るい柱を立てた。じっと見ていても変化の瞬間はとらえられないが、ただいつの間にか色みが増していることに気づく。外を眺めると太陽は顔を出したところで、空には繊細なグラデーションが生まれていた。山際の薄紫が徐々に色を捨てたあと、透きとおった純白をほんのわずかにたたえ、また段々と水色に染まって広がっていき、そのなかに燃え立つ日輪はいまはまだ直視を許すけれど、やがて正視できないほどのまばゆさを誇りはじめるだろう。世界が新たに生まれたかのようなほの青い空気のなかで見慣れた町の風景もかくあるべしというもの静かな情緒に沈んでいた。原初の朝もこんな色だったにちがいない。

 れいによってこたえあわせをするが、これですわ。

 もう夏も終わりに近いころのあるとき、トーリが仕事を終えて工場から出て来るのを、駐車場に車を停めて待っていた。工場西側の芝生の広場には、従業員の家族であろう子供たちが遊びに来ていた。太陽はもうすぐ沈む。こういう現象は空気が澄んでいるから起こるのか、それとも高い建物や山がないために地平線ぎりぎりまで太陽が残るからなのか、空は晴れたところも、わずかに雲の残っているところも、そのどちらもが嘘のような、作りものめいたオレンジ色だった。芝生も、工場の壁や駐車場に停めてある車の屋根もフェンスも、夕日が当たっているところはみなオレンジ色を帯びていて、そのオレンジ色のなかで子供たちはさっきからずっとボール遊びをしている。青いタンクトップを着た五歳ぐらいの男(end20)の子は、工場の壁にボールを蹴り上げる。えっ?と思うほど、意外なぐらい高いところまでボールは上がった。壁にぶつかって跳ね返って来たのを直接受け止めようとするのだが、上手くいかない。いったんあきらめかけて、しかしこんどはワンバウンドで受け止めようとしても、下が芝生だからボールが跳ねない。転がっていってしまう。男の子はボールを拾いあげて、律儀にまた元の場所まで走って戻って来て、そしてもう一度、ボールを蹴り上げる。ボールはふたたび工場の壁の高いところに当たって、男の子の近くに落ちてくる。だが、やはり受け止められない。同じ動作をもう一度、二度と繰り返す。
 三歳ぐらいの小さな女の子はピンク色のTシャツを着ている。男の子のボールは黄色なのに対して、女の子は薄い紫色のを持っている。幼い女の子のほうが、黄色ではなく紫色を欲しがったので、男の子は譲ってやったのだろうか。女の子(end21)も男の子のまねをして、いちど両手でボールを軽く持ち上げて、すばやく蹴ろうとするのだが空振りして、かわいそうに尻餅をついてしまう。何度か続けるうちに、たまに足がボールに当たっても、真上には飛んで行かず、芝生の上をゆるゆると転がるだけだ。二人が遊んでいるのを、少し離れたところの小型トラックのわきで、たぶんいちばん上のお姉ちゃんが、立ったまま缶ジュースを片手に、見ている。八歳、九歳ぐらいだろう。彼女は小さな子供たちと一緒に遊ぶわけではないが、かといって離れても行かない。ただなんとなく、見ている。そのお姉ちゃんが見ている足もと、太った中年の女が二人、地べたに直接腰を下ろして、子供たちが遊んでいるのとは反対側を向いて、パンを食べながらお喋りをしている。ストローのささった紙コップが地面に置いてある。
 太陽はいよいよまもなく沈む。いまこの場所にいる彼らはみな聖書の登場人物(end22)めいて見えたが、じっさい彼らが浴びているのは二千年前の人々が浴びたのとまさに同一の太陽から発せられた光に違いなかった。信じがたいことだが、事実そうだった。空のオレンジ色がいっそう濃くなって、工場脇の芝生とその上で遊ぶ子供たちや駐車場の車、電柱、コンクリートの地面までが日没寸前の光の、途切れることのない延長のように見える。空と太陽と地上のあいだの色の違いは、いまこの数分間だけはない。はるか遠くに浮かんだ、あれは森なのか家なのか、黒いシルエットのうえ二ミリほど太陽が残っている。地上に残されたすべてのものがオレンジ色に染まり、それ自身の内部から強い光を放っている。子供たちでさえも光の塊が動いているように見える。と、次の瞬間、太陽はあっさりと、ずっと以前から無きもののように、黒い影のなかに隠れてしまった。すると工場の建物も、車も、地面も、すべてがもとの色に戻ってしまった。いや、もとの色では(end23)ない。強い光がつくった残像なのか、太陽が地上に残した痕跡なのか、かすかに青味がかっている。西の空はまだ十分に明るかったが、芝生のうえの子供たちももはや光を放ってはいなかった。それとも、あの子供たちは――そこではじめて我に返ったように、駐車場に停めた車のなかの私は気づくのだが――もしかしたら、あのピンク色のTシャツの女の子の方は、トーリの娘なのではないだろうか?
 (磯崎憲一郎『眼と太陽』河出書房新社、2008年、20~24)

 「いまこの場所にいる彼らはみな聖書の登場人物(end22)めいて見えたが、じっさい彼らが浴びているのは二千年前の人々が浴びたのとまさに同一の太陽から発せられた光に違いなかった」の部分ですね。Evernoteによれば二〇一四年五月一七日に記事がつくられているか、たしかこのときは再読だったか、それか日付が更新日の設定になっているようなので、じっさいに読んだ時期はもっとまえだったのではないか。磯崎憲一郎も、なんていったっけ? あの双子がチョコレート生産するみたいな。『赤の他人の瓜二つ』か。あれとかちょっと読みかえしてみたい。『電車道』も、けっこういきおいが良かった記憶がある。とくに二章にあたる部分だったか、章ではなかったかもしれないが、なんか電車が導入されたばかりの明治くらいの京都で丁稚の小僧がうんぬんみたいな、あそこはなんか変でおもしろかった記憶がある。
 また、「風呂のなかでは「祝福された貧者の夜に」と題されたMさんのブログ記事を読み、結局自分はきっと根本のところでは感傷も好きだし自分語りも好きで、ただ一方でそれではいけないという思いがあって、日記を書くということは必然的に自分語りにならざるを得ないけれど、それをするのに適切な自分との距離ややり方というのを探しつづけてきていまも探しあぐねているというところだろう、などと考えた記憶がある」とあるが、「祝福された貧者の夜に」というこれはとうじめっちゃ好きで、たしか(……)が京都に来ていたあいだの一日の記事だったはずだから、じっさいにはもうすこしまえ、一三年中の記事だったかとおもうが(七月か八月か九月あたりの三〇日ではなかったか?)、かのじょとの恋愛模様をつづったもので、かなり感傷的だったのだけれど、とうじは感傷に屈することにかけては右に出るものがないセンチメンタリストだったから、すごく好きだった。これを読んで、日記で小説みたいなことができるんだな、じぶんもそういうふうにやりたい、とおもったのだ。この記事だけではないが、日記なのに小説、というそういう感覚をことさらつよくあたえたのがこの日の記事だった。いまからおもえば、小説というより物語かもしれないが。
 その後Guardianでウクライナの概報も読み、さらにひさしぶりに東京新聞にアクセスして日本のニュースもいくらかみておいた。統一教会関連とか。岸田文雄が一日で答弁の重要点(宗教法人法にもとづいて解散請求を出すさいに、刑事事件だけでなく、民法上の「不法行為」が判断の根拠にはいりうるか否か)を修正して、朝令暮改だといわれるくらい迷走しているらしい。立憲民主党は維新の会と共闘をつづける方針。
 寝床をはなれたのが九時ごろ。便所に行ってクソと小便を垂れ流し、水をふたたび飲んで、体操的にからだをうごかしてすじをやわらげたり、背もたれに首をあずけてゴロゴロやったりしてから瞑想をした。九時一七分からはじめてちょうど三〇分ほど。よろしい。安定している。からだがなめらか。ただ、空腹状態で瞑想をやっていると、胃はなんかちょっと胃液を分泌するのか、なんかちょっとひっかかるが。食事へ。キャベツとキュウリと豆腐でサラダをこしらえ、フレンチドレッシングを開封し、そのほかきのうのおでんののこりとソーセージのはさまったナン。ウェブを見ながら食し、大根おろしも少量胃に入れておき、洗い物をすませると(きのう尽きたアイランドドレッシングの容器もよくゆすいでかたづけておいた)、ケトルで白湯をつくり、それをちびちび飲みつつ「読みかえし」ノートを読む。一一時ごろからはじめて、無声音でぶつぶつやっているわけだが、熊野純彦レヴィナス』の記述とかリルケの詩とかなので、こういうのを口に出して読むのはちょっときもちがよく、なんだかんだ正午前までつづけてしまった。261番から277番にあたる。わすれていたが、洗い物をすませた時点で洗濯機に乗せていた水切りケースを床におろし、洗濯をはじめていた。それで音読のとちゅうに洗い終わったので、窓のそとに吊るす。量はすくない。円型ハンガーの洗濯バサミをすべてつかいきるという無駄のなさでタオルや靴下やハンカチを干し、そのほか肌着ワンセットだけ。天気は良い。おだやか。
 そうしてきょうはなんか書抜きをやりたいなというか、なぜかNirvanaとかちょっと聞きたい気がしていたので、まずそれをながしながら書抜きをやることに。『Nevermind』。なんだかんだけっこうよい。”In Bloom”とかけっこう好き。”Come As You Are”とか”Lithium”とかゆうめいどころもよいが。しかしこの一回で満足してしまうといえばそれはそうだ。ユーディット・シャランスキーを三箇所うつして、それで寝床に逃げた。レースのカーテンは閉めているものの、窓はひらいて網戸にしてある。涼しげで、さわやかな気候。そのなかで寝転がって、ニーチェ/川原栄峰訳『この人を見よ 自伝集』(ちくま学芸文庫、一九九四年)を読んだ。一八五九年とか六〇年の記録にはいっている。ニーチェは一五、六歳で、プファルツというところの高等学校にかよっている。五九年のほうは八月中につけた日記がそれなりに載せられてあり、学校生活がどんな感じかとかが書かれてある。キリスト教国なのでとうぜんなのだろうが、早朝に起きてあつまってまず朝の祈りをやるのだ。このあいだ、一二歳の少年ニーチェがクリスマスをたのしみにしている記述が「自伝集」パートのさいしょに出てきて、三〇余年後の「この人を見よ」からの落差がすごいと書いたけれど、そもそもニーチェは牧師の息子として生まれたにんげんだったし、この一〇代のころはふつうにそこそこまじめそうなキリスト教者としての言を日記などにもちらほら書きつけている。本心がどうだったかは知らないが、こういう出自をみると四四歳のころのニーチェの言なんかはじぶんのそういうルーツ全否定という感じで、そのようにとらえるとありがちでわかりやすい自己否定・自己嫌悪の理解になってしまう。幼少時からいろいろ興味をしめしており、一〇歳くらいで作曲もはじめたというが、おなじころ詩にも手を出していて、詩への愛好というのはたぶんその後ずっとつづいたのだろう。じぶんで「詩人哲学者」と言ってもいたし、もともとやっぱりそういう方面のひとだよねという感じ。日記いがいにもこれまでの回顧みたいな文もながながと記しており、そもそもたかだか一五歳くらいでじぶんの来し方をふりかえって文章にするという自己意識が意味わからんのだが(ゴルファーの石川遼も注目されていたころに二〇歳くらいで自伝を出していて、はやいでしょとおもったものだが)、翻訳ではあるけれど分量としても文章としても、やっぱり一五歳の少年がふつう書くもんではないよなというくらいのものではあった。きょうは286からはじめて、いま318まで行っている。
 寝転がっておだやかかつさわやかな空気のなかで脚をほぐしながら本を読んでいるのがたいそうここちよく、カーテンをめくってみてみれば陽射しも窓のそとにふりかかっていて、肌着の黒シャツのうえにパンツの影がうつって宿り、その影の部分は文句なく黒いけれどその外側、それいがいの範囲は、黒シャツだと知っているから黒だと認知してしまうし、じっさいまったく黒くないというわけでもないのだが、ひかりがかかっているためにある種の塵を平面につなげたような、あるいは脱皮した蛇の抜け殻でつくられたカバーが貼られているような感じで、黒といえば黒だけれど白っぽさと二重化された黒になっており、そのためにほんらいの生地の質感よりもごわごわしているような、バッグの表面にでもつかわれそうなざらつきがあって固い素材のように見え、風はそよがずほぼ揺らぎもせず静止状態にとどまっているその黒シャツをみているうちに、ようやく揺れていくらかふくらみ、からだをとおす下部がまるい開口となって、そうするとこんどは釣った魚を入れておく筒状の魚籠をおもわせる。それから背景の空に目を転ずれば、窓枠のかぎりでみられるせまい範囲には煮崩れたような淡い雲が敷かれながらも、それによってかえって軽くさわやいだような水色も透けており、雲のシートはすべてまとめてゆったりと牛歩でうごいているようだった。
 こんな日和だからそとに出てちょっとあるきたいなという気になって、書見に切りをつけて起き上がると近間のストアに買い物に行くことにした。除菌スプレーがほしいという名目もあったので。それで用を足し、水を飲んで、きがえるとすぐ出る。一時五〇分だった。直接店に行くとあゆみがすぐ終わってしまうので遠回りすることにして、アパートを出ると反対の方角にあるきだし、すぐに路地を抜ける。


     *


 出た側は日陰になっており、そちらをちょっとすすんだあと、向かいの日なたのなかにはいって西方面へ。まもなく横道に行き当たり、宅配のおおきなトラックをやりすごして向かいに渡ると、豆腐屋の脇の細道にはいった。マスクをはずして鼻から外気を吸う。空には淡い雲が飛沫のように、あるいはガーゼをほごして薄く伸ばしていったようにところどころ浮遊しているが、太陽をしずめるほどの威力をもつわけがなく、行く裏路地に意外と色濃い家陰もあるけれど、日なたはあかるくあたたかくて、それでいて涼しさもふくんでいるからもはや熱中症を案ずるもないおだやかさ、前方にはカートを押して支えとしながら緩慢にやってくる老婆があり、こちらも歩調ゆるやかに行っていると、一軒の庭木に熟したような、くたりとしたやわらかさに垂れた葉っぱをワインレッドに染めたものがあり、色変わりはまだ不完全な経過の時のさなか、枯淡の臙脂で端正なものも、染まりきらずに濁ったものも、いまだ緑のはずれものもあり、桜もそうだが、こうした過渡期のいろの混淆にはいつでも惹かれるものをおぼえる。幹には抹茶をまぶしたような濃緑がひかりにあかるんでいた。おもてに抜けるとマスクを口にもどして南へ折れる。ここにも日は当たり、涼しいとはいったものの歩道を行くあいだずっと迫られるとさすがに暑くて、熱中症の心配もないはいいすぎだったかなとおもった。質屋のまえでガードレール脇に出ている旗が三本ともばたばたうねっているのだが、肌にはそよぎの感触すら来ない。歩道はタイルというか四角形を組み合わせたデザインで舗装されており、きっとかつてはもっとあざやかな明色だったのだろうが、基調となっている赤銅めいた色の四角は長年歩を受けたことによって劣化したのだろう、なんともいえないくすみが重ねられ、とちゅうにはときどき鈍白のタイルも、あるいはなかをあけた長方形の配置で、あるいは詰めた正方形で差し入って、それらのぜんたいに混ぜられたなにかの骨材が道を行くあいだそこらじゅうでつねにきらきらかがやいて、すぐ足もとをみればきらめきの速度はすばやくさながら蠢きだけれど、視線をちょっとさきにやれば一気に穏和化して、ひとつひとつの光点のあいだもひろくなったそれらがしかし、かわるがわる沈んでは浮かぶように、集団的な瞬間移動のように、一歩を待たずにやはり配置を変じつづけて、一色だけの緩慢な路上の万華鏡を描きつくっていた。この陽射しでおもてを行くのは暑いかなとおもったのでまた裏に折れたが、おもてのほうがむしろ街路樹の陰があったかもしれない。裏は裏でそこそこあるので問題ないが。方向は東で、まっすぐ行けばストアである。道には体育着すがたの女子とか目立った特徴のない男性とか人通りがそれなりにあり、道沿いの一軒ではキンモクセイの生えた庭で老婆が草取りかなにかしていたりする。路地を出ればコンビニまえ、空がひらいて、前方だけでなく首を曲げて頭上をもとめればそのひろさが圧巻であり、青と霧白の共演がダイナミックで、雲があるから余計に空がおおきくうつるのだけれど、その雲はたたえられた水色のなかを線や帯としてながく走ったものがおおく、飛行機雲のほつれた果てなのか、ホースからいっぺんにほとばしり出たような、飛沫が鎖をつくっているかのような、そんな線も二、三、見られた。
 ストアでは除菌スプレーだけでなく、消臭スプレー(リセッシュ)や、ついでにパンとか豆腐とかヨーグルトとか、そろそろ腹も平気になってきたしということで、冷凍のパスタとかも買う。好天にさそわれてアイスも買ってしまった。あと龍角散のど飴のシークワーサー風味。会計。おねがいしますというときの声がぜんぜん出ない。よくよくかんがえたら、文を書いたり、つねにあたまのなかでひとりごとを言っているようなものなので、ぜんぜんそんな感じがしないが、先週の月曜日、つまり一週間前に通話していらい、他人と交わしたことばは六発言くらいで足りるのではないか? いやあれだ、きのう医者に行ったからそこでもうすこし増える。しかしいずれにしても、ほぼ会話をしていない。それでいてしゃべっていないという感覚はない。じぶんに向けてつねにしゃべっているようなもんなんだろう。
 リュックサックとビニール袋に荷物を入れて退店。暑い。ブルゾンの袖をまくる。車のない隙に道をわたって裏へ。この陽気だからアパートであれ一軒家であれ、おおくの家でベランダに洗濯物や布団が干してあった。こちらの部屋も同様である。裏道で一軒から自転車で乗り出してきた男性があり、つづいて息子らしき高校生くらいの男子もおなじように出てきて、こちらのまえで止まったのはちょっとぶつかりそうだったのかもしれない。なんとか父親と交わしていたが、いっしょにサイクリングに出るのだとしたら仲が良い親子だ。部屋にいても、親子かどうかは知れないが、どうもあたりを自転車で散策しているらしいなという声や音がけっこう聞こえる。こっちに行くとどうとか、信じるよとか、ルートをはなして決めているような会話だ。公園前では日焼けした辛子色になってくしゃりと丸まった葉っぱが散らばりだしていた。アパートへとすすむあいだ横にひらく細道のうえにのぞく空にはやはり雲があって、ほとんど蒸発しかけみたいな実体の希薄な母体から筆で引き乱したように、触手めいて、それか植物の蔓とか繊毛めいて、ちょっとふさふさとしたような曲線が無数に湧いているものが目についた。


     *


 この日のことはあと、翻訳したJames Joyce, Ulyssesにふれておきたい。

 Buck Mulligan frowned at the lather on his razorblade. He hopped down from his perch and began to search his trouser pockets hastily.

 ―Scutter! he cried thickly.

 He came over to the gunrest and, thrusting a hand into Stephen’s upper pocket, said:

 ―Lend us a loan of your noserag to wipe my razor.

 Stephen suffered him to pull out and hold up on show by its corner a dirty crumpled handkerchief. Buck Mulligan wiped the razorblade neatly. Then, gazing over the handkerchief, he said:

 ―The bard’s noserag! A new art colour for our Irish poets: snotgreen. You can almost taste it, can’t you?

 He mounted to the parapet again and gazed out over Dublin bay, his fair oakpale hair stirring slightly.

 ―God! he said quietly. Isn’t the sea what Algy calls it: a great sweet mother? The snotgreen sea. The scrotumtightening sea. Epi oinopa ponton. Ah, Dedalus, the Greeks! I must teach you. You must read them in the original. Thalatta! Thalatta! She is our great sweet mother. Come and look.

 Stephen stood up and went over to the parapet. Leaning on it he looked down on the water and on the mailboat clearing the harbourmouth of Kingstown.

 ―Our mighty mother! Buck Mulligan said.



 バック・マリガンはしかめっ面で剃刀の刃に乗った石鹸の泡を見やった。座っていた胸壁の上からひょいっと飛び下りると、ズボンのポケットをせわしなく、ごそごそやりはじめる。
 ――ビチグソ野郎が! と野太い詰まり声でわめいた。
 それから砲座のところに来ると、片手をスティーヴンの胸ポケットに突っこんで言った。
 ――お鼻拭きをちょっくら拝借、剃刀を拭いたくってね。
 スティーヴンが好きにさせてやると、バック・マリガンはしわくちゃの汚いハンカチを引っぱり出して、これ見よがしに端をつまみあげた。剃刀の刃をきっちり拭ってきれいにする。そうして、ハンカチをまじまじとながめて言うには、
 ――こりゃ、詠い人 [うたいびと] のお鼻拭きだな! われらがアイルランドの詩人どもに似つかわしい、あたらしき芸術の色。青っ洟緑だ。味見でもしてみたらどうだ、な?
 彼はふたたび胸壁に登ると、ダブリン湾にまなざしを放った。淡い楢色まじりの金髪が、かすかに揺らぐ。
 ――いやはや! とおだやかに口にした。海ってえのは、アルジーが言ってたとおりじゃないか? 大いなる麗しの母だと。青っ洟緑の海。玉袋縮み上がる洋 [よう] 、ってとこだ。葡萄酒色の海の上にて [エピ・オイノパ・ポントン] 。なあ、ディーダラス、ギリシャ人だよ! おまえに教えてやる。原文で読まなくっちゃだめさ。大海よ [ターラッター] ! 大海よ [タッラッター] ! ってな。 [別案: おお海原! おお海原! ってな。] われらが大いなる麗しの母だぜ。ほら、見てみろ。
 スティーヴンは立ち上がって、胸壁に寄った。もたれかかると海面を、そしてキングスタウンの湾口を抜けていく郵便船を見下ろす。
 ――われらが

 とはいってもこまかく註釈をつけていくのもめんどうくさい。ほんとうはそうしようとおもっていたのだが。(……)さんがLINEに画像を貼ってくれた柳瀬尚紀の訳を参考にして、けっこういい感じで訳せた気はするのだが、おおきなポイントとなるのは、scutterと、the scrotumtightening seaと、Thalattaの三つか。scutterというのは「ビチグソ野郎が!」という罵倒にしたのだけれど、これはむずかしい。まずもってscutterをふつうに調べると、英方言でscurryとおなじだとあって、そのscurryというのは、ちょこまか走るとか、くるくると舞うみたいな意味なわけだ。しかしそれをこの文脈にあてはめると、どういうこと? となる。柳瀬尚紀はそのへんさすがにうまく、「このおっちょこちょい!」とか訳していたとおもう。石鹸のついた剃刀をぬぐおうとしてもハンカチを持ってきわすれていて見つからないこと、もしくはわすれてきたじぶんにたいする悪態のセリフで、scurryの「ちょこまか」みたいなニュアンスもしくは音も生かしてあるわけだろう。しかしそうはいっても、そういう意味の語で悪態になるの? というのがわからない。それで調べると出てくるもういっぽうの意味、thin excrementすなわち「細い排泄物」にしたがおうとおもった。要するにこれは、「くそったれ!」と言っているのとほぼおなじだと理解したわけだ。Wiktionaryによれば細い糞便の意味で、2001年の用例として、〈Cows were always scuttering: they left mounds and trails of scutter all over the place.〉(Ciaran O'Driscoll, A Runner Among Falling Leaves)というのが例示されている(動詞の欄のほうには、一五六五年の古い詩(Alois Brandl (ed.), King Daryus)の例もしめされている)。そのほか検索しているうちにどこかで、なんか水っぽいみたいな、下痢とおなじみたいな説明も見かけていた。いまdiarrhoeaとscutterで検索してみると、このページ(https://www.urbandictionary.com/define.php?term=Scutters(https://www.urbandictionary.com/define.php?term=Scutters))が出てきたが、これだ。”An Irish slang word meaning runny poo or diarrhoea.”とあって、このUrban Dictionaryというサイトがどれだけ信用できるのかわからないけれど、これをみて、下痢ってことはじゃあビチグソじゃん、とおもったのだ。それで「ビチグソ野郎!」とした。「野郎!」をつけてしまうと、じぶんいがいの対象に言っている感がつよくなって、「くそったれ!」に近いほうがほんとうは良いのだけれど、「ビチグソったれ!」もむずかしいだろうとおもったので。
 その後、「お鼻拭きをちょっくら拝借」などという口調にしたり、吟遊詩人(bard)を「詠い人」にしたのはまあまあかなとおもうが、the scrotumtightening seaを「玉袋縮み上がる洋 [よう] 」と駄洒落にしてしまったのは、ほんとうはやりすぎだなとおもっている。しかしどうしてもこう言っているようにおもえてしまって。scrotumというのは「陰嚢」のことらしい。だから、チンコのついている男性には高いところからしたを見たり、逆に馬鹿でかい木を見上げたりしたときによくあることかとおもうが、広大な海をまえにして、いわゆる金玉がヒュンとなるようなあの不安の感覚を言っているんだろうと。「金玉」と言ってもべつによかろうし、丸谷才一らはじっさいそうしていて、柳瀬のほうは「睾丸」としていたとおもうが、解剖学的に厳密を期すならば「陰嚢」は袋のほうであって睾丸そのものではない(日本語の「金玉」はどちらもふくんでいるようにおもえるが)。くわえて物理的にも、縮み上がるのはなかみの玉ではなくて袋のほうなはずだ(睾丸もいくらか縮むのだろうか?)。なおかつ、辞書では「《医》陰嚢」と出てくるのだから、これはやや硬い語のはずである(柳瀬尚紀はその点を考慮して「睾丸」にしたのかもしれない)。とすれば「金玉」は軽い。「玉袋」がじゃあ硬いかというと困るけれど、ここではこれがベストだろうと。
 あとThalatta! Thalatta! は典拠があって、検索すればすぐ出てくるが、クセノフォンの『アナバシス』という著作にそういう場面があるらしい。この本はWikipediaによると、「クセノポンがペルシア王の子キュロスが雇ったギリシア傭兵に参加した時の顛末を記した書物である」というが、Thalatta!というのはthe sea!ということで、英語版のWikipediaをみると(この文言で記事がつくられている)、ギリシャ人たちが敗走して山を越えたあとに黒海をみてそういう叫びを発したとのことだ。柳瀬尚紀はこれを、「洋々と! 洋々と!」として、「ターラッター」のルビをふっていた。aの音のくりかえし、くわえてtaの発音が二回出てくる点をかんがみて、日本語でもそういう響きの訳をかんがえたのだろう。けれど、もともとの文脈を尊重するならば、the sea! the sea!なわけで、これは名詞である。「海だ! 海だ!」と言っているわけだ。だから二〇〇〇年いじょうの時をこえてべつの文脈にもちこまれているとはいえ、副詞にしてしまってよいのかなあとおもったので、こちらは名詞の感嘆で訳すことをえらんだ。そうなると響きからして許容できるのは、「大海よ!」か、「おお海原!」くらいしかおもいつかない(Thalattaは古いギリシャ語なわけだから、古語の「わだつみ」「わたつうみ」もおもったが、さすがに音の面をクリアできない――と判断していたが、「ああ、わたつみ!」とかなら行けるかもしれない)。「大海よ」はいちおう「たいかい」でおなじ母音を踏んではいる。「おお海原」のほうはそういうのはないが、まあ感嘆っぽいかなと。意味はないが、ここでも「大海原」との駄洒落にもできる。
 あとそういえばこの日はひさしぶりに、ギターでてきとうにやっているのを携帯で録音して、noteにあげておいた。これ(https://note.com/diary20210704/n/n26a4b4631b4f(https://note.com/diary20210704/n/n26a4b4631b4f))。三四分ほど。
 

―――――

  • 「ことば」: 16 - 20
  • 「読みかえし2」: 261 - 277, 278 - 286
  • 日記読み: 2021/10/23, Sat. / 2014/3/17, Mon.


ーーーーー


Joe Middleton, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 241 of the invasion”(2022/10/22, Sat.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/22/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-241-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/22/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-241-of-the-invasion))

The Ukrainian president, Volodymyr Zelenskiy, said that Russia launched 36 rockets in a “massive attack” on Ukraine. In a post on Telegram he said that most of the missiles fired overnight were shot down by the country’s air defence systems.

     *

Hundreds of thousands of people in central and western Ukraine woke up today to power outages and periodic bursts of gunfire, as Ukrainian air defence tried to shoot down drones and incoming missiles. Kira Rudik, a member of the Ukrainian parliament, says 1.5 million people are without electricity after Russian strikes against power stations on Saturday.