2022/10/29, Sat.

 (……)ところで朝は普通より早くおこされました。というのは、うちで家庭教師をしている女性が飛びこんできて、叫び声を、夢うつつにきいたところではそれこそ母親のような叫び声をあげて、私の妹が真夜中すぎに女の子を生んだと知らせたのです。私はなおしばらくベッドにいて――必要なときでも、わざわざ私をおこすということはありませんが、どのドアを通してもきこえる騒音で目がさめます――うちの家庭教師がこの出産にいだいた優しい関心が理解できませんでした。だって、兄妹であり伯父である私がすこしの親しみも感じないで、嫉妬だけ、狂おしいほどの嫉妬だけを妹にたいし、というよりむしろ義弟にたいして感じたのですから。というのは、私はけっして子供をもつことはないでしょう。それはきわめて確実で、それに比べると――(私はもっと大きな不幸を無益に述べるつもりはありません)。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、69; 一九一二年一一月八日)




 いま午後九時四四分。きょうは(……)くんと(……)で会ってギターを弾いたりだべったり。帰ってきたのは七時前くらいで、安息の聖地である寝床で休んだあとに野菜スープを鍋にしこんでじっくり煮はじめ、いまも煮ているのだが、そのあいだにきのうのことを記述して完成。しあげた。投稿。BGMとしてきのう録ったギター演奏をながしており、きのう聞いたときにはあんまりとおもったのだが、きょう聞いてみると意外とよく感じてしまう。こういうたぐいの演奏なら、もうどう弾いてもなんかそこそこよく感じられてしまうのではないか? ミスとかリズム的なよれとかもろもろつたないところは多々あるにしても、こういう種類のものなので、なにを弾いてもまちがいにはならないというか。ひとりで自己完結的に、閉鎖的にやっているだけだし。技術的な正確さとかは措いて、あんまり質の基準がわからない。フリーインプロヴィゼーション方面のひとってそのあたりをどう判断しているのだろう。しかしてきとうに弾いてこれくらい楽しめるのだから、今後もたびたび弾いて録って、アーカイヴしていきたいな。五年くらいやればそこそこおもしろい演奏ができるようになっているんじゃないか。いっぽうでいいかげん曲もやらなければというきもちもあるが、それはきょう(……)くんと会って、なんかスタンダード的なやつ一曲決めてふたりでできるように練習しようぜというはなしになったので、それを機会とする。じぶんできちんと曲をつくったり、あるいは既存の曲を弾けるように練習せずに、手慰みをやっているだけというのは、日記ばかり書いて正式な作品を一向につくろうとしないというじぶんの文筆活動とおなじことなのだろう。いちおうさいきんは詩を正式なつもりでちょっとつくるようにはなっているが。
 そういえば日記を書き出すまえ、九時過ぎに、(……)さんに一一月からじょじょに復帰したいとのメールを送っておいた。
 覚醒は七時過ぎで起床は九時ごろ。寝床で読んだ過去日記からの引用。一年前はまずしたのようなことを言っている。

いま帰宅後の一一時まえ。(……)が一〇月二二日の「(……)」で、「『ロル・V・シュタインの歓喜』(マルグリット・デュラス)についての講義で、精神分析的な用語を用いずに、精神分析的な考え方を導くにはどうしたらいいのか考えている。精神分析の理論を用いて小説を解読するのではなく、小説のなかから精神分析的な考え方がたちあがってくるのを、あくまで小説の形、小説の流れに沿った形で、小説の言葉を用いて掴み出したい」と書いているが、こちらはこういうようなことを『双生』でやりたいとおもっていた。あの小説は実際上、精神分析理論の知見にいくらかなりともとづいて書かれたわけだが、こちらは精神分析理論をよく知らないのでそもそもそれを利用した読解はできないし、具体的なテクストの外部からすでに確立された理論体系を援用して(言ってみればある種、パッチを当てて、というか)作品を変換し、通りの良い論述=物語をつくっても、それはなんかなあ、という気がしてしまう。多くの批評というのはわりとそういう向きなのかもしれないし、そのとき作品に当てる解読コード(意味や認識の体系)が文学理論のように整然とまとまったり、きわだった方法論としてととのったりしていないだけで、みんな文を読むときには、おのおのが持っている不完全で無数のほころびをはらんだある種の「理論」でおなじことをやらざるをえないのかもしれないが、ともかくもやはりそこに書かれていることばになるべくもとづいて、その範囲でわかることや生まれることをまずは見極めたいというのがこちらの欲求だ。とはいえ、蓮實重彦が『夏目漱石論』の一部でやっているようなこともなんかちがうかな、という気もする。つまり、「雨」だったか「水」だったか、意味や概念としてのそれ(たとえば雨の風景の描写とか)ではなく、「雨」という一語自体が書きこまれるとかならず作品の展開に変化が起こっている、みたいなことがあのなかのどこかで分析されていたとおもうのだけれど、そしてその発見や、ほとんど実直というべき読み取りの姿勢はすごいとおもうし、第一段階としてまずはそうあるべきだとはおもうのだけれど、それはそれで完全にはしっくりこない感じもある。蓮實重彦的には、そもそもそういう表層の読解が終わらないというのが文学であり、また映画だとかんがえられているはずだから、第一段階どころか読むというのは徹頭徹尾そういう愚直な苦役と労働の永続であるということになるのかもしれないが、ここで、表層的にわかる情報の範囲で果たして「読解」もしくは「解読」、あるいは「批評」が成り立つのだろうか? という疑問が生じる。そういうテクストもあるだろうが、そうではないテクストもあるはずで、あまり表層にこだわりすぎても、そこから論=物語にひろがっていけないということは往々にしてあるだろう。たとえば「雨」という一語がここに書かれてある、作品全体をとおしてそれはいくつ書きこまれている、その配置はこうなっている、というところまではまさしく客観的な観察として、すべての読者に共有されるはずである。これが真なる意味での表層だろう。ただ、そのあいだや周辺のほかの語とのあいだにどういう関係が生じているかとか、どういう機能を果たしているかとか、あるいは「雨」をそのことばそのものではなくテーマとして読むかとか(そうするなら、たとえば「水」とか「湿り気」とか、類似の、また拡張的なほかのテーマとつながっていき、体系が生まれるだろう)、そういった方向に思考をめぐらして、語と語のつながりをかんがえるとなると、読み手によるなんらかの補填はかならずいるのではないか。読むこととは(誤読・誤解であれ、正しいとされうる読みであれ)避けがたくなんらかの変換や翻訳・組み換えなのだとおもうし、カードの位置をずらしたりそれを裏返したりするようなその思考のはたらきは、最小の、語や文のレベルでつねに自動的に生まれているだろう。その最小単位での翻訳・組み換えが集積して、ときには連関したりときにはしなかったりした結果、総合的な作品の読みというのが成り立つはずで、大小もろもろの翻訳・組み換えや連関のありかたをある程度意識的にあやつったり、おぎなったりして基本的には統一的で一貫した認識体系をつくりあげるというのが批評と呼ばれる営為だとおもう。こうして書いてみるとあたりまえのことしか言っていないというか、なにを書いておきたかったのかよくわからなくなってきたのだが、もろもろかんがえていると、表層を読むとか解釈をするしないとか言ったときに、表層とは解釈とはどこまでがそうでどこからがそうでないのか? とか、そこに書かれてあることばにもとづくと言って、それはいったい……? みたいな困惑がもたげてくる。

 天気や風景方面は以下。ひとつめはたいしたものではないが、やはりあかるい空気が想起されてしまってああいいなあとなる。きょうの天気もかなり良かったが。ふたつめもべつにどうというものでもないが、蜘蛛の巣を「くしゃくしゃにしたビニール袋の表面みたいな線条」とたとえているのはちょっとだけよい。

皿と風呂を洗う。きょうは風がながれてさわやかな日で、風呂場の窓をあけるとあまねく日なたにつつまれた道路のうえで黄みがかった落ち葉がちいさな円舞を演じたりまっすぐ走ったりしているのが見られたし、離床後に水場からもどってきたさいに自室の窓をあけたときにも草葉を揺らすひびきとともに涼しさが部屋に差しこまれた。

     *

勤務へは徒歩で行った。三時過ぎに出発。この日もそうとうに天気が良かったので気持ちも良かったが、時刻が三時をこえて太陽がかたむきはじめたこともあろうし、前日よりも気温が低かったのかもしれないが、ながれる空気にはあきらかに冷たさがふくまれており、日なたにいれば暑くなるものの、そうでなければそこまで温和でもないようだった。坂にはいりながら川のほうにちょっと目をやる。あまり見ずに過ぎてしまったが、水はかなり深い緑、めちゃくちゃ濃い抹茶みたいなビリジアンを溶かして底に沈めており、いくらか波打ちながらも同時に鏡のようななめらかさでその色をおもてにあらわしていた。街道ではきょうも道路工事。蛍光テープが貼られたベストを身につけてヘルメットをかぶるとともに厚ぼったいような服を着た交通整理員らのひとりがもうだいぶ年嵩と見える女性だった。裏通りにはいるあたりで暑くなってきたのでジャケットを脱ぎ、バッグをつかむ右手の前腕にかけるようなかたちでいっしょに持っていく。空はきょうも雲をゆるさないきよらかな青の領域で、おもてから折れてさらに路地に折れてはいる角のところでおおきな蜘蛛が宙にこしらえた巣の糸が、くしゃくしゃにしたビニール袋の表面みたいな線条を水色のなかにきざんでいた。裏通りをあるいているとちゅう、うしろから抜かしてきた男性があって、見れば茶色のベストにワイシャツにスラックス、脱いだ上着をバッグを持ち運ぶ右腕にかけて、と、こちらとおなじ格好、おなじスタイルだった。髪はみじかく刈られており、歳は後ろ姿を見たところではこちらよりも上、靴だけはたしか黒で光沢を帯びており、こちらのものよりもよほど高そうで、鞄は衣服とはちがう質だがやはり褐色でそう大きくはなく、こちらもいくらか年季がはいった風合いで高そうに見えた。白猫は不在。そこを過ぎたあたりで前方から下校する小学生がつぎつぎとあらわれはじめた。

 2014/3/23, Sun.からはいちおうしたの部分を引いておいてやってもいいかなというくらい。感受の対象や感受のしかたが七年後と変わっていない。

 風のある日だった。林のなかをいつもどおり上がっていると、突然風が吹いて、ざわざわと揺れる木々に囲まれた。濃い緑の生命感あふれる葉は光を宿してさらに鮮やかさを増し、風を受けてひらめくと白い輝きをまき散らした。駅向かいの石段の上にはネギの畑があり、そのそばに梅の木が二本立っている。幹はY字に分かれてそこからさらにいくつか分岐して、先には花火のように白梅が咲きほこっていた。ごつごつとした質感が離れても見てとれる幹はよくよく見つめてみると驚くほど腕に似ていて、その曲がり具合はちょうど肘を曲げているように見えたが、指にあたる部分は人間の手にしては不気味に歪んでいて、悪魔の手というものがあったらこんな感じだろうかと想像した。(……)

 Guardianも読んだ。モンドリアンの絵がながねん上下逆で飾られていたという記事があって、さすがだなとちょっと笑ってしまったし、あんな感じの絵ならもうどっちでもいいじゃんとおもったが、そうたんじゅんではなく、解釈や写真資料などからこっちがうえだというのが確定できるようだ。しかし、だからといっていまさらただしい上下で飾っても、重力のかかる向きが変わってしまうからテープが剝がれてしまいかねないとかで、今後もいままでとおなじ反対の飾り方がなされるという。Philip Oltermann in Hamburg, “Mondrian painting has been hanging upside down for 75 years”(2022/10/28, Fri.)(https://www.theguardian.com/artanddesign/2022/oct/28/mondrian-painting-has-been-hanging-upside-down-for-75-years(https://www.theguardian.com/artanddesign/2022/oct/28/mondrian-painting-has-been-hanging-upside-down-for-75-years))というのがその記事。
 Ed Pilkington in New York, “Paul Pelosi, husband of Nancy Pelosi, in hospital with skull fracture after attack”(2022/10/28, Fri.)(https://www.theguardian.com/us-news/2022/oct/28/paul-pelosi-nancy-pelosi-attack-san-francisco-home(https://www.theguardian.com/us-news/2022/oct/28/paul-pelosi-nancy-pelosi-attack-san-francisco-home))も。ナンシー・ペロシの夫が家で暴漢におそわれたという。妻のほうは不在。下手人はWhere’s Nancy?と言っていたといい、これは二〇二一年一月六日に米議会議事堂に押し入った連中らも口にしていたことばで、まあ特殊ではなくふつうのことばではあるけれど、象徴的に響き交わすものではあり、そしてじっさい今回の下手人もFacebookなどの投稿をみるにさまざまな陰謀説を奉じていたといい、だからおそらく選挙不正とトランプの勝利を信じていたのだろう。ブログのバナーが“Welcome to Big Brothers Censorship Hell”となっていたというのは、民主党や左派がそういう監視国家(おそらくアメリカではそれが共産主義と同一視され、左派的なものといえばすぐにそちらにむすびつける左派アレルギーみたいなものがけっこう行き渡っているのではないか)をつくろうとしているということだろう。
 あとこれはきのうとちゅうまで読み、帰宅後にさいごまで読んだやつだが、Thomas Zimmer, “Republicans always choose radicalization to energize their electoral base”(2022/10/22, Sat.)(https://www.theguardian.com/us-news/2022/oct/22/republicans-january-6-trumpism-radicalization-voters(https://www.theguardian.com/us-news/2022/oct/22/republicans-january-6-trumpism-radicalization-voters))という記事がいうには、米共和党が危機のときに過激派を利用しようとするのは一月六日の事件にはじまったことではなくいままでずっとそうで、しかしそのたびかれらはそのちからをコントロールすることができていない、というはなしだ。だからトランプおよびその支持者へのもたれかかりはあたらしいものではなく、共和党の既定路線だというのだが、過去の共和党の戦略がどういうものだったのか、どういうことが起こったり展開したりしたのかというのが具体的に書かれていないので、そのへんをむしろ知りたい。ただそれは文中にリンクされていた、”How conservative revolutionaries in the 1990s paved the way for Trump’s populist politics, with Nicole Hemmer”(https://www.niskanencenter.org/how-conservative-revolutionaries-in-the-1990s-paved-the-way-for-trumps-populist-politics/(https://www.niskanencenter.org/how-conservative-revolutionaries-in-the-1990s-paved-the-way-for-trumps-populist-politics/))という記事で詳しく語られていそう。このNiskanen Centerというサイトもぜんぜん知らなかったが、なんかすごそう。


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 家を出発したのは一時四〇分くらい。きょうの外出というのは、きのう(……)くんからLINEで、今週の土日空いているか、カラオケ行きたいとかまえに言ってたよねとメッセージが来て、カラオケはたしかに行きたい、歌はうたいたいし、もし(……)に出向くことになれば電車に乗る機会をつくって感じをたしかめることもできるし、ふつうに会おうとおもって、三〇日の日曜日は用事があるがあしたなら行けるとこたえていたところ、きょうになって(……)が音源の聞き直しをして耳が敏感になっているからカラオケは来週か再来週にしてほしいと言ってきたので、それなら(……)くんとおれとふたりで遊ぶかと提案し、了承されたかたち。二時ごろに(……)に集合と言っておいたが、間に合わなくなったので、これからあるいていくから二時一五分くらいになると出る直前に送っておいた。
 寝床を発ってからのことはたいして記憶にないが、いちどめの食事はさくばんの煮込みうどんののこりを食べて、出るまえ、一時くらいにも、ヤクをもう一錠飲むには腹になにか入れたほうがよいだろうとおもい、豆腐と即席の味噌汁(あさり)を食した。外出までに音読したり、シャワーを浴びたり。
 服装はジャケットを着るのもなんかなあ、からだが重くなるしなあとおもって芸もなくブルゾンだが、さすがに肌着にブルゾンだけではさむいだろうとおもわれたから、シャツも着る。さいしょ、アイロンをかけていないGLOBAL WORKのカラフルなやつを着ればいいやとおもったのだが、アイロンかけてないしやっぱりこっちの暗いやつでいいかと変えて、したはいつものブルーグレー。ベルトをいちおうつけたのだけれど、このベルトは腰回りをじゅうぶん締められるほどの位置に穴が空いておらず、ほぼ意味がない。むしろ重くなるからつけないほうがかえってよかったかもしれない。穴をあけるか、べつのベルトを調達するか、腹回りをもうすこし太くするかしたい。スーツのスラックスもふくめていま手もとにあるボトムスはぜんぶゆるいんだよな。
 ギターも重くなるしとおもって持たなかったが、(……)くんはアコギを持ってきていたので(「暗黙の了解で」と言っていた)、それならじぶんも持っていったほうがおもしろかった。部屋を抜けてアパートを出ると左折、南方面へ。微風がながれ、出てすぐ向かいの、庭に草がたくさん茂っている家の、その草ぐさの端のほうにあるススキがもうそこそこ背を高くして、穂をゆらがせていた。公園の縁に立った樹々には横からひかりがかかって、しずかにさわぐ葉たちが濃緑と光点を二重化し、きらきらと、はじきとばすまではなくおだやかに、その場にとどめつつふるえている。そこで右折。細道はしずかである。出口、車道に面した細長い畑のまえに、主の老人がスコップかなにかもって、顔をうつむかせ立ち尽くしながらちょっと作業をしており、ときおりスコップがなにかにあたる音が立つ。車道を向かいにうつって曲がりながら越えてきた左手を見返すと、家の入り口には夫人もいて、あたまには白くてぜんたいにつばのあるちいさな帽子を乗せており、そこだけみると畑仕事の風でもないが、衣服は上下とも真っ黒なそれらしいものを身にまとい、なにか菜っ葉を手にしてうごかしていた。すすむ向きはふたたび南になっている。大気はさわやかで、締まりのあるすずしさと陽射しのあたたかさが同居し、ときに混じりときに混じらず分離したまま身にふれてくる秋のなかばの冴えた麗朗、かがやかしさが水をぶっかけたように視界を横切ったり、整形外科と薬局のまえに停まっている車の白いボディに、これでもかというくらいに太陽が集束して、星が生まれるときか死滅するときのような四方にひろがる光線をひとみの域にきざんだりする。角のコンビニに寄った。水道の料金を払うためである。はいるとすぐ折れて外周を行き、後方から通路にはいってレジまえにならぶ。セルフレジと有人とに分かれているが、公共料金の支払いはセルフのほうでできるものなのか、いずれいまだ現金の徒なのでそちらはつかえない。まえにいた女子は近間の(……)大学の学生だろう。ウインドブレーカー的な黒っぽい上着を着ていた。友だちはさきに終えたようでそとにはなれており、この子はいろいろ買っていたようですこし時間がかかり、こちらが歩み出ると、三〇歳くらいにみえる眼鏡で茶髪の女性店員はたいへんお待たせいたしましたとかしこまった。支払いをすませて退店。領収証を封筒に入れておき、道をつづける。わすれていたがバッグはPOLOモンドリアンの配色でつくったちいさなやつである。いつもどおり車道沿いを西へと向かう。空に雲も多くあって太陽がひっかかりもするけれどひかりは旺盛で、かげる時間はみじかく、雲に当たったとしても抜けてきて、あたりはおだやかなまぶしさのたゆたいであり、いかにもうつくしい日和、れいの、目のまえのここがすでに過去であるかのような、じぶんが世を去っていなくなったあとの景色をみているような、そんな感慨を起こさせるあの、あかるさそのものであるうつくしさだった。踏切りを越えて草むらの空き地。とうぜんながら草は伸びているように見え、すこし高くなり、嵩が増えている。フェンスの脇で横をながめながらぷらぷら足をはこんでいると、前方から私立学校の生徒らしき服装の小学男児がやってきて、この子もフェンスのすぐそばをあるいていたので横にひらいて道をあけたが、あるくあいだずっと顔をうつむかせて、地面をひたすら見つづけている、浮かないようすのとぼとぼとした子どもだった。病院の上空には巨大な雲がほとんど視界のかぎりをつないで横切っており、大規模飛行艦船の腹をみあげるおもむきで圧巻だが、もくもくと立体感のゆたかな雲でなく、フェルトを切ったような輪郭のやわらかい白さが、起伏をもたないままに充実した量感として空に君臨していた。それを見つつ曲がって裏道へ。好天の土曜の昼とあって病院や文化施設裏のこの遊歩道はひとが出ており、ちいさな子どもづれの親もたびたびみられる。抜けて(……)通りにあたり、横断歩道をわたってそのまままっすぐ。取り壊し工事の音が響いてくる。先般から白い壁にかこまれているのを見ていた土地で、まえまで来るとショベルカーや、赤いクレーン車や、もういっぽん黒のクレーンも出張っているのが見えた。いっぽうでおなじ白い壁にかこまれて建設中の敷地も対岸、こちらのあるいている側にあり、ほか、(……)の鼠色のビルのまえでは、オレンジのカラーコーンと黄と黒の縞模様の棒で道端をかこい、道路工事がなされてもいた。アスファルトにあけられた穴のなかに何人かはいって、あれはさらに掘っているのか、ガガガガガガガガいいながら地面を板のピストン運動で打ちつけるような電動器具をうちのひとりがあやつっていた。歩みの感覚は軽く、からだもほぐれていておだやかだった。あたりの店に目を向けて、高校時代にはいったスタジオがあるのなど見つけると、高校のころはこのへんの道順とか配置もよくおぼえられなかったもんだが、それはたんじゅんに世界に興味がなくて観察力がとぼしかったということと、こういう繁華な路地がいくつも走るような街で育たなかったということと、足をはこぶ回数がすくなかったということだろうなとおもった。(……)とかはたぶん中学のころからスタジオにもはいっていただろうし、このへんもよく来ていたはずで、そういう土地で時間を過ごして育つと、地形や道や店の把握のしかたがこちらとはなにかちがっていたのではないかと。Family Martのある角でなんとなく曲がる。そうすると駅にいちばん近いいっぽん、向かいは(……)である。道の先の横断歩道でひとびとが待っているのを横目に車が来ない隙にとおりをわたり、(……)のまえを折れて、この時点で二時一〇分だった。小便をしてから行こうと駅舎下にある公衆便所に向かう。高架歩廊のしたになるのですこしだけ薄暗いような場所であり、路上喫煙は禁止されているとおもうがしゃがみこんで煙草をふかしている男がいた。なにか音楽がうっすらと耳にとどいてきて、トイレにはいるまえに拾った進行の感じからして、これ"No Woman No Cry"じゃねえの? と、Bob Marley『Live!』のあの音源をおもいだし、それがあたまのなかにながれるなかで小便をした。手を洗ってハンカチで拭きながらそとに出て、階段で駅舎内にあがるとだんだんはっきりしてきた歌はしかしそうではなく、なんか聞いたことあるなと、サビの終わりで「ずっと ずっと ずっと」とくりかえすその三度目の「ずっと」で高くなるこの歌は、メジャーのJ-POPのたぐいだったろうがなんだっけ? というかなんでおれは知ってんのか? と疑問しているうちに、これたしか(……)がマレーシアに行くまえの、(……)であつまった同窓会的見送り会みたいなやつのあとに、カラオケで(……)さんが歌っていたやつじゃなかったっけ? と記憶がつながり、歌い手はたしか優里とかいうなまえじゃなかったっけ? とおもった。曲名はこのときおもわなかったが、"ドライフラワー"というやつだったはず。それでいま検索してこたえあわせしてみたけれど、正解である。こういうことがあるたびに、おれよくおぼえてんなとおもう。その一回しか聞いたことないぞ。じぶんは日記を書いていることもあって、記憶力はけっこう良いほうだとおもうが、個人的なあたまの機能の高低というよりも、記憶というはたらきのもつ融通無碍なというか、植物的な、もしくは水みたいな感じというか、このすきまにはいっていけちゃうんですね? みたいな、そのまざまざとした現出におどろかされる。カラオケではじめてこれを聞いたときは、冒頭のアコギのストロークからして、ほかのやつらが歌っていた曲とはちょっと毛色がちがう感じがして、その一瞬だけはちょっとよく、(……)さんこういうの聞くんだとおもったが、YouTubeの音源を聞いてみるとふつうにエレキギターやん。とはいえはじまりからしばらくは、そこまでJ-POP感はつよくなく、アメリカのややフォーキーでさらっとした若手シンガーソングライターとかがやっていそうな雰囲気がないでもない。とちゅうからもうJ-POPになるが。


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 駅舎内の人波に分け入り、待ち合わせばしょはとくに決めなかったが、暗黙の理解でまいかい壁画前になっているので、そちらに向かう。さいきんさらに目がわるくなったような気もするし、すこし距離がはなれると像がすこしぼやけてひとの顔貌がうまくとらえられないくらいなのだが、壁画のあたりに行くと、ギターケースをともなっているすがたがあったので、あれだなと認知し、まえまで行って片手をあげつつうなずいてあいさつ。ギター持ってこなかったわ、と笑うと、暗黙の了解で、とかえった。どこ行く? と聞いてみると、とりあえずダイソーに行くかと。というのは、さいきんこちらがブログにあげている写真をみて、ながしまわりのステンレスが汚れているのがやはり気になって((……)くんは引っ越し時にもわざわざスチールウールを買ってそこを掃除してくれた)、それでクレンザーがいいから百均に売ってるそれをおごってくれるという。そういうわけであるきだし、北口広場へ。まっすぐ行って通路にはいり、通りにおりるエスカレーターに乗るが、このへんでにんげんのおおいなかにいると、やはりちょっとからだが反応して緊張感を持つなという感覚だった。ダイソーなら「(……)」の地下にむかしあったはずだが、いまもあるのか知らないし、(……)のうえにある(……)でよいだろうと。ビルにはいり、白さと清潔さをよそおって無害ぶったあかるさのフロアをちょっとすすんでエスカレーターへ。のぼっていく。なにかはなしたはず、とおもっておもいだしたが、(……)くんがこの日着ていたトップスのことをはなしたのだ。ちょっとおもしろいというか、ななめの線でカットされた黄色とか暗めの緑の面が組み合わさっているような、素材はなんだかわからないがそこそこからだにちかく合いそうな、余剰はすくない感じの薄手トレーナー的なトップスだったが、中国のなんとかいう会社のものなのだと言った。会社名はわすれてしまったが、あちらだとユニクロに匹敵するくらいの企業で、ユニクロだとスタンダードな感じだけれど、こちらは意外と攻めたような、ちょっとおもしろいやつがあるのだと。服もうぜんぜん買ってねえわというと、おれもすごいひさしぶりに買ったけどね、と来るので、まあそうなるよねとちいさく笑う。そうして七階だったかの百均につき、あっちじゃない? とまえに束子などを買ったほう、キッチン用品なんかがあるほうに行ってみる。こちらはクレンザーを探しつつも、そのほかにもなんか買うものあるかなとてきとうに見る。(……)くんも分かれて探していたが、見つからないので、店員に聞いてくると場をはなれた。品々を見回りながら、そういえば皮剥きが必要だったんだというわけで、黒いやつを買うことにして、ほか、菜箸も買っとくかといろいろ吊るされた種のなかから、まあこれかなというシンプルなデザインのやつを取った。二組入りで、「竹工房」というテープが巻かれており、いっぽうは上部が濃紺に塗られ、他方は臙脂。色付きの部分のしたにちいさな間をあけてアクセント的に、同色で、輪をはめたように細い線が引かれている。歌舞伎柄とかいうのもあってそっちもちょっとよかったが。(……)くんも商品をもってもどってきたので受け取る。サバ缶とかああいう円型の缶みたいなかたちの容器。それを手に持ちながら、なつかしいなとつぶやくと問われたので、いや小学校で水道のところにクレンザーがあって、掃除のときにつかってたからさ、もっと縦にながい、箱みたいなかたちだったけど、とかえした。粉を振ってね、と。そういえば駅を出て広場を行っているときに、ステンレスの汚れが気になってといわれたさい、いまコンロがマジで汚れてて、めちゃくちゃ黒い、ふつうにつかってるだけで火口のまわりが真っ黒になる、焦げついて、カネヨンでも買おうかなとおもってたんだけど、とはなすと、(……)くんはカネヨンを知らないようすだったので、大阪には(かれは大阪出身なので)カネヨンはなかったのかな? とおもった。あの、研磨剤、とこたえたが、このときはまだ緊張がすこしだけあったので、その声がちょっと出しづらかった。
 おごってくれるということなので百円玉をもらい、会計へ。袋はもらわず整理台にうつるとPOLOのバッグにぜんぶそのままいれる。からだにかけたまま開け閉めしてものを取り出したりができるのは楽だ。そうして合流し、エスカレーターをくだっていって、ビルを出る。まあやっぱとりあえずモノレールした広場にでも行くか、というなんとなくの雰囲気が醸成されていたので、通りを行って横断歩道をふたつ渡り、すすんでいく。ちかづいてきて敷地に踏み入ったあたりで、なんかひとがあつまってんな、ライブかなんかやってんなと見て取られ、MCの声も聞こえたが、音楽ではなくて手品かなにか、大道芸のパフォーマンスだった。演者の男性はやや高いほうに寄った明快の声色の、いかにも軽々としていそうな体躯のひとで、かれをかこんでけっこうなひとがあつまっており、すくなくともすきまなく輪が完成するくらいには観客がいて、パフォーマーは、ぼくは二〇代の一〇年をずっと大道芸の修行についやしてきました、だからこれからやるのはそういう努力、ぼくの一〇年間がつまった出し物ですみたいなことを言っていたので(後半はこちらの記憶の捏造かもしれず、そんなことは言っていなかったかもしれないが)、すくなくとも三〇代ではあったらしい。通り過ぎながら(……)くんとなんとか交わすなかで、でもおれも二三歳から、もうそろそろ一〇年になるけど、読み書きについやしてきたからね、と笑っておく。時刻は三時を過ぎたあたりだったのではとおもうが、モノレールした広場はおもいのほかに日なたがすくなく、晴れてはいるから空気は冷たくはないものの、日だまりのおだやかさはひらかず空間にはだいたい淡い陰がなじんで、それは季節柄日がみじかくなったのと、長方形でながくつづく広場の西側(東側もだが)がおおかた建物に占拠されているため、太陽がもうそのうしろにはいってしまっていて、わずかな切れ目からあかるみを差しこんで宙にかけることしかできないからだった。それでぜんぜん日なたないな、とか、もうちょいすすんでみる? (……)の本社あるし、などといいながらあるいていき、けっきょく前回あつまったときとおなじばしょ、一段あがったスペースにベンチが二つだか設置されているそのひろがりの端、階段のところに陣取った。こちらは地べたに腰掛けるかたちで問題なかったのだが、(……)くんはシートを持ってきたという。いまやなつかしきauLISMOの、あの白いリスのシルエットやオレンジ色で音符かなにかが描かれた黄緑地のデザインだったが、それを敷き、こちらのバッグを置いたりギターを置いたりして地にとどめ、(……)くんはそのうえに座る。こちらは縁で領域内外をまたぐような半端な尻の位置。菓子を持ってきたともあって、出るまえに(……)がわざわざ買ってきてくれたらしいが、チョコレートの「DARS」と、なんだったかレモンのグミと、あとひとつあった気がするがなんだったか? えびせんだ。その小袋だったが、これはそういえばじぶんは食べなかった。(……)くんはファミマでコーヒー買ってくるかと言ってすぐそこにみえている店舗に向かい、そのあいだこちらは携帯を確認したりして待つ。このときだったかあとだったか、母親からSMSと着信がはいっており、いまアパートに来たんだけどどっか行ってるの? とあったので、いま(……)に出て友だちと会ってんだわ、すまんと返しておいた。
 それで(……)くんがもどってくると、ギターを弾きはじめる。しばらくあちらが弾くと、わたしてくるので、れいによってAブルースをてきとうにやる。かわりばんこでやるよりそりゃそれぞれ持って同時に弾けたほうがよかった。(……)くんのアコギはたしかMorrisだったとおもうが、さいきんネックをなおしてもらったとか言っていたか。しかし弦の感じ、ゆびの滑りの感覚がいつも弾いているじぶんのギターとちがい、かつ手があたたまっておらずよくうごかなかったので、あまりなめらかにできないなという感じだった。あいてが弾いているあいだはそれにあわせてからだをちょっとうごかしたり、レモンのグミをもらってたくさん食ったりしていた。とちゅう、われわれのちかくに父親と歩きはじめてそんなに経たないくらいの赤子があらわれ、赤ん坊のほうがわれわれに興味をしめして近寄ろうとするのを、眼鏡をかけており背がわりと高く、すらっとした感じの父親が(たしかベスト的な、ややフォーマルなかっこうをしていた気がするのだが)おさえてとどめるような調子で、こちらはAブルースを弾きながら赤ん坊に視線をおくって、顔をうごかし、ほら、リズムに乗れ! リズムに乗れ! というきもちで演奏をおくっていたのだけれど、赤ん坊はずっと注視をつづけるものの、からだをうごかしたりはしない。そのあとしばらく周辺をうろつきながらも赤子は回帰してきて、(……)くんが弾いているところに、さわらせてあげたら? と提案し、(……)くんがそれを父親につたえたが、いやいや、だいじょうぶです、わるいですから、もうべたべたにしちゃうんで、とのことだった。
 じきに時間がくだって太陽がより遠くなり、ながれる空気もだんだんと冷たくなってきたので、どっか店に行く? と聞いたが、そのまえにいくらか雑談をした。きょうはなそうとおもっていた「議題」がふたつあって、ひとつは会社のしごとをもっと「部活」みたいな感覚でやりたいというはなしだった。(……)くんはいまITセキュリティ方面のしごとにつとめていて(前職もそう)、こまかいことはわからないが、会社では三つのグループに属しており、それぞれ役割をもっている。はたらいているときにちょっと高校のころの「部活」みたいな雰囲気になることがあり、もっとそういう調子で、いかにもしごととしてフォーマルにはたらくよりも、気楽な感じでやりたい、そうするにはどうしたらいいかという話題だった。ほかのグループといっしょになってやる案件だと、どうしても雰囲気はかたくなると。まあそりゃそうだろう。けっきょくはいっしょにはたらくあいてとの親密度や相性や関係によるだろうとおもっていろいろ聞いてみたところ、グループのひとつだかふたつだかはわりと気安い雰囲気にはなっており、また同僚のなかのひとりはDTMをやったり、あとわすれたが(……)くんとけっこう共通する趣味があるようなので、おなじじゃんと言った。そのひととはけっこう仲が良いようだ。そういうことを聞くまえに、人間関係を構築するには余白の時間をつくることが大事だろうというかんがえをはなしていた。塾でのじぶんの経験をもとに語ったのだが、生徒と関係をつくって幾ばくかでも信頼感めいたものを得ようというときに、ふつうにマニュアル通りというか、これをやるという枠組みのなかでやりとりしているだけではそんなに関係はできない、塾だったら生徒は勉強しに来て(まあじっさいには来させられているものが大半だが)、こっちも講師としておしえにいくという前提の枠組みがあって、それぞれそういう役割でそこにいるわけだけれど、その範囲でふつうに授業をこなしているだけだととうぜんながらそんなに仲良くはならない(そして、そういうばあい、講師側がまじめにじゅうぶんなしごとをしていても生徒がやめていくことはままある)、授業とか勉強にかんするつうじょうのながれからはずれた時間をちょっとだけでもつくることが大事で、そのためにおれだったらまあ雑談をしてみたり、あと入り口で出迎えしたりするから、そのときにはなしてみたりとかするわけだ、枠組みからちょっとずれたような余白の時間のほうが印象にのこるんだよね、経験あるとおもうけど、高校時代の授業とかさ、よくおぼえてんのは授業じたいじゃなくて、先生が雑談したときでしょ、授業は記憶にのこらないわけよ、まいにちほぼおなじかたちで反復してるから、そのくりかえしのなかでちょっと違うことがあると、それが印象にのこる、というわけで、余白的な時間をあいてとのあいだにちいさくてもつくってかさねていくとよいのではとはなしたのだが、(……)くんはこの話題とか、あと喫茶店ではなしているときも、ときどき携帯を取り出して操作していたので、あれはおもしろそうなポイントをメモしていたのかもしれない。(……)くんの会社はもともとシステム的に社員同士がしごといがいのことをはなして仲良くなるような時間をもうけているらしく、なんだったかな、会議室を借りて自由な話題ではなしあう時間がもともと勤務に組み込まれているのだったか、あと、なにかのときに週末なにしてましたみたいなことをそれぞれはなす時間があるのだという。それで(……)くんはIDOLM@STERのライブに行ってきました、とかはなすと。それはけっこう良いシステムなんじゃないかとおもうが、かれもいまの職場は前職よりやりやすく感じているようだった。まえの職場はもっとピリピリした雰囲気だったと。それが合わなかったのかもしれないが、いまの会社にうつって、しごともやっぱり必死に根詰めるのではなく、もっと気楽にというかおもしろくやりたいというきもちがうながされ、もっとそういう空気をつくっていきたいというのがこのはなしだったのだ。もうひとつ、これは同僚をあいてにしたばあいだが、おれはけっこうお菓子をあげるねというと、餌付けね、と返ったので笑う。こちらはわりとささいなことでもまあいちおう礼という名目で、同僚、というかほぼ後輩にあたるわけだけれど、ちょっと菓子をあげることがある(駅前の自販機に売っているレベルのものだが)。あと新人がはいってきたときはかならずこちらからあいさつに行って声をかけるし、たとえば研修後にお疲れさまでしたということであげたり、初授業のときにもあげたりする。そういう感じでいいひとぶっておきつつ、新人が萎縮せずに質問とかを気楽にできる、はたらきやすい空気みたいなものを醸成しようと。まああんまりやりすぎてもあれだし、それでこちらとばかり関係ができるとすればそれはそれでまた問題なのだが、打算的なひとつの方法として、あとはいちおうふつうに礼をしめすばあいはそのきもちとして、ささやかな贈与はわりとやっており、その甲斐があったのか、それだけではないとおもうが、いま職場の雰囲気はこれまではたらいてきたなかでいちばん良いような気はする(まあ一か月休んでいるので現時点でどうかわからないが)。(……)さんのカラーもあるだろうけれど。ほぼ意味のない、なんら名目をになわない、ランダムで偶然的な、些末でささやかな贈与というものが世の中もっとあってもいいんじゃないの? とおもったりもする。それが互酬関係にまでかたまってしまうとまためんどうくさくなりそうでもあるが。
 日記書くといいよというはなしをしたのはこのときだったのか、喫茶店でだったのか。観察力があがると。観察力があがるというのはどういうことかというと、おなじものをみたときに前回とのちがいに気づくようになるということである。こちらだったら、授業をしたときの生徒のようすとか、雰囲気とか、じぶんの手応えとかを日記の一環として基本毎回記録するわけだ。そうすると関係の進展がはかれるというか、まだなじんでいないなとか、そろそろなじんできたなとかが感覚的にわかるようになる、と。あと前回はこうだったのに今回はこうだったとかなれば、おのずからそれがなぜなのかをかんがえたりもするし、とか説明する。たんじゅんに情報がより記憶にのこったりもするしね。コミュニケーションをするにあたっても、あいての雰囲気とか機嫌とかをつかみやすくなるんではないか。まあおれのやつは極端だけど、と笑い、だから印象にのこったことだけでも記録しておくといいかもしれないとすすめておいた。(……)くんは、観察力っていうとじぶんのばあいは、何万件とかある通信のなかで、ここだけふつうとちがうなみたいなところをみつけるんだよね、そういう意味で観察力はおれもついたという。差異を見出すという意味ではおなじことだが、しかしそれはぜったいにこちらにはないタイプの観察力だろうなとおもう。
 じきに日暮れもちかくなってきたので、喫茶店に行くことに。まあエクセルシオールでいいかなということで駅のほうへ。広場をもどっているとおどろいたことにさきほどの大道芸のひとがまだパフォーマンスをやっていたので、え、まだやってんの? すごいな、ずいぶんながいな、二時間くらい経ってるよ、と言い、そのときちょうどかれは台かなにかから降りたところで、ちょっと息が切れていたので、でもさすがに疲れてんな、と笑うと、(……)くんも、息切れしてるねと笑った。(……)と映画館のあいだの階段をのぼって高架通路へ。歩道橋をわたり、そのとちゅうにある店舗にはいる。さきに席を確認しに、レジカウンターにならんでいる客のあいだを抜けて奥にすすんで、一階をみるとあいていなかったのだが、のぼると壁際のテーブルに空きがあったので、あそこだなとはいった。こちらが壁のほうのソファを取らせてもらい、(……)くんのギターがあるので、じゃあおれがここにいるから、ホットココアの、いちばんちいさいやつを頼む、と買ってきてくれるようお願いした。それで首をまわしたり肩をまわしたり、携帯を確認したりしながら待つ。品物を持ってもどってきた(……)くんはトイレに行った。かれがかえってくるとこちらも入れ替わりでトイレに行く。それで席に帰り、飲み物を飲みながら会話。前回(……)くんらとの読書会でなんだったか飲んだときに、胃が苦しんできもちわるくなり、帰りなど吐きそうになりながら車両の隅で目をつぶってじっと立ち尽くし、ひたすら耐えて帰ってきたことがあったので、今回もきもちわるくならないかとちょっと警戒していたが、さいきんの身体養生のおかげで問題なく済んだ。ここではさきほどのはなしのつづきと、後半はなんか一曲決めてセッションできるように練習しようぜというはなしがなされた。それでお互いなまえをあげたり、(……)くんがスタンダード一覧みたいなのを携帯でみて、曲名を言ったりしていく。こちらは好きなスタンダードとかんがえたときに、"All The Things You Are"が出てきたのだが、ジャズスタンダードはコードがどれもむずかしそうで困る。All The Things You Areも転調がはいっているし。(……)くんがいろいろ口にしたなかでは、"My Favorite Things"が、ああ、いいな、となった。あれはいい曲だ、と。Sarah Vaughanがうたってるのが好きだと言っておく。ビブラートがめちゃくちゃやばい、にんげんのビブラートっていうより、虫の翅のふるえみたいな、と。My Favorite Thingsは歌詞もけっこういいんだよなと言いつつその歌詞内容がこまかくおもいだせず、(あの曲調なのに)あかるい歌なのかな? と(……)くんが聞くのに、いや、とSarah Vaughanがうたっていたことばをたぐりよせ、These are a few of my favorite thingsだから、なんとか、なんとかってならべていって、これらがわたしのお気に入りっていうんだよね、それで……とさいごのほうをおもいだすと、When the dog bites, when the bee stings, when I'm feeling sad...... I still remember my favorite things, and then I don't feel...... so badとか言っていたはずなので、そういう内容だと説明した。もともと『サウンド・オブ・ミュージック』とかいう映画のなかの曲だったはずで、なんか女性教師がギターの弾き語りかなんかでうたっているのがゆうめいだったはずで、その場面の画像がちょっとだけあたまにあるのだが、もちろん映画は見たことがない。いまWikipediaを見てみると、れいによってRichard Rodgers作曲、Oscar Hammerstein Ⅱ作詞ですよ。


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 (……)を出てモノレールした広場に向かうあいだの会話をおもいだしたので書いておく。アニメの話題になり、『リコリス・リコイル』ってのが人気なんでしょとたずねたところ、それもう前クールだけどねと返ったのが電気屋の入り口からちょうど出たあたりだったはずだ。今期はおもしろいのある? と聞くと、『ぼっち・ざ・ろっく』というやつと、タイトルをわすれたが女子高生がDIY部でわちゃわちゃやるみたいなやつがおもしろいと。前者の作品は、いわゆる「陰キャ」みたいな友だちのいない女の子が、テレビで見ただったかライブで見ただったかでギターにめざめ、ひとりしこしこ練習していたところがバンドを組むことになってがんばるみたいなはなしらしい。それおれじゃん、とおもったので、そう口にした。おれも中学生のころひとりで部屋でHighway Starとかタラララタラララやってたし、と。それで、(……)とバンド組んだときのはなししたっけ? と聞くと、なんだっけ教室で弾いてたらあらわれてみたいな? とかえるので、そうそう、と詳しい経緯の語り直しはカットして、あれもHighway Star弾けるようになってなかったら(……)とバンド組むことなかったからな、そうなるとたぶん(……)ともそんなかかわりもってなかっただろう、と落とした。そのころにはもう映画館のまえあたりまで来ており、広場は間近で、だんだん大道芸人の声の気配が聞こえはじめていたはず。
 喫茶店のはなしにもどると、好きなスタンダードでもうひとつおもいついて挙げたのが"How High The Moon"だった。Charlie Parkerがやってる、たしか"Ornithology"だったかな、それとおなじ進行だったとおもうんだけど、と。"How High The Moon"でこちらの記憶にのこっているのはまずSonny Rollinsが『Contemporary Leaders』の五曲目で、Barney Kessellとのデュオだったか、それかドラムはいたかもしれないが、しずかな編成でやっているやつで、このアルバムはジャズに触れだしてまもないころに買ったやつだからけっこうくりかえしきいて、印象にのこっている。西海岸のひとびととやったやつで、ドラムはたしかShelly Manneだった気がするし、あとVictor Feldmanがいた気もするし、さらっとして軽快な質感でけっこうきもちがよい。もうひとつよみがえってくるのはDianne Leevesが、あれなんていうアルバムだったっけやってんの? 『I Remember』か。あそこのたしか七曲目だったとおもうのだけれど、"How High The Moon"をやっていて、けっこうはやいテンポで、たしかTerri Lynn Carringtonがドラムで(Marvin Smitty Smithのほうだったか?)、シンバルのきらびやかな音とか、かなりバシバシスピーディーにやっていたのが印象にのこっている。Dianne Leevesも"How high the moon"とうたうところでソウルフルにうたいあげていて、その声はあたまのなかによみがえってくる。いま聞こうとおもってAmazon Musicで検索したら、LeevesではなくてReevesだった。
 あとこのときなまえは出さなかったが、ジャズスタンダードというとCole Porterもやっぱりすごいよねとおもうことはよくあって、そういいながらなにがCole Porterの曲だったかそんなにおもいだせないのだが。"So In Love"はそうだったはず。Chick CoreaがAkoustic Bandのファーストの三曲目だったかでやっていたのをおぼえているが、しかしこの曲はそんなによく聞いたわけではない。Cole Porterっていったら"Love for Sale"か! "Love for Sale"は好きだ。それこそDianne Reevesの『I Remember』にもはいっているし、いろいろなところでみんなやっている。Taylor Eigstiがなんといったか、"Giant Steps"とかもやっているやつ、二枚目だったかファーストだったかのソロアルバムで、たしか四曲目でやっていた。そこのベースはChristian McBrideCannonball AdderleyMiles Davisをまねいてやっているゆうめいなあれもふつうに好きではある。あと"You'd Be So Nice Come Home To"もCole Porterだっけ? とおもっていま検索してみるとやはりそうだった。この曲だとやっぱりHelen Merrillの歌がよみがえってくるな。ジャズボーカルも男女問わずもっと聞きたいのだが。
 あと、(……)くんが見ていた携帯の画面をちょっとのぞいたときにその名がみえたのだったか、わすれたが、"Moment's Notice"いいよ、と言った。Coltraneの曲で、『Blue Train』っていうアルバムあるじゃん、あれの二曲目でやってるやつなんだけど、と情報をつたえ、タータッタッターラタラッター、とイントロからはじめて、テーマのメロディを口ずさんでみせた。(……)くんは譜面をしらべて、これはきついみたいなことを言っていたとおもう。やるのは無理だ。"Moment's Notice"だとAri Hoenigが『Bert's Playground』の二曲目だったかでやっていた変拍子版があたまに浮かんでくる。Chris Potterが活躍していたのと、ギターが、あれはGilad Hekselmanか? それかこの会話のとちゅうで(……)くんもなまえを出していたJonathan Kreisbergだったかもしれないが、ギターもよかった。(……)くんはさいきんJonathan Kreisbergが独奏でなんかやっている動画を見ただかで、Kreisbergやっぱりいいなと、まえから好きだったがまた関心を惹かれているらしい。
 (……)くんは六時八分だかの電車に乗るというので、五時五〇分くらいになると、そろそろ行くようかと告げて店を出ることに。出るまえにトイレに行って小便しようとおもい、席を立ってトイレに行ったところが、この店のトイレは曲線をえがいたまるい壁のあいだに通路がほそくひらいて、そこをはいったさきで左右に分かれてあり、右側は女性用、左側は男女兼用なのだけれど、ノブの鍵表示をみれば赤くて空いていなかった。それで通路を出た脇でしばらく待ったのだけれどなかなか出てこないので、いいやとおもって席にもどり、出て来ないからもう行こうと言った。カップやトレイをまとめて持って返却棚にはこび、階を下りて退店。
 高架歩廊をたどって駅へ。駅舎内の人波に混じり、改札がちかづいたところで、おれあるいて帰るから、このへんで別れようと立ち止まり、握手と別れのあいさつを交わして改札内にはいったかれを見送る。振り返ったところに手を挙げて返す。そうしてそのまま南口のほうに向かい、階段を下りて、行きにもつかったトイレで用を足したのだったとおもうが、どうもよくおぼえていない。その後の帰路もあまりよくおぼえていない。(……)通りまで出てまっすぐ東にあるくルートを取ったが。宵がかった空にはくすんだ灰白の雲がちぎれちぎれでおおく浮かんでおり、気温も相応に下がっていたはずだが、よくあるいたためか寒さ冷たさは感じなかった。脚が疲れていたのでゆっくりと、広めの車道をはさんだ歩路のいっぽうを行く。交差点まで来て渡り、(……)のまえを行けば、このへんになるとビルもなくなるし地上に灯りがすくなくなって、見上げる空の雲のすきまの、さきほど高いビルのあいだで見たときにはただ黒としかみえなかった地が青く底からにじむようになっており、星がひとつきり、あかるいのが雲の間にのがれてきらめいていたが、雲のうごきで消えてしまう時間もおりおりあっただろう。(……)と病院のあいだには公園があり、その入り口には幾又かに分枝した巨大な木が鎮座しており、その左右にベンチが設置されている。いまはだれもひとがいないその一画には電灯に喚び出された巨木の影が地におおきく沼めいて、ベンチの影も四角くそれぞれの足もとに投げかけられているけれど、ずいぶんきちんとした輪郭の、きれいな紙か布地のような真っ黒いそれは、ベンチの分身というよりも本体とはまったく関係なく、独立してそこに生まれ、地に貼られているのではなくて宙に浮かんでとどまっている現象のようなありさまだった。踏切りを越えて車道沿いをつづけているあいだ、なにか思念にしずんでいるうちに、あれ、はいるべき角をとおりすぎたか? と気づいた。判然としなかったものの、対岸の建物を見るに、たぶん過ぎたなとおもいつつもすすんでいくとセブンイレブンが出てきたのでやはり過ぎている。そこで折れてちょっと入り、もとのほうにまた折れて公園沿いを見知った路地に出た。アパートへ帰還。
 帰ると脚が疲れていたので寝床で休身。この日のことはあとおぼえていない。


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  • 「ことば」: 1 - 5
  • 「読みかえし2」: 357 - 371
  • 日記読み: 2021/10/29, Fri. / 2014/3/23, Sun.


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Samantha Lock, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 247 of the invasion”(2022/10/28, Fri.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/28/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-247-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/28/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-247-of-the-invasion))

The war in Ukraine has seen Russia launch more than 8,000 airstrikes and fire 4,500 missiles, president Volodymyr Zelenskiy has claimed. Standing beside the wreckage of a downed Iranian drone, he vowed that Putin’s attacks on power plants would not break Ukrainian spirits. Russia had aimed dozens of missiles and unmanned aerial vehicles at Ukraine’s electricity network causing widespread power cuts over the last two weeks, with Ukraine shooting down 23 drones in the past two days alone.

Ukraine has shot down more than 300 Iranian Shahed-136 “kamikaze” drones so far, an air force spokesperson, Yuriy Ihnat, told a briefing on Friday. The drones have become a key weapon in Russia’s arsenal during its war in Ukraine and have often been used in the past month to target crucial energy infrastructure. Iran has denied Ukrainian and western accusations that it is supplying drones to Russia.

The US and its allies condemned Russia for wasting the time of the UN security council and spreading conspiracies by again raising its accusation that the US has “military biological programmes” in Ukraine. “How much more of this nonsense do we have to endure?” the UK’s ambassador to the UN, Barbara Woodward, asked the council. Russia has previously raised at least twice at the security council the issue of biological weapons programmes in Ukraine – while Washington and Kyiv say they do not exist. Russia is pushing for a formal inquiry.

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The EU has appointed the Polish general Piotr Trytek to lead a new training operation with Ukrainian troops. Trytek, 51, was chosen by the bloc as part of its pledge to step up military support for Ukraine.

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A Russian official’s threat to “strike” western satellites aiding Ukraine has raised concerns among space lawyers and industry executives about the safety of objects in orbit. No country has carried out a missile strike against an enemy’s satellite.

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Putin has said the war in Ukraine is part of Russia’s wider struggle against western domination. “We are standing at a historical frontier: Ahead is probably the most dangerous, unpredictable and, at the same time, important decade since the end of World War Two,” he said. The Ukraine offensive, he said in a speech addressed to the Valdai Discussion Club, a gathering of Russian specialists, on Thursday. He added the war was simply part of the “tectonic shifts of the entire world order” and that “the historical period of the west’s undivided dominance over world affairs is coming to an end”.


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Ed Pilkington in New York, “Paul Pelosi, husband of Nancy Pelosi, in hospital with skull fracture after attack”(2022/10/28, Fri.)(https://www.theguardian.com/us-news/2022/oct/28/paul-pelosi-nancy-pelosi-attack-san-francisco-home(https://www.theguardian.com/us-news/2022/oct/28/paul-pelosi-nancy-pelosi-attack-san-francisco-home))

Paul Pelosi, husband of the House speaker, Nancy Pelosi, was hospitalized with a skull fracture on Friday after he was attacked at the couple’s home in California with a hammer by an assailant who was reported to have shouted “Where is Nancy, where is Nancy?”

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Scott named the suspect as David DePape, 42, adding that any motive was still being determined. Charges are to be brought at the San Francisco county jail, including attempted homicide, assault with a deadly weapon, elder abuse, burglary and other felonies.

It was reported by CNN that the suspect intended to tie the victim up “until Nancy got home” and that he had posted rightwing and conspiracy theories online, including content promoting the lie that Donald Trump was deprived of victory in the 2020 election because of voter fraud.

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In addition to multiple conspiracy posts on his Facebook account, which was reviewed by CNN and later taken down by Meta on Friday, DePape is also believed to have managed a blog to which he regularly posted screeds concerning the “ruling class”. The blog, which the San Francisco Chronicle reviewed and was later taken down, had a banner that said “Welcome to Big Brothers Censorship Hell”, along with numerous conspiracy posts about the government, media outlets and tech companies.

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While the exact motivation for the attack was unclear on Friday morning, it raised fears about the safety of members of Congress and their families.

Concerns have been rising, particularly since the insurrection at the US Capitol on 6 January 2021 by extremist supporters of Donald Trump intent on overturning his loss to Joe Biden, about a new era of violent threats against US lawmakers and their families, staff.

In July, members of Congress were given $10,000 each to upgrade security at their homes in the face of rising threats. Some have pushed for even more protection, pointing to people turning up at their homes and an increasing amount of threatening communications.

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Paul Pelosi is a businessman who runs his own real estate and venture capital investment firm, Financial Leasing Services, based in San Francisco. He met Nancy D’Alesandro when they were both students in Washington DC, and they married in 1963. They have five children and many grandchildren.

Nancy Pelosi has had two stints as speaker of the US House, between 2007 to 2011 and since January 2019. She represents California’s 12th congressional district.


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インボイス制度導入で声優たちが悲鳴「2割強が廃業するかも」 #私がSTOPインボイスの声をあげる理由」(2022/10/26)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/210138(https://www.tokyo-np.co.jp/article/210138))

 インボイス制度(適格請求書等保存方式) 2019年に消費税の軽減税率導入に伴って8%と10%の2種類の税率が混在するようになったため、政府が事業者に正確な税額計算を求めるために導入する。企業と取引する消費税の免税事業者(例えば大工の一人親方運送業者、フリーランスのライターやアニメーターなど)への影響が大きい。財務省の試算では、免税事業者約488万のうち約160万が課税事業者に変更し、2480億円の税収増になるとされる。

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 インボイスは事業者が国に消費税を納める際、仕入れにかかった消費税を差し引く「仕入れ税額控除」に使われる請求書などの文書だ。新ルールでは事業者は、税務署に登録申請して発行される番号を文書に記載しないと、控除に使える請求書として認められない。
 有志団体は制度導入の影響を把握しようと、9月に声優の収入実態などを調べるアンケートを実施(有効回答延べ443人)。回答者の72%が年収300万円以下で、消費税の免税事業者の条件である年収1000万円以下は95%に上った。
 仕入れ税額控除を受けるには、仕入れ先からインボイスを発行してもらう必要がある。だが、発行できるのは消費税を納めている課税事業者のみ。免税事業者はインボイスを発行できないため、仕事を発注する所属事務所などは税負担が増すことになる。

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 アンケートでは取引先から「インボイスがない場合、今後取引できない」「課税事業者にならないとギャラを値引きする」と圧力がかかっている実態も浮かんだ。仕事への影響も「減ると思う」が53%、「廃業するかもしれない」が23%と、厳しい予想が多かった。
 声優だけではなく、フリーランスのアニメーターなど多くの個人事業主らがインボイス発行の選択を迫られているが、免税事業者のままなら収入は10%減、課税事業者でも5%は減ると見込まれる。(……)


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憲法で基地は原則認められないが…フィリピンに米軍が軍事施設を増設へ 海洋進出強める中国をけん制」(2022/10/28)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/210734(https://www.tokyo-np.co.jp/article/210734?rct=world))

 【バンコク=藤川大樹】米国とフィリピンは、南シナ海で海洋進出を進める中国を念頭に、米比間で締結した「防衛協力強化協定(EDCA)」に基づき、米軍がフィリピンで使用する軍事施設を、現在の5カ所から10カ所に増やす協議を始めた。米国防総省高官が明らかにした。
 現地からの情報などによると、フィリピンの憲法は原則、国内に外国軍基地の設置を認めていない。しかし、米比両国は2014年4月、フィリピン軍の能力向上や災害対応を目的にEDCAを締結。米軍は指定された軍事施設の利用や基地内での施設建設の権利、航空機や船舶の事前配備などが認められている。
 米軍は、中国とフィリピンが領有権を争う南沙(英語名スプラトリー)諸島に近いパラワン島アントニオ・バウティスタ空軍基地や首都マニラ北方のパンパンガ州にあるバサ空軍基地など既に5カ所を拠点にすることで合意していた。


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北朝鮮がまたミサイル発射 日本海に向け2発 今年25回目、異例のペース…「護国訓練」最終日に」(2022/10/28)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/210725(https://www.tokyo-np.co.jp/article/210725?rct=world))

 【ソウル=相坂穣】韓国軍合同参謀本部によると、北朝鮮が28日午前11時59分ごろから午後零時18分にかけ、東部江原道カンウォンド通川トンチョン付近から日本海に向けて短距離弾道ミサイル2発を発射した。高度約24キロ、飛距離は約230キロで、速度はマッハ5(音速の5倍)だった。日本政府は、日本の排他的経済水域EEZ)外に落下したと分析している。
 北朝鮮弾道ミサイル発射は14日未明に短距離弾道ミサイルを発射して以来で2週間ぶり。韓国軍が、北朝鮮の核・ミサイル対応を想定し、米軍も一部参加して実施した野外機動訓練「護国訓練」が28日に終了。訓練最終日に合わせて弾道ミサイルを発射し、米韓をけん制した。
 また米韓の両空軍は同日、31日から来月4日にかけ、最新鋭ステルス戦闘機F35など240機を投入し、約5年ぶりに大規模な空中訓練を実施すると発表した。
 北朝鮮が反発を強め、朝鮮半島情勢が一段と緊迫する可能性がある。韓国の尹錫悦ユンソンニョル政権は、北朝鮮が7回目の核実験の準備を終え、来月8日の米中間選挙前にも強行する可能性があるとして警戒を強めている。
 韓国側発表によると、北朝鮮弾道ミサイル発射は今年に入り25回と異例の頻度。ただ中国共産党大会が開かれた16〜22日は弾道ミサイルを発射せず、日本海黄海軍事境界線近くに向け計1000発近い砲射撃を繰り返していた。


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「ミサイル発射でも国連安保理機能せず…北朝鮮を止める方法は? 元駐ロシア韓国大使に聞く」(2022/10/26)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/210104(https://www.tokyo-np.co.jp/article/210104))

 核・ミサイル開発を加速する北朝鮮と、抑止力を強化しようとする韓国の間で緊張が高まっている。かつて北朝鮮の核問題を巡る6カ国協議で韓国首席代表を務め、東アジア情勢に詳しい魏聖洛ウィソンラク元駐ロシア韓国大使(68)に現状を読み解いてもらった。(聞き手、ソウル・木下大資)

 ウィ・ソンラク 2009年から韓国の朝鮮半島平和交渉本部長、11〜15年に駐ロシア大使。今年3月の大統領選では当時の与党候補・李在明イジェミョン氏の外交政策ブレーンを務めた。現在は財団法人「韓半島平和づくり」事務総長。

 北朝鮮の脅威は新たな段階に入った。既に開発した弾道ミサイルで韓国や周辺を標的にした核攻撃の訓練を行っており、ミサイル能力を発展させてきた前の段階とは次元が異なる。この流れはしばらく続く。核実験に踏み切るのも時間の問題とみている。
 北朝鮮の目的は、韓国と米国を相手に、より有利なゲームを進めること。核保有自体が究極的な目的というより、交渉に向けた立場を強化し、朝鮮半島周辺に自分に有利な安全保障の構図をつくることを目指している。金正恩キムジョンウン体制の維持・発展のため、彼らの言い方では「米国の敵視政策」を変えることだ。
 現在の状況は、2019年にハノイでの米朝首脳会談が決裂した延長線上にある。18年のシンガポール会談で結ばれた合意は、北朝鮮の視点では「米朝関係が改善し、信頼が構築されれば非核化する」という趣旨だったが、その後米国は非核化だけを要求した。北朝鮮は「米国が約束を破った」と激しい怒りを抱き、再び核・ミサイル開発に動いた。
 バイデン政権も尹錫悦ユンソンニョル政権も、その状況を引き継いだ。バイデン政権はトランプ前政権より冷静で強い立場を取り、尹政権も前政権よりずっと強硬なので、北朝鮮としてもますます挑発モードになっている。

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 北朝鮮の核開発をすぐに阻止できる妙案があるわけではない。韓米は抑止力を高めざるを得ず、訓練は必要だ。韓米日の協力を強化し、北朝鮮に厳しく対応する尹政権の方向は間違っていない。だがそれだけでは十分ではない。北朝鮮、中国、ロシアからの反発に対処する方法や、今の状況をどう抜け出すのかというビジョンが必要だが、それがよく見えない。
 北朝鮮は米中や米ロの対立構図を活用し、大陸間弾道ミサイルICBM)を撃っても国連安全保障理事会が何の措置もできない状況をつくりだした。朝鮮半島の非核化と平和・安定のためには、中国とロシアの一定の関与が必要だ。米中、米ロ対立という全体的な流れの中であっても、協力できる場がないか模索しないといけない。
 例えば米国で新しい政治状況が生じたり、中国が北朝鮮にこれまでと違う圧力を加えたりすれば、対話に転じる可能性はある。今すぐには難しいだろうが、再び対話する余地を残しておく必要がある。


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Steve Phillips, “America is built on a racist social contract. It’s time to tear it up and start anew”(2022/10/22, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/22/america-racist-social-contract-start-anew-steve-phillips(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/22/america-racist-social-contract-start-anew-steve-phillips))

In his original draft of the Declaration of Independence, Thomas Jefferson included a forceful denunciation of slavery and the slave trade, condemning the “execrable commerce” as “cruel war against human nature itself”. The leaders of the states engaged in the buying and selling of Black bodies balked at the offending passage, and Jefferson explained the decision to compromise, writing, “The clause … was struck out in complaisance to South Carolina & Georgia who had never attempted to restrain the importation of slaves, and who on the contrary still wished to continue it. Our northern brethren also I believe felt a little tender under those censures; for tho’ their people have very few slaves themselves yet they had been pretty considerable carriers of them to others.”

The constitution itself, the governing document seeking to “establish justice” and “secure the blessings of liberty”, is replete with compromises with white supremacists’ demands that the nascent nation codify the inferior status of Black people. The “Fugitive Slave Clause” – article IV, section 2, clause 3 of the constitution – made it illegal for anyone to interfere with slave owners who were tracking “drapetomaniacs” fleeing slavery.

And, of course, there was article I, section 2, clause 3, which contains the quintessential compromise on how to enumerate the country’s Black population, resulting in the decision to count individual human beings – the Black human beings – as three-fifths of a whole person.

The whites-first mindset about citizenship and immigration policy that still roils American politics to this day is not even really the result of compromise. It is in essence a complete capitulation to the concept that America is and should primarily be a white country. The 1790 Naturalization Act – one of the country’s very first laws – declared that to be a citizen one had to be a “free white person.” That belief was sufficiently uncontroversial that no compromise was necessary, and the provision was quickly adopted.

In a unanimous opinion in the 1922 Ozawa v United States case, the supreme court ruled firmly and unapologetically that US law restricted citizenship to white people because “the words ‘white person’ means a Caucasian”, and Ozawa “is clearly of a race which is not Caucasian, and therefore belongs entirely outside the zone” of citizenship. The racial restriction was official law until 1952, and standard practice until adoption of the 1965 Immigration and Nationality Act. This centuries-long, whites-first framework for immigration policy was most recently articulated by Donald John Trump – the man for whom 74 million Americans voted in 2020 – when he asked in 2018, “Why are we having all these people from shithole countries come here?”

The sweeping social programs of the New Deal were the result of compromises with Confederate congressmen working to preserve white power. In a Congress that prized seniority, many of the most senior and influential members came from the states that barred Black folks from voting. In his book When Affirmative Action Was White, Ira Katznelson breaks down how “the South used its legislative powers to transfer its priorities about race to Washington. Its leaders imposed them, with little resistance, on New Deal policies.”

Social Security is perhaps the signature policy of the New Deal era, but in deference to white Southerners, the program explicitly excluded farmworkers and domestic workers. As Katznelson explains, “These groups – constituting more than 60 percent of the black labor force in the 1930s and nearly 75 percent of those who were employed in the South – were excluded from the legislation that created modern unions, from laws that set minimum wages and regulated the hours of work, and from Social Security until the 1950s.”

Even the cornerstone of democracy – the right to vote – remains to this day the result of a creaky compromise with white nationalists. Most constitutional rights don’t require regular legislation to be renewed. There are no Freedom of Speech or Right to Privacy or Right to Bear Arms acts. We don’t revisit those fundamental rights every 10 or 20 years. When it comes to the fifteenth amendment, however, the right to vote has necessitated further legislation to guarantee enforcement, and the opposition has been so intractable and longstanding that the Voting Rights Act has to be regularly renewed by Congress, necessitating negotiation and compromise with those who fear the power-shifting implications of letting everyone of all races actually cast ballots.


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Thomas Zimmer, “Republicans always choose radicalization to energize their electoral base”(2022/10/22, Sat.)(https://www.theguardian.com/us-news/2022/oct/22/republicans-january-6-trumpism-radicalization-voters(https://www.theguardian.com/us-news/2022/oct/22/republicans-january-6-trumpism-radicalization-voters))

But they certainly don’t consider any of that a dealbreaker. That’s partly because Republican elites understand they can’t win without the base, and the base remains committed to Trumpism. But there is more to consider than just opportunism. Almost every time the right is at a crossroads, they choose the path of radicalization, even when it’s not at all clear that’s a reasonable choice from a purely electoral standpoint – even when, for instance, it makes winning statewide races on the west coast nearly impossible.

The problem runs a lot deeper than Trump. It is crucial to grapple with the underlying ideas and dynamics that have animated the Republican party’s path for a long time. They have led to a situation in which moments of brief uncertainty almost always result in a further radicalization of the Republican party and the right in general. What happened after the 2012 election defeat that shook conservatives to the core is an instructive example: the Republican National Committee famously released an “autopsy” report that called for moderation and outreach to traditionally marginalized groups. But instead, the GOP doubled down – and went with Trumpism.

There are ideological factors at play that severely restrict the realm of possibility and significantly privilege the more radical over the more restraint forces within the Republican party. It has become dogma on the right to define “us” (conservative white Christians) as the sole proponents of “real America” – and “them” (Democrats, liberals, “the left”) as a fundamentally illegitimate, “un-American” threat. Within the confines of such a worldview, it’s hard to justify compromise and restraint.

Every crisis situation only heightens the sense of being under siege that’s animating so much of what is happening on the right, legitimizing and amplifying calls to hit harder, more aggressively. There’s always permission to escalate, hardly ever to pull back. This underlying permission structure is absolutely key, and it is always the same: it states that “real Americans” are constantly being victimized, made to suffer under the yoke of crazy leftist politics, besieged by “un-American” forces of leftism; “we” have to fight back, by whatever means. In the minds of conservatives, they are never the aggressors, always the ones under assault. Building up this supposedly totalitarian, violent threat from the “left” allows them to justify their actions within the long-established framework of conservative self-victimization.

It’s a permission structure that doesn’t allow for lines that can’t be crossed. It has proven remarkably adaptable, fully capable of handling even the most outlandish rhetoric, actions, transgressions, even crimes. As crass or radical or outrageous as some on the right might have initially perceived January 6, nothing Trump has ever done has betrayed the accepted dogma of conservative politics: that only white conservatives – and the party that represents them – are entitled to rule in America, that Democratic governance is inherently illegitimate.

And so, the permission structure of conservative politics remained fully intact and quickly allowed for a realignment behind Trump: anything is justified to fight back against the supposed onslaught from a radically “un-American,” extremist “left.” This fundamental logic of conservative politics was always likely to drown out everything else after a brief moment of shock. It is the reason why former attorney general William Barr, while leaving no doubt that Trump was responsible for an attempted coup and is completely detached from reality, still maintains that “the greatest threat to the country is the progressive agenda being pushed by the Democratic party”. And it finds its most extreme iteration in Marjorie Taylor Greene’s claim that it is time for “freedom-loving Americans” to fight back because “Democrats want Republicans dead, and they already started the killings”. Greene’s rhetoric constitutes a breathtaking assault on the very pillars of democratic political culture, on the demand that we accept the legitimacy of the political opponent and denounce the use of violence. But it is fully in line with, and justified by, the underlying logic of escalation.

Trump himself was never the cause, and always a result of these dynamics – this permission structure that overrides all else. It has shaped Republican politics for a long time and has almost always overwhelmed attempts to moderate since at least the 1990s, an era in which a more explicitly anti-democratic populism moved to the center of Republican politics. GOP elites and more “moderate” conservatives have often tried to harness the extremist, far-right popular energies on the base to prevent egalitarian, multiracial, pluralistic democracy from ever upending traditional hierarchies. And purely in terms of Trump’s legislative agenda, the Republican establishment has mostly gotten what it wanted – which is why Mike Pence, for instance, still doesn’t think he and Donald Trump “differ on issues”. But elites and “moderates” have never been able to control the accelerating radicalization that is now threatening constitutional government in America: not when the Tea Party rose after Barack Obama’s election, not when Trumpism came to dominate the GOP, not when militant white Christian nationalist extremists are reveling in the idea of using fascistic violence against their enemies.