2022/11/20, Sun.

 あなたのお母さんがあなたに対してそんなに暴君的であるという点はよく理解できません。他のすべての点では彼女のことは大変よく分ります。あなたは自活しているのだから、うちのなかで、ぼくの知るかぎりただ家事を手伝っている妹さんに対しても、特別な地位を占めているのではありませんか? この地位の特殊性はだれにも尊敬されないのですか? してみるとお母さんはあなたの仕事を過小評価して大変不当なことをしているようですが、他のすべてでは彼女は正しい。海水浴場であなたのそばから離れなかったとき(ああ、その若い男は一体どうしようとしたのですか? そんな男はさっさといなくなるがいい!)彼女は正しかったし、ぼくの手紙に怒るとき(彼女は正しいというこの手紙についてもおそらくそうでしょうが)正しいのです。これらの手紙の必然性について、ぼくはきっといまはただせいぜい夢のなかでしか彼女を納得させることはできないでしょう。男と女との間で結婚以外の関係をすべて無意味と考えるなら、彼女は結局正しい――それもなんという大きさで!――のです。たとえばぼくは自分のことをもうしばしば無意味だと言ったではありませんか?
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、189; 一九一二年一二月二七日から二八日への夜)




 昨夜はオンラインで職場のミーティングに参加したあとやる気が出ず、いったんゴロゴロし、腹が減ったので零時くらいになって食事を取ったのだが、やはりやる気は出ずむしろねむくなるありさまで、二時をまえに寝床に移動していつか寝ついた。六時くらいにいちど覚醒。デスクライトを消して再度あおむけに。つぎに覚めると深呼吸をはじめて、万歳しながらやったり合蹠しながらやったり、その両方をあわせながらやったりしてからだをあたためる。きょうは日曜日で保育園にうごきがないので何時ごろかいまいちわからなかったが、からだを起こして携帯をみるとちょうど九時だった。カーテンをあけると天気はつめたい曇りで空は一面白さに覆われている。手もつめたい。Chromebookを持ってウェブをみていたが、すこししてからエアコンをつけた。その後日記の読みかえしに移行して、一〇時ごろになるといったんトイレに行きたくなったので立って用を足し、しかしそこで離床せずまた横になって、読みもののつづき。一年前の出勤路。

(……)こちらが玄関を出たあとから出てきた母親が、月が赤くてすごいみたいなことを漏らしたが、たしかに扉をくぐったさいに、東の坂沿いの樹々に隠れつつも赤の色が低いところにのぞいているのを目撃していた。道を行くあいだ振り返ってみても、鍛冶場で焼けたような赤さの月、ほとんど満月だが上端だけかすかに薄れているそれが、おしなべて雲がかっているはずの白墨色の空でそこだけきりきり刳りぬかれたようにはっきりと浮かんでいた。五時半を過ぎたころあいなので道はとうぜんもう暗い。

最寄り駅にはいるとホームの先のほうへ。駅まで来たあとは階段通路を行きながら、月が消えたなと暗い空に視線を吸いこませていたのだが、ホームを行けば正面、東の空に、こんどはあまりはっきりせず色もにぶくなったすがたのなかに雲の黒い線を横にながして裁断された赤さがあって、切り絵のように貼りついていたそれはしかし、ちょっと見ないでいるうちにもうすぐ呑みこまれてしまい、ふたたび見やったときには指紋程度の希薄さしかなくなっていた。

 二〇一四年の記事とGuardianも読んで、起き上がったのが一〇時四五分だった。背伸びしたり手首をぶらぶら振ったり、少々からだを伸ばしたりうごかしたりしてから瞑想。開始をみなかったがたぶん一〇時五五分ごろ。それで目を開けたのが一一時三五分だったので四〇分くらい座ったとおもう。ながい。深呼吸をしてあるために安定性は高いし、からだを詳細によく見て感じ、変化を追っているうちにそのくらいは経ってしまう。これはきょうかんじたのではなくておとといのことだが、瞑想的な身体観察には地図をつくっているようなおもしろさがあるなとおもった。からだの調子や感覚はその日によってちがうから、対象となるその地形も総体として日によってちがうし、そのうえもともとあった地形や配置が刻々と変化して更新されていくわけだけれど、どんなにながくつきあっていても未開拓領域がけっしてなくならない、そういう場所を地図化しているようなおもしろみがちょっとある。それに関連しておととい、アパートから(……)駅に向かってあるいているとちゅうにおもったのは、ベストコンディションなどというものは存在しないということで、仮にベストコンディションなるものができあがったところでそれは即座に崩れはじめるものだろうし、固定的な状態としてたもてるようなものではないだろうと。苦しみが生じたり調子がわるくなったりするのは人体どれも避けられないわけで、あるいはベストコンディションをめざすのだったら、調子がくずれてわるくなったり、ちょっと不調が混じっていたり、そういうマイナス要素がときに(というかほとんどつねに)生まれてふくまれている、そうした一連の心身の経過、長めの持続においてベストコンディションであるというような、そういうとらえかたをするべきだろうと。だからパニック障害で緊張が高まったり動悸がやばかったり、そういう症状はたしかに苦しくて、なるべくそこからはなれたいという完璧主義を志向してしまいがちだけれど、仮にある日になにも起こらず気分よく過ごせたとしてもそれを結実させたファクターは無数にありすぎてよくわからないし、なにがなんでも発作を排除しようとせず、苦しくなってもまあ死にはしないししかたがないくらいのゆるいスタンスでいつつ、その日その日でからだにたいしてこうするのがいいんじゃないかということを、たしかな解をさだめようとせずにやっていきながら心身向上を待つのが良いのではと、楽観的諦念みたいなものがあるいているうちにむすんで、そのおかげか知らないがそのあとの電車内はわるくない感じでなんとかなった。
 この日のことにもどると、瞑想後は食事に向けて水切りケースからまな板や皿を出し、水切りケースはほんらい蓋としての用途らしいが透明なケースがいちばんしたにあり、二段目は水を溜める用のケース、いちばんうえにかさなっているのは格子状にすきまがあいていて、そこに置いた皿などから水がしたに落ちるケースだが、いつも一段目をかたづけるときに二段目もとりだして溜まった水を流しに捨てているのだけれど、水いがいにすこし汚れがついていたりするときもある。きょうもそうだったのでまずそれをながしでこすり洗い、ヨーグルトの容器側面に貼られているラベルを剝がして捨て、容器もプラスチックゴミ用のビニール袋に捨て、そうしてキャベツを切り出す段だがそのまえにまたしばらくストレッチをしてからだをやわらげた。それからキャベツをザクザクやって、豆腐も細切れにして乗せて、刻みタマネギドレッシングをかける。もう一品は(……)さんがこのあいだ来たときにスーパーで買ってきてくれた豆腐チゲみたいなやつを食ってみるかということで、袋をあけると黒い容器に豆腐と赤いスープがそれぞれパッケージされてはいっているやつで、それらを容器に出してふんわりと(とつくりかたの説明にあったのだが)ラップをかけて電子レンジで加熱するものだが、どうもスープのにおいがうーんみたいな、じぶんはこういうキムチ系のやつが苦手なのだとおもう。しかし開封してしまったからには食おうとレンジであたためて、空の腹にいきなりそれを入れるとたぶんまずいのでさきにサラダをシャリシャリ食い、電子レンジが止まってもほうっておいて野菜と豆腐を食いつづけ、そのあと取り出してきたがやはりスープはあまり惹かれない。豆腐じたいは食えるのでふつうに食い、したのほうとかスープへの浸かり度が高いのでにおいがうつっていたけれど、それも食べているうちになんか腹が慣れてきた。しかしつゆを飲むことはせずにかたづけ。ヤクも一錠飲み、大根おろしも少量胃に入れておく。洗い物を済ませて白湯をつくり、きのうきょうの日記の支出欄とか英文記事とかを整理して、


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 いま五時一〇分。スーパーに行ってきたところ。うえまで書いたところで背や肩が、ひりつくのとはちがうけれどピリピリするようなこごりを発するのに耐えられなくなったので、いちど中断し、たたみあげていた布団を床にもどして寝転がった。三時過ぎだった。ゴロゴロしつつGuardianを読んで背中をやわらげる。天気は昼過ぎくらいから雨になっていて、だんだんと水滴が窓外の柵かなにか打つ音がはじまっていたのだが、このころになるとそれが繁くなっており、車がとおればタイヤ音も水の響きでよほど膨らみ、尾を引いていく。気温も低いから窓のすぐ脇である寝床に横たわっていればダウンジャケットを着込んでいてもすこし肌寒い。そとをあるくのにあまりよい条件ではないが、スーパーに行こうとおもっていた。サラダやスープの材料になる野菜類はけっこうあるのだけれど、逆に言えばそれだけで、主食的なものがぜんぜんない。うどんもなくなってしまった。そういうわけで四時をむかえて床を立つと用を足し、一〇分だけ瞑想。からだを仔細にみていれば一〇分だけでもやはり変わるし、なんだったら三分五分でもすこし変わるは変わるので、ながい時間にこだわらず、行動のあいまに細切れでちょくちょく静止する時間を取っていくのもよいかもしれない。大切なのはからだをわすれず、ないがしろにしないということで、意識と観察をむけるということを、いたわりとこころづかいをむけることと同義にすることだ。服装は、さすがにきょうはブルゾンでは寒いだろうし、かといってジャケットを着るような用事でもなく、またジャケットだって防寒の面ではこころもとないから、色気がないけれどジャージにダウンジャケットをまとっているいまのかっこうで、しただけズボンに履き替えればよいだろうと。それで下半身をチェンジして靴下も履き、部屋着だと体臭が染みついているかなとおもってリセッシュをおのれに向けていくらか吹きかけ、リュックサックを背負って四時半前に部屋を抜けた。傘は黒。階段をおりてポストになにもはいっていないことを確認すると、建物の通路の際と道との境のところで傘をひらき、道路に出て左へ。激しいというほどではないが、けっこう降っている、真正の雨である。路上のアスファルトがゆがんだところに水たまりもできており、家屋のまえの塀にかこまれた小庭が草だらけの一軒でも、冬枯れの色に薄く老いてあれは刈られたのかそれとも単につぶれていただけなのかわからないが、やれ茎の集合がかたまって濡れていた。家屋脇の角のところにはススキもいくらか群れて、穂がほかより高いところから庭全体を見下ろしている風情。風はあり、ダウンジャケットはファスナーをいちばんうえまで閉ざしていたけれど、それでも首とのすきまからつめたさがはいりこんでくる。公園のいちばんてまえの角に立っている木は渋い赤の紅葉を混ぜつつ重い緑ものこしているが、その全体が雨に濡らされ曇天をいただいたこの四時半では鈍く沈殿の気味だった。右に折れる。左右を人家にかこまれた路地にひとも出ていない。しかしじきにまえから自転車で、傘もなく、服装もパーカーかなにかたいして厚くなくて金髪の、女性だか男性だか見分けられなかったが帽子をかぶったひとりが走ってきて、あのかっこうでさらされっぱなしではかなり寒いだろうとおもわれた。はさまった道路を渡ってふたたび裏にはいる。やはり寒く、いちどめの食事から時間も経って腹のなかは空なので、下腹あたりがぽっかりと頼りなげで体温も低いはずで、呼吸のあいまに胸や腹が微妙にふるえるのがわかる。とはいえ出口ちかくまで来るころには、たかだか一〇分もあるいていないが送り出す脚がぬくもりをもっているのがわかり、傘をつかんで露出した手もことさら冷えるわけでない。横断歩道で寸時待つ。右から来る車が停まったのを渡りながら見やれば、路面に投げ出されたふたつの白光がいかにも白くつよく、中心的なまとまりをはなれた箇所は微細片と化して散乱している。スーパーの入り口で傘をバサバサやって水をはじき、ほそながいビニール袋をいちまい取って収納。入店し、足踏みペダルで手を消毒。籠を持ってまわる。ともあれ豆腐をゲット。肉の日だというアナウンスがながれており、ぜひ肉のコーナーにお立ち寄りくださいとすすめられて、煮込みうどんにも肉入れたほうがうまいだろうとはおもうのだけれど、なぜか買う気にならない。かわりというわけではないがシーフードミックスを購うことにした。その他パック米とかレトルトのカレーとか、惣菜の唐揚げとかヨーグルトとかパンとか。会計に向かおうとおもったところで、そういえば財布のなかがこころもとないんだったとおもいだし、ATMはないのだろうかとうろうろしたがどうもなさそう、フロアの端のほうで確認してみると四〇〇〇円くらいしかないのだけれど、今回はふつうに足りるだろうということでそのまま会計へ。なまえをわすれたが横側の髪を三つ編みに編んでいる、眼鏡をかけた年嵩の、ひとつひとつ口に出して確認しながら品物を読み取るあの女性の列へ。いまひとり会計を終えた女性があり、もうひとりこちらのまえにならんでいて、四〇代くらいかと見えるかれはすでに籠を台のうえに乗せていたのだが、会計(というか読み込み)を終えた女性がセルフレジ的機械の操作方法がわからないらしく、店員はそちらに行ってつかいかたを指南しており、待たされている目のまえの、後頭部がすこしだけ薄くなった男性はぽつねんとした感じで、手をからだの横にだらりと垂らしたままたいしてうごきもみせず、いかにも所在なげにたたずみ尽くして待っていた。こちらも会計を通過すると整理台のいちばん端に行ってリュックサックとビニール袋にものを分けて詰めて退店。傘の袋を取ってボックスへ。あふれそうになっているのを押しこんでおく。横断歩道を待って渡り、裏路地へ。雨降りなのでビニール袋を持ちづらい。べつになかが濡れたってよいが、ふだんどおりに持ち手のさきのほうを指にひっかけて低く持すと雨が忍びこんでしまうだろう。それで身に引き寄せていたが、とちゅうからは持ち手も無視して、袋のうえのほうをぐしゃっと左手でつかんで保った。往路ではわずかばかりふるえたが、いくらかでもうごいたあとなのでこの帰路はさほど寒くは感じない。道もおもいのほかにあかるいというか、晴れの日ならば陽の出ているあいだと比べて、こうして五時前にもなればもうずいぶん暗いな、日がみじかくなったなとおもうものだが、きょうは正午から部屋内の明かりをつけなければならないくらいにもともと薄暗かったので、そうすると五時前でもまだこれくらいかと、ムースを均一に塗り延べたかに薄灰色の空とそのもとの宙があかるさをのこしているようにみえる。公園前の路地にはいると脇の家で車を出すうごきがふたつだかあった。買い物に行くにも車があれば、きょうは歩く気にもならないだろう。出て左に折れればそのさきがアパート、路地の向こうは横道をはさんでさらにまっすぐ路地がつづいているが、そこから三台つづけてやってきて曲がっていく車のヘッドライトが、さきの車が折れるやいなや反復的に継ぎ足されて路面にかがやくかたまりとなり、その先端は水をたどってこちらのアパートの前を越すくらいまで伸びてくるとともに、脇の家の低い塀にもながれるひかりの水面部分や路面に落ちた先端部は、曲がる車のうごきにあわせてときおり青く染まりながら上下に揺らいでいる。風が正面から吹きつけてきてながくつづき、目をほそめさせ、傘を浮かばせたいかのようだった。アパートにはいると袋を手にかけて傘をバサバサやり、階段をのぼると閉じないまま扉脇の物入れにかけておいた。そうしてなかへ。買ってきたものをおさめたり手を洗ったり。下半身もジャージにもどって、白湯をつくると飲みながらきょうのことをここまで記した。五時五四分。ゆびはかるい。いいかげん一四日いこうの記事をきょうはなんとかしまえたい。もうかんぜんにやっつけで、各日ともほんとうにみじかくかたづけるつもり。しかしそのまえに飯だ。


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 いま午後一一時三五分。一一月一四日から一八日までやっつけでどんどんかたづけて投稿。当日にけっこう書いてあった日もあったが。ちょうど九時からはじめたから、あいだにストレッチをはさんだけれど、二時間半ほど。実質二時間くらいか。きのうの記事も職場のミーティングのことだけ書けばよいだろうとおもうが、それはあしたいこうにまわすつもり。きょうはそのほか、うえの段まで書いたあとはキャベツと白菜と豆腐を切ってサラダをこしらえ、インスタントのアオサの味噌汁と、買ってきた唐揚げをおかずにパック米を食って食事。食後は休んだり、身体観察したり、「読みかえし」ノートを読んだりしたあと、書抜き。井上正蔵 [しょうぞう] 訳『ハイネ詩集』(小沢書店/世界詩人選08、一九九六年)。書くのをわすれていたが、昼に日記を書いたそのまえにも書抜きをしており、そのときのBGMはMontefiori Cocktailの『Raccolta N°1』だったところ、とちゅうで聞いたことのあるメロディが出てきて、みれば一一曲目の”Un uomo, una donna”、『男と女』か、とそのくらいの意味はわかる。ゆうめいな映画があったはずだからその曲なんだろうとおもって検索してみると、クロード・ルルーシュ監督、一九六六年。監督の名は初見。ウィキペディアいわく、音楽は「クロード・ルルーシュの盟友である、フランシス・レイが担当している。「ダバダバダ」のスキャットが全編に流れる主題歌は非常に有名で、後に様々なアーティストにカバーされている」、「歌っているのは、フランシス・レイの盟友であり、出演もしているピエール・バルーと、『愛と哀しみのボレロ』や『個人教授』で歌声を披露しているニコール・クロワジール(フランス語版)である」ということで、ピエール・バルーはむかし図書館でいちまいだけ借りたことがあるので(ぜんぜん聞かなかったが)なまえは知っているけれど、こういうところの人物なのか。さらには、「なお、この映画中の曲「サンバ・サラヴァ(邦題:男と女のサンバ)」は、ヴィニシウス・ヂ・モライスとバーデン・パウエルが作った曲「サンバ・サラヴァ」をピエール・バルーがフランス語に訳して自ら歌ったものである」といい、ここでバーデン・パウエルが出てくるのか、という感じ。まあほぼ聞いたことないけれど。
 夜に書抜きしたときのBGMは、なぜかBlack Sabbath聞こうとおもったのでかれらのファースト。Tony Iommiがながめのギターソロやるときの、あのペンタトニック臭。かれはばあいによってはもうすこしメロディアスなフレーズとかも弾いているけれど、ソロでフィーチュアされるときは、やや粘りのあるSGのトーンでペンタトニックのフレーズをしつこいようにくりかえす気味がつよく、しかもそんなにブルーノートとか経過音とかつかわない印象だから、ややもするといなたいくせがつよくなりすぎるというか、ダサさに転じるおそれもあるとおもうのだけれど、Tony Iommiはこういう感じなのだ。リフや曲もそうだが全編にただようそのペンタトニック臭に七〇年代をまざまざと感じる。


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  • 「ことば」: 31, 9, 24, 6 - 10
  • 「読みかえし2」: 501 - 507
  • 日記読み: 2021/11/20, Sat. / 2014/4/10, Thu.


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Guardian staff and agencies, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 269 of the invasion”(2022/11/19, Sat.)(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/19/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-269-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/19/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-269-of-the-invasion))

Volodymyr Zelenskiy has dismissed the idea of a “short truce” with Russia, saying it would only make things worse. “Russia is now looking for a short truce, a respite to regain strength,” the Ukrainian president said in remarks broadcast at the Halifax International Security Forum. “Someone may call this the war’s end, but such a respite will only worsen the situation.”

Hundreds of Ukrainians were detained and abducted in Kherson after Russia seized the province, in evidence of a planned campaign, a Yale University group researching war crimes has said. The Conflict Observatory said it had documented 226 extrajudicial detentions and forced disappearances in Kherson. About a quarter of that number were allegedly subjected to torture and four died in custody.

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Construction of a planned barbed-wired fence along Finland’s long border with Russia will start early next year, Finnish border guard officials said, amid concerns over Europe’s changing security environment.


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George Monbiot, “Do we really care more about Van Gogh’s sunflowers than real ones?”(2022/10/19, Wed.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/19/van-gogh-sunflowers-just-stop-oil-tactics(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/19/van-gogh-sunflowers-just-stop-oil-tactics))

Writing for the Mail on Sunday, the home secretary, Suella Braverman, claimed: “There is widespread agreement that we need to protect our environment, but democracies reach decisions in a civilised manner.” Oh yes? So what are the democratic means of contesting the government’s decision to award more than 100 new licences to drill for oil and gas in the North Sea? Who gave the energy secretary, Jacob Rees-Mogg, a democratic mandate to break the government’s legal commitments under the Climate Change Act by instructing his officials to extract “every cubic inch of gas”?

Who voted for the investment zones that the prime minister, Liz Truss, has decreed, which will rip down planning laws and trash protected landscapes? Or any of the major policies she has sought to impose on us, after being elected by 81,000 Conservative members – 0.12% of the UK population? By what means is the “widespread agreement” about the need for environmental protection translated into action? What is “civilised” about placing the profits of fossil fuel companies above the survival of life on Earth?

In 2018, Theresa May’s government oversaw the erection of a statue of Millicent Fawcett in Parliament Square, which holds a banner saying “Courage calls to courage everywhere”, because a century is a safe distance from which to celebrate radical action. Since then, the Conservatives have introduced viciously repressive laws to stifle the voice of courage. Between the Police, Crime, Sentencing and Courts Act that the former home secretary Priti Patel rushed through parliament, and the public order bill over which Cruella Braverman presides, the government is carefully criminalising every effective means of protest in England and Wales, leaving us with nothing but authorised processions conducted in near silence and letters to our MPs, which are universally ignored by both media and legislators.

The public order bill is the kind of legislation you might expect to see in Russia, Iran or Egypt. Illegal protest is defined by the bill as acts causing “serious disruption to two or more individuals, or to an organisation”. Given that the Police Act redefined “serious disruption” to include noise, this means, in effect, all meaningful protest.

For locking or glueing yourself to another protester, or to the railings or any other object, you can be sentenced to 51 weeks in prison – in other words, twice the maximum sentence for common assault. Sitting in the road, or obstructing fracking machinery, pipelines and other oil and gas infrastructure, airports or printing presses (Rupert says thanks) can get you a year. For digging a tunnel as part of a protest, you can be sent down for three years.

Even more sinister are the “serious disruption prevention orders” in the bill. Anyone who has taken part in a protest in England or Wales in the previous five years, whether or not they have been convicted of an offence, can be served with a two-year order forbidding them from attending further protests. Like prisoners on probation, they may be required to report to “a particular person at a particular place at ... particular times on particular days”, “to remain at a particular place for particular periods” and to submit to wearing an electronic tag. They may not associate “with particular persons”, enter “particular areas” or use the internet to encourage other people to protest. If you break these terms, you face up to 51 weeks in prison. So much for “civilised” and “democratic”.


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Donna Lu, “Throwing soup at the problem: are radical climate protests helping or hurting the cause?”(2022/11/12, Sat.)(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/13/throwing-soup-at-the-problem-are-radical-climate-protests-helping-or-hurting-the-cause(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/13/throwing-soup-at-the-problem-are-radical-climate-protests-helping-or-hurting-the-cause))

Jonathan Jones, “What next, petrol on a Picasso? Threatening art is no answer to the climate”(2022/11/16, Wed.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/nov/16/klimt-climate-activists-crisis-petrol-picasso(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/nov/16/klimt-climate-activists-crisis-petrol-picasso))