2022/11/10, Thu.

 ああ、最愛のひと、ぼくの敬虔さは全く別の方角におしやられているけれど、今日のお手紙にたいしては、神にひざまずいて感謝したくなります。あなたのためのこの不安、あなたのいない部屋々々に全く無益にいるというこの感情、限りなくあなたをこんなにも必要としていること、そうしたものはどこからまた生じるのだろうか! ぼくがこれからまた十分に準備しなければならない明日の旅行でただ一つよいことは、あなたに汽車で数時間近くなるということです。ところでぼくは明日午後、万事うまくいけば、またプラハに帰りますが、駅からわれわれの門衛のところまで突進することでしょう。お手紙、お手紙!
 今日ぼくはきわめて奇妙な時間割を考えています。いま午後三時です。今朝四時にやっと床につき、十一時半までそのかわりねていました。それもまたお手紙のせいでした。ふだんは手紙を待ちうけるため、ずいぶん長くベッドにいなくてはなりませんが、今日は速達できました(そうだったのだから、ぼくは、日曜のお手紙はいつも速達でなくては、といいたいくらいです)、ぼくは大変早く受取ったので、起きるには早すぎたのですが、それからなお数時間ただ幸福のあまりお手紙の後味を楽しみながら、のらくらしていました。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、148; 〔一九一二年一二月八日 日曜日〕)




 いますでに一一月一一日の午前零時一一分になっている。きょうは勤務に復帰した日。復帰といっても今月はとりあえず週一なのだが。週一では月収三万行かないのではないか? マジで本格的にオンラインでできるしごとをブログを通じてつのるべきだろうか。きのうの午後七時ごろ、(……)さんに、長く休みをいただいてありがとうございます、あしたからまたよろしくお願いしますという内容のメールを送って、そのあと一一月八日の昼間の外出(近間のストアに買い物に行っただけだが、天気がきわめつけに良くて夢見心地と言ってもよいかもしれない気分になった)のことを書いていると、そのとちゅうで身が緊張にさいなまれはじめて、マジか、とおもい、あしただいじょうぶかなと一時危惧するくらいだった。今回の休みの発端、(……)くんの訳文を添削しているさいちゅうに動悸がしはじめて喉がつまり苦しくなったのとおなじような感じで、しかしそのときよりも余裕はあったのだけれど、これは書き物はしないほうがいいなとおもい、きのうはその後寝るまで取り組まず、きょうもここまでなにも書かなかった。いま書いていてもちょっと胃液が出ているような感覚があって、あまりよくはないのだが。それで昨晩はそれ以後けっこう落ち着かない状態がつづいた。緊張感が高まったあと、やっぱりなにか行動をすることの重みというか、行為行動に追われているということで、それが心身にストレスなのかなとおもってとりあえず瞑想したのだけれど、瞑想というか椅子に座ったまま数分無動でいたのだけれど、そうすればたしかに身は落ち着いてくるわけで、やっぱりじぶんはなにもしない時間というのを生活のなかで取っていかないと、心身のバランスを保てないのではないかとおもった。瞑想というのもいろいろなかんがえかた言い方はできるのだけれど、じぶんにとってはけっきょくそこではないかと。単に、端的になにもしない時間をつくるということ。それによって行為連鎖の専制的拘束から一時のがれる避難所を生活のなかにひらくという。それをやっていかないと、心身の根本的な改善というか、調整というか安定的な調律はのぞめないような。きょう起きたあともしばらくはやはり緊張が身内を、言ってみれば虫に食い荒らされた果実のようなイメージでぐずぐずに侵しているのが感じられたし、外出までそれはつづき、あるいているあいだもさいしょのうちはわりとそうだったのだけれど、ヤクを二錠飲んだこともあり、また三〇分ばかりあるいているうちに全身もほぐれてはくるので、(……)駅に着いたころにはわりとよくなっていた。家を出るまで書き物もせず、無動の時間をけっこう取ってもいたので、それでからだがなめらかになっていたこともある。電車も二時半だからぜんぜん混んでおらず、むしろここさいきんではいちばんおちついて気がかりなく乗れたくらいだ。(……)で降りて職場までまたあるき、はたらいているあいだもおおむね問題はなく、へらへら笑いながらはなしていたのだが、だんだん疲れてくると、二コマ目のさいごあたりでちょっと苦しくなって、声を出していると、吐きそうまで行かないけれどなんかちょっといやな感じ、というくらいにはなって、まだまだ万全とはいいがたい。しかしともあれ週一か週二くらいならなんとかやっていけそうな気はする。
 きのう(……)さんにメールを送るまえまでは日記をガンガン書いていて、五日から七日分までかたづけて、むしろ調子が良いとおもっていたのだけれど、メールを送ったあとに緊張が来たというのは、やはりこれであした急遽休むことはゆるされなくなった、かんぜんにゆるされないわけではないが、ひじょうにしづらくはあるわけで、なんとか乗り切らなくてはならないという義務的プレッシャーが作用したのだろう。(……)さんへの返信をここまで先延ばしにしていたのも、意識しないところでそういう心理がはたらいていたのかもしれないともおもえる。返信を送って一〇日から復帰するよというのを確定的にしてしまうと、それを撤回しづらくなるから、もしまた急に体調がわるくなったときに迷惑がかかってばつが悪くなる、という。そういう推測もありつつ、きのうの緊張の高まりで、とうぜんのことではあるがやはりからだの問題だけではない、こころのほうというか、心理というか、無意識というべきなのか潜在意識というのか、なんでもいいが、そちらもおおいに関与して影響しているなということがまざまざとからだにおいてあきらかになった。無意識というものがやはり、ある、と言えるものなのかはわからないが、それが仮説的・仮設的なものだったり、ある種虚数的な、構成的なものだとしても、しかしはたらきとしてそういうものがたしかにあるということを、まざまざと感じる気がした。見えないものの一片がここにあらわれているなと。そのあと身を落ち着けようと瞑想している、というか無動でいるあいだに、べつにあえてそうしようとおもったわけではないのだけれど、思念が勝手にじぶんの状態の分析考察に向かって、ここに来て勤務復帰にたいして心身が立ちどころに緊張したというのは、けっきょくのところ、公的領域に出たくない、じぶんにとって楽で、負担がかからず、傷ついたり苦しんだりすることのすくない私的領域にいつまでもとどまっていたいというこころのあらわれではないかとおもった。それは怠けごころというよりは、一種の臆病さ、幼児性と言うべきものである。解釈としてはありきたりすぎるくらいありきたりだとおもうのだけれど、そういう思念が浮かんだ瞬間に緊張がすこしやわらいだところがあって、それを感知しながら、ここのところはちょっとうまく言えないのだけれど、無意識というものは解釈と同時につくられるのではないか、という気がした。無意識領域に自己の真理があらかじめねむっていて、それに合った解釈が存在するのではなく、顕在的な領域で自己意識がじぶんにたいし解釈をさしむけることによって無意識というものがつくられるというか。もちろん解釈のなかには適合するものしないものとあるだろう。だからなぜある解釈が無意識にたいして適合し、べつの解釈はそうではないのかということをかんがえると、問題がややこしくなって明晰な理路や解が見出せなくなるのだけれど、ともかくこのときの感じとしては、いまなんかじぶんが無意識をでっちあげたのではないか、という気がしたのだ。また、そういうなにもしていない無動の時間のなかでこそ、無意識が形成されるというか、生成するというか、編成・変制するのではないかというか、そんな気もした。このへんのはなしはぜんぜん理屈になっておらず、ともするとスピリチュアルなかたむきすら得そうであれだが。瞑想のなかでマントラとかアファメーションとかを唱えて潜在意識を変容させてアセンションしようぜ! みたいな。じぶんが言いたいのはそういう操作的なはなしではまったくない。ただ、なにもしないという時間の持続のその裏で無意識的な領域がなんか活発にうごめきそれこそ生成変化しているのではないかというような。無意識というものをかんがえるとしたらべつに無動時だけではなくて、つねにそうであるはずなのだが。
 

     *


 いま一一月一三日の午後五時前。この日、瞑想や自己認識についてもうすこしかんがえたことがあったのだけれど、めんどうくさいのでそれは省く。起床後に読んだ過去の日記は去年の一一月九日と一〇日分。きのうサボったので。一一月九日はまず新聞記事の情報。

(……)食事を取りつつ夕刊を読む。「日本史アップデート」。遊女の歴史について。日本で売春が生まれたのは九世紀ごろだと見られているらしく、それいぜんの古代と呼ばれる時代は夫婦関係がゆるく、多くの人間と関係を持つことがそんなに忌避されていなかったといい、したがって性的にからだを売るということがそもそも対価として成り立たなかったらしい。そんなことわかるの? とおもうが。律令制の影響などでだんだん夫婦関係がかたまってくるとともに売春という観念が生まれ、中世期は女性が主体的になる側面もあり、当時の遊女は宴席ではべって芸事をおこなうとともに旅人に宿を貸してからだをひさいでいたが(「ひさぐ」という語は「春をひさぐ」という言い方でしか聞いたことがなかったが、「売る」という意味なのだ)、和歌とか歌舞とかの教養があって貴族が弟子入りすることすらあったらしい(吉原の遊女もそのトップのほうになるといろいろな教養をそなえていないとつとまらないものだったと聞いたことがある)。中世期は言ってみれば女性の自営業的なものだったのだが、戦国くらいから男性が経営主体となった売春がはじまり、豊臣秀吉が京都に傾城町(というのもおもしろいなまえである)をひらくことを許可し、江戸時代はいうまでもなく吉原に京都大阪と色街があって、江戸の後半になると売上の一割を役所におさめるというかたちで管理売春がおこなわれていた。営業の独占を許可して売春を公認するかわりに税を取り、また非公認の売春は店のほうにとりしまりをまかせていたらしいが、遊女のあつかいはやはりひどい場所もあったようで、そのあたり遊女自身が書いた日記の研究などがさいきんすすんでいるという。記事に紹介されていたところでは「梅本記」という史料があるらしく、店のひどい仕打ちに耐えかねて(飯を食わせてもらえずに仕置きされたと)火をつけて告発をはかった遊女が書いた日記がそのなかにふくまれており、これは裁判資料としてあつかわれたので残ったらしい。ちなみに一八四二年くらいには(ということは水野忠邦のころだろうが)遊女や歌舞伎役者を浮世絵に描くのが禁じられている(たぶんそれいぜん、松平定信のときもやっていたのではないかとおもうのだが)。明治になると娼妓解放令とかいうものが出されて、公的な管理売春ではなくて個々人で勝手にやれ、というようなことになったようで、そうなると娼婦を「みだらな女」とみなす差別的な観念が強化されたと。江戸時代までは家が貧しくて身売りに出なければならず、みたいな事情が多くてそのあたりまだ比較的ゆるかったようで、明治になっても現実にはそういう事情はとうぜん多かったというが、法的には、また観念のレベルでは自分の好きでやっているということになるわけで、そうなると色事が好きなあばずれ、みたいな捉えられかたになるのだろう。吉原の遊女のほうは、いわばトップアイドルみたいなものだった、という俗説をよく聞くものだが。ほんとうにそう言えるのかどうかわからないが、遊女を描いた浮世絵は男性だけでなく女性も楽しんで見ていたとおもわれるらしく、この記事にコメントを寄せた学者は、ファッション雑誌を見るような感じで、派手できらびやかで奇抜だったりする装いを非日常的な世界として楽しんでいたのではないか、と言っていた。

 夜歩きに出て、ながながと記述している。

ひさしぶりに散歩に行こうというつよい気持ちが湧いていたので、屈伸をしたり開脚をしたりして脚のすじを伸ばしてから上階へ。散歩に行くと告げて出発。マスクはつけなかった。夜道でひともほとんどいないし、マスクをつけていると眼鏡を顔にぴったりひきつけてかけることができず、顔からすこしはなしたとしても息で曇りがちなのでうまくものを見ることがむずかしくなるからだ。ジャージのうえにダウンベストをはおった格好でそとに出た。夜気に寒さはなく、路上に空気のながれは弱々しくあってさいしょのうちは顔にすこしだけ冷たかったが、それも冷え冷えとするというほどではなく、歩いているうちにかんじなくなった。雨はすでに止んでいたが空は完全に曇って暗み、とはいえ黒々とした山の影が完全に空とつながって隠れるほどではなく、稜線のあたりに靄が湧いて烟っているのも見て取れる。あるきながら道端を見やれば街灯のひかりをかけられてみずからうすぼんやりと発光する黒色体のようになった葉群は写真にとらわれたすがたのごとくくっきりしており、アスファルトも同様にまだまだ水気にまみれた表面の内からスポンジめいて光色がにじみ出ているかのようになめらかで、あたりのものものがことごとくきわだって映るあの感覚がひさしぶりにおとずれたが、それは推移していく視界のひとつひとつ、瞬間ごとが切り取られた写真であるかのような、あるいは映画のなかにはいりこんだかのような感覚で、はいりこんだといってもそのなかの登場人物や参与者として世界に根ざして生活しているのではなく、その世界のひとやものにとっては透明で認識されない幽霊のような存在としてただかたわらにあるようなありかたで、だからそれはある種の夢を見ているときの感覚にちかいのかもしれない(目の前でくりひろげられる物語やシーンのなかにじぶんの存在がなく、一員としてそれに参加するわけでもなく、自動的に展開する光景に対してただ見る者としてのみ(したがって、不在の純粋な視線として)接するという夢をときおり見ないだろうか)。参入しているわけでも参入していないわけでもない、つかず離れずの傍観者であるあわいの位相。それはまたおそらくは少量の疎外と、なによりも孤独の場所でもあるのだが、しずけさと夜歩きのむすびにおいてその位置は自由と安息の時間となる。そういう一種の非日常感、おそらくは離人感と呼ばれうるであろう感覚は、しかしとうぜん、あるいているうちにだんだんと馴らされ、まぎれ、いくらか薄れてはいく。

このままどこかに行ってしまって、来た道をもどることなくさらに永遠にどこかに行ってしまいつづけたいな、というような気分が湧いていた。雨後のことで、十字路から通る小橋のうえでは、林の闇の奧に鳴っている沢の音のなかにポクポクという泡立ちの響きがいくらか聞き取れた。とぼしいながら虫の音もある。坂道をのぼっていくと狭い路上は街灯のひかりが拡散的に染みこんでかなり靄っており、ガードレールのむこうでは近間の樹々ととおくの山にまったく区別がつかず、完璧なまでの黒の平面としてただ溶け合っている。煙草の匂いがどこからか漂っていた。裏路地をすすんでいく。ここもやはり定期的に設置された街灯の暈が水っぽい宙に漏れ出して、大気がぼんやりと希薄化されている。空は非常に暗く、裸の枝々を天に突き立てた庭木のその先が暗色のなかに溶けこんで、眼鏡をかけていてすら見分けがつかないくらいだ。街道に出ればさすがに車はいくらか走っているが通るひとはない。西に折れておもてを行った。無人のガソリンスタンドがシャッターを閉ざし、うごかぬ機器を配置したあいだにひろい空間をさらしており、すこし先ではコンビニだけが、衛生的な、人畜無害ぶった蛍光灯のひかりをあからさまに誇示して夜のなかに白いオアシスをつくり差しこんでいる。駐車場の前に差しかかるとちょうど車がやってきて停まり、そこから降りたふたりはよく見なかったがたぶん中年くらいの男女だったとおもう。ほかにすでに停まっていた車は一台だけで、駐車場の片側にはあまりまっすぐな線には揃えられずにカラーコーンが配置され(端の駐車スペースを一部進入できないように区切っているふうに見えたのだが、そうだとして理由はわからない)、奥の敷地際に四つ設けられている看板(「お客様へのお願い」が記されてある)にもちいさな灯火が付属して文字を読めるように照らしていた。店舗入口のうえには乃木坂46の新作の予約開始だったかの情報が横に細長い紙で掲示されており、特典として生写真がつくとか書かれてあったとおもう。その奥の店内は天井に何本もの蛍光灯がまっすぐに複数列でならんだ下、ややクリーム色っぽいような白さのひかりが均一に満ちてまさにひとつの隈もなく空間を埋め尽くしており、この商店全体が切り出された石材じみて巨大な四角いひかりのかたまりであるかのようだ。店舗の横には空調方面のおおきな室外機や変電機がいくつか設置されて、発出するというよりはむしろ吸いこむような鈍い稼働音を立てており、その脇に立った電柱にはかなり古びた見た目の、消火器がはいっているらしい箱(表面に薄れた「消火器」の文字が記されてあり、毀損された赤の色で、棺のような印象を受ける)がとりつけられていた。コンビニを過ぎれば視界の最奥までまっすぐ伸びていく道路の左右にあるのはほぼ人家のみで、だから道沿いにひかりが漏れることもなく(家のまえまで来ればあかるんでいる窓もおりおりあるが、道を見通すかぎりでは左右から漏れ出すほどのひかりは見られない)、色味と言って途上の宙にふたつ浮かんだ信号のまるい青緑色と、正面へと走り去っていく一台が尻にともした赤い点くらい、その車が果てに消えればいまはながれがとぎれているところで静寂が満ちむすばれて、ピリリピリリというよりは、トゥウィットゥウィットゥウィットゥウィッみたいに聞こえる虫の声が通りの向かい(右側、すなわち北側)からあらわれる。建物がとぎれると左のかなたに川向こうの土地がひらき、山影を背後に負って這っている黒さのなか、一本のひかりの棒をこまかく砕いてパラパラばら撒いたような街灯の散在が見られるが、一部の山際にも霧のような乳白色のあかるみがぼんやり湧いて浮かんでいるのは、山の向こうの町の明かりが空に投射されているということなのか? 行く手には(……)駅があり、そこから何人か出てきて帰路につくのが見られ、ついで電車が発ってさらに奥へと去っていく音も聞こえたが、電車がこの駅に来るまでの響きをなぜかまったく聞かなかった。駅の前まで来ると横断歩道を渡って、来た道の反対側をそのまま引き返してあるいた。とちゅうに長く垣根がつづくところがあって、よくあるあのこまかくギザギザしたかんじの葉で一様に区切られているその向こうに庭木がやたらたくさん生えており、枝ぶりを詰められた裸木も常緑のうからもあり松の木などはざらつきながらもいくらか垂れ下がった葉にみずみずしく滴を帯びているが、ここは一家の所有している土地なのだろうか。それにしてはずいぶんひろく、内側に建物もいくつかあるようだったが。いままでまったく意識したことがなかったが、こんなところに土地持ちがいたのだろうか。

街道沿いをそのまま東へずっとあるいた。ゆるいカーブになったところで先から車があらわれるのを見たときに、むかしはここで車が車線をはずれてじぶんに突っこんできて死ぬのではないか、そういう事故が起こらないとはいえないという不安をかんじていたなとおもいだし、おもえばとおくに来たもんだ、というような感慨をえた。とおくに来たもなにも、まったく移動をしないまま、生まれた土地にだらだらとどまりつづけているのだが。(……)と(……)の境になるあたりに街道に接して花壇があり、いまはなにも植えられておらず濡れたシートがちいさな襞をつくっているのみだけれど、その台座となっている丸太様の木の側面におおきなナメクジがいてからだを伸ばしていた。(……)の前あたりで対岸、右手にむかって空間がひらき、短時とおくの市街のほうまで見通せるようになって、果てに何個か立ち上がっているマンションのあたまから根もとちかくまで、また側面をマーブル状にいろどっている光点のつらなりもあきらかに見え、それらが戴く空は鈍い墨の色に閉ざされているが偏差なく完全に曇っているためにかえってすっきりとひろがっているようにすら映る。(……)のそばまで来ると車のとぎれた隙に、林の樹々から、あるいはその梢のあいだを落ちる水滴の音がひかえめながらいくつも差し入ってきた。


ほんとうはもうすこし遠回りして帰るつもりだったのだが、脚がつかれてきたので最寄り駅のまえから折れることにした。いつもの勤務後の帰路である。駅の待合室にある時計を遠望するとちょうど一〇時ごろだったから、四五分か五〇分くらいは歩いたわけだ。木の間の坂道はあたりから水滴のささめきが絶え間なく立つ。街灯のうちいくつかは枝葉がすぐそばにあって、葉っぱが至近からひかりをつよく直射されて白いかがやきを鏤められているが、そうなると台座の一枚一枚は緑とも見えず、もはや緑とか色とかそういうことではないな、とおもった。だからといってなんなのかはわからないのだが。色を剝奪された純粋な明暗の組み合わせということなのか? ありがちな言い分だが。

坂を出て自宅までの平らな道を行くあいだ、行きと同様砂のようなひかりでなめらかに均されたアスファルトや、道沿いの家々や葉群や屋根の裏の暗い空などを見やりつつ、これらのすべてが書くに値するのだとおもった。どんなものであれこの世にあるかぎり、そこにあるというだけでうたがいなく書くに値する、書くに値しないものなどこの世界には、原理的にはなにひとつ存在しない、そうとしかおもわれないし、そうでないということがわからない、という、例のむかしながらの確信がひさしぶりに回帰してきて、俺はまだこの信仰を捨てる気はないらしい、と理解された。それらがとくにうつくしかったりすばらしかったりするわけではない。ただ、ものは、したがってすべての瞬間は、ただそこにあるというだけですでに書くに値するのだ。そうおもえなかったり、それにふさわしく行為できなかったりするのは、たんに人間の無能力をしめしているにすぎない。あるものがそこにあるということ、あるいはかつてあったということ、それを、それだけをひたすらにつたえるのが書くということであるかもしれない。ひとりの人間が意識野にひろいあげて言語化できることなど、たかが知れているとすら言えないほどにとぼしい。だから全世界のあらゆる人間がじぶんの見たもの気づいたもの生きたことをおのおのじぶんなりにすこしずつ書けば良いとおもう。それらの無数の記録たちがつながりあったり補完しあったり、重なりあったり矛盾したり、あるいはすこしもそうならず、関連を持たずにただ平行したり、ともかくも原子の行き交いのようにおびただしく交錯し、そうして世界が書物化する。もしそうなったとして、その書物はこの世界のうちの一兆分の一よりも、果てしなくはるかにちいさなことがらしか記せないだろう。

 これがちょっとすごいなとおもったというか、よくこれだけ書くなと。さいしょの段落の終盤やさいごの段のような、エッセイ的なというか、考察的な述懐のようなものよりもやはり、二段落目の、見聞きしたものをひたすらこまかく書きつらねているところに、ある種の得体のしれなさのようなものをおぼえて困惑をえた。ここで書かれている裏道とか、ガソリンスタンドやコンビニがある街道とかは地元だからとうぜんそのようすがよくわかり、浮かんでくるけれど、ほんとうになにもないような、なんでもないようなわびしい場所で、こんなにことばをついやすような空間ではないのだ。じぶんではない読者がこの記述を読んだときに表象されるイメージと、もしそのひとがじっさいにこの場所をおとずれてあるいたとして、そこで受ける感覚は、相当にちがうのではないかという気がする。あんなところをこんなに詳細に書くのか、という、過去のじぶんの執念深さにたいする不可解めいた困惑が生まれる。なんというかある種の復讐やかたき討ちでもおもわせるかのようなこの詳細な描写ぶりこそが、ひとつの謎だ。いちおう最終段落でまたぞろれいの「信仰」をもらしているから、その実践ということにはなっているのだろうが。それにしても、これはなんなのか? という感じをじぶんながらにおぼえる。いまもうこんなふうに書けないぞとおもった。
 一一月一〇日の冒頭は夢の記述。そういえばきょう(二〇二二年一一月一三日)の朝もだいぶひさしぶりのことで夢を見て、覚醒後にちょっとのあいだそれをおぼえていたのだよな。しかしいまもうわすれてしまっている。なんだったか?

七時から九時ぐらいにかけて一度か二度覚めたおぼえがある。そのそれぞれについて夢を見たし、一〇時に正式に覚めたときにも夢を見ていた記憶があるが、おぼえているのはそのうちのひとつのみじかい場面のみ。職場の奥のほうではたらいていると(……)さんが入り口のほうから呼んできて、いそいで行ってみると授業の日程変更をしたいという保護者がいたのだが、そのひと(たぶん女性だったとおもう)がヘッドロックみたいなかんじでこちらのあたまをかかえて絞めてきた。それで解放されると抗議し、そのひとを叱りつけたという場面。ほかにふたり、やはりおとながいてその三人はおなじ家族だったようだが、あとのふたりはなにもしていないから良いとしても、あなたの行為はたいへん不愉快です、みたいなかんじで至極慇懃な口調ながら厳しく糾弾していた。いまじぶんは授業中なので生徒を待たせてここに来ているのだ、それなのに余計な時間をつかわせないでほしい、みたいなことも言っていた。その抗議の語調がじつに滔々たるというか、非常になめらかでいかにも弁じている、という調子だったので、目覚めたあとに、俺こんなにうまくしゃべれないぞとおもった。

 その他ニュース方面。

(……)新聞は国際面を主に見る。ベラルーシから四〇〇〇人ほどの難民がポーランドとの国境に集結しており、ポーランド側が動員した一万二〇〇〇人だかの部隊とにらみ合いになり、一部小競り合いが起こったという。難民はおおむねイラクなどの中東やアフリカの出身と見られるらしいが、ポーランド側の言い分によれば難民らの後方にベラルーシ当局の人間と見られるすがたがあり、ベラルーシEUに嫌がらせ的な反抗をしかけるために移民難民を動員したのではないかとのこと。六月にEU内を航行していた飛行機を強制的に着陸させて乗っていたジャーナリストを拘束するみたいな事件があってからEUベラルーシに制裁を課しており、対立していて、今回の件もEU側はもちろん非難して追加制裁もにおわせている。

そのEU諸国では一年前と同様にコロナウイルスの感染者がまた拡大しているといい、ドイツでは五日に一日あたりの感染者が三万七一二〇人をかぞえて過去最多を記録し、イギリスでもさいきんは連日五万人いじょうの規模で高どまりしているらしい。日本は東京でもきのうが三〇人くらいでわりと安心だが、それでも微妙ながらまた増えてはいるわけで、たしか外国人の入国もつい先日解禁されていたはずだから、またそのうち拡大するのではないか。欧州での感染拡大はワクチン未接種の若年層が中心となっているもようで、おなじく未接種の高齢者が亡くなる事態も多く発生しているよう。WHOはまたEUが世界的な感染拡大の中心になりかねないと警告し、マスクの着用をもとめ、ロックダウンにならないよう社会規制を徹底するべきだと声明を発表していると。

ほか、パレスチナの人権活動家六人のスマートフォンイスラエル企業が開発したハッキングソフト「ペガサス」によってハッキングされていたことが判明したと。パレスチナで活動する六団体の七〇人ほどの携帯を調査したところ、六台にハッキングの形跡があったと。「ペガサス」はNSOグループという企業がつくってテロ対策を名目に各国に輸出されているのだが、ただイスラエルの電話番号をハックすることだけはできない仕様になっているらしく、ところが今回侵入が発覚した携帯のうち数台はイスラエルの番号を持ったものだったわけで、となれば唯一規制の枠外にあるイスラエル政府が下手人であるのはまちがいないと。ハックするとマシンを遠隔操作してメールの情報を抜き取ったり、電話を傍受したりできるらしい。

 そして天気や出勤路。

一〇時で目覚めがさだまった。九時くらいだかに覚めたときにはまだ雲が空を多く占めていて、陽のひかりもないではないもののおおかた雲に吸収されて淡かったのだが、一〇時にいたると空の半分は青く露出しており、太陽はちょうど雲の縁をなぞるように浮かんでときにあかるみときにつつしみとせめぎあい、その後、雲が去っていって青が勝利すると陽の色が染みた晴れの日がおとずれた。(……)

出勤時に飛ぶ。三時七分くらいに発った。まだ日なたが家のまわりにもけっこうのこっていて、空と空気はかがやかしい。家のちかくにあるカエデの木が、まだまだ本式ではないが、色を混淆させはじめていた。行く手の坂道をのぼりはじめてまもない位置には犬を二匹連れた中年女性が立ち止まって川のあるほうを見ており、ひとりごととも犬にはなしているともつかない口調でなにか漏らしていたが、それはたぶん川というよりはイチョウの木か、眼下の土地で用意されていた地鎮祭のようすをながめていたのではないか。こちらもその位置にまで行きながら顔を右手に向けてながめたが、もともと(……)さんの家が取り壊されたあとひろい空き地になっていた場所にこれから新しい家が建つようで、ちいさな台というか、白い布もしくは紙(ぬさというやつだろう)の色が見えたのでおそらく神道式の祈願台みたいなものが設けられてあり、そこの平地の端のほうに立っているイチョウはもうあざやかな黄色に染まりつくして、ひかりをふんだんにはらんで澄んだ空に雲の気配は微塵もなく、青以外に見えるものといって非常にかぼそい昼の月の刻印がたよりなく浮かびあがっているのみである。

犬を連れた婦人のあとを追うようにしてゆっくりした足取りで坂をのぼっていると、風が湧いて頭上でざわめきがふくらみながら降ってきて、見上げれば横からひかりに通過された淡緑の梢が震動しながらあかるさのために色を見分けづらく希薄化しており、数歩すすめばすでにかたむきはじめてやや濃くなっている陽の色をそのまま染み入らせたかのような橙の梢もこまかく揺れて、葉はその風に飛ばされるから樹の下よりも木の間を抜けてあたまのうえになにもなくなったところでかえって降ってきて、ひらいた大空のどこからともなくあらわれて落ちてきたかのような風情だった。

街道へ向かう。(……)さんの家を過ぎておもて道に沿って曲がるところの角にススキが豊富に生えているそれらが穂を重そうにおおきくして群れをふくらませながら手を差し伸べるかたちで脇から道のほうへとはみ出していた。曲がると、ガードレール沿いに、炎をデフォルメ的に記号化したようなかたちのおおきな葉っぱがいくつも落ちていた。街道にも陽が通ってあたたかく、ここでもやはり雲は四囲の果てまでまったく存在せず、もうだいぶ鈍くなった丘の緑色とくっきり対照しながら青がどこまでもひろがっている。とちゅうで横断歩道を渡り、裏道に折れると、正面にあるアパートの垣根に紅色の花が生まれはじめていて、だからあれはたぶんサザンカではないか。裏路地では楽な服装をした老人が家のまえに出て地面をすこし掃いていたりもするが、あまりひと通りやひと気はなく基本的にしずかで、ときおりうしろから追い抜かしてくるひとがあったり、車があらわれたりする。空はとにかく真っ正直に晴れわたっているから家々の庭のうえとか電線のあいだとかにつくられている蜘蛛の巣があらわに浮かび上がってすぐに発見され、その主や、一枚だけぽつりとひっかかった葉っぱの切れ端のすがたなどもはっきり映る。白猫が飼われている家からあらわれて道を横切るのを見たが、その場所にまで行くとむかいの敷地の奥に深くはいりこんでおり、車の下にもぐるところだったのであきらめた。それからまたすこし行っているとうしろから高校生であることが容易に察せられる口調の男女の声が聞こえてきて、自転車に乗っている気配だったが、彼らはこちらの横を追い抜かしていったさいに、似てたね、~~に似てた、というつぶやきをのこしていったので、たぶんこちらの後ろ姿とかたたずまいとかが友だちの誰かに似ていたのではないかとおもわれた。

 どこかのタイミングで(……)さんのブログも読んだ。中国事情。

 なにかの拍子に浪人の話になった。まだ全然本決まりではないというのだが、中国政府が大学浪人を禁止する政策について審議しているという。びっくりした。高考一発勝負で進路を完全にふりわけるというわけだ。これはやはり大卒者の増加にともなってブルーワーカーとして従事する若者の数が減りつつあるという中国社会の弱みを力業でどうにかしようとする政府の意思のあらわれなのだろうが、それにしても浪人禁止というのはいくらなんでもあんまりではないだろうか? これについては三人ともこちらと同意見だった。一発勝負で失敗すればそのまま高卒者として就職するか、あるいは普通大学への進学をあきらめて職業技術学院(日本でいう専門学校みたいなもの)に進学するしかないというのは、あまりに酷な話だ。それこそこの制度がもし実施されていれば、(……)さんが(……)の学生になることもありえなかったわけだ。

 この日の外出路のことも書きたいとはおもっていたがもう記憶がうしなわれたのであきらめる。前夜の緊張がつづいており、家を発ったときにも身が浸食されているのを感じていたのだが、あるいているうちに胸や背のあたりがほぐれてきて、(……)駅に着いたころにはなかなか良い具合の身体になっていた。電車内も平穏。ceroの『POLY LIFE MULTI SOUL』を聞いていた。(……)で降りて一駅分あるく。線路沿いの道を。線路と沿道の境には柵がもうけられてあり、その周囲を雑草がいろいろ群れ茂って、オシロイバナがあったり、正式名称を知らないがこれくっつき虫だよなというあの、さきがブラシ様になっている微細なやつがあったり、そのほかいちばんおおく生えていた草はなんの種なのか知る由もないが、あらわれる葉っぱのおおくがことごとくざらついたり白いすじを帯びたりして病におかされているかの見た目で、不健康な感じだった。とちゅうにある寺のしたのちっぽけな公園には薄褐色の落ち葉が散り敷かれて地面をほんとうにくまなく埋め尽くし、そのなかにある申し訳程度の滑り台やブランコは黄色・水色・ピンクのあからさまな三色で塗られている。もうひとつある寺のまえまで来ると線路をみじかく渡らなければそのさきにすすめない。渡って変わらず線路沿いの裏道をさらに西に向かっていると、しずけさのひろがったなか、レールの向こうにあるコンクリート壁に垂れ下がった繁りのなかから、鳥がいるようでガサガサいう音が立つ。赤く色変わりした植物が蔓っぽく壁のうえにわだかまっている。そのうえを見ればほかにもごちゃごちゃと草葉がゆたかに群れなして宙にかかっているのだが、そのささえとなっているのはあきらかに数本の電線で、すこしさきの電柱につながっているし、あれだいじょうぶなのかな、燃えたりしないのかなと疑問におもった。
 ひさかたぶりの勤務。(……)
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 (……)八時半くらいに退勤。帰路もたいした記憶がないので省くか。電車内ではまたcero。(……)線に乗り換えていつもどおりいちばん端に向かっていると、ホームのさきで駅員がトイレットペーパーらしきながい紙を宙でたぐっており、なんだろうとおもったところが、乗っていちばん隅に行き、いまはひらいている扉をまえにすると、ホームの片隅に吐瀉物があるのが発見され、焼け石に水程度だがそこにかけられた紙だったのだ。ゲロをみているとこちらも感染してきもちわるくなるのではないかという嘔吐恐怖が即座に生じたので、からだを左にずらしてより隅におさまりながら手すりを持ち、吐瀉物があまり視界にはいらないようにしつつ目も閉じて音楽にたよった。最寄りで降りると月が満月にちかいというか、もう過ぎたのかもしれないが、けっこう大きかったとおもう。帰宅後は休んで飯を食って、この日の記事のはじめの部分を書いたのか。湯も浴びて、二時くらいに寝た気がする。わすれたが。


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  • 「ことば」: 31, 9, 24, 6 - 10
  • 「読みかえし2」: 456 - 457
  • 日記読み: 2021/11/9, Tue. / 2021/11/10, Wed.