2022/12/31, Sat.

 不意に列車が急カーブを切ったかと思うと、谷がひらけて、いくぶん見晴らしのきく場所に出た。と、真正面に、なだれ落ちる黒い森にはさまれて、切り立ったエメラルド色の壁が見えた。垂直にそそり立ち、宝石にも似たきららかな輝きを放ち、暗鬱な背景のなかでひときわまばゆく燃え立つ壁――例の草地だった。
 一日じゅう仄暗いモノクロームの風景を見つづけたあとで、だしぬけにこの燃えるような輝きを突きつけられてわたしはすっかり目が暗み、その草地におかしな形の黒っぽいものが点々とちらばっていることにもすぐには気づかなかった。まもなく列車は目的地に到着した。折しも雲の切れ間から差しこむ夕陽の赤い光に照らされて、剣の刃を思わす草の葉の一枚一枚が炎さながら緑の光を放ち、(end9)今や草地はいよいよ明々と輝きわたっていた。
 草地の全景は駅舎を出てもなお見わたせた。小さな町の背景にしては華やかすぎるほどだが、これが町でいちばんの見どころなのか、建物はいずれも控えめな高さで、草地を隠さないような位置に固まって建っている。列車のガタンゴトンにやっと邪魔されなくなって、じっくり観察しているうちに、さっき気づいたおかしな形の点々は、まばゆい緑に燃える草の壁沿いに半裸の人間が俯 [うつぶ] せにぶらさがり、手足を大の字に広げているのだとわかった。全員が滑車に通したロープで壁に吊るされて、じりじりとひっぱりあげられながら、手にくくりつけた半円形のなにかの道具をくりかえしくりかえし打ち振るっている。痙攣するようなその動きは、クモの巣にひっかかって暴れるハエを思わせた。びくんびくんといかにも苦しげで、しかもあんなふうに四肢を広げたグロテスクな格好で滑車装置につながれてひっぱりあげられているところを見ると、あの人たちはきっと罪人にちがいないとわたしは思った。おおかたあれは昔からの風変わりな刑罰で、ああやって燃える緑の草地で晒し者にされているのだろう。だが、それは見当ちがいだった。
 ちょうど通りかかった町の人が、輝く緑の上にくっきり浮かぶ謎めいた動きに釘付けになっているわたしに気づき、旅行者だと見て取ると、たいそう礼儀正しく声をかけてきて、あそこにいるのはご想像のような犯罪者ではありませんぞ、草刈り人だ、あの草地に草はいたって丈夫で伸びかたも尋常(end10)でなく早いのです、と教えてくれた。
 わたしは驚いた。あの小さな草地は、たしかに見ようによっては町の一部だが、それにしても、たかが草をはびこらせないためにあんな苛酷な方法で草刈りをするとは――。どう見ても大変そうな作業ですが、あれでは草刈り人の健康と能率が損なわれるのではありませんか、とわたしは尋ねた。
 おっしゃるとおり、あそこの連中は不幸にして手足ばかりか命まで危険にさらされている、無理をしすぎるせいでしてな、それに、度を超した筋肉の伸縮によって命綱が切れることも珍しくはありません、とその人は答えて、さらにつづけた。残念ながらあれに代わる草刈りの方法は今のところ見つかっておりません、なにしろ草地の傾斜がきついですから、これまでことあるごとに試してはみたものの、ふつうに立つのはおろか、手足をついて這うのも無理だったのです。むろん、適切な予防措置はすべて取っておりますぞ、まあいずれにしろ草刈り人は使い捨て、手に職のない最下層出の人間ばかりです。ごらんのような痙攣めいたあの苦しげな動きはあまりお気になさらぬように、あれはもっぱら物真似だ、今のやりかたが導入される前の初期の草刈り人のつらいようすを真似る伝統があるのです。今では作業も見かけほどきついものではありませんし、知恵を絞ってととのえた人道的環境のもとでおこなわれておりますよ。じつはあの仕事は不人気とはほど遠いと申し上げたら、興味をお持ちになるかもしれませんな。不人気どころか、むしろこの手の雇用形態としてはかなり競争が激しく(end11)なっている。そう、大きな栄誉と特典が与えられるのです。万が一にも命を落とせば、被災者の扶養家族には莫大な補償金が支払われるうえに、故人はかならず為来 [しきた] りどおりその場に埋葬される――古くからの風習でしてな。加うるに、遺族も漏れなくその特典を与えられることになっておるのですよ。
 (アンナ・カヴァン安野玲訳『草地は緑に輝いて』(文遊社、二〇二〇年)、9~12; 「草地は緑に輝いて」)



  • めざめたのは七時半だったかそのころ。九時半くらいまで寝床にとどまって、過去の日記や、モーリス・ブランショ/粟津則雄・出口裕弘訳『文学空間』(現代思潮社、一九八六年/新装第二刷)を読んだ。以下は去年のおおみそかより。一年前の年末のじぶんも、なるべく簡易的に書こう、短縮しよう、三〇〇〇字くらいにしようとかいっていて、苦心しているのがいまと変わらない。

兄夫婦が帰ったあとはここ数日の反動か、ひどくだらだらしてしまった。食事も遅くなった。あがっていくと『紅白歌合戦』がうつっている。食べはじめたあたりではケツメイシが出ていて、たしか”Life Is Beautiful”という題の曲をやっていたのだけれど、耳にはいってくる歌詞をきくに最大限に定型句にしたがったメッセージソングというかんじで、メジャーどころのJ-POPにそういうものはすくなくないし、むかしからずっとそうなのだからいまさら言うことでもないのだけれど、マジでなんの具体性もなく、場所も時間も事物もなにひとつ盛りこまれず、そんな調子だからましてやたとえば風景の感覚をえられるような要素など一粒ほどのかけらもうかがえない。最大の紋切型をうたがいも抵抗もまったくなくそのまま唯々諾々と採用してつなげたかたちでの感情とメッセージ、ほんとうにあるのはただそれだけ。いってみれば観念しかなく、唯物論的基盤というか、いわば下部構造がすこしも敷かれていない。いままでなんども書いてきているのだが、この空疎さと、それが(ある程度は)ひろく流通している(らしい)という事実としてのこの世の現実には、ふれるたびにおどろきをくりかえしてしまう。空疎だから受け手を限定せずに、聴者がおもいおもいにみずからの体験やおもいに引き寄せて共感し、流通することができる、という仕組みはむろんわかる。しかしそれにしても? と。そういう一般性と普遍性とはちがうはずだが? と。『紅白歌合戦』というテレビ番組でとりあげられているということは、それがいちおう現在の日本の音楽の主流部を代表するもの(のひとつ)とみなされているということを意味するはずで、こういう音楽がメジャーでメインストリームなものとして位置づけられて人気をえているのだとしたら、そりゃいつまで経ってもじぶんみたいな人間にとってはなじみやすい世の中になどなるわけがないな、とおもった。しかも父親がまたそれを見ながらときおりうなずきつつ感動のなみだをもよおしているものだから、いまこの居間にいて飯を食っている瞬間においてもじつに居心地がわるかった。身の内にちょっとストレスをかんじたくらいだ(ちなみに母親はうとうとしていたとおもう)。その後、宮本浩次なんかも出演。父親はかれの登場からなぜか笑っていて、こいつおもしれえなあともらしていたが(今回はじめて見たわけではなく、なんどか見かけたことはあるようだった)、全身全霊でちからをこめてうたうようなエモーショナルなスタイルがたぶんおもしろいのだろう。かれはかなり暑苦しいタイプのボーカルではあるのだけれど、ただ声色に一種のまろやかさみたいなものがあってその暑苦しさが中和されているようなかんじも受け、たとえば八〇年代アメリカのHR/HMの連中が誇ったような暑苦しさとは別物になっている気がする。よくもわるくもスタイルがはっきりあって、成熟もしている歌い手だから悪くはない。あと、millennium parade × belle(中村佳穂)もちょうどながれて、今回の『紅白歌合戦』に出演したひとびとのなかでこちらがいちおうちょっと見てみたいとおもったのはもちろんこのグループしかなかったわけだが、そんなにピンとはこなかった。こういうかんじの雰囲気なんだ、と。ややダークな色調があって、それは『AINOU』を念頭に置いたばあいの中村佳穂のイメージにはふくまれないものだったので、あまりかのじょじしんの土俵ではないというか、あくまで客演なのかな、というような気がされたし、またこれは正確なタイトルをわすれたが中村佳穂が主演声優をつとめた例の細田守の映画の主題歌だったらしく、出演者名にしめされているように、かのじょはその主人公belleとしてうたっていたぶぶんがあるはずで、じっさい目が悪いのでよく見えなかったがそれにあわせてなのか扮装めいた衣装でもあったようだし、だからある種役を演じたりそれに寄せたり合わせたりするかんじもあったのかもしれず、あまりかのじょの持ち味をのびのびと展開するという時間ではなかったとおもう(まあ一曲だけでもあるし、はじめからそういうことは目的とはされていなかっただろう)。音楽としてもさきほど述べたようにすこし暗めのクールな雰囲気だし、弦楽がとちゅうですばやくさしこまれたりもして、こういうイベントでそんなに受け容れられて盛り上がるタイプのものではないなと、茶の間で受けるような音楽ではないなとおもったのだが、じっさい父親も終わったあとはうーん……みたいな声をもらして、なんかよくわかんないな……これがいまはやってんのか……みたいな困惑じみた雰囲気をかもしだしていた。

  • さくばんは夕食後にからだがおちついてくると書き抜きをした。それいぜん、帰宅後に休んでいるあいだにモーリス・ブランショ/粟津則雄・出口裕弘訳『文学空間』(現代思潮社、一九八六年/新装第二刷)を読みはじめていたのだが(ウルフ『波』は起床後の朝に読み終えていたので)、その書き抜きである。この本は読書会の課題書になっており、前半までは先月だったかに会をもって、こんど一月に後半部分を読んできてはなすことになっている(ただしその日程はいまだに決められていない)。後半というのは227にはじまる「Ⅴ 霊感」からで、もともと一二月ちゅうに会をひらくことになっていたのだけれど、みんなぜんぜん読めていないということで延期されたのだ。それでこちらも300くらいまでは読んでいて、きのう帰ってきたあとそのあとからあらためて読み出したのだが、それいぜんの内容はしょうじきぜんぜんおぼえちゃいない。文体や内容が晦渋なこともあって、なにがいわれていたのかおどろくほど記憶にのこらない書物だ。とはいえきのう295から読みはじめて、きょうは310から読んでいるのだけれど、体調が良くなってきたためにあたまのはたらきも向上しているから、まえにくらべると言っていることがよくわかる。この著作は一九五五年のものなのだけれど、フランス現代思想もしくは文芸批評の元ネタというか、その源流的な要素がはしばしにみられるなという印象で、中心的な論述対象となっている「作品」についても、それは本源にむかう情熱であり、本源とは端的に言語を絶したもので、「作品」が、もしくはことばがそれをもとめようとするときに、つねにのがれゆく、とらえがたい不在としてのみ現前するものであり、だからいわば炎にかけられたヴェールとしての「作品」や言語は、本源を隠しつつ同時に明示するというかたちでのみその存在をあかしだてる、みたいなことを述べていて(理解と要約の正確性は期待しないでほしいが)、これはいわゆる否定神学的発想(もしくは構造)の典型的なものだろうとおもう。レヴィナスの他者論において他者は無限だと、つねにすでにかなたにあって決して追いつくことのないものとして措定されているとおもうが、おそらくレヴィナスの論もブランショのこういうはなしから影響を受けているのではないか(Wikipediaをみると『全体性と無限』は一九六一年の刊行だった)。いっぽうでブランショも、かれの「時間と他者」に註において言及しているので(341)、あまりどちらがさきということもないのかもしれず、現状否定の能力と労働によって世界を変革して可能性を実現するちからみたいなものに西洋思想やその歴史における人間観の本質的部分を見出し、ハイデガーにいたってそれが極点にたっしたという見取り図をもち、そういった思想とはべつのありかたの開拓を(とりわけレヴィナスは収容所という歴史的できごとを考慮して)追求したのが、このふたりの共通部分だといえるのではないか。あと、作者は作品を所有しないし、事後的にというかむしろ作品を創造するその運動もしくは事件? のなかで同時的に産出されて、そのあいだしか存在をゆるされないものであり、作品がひとたび「完成」したとなれば作者は用済みとなって作品から追放される、そして読者も作者と対等な資格をもって作品によって(あるいは作品において)生み出されるものであり、そうした読者は作品についてその都度あらたなことを言い足す、みたいなはなしとか、「作品」(もしくはいとなみとしての芸術)の完結性の否定、終わりのなさ(それは個別の実体的存在というよりは過程である)とかは、これはもうかんぜんにバルトの先取りですわ。かれが「作者の死」を書いたのは『文学空間』より一〇年ののち、一九六七年のことであって、五〇年代はまだ『零度のエクリチュール』、『ミシュレ』、『現代社会の神話』の段階だから、作者の至上権の廃棄みたいなはなしは本格的にはしていなかったはずで、一般的には「作者の死」によって(ちがうか? 『批評と真実』のほうか?)いわゆる旧批評と新批評の論争に決着がつき、ヌーヴェル・クリティークが隆盛しつつ(主に蓮實重彦あたりの手によって)日本にももたらされたということになっているとおもうのだけれど、それより一〇年いじょうもまえにおなじはなしをしているわけだからかなりはやいなと、たしかに戦後フランス現代思想のさまざまな面での一源流というか、知られざるボス的な感じあるなとおもった。あと、「作品とは、少くとも作品が作品である限り、決して和解することのない、鎮められることのない、相反する諸運動の内奥でありまたその暴力である。対立者同士の矛盾が――和解し得ぬ対立者同士の、ただしそれらを対立せしめる争論の中ででしか十全たり得ない対立者同士の矛盾が――そこで面と向う底のこの内奥、このような引き裂かれた内奥こそが作品なのだ、もし作品が、しかもなお身を隠すものの、閉ざされてありつづけるものの「開花」であるならば(……)」(318)というあたりなんかは、デリダ - ポール・ド・マンの路線、すなわちいわゆる脱構築批評につながっていくようにもおもわれる(まあ、ディコンストラクションという用語じたいはすでにハイデガーにあらわれており、そこがデリダの元ネタ(のひとつ?)だとどこかで聞いたおぼえがあるが)。
  • ブランショについてはまたこんどとしてきょうの生活をつづっておくと、九時半くらいに床を立って、トイレに行ったり手を振ったり水を飲んだりしたのち、椅子にこしかけて瞑想をした。寝床にいるあいだにすでに息を吐いているので、きょうはさいしょに三回くらい吐いただけであとは止まったのだが、ひさしぶりになかなかよい感じ。深呼吸方式と無動式のいちばんのちがいはたぶん呼気と吸気のあいだに滞空時間があるかどうかで、深呼吸をすると吐いていったそのさきで吸気に変わるのは基本一瞬であり、意識的に息をとめようとしないかぎりは交替は瞬時になされる。ところがちからを抜いてしぜんな呼吸にまかせる無動のやりかたをすると、からだがそれをゆるす程度にほぐれていれば、鼻からしばらく空気が抜けていったあと、まだ出ているのかいないのかよくわからないような微妙な停止の滞空時間がけっこうながくはさまり、そのうごきのなさのなかでからだの輪郭が浮き彫りになったり、肉体各所の脈動とか肌の微細動とかがあらわにとらえられ、皮膚やすじがじわじわとほぐれていくのが感じ取られる。それがうまく行けば手のさきなんかもあたたまってきてここちよく、きょうはそのへん具合よくいってきもちがよかった。一〇時八分まで、二〇分ほどだったが。
  • 食事はキャベツと豆腐とベーコンのサラダにシジミのスープに、きのうもらってきた五目ごはん。ジップロックにけっこうたくさん入れてもらったので一食食ってもまだある。食後は皿を洗い、文を書きたいところだがやはりからだがまだ準備できていないので、ウェブをみたりWoolfの英文を読んだり。一二時くらいからまた寝転がった。まえにもおもったことがあるが、「読みかえし」ノートはべつに音読せずに黙読で復習していってもべつによいなとかんがえた。「ことば」のほうはやはり口に出して読まないと駄目だろうが、口をうごかすのはじっさいめんどうなときもあるので、「読みかえし」はむしろ黙読でどんどん読んでいったほうがよいのではないかと。それで読んだり、ブランショを読んだり。天気はこのころレースのカーテンにひかりがふれておだやかな暖色をもたらす晴れとなっていたが、朝めざめた段階では青さのこまぎれになった曇りで、昼前にも陽が弱く、洗濯しようかどうしようかと天気予報をみるときょうもあしたも降水確率0%がつづく晴れとなっていたのだけれど、空模様からしてたぶんあしたのほうが晴れるだろうしあした洗えばいいかと決めたのだった。
  • 一時半ごろ起き上がると洗面所で髭を剃り、それからシャワー。ダウンジャケットを脱いでジャージすがたで室にはいり、鏡のまえに立ってつめたい水でまず顔を洗い、口まわりを中心に毛をいくらか濡らす。そうしてシェービングフォームを塗って、顎や口まわりは念入りにほぐすようにさすりつけ、それからいざ剃刀でやりはじめたのだがやはりなかなか剃りづらい。ほんとうは入浴といっしょにできればもうすこし毛がやわらかくなって剃りやすいのだが。実家で剃ってくればよかった。ともあれ顔をきれいにできるとシャワーを熱湯で浴槽へと吐き出させはじめて、室を出てタオルや肌着を用意しておいて服を脱いでもどる。そうして湯浴み。湯を溜めないとやはりなかなか寒い。浴室内でも露出している部分の肌がちょっとつめたくなる。
  • 出て服を身につけ髪をかわかすときょうのことをここまで記述。三時過ぎ。きょうは夕刻から会合。もうあまり時間はない。さくばんは書き抜き後に一〇時四〇分から文を書き出したのだが、すぐに腰がつかれて寝床に一時避難しているうちに疲労にやられてあえなく意識をうしなっていた。二六日からこちら書くことはいくらでもあるのだけれど、きょうもたぶんこれいじょうは文を書けずに日を終えることになりそうだ。とはいえこちらの勤務開始は五日なので、あしたから四日間は休めるのでなかなかよい。きょうも書きはじめはやはり、胃のあたりがちょっと詰まるような感覚があったが、書いているうちにいちおうひっかかりはなくなった。とはいえそれで楽になったかというとあまりそんな感じもない。とちゅうでトイレに立ったさいに、開脚して上体を左右にひねったり、寝床のうえで胎児のポーズをとって左右にかたむいたりしてたしょうほぐれたが。背骨や背中をうまく刺激するのがやはり大事そう。
  • きのうのことをいくらか書いておくか? きょうとおなじような覚醒・起床だった。やはり起き抜けの寝床の時点では、カーテンをひらくと波なしているダイナミックな雲海のうねりが全面だったが、しだいに雲間がひらいてきて、一一時過ぎに墓に行ったころには快晴となっていた。寝床では日記の読みかえしをしたあと、ヴァージニア・ウルフ/森山恵訳『波』(早川書房、二〇二一年)をさいごまで読み終えた。すばらしい作品だった。読み書きをはじめていらい読んだもののなかでも最高のひとつ。ただそれでもここはどうなんだろうと疑問をおぼえる部分もないではなく、そのひとつはさいごの締め方で、いちばんさいごはレストランで見知らぬ若いあいてにたいしてかれの人生の物語(それはバーナードの生であると同時に、そのほかの五人+パーシヴァルの生でもある)を語っていた老バーナードがあいてと別れ、店を出て、「舗道」をあるきながら、「立ち向かってくる」「敵」である「死」にたいして、「新たな欲望」を「誇らかな馬」としてそれにまたがりつつ、「槍を低く構え」て「疾駆」していく自己イメージで終わっている(341)。締めくくりの一節は、「私はわが馬に拍車をかける。お前に向かって躍りかかる、打ち負かされず、屈せず、おお、〈死〉よ!」となっている(そのあとに数行の空白をはさんで、「波は、岸に砕けて散った」の一文がしずかに置かれている)。作品のテーマや円環構造とからめてどうのこうのという言はいろいろあるだろうが、そういう解釈は措き、たんじゅんにずいぶん雄々しい終わり方だなと、英雄的にしすぎじゃないか、とおもったのだった(ちなみにこういう疾駆してたたかう騎兵のイメージは、『灯台へ』の序盤でも老ラムジーのものおもいのなかに自己投影として登場する)。そのすこしまえからぜんたいてきな文のリズム、語調もそれいぜんとなんかすこし変わってきたな、という気がしたし、ここまで読んできてほぼ全篇ほんとうにすばらしかったのだけれど、ウルフでさえ、ヴァージニア・ウルフでさえ、やはり作品を終わらせるということの困難にとらわれてしまうのだ、それからのがれることはできないのだ、とおののいた。やはりいかにも終わらせにかかっている、終幕をつくって盛り上げている、という感じがあって、それがそれまでのながれの律動とはべつの、雄々しさにすぎる調子を導入し、さいごのさいごで均整を乱したようにかんじられたのだ。とはいえ数日前にもふれたように、『波』を書き上げたウルフは日記に、じぶんはこの作品を書いたことにかんしてじぶんじしんに敬意を払う、という意味のことばを書きつけたわけだから、そのときのウルフの判断としてこれが最善だったのだろう。そのへんの内実をこちらが汲み取れていない可能性はおおいにある。
  • もうひとつはこれも先日ふれたけれど、この作品のテーマ的な中心とみなせるであろう、存在の融合みたいなところで、つまり自己と他者、個と複数、差異と距離とそれらの消失の問題なのだけれど、たとえば訳者である森山恵は「訳者あとがき」で、「『波』の世界は「存在の瞬間における両性具有」とは呼べないだろうか」(365)と定式化し、登場人物たちは「それぞれが内包する「男性性」「女性性」を越えて [トランス] 包括され」、「ついには宇宙の源のようなところにまで至り、神秘的ヴィジョンを共有することになる」と説明している。それはもちろんただつかの間のことにすぎず、そうした領野は「官能的で多幸的であるとはいえ、一種の自己喪失、狂気、死に接近した状態でもあるだろう」(365~366)とも付言されているが。またいっぽう訳者は、この作品は「客体や物語性や言語を破壊し、男性原理的ロゴスの連続性を破壊したかのよう」(367)であり、自己言及ともおもえる作中の記述を参照しながら、「これは男性的言語に対する、女性としての言語/エクリチュール・フェミニンのひとつとも言えないだろうか」という見方をしめして、ウルフは「孤独な創造者の空間で、意識の底、無意識層へと深く沈潜し、時間の輪の外へと結界を越え、フェミニストとして言語の融和点に到達したように思われてならないのだ」と所感をまとめている。
  • こうした読み筋は尋常なものだとおもうし、たしかにこの作品はそのように読まれ(う)るものだとおもうし、ばあいによってはそう読まれるべきだとすら言うべきなのかもしれない。こちらもウルフの文章(を訳者が訳した日本語の文章)を読んでいるあいだは、そのすばらしさにいたるところで感動し、興奮しつつ、存在論的融和をえがく記述についても脱帽し、魅了されまくっていたけれど、しかし作品をはなれて、「訳者あとがき」でたとえばつぎのようなことば、「そうした『波』の言語空間において、六人ばらばらの人生の濁流は激しくぶつかり、合流し、清流となったかのようにひととき融合する。互いの愛、パーシヴァルへの愛に象徴される情動によって。ウルフの分身としての存在を越え、ひとつの大きな普遍的生命となるのだ」(367~368)というような要約を読むと、どうしてもそこに、これを留保ぬきで称讃しきることはできないよなあ、というおもいが浮かんできてしまう。つまりまえからいろいろなことによせて書いているとおり、一即全もしくは一即多(他)の論理が、ばあいによっては全体主義につうじる方向性をはらみもっていることへの警戒であり、全体主義までは行かなくとも個にたいする抑圧的な暴力としてあらわれかねない危険性への警戒であり、しかも『波』においてはそれがきわめてすばらしい、類を見ないほど美的に卓越した言語で、くわえて「愛」のような「情動」を媒介として(つかの間ではあれ)実現されている(実現されるようすが描かれている)ので、それがアンビヴァレンスをいや増すとともに、ある意味ではいっそうの警戒をもうながすことになるのだ。『波』をフランス語に翻訳したユルスナールは、ウルフの作品について、「本質的に神秘主義なのだ」と述べたと「訳者あとがき」に紹介されているが、それはまあそうだろうとおもう。そういう要素はつかの間のものなので、そしてつかの間のものでしかありえず、にんげん所詮は個としてのおのれに回帰せざるをえないのだからまあよい、ということになるのかもしれないが。しかしじぶんは、瞑想なんかにかんしてまえから言っているとおり、「一」が「多(他)」となる「融合」や自己消失の瞬間にむろん魅力をかんじ、文学的作品などでそれがたくみにえがきだされているとおおいに惹かれつつも、どちらかというと「一」は「一」であることしかできない、個は所詮は個でしかありえないという、このある種の去勢・挫折状態のほうにこそ大事なものがあるのではないかと感じていて、そこを存在論的基盤にすえた思想をなにかしら見出すべきではないかとおもっているのだが。健康な近代の思想は、「一」や「個」を積極的なものとしておおいに肯定したとおもう。つまり人間主体とさまざまな面でのそのちからをことほいだということだが、そういう積極性としての「一」ではなくて、すくなくともその端緒としてはまず否定性としてしかあることのできない「一」のありかたに直面したうえで、その否定性をことさらに肯定性へと反転させてみせるでもなく、しかしもちろんその挫折に腐って諦観のうちにとらわれて自閉するダークな思想に落ちるでもなく、そのあいだのある種半端な地点で、「一」でしかありえないことの可能性や内実を探究しつつ、一即全、一即多(他)ではない共同性のかたちを模索する思想、というか。たぶんレヴィナスブランショなんかはわりとそういう方向性なのではないかという気がするし、二〇世紀を受けてそういう方向のかんがえかたはいろいろ生まれてきてもいるのだとおもうが。というか精神分析理論がまさしくそういうものなのかもしれないが。
  • ところでユルスナールって『ハドリアヌス帝の回想』とか『黒の過程』のにんげんで、あれらは重厚きわまりないじつに堂々とした古典的小説のおもむきがつよく(『黒の過程』なんかは大河ドラマ的な印象すらのこっている)、そういう作品をつくったひとが『波』を翻訳するというのは、これはやはりユルスナールというひともすごいひとだな、ちょっとへんなひとだな、とおもう。
  • いまは帰宅後、休んだのちのすでに新年にあたる午前二時過ぎで、会合はもともと五時過ぎに待ち合わせの予定だったけれど、うえの本の感想を書いてしまったり、からだをじゅうぶんほぐしてからいきたかったりしたので、やっぱりおくれて直接会議室(というかフリースペース的な貸し部屋)に行くわとLINEにつたえておいた。それで五時四五分くらいまで寝床でブランショを読んでから着替えたりして出発。道中のことは措いて、とはいってもきょうはなぜかそんなに印象もないのだが、おおまかなながれのみ書いておくと、貸し部屋にはまっすぐ行かず、まず(……)駅まで行ったのだが、それは(……)があつまりに参加して会うのもかなりひさしぶりだし、やつに土産でも買っていってやろう、ついでにひとり一個、ちいさな甘味でも買っていけばいいやとかんがえていたからだ。
  • いま翌日の午後一〇時過ぎ。もどって道中のことをさきに書こう。アパートを出ると左に向かい、まっすぐ路地を南下して抜ける行き方を取ることにした。もう暮れきって宵のおもむきだったが、公園からはちいさな男児が出てきたり、とおくのほうには犬を連れたらしきひとびとが(あいまいな人影のなかに色付きのちいさな光点がいくつか浮かんでいるので、それとわかる)あつまっているようだった。公園のつぎに出てくる敷地はデイサービスかなにかの施設で、もうだいぶできており、道沿いにフェンスが白い壁としてつづいていたのがいまはもうぜんぶなくなって黒い格子状の柵に変わっているし、そこをとおして建物のてまえの土の地帯や(小型ショベルカーが鎮座している)、二階建ての建物じたいがよくみられる。路地を抜けるあたりで救急車のサイレンがだんだんとちかづいてきて、おもての車道を左から右へと、それほど速度は出さずに通過していくのをみた。
  • おもてに出ると右折して西向き。もともとの待ち合わせより時間が遅くなってしまったので(本を読んでいたらこんな時間になってしまった、いまから準備して出てあるいていき、買い物もするので、七時まえくらいになるかもしれない、とLINEにつたえておいた)、ちょっといそぐこころがあったらしく、心身があまりおちつかず、また貸し部屋で気心の知れたなかましかいないとはいえ、出先でものを食ってだいじょうぶかな、という心配もすこしあった。それで精神が拡散気味というか、周囲の事物から印象を拾うようなモードにならなかったのだけれど、あるいているうちにいくらかまとまってきて、病院を過ぎたあたりからそこそこ集束したようにおもわれた。それでもたいして印象はないが。ルートは踏切りを越えて草っぱらの空き地を過ぎても裏にはいらずそのまま病院や施設の表側をとおっていく道で、とちゅう、(……)と(……)のあいだにある空間で、おおきな木にイルミネーションがほどこされているのをみやり、それでようやく観察の目がはたらいた。これはいぜんいちど、あれもうなくなったのかなというときがあったのだけれど、たぶん偶然ともっていない時間に出くわしたのだろう。青やら赤やら紫やら、カラフルに色を変化させていく丸いひかりがこずえいっぱい無数に散らばって、じょじょに色相を変えつづけるそのなかでゆったりとなめらかに下降する白のすじも何本かすーっとながれており、それもときには色を変えていたかもしれないが、それらの基盤となっているこずえは背景の建物や暗闇とかさなってほとんどうつらず、だからあたかも空中にそのままいろどりが描かれ浮遊しているかのようなおもむきで、幹のほうにも白い電飾が巻きつけられてひかっていた。
  • (……)通りをまっすぐ行った。べつに遅れていったってさほど問題ではないとおもうのだが、待たせて悪いというふてぶてしさに徹しきれない意識があるようで、心身がやや急いているような感覚はつづく。交差点まで来ると北向きに右折して、高架歩廊のしたをまっすぐ行って階段をのぼる。そうして駅舎のほうへと渡っていき、コンコースにはいると、大晦日のわりにそんなに人波が厚くないなという印象だった。むしろ大晦日だからもう家に帰ってゆっくりしているひとがおおいのか。(……)の地階でシュークリームでも買っていけばいいやと漠然とかんがえていたのだが、駅ビル入り口のまえまで来ると空いている口は片側だけだし、そこにも警備員がいて、なかにひとの気配もないしどうももうやっていないっぽいぞとおもい、貼られている営業時間の表示をみてみれば、きょうは六時までだと。すでに六時半を過ぎていた。よくよくかんがえれば大晦日なのでそりゃそうなのだが、その点まったくかんがえていなかった。それでしかたなし、もうひとつの駅ビルである(……)でなにか見繕うかとコンコースを移動し、ビルにはいるとまず手をかさせば自動で消毒液を噴射してくれる機械に片手を差し入れて、それを両手にもみこむようにひろげながらマップを確認。(……)のほうも七時までだというのであまり猶予はないが、小便がしたくなっていたのでさきに二階にあがってトイレに行くことにした。エスカレーターをのぼり、服屋とか眼鏡屋とか、女性の下着屋とかがならぶなかをとおってトイレへ。小用を済ませると手を洗ったが、ここで尻ポケットに手をやったとき、ハンカチをもってくるのをわすれたことに気がついてしまったとおもった。モッズコートのポケットに突っこんでごまかしながら出て、近間のほうのエスカレーターから下りればちょうど菓子類なんかが売っているあたりに出るのだが、営業の終わりもちかくてショーケースになにもはいっていない店なんかもあり、いまいちピンとくるものがなく、けっきょくいつもの「(……)」にたよることになった。ここでちょっとした甘味をひとつずつと、(……)への土産を一品なにか買えばよかろうということで見てみると、「いのち」というなまえのリンゴのカスタードケーキがたくさんはいった箱があったので、一種類はこれでいいやとおもった。どうせなので二種類を三つずつ買っていくことにしてもう一種をもとめ、無難というか既知のものだが横浜ハーバーに決定。(……)にあげるやつはなんか苺のマシュマロが六個はいった品をみつけたのでそれにした。会計してレジをはなれ、からだにななめにかけていたPOLOのショルダーバッグ(なのかあれは?)に財布を入れたり整理すると、片手に紙袋を持ってビルのそとへ。
  • 貸し部屋は先日も(……)くん・(……)と三人で行ったアパートのべつの室((……))だとあったのでルートは知っている。南口を抜けると来た道をそのままもどって南下し、交差点でさらに南側にわたってしまい、ちょっとすすんで、対岸に(……)が見えるところで裏にはいった。暗い道をそのまま行けばじきにくだんの建物が出てきて、一階にはなんか鞄屋みたいなものがはいっているのだが、二・三階はアパートらしく、たぶんふつうの住人も住みつつ何室かは貸しスペースとして活用されている。先日はいったのは(……)号室だったかな。(……)も「(……)」というなまえで、これから行く「(……)」とおなじデザインの文字表示がポストにあったので、内装ちがいでおなじ業者が管理し、貸し出しているのだろう。
  • 通りに面した吹き抜けの階段を、この開放感、とおもいつつあがっていき、(……)へ。インターフォンを鳴らす。するとなかから、いいタイミングで来たなあ、という(……)の声が聞こえて、ちょっとすると扉があいたのでどうもどうもといいながらはいって靴を脱いだ。靴脱ぎ場から床にあがったところの左が水場で、右がトイレ、そのへんの通路とすら言えないほどみじかい通路はひとりずつしかとおれないせまさだが、そのさきにリビングスペースというか室の中心部があり、そこはまあ五人はいっても問題ないひろさではあって、テーブルのまわりにすでにみんなついており、(……)くんが焼いたたこ焼きの第一弾がいまちょうど良い感じにしあがりつつあるところらしかった。こちらは窓を背にした奥の一辺にはいり、(……)ととなりあう。テーブルというのは椅子つきではない低い卓で、部屋にもともとそなえつけの円形で平べったいクッションを尻のしたに置く。位置関係はこちらが四角形下辺の左側、右隣が(……)、正面は(……)くんがたこ焼き器をまえにしごとをしており、右辺のほうにはソファもありつつ、(……)と(……)はそちらに位置づき、といってふたりはわりと席をはなれて(……)くんを手伝い粉と水をはかってたこ焼きのもとをつくっているときなどもあったが、また(……)は主には右辺と上辺のさかいあたりで(……)くんのそばにいたような印象だ。こちらのすぐ背後にはテレビがあり、のちほどこれにNINTENDO Switchがつながれて、現代のマリオカートがすこしだけプレイされる時間もあった。テレビの脇、卓の左辺のまえにはそのコントローラーとか、将棋とか、なんだかよくわからんパーティーゲーム的グッズとかが置かれた三段の棚があり、それと卓とのあいだにはいまスナック菓子類が置かれたり、ゴミを入れるビニール袋が置かれたりしていた。内装は「(……)」というなまえであるからして壁紙は白っぽい樹皮のようなデザインだったが、あとで壁際の、固い布を張って座部としてある椅子、スポーツ観戦とかにつかわれているようなイメージだけれど、それに座って背後をみてみたところ、画鋲がずいぶんたくさんあるなとおもったのだが、それはもともとの壁に樹皮デザインの壁紙をたくさんの画鋲で留めているのだった。ほかにべつに樹木的要素はたいしてなくて、部屋の隅、こちらの席からみて(……)の向こうにあたった角に観葉植物が申し訳程度に置かれてあったのと、あといちおう時計がウッドデザインのものだったというくらいで、この時計は時間をすすめることなく停止しており、とうぜんただしい時間を示すこともなく、さいごの掃除で原状復帰するときにしらべてみると、短針のほうがもうゆるくてばあいによってはうまく停止せずにだらんと垂れ下がってしまうありさまだったのだけれど、繊細な手つきでもって四時四四分という不吉な時刻に合わせておいた。
  • となりの(……)とあいさつし、まえに会ったのいつだかわかんねえなと言う。いちおう土産も買ってきたからということで苺マシュマロを進呈し、みんなにもひとつずつ甘味があるということをそこでつたえておく。まもなくたこ焼きの第一弾が焼けたのでさっそく食うことになった。そんなに腹が減っているという感じもなかったのだけれど問題なく食べることができ、食後も不調を感じることはなく、のちにわたってたくさんいただいて満腹を得た。たこ焼きはうまかった。なんでも(……)くんは大阪時代にたこ焼き店でバイトしていたらしい。それなので手つきは慣れたにんげんのそれだ。期せずして上座というか奥の位置につくことになってしまい、タネをつくったりとか(……)くんがたこ焼き器に液体をながしこんだあとそれぞれのくぼみに具を入れるのとかは(……)と(……)が手伝うことになり、おれおくれてきたのになんもやらなくていいのかなともらすと、となりの(……)がまあいいんじゃないかみたいなことを言ったので、おまえはそりゃひさしぶりだし、遠いところから来たからお客さんでいいとおもうけど、と笑った。
  • 第一弾のたこ焼きを食ったあとつぎが焼けるまでにはまだ時間がある。それで(……)が、こちらが買ってきた苺マシュマロをもうあけていいかというのでもちろんとまかせ、またスナックもいくらか皿に出しちゃおうというのでチップスターと、レモンサワーに合うBLT(ベーコンレタスバーガー)風味のスナックみたいな品を開封し、空いていた紙皿のうえにいくらか載せた。レモンサワーに合うってやたらピンポイントだなと笑っていると、(……)いわく、都心のほうだとビール一杯一〇〇円(一〇円だったか?)みたいなサービスがあるけれど、それがさいきんレモンサワーになってるのをみかけることがあるという。流行っているのか? ちなみにチップスターの余りは帰りにこちらがいただき、この翌日にバリバリ食うことになった。
  • たこ焼きの具はふつうにタコと、甘エビと、明太子、チーズ、餅というラインナップで、第一弾はタコ、第二弾は甘エビ入りのものも混ぜ、第三弾は明太チーズ、餅はけっきょくつかわれず、第四弾と第五弾は原点回帰でタコのものとなった。たこ焼き器は一回で最大二〇個焼けるようになっていたとおもうが、だからひとり四つずつ食べられるという単純計算になる。しかしこちらはそんなに多く食べる自信もなかったので、各回につき三つとか二つにとどめておいた。明太チーズがなかなか新鮮な味や舌触りでうまかったなという印象で、生地にじつによくなじんでいたのだ。明太子の辛味もとくに感じず、ただし塩気だけはわずかにのこってなめらかだった。第四回くらいまででみんなももうおおかた腹八分目くらいになって、こちらもその時点でほぼ満腹だったので、ほんとうは第六回まで焼けるということだったが、五回までで打ち止めとすることに。
  • (……)とはひさびさに会ったはいいが、べつにそんなに近況のはなしとかをしたわけではない。こちらが(……)に越してきているということすら言わなかった((……)と通話するときにたぶん聞いているとおもうが)。ただやつはコロナウイルスにかかったという。夏くらいと言っていたか? わすれたが、三九度に行かないくらいの熱が出たと。ただ(……)のばあいはとにかく喉が痛い、声がでない、水を飲んでも痛いとそちらの症状のほうがつよかったらしく、熱はいちにち休めばまあそこそこ、というくらいには落ち着いたらしかった。兄もコロナウイルスに感染して、熱についてなんと言っていたかわすれたが、たしか三八度台だった気がするし、こうしてみるとたしかにじぶんのまわりの感染体験者のはなしをきいても、(……)さんがブログでつたえている中国の学生らより熱の度合いは低いようにおもえる(データがわずか二人だが)。学生らのほうが若いということもあり、また中国はオミクロン株のなかでも日本で蔓延しているそれとは種類が違うというはなしだったとおもうので、そのせいか。あるいはワクチンの問題か。やはり兄が言っていたところによると、(……)さんがいつだか抗体検査をしたときに、ワクチン接種からだいぶ時間が経っていたのに抗体の数が相当多い結果が出たらしく、だからいちどワクチンを打っておけば時間を経ても意外とのこっているもので、感染は防げなくても重症にはならないで済むんじゃないかみたいなことを言っていた。ただ(……)さんはロシアでいちど感染しているわけで、それで抗体が多かったのでは? という疑問もあるのだけれど、ともあれ兄の言い分がただしいとすると、中国製ワクチンとファイザーやモデルナでは効力に差があるということなのかもしれない。
  • 今回の大晦日のあつまりを主導的に企画したのは(……)くんと(……)で、もよおしとしてのひとつはこのたこ焼きパーティーなわけだが、もうひとつ、希望者はなにかしらじぶんの語りたいテーマについてプレゼンをする、という趣向があり、こちらいがいの全員がそれにエントリーして、みんな資料もつくってきていた。すごい。(……)が一〇時過ぎくらいには出たいということだったので、たこ焼きパーティーをしつつ、九時くらいになったらはじめようと言っていたのだけれど、そこでマリオカートを一回だけやってみたいと(……)が望み、テレビ脇に置かれてあった黒塗りボックスからSwitchをとりだしてテレビまえの土台みたいなやつにセットしてつなぎ、プレイ。棚にあったほかのコントローラーをつないでもなぜか機能しなかったのだが、不明。(……)が一回だけやって満足したあと、Switch本体の左右についていた色違いの、あれはコントローラーなのかよくわからないがボタンがついている部分をそれぞれ取りはずして、おのおの登録し、それでふたりプレイができるようになって、(……)と(……)がいっしょにやっていたようだ。そのあいだこちらは腹の張りをかんじてトイレに行っていたが。しかし大便は出ず、まだそのときではなかった。もどってくるとそういうわけでマリオカートをやっていたので、すでに九時一五分くらいになっていたようで、急いでプレゼンの支度がはじまり、というのは(……)がパソコンを持ってきてくれたのでそれをテレビモニターにつないで資料をうつしだせるようにするのだが、ここで(……)がGoogleのパスワードをわすれていることが判明、それなので(……)がじぶんのアカウントでログインすることになった。プレゼンの順番は、たこ焼きを食っているあいだに(……)が、たこ焼きにからめた決め方をしたいなと謎のことを言い出して、なんだそりゃ、そんなんないだろと言いつつ、しかし最終的にひとつ取ったたこ焼きを裂いてなかのタコがおおきかった順、という謎の決定方法がさだめられ、しかも差が微妙なときはプレゼンに参加しないこちらが判定をするということになった。それでみずから具を入れて焼いている(……)くんはおおきなやつがわかってしまうかもしれないということで、こちらが直感を最大限にはたらかせてかれの分はえらび、いざあけてみると判定はわりと容易で、こちらの直感はやはりひじょうにたしかなので(……)くんのやつが最大、そしておもしろいことに向かいのかれから右回りにそのまま席の順番、すなわち(……)、(……)、(……)、という順序になった。けれど上述のように時間がおしてしまったので、けっきょく決めた順番はつかわず、さいしょに資料をひらいた(……)から発表とあいなった。
  • かれが発表したのは百合漫画について。(……)は二、三年まえくらいから百合漫画にはまっていていろいろ読んでいるのだが、じぶんが読んだ作品の出版社を分類したり、また個人的に百合漫画内のジャンル傾向として四分類をつくっていた。恋愛ものとか、日常系とか社会派とかそういうことだが、その表のうちのいちばんうえは、狭義の百合の定義とされているものだとあったのでこれは(……)オリジナルではなく、『コミック百合姫』内にあった記述かなにかが典拠だったようだが、それによれば百合とは、こまかい文言はわすれたが、思春期の少女同士のあいだに成立する一過性の恋愛関係にいたらない感情、というようなものらしく、「思春期」という点がひとつポイントなのだと(……)は言った。おとなになりきらない時点で発生する恋愛にかたまりきらない至極あいまいな感情的関係というわけで、そのはかなさみたいなものを愛でるのが狭義の百合らしいというはなしであり、これもうひじょうに日本的というか、もろに無常観的感傷のそれですよねとおもったので、のちほど質疑応答のときに、この狭義の百合の特質にかんしては、『平家物語』などに代表される日本的無常観の影響があるとおもわれますか? などという阿呆な質問をしようかとおもったが、ほかのひとが発言したこともあり、それはやめておいた。ところでたしかに、レズビアン小説をかんがえてみても、と言ってこちらが知っているのはウルフくらいなのだが、なんか女学校の学生寮を舞台にしたかのじょの短編はじっさいそういう感じだったようにおもう。あとこれも読んだことがないしぜんぜん知らないが、吉屋信子という古い作家がいて、このひとが日本における少女小説、少女同士のまさしくそういうあえかな感情関係を書く小説のはしりだと聞いたおぼえがあり、そのへんがいまの「百合」につながる源流といえるのかどうかはこちらの知る由もないが、ただ日本における女性の同性愛表現がもしそういう思春期の少女同士のものからはじまっていたとすると(たとえば閉鎖的な学校環境のなかで、擬似的に姉妹関係を構築するような、そういうありがちなイメージなのだが)、現行の百合漫画における狭義の定義も、そのへんを正統的に継いでいるのかもしれない。ちなみに(……)がジャンル分類とともに挙げた作品のなかでこちらがなまえを知っているのは『ゆるゆり』しかなかった。出版社分類のところでは一迅社とか芳文社(の「まんがタイムきらら」系列)がいちばんおおいあたりで、一迅社(要は『コミック百合姫』ということだろうが)で一四だったか、そのほかにもいろんな媒体で意外と百合的漫画というのはあるらしく、表の数字を総計するとけっこうな数になりそうだったので、たくさん読んでんだな、という印象だった。あとみんなそういう感じでちゃんとしたデザインや色味の表をつくったり、画像を仕込んだりしてきていたのだけれど、それもすごいなというか、おれはそんなんやったことないわという感じだった。パワーポイントすらじぶんはつかったことがない。たしかに大学の発表のときにつかっているやつとか教師とかいたし、職場の会議なんかでもパワポの資料が提示されたりもするけれど、大学時代はめんどうくさかったから発表なんて、どうしていたのかな? すくなくともパワポはつかわなかった。ワードかなんかで文字だけのレジュメみたいなやつをつくっていたのかもしれない。それにじぶんはああいうパワーポイント的資料による発表はけっこう懐疑的だ。というかそもそも資料とともにすすむ発表というのに懐疑的で、資料を配ると聞き手がそれを見ることに集中してしまうから、資料は資料であって良いのだけれど参考のために事後にくばるとか、発表中は要点やキーワードやながれだけを提示した簡易なものを示すとか、そういうふうにして、はなしじたいを聞く態勢をつくらせたほうが良いのではないかという気がする。まあそうなると、はなしがおもしろくないと駄目だろうけれど。
  • とはいえそれはそれとして、みんなおのおの色がある資料をよくつくってきているなあという印象ではあった。(……)はほんとうは個々の作品の紹介もすこしやりたかったようだが、時間が足りずにほんのわずかで断念。質疑応答がなされるので、学会だと、貴重な発表ありがとうございました、たいへん勉強になりました、とかさいしょに言わないと、などと、学会になど行ったことがないのににやにや笑って茶化す。あのー、ほんとうに素人質問なんですが、とか、(……)もあとでそれに乗っていた。二番目は(……)くんで、肌のシミについての調査というテーマだったが、冒頭で全体のながれが提示されるページで、一項目目がシミの生成機序と分類、三項目目が具体的対策で、そのあいだの二列目にはサイバーセキュリティの応用、とかいう文言がしれっとはいっているのでそれにはさすがに笑う。そしてかれもやはりシミの種類というものを表をつかって分類しているわけだ。ふつうの日光によってできるやつ(「日光黒子」だったか? この「黒子」は「ほくろ」ではなくて「こくし」という読みだった)とか、あといわゆるそばかすは「雀卵斑」というのが固い名称らしく、そちらは遺伝的なばあいが多いとか、ちょっと勉強になって意外とおもしろかった。サイバーセキュリティの段になるとなんかまたべつの図で、色付きの球が左右でいくつか縦にならんだ図が出てきて、それがサイバーセキュリティにおける各段階でのかんがえかただか対処方法だかをアルファベットの略語で示していたようだが、それを援用するかたちでシミ対策も段階化して各レベルでこういうことをやるといいみたいなはなしになっており、いちおうつながっていなくもなくて笑う。(……)くんの発表のあとの質疑応答は(……)がちょっとふざけて学会で食い下がる質問者みたいにやったり、あと(……)が、かれもサイバーセキュリティをしごとにしているので、二番目の項目にかんして、横文字を怒涛のようにくりだしつつ生き生きとした調子で語っていた。はなしの内容はもちろんわからないのだけれど、推測するにおそらくサイバーセキュリティ分野では(……)くんがこの日しめしたようなロールモデルみたいなもの、もしくは理論やシステムのたぐいが何種類かあり、(……)はこれのほかにもこういうのがあるというのを紹介していたようで、そのなかに「シムスリー」という単語が聞こえて、これだけはなんかまえになにかの英文記事で読んだような気がするなとおもったが、そんな分野のネット記事など読んだことがないし、さきほど検索してみてもピンとこないのでたぶん気のせいだろう。そもそもこちらはこの「シムスリー」を「SIM-3」という文字列であたまのなかに再生していたのだが、じっさいには「SIM3」とハイフンはいらないようだし。ちなみに検索するとトップに、「CSIRTの成熟度を測る「SIM3」 世界にたった6人しかいない“権威”の素顔」という記事が出てきて、まずCSIRTってなんやねんというはなしなのだが(CSはたぶんサイバーセキュリティかとおもうが)、SIM3というのは「CSIRTの成熟度を評価するモデル「SIM3」」であり、「自組織のCSIRTの現状を点検し、継続的に改善していくための評価軸を提供する」ものらしい。正式名称はSecurity Incident Management Maturity Model。
  • 三番目は(……)。かのじょの発表内容は、帰り道で交差点にさしかかるあたりで、日記に書かれるの恥ずかしいなとあいてがいうのを公開しないからと受けたので、公開しない。しかし公開うんぬんは措いても、一年後にこちらが読みかえしたときに、あいつあのときあれについて語ってたなあとおもいだされるのがなんかちょっと恥ずかしい、ということだったのだが。とくにめずらしい対象ではないのだが。(……)
  • さいごは(……)。やつは近年世界遺産検定というのを受けており、二級まで取っているらしい。かれの会社では定期的に一〇分間でさいきんなにがあったなにをしているという近況報告をするという時間があるらしく、内容は自由で、なかにはいまからパスタをつくりますといってペペロンチーノをつくるさまを映したひともいたというからYouTubeかよ、配信じゃん、という感じでおもしろいが、それ用につくった資料をもちいての発表だった。そもそも世界遺産とはなんぞやみたいな基本的なところからはじまり、自然遺産と文化遺産の分類とか、それぞれが認定されるさいにもとめられる要素とか(世界遺産条約で規定されている)を説明しつつ、しばしば写真が付されていて、その写真のしたにはキャプションとして説明と、あと漫画などにからめたネタが毎回はいっており、会社での発表では一〇分間しかないのでそのネタへの言及はまったくせずに提示するだけにとどめたのだが、今回はそこを説明しながらやると言って、たとえば白川郷のほうか五箇山のほうかわからなかったが合掌造りの画像にかんしては殺人鬼少女は出てこないみたいな文言が付されてあって、それは『ひぐらしの鳴く頃に』が元ネタらしく、現地に行くとあ、ここは同作中のあそこだなとかけっこうわかるくらい合掌造り集落が典拠にされているらしい。なかなかおもしろかった。(……)がいちばん好きな世界遺産はなんなのかとベタベタな質問をしてみると、資料中にも画像が出てきていたが、メテオラの修道院かなとあって、これはやたら高い塔みたいなかたちの岩のうえにある修道院で、なんか見たことがある気はしたからゆうめいなのだろう。いま検索したらギリシャらしい。これどうやって行くんだよという疑問が(……)から提出されたが、画像ではうつっていなかったものの現在はふつうにのぼるルートがつくられているらしく、しかしむかしは滑車のような装置であがっていって、命を落とす事故もあったということだ。これをみながら、なんかここを対象にして撮ったドキュメンタリー映画なかったっけ? と漠然と記憶が喚起されていたのだが、これはたぶんべつのもの、たしかフランスのなんとかいう修道院だった気がする。その記憶のみなもとは、たしかセンター試験の現代文の過去問だったんじゃないかとおもうのだけれど、職場でそれをあつかったときに、なんといったか、「最」という字がはいった名字で、したのなまえが葉月だった気がするのだけれど、そういうライターもしくは著述家が、そのドキュメンタリー映画について書いていたおぼえがあって、いま調べたら最相葉月だった。名字は「さいしょう」と読むらしい。で、いまくだんの映画についても情報をもとめてみたところ、これはたぶん『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』というやつだ。二〇〇五年作。フィリップ・グレーニング(Philip Groning)監督。(……)の発表ではさいごにケルン大聖堂の画像がうつされたのだが、これは六三一年だったかそのくらいかけて完成したらしく、(……)が質問として、こういうのって、つくりはじめた当初と完成のときでは、建築様式の流行がぜんぜん変わってたりするよね、と聞き、当初の設計通りにできあがったのかという問いを向けていたのだが、ケルン大聖堂のばあいはさいしょの計画を引き継いでそれどおりにつくろうということでやられたんだったとおもう、ということだった。
  • 終了。けっきょくその時点でもう一〇時半くらいになってしまっており、(……)はすみやかに帰宅へ向かった。部屋は零時まで借りている。それなのでまだ余裕があるからとしばらくゆったりすることになり、(……)は絨毯のうえに横向きで寝そべっていた(この絨毯はなんとも言いづらいが柄物であり、のちほど掃除をするときにかのじょは、ゴミとかカスが目立たない柄でいい絨毯、と言っていた)。プレゼン大会は良かったなあと(……)くんは満悦で、ほかふたりも満足しており、こちらとしてもなかなかおもしろかった。次回は参加するようにみたいなことをいわれたのだったか、誘いの雰囲気をおぼえたので、じぶんがやるとしたらなんだろうとかんがえて、まあそれこそ好きな小説について紹介するとかそのくらいかなとおもい、それだったら資料なんかほぼつくらなくてもやれるだろうとおもったが、やる気になるかどうかはさだかではない。
  • (……)
  • (……)
  • 一一時ごろからかたづけや掃除を開始。マニュアルには(卓の天板のした各方面には収納的なくぼみがあり、そこにカードゲームがはいっていたりしたのだが、そのなかのひとつにプラスチックのケースとファイルでとじられた利用マニュアルの冊子があった)期限三〇分まえくらいから掃除をはじめましょうと書いてあったのだが、われわれは一時間もまえからはじめたわけでかなり優秀な部類である。たこ焼き器や洗い物なんかは(……)と(……)くんがやったので、こちらはプラスチックゴミを袋にあつめたり、テーブルのうえのものをどかして備え付けのペーパーで拭いたり、ついでに床の端のほうのゴミクズも、まあきれいにしといてやるかということでちょっと取り除いたりした。(……)は紙コップとか紙皿とかをかたづけるなど。(……)が持ってきて敷いていたヨガマットをかたづけるさいに、もちあげるとカスが落ちたので、それを拾って除いていると、掃除機があると(……)が指摘し、それで掃除機をちょっとかけたのだけれど、おおきな音は駄目ってマニュアルにありながら、この時間に掃除機をかけるのはいいのか? という管理体制にたいする疑問が提出されたのにはまあそうだな、と笑った。じっさい掃除機のスイッチを入れるとなかなかうるさかったのだけれど、これがしかも不良品というか破損品で、先端部分とゴミを吸いこんで溜めておく透明な筒状部分をつなぐ口が、あきらかに割れて欠けたらしくほんらいよりもいびつにひろくなっており、だからかけているあいだに先端がはずれて落っこちてしまったうえ、筒のなかをみてみてもやはり本来は先端部分と接続するであろうゴミ中継箱みたいな部品がこわれており、どこにも固定されず筒のなかで重力のなすがままになっている。とんだ不良品で、これをつかってもしょうがないので、けっきょく手作業でいちおうおおきなカスは拾い、業者には退出とともに原状回復後のようすを撮った写真をおくることになっていたので、掃除機の写真も撮ってこわれていた旨報告することになった。ここからわかるのはまずもって第一に管理業者の管理の杜撰さ、たまに部屋を見に来ているのかどうか知れないが(たぶんほぼ来ないのではないかとおもうが)、そのさい掃除機を確認していないという事実であり、第二に、これまでの利用者がおそらく掃除機の破損に気づきながらも(いちおうマニュアルで掃除機をかけてくれとなっていたわけだから)それを業者のほうに報告せず、あたかもこわれていないかのようにケーブルを巻き巻き先端部分がくっついているかのような立ちすがたをなんとかつくって誤魔化していたということで、現代における人心の荒廃と世の腐敗はこういうきわめてささやかなところにまざまざと分有されているのだ!
  • 零時で退出。その直前からではじめたが、みんな出るころにはもう零時を越えて年が明けていたので、明けましておめでとうと言い合う。出るとちゅうで新年になってた、と(……)は、妙な明け方をしたというようなニュアンスで言っていた。部屋の扉の向かい、通路の棒に取りつけられたケースに鍵をおさめるのに苦労していた(……)を待ち(暗くて暗証番号が見えず、箱を閉ざしても鍵がかからなかったのだ)、それから下りていきつつ、外付き階段のこの開放性、とつぶやく。出ると駅のほうへ。こちらはとちゅうの交差点で別れることにして、あそこの交差点まで行ったら二手に分かれよう、と(……)に向けたが、了解めいた間がいちどあってから、それはどういうこと? と聞き返されたので、いや、まあ、帰るっていう、と親指を東の方角に向けて笑いながらこたえる。それで交差点まで行って、昨年はありがとうとか今年はなにやる? とかちょっとはなしたあと、別離。横断歩道をわたっていく三人を見送ってから東へ一路、(……)通りをあるいた。帰路はむろん行きとはちがって急くようなこころはなかったが、だからといって周囲の事物に印象を得たかというとそうではなく、あるきながらものおもいにかたむくような感じになり、(……)もしじぶんになんらかの特異性が見出せるとするなら、それはやっぱりできるだけのことを記録したいというこの欲求になるだろうとおもったり、アパートのちかくまで来たころには、それにしても書けない、ほんとうにわずかなことしか書けない、べつにもうすべてを書きたいなどということはおもっちゃいないが、それにしても、ある程度の充分さすら実現できない、充分にいたれないとしても、もうすこしくらいどうにかならないか、とかんがえていた。


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  • 「ことば」: 40, 31,
  • 「読みかえし2」: 652 - 664
  • 日記読み: 2021/12/31, Fri. / 2014/5/30, Fri.