2022/11/7, Mon.

 あの晩から、お客がしたあなたの不幸な恋についての問いまでは、なんと遠いことでしょう! そして紅くなるのは肯定なのですから、この場合紅くおなりになったのは、あなたがそれを知ってはいけないかもしれませんが、次のことを意味していたのです――「そう、彼はわたしを愛している。しかしそれはわたしには大きな不幸なのだ。というのは、彼はわたしを愛しているから、苦しめてもいいと思っていて、この思い上った権利を極限まで利用する。ほとんど毎日手紙がきて、それで死ぬほど苦しめられるが、二度めの手紙は最初のを忘れさせようとする。しかしどうして忘れられようか? たえず彼は謎のようなことを語り、打ちあけた言葉はきくことができない。彼が言おうとすることはまったく書けないことかもしれない。しかしそれなら、お願いだからそんなことは全然やめて、分別のある人間のように書くべきなのだ。彼はきっとわたしを苦しめるつもりはない、彼はまったく度外れにわたしを愛しているのだから、それはたしかだ。しかし彼はもうわたしをこんなに苦しめてはならないし、彼の愛がわたしを不幸にするのをやめるべきだ。」 最愛の語り手よ! ぼくの命はあなたに捧げよう、しかしあなたを苦しめるのをやめるわけにはいかないのです。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、131; 〔チェコ語の労働者災害保険局用箋〕一九一二年一二月二日)




 いま午後四時三八分。きょうはこれまで家にとどまってだらだらしている。起きたのも遅く、七時くらいには覚醒したのだけれど、さくばん夜更かししたから睡眠をちゃんと取ろうとおもって目を閉ざしつづけ、一〇時ごろに正式に目覚めた。そこから正午ちかくまでごろごろしながら脚をマッサージ。ウェブを見て、過去日記を読み、Guardianもいくらか。去年も二〇一四年もたいしたことはないが、新聞の情報だけ一年前から引いておく。

(……)また、めずらしく新聞を部屋に持ってきて何記事か読んだ。六面にサンジャイ・スブラマニヤムというインド出身の歴史家(いま六〇歳で、オックスフォードやコレージュ・ド・フランスの教授をつとめたらしい――コレージュ・ド・フランスといわれると、無条件で尊敬の念をおぼえてしまう)へのインタビュー。モディ政権のヒンドゥー至上主義などについて語っているので読みたかったのだ。ヒンドゥー至上主義は古代インドを神話的に理想化しているらしいのだが(いぜんThe New Inquiryで読んだ記事でも、テレビドラマとして翻案された『ラーマーヤナ』がその人気に寄与したり、なまえをわすれたがヒンドゥー至上主義の中心人物である政治家がその主人公であるラーマ王子に扮して街宣をおこなったり、じっさいにこの伝説の舞台だったとみなした地のイスラーム寺院を破壊してヒンドゥー教の寺院に建て替えたりといったことが起こっていると読んだ)、この学者によれば、英国の植民地支配によってインドが「歴史の断絶」をこうむったのが一因にあるようだ。「古代インドは歴史をサンスクリット語ペルシャ語で記していた」のだが、「英国はそれを「神話・空言」と断じ、インド社会に歴史の概念はないと決めつけた」と。その結果、大衆レベルで「劣等感、その裏腹の過激な民族主義」、そして「歴史の忘却」と「西洋に対する遺恨」が起こり、「ありもしない理想郷の再生を掲げるインド人民党が支持される社会心理」が整備されることになったと。またイギリスか! とおもった。またというか、パレスチナのことをかんがえているに過ぎないのだが、土着のものをじぶんたちよりも劣った非合理なものと決めつけて排除したり利用したりする糞みたいに傲慢な西洋中心主義とオリエンタリズムのせいでいまのインドがこうなってしまったのだ、とおもって反感をおぼえたのだった。とはいえあくまでそれは一因のはずで、イギリスのせいで、と短絡的な物言いをするのは誤りだろう。ちなみにこのひとの兄はインドの外相であるジャイシャンカルというひとらしく、兄はとうぜんインド人民党の党員であり、したがってヒンドゥー至上主義を奉じているはずだが、スブラマニヤム氏自身は、「一つの文化に素直に向き合えば、それが様々な文化の混交の結果であると見えてくるものです」という至言ではなしをしめくくっている。

 インドのヒンドゥー至上主義、Hindu NationalismまわりについてはちょうどきのうもGuardianで記事を読んだ。Hannah Ellis-Petersen in Uttar Pradesh, “Thousands of mosques targeted as Hindu nationalists try to rewrite India’s history”(2022/10/30, Sun.)(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/30/thousands-of-mosques-targeted-as-hindu-nationalists-try-to-rewrite-indias-history(https://www.theguardian.com/world/2022/oct/30/thousands-of-mosques-targeted-as-hindu-nationalists-try-to-rewrite-indias-history))というのと、Hannah Ellis-Petersen South Asia correspondent, “What is Hindu nationalism and how does it relate to trouble in Leicester?”(2022/9/20, Tue.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/20/what-is-hindu-nationalism-and-who-are-the-rss(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/20/what-is-hindu-nationalism-and-who-are-the-rss))というやつ。後者はExplainerというカテゴリの記事だが、このカテゴリはなかなかよくて、世の中のいろんなことがらについての入門的なというか、基本的な知識情報を簡潔に説明してくれている。ここに載っている記事を読んでいけば、社会や世界の諸方面についてとりあえずの知識や理解はえられそう。
 からだを起こして携帯をみると一一時四五分だった。天気は曇りがちで、空に水色が透けつつも粉っぽい雲が全体にまぶされて、なかなかはっきりしない、爽快さのない空模様で、それでも昼過ぎには薄陽が射しこむ時間がわずかあったのだが、夕刻のいまはまた曇っているようで空気が薄暗く、沈静的だ。心身がひらいていったりそとにさそわれたりするような感じではない。起き上がって水を飲んだりしたあと瞑想をしたが、きょうははじまりの時間も終わりの時間も見なかった。はじめたのはたぶん一一時五三分くらいだったとおもうが、終わりはわからない。体感だと二〇分くらいだったかな。わるくはなかった。きのうはあまりじっと座っていられなかったが、きょうは比較的からだにフォーカスしてその場にとどまれた印象。けっこうほぐれた。脚はどうしてもしびれる。きょうは左足。寝床でふくらはぎをよく揉んだのちにやっているので、へんなはなししびれてもある程度まではつづけてしまえるのだが、脚がしびれるというのはやはり姿勢のつくりかたがなにかしらまちがっているということなのだろう。日中過ごしてもっとからだがやわらげば、ながくすわってもほぼしびれなくなるのだが。瞑想は椅子のうえではなくて寝床で、座布団のうえに枕を乗せて、そこに腰掛けてやるようにした。やっぱり腕置きにかこまれずに解放されたほうが良いのではないかと。結跏趺坐は無理だとおもうのだけれど、半跏趺坐くらいは習得したほうがよいのだろうか。それかなんかもうすこしゆるい組み方というか、組まずに両脚を並行的に置く姿勢にするか。坐蒲というものは日本で坐禅の補助にと開発されたらしく、だから中国禅の連中はなにもなしにそのまま床とか地面とかに座っていたはずなのだけれど、よくそれでできたなとおもう。脚のしびれとか痛みの問題はどうしていたのだろう。まあ開祖である達磨大師とか、長時間坐禅をつづけすぎて脚が腐ったとかいう伝説があったとおもうけど。
 食事はれいによって細切りのキャベツと豆腐とハム、それに(……)さんがこのあいだ持ってきてくれた食い物のなかにひとつはいっていた即席の味噌汁と、あと冷凍のちいさな豚まんやヨーグルト。味噌汁は固形のやつで、みてみればよし井というメーカーのもので、ナスがはいったやつだったのだが、その揚げナスはベトナム産もしくはベトナム製造と書いてあった。食後、皿を洗ってかたづけるとしばらくウェブを見てなまけ、二時くらいから寝床にうつってなまけつづける。なまけつつも三時半ごろから「読みかえし」ノートも読む。いままで食後、腹がこなれてくるまでのあいだに座って読むことが多かったが、音読もだらだら寝転がりながらやっても良いんじゃないか。そのほうが楽だし。どちらでもよいが。
 きょうは月曜日だから保育園は活気に満ちてにぎやかで、昼前はいつもどおり子どもたちがわいわいぎゃーぎゃー騒いでいたし、ちょうど昼食にはいるだろうというころ、つまり正午くらい、瞑想を終えるころあいだったが、ひとりの子が(たぶん男子か?)泣き出して叫んでいるのを、べつの女児がうるさい! と叱っていて、ちょっと笑ってしまった。夕刻のいまはお迎えの時間になっているので、さきほどから帰る子どもや保護者の声もよく聞こえる。ここまで記して五時七分。きょうこそ一〇月三〇日をかたづけていい加減に溜まっている記事を投稿したい。ほかは五日いこうを書けていないのだが、五日はながくなるからまあどうせきょうじゅうには終わらない。きのうの外出時のこともおぼえているうちに書きたいが、五日の道中もそれはおなじで、記憶がどんどんこぼれおちていって困る。
 そういえばきょうの通話は休みになった。きのうの夜半くらいに訳を完成させたあとにLINEをみるとそうなっていたのだが、それで早起きする必要がなくなって夜を深めてしまったのだ。(……)さんがほかのふたりに、体力的にきつくないですか? と呼びかけていたので、たぶん三人でどっか旅行に行っていたのではないか。月一くらいで遠出する計画があるらしいので。(……)


     *


 いま午後一一時直前。さきほど一〇月三〇日の記事を終わらせていま投稿。まったく、やっとこさかたづけることができた。一週間もまえの日記をおくれて仕上げるとか、正気の沙汰ではない。やはり記憶がうしなわれる問題は甘受して、古いほうから時系列順にしこしこ書いていくのがよいのだろうか? 一一月五日六日はそれでやってみるか。きのうの道中の風景の記憶がうしなわれるのはもったいないと感じるが、五日から順番にやってどれくらいうしなわれるか、どれくらいのこるかというのも確認したい気はする。できればしばらく、基本、過去からたんじゅんに日付順で書くというやりかたをつづけて、どんなもんか感触をためしたいところだ。