2022/11/22, Tue.

 (……)しかしぼくはぼくの問いに対して明瞭すぎるくらいの答えが、すべての面から、だから現実面からも独立した答えが欲しいのです。だからぼくはぼくの問いもあんなに明瞭すぎるくらいに提出したのです。だから答えてください、最愛の女生徒よ、先生に答えてください、彼はその愛と不幸の法外さ故に、ときおり全く非現実へと消え去りたくなるのです。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、201; 一九一二年一二月三一日から一九一三年一月一日)




 いまもう午後一〇時一〇分。きょうはいちにち籠もりきり。さきほど焼きあごの出汁スープでつくった野菜ごった煮のうどんを食べ、食後は白湯を飲みつつソローキン/松下隆志訳『親衛隊士の日』(河出文庫、二〇二二年)を少々読みすすめた。椅子についたまま。歯磨きも。ソローキンはいま135まで行っていて、ちょうど半分くらい。つまらなくはないが、特段にめだっておもしろいと感じる部分もない。読んでいてじぶんにたいしてビビッとくるようなことを見出すことができていない。SF的なギミックのいくらかはちょっとおもしろく見えなくもないが、そのくらい。カバーについた帯には「皇帝化するプーチンを予言したと世界が驚愕!!!」などとわざわざエクスクラメーション・マークを三つもつけてうたわれているけれど、だからなんなのかよくわからない。文学作品が(結果的に)未来を予言したからそれですぐさますごいということにはならないだろうし、ソローキンだってべつに予言や予想をしたくて書いたわけじゃないだろうとおもう。覚醒は九時ごろで起床は一〇時四五分とかだったのではないか。一年前の日記からの引用。帰路の夜道がけっこうな書きぶりじゃないか? とおもった。

それからベンチについて書見しながら電車を待ち、来ると乗って席で瞑目。最寄りで降りるともう雨は降っていなかった。駅を抜けると黄や橙や赤の色を帯びたモミジがそこらじゅうに散らばっていたが、とはいえもう夜で空も閉ざされているから濡れて黒い地面が街灯にひかるばかりで葉の容色もあまりあきらかならず、こんがり焼けたビスケットのようなかたちと色味をしているもののいまは雨をしこたま吸って水っぽさにつつまれているからその比喩も小気味よさをうしなって相応しない。木の間の坂にはいればあたりからしきりにしずくのひびきが立って、木立のなか、葉のあいだではまだ雨が降っていた。したの道に出るとその降りはやみ、微細なおうとつに水をおぎなわれて黒さをなめらかにしたアスファルトが、あるかなしかのそのもりあがりに街灯の白さをかけられて、それじたい歩につれて移動するもう一種の液体であるかのようなこまやかな発光をひろげており、純な黒と白のおりなすこの路面の光景を雨の日に目にするといつも、女人のせなかのような、という過去につくった比喩をおもいだすけれど、ひとと性関係を持ったことがないから女人のせなかなど見たことがない。

 通話中の一話題。

あと、Frank Oceanがオタクで、日本のアニメとかも好きで、かっこうも変だし(このとき見たライブ映像ではあたまにハチマキみたいなものを巻いていてふつうにわりとダサかったし、服もエジプトの壁画を現代風にデフォルメしたみたいな絵がえがかれたトレーナー的なものを着ており、音楽もぜんぜんもりあがるようなたぐいのものではないから、一曲終わったあとに観客からきゃー! という歓声が上がったのを、正直これできゃー! ってなる? とおもったのだけれど、(……)くんもそれは同感で、彼はそれをアメリカはリスナーの耳がひじょうに肥えているという意見にむすびつけた)、というところからThundercatのなんとかいう曲のMVも紹介されたのだが、それがたしかに奇天烈なかっこうをしているもので、まず髪がめちゃくちゃ太いドレッドでサングラスをかけているところからしてあやしいのだが、それはいいとしてもさらに短パンを履いて首もとから胸にかけてはジャラジャラ金ピカのアクセサリーをつけており、しかもその短パンは『ドラゴンボール』のフリーザとかセルとかが描かれた柄のもので、首のアクセサリーのなかにもひとつ、金ピカのベジータがいるという意味のわからなさで、そんなかっこうで妙なうごきをしているものだから笑った。Thundercatっていまこんなかんじになってるのか、とおもった。Coltraneの甥だかですよね? と言ったのだが、そうではなく、Coltraneの甥はFlying Lotusのほうだった(甥というか、Lotusの大叔父がColtraneらしい)。Thundercatは彼のまわりでBrainfeederの諸作に参加していたベースで、兄はRonald Bruner Jr.であり、このドラマーも意味のわからないテクニックだったはずだ。なにかのアルバムで聞いたおぼえがあるのだけれど、しかしそれがなんだったのかがわからない。で、Thundercatも日本のアニメが好きで、オタクなのだという。アメリカとか諸外国において『ドラゴンボール』あたりの時代の漫画(とか、あとはポケモンが人気なのだとおもう)はこういうふうにけっこう受容されているようだが、それが『ドラゴンボール』とか、(……)さんの生徒の中国人たちだったら『名探偵コナン』がとにかく人気だったりとか、すこし世代的に古いのが不思議といえば不思議ではある。あと、たんじゅんに、そんなに人気になる? という点も。これはオリエンタリズムとは違うよね、と(……)さんは言った。じぶんとしてはそのあたりどうなのかなあというかんじで、まあいちおう西洋にとって都合のよい東洋の収奪みたいな関係はこのばあいはないだろうけれど、『ドラゴンボール』やらアニメやらをもとに歪曲されたり一部を拡大されたりした日本のイメージを幻想的につくりあげているという点ではオリエンタリズム的とも言えるのかもしれない(とはいえ、日本人だって諸外国にたいしておおかれすくなかれそういう幻想的なイメージをつくりあげてはいるのだろうが)。ただ、そこまでだったらオリエンタリズムと言ってもよいのかもしれないのだけれど、でもThundercatがあの短パン履いてるの見ると、ちょっとそれを超えてるような気がしますね、というのがこちらの感想だった。あの受容と吸収のしかたがむしろ日本的じゃないですか、中国のものを勝手にじぶんたちでアレンジしちゃうみたいな、と。

 一一時二分から瞑想をはじめて四八分まで座っていたから四五分くらい、ずいぶんながくからだを観察し、感じ取っていた。床をはなれてまもないいちどめのときはとくに顕著だが、やはり肩甲骨のあいだあたりから首の付け根までの範囲、このへんがかたくて、呼吸をブロックしているような感じを受ける。呼吸は操作せず、鼻でしぜんに吐いたり吸ったりしているのだけれど、吸ったときに腹がちょっとだけふくれた直後からだのうごきが上方に転換して、いわばいくらか巻き上がるようにというか、胸や肩が持ち上がるとともにあたまがほんのすこし前傾するのだけれど、そのようにうごきが上方につたわっていって主に胸がふくらむというのは、これは精神安定にとって重要だといわれている腹式呼吸ではなくてじつは胸式呼吸なのだろうか? どちらでもよいのだが、そのようにして上体がもちあがるときに、肩甲骨のあいだに位置する背骨の芯がかたまっていてストッパーのようになっているかに感じる。そこを中心として周辺がかたいので、首からうえとしたがうまくつながっていないというか、あいだにブロック地帯がはいってややちぐはぐに合わさっているような印象だ。きょうはその後、瞑想じみた静止はおりおりやっている。二〇分とかながい時間を取らなくても三分五分でもからだの感覚はたしょうしずまって変わるし、瞑想というふうに時間を特殊化しないで、ちょっとしたときにたびたびからだに意識をむけるのがよいだろう。身体をよく観察し、じぶんのからだをよりよく知って、すみずみまでまさしく精通していくのが大事ではないかと。だからヴィパッサナー瞑想の原理にもどったといえばそうなのかもしれない。瞑想をしていると地図をつくっているような感じがするという比喩は先日書いたとおもうが、べつのいいかたをすればじぶんのからだの各所を探索・踏査し、練り歩いているような感じで、練り歩いているうちに地形が変わってくるのだが、それはけっこうおもしろい。きょうはなかなか飽きが来なくて、それで四五分も座ってしまったのだ。みることがそのままいたわりであるような観察と(比喩的な)まなざしのさしむけが旨だとすると、呼吸を操作するか否かというのは本質的な問題ではなくなる。要はヨガ的に深呼吸するのか、それともしぜんにまかせるのかということだが、おのれの肉体を緻密に観察できていればどちらでもよいことになるだろう。ただ、深呼吸をしながらでももちろん観察はできるし、そこでどこにどういう変容が生ずるのかということを追うのがむろん大事だが、意思でもって息を後押しするからにはそこにいくばくかの能動性は生まれざるをえず、つまり意識のリソースをすこしばかりは呼吸にわりふらなければならなくなるから、そのぶん観察にふりむけるリソースはとうぜん減ることになる。呼吸をからだにまかせたほうが、観察だけに傾注することができる。


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 背の芯がかたまっている原因をかんがえてみるに、これはやっぱり長年つづいた書きものの習慣なのではないかとおもった。腕をもちあげてキーボードに両手を乗せて打つ姿勢が長時間つづくために、背面上部が凝り固まるようになって、その拘束が定着したのではないかと。もうひとつ、打鍵で手指をうごかすせいもあるかもしれない。ゆびや手のひらのすじがつかわれるので、それも肩とか背のほうに波及するのではないかと。筋肉はわれわれがおもっているいじょうにつながっているようだし、反射区のかんがえかたとかもあるから、手のすじが肩甲骨のあたりにつながっていてもおかしくはないというか、すぐたどれる近距離なのだからたぶんふつうにつながっているだろう。それでうえの段を書きながらひさしぶりに手指のストレッチをやった。たんじゅんに各指をそらすのと、片手を甲側からもう片手でつつむようにしながらつつむほうの親指でもう片方の親指を手首のほうに押しつけて伸ばすやつ。これは中学二年生でギターをはじめた当初から長年のあいだ習慣化されていたもので、ギターをあまり弾かなくなったあとでも、なんか手が鈍くて気持ち悪いと感じることがおおかったのでよくやっていたのだけれど、それもいつか途切れてしまっていた。このストレッチが意外と肩まわりのこごりに効いていたのかもしれない。じっさいやってみても背中のほうまでちょっとゆるむ感じはあった。
 この日はあと書抜きに注力。井上正蔵 [しょうぞう] 訳『ハイネ詩集』(小沢書店/世界詩人選08、一九九六年)をすべて終わらせることができた。BGMはBlack Sabbathの2ndと3rd。1stもすこしだけ。二日前だったかになぜかとつぜんSabbathを聞く気になって1stをながしたのだったが、じぶんでもっていたのは2ndとRonnie James Dioがはいったときの『Heaven And Hell』だけで、そのうちよくながしたのは後者で、だからじぶんが耳にしてきたBlack Sabbathといえばおおかたその一枚に尽きる。『Paranoid』は”War Pigs”、”Paranoid”、”Iron Man”がメジャーだし、たぶん初期アルバムのなかではいちばんゆうめいもしくは人気なのだとおもうが、ひさしぶりに聞いてみるとたしかに曲目のながれがうまくつくられていて古典的名盤然としているような気がした。でもじぶんは#3の“Planet Caravan”がいちばん好きかな。今回聞いてみると。むかしはたいして気に留めていなかった曲だとおもうが。3rdの『Master of Reality』は、このアルバムでいかにもSabbathという感じのスタイルが確立したのでは? という印象。冒頭曲のギター(とベース)の音からして、ダウンチューニングだろうが、それまでよりいっそうヘヴィで野太くなっているし、”Children of the Grave”の三連刻みやアルバムのぜんたいてきな雰囲気としても、八〇年代のヘヴィメタル(Iron Maidenとか?)へと通じていくものが感じ取られるような気がした。


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  • 「ことば」: 31, 9, 24, 11 - 15
  • 日記読み: 2021/11/22, Mon. / 2014/4/12, Sat.


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Guardian staff and agencies, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 272 of the invasion”(2022/11/22, Tue.)(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/22/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-272-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/22/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-272-of-the-invasion))

The World Health Organization (WHO) has warned that Ukraine’s health system is “facing its darkest days in the war so far”. WHO regional director for Europe, Dr Hans Henri P Kluge, called for a “humanitarian health corridor” to be created to all areas of Ukraine newly recaptured by Kyiv, as well as those occupied by Russian forces.

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Russian troops have been accused of burning bodies at a landfill on the edge of Kherson during their occupation. Residents and workers at the site told the Guardian they saw Russian open trucks arriving to the site carrying black bags that were then set on fire, filling the air with a large cloud of smoke and a stench of burning flesh.


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John Harris, “The British right’s hostility to climate action is deeply entrenched – and extremely dangerous”(2022/11/13, Sun.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/nov/13/british-right-climate-action-fires-floods-tories(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/nov/13/british-right-climate-action-fires-floods-tories))

There are many Conservative MPs who find that kind of talk deeply distasteful. But their party is now downstream of the forces and voices responsible, and it is soaking up the same reactionary populism that defines the post-Trump US Republicans and many of the far-right parties that have drastically changed politics in Europe. On its fringes, Tory politics has always incubated elements like that. But when they opened their doors to the kind of politics embodied by Nigel Farage, the Conservatives began really absorbing the credo common to such parties as the Sweden Democrats, the Finns party, Alternative für Deutschland, and the Brothers of Italy, the party that now leads its country’s government – all forces that hyperventilate about immigrants and refugees, aim at pulling their respective countries away from “globalism”, and either downplay or reject the need for serious climate action.

There is a very good book that explores all of this, published last summer: White Skin, Black Fuel, authored by the Swedish academic and activist Andreas Malm, and a group of “scholars, activist and students” called the Zetkin Collective. It roots the right’s climate politics in things that are as much psychological as political: nostalgia for an age of empire founded on coal and oil, a yearning for the machismo of heavy industry, and a view of the global south as a deep threat. The latter’s climate-based suffering must be othered and ignored, and its people have to be shut out, even as climate breakdown makes large-scale human movement more inevitable than ever. Malm and his co-writers summarise the essential credo of the 21st-century right thus: “We have to defend ourselves again; we must take what is ours out of the ground; the enemy is Marxist and Muslim and Jewish and here comes his next attack.”

Passages about the UK begin with the observation that in this country, “the far right is repeatedly reconstituted inside the main conservative party”. And as you read what follows, the similarities between key strands in modern Toryism and 21st-century populists – and fascists – pile up. The flatly strange belief that onshore wind turbines are a threat to civilisation links Conservatives to Donald Trump, Marine Le Pen, and Hungary’s Viktor Orbán. Five years ago, a key figure in Norway’s Progress party summarised the need to extract oil from even pristine waters crucial to cod stocks with the insistence that “we will pump up every last drop” – almost exactly the words recently used by Jacob Rees-Mogg about hydrocarbons in the North Sea. Outwardly, Sunak is the epitome of “globalism”, but his politics are shaped by a party that now routinely speaks a language indistinguishable from that of the far right elsewhere – witness Braverman railing against “cultural Marxism”, dreaming of flying refugees to Rwanda and insisting that we should “suspend the all-consuming desire to achieve net zero by 2050”.


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Lorenzo Tondo and Artem Mazhulin in Kherson, “Russians accused of burning bodies at Kherson landfill”(2022/11/21, Mon.)(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/21/russians-accused-of-burning-bodies-at-kherson-landfill(https://www.theguardian.com/world/2022/nov/21/russians-accused-of-burning-bodies-at-kherson-landfill))