2022/10/30, Sun.

 あなたの返事がきけさえしたら! そしてぼくは、あなたをどんなに厭らしく苦しめることでしょう! どんなにあなたを無理強いして、これまであなたがもらったこともない厭な手紙を、静かなお部屋で読ませることでしょう! ほんとうに時折ぼくは、幸福をもたらすあなたの名前を、幽霊のように貪り食っているような気がする。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、75; 一九一二年一一月一一日)




 さくばんは未明まで夜更かししてしまったので、覚醒したのは一〇時ごろ。鼻から深呼吸。背骨や背中をやわらげる習慣になったので、深呼吸したときもからだがなめらかになりやすくなった気がする。そんなに深く吐かなくてもすぐに軽くなる。一〇時二〇分に起き上がってカーテンをひらいた。天気は曇り寄りで、水色はすくない。しかし正午くらいにはだんだんと薄陽が出てきたので、そのさいには座布団と枕をそとに出した。いま一時四五分だが、穏和なひかりが通ったりまたかげったりという感じ。しかし空気に冷たさはなく、窓を網戸にして外気をとおしているけれど、肌寒いような瞬間もなくて過ごしやすい。一〇時二〇分で起き上がったもののまだ寝床を発ちはせず、すぐにまたあおむいてChromebookをもち、過去の日記の読みかえしをした。去年、二〇一四年ともにたいしたことはない。一年前の気候は以下のような感じ。「大ぶりの鳴り」とかけっこういいじゃんとおもった。

(……)スーツに着替えて、余裕をもってそとへ。一時四五分ほどだった。玄関を出ると風に乗せられたなにかの植物の綿毛らしきものがとなりの敷地の縁にただよってきて、母親が出てくるのを待つあいだ、家屋もなにもなくただひかりだけが宿っているその空き地にはいって陽を浴びていることにした。(……)さんの宅が消え去ったここは、売りに出している不動産屋の広告旗も四隅にあるそのすべてビリビリにやぶれて文字が見えないどころかもはやほとんど掛かっていないくらいだからまったく体をなさなくなっており、足もとは黒いシートが敷かれたなかに草がいくらか生えている。きょうは風がよく踊って、林がたびたび大ぶりの鳴りを吐いていたし、晴天から降って身のまわりをつつみ肌に寄りつくあたたかさがあつまっては中和的に散らされた。(……)

 2014/3/24, Mon.のほうには高橋悠治カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』(晶文社、1989年)の書き抜きがなされており、おもしろかったのですべて引いておく。EvernoteからNotionにインポートされた記事は段落頭の一字下げとか改行とかの構成が崩れるので、もともとどうなっていたのかわからず、Evernoteのほうにアクセスして確認し、Notionのほうにもそれをコピペして記事をもうけておいた。以下がこの日書き抜いた記述のすべてであり、それはまたEvernoteの記事に記録されていた書き抜きのすべてでもあった。一日で済ませているのだからたいしたものだ。もちろんいまとくらべると注目する箇所がすくないから、写す量も格段にすくないが。

 病気は突然はじまる。おもいがけないところの、おもいがけない痛み。それがうすらいでいくにつれて、自信がもどってくる。だが、これからが本当のはじまりなのだ。健康だと信じていた間も病気はもうそこにあった。それはいま自覚症状さえないからだをしっかりつかんでいる。からだだけのものともいえないだろう。健康でいた時間全体にわたって、生きていることそのものが病気の表現だったと、おもいあたることになるのだ。その時はもう病院にいる。
 (高橋悠治カフカ/夜の時間 メモ・ランダム』晶文社、1989年、16; 「病気・カフカ・音楽」)

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 カフカは自分が書くことを Kritzeln と称していた。ひっかくこと。文字通り紙をペンでひっかくこと。このことば自体、もう文字通りにうけとる以外にない。これを「書きなぐる」と訳せば、日本語に写しながら、もとはなかった意味をつけたすことになる。
 ひっかくことは単語と、それを紙にきざみこむプロセス(このことばもカフカの長編のタイトルになった。「審判」ではなく「訴訟」であり、おもいがけないものでありうる一(end23)定の結果をもたらす一連の行為の継続をさす)、さらに単語に対応する世界内の事柄のあいだのバランスを身体でとりながらすすむ。
 strecken という単語を書きつけながら、小動物がのびをするのをおもいうかべ、同時に書き手の筋肉のすみずみにいきわたる緊張を意識する。
 文章を解釈する訳文は、書く行為を、手を通さない論理と経験の操作に変えている。そこには発見はない。光の消えた後のかたちだけの再現しかない。
 センテンスではなく、単語の内部にはいりこむこと。たとえや慣用語としての単語の表面をすべりぬけてフレーズから状況をよみとろうとするのではなく、単語を抽象としてうけとるのでもなく、むしろ単語の起源にさかのぼり、その構成要素それぞれを、音色とリズムをもった具体的な運動としてとらえ、それらの組み合わせを文字通りにうけとること。
 (23~24; 「病気・カフカ・音楽」)

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 ことばは切りはなす(scheiden)。ナイフ(Messer)は量る(messen)。過去を量ることばは死者のもの。一方ことばは決める(entscheiden)。未来を決める、まだ生まれていないもののことば。ことばを所有することはできない。ことばは向うからやってくるだけ。それを待ちのぞむことができるだけ。
 (25; 「病気・カフカ・音楽」)

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 目標はある。道がない。道と名づけられるのは、ためらいだ。  (カフカ
 (26; 「病気・カフカ・音楽」)

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 ところでこの「ためらい」だが、これが方法であるとすれば(たしかに方法ということばの起源 meta+hodos にもどれば、道についてくねくねまがる線を方法と定義することはできるだろう)あらかじめたてられた目標にたどりつくための最短距離どころか、どこかにたどりつくこと自体がありえないことなので、たえず創造しつづける(それも意志にしたがって)、ということだけが方法である保証であり、くねくねまがる道の上にあるか(end27)ぎり、光をめざさなくとも、光の方がついてくるだろう。
 (27~28; 「病気・カフカ・音楽」)

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 準備をじゅうぶんにする。準備の準備もほしい。準備のなかでプロットをふくざつにする。滑走路であとずさりしている。とんでしまえば、あっという間だ。その瞬間をさきにのばす。できるだけ。
 条件をかぞえあげ、方法にこだわるのは、安全飛行のためではない。それより航路変更に賭ける。
 (43; 「「カフカ」ノート」)

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 音がめざめる瞬間は、もののなかにあるのか。人間のなかにあるのか。そのどちらでもない。音はどこかある場所にあるものではなく、音が空間であり、場所である。音がめざめると、そのなかにものがあり、そのなかに人間もいる。
 (54; 「「カフカ」ノート」)

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 四つの音しか知らなくても、そこから無限の変化をつくりだすことができる。ピアノの鍵盤全体を使ってつくりだせる変化は、それ以上のものにはならないだろうし、じっさいにはそれよりはるかにすくない。八十八のキーをあつかうためには、幾重にもつかみかさなった組織が必要になり、音が増えるにつれて制約もおおきくなってゆく。そして、八十八を知ったあとの四つの音は、それ自体が制約であり、この意図的な貧しさほど自由から遠いものはない。はじめにあった四つの音は見えるものと見えないものとの境界をかたちづくっていた。後のは、おおくの音のなかから否定を通じてえらばれたもので、文化的な価値をもたらされている。じっさいの音楽としても、起源への回帰というよりは、過去や(end64)異文化からの借用として実現することがおおいだろう、ミニマリズムがそうであったように。
 千年王国、夢の時、夜の時間などとして、それぞれの文化の枠のなかでおもいえがかれた自由は、時間の外、善悪の彼岸、文化の外側にありながら、日常の裏側の、すぐ手のとどきそうなところにあって、秩序の破れ目から一瞬こちら側にはみだしてくることもある。音楽にもそれを捉えるためのくふうが、さまざまなかたちをとって存在する。
 だが、それらのくふうは技術や方法となって人に伝えられるようなものではなかった。技術や方法は文化のなかにある。そうではなくて、そのすぐそばにありながら、個人のなかにとどまるもの、だれにでもわかるようにおもわれるのに、やってみると伝達不可能なものが問題なのだ。「心から心へ」ではない。心を超えたものに突然めざめる瞬間がある。その瞬間にむかってひらかれているための、ほとんどむだとしかおもえないほどの長い準備、日常のいたるところに永遠を釣り上げるわなをしかけておくこと(カフカベンヤミンエルンスト・ブロッホに共通する、ちいさなものへの関心)。

 音楽を通じてそれをしようとおもうなら、あたらしい音のイメージによってではなく、(end65)手の訓練によって、ひとつの音型のかすかなゆらぎをくりかえし、変化を加速しながら、またたきの間に全体の色合を転換することができるまでに、さらにそこに手のコントロールできない透かし模様が浮かびあがるまでの訓練によって近づくのだ。
 (64~66; 「「カフカ」ノート」)

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 破壊のあとに創造がくるのではなく、二つのプロセスは同時に進行している。向こう側から、すでに光がさしこんでいて、崩壊していくものが見えるのも、じつはその光に照らされているからにちがいない。
 ぼくたちは、夜の側にいる。目がくらんで何も見えなくなるのがいやだったら、光に背を向けているよりしかたがない。それとも、目を伏せたまま、方向もわからずに進むのか。
 (128; 「音に向かって」)

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 現状での作業報告――シンセサイザーの音色をつくる。プリセットか、ランダムなパラメーターの組み合わせを編集しながら、ピッチや音色が指先で不安定に変化するように調(end173)整を加える。サンプラーのなかでのサンプルの選択とキーボードへの割当を決める。各部分につかわれる音色と演奏スタイル、必要ならつかうキーを決める。各部分の始まり方をメモする。ここまでで作曲は終わる。後は全体の区分と各部分のメモを見ながら、その場で演奏するだけだ。そこで気がついたことだが、つかう音を制限する方が、自由になれる。四つの音だけで八分ほど即興したことがあった。始めのフレーズを手がかりにしてそれを変奏することも、そこから離れることも、思いがけない組み合わせをつくることもできる。これがピアノの八十八のキーを自由につかって即興することになれば、システムや伝統なしには行き詰まってしまうだろう。プログラムされた行動が優位に立てば、作曲家に支配される結末になる。細部を固定しながら量的に拡大していけば、音楽はついに少数の特権にもとづく制度――つまり今の現代音楽のようになるのだった。
 (173~174; 「ランダム・アクセス・メモリーとなった音楽」)

 「日常のいたるところに永遠を釣り上げるわなをしかけておくこと」! すばらしい。「音楽を通じてそれをしようとおもうなら、あたらしい音のイメージによってではなく、(end65)手の訓練によって、ひとつの音型のかすかなゆらぎをくりかえし、変化を加速しながら、またたきの間に全体の色合を転換することができるまでに、さらにそこに手のコントロールできない透かし模様が浮かびあがるまでの訓練によって近づくのだ」というのもなるほどなあと。「またたきの間に全体の色合を転換することができるまでに、さらにそこに手のコントロールできない透かし模様が浮かびあがるまでの訓練」。すばらしいいいかたをするものだ。ちょっとだけわかるような気がしないでもない。
 その後Guardian。ウクライナ、イラン、セルビアセルビアでは今次の戦争でもプーチン支持者が大半だということは過去に聞いていたが、それは大セルビア主義をかかげる極右がおおいに勢力をたもっているからで、ユーゴスラヴィア紛争でのセルビアの戦争責任なんてことをいおうものなら立ちどころに総スカンにあってぶちのめされるし、政府上層もいまだにスレブレニツァの虐殺をgenocideとしてみとめておらず、メディアもそういった趨勢に支配されていて、ハーグの国際戦争法廷で裁かれたラトコ・ムラディッチは国のヒーローとされていると。終わっているとしかいいようがない。そんな調子だからプーチンの今次の戦争も、旧来の国際秩序を破壊しあらたな世界をつくりだしてはじめるための待望の時ととらえられているらしい。連中はそもそもスレブレニツァとかサラエヴォの虐殺をみとめておらず、死体の映像なんかもダミーだとおもっているので、そんなやつらがブチャの虐殺の報道を信じるわけがないと。クソだ。Tomislav Marković, “The cult of Putin in Serbia reflects a nation that has still not dealt with its past”(2022/10/28, Fri.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/28/the-cult-of-putin-in-serbia-reflects-a-nation-that-has-still-not-dealt-with-its-past(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/28/the-cult-of-putin-in-serbia-reflects-a-nation-that-has-still-not-dealt-with-its-past))にそういうことが書かれてある。
 床をはなれたのは一一時半ごろ。水を飲む。トイレに行って膀胱を軽くし、顔もよく洗う。顔をよく洗うのは大事だ。便所に行くたびに洗ったっていいくらいだ。出ると屈伸したり背伸びしたり、背もたれに背中をこすりつけてあたためながら英文記事を整理したりなんだり。そうして一一時五五分から椅子にすわって瞑想。わるくないがまあまあ。このときは起き抜けでまだちょっと手が冷たいような感じだったので、座っているあいだだけエアコンをつけた。二〇分ほど。そうして食事はきのうつくった味噌汁と豆腐。汁物は二杯食べる。もう冷蔵庫に野菜などもろもろないので、きょうは買い出しに行く。夜にはブランショ『文学空間』の読書会がある。これも晦渋な本だったし、いちおう読みはしたけれどようもわからんかったし、時間も経ってしまったので見返しておかないと。会は七時から。
 椀をふたつ空にすると(豆腐も椀に入れているので)、豆腐がはいっていたほうの椀に大根をちょっとおろして、麺つゆの残滓とともに摂取する。ヤクも一錠飲んでおき、そのままさっさと洗い物を済ませて、白湯をつくると音読。「ことば」と「読みかえし」と読む。蓮實重彦の『夏目漱石論』とか。まえからおもっていたけれど、読みかえしてみればそこでいわれていることばはほとんどあからさまに、禅とか瞑想についてこちらが理解しているようなことばと似通っている。76: 「鏡と化した存在、あるいは存在と化した鏡。鏡を確信しえた騎士ウィリアムが到達しえたこの状況は、あたかも二つの向いあった表層が、たがいの表面に推移する影の戯れを完璧に模倣しあい、その模倣の運動がぴたりと同調しあうことで現在というもっとも希薄な瞬間を生きることにほかならない」とか、242: 「彼 [漱石] が本能的におびえつつも無意識に接近してしまう危険とは現在として生きられるのっぺら棒な時間であろう。そこでは自分が自分ではありえなくなるだろう無方向の時間。過去と未来とが時間に属するのであるとすれば、もはや時間とは呼びがたい時間」とか、307: 「匿名という名の希薄な透明さ、その透明な空間へと拡散しつつ記憶を失うことこそが読むこと [﹅4] にほかならない。その意味で、読むこともまた「第二の葬式」というべきものだ」とか、307~308: 「「文学」とは、意味の磁場ではなく、変容の実践でなければならない。人は、自分でなくなるために「文学」を読むの(end307)だ。自分の顔、自分の記憶への郷愁をたち、誰でもなくなるために思いきり自分自身を希薄化させ、言葉とともにあたりに拡散させねばならない」とか。瞑想というのはもろもろの自己性とか人格性とか、それにもとづいて成り立っている世界や事物との関係を一時放棄して、ひとつの存在性という散文的事実に還元されることにほかならない、というようなことばでこちらが言っていることと、ほぼおなじことを語っているようにみえる。そういうたんなる存在性への還元や自己放棄、主客合一のようなありかたは、理屈というか抽象的なかんがえとしてそうおもいはしながらも、じっさいにこの身におとずれた経験の範疇ではそこまではわからない、腑に落ちきっていないと先日記したが、きのうの帰宅後の瞑想でそれがちょっとわかってしまったような気がした。しかしこのことについて詳細に書く余裕があるかどうか。まあべつに内容としてはいままで書いてきたこととあまり変わらないとおもうのだけれど。
 音読を一時半過ぎくらいまでやって、ここまできょうのことを書けば二時一九分。
 あと読み返ししているあいだにもっと英語を身につけたいなとおもったというか、「只管朗読」という方法論があって、ひとつのテキストをとにかくくりかえし音読しまくって身につけるみたいなやつで、通訳の神様とか呼ばれていたなんとかいうひとがじぶんは中学生くらいのときにそれで英語を身につけたと語っていて知られているのだけれど、そういう感じでなんかよい教則本かテクスト見つけてそれを読みまくり、もうすこし実のある英語のちからを身につけたいなとおもった。To The Lighthouseは翻訳したいとおもっているのだけれど、まだやはりちからが足りないというか、日本語の文をつくるちからはともかく、あの英語を受け取るちからはぜんぜんだし、あとふつうに英語で会話とか経験ないしできないので、基礎をもうすこしちゃんとしたいというか。


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 いま六時二五分。うえまで書いたあとは寝床でだらだらしながらブランショをちょっと読みかえし、四時二分に部屋を抜けてスーパーへ。道中のことも書きたくてしかたがないが、きょうじゅうには無理だな。きのうのことも終わらないだろう。帰ってきて椅子に座って時間を見たのが四時五十何分か。そこからきのうのことを綴り、切りをつけていまは通話前の食事中。野菜やキノコのはいった味噌汁ののこりとパック米とスーパーで買ってきたロースカツ。したは(……)さんのブログから。さいきん追えていなかった。

 結局、「〈真実〉[ザ・リアル]の倫理」とは何なのか? 簡潔にまとめておこう。ジュパンチッチの出発点は、「よくよく見てみれば、道徳律とは純然たる欲望にすぎない」というラカンの言葉、すなわちカントの道徳律と「欲望の倫理」の相同性である。「幸福」や「善悪」に対する考慮を禁ずるカントの道徳律、「病的」な動機をいっさいもたない行為のみ——身体的・精神的快楽の表象に導かれてはいない、真に「自発的」と言える行為のみ——を自由な=倫理的なものと認めるカントの倫理、これは、すべての要求の対象——つまり意識のレベル、表象(シニフィアン)のレベルで把握された「欲しいもの」、あるいは「したいこと」——を「それじゃない!」と言って退ける(ラカンの言う意味での)欲望そのものである。ジジェクが序文で言っているように、やはりカントは、「快楽原則」の次元を描いてみせているのです。しかし、ラカン-ジジェク-ジュパンチッチ曰く、カントは、この「彼岸」を前にひるんでいる、そこに垣間見える享楽や欲動を前にひるんでいる。そんなカントの後を受け、ラカンは、この「彼岸」の倫理を「欲望の倫理」として再定式化しているわけである——「君の欲望に見切りをつけてはいけない」。わかりやすく言うなら、例えば、「意識のレベルに浮かび上がる要求の対象を手に入れるだけで満足しては(満足したふりをしては)いけない」、「意識のレベルに浮かび上がる(病的な)障害を言い訳にして、欲望を棄ててはいけない」、などと言い換えられるだろうか。
 しかし、これだけではジュパンチッチは納得しない。彼女の言う〈真実[ザ・リアル]〉の倫理は、欲望の倫理を踏まえつつ、さらに欲望の領域を突き抜けて「欲動」の領域へと進む。(「病的」な)要求の対象に「ノー」を突きつける欲望の、謎めいた、表象されざる対象-原因(α)、これが最終的に表象の枠内に現れた時、欲望は、これを退けなくてはならない。欲望は、欲望としての純粋な姿(形式)を保つために、この対象に対しても「それじゃない!」と言わなくてはならない。主体は、ドン・ジュアンのレベル——要求の対象をひとつひとつ手に入れ、そして棄てていくこと自体の中に満足を見出す欲動のレベル——に移行しなくてはならない……。シーニュのおかれているような究極の状況においては、このようにして欲望の対象に見切りをつけることこそ、(純-)欲望に対して見切りをつけない唯一の方法である。これこそ、幸福・快楽・善悪など、表象・意識のレベルに位置づけられるものを動機とせずに、真に「自発的」に、つまり倫理的に、行為する唯一の方法なのである。
(『リアルの倫理——カントとラカン』アレンカ・ジュパンチッチ・著/冨樫剛・訳より「訳者あとがき」p.320-321)


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 四時ごろスーパーへ外出。建物を出ると右に踏み出し、すると路地の出口は目のまえで、すぐに歩道と車道の区分けがない道にはいる。車のない隙にわたって左折を行けば、暮れにかかったあたりの空気はいくらかにおうように沈みこんできていて、正面の信号が黄色を灯しているのが宙にすこしだけきわだって映り、空はといえば雲もけっこうくっついており、西陽の色がぼんやりひろがりながら向かいの家屋にかくされている、とすすむうちにそのみなもとがあらわれて、上下から白い雲にぴったりはさまれたなかで鋭々と、雲の白を剥がし取らんばかりのさらに烈しい白さでかがやいているのが、ちょうどまぶたのあいだに瞳がおさまっているかの絵図だった。すすんで車道を渡り、ちょっと北へ、角で西にひらいた通りにはいり、そこには小公園付属の公民館的な建物があるが、その二階あたりから音楽が、七〇年代から八〇年代にかけてのアメリカの女性コーラスグループがやっているような、軽快な調子でみんなが踊るような音楽がながれでており、だれかひとり音源ではなくそこにいるひとが歌ってもいたようで、なにかの教室かあつまりだったのだろうか。きょうは通りをそのまま行かず、公園を過ぎてすぐの口でまた北に進路を変えた。遠回りしてすこし余計に歩こうという魂胆である。(……)から(……)までまっすぐ東西につなぐ道に行き当たるこの路地は、すすんでいくと左手に小学校がのぞき、グラウンドをまえに視界の右側に置かれた校舎がひかりを真っ向から堂々と浴びて、凝縮したオレンジ色があざやかに跳ね返って撒かれるとともに、そこを中心に建物が色づき染めあげられているのに、印象派の絵画の興趣を、これをもっと淡く解体させればモネが聖堂とかをえがいたあの感じだなとおもった。おもての東西路に出ると左に曲がり、車の通る横を行くが、ここでもまた対岸の、時代に取り残されているような真っ黄色の外観をもった電気屋の、その表面で店名を示した銀色の大文字がかがやきに強襲されており、歩みのあいだにその烈光が文字のうえをじわじわにじっていくかに移動し、やがて端から蒸発するように消えていった。そうして左にひらくのがスーパーのある(……)通りであり、横断歩道をわたってからそちらに折れてすすむ。もうひとつのスーパー(……)のほうはいまだ一度もはいったことがない。無条件でひとのすくない環境を好むたちなので、どうしても(……)のほうをえらんでしまうのだ。(……)の脇から細道が裏に伸びており、そこにはいって行くと寺の裏側、(……)駅前にいたるマンションと塀にはさまれた道で、風を浴びつつ駅まで来ると、マンションの横の小広場めいたスペースに、シートは引いていたかもしれないが、三人だか地べたに座りこんで談笑している中高くらいの女子がいて、線路とホームをおさめた駅舎の向こうには西陽の本体が燃える球としてじらじら浮かんでいた。駅前から細道にはいってスーパーへ。入店。野菜類を補充。鍋スープもふたつ、ちゃんぽんのと寄せ鍋のと。その他ロースカツを買ったんだっけか? 帰ったあと、日記を書いてから通話のまえにそれをおかずに米を食ったはず。日曜なのでこの時刻でもひとはそこそこ多かった。


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 あとは通話時のこと。(……)
 (……)
 (……)
 (……)


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 (……)
 (……)
 (……)


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  • 「ことば」: 6 - 10
  • 「読みかえし2」: 372 - 388
  • 2021/10/30, Sat. / 2014/3/24, Mon.


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Joanna Walters, Nadeem Badshah and staff, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 249 of the invasion”(2022/10/30, Sun.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/30/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-249-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/30/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-249-of-the-invasion))

The Russian government has written to the United Nations saying it is indefinitely suspending the Black Sea grain deal that allowed vital exports of Ukrainian food supplies. Moscow also requested a related meeting of the UN security council in New York on Monday. The US president, Joe Biden, said Russia’s actions were outrageous.

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Up to 100 prisoners of war have reportedly been exchanged between Russia and Ukraine. Russia’s defence ministry said on Saturday that Ukraine handed over 50 prisoners of war after talks. The Ukrainian armed forces account posted on Telegram that “52 Ukrainians returned home” during another “exchange of prisoners”.

The Ukrainian presidential aide Mykhailo Podolyak has expressed scepticism about the takeover of Twitter by Elon Musk. The billionaire and Tesla boss drew fury from Kyiv and praise from Moscow this month when he posted a Twitter poll proposing Ukraine permanently cede Crimea to Russia, that referendums be held under UN auspices on the fate of Russian-controlled territory, and that Ukraine agree to neutrality.

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A mobile phone app has been developed by Ukrainian volunteers to allow civilians to report sightings of incoming Russian drones and missiles – and, it is hoped, increase the proportion shot down before they hit the ground. The app, ePPO, relies on a phone’s GPS and compass, and a user only has to point their device in the direction of the incoming object and press a button for it to send a location report to the military.


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Deepa Parent, “Iran accuses journalists who reported Mahsa Amini’s death of spying for CIA”(2022/10/29, Sat.)(https://www.theguardian.com/global-development/2022/oct/29/iran-accuses-journalists-who-reported-mahsa-aminis-death-of-spying-for-cia(https://www.theguardian.com/global-development/2022/oct/29/iran-accuses-journalists-who-reported-mahsa-aminis-death-of-spying-for-cia))

Two female journalists who were instrumental in reporting the death of Mahsa Amini, the 22-year-old woman whose death in the custody of Iran’s morality police has sparked nationwide protests, have been labelled as CIA foreign agents by the Iranian regime.

Niloofar Hamedi and Elahe Mohammadi, who were arrested shortly after news broke of Amini’s death and who are reportedly being held in Iran’s notorious Evin prison, were accused of being foreign agents in a joint statement released by Iran’s ministry of intelligence and the intelligence organisation of the Islamic Revolutionary Guards last night.

The statement, which refers to the two women as NH and EM, also described the protests as a pre-planned operation launched by the CIA, Mossad and other western intelligence agencies.

The statement, which accused both women of being “primary sources of news for foreign media”, accused Hamedi of posing as a journalist and of compelling the family of Mahsa Amini to release information about their daughter’s death.

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More than 40 journalists have been detained since the protests erupted on streets across the country. Iran’s Human Rights Activists News Agency (HRANA) estimates that more than 220 people have died at the hands of the security forces since demonstrations began more than six weeks ago.


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Tomislav Marković, “The cult of Putin in Serbia reflects a nation that has still not dealt with its past”(2022/10/28, Fri.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/28/the-cult-of-putin-in-serbia-reflects-a-nation-that-has-still-not-dealt-with-its-past(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/28/the-cult-of-putin-in-serbia-reflects-a-nation-that-has-still-not-dealt-with-its-past))

“Ukraine attacks Russia!” was the surreal headline on a report in the 22 February edition of Informer, Serbia’s biggest-selling tabloid. That headline was not a one off, it was an expression of the Putinophilia that has been strong in Serbia for years. As most of the world condemned Russia’s aggression against Ukraine, much of the media in Serbia turned to glorification of Russia’s actions. Tabloids, web portals, dailies, weeklies and nationwide television channels celebrated the destruction of Ukrainian cities and gave wholehearted support to Russian armed forces. The killing of civilians, the levelling of cities and the destruction of cultural monuments appeared to fill some of Serbia’s editors with enthusiasm and exuberance.

Pro-Russia rallies took place in Belgrade, at which the crowd cheered Putin and the letter Z was scrawled on the asphalt. The rest of the world shuddered as it watched real-time coverage of corpses on the streets of Bucha, civilians sheltering from Russian shells in underground stations and millions of refugees fleeing their country, but instead of compassionfor innocent victims, understanding for the criminals seemed the response of Putin’s Serbian fans.

If President Aleksandar Vučić’s allies in the Serb media appear sanguine about death and destruction in Ukraine, he claims that the country is politically neutral. Serbia has grudgingly voted in favour of the UN general assembly’s resolutions condemning Russia’s use of forceand illegal annexation of Ukrainian territory. But the Vučić government has repeatedly refused to back western sanctions against Russia. European officials, US senators and various envoys have flocked to Vučić, telling him that it was time to choose: would Serbia be part of Europe or an ally of Russia? Despite all the pressure, Vučić keeps Serbia in limbo.

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Serbia’s attitude towards the war in Ukraine requires additional context. Whereas in other countries, the Russian state-owned news agency, Sputnik, and the Russian TV channel RT diffuse the Kremlin’s propaganda, in Serbia most of the domestic media act as if they themselves are part of the Russian machinery under the command of the Kremlin’s communications supervisors. The problem is not limited to the media. Serbia has never renounced the Greater Serbia nationalist ideology that led to the wars of the former Yugoslavia. The one exception was the short premiership of Zoran Đinđić, but that was cut short by his assassination in 2003 .

Today’s Serb political leaders were participants in the wars of the 1990s. Vučić was a high-ranking official of the Serbian Radical party of convicted war criminal Vojislav Šešelj. His coalition partner Ivica Dačić, leader of the Socialist party of Serbia, was Slobodan Milošević’s spokesman. One of Vučić’s closest associates, the minister of the interior, Aleksandar Vulin, began his career as a functionary of the Yugoslav Left, the party founded by Milošević’s late wife, Mirjana Marković. Today’s minister for European integration, Jadranka Joksimović, worked on the Serbian Radical party’s magazine, Velika Srbija, whose title (Greater Serbia) speaks for itself.

Serbian political leaders still don’t publicly acknowledge Srebrenica as genocide. If at all, they refer to the “terrible crimes” committed. But there has been no dealing with the past at the state level. On the contrary, political, media, cultural, church and social elites continue to deny Serbian responsibility for war crimes. Serbia’s recent historical revisionism suggests that it was Serbs who were the victims , never the criminals. Internationally convicted Serb war criminals return home after serving their sentences and given heroes’ welcomes, sinecures and media space to expound their version of the truth, which The Hague tribunal was of course, unable to understand.

Murals sport the image of Ratko Mladić often with the slogan “Serbian hero” in cities all over Serbia. Anyone who speaks about Serbian crimes is smeared as a traitor by a media lynch mob. At the Serbian war crimes prosecutor’s office, 2,500 cases have been languishing at the pre-trial investigation stage for years. According to estimates by the Humanitarian Law Center in Belgrade, at least 6,000 unconvicted war criminals freely walk the streets of Serbian cities.

For far-right Serb nationalists, the current state of peace in the Balkans is temporary, just like the borders. They still dream of a great Serbian state that will encompass Kosovo, Montenegro, Republika Srpska and parts of Croatia. The realisation of that dream is not possible as things stand, but the nationalists are patient. After defeat in the Yugoslav wars, they retreated to lick their wounds, fuel hatred towards their neighbours and keep the population in a state of combat-readiness via the media. That they must bide their time until international circumstances change has been one of the main narratives of Russian propaganda for the Serbian market filtered through parts of the Serb media for more than two decades.

Serb ultra-nationalists have waited for Russia to enter into a decisive conflict with the western antichrist, to defeat godless Europe and the USand to establish a different world order. They have placed their faith in Putin as a messiah and imagine him as an upgraded version of Slobodan Milošević: the ruler of a powerful empire with a nuclear arsenal at his disposal.