2022/11/6, Sun.

 どうか正確に、あなたが元気なのかどうか、書いてください。あんな頭痛! あんな涙! あんな神経過敏! 最愛のひと、ぼくは幾度でもお願いしますが、ちゃんと寝て、散歩なさい。そして、ぼくの手紙を読んで、ぼくの不注意から取り除けなかった非礼な箇所が近づくのに気づいたら、どうか容赦なく手紙を破いてください、しかしどうか落着いて下さい! 手紙一通くらい問題ではありません。ぼくは一通にたいして十通書き、あなたが十破れば、代りに百書きます。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、108; 一九一二年一一月二四日)




 れいによって疲労にやられて気づかず死亡。五時くらいからあいまいに覚めていたのだが、呼吸をしつつもたしかな覚醒につながらず、七時を越えてようやく意識とからだの輪郭がはっきりしてきた。起き上がったのは七時半か四〇分ごろだったとおもう。カーテンをあけると空は水色に晴れわたっており、一見して雲もみられず、あかるい日和になりそうだった。そのまま寝床で脚をほぐしながら過ごす。ふくらはぎをこまかいところまでマッサージするのがやはり最強ではないかという点に立ちもどった。やさしく時間をかけてゆるやかにやったほうがよい。血流増進で余計にうながされるのだろうが、背中のうえのほうまで連動してやわらげるちからがある。Chromebookではいつもどおり、ウェブをちょっと見たり、過去日記を読みかえしたり、Guardianを見たり。一年前からはニュースを。

(……)日本に逃れてきているウイグル族の苦境について新聞記事を読んだ。パスポートを更新しようとしても大使館で拒否されるらしい。代わりに旅行証という準パスポートみたいなものを取得するのだが、それにあたっても面談をしなければならず、いろいろ訊かれるらしい。記事ではなしをきかれていたひとはみな、ウイグル自治区に帰れば拘束されたり弾圧されたりすると恐れており、月に一度故郷の家族と通話しているという男性によれば、数年前から父親はイスラームにおける日常的なあいさつである「あなた方に平安がありますように」みたいな文句すら口にしなくなったという。日本国内で氏名を公開して抗議活動をしている男性が兄と通話していたときには、とちゅうで漢族の男がはいってきて、抗議の参加者を教えてくれればあなたが望んでいる帰化ができるよう便宜を図るみたいなことを言われたといい、要するにスパイに誘われたわけだが、それで通話を切ったと。兄のからだには暴行を受けた痕があったといい、その後の安否は不明。日本国内には二〇〇〇人ほどのウイグル人がいるらしいが、帰化を望んでいるひとが多く、すでに一割くらいは帰化したと見られるらしい。継続的な収入などの帰化条件を満たせないひとは難民申請に望みをかけるが、周知のとおりこちらは狭き門で審査に数年以上もかかる。

 二〇一四年のほうはぜんぜんおもしろくないというか、まずもってぎこちなくない語り口が確立されていないのがひと目でわかるから、真面目に読み返す気にもならず、流し読みというか、読むというよりも斜め見くらいになってしまいがちなのだけれど、この朝に見た2014/3/30, Sun.からは以下の風景だけはいちおう読みはした。おもしろかったりもの珍しかったりする部分はとくにないが、このころのじぶんとしてがんばっていることはみとめられる。つなぎなしでことわりなく場所が移動しているような書き方は、いまのじぶんはやらないなとおもった。とちゅうに出てくる桜は実家の最寄り駅のものなのだが、そのつぎの文、「薄灰色の大気を割って西空から射した光は、いまだつややかに濡れる家屋根や、水をはじいて乾くのを待つ車のフロントや、涙のような草露のことごとくに宿り、電車が進むにつれて光もそれらの上を滑るように流れていった」では場所が電車内にうつっており、移動が暗黙化されている。そのつぎの文に出てくる老婦人もこれは降りた駅のホームで見かけたものだし、デパートは(……)に移動したあとのことで、また電車に乗ったというのが省略されている。こういう省略法は良し悪しあって、わざわざ説明せずとも描写内に移動したということをさりげなくふくませ理解させることができると、小説とかではかっこうよいし推移が緊密になるが、ここでのじぶんはそういうことをやろうとしたわけではなく、この程度の文でもとうじはできるだけちからをこめているとおもっているから、そういう文調のなかに、具体的な要素がすくないような移動の情報とか、印象にのこっていない電車のなかのこととかをどう統合させれば良いのかがわからなかったのだ。結果、記憶によくのこったものだけとりあげて書くことになり、そのあいだのつなぎが欠けて、羅列的になっている。

 雨はやみ、首を傾けると青空が見えはじめていた。頭上では均質な灰色が一面に広がるばかりだけれど、南に目をやれば、彼方に向かって巨大なひとつひとつの雲が色を暗めながら段になって連なっているのが見て取れ、それらが一体となって這うように、山の上へのしかかるように西へと動いていた。林に入るとカラスがけたたましく鳴き、盛ったような猫の声も聞こえた。光の射しはじめたほうへ林のなかをのぼり、細い道から抜けだすと、雲間から太陽があらわれ出ていて、アスファルトは薄く雪が積もったように真っ白だった。おとといはまだ大半がつぼみだった桜は見事に花開き、ほのかな薄桃色を帯びた白い明かりが隙間なく灯った様子はそれこそ木が雪をまとっているようで、まわりを囲む空気の水っぽい青がそこだけ濃く見えた。薄灰色の大気を割って西空から射した光は、いまだつややかに濡れる家屋根や、水をはじいて乾くのを待つ車のフロントや、涙のような草露のことごとくに宿り、電車が進むにつれて光もそれらの上を滑るように流れていった。西陽のなかを白髪の老婦人が歩くと、うしろでくくったその髪の黄みがかったすじまであらわになり、耳から揺れる金色のイヤリングがちらちらときらめいた。デパートの壁には太陽が手を伸ばして空を映し出し、その手が窓にまで達してやわらかな光が広がると、透きとおった緑のガラスと青空が溶けあって、風に揺れる木々を映すさわやかな夏の川めいた色に染まった。

 Guardianではウクライナの概報と、フランスで国民連合(Rassemblement National)のトップがマリーヌ・ル・ペンからJordan Bardellaという二七歳のひとに替わったという報せを見た。もともと側近で、パートナーもル・ペンの姪らしい。国民連合、旧国民戦線は、マリーヌ・ル・ペンの脱悪魔化戦略が功を奏して、着実に議会や正規政治のなかに食い込んできている。〈In legislative elections earlier this year that robbed Emmanuel Macron of his parliamentary majority, the party won a record 89 seats.〉〈Critics said the laundering operation was more about style than substance, but it worked. In 2012, Le Pen polled 17.9% of votes in the first round of the presidential election. In 2017 that rose to 21.3%, and in 2022 to 23.15%. In 2014, the RN’s list of candidates, headed by Bardella, won the European elections in France, with 24.9% of the vote, sending 25 representatives to the European parliament.〉とのこと。EU議会にも二五人送っているというからおそれいる。ヨーロッパはイタリアでもGiorgia Meloniが首相になったし、ハンガリーのオルバンはあいかわらずでさいしょのころはロシアを非難する発言をみせていたものの、いまはもう反EUにもどっているし、ポーランドはさすがにロシア(とベラルーシ)にたいする危機感があるから一時ウクライナEUと協調的になっているけれど今後はわからないし、イギリスも荒れている。チェコとかオーストリアとか、あるいは東欧のほうとかはどうなのか知らないが、すくなくともセルビアはほぼ親プーチン一色で、大セルビア主義をかかげる極右の勢力がかなりつよいというのもこのあいだ読んだ。アメリカはここで中間選挙だが、共和党はもうほぼドナルド・トランプとそのお仲間である陰謀論者たちの党になってしまったと言って良いだろう。中国はゼロコロナ政策と強圧をあくまでつづけるつもりのようだし、台湾侵攻は間近だとひたすらにいわれつづけている。北朝鮮も荒ぶっている。ミャンマーもやばいしエチオピアもやばいし、アフガニスタンもやばいしパキスタンも気候でやばい。イエメンもシリアもやばいままだろう。パレスチナイスラエルはずっとやばい。日本は統一教会問題で政府与党がグダグダだし、立憲民主党は支持基盤が根付かず死に体、分野によっては維新との協力も言っているし、野党勢力としてはその維新の党がさいきんではいちばん躍進している。対抗勢力としてはいちおう共産党が一定の基盤をそなえつついるにはいるが、逆にいえばそれだけだし、憲法解釈など政策上の問題で与党になる道はない。ブラジルではいちおうボルソナーロがやぶれてルラ大統領が復帰した。でもいま検索してみたら、50.9%対49.1%の勝利だったらしいから、やばくないとはまったくいえない。ふつうにかなりやばい。
 九時過ぎに離床した。冷蔵庫のペットボトルから黒いマグカップに水をそそいで飲み、トイレへ。用便をして、顔も洗う。席について、昨晩スイッチをつけただけで終わってしまったコンピューターを準備。Notionにログインするなど。あと歯も磨いた。九時半ごろから寝床のほうにうつり、座布団のうえに乗せた枕に尻を乗せて瞑想。何分やったか見なかったが、たぶん一五分行くか行かないかくらいだったのではないか。ふくらはぎをよくほぐしておくとからだは楽で脚もしびれないが、ただ血流がよくなって身がちょっと昂進したようになるから、じっと座っているのではなくてはやく活動したいというこころになってしまい、あまり静止に集中できない。座っているあいだにかんたんな英語の詩の案がひとつやってきたので、その後メモしておいた。そうして食事へ。味噌汁ののこりに、やはりあまった少量のキャベツと豆腐で生サラダにして、あとおととい(……)さんが買ってきてくれた唐揚げ、これらはもともと昨夜の夕食にあてるつもりだったのだが、きのうは帰ってきて休んでいるうちにものも食わずに寝てしまったのだ。食べ終えて食器類をかたづけると、洗濯をすることに。カラフルな模様の開襟シャツを洗うので、ひさしぶりに洗濯ネットをつかうことになった。そのあとは日記を書くも「読みかえし」ノートを読むもせず、ウェブをてきとうにだらだらみながらきのう買ったクッキーを、ふだんそんなことはしないのだけれどなぜか手にカスがつくのを厭うて箸でつまんで食いつつ過ごし、切りをつけたところで洗濯物を干した。正午には達していなかったとおもう。円型ハンガーのほかはバスタオルと肌着の黒シャツときのう着たカラフルシャツくらいでそう多くない。バスタオルを物干し棒にピンチで留めようとするときょうもタオルのひろがりに空気のながれが寄ってきてちょっとかたむく感触が手につたわり、といって風が吹くというほどではなく、空はあいかわらず雲を追放してひかりの白っぽさがまぶされた水色にさわやかであり、地上にも太陽の手足がたしかな色味をもってながれてカーテンはあかるい。
 寝床にうつってパウル・ツェラン全詩集の一巻を読みすすめた。ふくらはぎに主にターゲットをさだめたが、そうするとやはりはかどる。よい。ところで図書館の本の返却期限はきのうまでで、延長しようとおもっていたのをわすれており、(……)駅のレリーフ前でふたりを待っているあいだに図書館のほうにおもいが行くことがあってそうだとおもいだし、帰ったら延長するのだとその場であたまのなかになんども言い聞かせておいたのだけれど、すっかりわすれてしまっていた。したがっていちど返しに行かなければならない。天気がいいからまたあるいて図書館じたいまで行くのも悪くはなかろうし、それかもうすこし近間にある出張ブックポストみたいなやつに入れに行っても良い。いずれにしても冷蔵庫のなかに食い物がもう乏しいから、買い物に出なければならないのだ。
 書見から起き上がってきょうのことをここまで記すと、いまはちょうど二時にいたったところである。一〇月三〇日の記事をいいかげんきょうはかたづけてしまいたい。それが終われば、おとといは籠もったからべつにもういいかなという感じで、きのうのことはまだなにも書いておらず、外出したからながくはなるだろうがそんなに気負うこころはない。そういえばきのうの夜に(……)さんからシフトメールが来ており、今週の木曜日に復帰することになっていた。そのあとは毎週月曜。ひとまずは週一日でやりつつ、また週三までだんだん増やしていくのがよいだろう。(……)くんの英語にまた当たることになるはずなので、長文テキストも読んでおかなければならない。さきほど母親からコートはだいじょうぶかとSMSも来ていたので、そのうち取りに行くわと受け、木曜から復帰することもつたえておいた。
 

     *


 いまもう七日月曜日にはいって零時一五分。あしたの朝は通話で、Ulyssesを訳さねばならんとそれに時間をついやし、けっきょくここまで一〇月三〇日は書けず。きのうのことも。きょうの外出路も書きたいが駄目。Ulyssesは訳すとなるとマジでクソむずい。きょうやったのは前回ののこりで、したの「力強きわれらが母よ!」以降なのだけれど、たぶん七時くらいからはじめてそれからずっとだから、このわずかな量をつくるのに五時間くらいかかった。けっこうがんばれたつもりではあるが。というかかなりがんばらないとぜんぜん良い日本語にならないような英語になっている。こまかい註釈はあした以降かなとおもうが、いちばん苦戦したのはhyperborean。lovely mummerも困った。しかしhyperboreanにとにかく時間がかかり、そのわりに穏当な感じにしかできなかったが、これはもうしょうがない。そこだけ註釈しておくと、この語はもともとギリシャ由来で、boreanというのはボレアス、北風(の神)のことで、「北風の彼方に住む人々」の意味だったという。ギリシャ読みだとヒュペルボレオイ、ヒュペルボレイオスになるらしいが、つまり世界のいちばん北の果ての民というわけで、そのくせヘロドトスプリニウスによれば、ここは常春の国として想像されていたという。ウィキペディアを引くに、「彼らが住むところは「トラキアやスキュティアよりも」遠い極北の、プリニウスによれば天に最も近い、世界の蝶番のような場所で、宇宙の中心にある地球の「星の運航の極限」であり[2]、一年中が春で、穏和な気候に恵まれ、一日中が夜の無い昼である。永遠の光、光明、に包まれた、幸福に満ち溢れた地(国)で、彼らは自由に空を飛び、病気・労働・心配も知らず、1000年に至る寿命と至福の生を送り、平和に暮らしているという。土地は肥沃で実りは豊か、山は蝶、川は魚、森は一角獣に溢れる」。だから、文脈からすると冷血人間的な意味で取ることができて、柳瀬尚紀も「冷感人種」と訳しているのだけれど、しかし神話に沿うならばこの地は極北のくせに常春であり、その民は「アポローンを篤く崇拝する民族として知られ、彼らの住む地(国)は一種の理想郷と捉えられていた」というからことがややこしくなる。そしてさらにもう一層問題をややこしくするのが、ニーチェがこの語を「超人」とむすびつけてつかっていたらしいのだ。その情報はThe Joyce Projectという研究・註解サイトのhyperboreanの項に載っている(http://m.joyceproject.com/notes/010040hyperborean.html(http://m.joyceproject.com/notes/010040hyperborean.html))。

Thornton notes the philosopher's use of the term in The Antichrist (1888, publ. 1895): "Let us face ourselves. We are Hyperboreans; we know very well how far off we live. 'Neither by land nor by sea will you find the way to the Hyperboreans'—Pindar already knew this about us. Beyond the north, ice, and death—our life, our happiness. We have discovered happiness, we know the way, we have found our way out of the labyrinth of thousands of years." Gifford adds that the adjective is used in The Will to Power (1896) to characterize the Übermensch.

 ニーチェも(英訳だが)Beyond the north, ice, and death―our life, our happiness.と書いているように、この地そのものがiceなわけではないのだ。とすると、冷淡・冷血の意味は、文脈からするとひじょうに適合するしそれもあきらかにふくまれてはいるのだけれど、どちらかというとここは、スティーヴン・ディーダラスの不信心な(反キリスト教的な)ふるまいに主眼を置いた訳にしたほうが良いのではないかとかんがえた。そしてそれを考案するのがとてもむずかしかったのだが、けっきょくは「神をも畏れぬ極北民族」と、こなれきったのかいまいちわからない訳語になった。hyperboreanのhyperが超越の意味だから(直接は北風を超えるわけだけれど)、その意味を生かして、またニーチェの響きも考慮して、「神を超える」というイメージの方向でかんがえて(ニーチェのいわゆる「超人」概念が神超越を含意しているのかどうか知らないし、疑問なのだけれど)、「神を超える」→(+不信心・不敬虔・罰当たり)→「神を畏れない」だろうと。あとは北風を超えた果てという原義をどう取りこむかだが、これはもうたんじゅんに「極北」にしてしまった。「~~人」的な意味合いは柳瀬を真似て「民族」に。ただややこしいのは、「神をも畏れぬ」と言ったところで、原義だとむしろアポロンを奉じているわけだから、神を敬いまくっているのだ。しかしこれは解決できない。ここでいう「神」はキリスト教の神のみだと理解してもらうほかはない。

 Buck Mulligan frowned at the lather on his razorblade. He hopped down from his perch and began to search his trouser pockets hastily.

 ―Scutter! he cried thickly.

 He came over to the gunrest and, thrusting a hand into Stephen’s upper pocket, said:

 ―Lend us a loan of your noserag to wipe my razor.

 Stephen suffered him to pull out and hold up on show by its corner a dirty crumpled handkerchief. Buck Mulligan wiped the razorblade neatly. Then, gazing over the handkerchief, he said:

 ―The bard’s noserag! A new art colour for our Irish poets: snotgreen. You can almost taste it, can’t you?

 He mounted to the parapet again and gazed out over Dublin bay, his fair oakpale hair stirring slightly.

 ―God! he said quietly. Isn’t the sea what Algy calls it: a great sweet mother? The snotgreen sea. The scrotumtightening sea. Epi oinopa ponton. Ah, Dedalus, the Greeks! I must teach you. You must read them in the original. Thalatta! Thalatta! She is our great sweet mother. Come and look.

 Stephen stood up and went over to the parapet. Leaning on it he looked down on the water and on the mailboat clearing the harbourmouth of Kingstown.

 ―Our mighty mother! Buck Mulligan said.

 He turned abruptly his grey searching eyes from the sea to Stephen’s face.

 ―The aunt thinks you killed your mother, he said. That’s why she won’t let me have anything to do with you.

 ―Someone killed her, Stephen said gloomily.

 ―You could have knelt down, damn it, Kinch, when your dying mother asked you, Buck Mulligan said. I’m hyperborean as much as you. But to think of your mother begging you with her last breath to kneel down and pray for her. And you refused. There is something sinister in you ...

 He broke off and lathered again lightly his farther cheek. A tolerant smile curled his lips.

 ―But a lovely mummer! he murmured to himself. Kinch, the loveliest mummer of them all!

 He shaved evenly and with care, in silence, seriously.

 

 バック・マリガンはしかめっ面で剃刀の刃に乗った石鹸の泡を見やった。座っていた胸壁の上からひょいっと飛び下りると、ズボンのポケットをせわしなく、ごそごそやりはじめる。
 ――くそったれったらねえや! 野太い詰まり声でわめいた。
 それから砲座のところに来ると、片手をスティーヴンの胸ポケットに突っこんで言った。
 ――お鼻拭きをちょっくら拝借、剃刀を拭いたくってね。
 スティーヴンが好きにさせてやると、バック・マリガンはしわくちゃの汚いハンカチを引っぱり出して、これ見よがしに端をつまみあげた。刃をきっちり拭ってきれいにする。そうして、ハンカチをまじまじとながめて言うには、
 ――こりゃ、詠い人 [うたいびと] のお鼻拭きだな! われらがアイルランドの詩人どもに似つかわしい、あたらしき芸術の色。青っ洟緑だ。味見でもしてみたらどうだ、な?
 彼はふたたび胸壁に登ると、ダブリン湾にまなざしを放った。淡い楢色まじりの金髪が、かすかに揺らぐ。
 ――いやはや! とおだやかにもらした。海ってえのは、アルジーが言ってたとおりじゃないか? 大いなる麗しの母だと。青っ洟緑の海。玉袋縮み上がる洋 [よう] 、ってとこだ。葡萄酒色の海の上にて [エピ・オイノパ・ポントン] 。なあ、ディーダラス、ギリシャ人だよ! おまえに教えてやる。原文で読まなくっちゃだめさ。おお、海原 [ターラッター] ! おお、海原 [タッラッター] ! ってな。 [別案: わだつ海よ! わだつ海よ! ってな。] われらが大いなる麗しの母だぜ。ほら、見てみろ。
 スティーヴンは立ち上がって、胸壁に寄った。もたれかかると海面を、そしてキングスタウンの湾口を抜けていく郵便船を見下ろす。
 ――力強きわれらが母よ! とバック・マリガンは言った。
 出し抜けに、灰色の窺うような目つきを海からスティーヴンの顔に向けかえる。
 ――叔母さんは、おまえがおふくろさんを殺したと思ってんだよ、と口にした。んなわけで、おれをおまえと付き合わせたくないんだ。
 ――殺したのはどっかの誰かさんだろ、とスティーヴンは陰鬱に返した。
 ――でもよお、キンチ、ひざまずくくらいはできたろうが、死にかけのおふくろさんが頼んでんだから、とバック・マリガンは言う。おれだっておまえに負けないくらい、神をも畏れぬ極北民族 [ハイパーボリアン] だよ。しかし思ってもみろ、自分のおふくろがもう虫の息で、頼むから膝をついてくれ、祈ってくれって言ってるんだぜ。それをことわった。おまえにはどっか、ねじくれたところがあるよ……。
 そこでやめて、手から遠いほうの頬にもう一度、泡をそっと塗り直していく。このくらいで許してやるかという笑みが口もとに浮かんだ。
 ――まったく、素敵な役者のむっつりさんだね! と自分ひとりでこそこそ言っている。キンチ、みんなのなかでいちばん素敵なむっつりさんめ!
 そうしてむらのないように慎重に、黙って、真剣に、髭を剃る。

 

     *


 いま一一月九日水曜日の午後二時四〇分、天気の良い昼下がりで、窓を開けていてもジャージの上着をまとっているとすこしからだがぬくもりを帯びて暑いくらいだが、この日のことであと書いておきたいのはJoyceの訳についてと、外出路だけ。まず訳についてふれておく。
 前回訳したときに「ビチグソ野郎が!」という罵倒にしたscutterだが、読みかえしてみるとやっぱりこれだとちょっと変かなとおもったので代替をかんがえることにした。「野郎」とつけてしまうと、特定の誰かではなく、ハンカチを持っていないじぶん、もしくはその状況じたいにたいする悪態だという点がぼやけてしまってどうも。ふつうに「クソ野郎!」だったら一般的だからまだしも通じそうな気がするのだけれど、scutter=thin excrementというニュアンスを活かそうとして、「ビチグソ野郎!」としてしまうと、あまりない悪態のつきかただから、余計に焦点がぶれてしまう。これは要は「くそったれ!」だと理解しているわけである。だからもうその一語でもいいような気もしたのだけれど、scutterで調べるとこれはrunny poo、水っぽいうんちとか、diarrhea、すなわち下痢のことだという情報も、どこまで信頼しきれるのかわからないが出てくるので、やはりもう一歩なにかほしい。それで「くそったれったらねえや!」と強調的な感じにした。「垂れる」の「たれ」と、「~~ったら」が音的にもかさなってより垂れてる感じにならなくもないかな、ともおもって。柳瀬尚紀の「どへッ」(damn it)を真似するなら、「下痢便」から取って「げべッ!」とか入れても良いのかもしれないが。
 あと前回部分で変えたのはThalattaで、前回は「大海よ!」か「おお海原!」の二案を挙げておいたが、今回前者は破棄し、「おお、海原!」と点もくわえたかたちを正式版としておいた。さらにあたらしい別案として、「わだつ海よ!」。いちおうギリシャ語で、しかもBuck Mulliganが原文で読まなくっちゃだめさと言っているので、あっちの文化圏で古代ギリシャ語っていうと日本語では古語みたいなもんだろうとおもって、その感じを出すのだとしたら「わだつみ」かなと。海の古い言い方である「わだつみ」は『きけ わだつみのこえ』の書名と、むかし元ちとせが出したデビュー曲である"ワダツミの木"でふれる機会があったものだが、もともと海の神の意らしく、ウィキペディアによれば「「ワタ」は海の古語、「ツ」は「の」を表す上代語の格助詞、「ミ」は神霊の意であるので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になる」とのこと。「渡津海」という表記から派生して、「わたつ海」「わだつ海」という言い方もできたらしい。うえのように、もともと「み」の音は神霊を指していたわけだが、だんだんそれが「海」の意にずれてきたらしい。「わたつ海」にするか「わだつ海」にするか、これはもう読んだときの響きの好みの問題だが、じぶんとしては濁点があったほうが良い気がした。原語Thalattaのtの音を尊重するなら、ほんとうは点をつけないほうが良いのだろうが。「わだつ海」という言い方にすると、「泡立つ」という語も響いてくるから、イメージのふくらみが生まれなくもない。
 あとこまかいところは良いとして、〈―The aunt thinks you killed your mother, he said. That’s why she won’t let me have anything to do with you./―Someone killed her, Stephen said gloomily.〉の部分。That's whyを、「んなわけで」とつないだ。ここもふくめてBuck Mulliganの口調は、文字に起こしたばあいちょっと砕けすぎなくらいにしてしまった感があるが、しかしそこは戯曲の思考に沿うというか、じっさいセリフを口に出して言うとかんがえたときに、「そんなわけで」の「そ」はなくてもいいよなあ、と。文に起こすとあったほうが良いというか、あるほうが一般なのだけれど、きっちりしすぎてしまうだろうと。「死にかけのおふくろさんが頼んでんだから」の「頼んでん」もそう。ふつう、海外文学の翻訳の領域では、ここはだいたい「頼んでるんだから」と「る」を入れるはず。しかしやはりその一音はまどろっこしいなと。そのあとの「祈ってくれって言ってるんだぜ」は入れてもいいかなとおもったが。
 ちなみにThat's whyはもともと、さいしょに「だもんで」という言い方をおもいついたが、検索してみるとこれはいちおう静岡あたりの方言に属するらしく、それだと余計な含意も生まれてしまうし、言い方としてもちょっと違うかなとおもって別案をかんがえた。そして問題はそのあと、Stephenが言っているSomeone killed herで、これはどういう意味なのかわからないわけだ。ほんとうに母親がだれだかわからない人間に殺されたのかなとおもったのだけれど、そのあとMulliganが臨終の床でのことを言っているわけである。だから下手人の存在があったとしても、すくなくとも即死ではなかったはずだとおもいつつ調べてみると、Stephenの母親はガンで死んで、パリにいたStephenは危篤の報せを聞いて一時故郷にもどって死に目に立ち会ったらしい。とするとSomeone killed herはよくわからない。まあたんじゅんには、おれが殺したわけじゃねえよ、ということだろうが、しかしわざわざSomeoneを主語に立てている。わからないながらも、「殺したのはどっかの誰かさんだろ」という言い方におさめたのだけれど、ひとつ解釈としては、このSomeoneは神のことをもしかしたら暗示しているのかなという気もした。じぶんが殺したんじゃなくて、ひとの運命と寿命をもてあそぶ神のせいだ、と。そのあとのMulliganの発言からしてStephenは無神論者、すくなくともキリスト教信仰をたしかに持っているわけではなさそうなので、あるとしたら「もてあそぶ」くらいの理解だろう。まあそもそも無神論者だったら、そういう運命をつかさどる存在としての神をみとめないはずなので、ことがややこしくなるが。しかしここに、神という存在にたいする反感がもしかしたら組み込まれているのかなとおもったわけだ。とすれば、「どっかの誰か」というふうに「どっか」という語をくわえれば、どこか遠いところにいる、という距離の含意を一抹付与できるかな、と。
 Mulliganのセリフ、〈You could have knelt down, damn it, Kinch, when your dying mother asked you, Buck Mulligan said. I’m hyperborean as much as you. But to think of your mother begging you with her last breath to kneel down and pray for her. And you refused. There is something sinister in you ...〉は、「でもよお、キンチ、ひざまずくくらいはできたろうが、死にかけのおふくろさんが頼んでんだから、とバック・マリガンは言う。おれだっておまえに負けないくらい、神をも畏れぬ極北民族 [ハイパーボリアン] だよ。しかし思ってもみろ、自分のおふくろがもう虫の息で、頼むから膝をついてくれ、祈ってくれって言ってるんだぜ。それをことわった。おまえにはどっか、ねじくれたところがあるよ……。」とした。damn it, Kinchは場所を変えて文頭に。damn it, は似た音をつかうかたちで、「でもよお」とした。これもほんとうは「畜生」とか「くそっ」とか、悪態的なことばなので、「でもよお」だとちょっと弱く、またずれるのだとはおもうけれど、このへんの間投詞的なものは、セリフの文脈や間柄によってかなり幅を持つので、ゆるされるかなと。hyperboreanの件はいぜんうえに書いたとおり。to think ofはそのまま生かして「思ってもみろ」とした。your dying motherでは「おふくろさん」としていたのを、your motherでは「じぶんのおふくろが」と変えたのもこまかいところだが、ポイントである。beg ~ toは「頼むから~~と言う」という言い方に。with her last breathは成句としてあり、だいたい死の間際に、今際のきわに、などと訳されるようだが(柳瀬尚紀も「今際のきわ」をつかっていたとおもう)、ここではbreathを尊重して「虫の息で」。「膝をついてくれ、祈ってくれ」と分けたのには特に根拠はないが、このほうが願いの切実感は出る気はする。sinisterはむずかしかったが、いろいろ調べて最終的には柳瀬尚紀がつかっていた「拗 [ねじ] けた」の線がたしかにいちばん合うだろうとおもい、「ねじくれた」に。sinが「罪」で、sinisterだと「邪悪」とかが辞書的な感じなのだが、ほか悪質な、意地悪な、腹黒い、とかの訳語があって、人格的にゆがみがあるとか、ひねくれているというあたりまで含意するようだ。
 his farther cheekはなぜわざわざこのような言い方をしているのかよくわからない。ここまでのMulliganのうごきを追ってくると、顔の半分と顎までは剃っていて、しかも剃った頬を右肩越しにのぞかせたみたいな細部があったから、ということはうしろから見ているStephenにたいして顔をちょっと右にやってちらっとうしろを見た、ということだろう。したがって剃った頬は右のはずで、まだ左がのこっているはずなのだ。で、fartherというのは辞書的には「より遠い」という意味なわけで、この場合は、おそらくかれは右利きで、利き手に近いほうの側から剃りはじめて顎まで行ったが、まだ左側がのこっているということだろう。で、Stephenとぺちゃくちゃやりとりをしているあいだに石鹸の泡が薄くなってきたから、あらためてそれを塗り直した。だからagainの語がはいっているし、いちどは塗っているからそんなにしっかり塗る必要はないので、lightlyといわれている。そういう理解だ。A tolerant smileのtolerantは、ここまでMulliganはStephenが臨終の床で母親にたいして冷淡だったことをちょっと責めるようなことを言っているので、「このくらいで許してやるか」という感じだろうと。
 そして困ったのがそのあとの〈―But a lovely mummer! he murmured to himself. Kinch, the loveliest mummer of them all!〉のセリフ。mummerを調べると無言劇、パントマイムの役者、と出てくる。そこで柳瀬尚紀はここを、「――それにしても可愛いだんまり役者だよ! と、独り悦に入る。キンチ、並ぶ者なき最高に可愛いだんまり役者!」と訳している。「だんまり役者」は工夫だし、murmurを「悦に入る」としたのも思い切ったなという印象だが、しかしふたたび戯曲の思考にしたがうとして(まあこれは戯曲ではなくて小説なのだけれど)、これはセリフとしてまだやはり固い、ながれないのではないかと。かといって代替案もかなりむずかしい。とにかくmummerをどう処理するかに尽きる。この一語にこの箇所で適合する言い方はなんなのかと。そこで、黙っている、黙りがちという点から、「むっつり」という語がおもいついた。さらに、Buck Mulliganの人格の雰囲気からすると、「むっつりさん」という感じなのではないか? と。しかしそうすると「役者」の意を組み込みづらい。「むっつり役者」としてみてもうーん、とおもうし、「役者」を、俳優、芝居、役、役回り、男優、芸人、などと言い換えてみてもはまりきらない。もう「むっつりさん」だけでも良いのでは? とおもった。このばあいのmummerは「役者」の意をそこまでおおきくは含まず、「だんまり野郎」みたいなことを言いたいのでは? と。それでもいちおう、「――まったく、素敵な役者のむっつりさんだね! と自分ひとりでこそこそ言っている。キンチ、みんなのなかでいちばん素敵なむっつりさんめ!」として、いちどめは「役者」を入れておいた。これではまりきっているともおもわないが、ともあれ、二度目はもうなくてもよかろうと。lovelyは可愛らしいの意ではなく、「素敵な」を取った。murmurはさいしょ、「もごもご」にしようとおもったのだけれど、murmurはあまりそう訳されることはないようだ。低くつぶやくという感じで、weblioの説明によると、「murmur ははっきりと聞きとれないような低い声でぶつぶつ言う; mumble はほとんど口を開かないで不明瞭な小さな声でつぶやく; mutter はほとんど口を開かずに小さい声で不満や怒りなどの言葉をぶつぶつ言う」と。だから「もごもご」だと、mumbleのほうに合うのだろう。murmurはくわえてささやきとか、小川とか木の葉のさらさらいう音をもあらわせるらしいので(同時に、蜂のぶーんという羽音も言えるらしいが)、じゃあここは「こそこそ」でいいかなと。「このくらいで許してやるか」となったわけだし、to himselfとついてもいるから、ここではStephenに向かって言ってはおらず、にやにやしながらじぶんで独りごちているわけである。Mulliganの雰囲気だったら、Stephenに聞こえる聞こえないの考慮もなさそうな気がするが、じぶんひとりでひそかに、というニュアンスになる。そしてさいごに後半の、the loveliest mummer of them all!だけれど、このthem allはなんやねんと。ふつうに取るなら漠然とひとびと一般か、それかあらゆるmummers、おなじような人種のなかで、ということになるだろうが(柳瀬尚紀の「並ぶ者なき」はそこを明示しない訳し方で、あるいはこのof them allはたんに最上級の強調と取ったほうが良いのかもしれない、かれはそういう理解で「並ぶ者なき」にしたのかもしれない)、こちらのばあい、これはなんかMulliganやStephenが付き合いのある仲間のなかで、みたいなことなのでは? となぜか感じられた。それで「みんなのなかで」という言い方に。ちなみにlovelyを「可愛い」「可愛らしい」にすると、Mulliganのmasculinity的なところを盛り込めるというか、友人の男性を「可愛らしい」とかいうわけだから、あいてをいくらかしたに見ているような雰囲気が生じるだろう。じっさい、ここでMulliganはStephenの母親にたいするふるまいについて、遠慮なくずけずけともの申しているわけで、このふたりの関係はおそらく粋がっているMulliganがちょっとうえで、Stephenはおとなしかったり陰鬱だったりしてあまり上手に出られないという感じなのではないか。「素敵な」とすると、masculinity要素は薄れて、たんじゅんな皮肉に近くなるとおもう。


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 ちょうど四時ごろ、買い物に出た。スーパーに行くだけでなく遠回りしていくらか散歩しようとおもっていた、というかあれだ、図書館で借りていた本の返却期限がきのうだったのに延長するのをわすれてしまったので、いったん返しに行かなければならなかったのだ。目的地は図書館じたいではなく、(……)にある出張ブックポストで、となるとふつうに向かうならきのうもあるいた道を行くけれど、それだと記憶が混ざってしまって日記を書きづらくなるだろうからとべつの方向から向かうことにした。それでアパートを抜けると右手に折れ、路地を出て西方へ。(……)通りにはいるとすぐ公園があり、先日木々のあたまが赤みを帯びてほどけてきているのを、整然と巻かれていたのがちょっとずつ剝がれてしまったコイルのようだとたとえたそこだが、あのときはまだ時間がはやくてひかりも豊富だったから憩いの老人たちがおおかったのだけれど、一一月の四時をまわればここにはもう陽もやって来ず、空気も冷たいので園内にひとのすがたもない。そのまままっすぐすすんで(……)通りを渡り、寺の塀の角から裏にはいって、いつもはそのさきで左に折れて駅前に向かうが、きょうはさらに裏路地を直進した。空は水色を敷きながらもいろいろな雲が乱雑に生まれて、なかでもさざなみ状に、淡くほつれかかった横帯が、間をあけながら何本もならんで進行の図となっているのが頭上に見事で、たびたび首を曲げて見上げようとするけれど、あるきながら直上付近の空をまともに見るのは苦労で、ひとがいて空ばかり見ていてはぶつかる可能性もあるのでやりづらい。裏道をすすみながらときどき左手にひらく路地のさきを見るに、位置関係として病院裏の道に通じているはずというのがわかり、これはだいたいあのへんだなとはかりながら行った。(……)通りに出て曲がろうかとおもっていたが、そのてまえでこのへんかなという路地があったので折れる。はじめて通ったが、道の右側に製麺所があって、女性がひとり、いま帰るところのようだったがその扉のまえでなにかごそごそやっていたり、左手には飲み屋なんかもすこし見られる。施設の裏は二本先だった。そこに出て、さらに向かいにわたればまさしく(……)が目のまえ、いちおう案内看板で確認しておきつつもすぐに一階のドアをくぐれば、そこにブックポストが設置されている。置かれてあった消毒液で手を濡らしてから、リュックサックから取り出した本を一冊ずつ挿入していく。ブックポストはもうそこそこ老朽化しているようで、口をひらくとき、またそこから本を奥に入れるときでそれぞれ、口の蓋や金具がきしんで、かなりおおきく摩擦的な、キシキシギャラギャラするような音が立っていた。
 済ませて出ると裏道を駅のほうへもどる。公園にきょうはひとが多そうだなとそこに行くまえに声の響きでつたわってきたが、敷地のまえまで来ると、日曜だからかやはり人出がけっこうあって、手前にひろがる広場のなかで中学生くらいの男子ふたりが小山に乗ってボールを投げあっていたり、べつの山には幼児と父親がのぼってあそんだりしているし、周辺にもひとや子どものすがたはあって、さらに直接は見えない奥の、遊具があるスペースにも声があつまっているようだった。正面の空は東になる。やはり水色がおおくを占めつつも雲も多数湧いて、さざなみの集団も、推移はしているのだろうけれど保たれている。通りのとちゅう、左手には病院の駐車場があり、空中にそこの棟から病院内へ通じる渡り廊下が横切っており、そのガラスをとおした部分だけ、空の青さがわずかに変質してくすんだ薄緑を混ぜられる。駐車場と道のさかいにはつるつるとした質感に見える壁があり、これはきのうのことだが、そこをいまとは反対側から通ってきたときに、なめらかな壁の表面に道のようすが反映しているのが目に留まり、しかしなんだかおかしいなと違和感をおぼえて見つめていると、なかにじぶんのすがたがない。それでこれは反映ではなくて、壁の向こう、駐車場やそのさきの空間が透けているのだとわかって、おもいのほかに薄いというか、ひかりを通す壁なんだなとおもった一幕があった。きょうは反対側からそのまえを通って、やはりあちらが透けて車や遠くの建物がうつっているのを見ながら過ぎ、病院も過ぎればじきに草に満ちた空き地の裏側にいたる。このころには四時半がちかくなってあたりは薄暮のしめやかさ、陽の色はむろん地上にもうなく、見上げたさざなみ雲のなかにちらほらはらまれているばかりだが、空き地の草ぐさのなびきに目をやったそのうごきで、西南の彼方に視線が飛べば、そこにわだかまった巨大な雲のながれのすきまに残光の橙が、果実をつぶしたように凝縮されてひかっているのにつかまって、裏から照られてほぼ全面薄青に湿った厚い雲の、ひろがりからもらされた下端のすきまにも、わずかに甘さをくわえたなごりの色が、そこだけ埋め尽くすように溜まっていた。しかしそれらのあかるみがちかくの宙にまでもれだしてくることはもはやなく、草原にほのかなその気配すらうかがえず、一面薄陰を帯びてたそがれにちかづきつつある。踏切りを越えると駅前の細道からスーパーへ。
 買い物の詳細は書かなくてもよいというか、特段の記憶があるわけでない。帰路はまたさざなみ雲を見上げ見上げアパートにもどった。


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  • 日記読み: 2021/11/6, Sat. / 2014/3/30, Sun.


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Rachel Hall, Tobi Thomas, Martin Belam and staff, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 255 of the invasion”(2022/11/5, Sat.)(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/05/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-255-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/05/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-255-of-the-invasion))

Xi Jinping and Olaf Scholz have condemned Russia’s threat to use nuclear weapons in Ukraine, with both leaders expressing their desire for the conflict to end. The Chinese president stressed the need for greater cooperation between China and Germany in “times of change and turmoil”, while the German chancellor said Moscow was in danger of “crossing a line” if it used atomic weapons, in what was his first meeting with Xi.


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Kim Willsher in Paris, “France’s far-right National Rally elects new president to replace Le Pen”(2022/11/5, Sat.)(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/05/frances-far-right-party-rn-elects-new-president-to-replace-le-pen(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/05/frances-far-right-party-rn-elects-new-president-to-replace-le-pen))

Jordan Bardella, Le Pen’s protege, who has been caretaker president for a year, beat Louis Aliot, 53, the mayor of Perpignan, a party heavyweight as well as Le Pen’s former partner, by 85% to 15% of party members who voted.

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In legislative elections earlier this year that robbed Emmanuel Macron of his parliamentary majority, the party won a record 89 seats.

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In February, Bardella was put under investigation after describing the banlieue town of Trappes, home to a large immigrant community, as a “Islamic Republic” within France. He is a firm Eurosceptic, though the party under Le Pen has dropped campaigning for Frexit.

After Giorgia Meloni won the Italian elections, Bardella described it as a “lesson in humility for the European Union”, accusing it of trying to influence the vote. “No threat of any kind can stop democracy. The people of Europe are lifting their heads and taking their destiny in hand,” he said.

Born in the Paris banlieue of Seine-Saint-Denis to a French father and an Italian mother, Bardella has risen rapidly through the ranks of the far-right party he joined when he was 16, first coming to public prominence in 2017 when he became its spokesperson. He enjoys a privileged and personal relationship with the Le Pen family as his partner is Nolwenn Olivier, Le Pen’s niece.

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After Le Pen took over the FN she set about cleaning up its image, at the time inextricably linked to the xenophobic, shaven-headed neo-Nazi thugs who supported her father. Members were expelled for racist and antisemitic remarks or for defending Philippe Pétain, the head of France’s Nazi-collaborating Vichy government in the 1940s. In 2015, after several warnings about his behaviour, she expelled her own father.

Critics said the laundering operation was more about style than substance, but it worked. In 2012, Le Pen polled 17.9% of votes in the first round of the presidential election. In 2017 that rose to 21.3%, and in 2022 to 23.15%. In 2014, the RN’s list of candidates, headed by Bardella, won the European elections in France, with 24.9% of the vote, sending 25 representatives to the European parliament.


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Rebecca Solnit, “Abortion is a bread-and-butter economic issue. We need to treat it that way”(2022/11/3, Thu.)(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/03/abortion-women-inequality-dobbs-supreme-court(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/03/abortion-women-inequality-dobbs-supreme-court))

Being a parent is expensive. Being a criminal is also expensive, whether you lose economic opportunities to avoid apprehension or spend money on your defense if apprehended or go to prison and lose everything and, marked as a felon, emerge unemployable. Abortion is an economic issue, because when it’s not legal, those are the two remaining options, leaving out being dead, which you could argue is either very expensive or absolutely beyond the realms of money and price. And being dead is also on the table because women have all too often died from lack of access to reproductive healthcare, including abortions (to say nothing of being unable to leave an abuser, to whom pregnancy and children can bind you more tightly). They are facing more of that now.

Having no options but to be dead, criminal or a parent is not a sane or moral argument for parenthood, and it’s also pretty different than having certain inalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness. Also, now that abortion is unavailable under almost all circumstances in Texas and other states, it’s an economic justice issue in that those with the financial capacity to take time off, travel in search of care and pay for it out of pocket are not affected the way those who cannot do so are. And those who can afford to get an abortion under these circumstances are also those who can afford to defend themselves against possible criminal charges.

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The Dobbs decision striking down Roe v Wade on 24 June was cavalier about all this. The majority opinion pretends that bearing a child no longer has significant social and economic impact. It cites among its justifications that “attitudes about the pregnancy of unmarried women have changed drastically; that federal and state laws ban discrimination on the basis of pregnancy; that leave for pregnancy and childbirth are now guaranteed by law in many cases; that the costs of medical care associated with pregnancy are covered by insurance or government assistance; that states have increasingly adopted “safe haven” laws, which generally allow women to drop off babies anonymously; and that a woman who puts her newborn up for adoption today has little reason to fear that the baby will not find a suitable home”. In other words, there is no reason not to have an unplanned or unwanted child; doing so is no big deal.

All of which are callous lies. The right not to bear children isn’t just about respectability for the unmarried, and to frame it that way while ignoring the profound and lasting emotional, psychological and physical as well as financial impact of carrying a pregnancy for nine months and giving birth is outrageous. Discrimination against people who may get pregnant or are pregnant continues despite those laws; many pregnant people continue to lack access to healthcare; and the fact that a baby can be handed over is no justification for being forced to bear it. Furthermore, as another branch of the US government that the supreme court could have consulted reports: “The number of children waiting to be adopted also fell in fiscal year 2020 to 117,000”; the number in foster care was over 400,000.

One of the striking things about the conversation in defense of abortion rights in recent months is the testimony by those who’ve undergone pregnancy, miscarriage and childbirth about how physically grueling and even life-threatening they can be. Pregnancy can incapacitate women for months, which is obviously economically devastating to a poor person working in the gig economy or, say, in a nail salon or a fast-food restaurant. It can be an overwhelming experience, interfering particularly in the ability to perform physical labor: the judge may be able to toil on when the janitor cannot. And a lot of people are making a living through work that is physically demanding.

Another striking new note has been the insistence that we need to stop defining abortion as a stand-alone right and look at the criminalization of pregnancy and motherhood, especially for poor and nonwhite women. “More than 50 women have been prosecuted for child neglect or manslaughter in the United States since 1999 because they tested positive for drug use after a miscarriage or stillbirth,” reported the Marshall Project, while noting that miscarriages are common under all circumstances. “Sentences have ranged from probation to 20 years in prison. Women prosecuted after pregnancy loss are often those least able to defend themselves, the investigation found. They typically work low-paying jobs, are often victims of domestic abuse, have little access to healthcare or drug treatment and rely on court-appointed lawyers who advise them that pleading guilty is their best option.” Too, some women die from pregnancy and childbirth, and thanks to unequal medical care, Black women have the highest incidence of such deaths. Pregnancy and childbirth can also cause permanent physical changes, including lasting pain and disability.

The laws making the most intimate conditions of a body and life subject to legal intrusion are reportedly already preventing pregnant people from seeking healthcare and spreading well-founded fear. Making the administration of an abortion a crime is frightening medical caregivers and interfering with their ability to provide care. Some of the proposed abortion bans would include life-saving abortions, and we have already seen cases in which medical care was withheld until a woman’s life was actively in danger. Women are already being denied prescriptions when those drugs can be used in abortions, another way that taking away abortion rights is turning into a broader loss of rights.

The financial and professional impact of parenting in heterosexual relationships still mostly falls on women. The majority of women who have abortions are already mothers raising kids; we are in a childcare crisis that has, along with the long months schools were shut during the pandemic, crushed a lot of women’s working lives and financial independence.


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Ha-Joon Chang, “From carbs to cars: how South Korea’s success shows entrepreneurship is a team game”(2022/10/30, Sun.)(https://www.theguardian.com/books/2022/oct/30/from-carbs-to-cars-how-south-koreas-success-shows-entrepreneurship-is-a-team-game-ha-joon-chang-edible-economics(https://www.theguardian.com/books/2022/oct/30/from-carbs-to-cars-how-south-koreas-success-shows-entrepreneurship-is-a-team-game-ha-joon-chang-edible-economics))

So imagine my surprise when I found, during my first travels to Italy in the late 1980s, that spaghetti and macaroni are not the only types of noodle – or pasta – eaten there. The Italian obsession with pasta shapes is such that in the early 1980s, Voiello, the premium brand of Barilla, the world’s biggest pasta manufacturer, commissioned the famous industrial designer Giorgetto Giugiaro to come up with the ultimate pasta shape – a shape that would retain the sauce well without absorbing it too much, as well as being decorative or even “architectural”.

Giugiaro literally “engineered” a beautiful, futuristic pasta shape, made up of a tube combined with a wave. Unfortunately, it was a total failure. The complex shape made it difficult to cook evenly. Given the Italian passion for cooking pasta al dente, unevenly cooked pasta was (almost) a cardinal sin.

Giugiaro obviously hasn’t lost sleep over that failure. He’s been the world’s most successful and influential car designer of the past half a century. He has designed more than 100 cars, ranging from dependable classics, such as the Volkswagen Golf and Fiat Panda, to luxury cars, such as the Maserati Ghibli and Lotus Esprit. Unbeknown to most people, one of the earlier cars designed by this uber-designer from the noodle-obsessed nation of Italy was the Pony, a small hatchback car, launched in 1975 by Hyundai Motor Company, a then totally unknown car manufacturer from that other noodle-obsessed nation, South Korea.

The Hyundai group’s main business was originally construction, but it started to move into higher-productivity industries in the late 1960s. Automobiles was the first of those ventures in a joint enterprise with Ford to assemble the Cortina car, developed by Ford UK, using mostly imported parts. In 1973, however, Hyundai announced that it was going to sever its relationship with Ford and produce its own locally designed car – the Pony. In the first full year of production, 1976, HMC produced just over 10,000 Pony cars – 0.5% of what Ford produced that year. When Ecuador imported Hyundai cars in June 1976, the Korean nation was jubilant. The fact that Ecuador bought only five Pony cars was dismissed as a minor detail; what mattered was that foreigners wanted to buy cars from Koreans – a nation of people who were then famous for producing wigs, stitched garments, stuffed toys – namely, things that require cheap labour.

Despite this inauspicious beginning, Hyundai grew at an incredible pace in the following years. In 1986, it made a spectacular entrance into the US market with its Excel model (an upgraded version of the Pony), which was named as one of the 10 most notable products of the year by the US business magazine Fortune. In 2009, Hyundai produced more cars than Ford did.

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And indeed, behind the success of Hyundai there were two, not just one, visionary entrepreneurs – Chung Ju-yung, the founder of the Hyundai group, and his younger brother, Chung Se-yung, who led HMC between 1967 and 1996, and who commissioned Guigiaro to design the Pony. Important as these corporate leaders were, when you look more closely, Hyundai’s success story is not just – or not even mainly – about the individual brilliance of the heroic entrepreneurs. First, there were the production-line workers, engineers, research scientists and professional managers who worked long hours, mastering imported advanced technologies.

And then there was the government. The Korean government created the space for the Hyundai and other carmakers to “grow up” by banning the import of all automobiles until 1988 and the import of Japanese cars until 1998. This of course meant Korean consumers putting up with inferior domestic cars for decades, but, without that protection, Korean carmakers could not have survived and grown. Until the early 1990s, the Korean government made sure that Hyundai and other firms in strategic hi-tech industries, especially export-oriented ones, had access to highly subsidised credits. This was accomplished through tight banking regulations, which mandated prioritising lending to productive enterprises (over house mortgage loans or consumer loans), and state ownership of the banking sector. Using its regulatory and financial power, the Korean government also put explicit and implicit pressure on Hyundai and other companies (foreign as well as national ones) to increase the “local content” of their products so that domestic car-parts industries would develop.

But, you may ask, isn’t Hyundai’s story an exception in a world of heroic entrepreneurs? The answer is that it is not.

Even the US – a country that is so proud of its “free enterprise” system – has actually not been an exception to the collective nature of modern entrepreneurship. It is the country that invented the theory of “infant industry protection” and erected a high wall of protectionism to create the space for its young companies to grow, protected from superior foreign, especially British, producers in the 19th and early 20th century. More importantly, during the post-second world war period, the US government critically helped its corporations by developing foundational technologies through public funding. Through the National Institutes of Health, the US government has conducted and funded research in pharmaceutical and bioengineering. The computer, the semiconductor, the internet, the GPS system, the touchscreen and many other foundational technologies of the information age were first developed through “defence research” programmes of the US military. Without these technologies, there would have been no IBM, no Intel, no Apple and no Silicon Valley.


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Hannah Ellis-Petersen in Uttar Pradesh, “Thousands of mosques targeted as Hindu nationalists try to rewrite India’s history”(2022/10/30, Sun.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/30/thousands-of-mosques-targeted-as-hindu-nationalists-try-to-rewrite-indias-history(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/30/thousands-of-mosques-targeted-as-hindu-nationalists-try-to-rewrite-indias-history))

But those behind the case say Budaun is just the beginning. “We have a list of about 3,000 that we have decided to reclaim legally,” said Sanjay Hariyana, a state spokesperson for ABHM.

Since 2014, when the Bharatiya Janata party (BJP) government came to power, India’s 200 million minority Muslims say they have been subjected to persecution, violence and state-sponsored discrimination. Under the Hindutva (Hindu nationalist) agenda – which aims to establish India as a Hindu nation, rather than a secular state – Muslim civilians, activists and journalists have been routinely targeted, Muslim businesses boycotted and Islamophobic rhetoric used by BJP leaders, while lynching of Muslims has been on the rise.

Mosques have begun to be caught up in a wide-ranging project under the BJP to rewrite India’s history according to Hindutva ideology. The version of history now propagated by BJP leaders, government-backed historians and school curriculums is that of an ancient Hindu nation oppressed and persecuted for hundreds of years by ruthless Muslim invaders, particularly the Islamic Mughal empire that ruled from the 16th to the 19th century.

The alleged destruction of Hindu temples to build mosques has been central to this narrative. In May, a senior BJP leader claimed that Mughals had destroyed 36,000 Hindu temples and they would “reclaim all those temples one by one”.

But Richard Eaton, a professor of Indian history at the University of Arizona, said there was no historical evidence for this, with Mughals thought to have torn down only about two dozen temples. “Claims of many thousands of such instances are outlandish, irresponsible and without foundation,” he said.

Historians have accused the BJP of not only rewriting, but “inventing” India’s history in their own image. Syed Ali Nadeem Rezavi, a professor of Mughal history at Aligarh Muslim University, described the BJP’s polarised version of Indian history as “fantasy, nothing more than fiction” invented to serve their political agenda. “The history of India is being painted as a black and white narrative of Hindus versus Muslims,” said Rezavi. “But it was never so.”

Yet Indian historians whose work contradicts this version of history, or who have spoken out, have found themselves sidelined, penalised or ousted from government bodies and academic institutions which rely on government funding.

Rezavi is one of the few historians in India who still dare to speak; many approached by the Observer declined, citing fears over their jobs or their safety. Foreign historians have also been targeted. Audrey Truschke, a history professor at Rutgers University in the US, has faced death threats, allegedly from Hindu rightwing groups, for her work on Mughals.

Rezavi likened the attacks and silencing of historians and scholars to the targeting of academics in Nazi Germany. “A large number of historians are afraid to speak up openly,” he said. “I have been a victim of discrimination and persecution because of speaking up. But show me one Indian historian worth his salt who is with the government? There is not one.”

As the impetus to avenge and reclaim India’s history for Hindus has gained traction, dozens of petitions have been filed by right-wing Hindu groups against mosques across the country. India has a law which explicitly protects places of worship from being disputed post-1947 but judges are allowing cases. Even India’s most famous monument, the Taj Mahal, which was built by the Mughal emperor Shah Jahan, has not escaped litigation, and a case – widely derided by historians – was filed alleging it was originally a Hindu temple with locked rooms of Hindu relics. Alok Vats, a senior BJP leader, said the party had “no role” in the lawsuits but that these groups were “seeking to do exactly what the Hindu community wants”.

The cases have been further galvanised by a 2019 supreme court ruling which handed over Babri Masjid, a 16th-century mosque in the Uttar Pradesh town of Ayodhya, to Hindus after they claimed it was the birthplace of their god, Lord Ram. In 1992, the mosque was torn down by a rightwing Hindu mob, an incident many fear could now be repeated with the escalating number of disputed mosques. This month, a mosque in the city of Gurgaon was violently attacked by a mob of about 200, while in the state of Karnataka a Hindu crowd barged into a madrassa, placed a Hindu idol inside and performed a prayer.

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However, it is the legal dispute over the 17th-century Gyanvapi mosque, constructed by Aurangzeb in the holy city of Varanasi, which is seen by many as the crucial case that could decide the fate of mosques across India.

What began as one petition filed by five Hindu women in 2021, seeking access to pray inside the mosque which they claim is built on a destroyed ancient Shiva temple, has ballooned to 15 separate petitions, with many calling for the mosque to be torn down and a temple built in its place. Muslims still pray at Gyanvapi five times a day, though it is surrounded with prison-like security, including concrete barriers, barbed wire and a heavy police presence.


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Hannah Ellis-Petersen South Asia correspondent, “What is Hindu nationalism and how does it relate to trouble in Leicester?”(2022/9/20, Tue.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/20/what-is-hindu-nationalism-and-who-are-the-rss(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/20/what-is-hindu-nationalism-and-who-are-the-rss))

Who are the RSS?
At the heart of the Hindu nationalist movement in India is the Rashtriya Swayamsevak Sangh (RSS), an all-male Hindu nationalist volunteer group, often described as a paramilitary organisation, formed in the 1920s.

It was formed to provide unity and discipline to the Hindu community in order to build the Hindu Rastra (the Hindu state). It continues to work today to spread the ideology of Hindutva, with upwards of five million members.

The RSS is the leader of the “Sangh Parivar’’, an umbrella group of Hindu nationalist organisations who have set up schools, charities and clubs but which have also been associated with communal violence. The RSS has been banned three times since it was established, including after Mahatma Gandhi was assassinated by a former RSS member in 1948.

It was out of the RSS that India’s ruling political party, the Bharatiya Janata Party (BJP), emerged and they remain closely linked.

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However, since the BJP came to power in 2014, led by the prime minister, Narendra Modi, Hindu nationalism has come to entirely dominate the Indian political landscape. The BJP is widely seen as the political wing of the RSS – Modi was an RSS youth member – and rightwing Hindu nationalism is at the centre of their political agenda. The BJP openly prescribes to Hindutva but has downplayed its associations with violence, instead proclaiming it is a cultural agenda that promotes India’s heritage and history.

India’s constitution, drawn up in 1950 after independence, enshrines India as a secular democracy. However, the BJP has been accused of passing policies and pursuing a religiously divisive agenda, which seeks to make India a Hindu state and has led to a rising tide of intolerance and communal violence in India and the targeting of Muslim activists, journalists and civil society.

The mainstreaming of Hindutva politics has led to a widespread yet unfounded narrative that Hindus in India are under threat from Muslims, be it through population shifts, interfaith marriage (known as “love jihad”) and illegal Muslim immigrants. It has led to new laws being passed under the BJP around citizenship and marriage which have been described as discriminatory to minorities.

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While overseas Indians cannot vote, they are known to retain strong connections to their communities still in India and often wield a lot of wealth and influence. In 2019, when Modi visited the US, a “howdy Modi” event was organised by his supporters in Texas, which was attended by then-US president, Donald Trump, and 50,000 supporters.

The rise in global support for the BJP has also coincided with a rise in prominence of Hindutva groups and charities in the US. Some of these groups have been accused of trying to undermine academic freedom on university campuses by targeting academics whose work has focused on India’s Islamic history. In September 2021, organisers of an academic conference on Hindutva held in the US were bombarded with thousands of threats of rape, violence and death, allegedly by such groups.

In August, the Indian Business Association (IBA) came under fire for bringing bulldozers, adorned with the faces of Modi and the hardline Hindutva BJP minister Yogi Adityanath, to two India Day parades in the state of New Jersey. Bulldozers have become a symbol of anti-Muslim oppression in India after they were used repeatedly to demolish the homes of Muslim activists and citizens under the guise of the structures being illegal. Hindutva hardliners have celebrated Adiyanath as “bulldozer baba” for the demolitions.

The Hindu nationalist ideology has also recently begun to rear its head in the UK. In November 2019, British Hindus were targeted with WhatsApp messages, which included videos by far-right anti-Muslim activists.

Over the weekend, violence erupted in Leicester between Hindu and Muslim communities, which began after a group of Hindu men marched through the streets of the city shouting “jai shri Ram”, a Hindu greeting that has become a clarion call for Hindutva mobs and perpetrators of anti-Muslim violence in India. The situation quickly escalated, with a Hindu flag burned and another torn down from outside a temple.


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György Dalos, “Orbán says Hungary is ‘exempt’ from the conflict: tell that to his friend in Moscow”(2022/10/29, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/29/viktor-orban-hungary-conflict-moscow-war-in-ukraine(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/29/viktor-orban-hungary-conflict-moscow-war-in-ukraine))

It should be remembered that, while in purely geographical terms, Hungary stayed the same after 1989: the former Hungarian People’s Republic now borders five countries that owe their statehood to the end of the USSR and the dissolution of larger, multi-ethnic entities. To the south, the collapse of the former Yugoslavia led to the creation of Serbia, Croatia and Slovenia. Its northern border is no longer with the former Czechoslovak Socialist Republic but with Republic of Slovakia and independent Ukraine. What now connects most of these newer political entities with Hungary, and indeed its old neighbours, Romania and Austria, is EU membership. Serbia is on the waiting list, Ukraine has been awarded candidate status.

But in the 1990s, all these countries made the transition to parliamentary democracy, during which the rivalries between the various political groups played out openly and, not infrequently, violently. Every twist and turn and every internal conflict in these republics still affects Hungary’s interests because of the Hungarian minorities living there: 1.5 million in Romania, 500,000 in Slovakia, 300,000 in Serbia, 16,000 in Croatia, 15,000 in Slovenia and 150,000 in Ukraine.

These minorities are a legacy of two accords, the 1920 treaty of Trianon and the 1947 Paris peace treaties, which entailed significant territorial losses for Hungary. Current problems faced by Hungarians abroad, be they to do with language rights or educational institutions, inevitably supply material for domestic politics too. Age-old animosities are resurrected again and again and are easily instrumentalised. Admittedly, some of Hungary’s neighbours cannot always resist such temptations either, but so far these conflicts have been kept within peaceful bounds and have only had an indirect impact on its security interests. The Yugoslav wars of 1991-2001 revealed, however, the fragile stability across the region as a whole and what happens when superpowers meddle in internal disputes.

Politically, too, the Ukraine war raises awkward questions: Hungary’s relations with the two adversaries are far from equally balanced. In 1995, the Hungarian government led by József Antall signed a treaty of friendship with the independent republic of Ukraine that, among other things, guaranteed visa-free travel. Relations between the two countries cooled, however, largely due to Kyiv’s restrictive language policies, which adversely affected both the Hungarian and the enormous Russian minority in Ukraine. At the same time, in the Orbán era, relations with Putin’s Russia have positively blossomed, helped by the similarities between the two leaders: authoritarian posturing and illiberalism underlying their respective concepts of the state.


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James McMahon, “Brian Eno: ‘Sex, drugs, art… they’re all ways of surrendering’”(2022/11/5, Sat.)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2022/nov/05/brian-eno-sex-drugs-art-theyre-all-ways-of-surrendering-(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2022/nov/05/brian-eno-sex-drugs-art-theyre-all-ways-of-surrendering-))