(……)ぼくはあなたの悩みにあなたとおなじように関わっているのです。あな(end170)たののどが痛むとき、ぼくもそうだというのではありませんが、そうきいたり予感したり、心配するだけで、そのためぼくもぼくの流儀でおなじように苦しむのです。そしてさらに一層、あなたの疲労のためぼくは苦しみ、さらに一層、あなたの頭痛のために苦しむのです。そしてあなたがアスピリンを飲むと、ぼくはまた肉体的にも病気になります。今日の夜ずっと、つまり三時半から七時半まで、そして午前の始めも、ぼくはこれまで三十年の生涯のあいだ自分に認めたことのなかったような、変った圧迫を身内に感じました。それは胃からでも、心臓からでも、肺臓からでも来るのではないけれど、そのすべてから来るのかもしれません。昼の光とともにその圧迫はなくなりました。昨日あなたがアスピリンを飲んだとしたら、きっとそのせいであり、そうでないとしたら、前のアスピリンのせいであり、それも当らないとしたら、ぼくのまずい書きもののせいかもしれず、結局それも当らないとしたら、ぼくはただ馬鹿者であって、いつもよく頭の中で両手をあなたのこめかみにあて、キスをしてあなたの額から、あなたの最もひどい過去から黄金の未来に至るまでのすべての頭痛を除くことができると考えているせいかもしれません。(……)
(マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、170~171; 一九一二年一二月一八日から一九日)
いま二時三分。よく晴れた、さわやかできもちのよい日和。瞑想中にあたまのなかで「秋風のはざまで聞きし死後の歌」みたいなフレーズが遊泳していたのだが、静止状態を終えたあとで寝床にうつって胎児のポーズをやっているあいだに、短歌のかたちにまとまった。「秋風のはざまにただよう死後の日を呼ばうひかりの輝かしさよ」。瞑想をしたのは一一時一一分から二五分強。寝床で背中をやわらげておいたのでかなり安定的で、ちからを必要とせずとも背すじが無理なくすっと伸びた。詩的文句みたいなものがたしょうあたまにめぐる。じぶんがおもいつく詩の素材はどうしてもリルケをまずく真似たような、そんな感じのフレーズになってしまう。生成流転、生と死、自然、朝と夜、自己と世界の調和みたいな、ロマン派的なもの。あきらかに時代遅れ。生まれてくるのが二〇〇年おそかった。
さきにもろもろの引用を。一年前の日記はニュースをいろいろ書いている。ふたつめの段はアイロン掛け中にテレビでみたもの。テレビのニュースにふれるということもなくなってしまった。なにしろこの部屋にはテレビがないので。パソコンで番組を見るということもない。さいきんはもっぱらGuardianしか読んでおらず、日本国内の報にふれていないから世情にうとい。テレビのニュースというのもあれはあれで、いまワイドショー的にはなにが話題なのかということを曲がりなりにも瞥見できて良い機会だったかもしれない。いまだったらTwitterがそれとかさなりあったりあわなかったりしつつ世間を構成しているのだろうが、アカウントももう持っていないし、ほぼのぞくことはない。というかだれかのツイートにアクセスしてもアドブロックの関係でそれを解除しないと見れなかったり、また解除してたしょうさかのぼってもすぐに登録しないとそれいじょう見られないという表示が出てくるのでめんどうくさいし、Twitterという空間そのものが殺伐としていたり掃き溜めのようだったりして、精神が汚染されたり疲弊させられたりする感もないではないので、ぜんぜん見ることはない。
(……)文化面と社会面にあった藤井聡太についての記事を読んだ。文化面のほうでは谷川浩司(鈴村和成がこんなような、似ている顔だった気がする)が藤井の特徴を解説しており、かつて谷川は勝負師/芸術家/研究者という三区分によって棋士のスタイルをかんがえたことがあるというが(大山康晴が勝負師タイプ、升田幸三が芸術家タイプで、このふたりが対局しているようすを横から写した六〇年代くらいの写真が載っていたが、それを見るに升田幸三というひとはモジャモジャした髪の毛で口のまわりにすこし髭を乗せた風貌で、たしかにちょっと芸術家っぽいというか、むかしの文豪とか美術家みたいな雰囲気に見えないでもなかった)、それに沿うならば藤井聡太は研究者的な側面がひとつあると。つまり真理追求型ということで、藤井聡太はじっさい、勝敗にこだわりすぎるとうまく行かなかったときにモチベーションが下がるのでそれをあまり重要視せず、対局や打ち手の内容こそを大切にかんがえている、という発言をたびたびしているらしい。その点、羽生善治にもつうじるところがあると。勝ち負けにあまり頓着せず盤上におけるおのれの真実をひたすら追い求めるという姿勢はたぐいまれなる平常心にもつながっているのだろうと谷川は述べており、じぶんの経験や羽生のようすも引き合いに出して、おおきなタイトルがかかった勝負というのは勝敗がかかる局面で動揺するもので、じぶんも勝ちが見えた手を打つところで手がふるえて苦しくなったし、羽生でさえらしくない打ち方をしていたが、藤井聡太はそのあたりでの気負いや動揺がまったく見られず、一〇代でそのような精神性やかんがえかたをはぐくんでいるのは驚異的だと評していた。谷川もいわゆる「ゾーン」にかんして触れていたが、社会面のほうでも藤井のきわだった集中力について言及されており、今回竜王戦をあらそったあいてである豊島将之というひとも、藤井はとにかく集中力がなみはずれていてそこに才能をかんじる、手をながくかんがえつづけているとつかれてしまうじぶんのような者は並の棋士にすぎないのだと痛感させられた、とかたっていた。藤井本人も、対局中にあいての表情とか仕草とかを見て気にすることはないと言っていて、マジで目の前にくりひろげられている盤面以外には目もくれていないようで、その点文芸批評でいうところのテクスト論者的な禁欲性とかある種の倫理性をおもわせるものだが、そういう発言を読みながら同時に麻雀漫画『哲也』のなかの挿話をおもいだした。二二巻あたりで上野 [ノガミ] のドサ健に負けた阿佐田哲也は新宿をはなれて放浪の旅に出て、西日本方面の各地でつわものたちとたたかいをかさねていくのだが、三〇巻あたりで最終的に鹿児島の知覧にいたって、元特攻兵で部下をさしおいて戦争を生き残ってしまったことに罪悪感を持っており米兵との麻雀に勝ってあいてを怒らせることで米兵の手によって殺されたいという願望をかかえた醍醐という男と命がけの対戦をすることになる。醍醐は米軍基地だか米国が接収した飛行場だかを舞台にえらんで、点棒が空になったらじぶんにむけられた機関銃が発射して死ぬという装置を用意し、たたかいの結果哲也がロンすれば勝つというところまで行って、いよいよ死ねるぞと胸をおどらせるのだが、哲也はじぶんがロンすれば目の前のあいては死ぬというおもいにとらわれて和了ることができない。その後、負けそうになった哲也は機関銃を一台じぶんのほうにも向けて、対等な条件をつくることで「これで博打になった」とじしんも命を賭けるのだけれど、そういうなかで見いだした解が、じぶんがドサ健に負けたのは上野と新宿のあらそいというような、卓上いがいのことにとらわれていたからだ、卓上で起こっている勝負から目をそらしたから負けたのだ、麻雀を打っているあいだ、卓上のことと卓外のことはなんの関係もなく、ただ卓上でいま起こっている勝負をのみ見据え続けなければならないのだという認識で、そういう勝負師としての倫理性にいたったことで彼はあいてを殺すことになるという恐怖を乗り越え、ロンと言って手をたおすことができたのだけれど(ちなみにだからといって醍醐は死ぬことにはならず、機関銃が発射される瞬間に哲也がその額にはなった雀牌によって彼はのけぞって銃撃をまぬがれ、それでも死のうと射線のまえに出るのだけれど、おりから降っていた桜島のシラスが銃に詰まって弾は出なくなる)、どうもそれといくらか似たような姿勢を生きているのが藤井聡太であるらしい。きのうの夕刊だかの編集小欄でも藤井について触れられており、そこでは、将棋をやるのが嫌だとかつかれたとか、駒に触れたくないとかおもったことはありません、という発言を引きつつ、論語の一節(あることを知っている者はそれを好きな者に如かず、あることを好きな者はそれを楽しむ者に如かず、という部分)と照らして、藤井聡太はまさにこれであるらしい、と述べられていた。好きこそものの上手なれ、を地でいった結果として究極的なレベルに到達した人間のようだが、いぜんに新聞で読んだところでは大谷翔平もそういうタイプらしい。藤井の発言としてはまた、将棋にまったくおなじ局面はただのひとつもなく、試合をするたびにその都度あらたな景色があらわれ、どう打てば良いのかわからない未知の瞬間に遭遇する、そこでじぶんなりに解をかんがえて打つのがたのしくおもしろい、これからもあたらしい景色を発見しつづけていきたい、みたいなことばも載せられてあって、完全に芸術家の言い分じゃないかとおもう。あと、子どものころに詰将棋をかんがえながらあるいていたために足もとが不注意になり、ドブに落ちて服をよごしたということが何度かあったようで、おまえはタレスか、というかんじ。
(……)ニュースでおぼえているのは、荻窪で七九歳だかの無職男性がおなじアパートの一階下に住んでいた七〇歳くらいの女性を刺したという事件で、あいての部屋の戸口まで行って呼び出すといきなり刺したらしい。下手人はこの女性からいやがらせを受けていて鬱憤が溜まっていた、と供述しているらしいのだが、ほかの住人によると反対に女性のほうが長年いやがらせを受けていたという証言もあるようだ。福島駅でも刺傷事件があったらしく、これはきのうあたりにもどこかで言及を目にしたおぼえがある。京王線の事件があって九州新幹線のなかでもそれを真似たという放火未遂があり、さらに福島でもということで通り魔的な事件がつづいている、みたいな文脈だったはず。ほか、福岡は天神の商店街で軽自動車に衝突したあと爆走して逃げる車があったとか、コロナウイルスが下火になってきているが蔓延をとおして変化した業界もいくつか、みたいな話題とか。テレワークがおおくなったのでスーツの売上は一五パーセントくらい落ちたというが、そんななかで、脱ぎ着がしやすく着ていてもうごきやすい、伸縮性のあるスーツが売れていると。スーツというものは一万売れればかなりのヒットらしいが、それが発売以来五万くらい売れているらしい。見たかんじだとめちゃくちゃ伸びるかわりにちゃちそうというか、じぶんで着たいとはおもわない品だったが、テレワークで自宅にいるけれどあまりだらしない格好をして画面に映るわけにもいかない、かといってスーツまで着るのもなあ、みたいな状況にはたしかに役立ちそうだった。おなじようなもので、ぱっと見にはよくわからないがじつはシャツとスーツが一体になっており、かぶるようなかんじで即座に着れる、という品も発売したばかりですでに三〇着くらい売れているらしい。あと、だんだんとおせちの予約がはじまるシーズンになってきたが、大豆かなにかの代替肉をつかったおせちなんかが人気だというはなしもあり、代替肉のいいところとして、食べても罪悪感がなく、肉とおなじように満足できる、みたいな消費者の声が紹介されていたのだけれど、罪悪感ってなんやねん、とおもった。ずいぶん大仰な語をつかうな、と。言っていることはむろんわかって、じっさいの肉だとカロリーをたくさん摂ってしまうから多く食べると太ってしまうし健康にも良くない、というだけのことなのだが、肉を食べる程度のこと、ひいては太ることや健康にあまり良くない行動を取ることが、修辞的な水準とはいえ「罪」といわれてしまう世とはいったい? とおもったのだ。この比喩的な「罪」の意味をとおして、この社会に蔓延している痩せることへの欲望とか、ばあいによってはそれにたいする義務や強迫観念のようなものが垣間見えたような気がして違和感をおぼえたのだとおもう。
(……)夕刊を読む。愛知県の大村秀章知事にたいするリコールで署名偽造があった事件で、高須克弥の秘書が書類送検されたと。高須はリコールの活動団体の会長。理事長だかなんだか実働責任者みたいなかんじだった田中なんとかいう人間が偽造を主導したようだが、そのひとが佐賀だったかの広告会社に偽造にかんする仕事を依頼したさい、高須会長の秘書もやっているから大丈夫、と言っていたらしい。高須は、偽造については承知していなかった、とうぜん捜査に全面的に協力するし、必要ならばわたし自身もよろこんで聴取を受ける、と表明。ほか、一面に、バイデンと習近平がオンライン会談したという報。まあたがいに一定程度友好を志向し演出しつつもいっぽうで牽制、みたいなかんじのようだ。米国でバイデン肝いりの一兆円(一一四兆ドル)規模のインフラ投資法案がようやく成立したという報もあった。
ほか、二首つくっているうち、「声高に愛を伝えよこの今日は生まれ変わって書かれつづける」というのがちょっとよかった。
食後に「読みかえしノート」を読んだなかから。476番で説明されている「主体の分裂」、言表内容と言表行為(ラカンの文脈では「欲望」)の必然的不一致というのは、ポール・ド・マンの文学理論の枢要部分とだいたいおなじことなのではないか。ド・マンのばあいは「言表行為」の部分に想定されるのが「存在」としての主体とその欲望ではなく、言語(の構造性や修辞性?)になるとおもうが。このふたつの引用で書かれていること、つまり存在と言語(意味)の乖離というのはいぜんよりもよくわかる。
工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義: 06 私は話す、ゆえに私は存在しない――主体のゆくえと永遠真理創造説(前編)」(2019/10/11)(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v6(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v6))
476
ラカンのデカルト読解の中心的なモチーフは、まさにこのようなケースとしてコギトの成立を考える、というところにある。前回触れたように、ラカンの考えでは、「私は存在する」というコギトの確信をもたらす「私は考える」は、まさにそれを「言う」ことによってはじめて意味をなすのであり、デカルトはその点を見逃していた。コギトとはひとつの発話(parole)、すなわち言語の効果にほかならない。そして、裏を返せばそれは、コギトには必然的に、語り損ねられたものが、つまり何らかの喪失がつきまとっている、ということを意味する。どういうことか。
例えば、「私は〇〇である」という発話について考えてみよう。この発話の主語は、「私」という一人称の代名詞である。当たり前だが、この「私」という言葉は、それを発する人物自身ではなく、あくまでもその代理として言語の領域に送り込まれる。これは、見方を変えれば、ひとが「私」という言葉を発するそのたびに、そのひとの「存在」そのものが言葉の織り成す「意味」の世界から締め出される、ということだ。言語は、発話者を交換可能な言葉のひとつに切り詰めることで、話す主体を生み出す。これが話す主体の本質をなす逆説である。
言語のもたらすこうした事態を、ラカンは「主体の分裂」と呼んだ。話す主体とは、言葉が産み出す「意味」の次元と、そこで失われる「存在」の次元とに分裂した主体である。主体の分裂は、例えば「言表内容(énoncé)」の主語と「言表行為(énonciation)」の主体の分裂として現れる。これは、平たくいえば、言葉の意味内容とその言葉を発する行為そのものとのズレのことである。ラカンの考えでは、この分裂は言語をめぐる古今の考察のなかにしばしば見いだされるものの、正確にとらえられてはこなかった。例えば、自己言及にかんする古典的なパラドクスは、まさにこの分裂から生じる。コギトを論じるなかでラカンは、「嘘つきのパラドクス」を引き合いに出してくる。
「私は嘘をつく」という発話は、真か偽か。これを真とみなすということは、この言表行為の主体が本当のことを言っているものと受け取るということだ。そうすると、「嘘をつく」という言表内容と矛盾する。反対に、これを偽とみなし、この言表そのものが嘘である、つまりこの言表行為の主体がじつは正直者であると考えてみても、やはり言表内容とのあいだに矛盾が生じる。つまり、真と偽どちらの判断を選んでも、その判断を否定する結論に至り着くことになる。
だが、よく知られたこのパラドクスを額面どおりに受け取るだけで満足するわけにはいかない。実際ラカンは、ここにひとつのアンチノミー(二律背反)を見て取る「あまりに形式的な論理学的思考」[3]を馬鹿げたものだと揶揄して憚らない。ラカンにいわせれば、この種の形式主義の盲点は、まさに「主体の分裂」を見過ごしていることにある。「私は嘘をつく」と言われて、「君が『私は嘘をつく』と言うとき、君は真実を語っているのだから、嘘はついていない」と答えるのは、まったくもって愚かなことだ。「私は嘘をつく」という言表がそのパラドクスにもかかわらず完全に有効であることは、まったくあきらかである。事実、この言表している「私」、すなわち言表行為の「私」は、言表内容の「私」、すなわち言表内容のなかで主体を指し示しているシフターと同じものではない。[4: Jacques Lacan, Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse, op. cit., p. 127.]
簡単にいえば、うえのパラドクスは名ばかりである。むしろそれは、言語は主体を分裂させる――だから言表内容の次元と言表行為には必然的に不一致が生じる――というひとつの事実とみなされるべきだ。では、この事実を見過ごすとは、具体的にどういうことなのか。それは、一言でいえば、話す主体の欲望を見過ごすということである。ラカンによれば、欲望は言表行為の次元に位置づけられる。ひとが何かを話すとき、その話の内容とともにつねに問題となるのは、その話をすることで、そのひとが本当のところ何を言いたいのか、何を望んでいるのか、ということだ。
例えば、「いまあなたと話すべきことは何もない」という発話は、純粋に言表内容の次元に留まるならば、その意味ははっきりしていて迷う余地もない。しかし、実際にこの言葉を受け取ったひとは、言表行為の次元で、つまり、その言表の背後にある欲望の次元で、相手と向き合い、考えることを余儀なくされる。「いま」は話したくない、つまり時間を置いてから話したいということなのか。それとも別の誰かと話さなければならないということなのか。はたまた、今後いっさい関わらないでくれ、ということか。もしかしたら、私をこうした堂々巡りに陥らせることそのものが目的の、一種のパフォーマンスかもしれない…
そもそも、この発話が仕事の打ち合わせでなされる場合と、恋人同士のやり取りのなかでなされる場合とで、そこに読み取られるべき欲望はおのずとまったく異なるだろう(どちらもひりひりするようなムードであることに変わりはないにせよ)。生きた言葉においては、誰が誰に向けて、いかなる欲望を託してそれを発するのか、ということがつねに大きなウェイトを占める。ラカンのいう「あまりに形式的な論理学的思考」は、この事実をすっかり捨象してしまうがゆえに、欲望を論じるにあたっては出る幕がない。
あらゆる発話は、欲望の証言である。だから言葉に向き合うことは欲望と向き合うこととつねにセットだ。だが、言葉があってはじめて欲望が現れるにもかかわらず、その欲望はどうやっても言葉の意味内容には還元できない。こうした観点からすれば、「私は嘘をつく」という発話について本当に問われるべきは、そこにある論理上の矛盾などではなく、それを言うことで発話主体が何をしようとしているのか、ということである。
工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義: 07 私は話す、ゆえに私は存在しない――主体のゆくえと永遠真理創造説(後編)」(2019/10/18)(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v7(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v7))
477
重要なのは、話す主体の欲望が位置づけられる言表行為の次元がきわめて脆弱で、輪郭を欠いた不確かなものだという点である。この次元は、そもそも言葉がなければ存在し得ないにもかかわらず、言葉そのものにも、その文字通りの意味にも、決して還元できない。言表行為は言葉の隙間や余白に宿り、そこから掬(すく)い取られることではじめて存在する。つまり、話す主体の欲望は、それを聴き取る別の主体、すなわち他者なくしては存在しない。
だからこそラカンは、言語がもたらす主体の「存在」の喪失を強調する必要があった。「私は考える」がひとつの発話であり、コギトがこの発話の産物であるとするなら、コギトもまた、このような脆弱さを抱えていることになる。デカルトの立場からすれば、「私は考える、ゆえに私は存在する」は、誰がそれを発話しても、言表内容と言表行為とが完全に一致する究極的な命題であるというべきかもしれない。しかし、言語のもたらす分裂はあらゆる主体に降りかかる現実であり、コギトも例外ではない。コギトの自己確立は原理的に不可能なのだ。
まさしくそれゆえに、ラカンは、デカルトの誤りは「『私は考える』をたんなる消失点としなかったこと」[1: Jacques Lacan, Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse, op. cit., p. 204] であると述べる。「私は存在する」というコギトの確信は、逆説的にも、言語のなかでその「私」の存在が消失する瞬間にしか得られない、ということだ。事実デカルトは、「私」を純然たる精神的存在、すなわち「思考実体(res cogitans)」とみなし、「延長実体(res extensa)」としての身体と厳密に区別した。この意味で、デカルト的主体とは身体を持たない亡霊のごとき存在であるといってよい。コギトの成立プロセスにあっては、狂気以上に、身体が排除されている。
では、自己消失という極限状態にあって、デカルトはどうして「私は存在する」という知を確立できたのか。彼はその確信の保証をどこから引き出してきたのか。この問いに対するラカンの答えは、あの全能の神、すなわち、およそいっさいのものの根拠をその手中に収めている〈他者〉である。ただし、前回みたとおり、コギトが確立される段階では、デカルトは「欺く神」の仮説を手放していない。仮に神がコギトを巧妙に欺く悪意の〈他者〉であるとすれば、そこからはいかなる保証も得られないだろう。コギトの確信の次に証明されるべきは、信頼に値する〈他者〉の存在である。
覚醒は九時半過ぎである。ちがうか。起き上がってカーテンをあけたのがそのタイミングだ。凪の海たる真っ青な快晴。とはいえ一一月もなかばを越えてひかりがあっても朝の部屋の空気は冷たく、布団から出した起き抜けの手の冷え方にそれがあらわれている。しばらく布団のしたで背中をやわらげながら過去日記を読んだり、Guardianを見たり。胎児のポーズを取って横に揺れたり、あたまを寝床につけて左右に転がしたりもする。じきに脚を出してふくらはぎも膝でさする。そうして床をはなれたのが一一時前。まず水をちょっと飲み、トイレに行って用足しと洗顔。便器のなかに黒カビなのか黒点がたくさん生まれていて、トイレットペーパーと洗剤でこすっても取れないのでやばいのだが。室を出ると洗濯の用意。肌着類やタオルにここ数日着ていた白いジャージと、おとといつかった淡い紫もしくはピンクっぽい色のワイシャツなど。洗濯機に洗濯をはじめさせると椅子について首をゴロゴロやり、それから瞑想。
食事はきのうつくった煮込みうどん。濃厚味噌スープをもちいたもの。先日スーパーに行ったときはキノコを買わなかったのだけれど、やっぱりキノコがはいったほうがうまいなという印象。うどんのほかにいつもどおりキャベツと豆腐のサラダも大皿に用意する。すりおろしオニオンドレッシング。その日のからだの調子ややる気というのは、サラダをつくったあと食事のまえにすぐさままな板と包丁を洗ってしまう気になるかどうかでだいたいはかれる。調子が良いとしぜんにすぐ洗って水切りケースにおさめておく気になる。食事のあいだに「(……)」などウェブ各所をのぞく。「(……)」の最新記事は成瀬巳喜男『秋立ちぬ』という映画についてで、じつに手際の良いというか、勘所を的確におさえた分析的要約になっていてすごいなとおもうが、それを読むにああいいなあと、映画もみたいなあというきもちが惹起された。映画館に行ってなんでもいいから映像を追いつづける時間をもちたい。大皿と椀とを空にすると、ドレッシングの滓がのこっている大皿のほうに大根をおろして啜るように口へ入れ、また胃へ落とし、そうしてまたすぐに洗い物。ヤクもわすれず飲んでいる。あしたの午後にでも医者に行くつもり。と書きながら、あれ? とおもって財布の診察券を確認したのだが、午後もやっているのは木曜日ではなくて金曜日だった。やばいぞ。薬はギリギリもつくらいだが、またこのあいだみたいに臨時休診とかなっていたらまずい。あしたの午前にもう行ってしまうか、金曜午後がつうじょうどおりやっているか聞いておいたほうがよい。
白湯をつくってケトルから真っ黒なマグカップにそそぐ。また背もたれに首をあずけて目を閉じ、しばらく左右にあたまをころがす。このときPhoenixの『Wolfgang Amadeus Phoenix』の終盤をながしていた。Phoenixというグループはぜんぜん知らなかったのだけれどすこしまえにGuardianのトップページにインタビュー記事が紹介されていて、それで読んでおとといあたりからちょっとながしている。『Alpha Zulu』という最新作と、デビュー作であるうえのやつ。エレクトロ風味とバンドサウンドを混ぜたポップスみたいな感じのようだ。九〇年代にはDaft Punkとならんで一世を風靡したとか。Daft Punkはかろうじてなまえは知っていた。なぜ知っているのかわからないが。ウィキペディアをいま見たところ、『Wolfgang Amadeus Phoenix』はデビューではなくて四枚目だったし、出ているのも二〇〇九年で、メジャーデビューも二〇〇〇年だし、記事を読んだわりにこちらの勘違いがおおい。このアルバムからの”1901”と”Lisztomania”というのが九〇年代にヒットして、という認識でいたのだがまちがいだった。その後「読みかえし」ノートを読み、白湯をおかわりしつつきょうのことをここまで記述。二時四七分にいたっている。洗濯物は瞑想を終えたあと、食事のまえに干した。ワイシャツを取りつけたハンガーを物干し棒にかける際、水流を受ける網のようにシャツがすこしく押されてかたむき、そのおだやかな圧力が持っている手にもつたわって、きょうの大気のうごき度合いがうかがわれる。といってその後、読みかえしをしているあいだ窓をあけていたけれど、寒さは感じなかった。湯も飲んでいたし。きょうこそ書店に行きたいとおもっているが、一三日いこうの日記も書きたいきもちはあってもどうしたもんかなというところ。いまもう日が陰ってきていたので洗濯物を入れてしまったが、空をみればけっこう朦々としたかんじの雲が湧いて、あざやかな青さは隠されがちになっており、この季節の三時となれば陽射しのつよさもだいぶ減じて雲に勝ちきれず、空気の色合いは平板化して、そうなるとさすがに開けた窓ではすこし肌寒い。
*
洗濯物をたたんでかたづけ、窓を閉めると寝床にころがってChromebookを持つ。と、そのまえに携帯をみると母親からSMSが来ていたので返信した。きのうも来ており、勤務復帰はどうだったかと訊かれたので、木曜日はほぼ問題なかったがきのうはやはり電車がきつかった、さしあたり週一日くらいならなんとかやっていけそうかとおもう、とこたえておいたあと、コート類なんかをそろそろ取りに来るようじゃないかと返ってきたのを放っておいたのだが、そこにさらに、兄や子らが泊まりにくる二〇日は来れそうかと来たかたち。母親は朝の七時台から出かけて一日留守になるので面倒を見てもらえないかというのだが、先日一九日に兄が実家に来るということを聞いたあと、月曜日の件を受けて、電車に乗るとやっぱりまだだいぶ消耗するようだし、今回は見送らせてもらおうとおもっていたのだった。一九日には職場のミーティングもあるのだけれど、これもオンラインで参加させてもらうよう(……)さんにたのむつもり。母親には電車がまだきついからすまんが遠慮させてもらう、翌日しごとでもあるからからだを休めておきたい、コート類も来週のどっかででも取りに行けたら、とかえしておいた。そうして(……)さんのブログを読む。最新二記事。中国事情。
(……)道中、バイクの話になる。日本にはバイクが多いかというので、まあ多いかな、少なくとも(電気スクーターではない)中型や大型のバイクは日本のほうが多いね、ていうか中国ではほぼ見ないよねと応じると、上海では大型バイクの台数に制限があるという返事。上海全市でバイクのナンバープレートが5000台分しか発行されていないのだという。どうしてとたずねると、危険だからという返事があるのだが、いやいや歩道も車道もおかまいなしに爆走する無数の電気スクーターのほうがよほど危ないだろと笑った。(……)くんの肌感覚としては5000台よりももっと少ないらしい。バイク自体の値段はそれほど高くないのだが、免許をとるためにかかる費用がわざと高く設定されているので、現在大型バイクに乗っている人間はだいたい金持ちだという。バイク規制をはじめた当初は、バイクの運転免許証を返納すればそれと交換というかたちで車の免許証を発行してやるぞみたいな制度もあったとのこと。すべて初耳。
もうひとつ、したの情報。
(……)Kindleストアでなんとなく「ムージル」で検索をかけたところ、『ローベルト・ムージル 可能性感覚の軌跡』(オリヴァー・プフォールマン/早坂七緒、高橋 完治、渡辺幸子、満留伸一郎・訳)というのがヒットしたので、ポチった。販売ページに引用されている「あとがき」は以下のとおり。
著者プフォールマンは目下のところムージル研究のトップランナーの一人だ。この伝記はただムージルの生涯の記録をたどるものではなく、随所にプフォールマンがデジタル版新全集を探索して得た新解釈や、ゲシュタルト心理学などを踏まえた斬新な見解が書きこまれている。……ローベルト・ムージル(1880年・クラーゲンフルト~1942年・ジュネーブ)については、その主著『特性のない男』が、1999年のミレニアム(千年紀)に際して行われたアンケートで、20世紀ベストのドイツ語小説に選ばれたと説明するにとどめる。……本書は日本オーストリア友好150周年記念出版として、オーストリア外務省よりの補助金を得て実現した。のみならず今年はムージルがオーストリア外務省に1919年に就職してから100年目にあたり、二重の記念祭を祝うことになる。
こんなんKindleで売ってるんだ、とおもったが、「正直、こんなもん誰が読むんだという話である」と(……)さんがいっているのには同意である。「ローベルト・ムージル(1880年・クラーゲンフルト~1942年・ジュネーブ)については、その主著『特性のない男』が、1999年のミレニアム(千年紀)に際して行われたアンケートで、20世紀ベストのドイツ語小説に選ばれた」という情報にも、うそつくんじゃねえ、とおもった。ドイツ人だろうがオーストリア人だろうが日本人だろうが何人だろうが、『特性のない男』を読み通して(あるいは部分的にでも読んで)、それが「20世紀ベストのドイツ語小説」であると判断できるようなにんげんなど、世界のうちのごくごくごくごくわずかな少数に決まっている。このアンケートで『特性のない男』をベストとして回答したにんげんのおおくはうそつきか、見栄っ張りか、知ったかぶりか、既定の文学史への追従者だ。それか研究者とかのみを対象にしたアンケートなのか? どういう回答方式だったのかもわからんが。ドイツ作家だったらたぶんトーマス・マンとかヘルマン・ヘッセなんかのほうが圧倒的に読まれているだろう。とくに根拠はないが。でもマンはたしかノーベル文学賞もらっていたはずだし。とにかくうそつくんじゃねえとおもう。読んでいないものを読んだとするんじゃねえ。わからなかったものをわかったかのように言うんじゃねえ。読んでいないものは読んでいないでよいし、わからないものはわからないでよい。うそをつくんじゃねえ。じぶんも『特性のない男』は一巻目しか読んでいないし、もうだいぶまえだからぜんぜんおぼえていないし、なんだかよくわからなかった。そろそろ全巻読みたいとはおもっている。
*
Chromebookを持つまえにねころがって胎児のポーズを取りながら揺れていると、太陽がかろうじて雲の噴出からのがれたらしく、薄陽の色が窓に見えだし、レースカーテンの上部に、上半分ともいかない程度の範囲でしかないが淡い暖色がひとときもどり宿って、そこを通り抜けたわずかのあかるみは正面、北側の真っ白な壁にもきれいな平行四辺形をひらき、すこしだけかたむいたその薄白光の図形のなかにはカーテンの無数の襞が反映されて細い影の線が縦にいくらでも、混じりあいながら乱雑に走って木立の模様、そこからちょっと右に、あいだに断絶がはさまっているのは窓の端を陣取っている紺色のカーテンのためだろうが、そこを越えたさきに窓のいちばん端からもれだしてきたらしく縦に細長いあいまいなやわらかさの四角がもうひとつひらかれていて、影に占領されている矩形とはちがってなかになにもふくんでおらず、壁の白さにただもうひとつの白さをかさねて艶をふくんだあかるみだった。
三時四五分ごろにまだ椅子にもどると一三日の記事のうち、昼間の外出の一段を書き、なんだかんだ書くとやはり肩口がこごっていやな感じになるので、段が閉じるとまた寝床で胎児となって揺れ、首から鎖骨のあたりをほぐしながら書店はどうするかなとかんがえた。行くつもりでいたのだけれど、よくよくかんがえればあした医者に行くかもしれないわけだし、それならそのついででもよい。きょうは日記の記述に当てるか? とおもったわけだが、しかしけっきょく外出したいきもちがまさるようだったので、いちおうこれからうどんの残りを食ったあとに向かうつもりでいる。もう日も暮れてなかなか寒そうだが。席にもどるとここまで加筆してもう五時だ。胎児になっているあいだは迎えの母親を受けた保育園の男児が、ゆうりくんといっしょにぐるっと、いい? 一回だけ! ゆうり! ゆうり! などと交渉しており、母親は、えー、もう暗くなっちゃうし、だめだよ、帰ろうよ、みたいな気のない返答だったが、そのゆうりくんらしきべつの声も出てきて、一回だけ、いいですか、だめですか? 一回だけなんで! 行こうぜ! とかいきおいにまかせるようすだった。
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五時過ぎに煮込みうどんのあまった一杯を食べたあと、「読みかえし」ノートを少々。「知を想定された主体」や、転移関係についての基本的なことがら。
工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義: 08 あなた以上にあなたのことをよく知っている誰かについて――転移の構造論」(2019/11/11)(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v8(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v8))
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では、精神分析において「すでに知っている〈他者〉」の役割を果たすのはいったい誰なのか。ラカンのいう〈他者〉の最も基本的な定義に立ち返れば、それは言語の場そのものだということになる。とはいえ、主体が自由連想を行って話すためには、当然のことながら、分析家が言葉の宛先となって話を聴かなくてはならない。つまり分析関係のなかでは、事実上、分析家こそが〈他者〉を代表している。むしろ、〈他者〉の仮の代理人というポジションに身を置くことが、ひとつの精神分析が始まるときの分析家の重要な役割である。このことを指して、ラカンは分析家のことを「主体の証人」、あるいは「真理の主」と呼んだりしている[2: Jacques Lacan, « Fonction et champ de la Parole et du Langage en Psychanalyse » (1956), in : Écrits, op. cit., p. 313.]。
しかしこれは、分析家がデカルトの神のごとく何でも知っているとか、主体の無意識の内実を把握する特権を持つ、という話ではもちろんない。まったく反対である。うえで「仮の代理人」という言い方をしたのもそのためである。分析家は、主体の無意識と発話(パロール)のつながりを保証する〈他者〉の機能を、あくまでも仮初めに、肩代わりする。逆にいえば、分析家が〈他者〉の位置に身を置き続けることはできないし、またそうしてはならない。これはラカンの精神分析思想の最も重要なポイントのひとつだ。
分析の開始において分析家が仮初めの〈他者〉となる、というのはいったいどういうことなのか。これについてラカンは、「知を想定された主体(sujet supposé savoir)」という独自の概念を練り上げることで自身の考えを展開してゆく。ラカンによれば、デカルトの神は、まさに「知を想定された主体」である。すなわち、コギトという主体が、「真理を知っている」と想定しているもうひとり別の主体(=〈他者〉)、それが神である、ということだ。
ラカンがあえて「知の主体」(知っている主体)ではなく「知を“想定された”主体」という表現を用いている点は重要である。これは、「神こそが真理を知っている」というのがあくまでもコギトの側の「想定」である、ということを意味する。実際デカルトの議論のなかでも、神の存在証明や「永遠真理創造説」の主張は、もっぱらコギトの試行錯誤のみから導き出されており、それを外部から保証する審級は存在しない。神が本当のところ何を知っているのかよりも、その中身が何であれ、神は真理を知っているとコギトが想定すること自体のほうがじつは本質的なのだ。〈他者〉に対する知の想定はひとつの主体的行為であり、真理の探究に不可欠な一歩である。
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転移とは、一言でいうと、強い感情的な結びつきのことである。フロイトによれば、転移は親密な人間関係にきまって現れ、精神分析の実践に限らず広く一般に見られる。例えば、はっきりとした性的要求を伴う恋愛のようなあからさまなものもあれば、尊敬や信頼といった、表面上はより整序されたものもあり、そのかたちは様々である。もちろん、親密さというのはつねに肯定的な感情のみによって形作られるのではない。むしろ、顕在化していようとなかろうと、そこにはしばしば敵対的な負の感情も含まれていることを強調するのが、フロイトのリアリズムである。アンビヴァレンツなき感情(例えば憎しみをほんの少しも伴わない愛)は、少なくとも神経症者の世界には存在しない。
いずれにせよ、感情的な高まりと他者への強い結びつきが転移現象の核である。ところで、精神分析の実践はこの現象と切っても切り離せない。それは、治療者と患者のあいだではつねに転移が見いだされる、という臨床的事実のみによるのではない。そうではなく、より積極的に、転移を原動力にする技法として、フロイトは精神分析を発明したのである。フロイトは、患者から恋愛感情を告白されたり(陽性転移)、強い攻撃性を向けられたりする(陰性転移)経験を繰り返すなかで、それを治療上偶発的に生じる障害ではなく、むしろ治療の本質をなす現象と位置づけた。精神分析とは、人為的に転移を生み出す実践であり、転移関係こそが分析に固有のフィールドである。
フロイトによれば、転移とは、症状が分析関係のなかに移されたものである。übertragenは「移す」とか「翻訳する」といった意味だ。患者の無意識のなかに押し込められているトラウマ的経験の記憶やそれがもたらす葛藤は、転移のメカニズムによって、分析関係のなかで新たなかたちを得て再演される。例えば、患者がかつて抱いていた母親への嫌悪や、すでに取り返しようもなく破綻してしまった恋愛関係の回復への要求が、分析家へと向けられる。これは、患者のなかで抑圧されてきたものがいわば現在形で、直接取り扱い得るかたちで姿を現す、という意味で、分析の進展に必須のプロセスである。
だが、転移には、分析を進展させるのとは反対の方向性、フロイトのタームでいう「抵抗(Widerstand)」の側面もある。患者による分析への抵抗は、もとをたどれば、抑圧のメカニズムに由来する。分析が抑圧されたものを思い出し、それを言葉にする困難な作業を患者に要求する以上、患者のうちで働く抑圧は、今度は分析への抵抗として現れる。分析家への恋着にせよ反発にせよ、患者がそれにどっぷりと浸ってそこに自分の無意識をみようとしなければ、分析の進展を滞らせることになる。フロイトはこれを「転移抵抗(Übertrangungswiderstand)」と呼ぶ。
しかしフロイトは、こうした抵抗を斥けようとはしなかった。むしろ、抵抗の必然性を認め、分析関係のなかでそれを存分に展開させる道を選んだ。フロイトの狙いは、患者自身が抵抗ととことん向き合い、それを主体的に乗り越えるよう促すことにあった。なぜなら、論理的にも経験的にも、分析が患者の症状の根に近づけば近づくほど、患者の抵抗は強くなっていくということを確信していたからである。したがって「転移こそが精神分析の原動力である」というフロイトのテーゼは、「転移抵抗」をも、そしてより本質的に、転移をつうじて新たな姿をとった症状それ自体をも、肯定する発想として受け取られなければならない。患者は勇気をもって、自分の病気の現れの数々に向けて注意を働かせなければならない。病気そのものは、彼にとって軽蔑すべきものであってはならず、むしろ尊敬すべき敵とみなされてしかるべきなのだ。それは確かな動機にもとづいた、患者の本質をなす一部であって、そこから患者の今後の人生にとって価値あるものを引き出すことこそが肝要である。[3: Sigmund Freud, »Erinnern, Widerholen und Durcharbeiten « (1914), in: Gesammelte Werke, Band. 10, Fischer, 1991, S. 132.]
ここには、第三回でみたのと同じフロイトの一貫した立場がはっきりと見て取れる。すなわち、精神分析は症状に対立するのではなく、むしろ症状をパートナーとして進んでゆく実践である、という立場だ。フロイトにとって、患者の主体性を最大限尊重することは、患者の症状の価値を最大限尊重することに等しかった。ひとりの患者が、ほかの誰でもないその人であるということと、その患者をとらえ、その無意識に刻み込まれた運命、やがて症状を生み出すことになった運命とは、どうやっても切り離せないからである。
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ここまで足早に確認してきたフロイトの議論は、転移の現象的な側面、すなわちそこで現れる厄介な感情のもつれの意味や取り扱いをメイントピックとするものだといえる。これに対してラカンは、その議論を再構築しつつ、問題の現象を条件づける基本構造に焦点を当てる。この基本構造こそ、分析家が仮初めの〈他者〉となり、分析主体がこの〈他者〉に知を想定するというものである。ひるがえって、転移の解消は、この構造そのものが解体することによって果たされる。つまり、分析主体が分析家を〈他者〉とみなすことをやめ、自分の無意識について、自分以上に分析家のほうが何事かを知っていると考えるのをやめるとき、精神分析は終わりを迎える。
ひとは、誰かが自分以上に自分のことをわかってくれているとみなしたとき、その相手に対して強い感情的な結びつきを持つ。そして、そのひとから見た自分こそ、真の自分だと信じるようになる。ごくありふれた恋愛関係にも、このような面はたやすく見て取れる。これは、転移によって相手を理想化している状態であり、「知を想定された主体」とは、このように理想化された他者のことである。
精神分析において、分析家がこのような理想化の対象となる局面は避けられない。だからこそ、フロイトが伝えるような愛憎が臨床の日常風景となる。しかし、逆にいえば、この理想化にしっかりケリをつけることこそ、精神分析の真の終わりであり、その目的にふさわしい。ラカンによれば、「分析家は、まさしくこの理想化から転落し、権威を失わなければならない」[4: Jacques Lacan, Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse, op. cit., p. 245.]。
これは、分析家の職業的能力の限界が明らかになる、というような意味ではない。そうではなく、個人の無意識の最も特異な部分にかんしては、どんな分析家も、それどころかどんな〈他者〉も、決定的な答え(=真理)を持っていないということ、これを分析主体が精神分析の経験をつうじて身をもって知るという意味である。自分が何者であるかを決定できるのは〈他者〉ではない。そのような〈他者〉は存在しない。この根本認識を新たな出発点として一歩を踏み出すとき、主体はもはや分析家を必要としなくなる。
主体が〈他者〉に依拠することで始まるひとつの精神分析は、この〈他者〉そのものが問いに付され、やがてはその不在がそれぞれなりの仕方で引き受けられることで終わる。ラカンが提示するこうした発想は、臨床のイニシアティヴをもっぱら患者の側に置き、その症状の展開に同伴することを臨床家の使命としたフロイトの議論にすでに胚胎されていたとみることもできる。フロイトの技法を特徴づけるのは、治療者が患者に対して知や権威を振りかざす契機を徹底的に排除する姿勢である。
ここまでみてくれば、ラカンの実践原理とデカルトの形而上学のコントラストは明らかだろう。精神分析の主体とデカルト的コギトは、〈他者〉に知を想定するという出発点を共有している。しかし、デカルトが真理の決定を〈他者〉に委ねたままそれを問い直すことがないのに対して、ラカンは真逆の立場を取る。主体は〈他者〉を問いに付すところまで、つまり自身の出発点にあった仮説をひっくり返すところまで進まなくてはならないというのだ。真理は、もはや〈他者〉が不在となった地点で、主体が自己決定を行うことではじめて創り出される。それはどこまでいっても主体自身の問題(affaire)である。
工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義: 09 恋愛は存在しない?――「転移性恋愛についての見解」再読」(2019/12/11)(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v9(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v9))
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「転移性恋愛(Übertragungsliebe)」とは、その名のとおり、転移関係のなかで患者が分析家に恋愛感情を抱く事態を指す。フロイトはこの論文で、女性患者が男性分析家に対して恋愛感情を(言動や態度で)はっきりと示すケースを取り上げつつ、「転移をどう取り扱うべきか」という実践の問題を論じている。この議論は同時に、「恋愛とは何か」というより一般的な問いを、精神分析独自の観点から掘り下げるものとなってもいる。
フロイトによれば、多くの人にとって恋愛とは「他の何にも代えがたいもの」、「それ以外についての記述はいっさい受け付けない特別な一頁に書かれるべき出来事」である[2: Sigmund Freud, » Bemerkungen über die Übertragungsliebe « (1915), in: Gesammelte Werke, Bd. X, Fischer, 1991, S. 307.]。それゆえに、うえのようなケースは分析家にとっても患者にとってものっぴきならない事態だ。一般的な見地からすれば――ここでフロイトが想定しているのは標準的なモラルを備えた非分析家の見方である――、このようなケースで取りうる選択肢はふたつしかない。すなわち、治療者と患者という関係を越えて正式に交際を始めるか、分析家が何かしらの理由をつけて治療を打ち切りにするか、である。だが、前者の選択、例えば分析家や患者が既婚者である場合は離婚するといった選択がなされることはほとんどない。
さらに、第三の可能性として、治療は続けながら秘密裏に恋愛関係に入るということも考えられるが、フロイトは「市民的モラル」と「医師としての品格」に照らしてこのようなことはあってはならないと断っている。なにより、これは分析家が治療者としての役割をおざなりにしている点で論外である。だが、もちろんこうした例がないわけではない。よく知られているように、当時はフロイトの弟子だったユングは、自身の患者ザビーナ・シュピールラインとのあいだでこの第三の道(継続的な不倫関係)を選んだのだった。
これら三つの選択肢に共通しているのは、分析実践と恋愛関係は両立しない、あるいは両立すべきではない、という前提である。そして、精神分析家はこの前提をこそひっくり返さなくてはならない、というのがフロイトの主張だ。分析実践は、ある特別なやり方で(つまりうえの第三の道とはまったく違ったやり方で)、恋愛関係と両立しなくてはならない。言い方を変えれば、患者の恋愛感情を治療に役立てるべく利用するのが、ここで分析家が選ぶべき唯一の方法である。フロイトは、分析家が最も選びがちである治療の打ち切りという選択の末路について、こう述べている。しかし、患者の状態によって、じきに別の医師との第二の分析治療が必要となる。すると患者はまちがいなく、この二人目の医師にも恋着状態になり、そしてまたもや、同じように治療が打ち切られて新たな分析を始め、今度は三人目の医師に恋着を起こす、以下同様、ということになる。こうしたことに帰着するのは確実なのだが、よく知られているように、この事実は精神分析理論のひとつの基盤であり、分析医と分析を必要とする患者双方にとって、利用することができるものなのだ。[3: Ebd., S. 308.]
ここには、前回みたのと同じフロイトのテーゼ、すなわち転移こそが精神分析の原動力である、というテーゼが見て取れる。そして、転移が症状の一形態であり、それが恋愛感情というかたちを取るのであれば、このテーゼはそのまま、患者の恋愛感情はひとつの症状であり、精神分析はこの特異な症状を原動力とする、と言い換えられる。仮にこの恋愛感情を無理に排除すれば、それは必ず別の症状となって、つまり別の誰かへの同じような恋愛感情として回帰してくる。フロイトの用いる比喩はなかなか愉しい。
それはほかでもなく、みごとな呪文でもって冥界から幽霊を呼び出そうとしていたにもかかわらず、いざ現れたら幽霊に何も問うことなく、ふたたび冥界へ送り返すようなものである。それは、抑圧されたものを意識へと呼び出しておきながら、ただそれに驚愕して、新たに抑圧し直すということである。[4: Ebd., S. 312.]
必要なのは、恋愛という新たな症状に尻込みすることなく、それを精神分析独自のやり方でしっかり終わらせることである。では、この「幽霊」とはどんなふうに付き合ったらよいのだろうか。確かなのは、この世のモラルを杓子定規に当てはめてみてもまったく無駄であるということだ。「分析家の取るべき道は、現実の生活のなかには範例となるようなものが何もない道である」[5: Ebd., S. 314.]。
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フロイトの方法は、ここまで辿ってきた論理から必然的に導き出されるものである。
われわれは恋愛転移〔Liebesübertragung〕をしっかりと保持しておき、それを非現実的な何ものかとして取り扱う。すなわち、ケアのなかで展開し尽され、その無意識的な根源へと送り返されなければならない状況として取り扱うということである。この状況の助けを借りて、患者の愛情生活のなかの最も奥深くに潜んでいるものを意識化し、制御できるようにしなくてはならない。[6: Ebd., S. 314-315.]
この方法を特徴づけるのは、分析家が患者からの愛情をはねつけるでも受け入れるでもない中立的な立場を保持すること、そして、この愛情をひとつの「見せかけ」とみなして、その向こう側にあるものを引き出そうとすることである。
恋愛の渦中にあるとき、どうして他の誰でもないそのひとが相手でなくてはならないのか、本人にはわからない。これはフロイトのいう「対象選択」の問題である。そこには、当人が経験してきた満足や喪失、それに伴う悦びや痛みが避けがたく影響を及ぼしている。第二回でも述べたように、そのひとを決定づけた過去の経験を、たとえ本人が忘れてしまっても、無意識は決して忘れないからだ。ひとは自分自身の歴史からは自由になれない。フロイトの方法は、厳密な決定論の立場に基づいている。
フロイトによれば、こうした過去は患者の幼児期にまで遡る。目下愛情に衝き動かされている当人からすれば、目の前の相手こそはまさに特別で、代わりなどどこにもいないと感じられる。だが、そういう場合であっても、いやむしろそういう場合にこそ、無意識に書き込まれた過去の経験が、痛切に問われることになる。愛しい人は、かつて失った人の「幽霊」かもしれない。恋愛の現在に強烈に結びつけられている患者を前にして、分析家は、この恋愛を現在から切り離し、あくまでもその背後にある歴史を相手にする。
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この日はあと書店行き。道中のこともわすれたし、書店内でのうごきも割愛。めあては読書会の課題書であるウラジーミル・ソローキン/松下隆志訳『親衛隊士の日』だが、そのほか文庫と新書ばかり、山崎正一訳注『正法眼蔵随聞記』(講談社学術文庫)、カッシーラー/宮城音弥訳『人間 シンボルを操るもの』(岩波文庫)、リルケ/手塚富雄訳『ドゥイノの悲歌』、それに中公新書の斎藤兆史『英語達人列伝』と計五冊を購入。ところでこの日だったか二日後だったか、帰ってきたあとにごちゃごちゃしている収納スペースをちょっとさぐると、一万円分のJCBギフトカードが出てきて、これはアパートにうつってからしばらくしたあと、(……)の会社からキャンペーンだか特典だかで送られてきてもらったものなのだけれど、みてみるとジュンク堂でつかえるらしいので、これで一万円分本を買える。ありがたい。水声社の「人類学の新転回」だったか? あの真っ赤なシリーズに、自然と文化を対立的にとらえるかんがえかたを反駁するみたいな本があって四五〇〇円くらいだったとおもうが、それとかがほしい。あとなんだろう。みすず書房の本もほしいが、むかつくことにみすず書房の本は一万円あったところで二冊は買えないみたいなものもザラだ。ハンナ・アーレントの『活動的生』とか七〇〇〇円くらいしたはずだし。
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- 「ことば」: 31, 9, 24, 26 - 30
- 「読みかえし2」: 474 - 478, 479 - 484
- 日記読み: 2021/11/16, Tue. / 2014/4/6, Sun.
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Samantha Lock, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 266 of the invasion”(2022/11/16, Wed.)(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/16/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-266-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/16/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-266-of-the-invasion))
A “Russian-made missile” fell on the Polish village of Przewodów, near the Ukrainian border, killing two people on Tuesday afternoon, Poland’s foreign ministry said in a statement. The incident is the first time that the territory of a Nato country has been struck during the near nine month Ukraine war.
Poland’s president Andrzej Duda said that the explosion was a “one-off incident” and there are “no indications” that it is going to happen again. Duda said it was “most-likely” a Russian-made rocket but “we do not have any conclusive evidence at the moment as to who launched this missile … this is all still under investigation at the moment.”
Poland’s government said it had summoned Moscow’s ambassador to Poland to provide an explanation. According to a statement released on Poland’s government’s website, a spokesperson said: “The minister of foreign affairs, Zbigniew Rau summoned the ambassador of the Russian federation to the ministry of foreign affairs and demanded immediate detailed explanations.”
Nato ministers are preparing to gather on Wednesday at the request of the Polish government. The meeting is set to be convened under article 4 of the Nato treaty, which allows for all Nato allies to be brought together when the “territorial integrity, political independence or security” of any member has been threatened.
A deliberate attack on a Nato member could in theory lead to the invocation of the alliance’s article 5, which states that an attack on one member of the military alliance is considered an attack against all. But the Nato treaty is highly unlikely to be triggered by an accidental attack.
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Duda has also spoken to the Ukrainian president, Volodymyr Zelenskiy. Zelenskiy tweeted afterwards: “We exchanged available information and are clarifying all the facts … all of Europe and the world must be fully protected from terrorist Russia.”
The Russian defence ministry in a statement denied its missiles crossed into Poland, calling the reports a “deliberate provocation”. “The statements of the Polish media and officials about the alleged fall of ‘Russian’ missiles in the area of Przewodów is a deliberate provocation in order to escalate the situation. No strikes on targets near the Ukrainian-Polish state border were made by Russian rockets.”
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Russia launched waves of missile strikes across Ukraine on Wednesday as G20 leaders met in Bali. Ukraine’s authorities said it was another planned attack aimed at the country’s energy infrastructure facilities. In his Wednesday evening address, Zelenskiy said “a total of 90 missiles” hit Ukraine. Seven million homes were left without power. The deputy head of the presidential administration, Kyrylo Tymoshenko, wrote on Telegram that the energy situation across Ukraine was “critical” as a result.
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Arwa Haider, “White Riot: The music activists who took on racism”(2020/8/20)(https://www.bbc.com/culture/article/20200819-white-riot-the-music-activists-who-took-on-racism(https://www.bbc.com/culture/article/20200819-white-riot-the-music-activists-who-took-on-racism))
Protest marches; bigots emboldened in the mainstream; institutional racism and exploitative policies going apparently unchecked… these themes sound distinctly contemporary in 2020, but they’re also undeniably deep-rooted. A new documentary film, White Riot, highlights the 1970s inception of Britain’s Rock Against Racism (RAR) movement, and its ground-breaking carnival event held on 30 April 1978: where a crowd of around 100,000 anti-fascists would march the seven miles from Trafalgar Square in central London to a live concert at Victoria Park in east London, through a stronghold of violent fascist party the National Front.
Between 1976 and 1982, RAR harnessed creative energies and diverse youth culture, organised live tours, published a highly influential fanzine, TemporaryHoardings, released music, and arguably proved instrumental in trouncing National Front support, at the ballot box and beyond. The movement’s manifesto, written by David Widgery in 1976, was rousing: “We want rebel music, street music. Music that breaks down people’s fear of one another. Crisis music. Now music. Music that knows who the real enemy is. Rock Against Racism. LOVE MUSIC HATE RACISM.”
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The feature-length documentary, which won awards at London, Krakow and Berlin film festivals, builds on an acclaimed 2017 short film by Shah and Gibbs, and involves numerous RAR key players: photographer, activist and agitprop theatre performer Red Saunders; co-founder Roger Huddle; Syd Sheldon and Ruth Gregory (whose vivid photography and design gave Temporary Hoardings its sharp look); Kate Webb (aka Irate Kate) who ran the RAR office and mailed out badges, stickers and publications; smart writers like Lucy Toothpaste (aka Lucy Whitman, whose fanzine articles also gave a platform to themes including feminism and LGBT+ equality). The soundtrack is exhilaratingly multi-genre, through heady live footage (highlights include clips of reggae dons Steel Pulse, and punks X-Ray Spex, led by brilliant young frontwoman Poly Styrene, at Victoria Park; and London Pakistani rockers Alien Kulture; Tom Robinson singing the anthemic Winter Of ’79) as well as contemporary insights.
White Riot revisits an era when Britain’s post-war multicultural youth was coming of age, but the hate-filled diatribes of racist politicians such as Conservative MP Enoch Powell and the National Front’s Martin Webster were also disturbingly pervasive. Their white nationalist speeches were even parroted by mainstream entertainers who owed their careers to black inspirations; in 1976, blues rock star Eric Clapton made a notorious outburst at a Birmingham gig, praising Powell and ranting against “foreigners”. Disgusted by this, Saunders, Huddle and peers sent a letter to the New Musical Express, with particular ire for Clapton: “You’re rock music’s biggest colonialist,” it stated. “We want to organise a rank and file movement against the racist poison music… We urge support for Rock Against Racism.”
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The inaugural RAR gig took place in 1976, featuring acclaimed British reggae band Matumbi alongside blues singer Carol Grimes. Matumbi’s guitarist was Barbados-born Dennis Bovell, a now legendary artist, writer, producer and DJ, whose credits include work with Janet Kay, The Slits, Linton Kwesi Johnson, The Pop Group, Orange Juice, Viola Wills and Madness. Bovell recalls how Saunders approached him at a south London pub, and explained the plan: to place bands together under the banner of Rock Against Racism: “We thought something like that was due: a coming together of musicians from different genres who were actually against racism,” he says. “So we joined, and we did lots of gigs all over the UK. We went on tour with Ian Dury and The Blockheads, with the Sex and Drugs and Rock ’n’ Roll tour.”