2023/1/1, Sun.

 いつしかわたしは濃密な静寂に耳を澄ませていた。不気味なしじまのなかに、雷鳴がとどろく直前にも似た不穏な兆しがうかがえた。どこからもなんの音も聞こえなかった。通りに動くものの気配はまったくない。闇が集いはじめているのに、明かりのひとつもまだ灯らない。早くも周囲の家々は明確な輪郭を失い、ひとかたまりに融けあって見えた。なにかを待って不安げに目を凝らし、息をひそめているようにも思える。霧と薄闇に色という色は拭い消され、形という形はぼやけてあやふやだった。そのせいで、凛と緑に輝くあの草地が驚くほど際立って見えた。消えてしまった昼の光を妖しいまでに留めおき、小さな長方形のなかに凝縮して、連なる屋根の上に浮かぶさまは、まるで華やかな緑の旗だった。
 ほかではいたるところに見えない夜の軍勢が集結して、家々に押し寄せ、黒い木々の下に黒々とわだかまっていた。あらゆるものが息を殺して夜が来るのを待っていた。ところが、闇の前進は草地の外れで鈍り、ぴたりと止まった。あの燃えさかる緑が全力で行く手を阻んでいた。きっとすぐにも夜が攻撃を開始して、草地に押し寄せ、蹂躙するだろうとわたしは思った。それなのに、なにも起きない。ただ、草地が夜の侵略に対抗すべく無数の草の刃を構えた緊張だけが感じ取れる。あの草地の草にどれほど強大な力があるか、どうやって太古の昔からつづく夜の進撃を押しとどめることができるのか、わずかながらようやくわたしにもわかりかけてきた。さっき聞いた話から考えるに、あそこの(end14)草があんなにも傲慢に、強靭すぎるほど青々と育つ理由は想像に難くない――あの忌まわしい草地は腐敗を食らって肥え太り、一枚刈り取られるたびに数百、数千の、強く新しい葉の刃をいっせいに芽吹かせるのだ。
 つぎの瞬間、群がり生える刃が――無数の刃、何百万何千万という草の刃が、絶え間なく増殖し、なにものにも抗えぬ超自然的な力で上へ上へ黙々と大地を切り裂きながら、一分刻みでさらに千倍にも数を増やしてゆく光景が、まざまざと目に浮かんだ。あんなちっぽけな草地ひとつに寄り集まり、自然の理をことごとく無視して、力強く破壊的に、破壊を糧に蔓延ってゆくさまの、なんという凄まじさか。はち切れんばかりの生命力を秘めた何百万とも知れぬ草、それが夜の侵略に抵抗すべく、戦う備えも万全に、びっしり群がり集っているのだ、槍のように、林のように、森のように。
 漆黒の闇にも紛う深い夕闇のなかで、あの小さな緑の一画の輝きはいかにも不自然で、不気味だった。ずいぶん長いこと見つめていたせいか、やがて草地が震え、脈打ちはじめたように感じられた。これほど遠くからでも、途方もない生命力のうねりが脈動を速めるのが、実際に見える気がした。その容赦ない生気に、闇が怯えていた。いや、それだけではない。わたしの心の目には、はっきり見えた――あの草地がつねに全神経を研ぎ澄まし、草の生長を阻もうとする懸命の努力がゆるむ一瞬に絶えず目を光らせ、おりあらば境界という境界を越えて一気に芽吹こうとひたすら待っている姿が。(end15)はっきり見えた――あの草地があたかも巨大な緑の死のごとく頭をもたげ、おのれが食らった腐敗で膨張し、あらゆる境界線を侵蝕し、あらゆる方向に広がり、あらゆる生物を滅ぼして、世界を輝く緑の棺衣 [かけぎ] で覆いつくし、その棺衣の下で生きとし生けるものが朽ち果てるようすが。戦わねば、戦わねばならない、あの毒の緑と。切り払い、切り倒さねばならない、あの毒の緑を。毎日、毎時間、なにがなんでも。あの草の刃の狂暴な増殖を食い止める術は、ほかにはない。血で膨れあがり、邪悪に猛々しく茂り、毒気と復讐に燃え、凶悪な疫病さながらに、草が、草だけが地表を覆いつくすまであらゆる場所で、あらゆるものを覆いつくそうとするあの草の刃に対抗する手立ては、ほかにはない。
 (アンナ・カヴァン安野玲訳『草地は緑に輝いて』(文遊社、二〇二〇年)、14~16; 「草地は緑に輝いて」)



  • 一年前の日記。西谷修『不死のワンダーランド』を読んでいて、ちょうどいま読んでいる、というかきょうの朝本篇は読み終えた、ブランショの『文学空間』に書いてあったようなはなしをとらえて要約している。

(……)西谷修『不死のワンダーランド 戦争の世紀を超えて』(講談社学術文庫、一九九六年)も読みすすめた。第Ⅱ章のほぼ終わりまで。ハイデガーはおのれの死を見据えて、いつでも死ぬことができるという可能性を引き受けることによって現存在は頽落した日常性から脱却して本来的生を獲得することができるとかんがえたわけで、したがってかれにとっては、死を、無名で非人称の「ひとが死ぬ」というとらえかたから、「私が死ぬ」というとらえかたに転換することこそが任務だった。すなわちハイデガーにとっては、死こそが私の固有性を証すものだったのだが、ブランショはまったく反対で、かれは、ひとはけっして私じしんの固有の死を死ぬことなどできはしない、私が死ぬとき私の死はだれのものでもない非人称的な「ひと」の死に変質せざるをえず、したがって、固有の死による私の本来性の回復などということは幻想だとかんがえた。くわえて、ハイデガーが非本来的で頽落したものだと弾劾した「日常性」をブランショはむしろ肯定し、その非人称的な空間のひらかれのなかで、けっして「われわれ」となることがなく「私」とすら言うことのできない無名の「ひと」たちが織りなすコミュニケーションによる共同性を志向したと。ひじょうにおおざっぱに要約すればそういう論のみちすじになるのだが、このハイデガーと(レヴィナスもからめた)ブランショの対比はわかりやすいし、「死」や「日常性」にたいする価値づけの転換のながれは刺激的でおもしろかった。ひとはだれもヒロイズム(英雄性・主人公性、またよりひろくは物語性)から無縁であることはできないわけで、ハイデガー的なマッチョイズムもまあかっこういいなとはおもうのだけれど、じぶんの性分としてはやはりブランショ的な非人称的匿名性のほうにより共感するかんじはある。

  • 目覚めてしばらく呼吸したり腕を揉んだりしてから携帯をみると、ちょうど九時ごろだった。カーテンもひらく。快晴。寝床ではほか、ブランショも読み、(……)さんのブログも読み、「読みかえし」ノートも読んだ。「読みかえし」はやっぱり黙読で復習していくのがよさそうだなとおもった。どんどん読める。したは(……)さんのブログからで、これはもうもろに禅の言い分だなとおもった。

 それでは、音楽を書く目的は何だろうか。たしかに、扱っているのは目的ではなく音だ。あるいは、答えは逆説的な形態をとるにちがいない。意図的な無目的性、あるいは無目的な活動。しかしこの活動は、生を肯定する。すなわち、混沌から秩序を生み出したり、創造における向上を示したりする試みではなく、ただ私たちが生きている生そのものに目覚める方法なのだ。いったんそこから知性や欲望を取り除き、ひとりでに進むにまかせれば、生はとても素晴らしいものになる。
ジョン・ケージ柿沼敏江・訳『サイレンス』より「実験音楽」 p.31-32)

  • また、読んだのはきのうかおとといだが、『ラカン精神分析の治療論 理論と実践の交点』(赤坂和哉)からの抜き出しも。陽性転移や陰性転移について。

 無意識的な陽性転移は、ラカンでは愛という転移に対応する。というのも、これまでに見てきたように、愛は分析を停滞に導くものであるからである。そして、陰性転移とは、愛が逆方向に転換した攻撃性に特徴づけられていることから、それも愛という転移の一側面であると考えられる。これらの抵抗的な転移は、ともに解釈を通して愛を要求していると言えよう。無意識的な陽性転移は「いつでも全面的に解釈を受け入れます。早く解釈して下さい」といういわば誘惑のかたちをとった解釈の要求であり、陰性転移は「この状態を解釈しないと分析は終わることになりますよ」という脅しの形をとった解釈の要求と考えられる。
(142)


 ここで、ラカンにおいては効果的な転移とは幻想であることを思い出してもらいたい。それが効果的と言いうるのは、この幻想という転移が欲動との出会いを可能にして分析の出口を提供する転移であるからである。フロイトは意識的な陽性転移に関して、感情に力点をおき、いわば「分析家に対する感情的な信頼」が重要であると言っている感もあるが、おそらくこの陽性転移で大切なのは「分析家の知への信仰(croyance au savoir de l’analyste)」と呼びうるものである。ラカンを引こう。
 「陽性転移、それは私が知を想定された主体(sujet supposé savoir)の名のもとに定義を試みたものです。誰が知を想定されているのでしょうか。それは分析家です。それは一つの割当て、想定されたという語がすでに示しているように一つの割当てなのです」(…)
 ここで「割当て」という言葉に十分注意を払うなら、「分析家の知への信仰」とは厳密には分析家に割り当てられた知の位置への信仰であることがわかる。
 「想定されているのが知であるということは明らかです。それを間違えた人は今まで誰もいません。誰に対して想定されているのでしょうか。もちろん分析家に対してではなく、分析家の位置に対してです」(…)
 以上の議論から、意識的な陽性転移はラカンにおいては「分析家の位置における知への信仰」に基づく幻想、簡略化して言えば「分析家の知への信仰」に基づく幻想であることがわかるだろう。
(143-144)


 そして、この幻想という観点から、ラカン派の臨床を、とりわけ幻想の臨床を考えてみると、それは、意識的な陽性転移を基礎として、沈黙とスカンシオンという「空白をもつ解釈」で具現される「私は知らない」という知の拒絶の態度を維持しつつ、分析家が無意識的な陽性転移と陰性転移という二つの抵抗的な転移(享楽的残余への固着の反復)を分析主体に展開させることである。もう少し言葉を足そう。まず分析家は知を想定された主体というその位置のために、〝あなたの問題の解答を知っている〟や〝あなたの本当のことを知っている〟というような「私は知っている」存在として分析主体に見なされる。そして、そのために分析主体は愛や攻撃性を使って分析状況を揺さぶることによって分析家に解釈を求める。こうした状況に対して分析家が通常の解釈で応えてしまうと、解釈への同一化によって、分析主体が自らが好む人物や嫌いな人物に分析家をより重ねることで、愛や攻撃性が強まったり、逆に解釈への反発によって、愛と攻撃性が互いに転化したりして、抵抗が強まる状況に陥る可能性がある。そこで分析家は「私は知っている」と見なされつつも、意味内容を持たない解釈で応えることによって、「私は知らない」という態度を表明して抵抗的な転移に対応することで、分析主体に自ら思うところ幻想を展開させるのである。無意識的な陽性転移という愛や陰性転移という攻撃性の過程を含んで、幻想という意識的な陽性転移を展開することを通して、分析主体はシニフィアンを数え上げていくのである(抵抗→真理的効果)。
(143-144)

  • さいごの節の、「そこで分析家は「私は知っている」と見なされつつも、意味内容を持たない解釈で応えることによって、「私は知らない」という態度を表明して抵抗的な転移に対応することで、分析主体に自ら思うところ幻想を展開させるのである」というのも、これは禅みたいな感じだなとおもった。鈴木大拙の『禅』のなかで紹介されていたまさしく禅問答、弟子が質問をするのに師匠がそれにたいしてまったく筋違いの、こたえとしてあきらかに対応していないような回答をかえすというあれをおもいだしたのだ。じっさいの臨床の場で、「意味内容を持たない解釈で応える」とか、「「私は知らない」という態度を表明」するとかが、具体的にどのようなことばになるのかはわからないが。
  • 「読みかえし2」より。ソ連というのもおそろしい国だ。ウイルスとか自然災害もすさまじいが、にんげんのやることもおとらずおそろしい。

655

 一九三六~一九三八年には、第一~三次のモスクワ裁判など、かつては党と政府の最高幹部であった人々を被告とする「見世物裁判」が開かれ、被告全員が有罪とされた。軍の最高幹部たちも軍事裁判にかけられ、処刑された。一九三七年八月からは国民全般を対象とする大量弾圧(「大テロル」)が始められていく。
 「大テロル」は、スターリンの命令により、その監督の下に実施されたと指摘されている。地方当局は中央からの訓令に基づいて行動したのであり、逮捕し銃殺する人数を割り当てられたことも多かった、地方での逸脱も多々見られたが、中央の命令を大幅に歪めるほどではなかったとされる。
 スターリンらが「大テロル」に踏み切った主な目的は、幹部職員の大幅な入れ替えと、戦争前夜における潜在的な敵・内通者(「第五列」)の一掃であったとされる。しかし、その犠牲者の多数は、一般の人々であった。政権に不満を持っているであろう人々が次々に「第五列」とされ、弾圧の対象とされたのである。
 一九三四年一月から一九三九年三月までに党と国家の指導的ポストに五〇万人以上が新たに登用されたとスターリンは述べている。これほど大規模な古参幹部の排除と新人の登用は、スターリン個人の立場と権力を強化した。その一方で、五〇万人という数は、「大テロル」の被害者の総数より桁が少なくとも一つ(あるいは二つ)小さく、潜在的な「第(end44)五列」とみなされた労働者や農民も多数弾圧されたことは明らかである。
 弾圧を受けたのは、ソヴェト政権によってかつて迫害された住民(「クラーク」、革命前の支配階級の生き残り、一部の旧知識人、前科者など)、旧反対派など、戦争の際忠誠を示さないかもしれないとスターリンらが疑う人々すべてであったとされる。革命以来の強引かつ抑圧的な政策に国民は不満を募らせているとの自覚がスターリンに潜在敵の存在を疑わせたと言われる。実際、集団化から一九三二~一九三三年の飢饉に至る時期には農民の間にスターリンに対する強い憎悪があったことが指摘されており、スターリンの自覚は的外れではなかった。それまでに逮捕された者の家族や、友人、同僚などなんらかのつながりのある人々、かつてクラークとして追放された経歴のある者などが「反ソ分子」「人民の敵」として罪なくして逮捕され、拷問による自白に基づいて略式裁判で有罪とされ、監獄や収容所へ送られた。「大テロル」の規模についても論争があり、数字の幅は大きいが、逮捕者は数百万人、銃殺された者は数十万人から百万人に上ることはおそらく間違いなく、処刑に至らずとも、拷問や過酷な取調べ、収容所の劣悪な環境によって命を落とした者も大勢いた。逮捕を免れても、「反ソ分子」や「人民の敵」の関係者という理由で、党を除名されたり、職場や学校を追われたりした者も少なくなかった。こうした人々は、いつ自分も逮捕されるのかという不安に脅かされたのである。
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、44~45)

     *

674

 第二次世界大戦全体での戦死者は、非戦闘員も含めて五〇〇〇万人から六〇〇〇万人(あるいはそれ以上)とも言われるが、ソ連の死者・行方不明者はその半分近い二六〇〇万人から二七〇〇万人と推計され、うち一八〇〇万人程は民間人だったとされる(ちなみに日本の死者は「十五年戦争」の総計で三一〇万人、うち民間人八〇万人と言われる)。開戦時のソ連の人口推計からすれば、七~八人に一人が死んだ計算と言われるが、死者・行方不明者のうち約二〇〇〇万人が男性であったため、単純計算では男性は約五人に一人が死んだことになり、戦後のソ連社会は人口構成上の大きな歪みを抱えることになった。(……)
 (松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)、69)

  • いま二時二〇分で、食後からUlyssesの一節を翻訳した。ぜんかい訳しきれなかったさいごの一段落。時間はもちろんかかるが、そこまで苦戦という感じではなかった。

—Let him stay, Stephen said. There’s nothing wrong with him except at night.

—Then what is it? Buck Mulligan asked impatiently. Cough it up. I’m quite frank with you. What have you against me now?

They halted, looking towards the blunt cape of Bray Head that lay on the water like the snout of a sleeping whale. Stephen freed his arm quietly.

—Do you wish me to tell you? he asked.

—Yes, what is it? Buck Mulligan answered. I don’t remember anything.

He looked in Stephen’s face as he spoke. A light wind passed his brow, fanning softly his fair uncombed hair and stirring silver points of anxiety in his eyes.

Stephen, depressed by his own voice, said:

—Do you remember the first day I went to your house after my mother’s death?

Buck Mulligan frowned quickly and said:

—What? Where? I can’t remember anything. I remember only ideas and sensations. Why? What happened in the name of God?

—You were making tea, Stephen said, and went across the landing to get more hot water. Your mother and some visitor came out of the drawingroom. She asked you who was in your room.

—Yes? Buck Mulligan said. What did I say? I forget.

—You said, Stephen answered, O, it’s only Dedalus whose mother is beastly dead.

A flush which made him seem younger and more engaging rose to Buck Mulligan’s cheek.

—Did I say that? he asked. Well? What harm is that?

He shook his constraint from him nervously.

—And what is death, he asked, your mother’s or yours or my own? You saw only your mother die. I see them pop off every day in the Mater and Richmond and cut up into tripes in the dissectingroom. It’s a beastly thing and nothing else. It simply doesn’t matter. You wouldn’t kneel down to pray for your mother on her deathbed when she asked you. Why? Because you have the cursed jesuit strain in you, only it’s injected the wrong way. To me it’s all a mockery and beastly. Her cerebral lobes are not functioning. She calls the doctor sir Peter Teazle and picks buttercups off the quilt. Humour her till it’s over. You crossed her last wish in death and yet you sulk with me because I don’t whinge like some hired mute from Lalouette’s. Absurd! I suppose I did say it. I didn’t mean to offend the memory of your mother.


 ――あいつがいたってかまわないさ、とスティーヴン。夜にならなきゃ、べつに変なところもないしね。
 ――なら、なんだってんだ? バック・マリガンは苛立たしげにたずねた。白状しろよ。おれだって、お前に遠慮はないぜ。おれの何が気に入らない?
 ふたりは立ち止まり、眠るクジラの鼻先に似て水のうえを横たわっているブレイ・ヘッドの丸みを帯びた岬のほうに目をやった。スティーヴンはしずかに腕をほどく。
 ――言ってほしいのか? と問いかけた。
 ――ああ、なんなんだ? とバック・マリガンは返す。思い当たることがないんだが。
 そう言いながら、スティーヴンの顔を覗きこんでみせる。微風が彼の額を横切り、梳 [と] かされていない金髪をそっと持ち上げ、すると不安をはらんだ銀色の点が瞳の内に揺れうごいた。
 スティーヴンは、自分自身の声に鬱々となりながら、
 ――母が死んだあと、最初に君の家に行った日のこと、覚えてるか?
 ぱっとしかめっ面になったバック・マリガンは、
 ――何? どこだって? 思い出せねえな。なんかのアイディアとか、世間で騒がれてることしか覚えてないもんでね。なんでだ? 一体全体、何があったって?
 ――君はお茶を淹れてて、とスティーヴンは話す、お湯を補充してくるときに、階段のまえを通ったんだ。そこにお母さんとお客さんが客間から出てきた。誰が来てるの? って君は聞かれて。
 ――そんで? とバック・マリガン。おれはなんて言った? 忘れちまったな。
 ――こう言ったんだ、とスティーヴンはこたえた、《ああ、ディーダラスだよ、あのおふくろさんがいやな死に方をした》。
 頬にさっと浮かんだ赤みのおかげで、バック・マリガンはいっそう若く、魅力的に見えた。
 ――そんなことを言ってたかい? と聞き返す。そんで? なんかまずいかね?
 苛立ちめいたそぶりで彼は気まずさを振り払った。
 ――それによ、死ってのはどんなものかね、と問いかける、おふくろさんのにせよ、おまえのにせよ、おれ自身のにしても。おまえはおふくろさんのしか見てねえだろう。こっちは毎日、マーテルとかリッチモンドで見てんだぜ、患者がぽっくり逝って、それから解剖室でチョキチョキ臓物 [ゾウモツ] にされちまうのを。そりゃいやなことさ、そう言うしかない。けど、たいしたことじゃあねえんだ。死に際のおふくろに頼まれても、ひざまずいて祈ろうとはしない。なぜだ? 忌まわしきイエズス会士の血さ、ただそれが、逆向きに流しこまれちまってんだな。おれにしてみりゃ、なにもかもお笑い草、いやなことさ。おふくろさんの脳葉が駄目になってると。医者をサー・ピーター・ティーズルなんて呼ぶし、キルト布団からキンポウゲの刺繍をはぎ取っちまう。全部済むまであやしてやりゃあいいんだ。じぶんじゃ最期の願いを袖にしたくせして、おれが葬儀屋ラルエットのやつらみたいに黙ってめそめそしてないからって、すねるんだから。馬鹿馬鹿しい! たしかに、そう言ったんだろう。でも、おふくろさんの思い出に瑕をつける気なんてなかったんだ。

  • じぶんの訳はぜんたいに、バック・マリガンの口調がなんかちょっといかにもすぎる感じになってきてしまっているな、という感もある。キャラクター的というか。今回のさいごの一段落なんかだと、語尾に「さ」をつけた箇所がおおすぎるようにもおもう。しかしいちおう口に出して読んでみると、これがいちばんながれるかなあ、という感覚なのだ。戯曲の原理などとほざいて、じっさいにセリフとして口に出されたらどうかという観点で訳文もかんがえる、という姿勢をいちおう取っているけれど、ただこちらは戯曲などほとんど読んだことがないし、劇が舞台上で演じられるのを見たこともまずないし、だからどうしても「声」としての感覚、具体的な肉体と結合したばあいのそれみたいなのは想像のよすががとぼしい感じがあって、けっきょくは文としてどうかという感じ方になってしまっている気がする。小説だし、それでいいともおもうが。そういうところで戯曲作家とか脚本家、演出家というのは、小説家とはまたちょっとちがった言語の感覚を生きているんだろうなと漠然とおもう。そこをまなぶのも大事なことだろう。たぶん、文として読むとちょっとここがあれだけれど、演じるときのセリフとしてかんがえるとこれがベストだな、みたいなときも戯曲を書くにんげんには多々あるのだろうと想像する。
  • 今回ちょっと遊びごころを出したというか、意訳っぽくしたのは、「それから解剖室でチョキチョキ臓物 [ゾウモツ] にされちまう」がいちばんだろう。tripeというのは辞書的には「牛の胃」らしいのだけれど、ここは複数形になっているし、胃だけに限定するとつくりづらいし、まあ内臓全般、肉片になってしまう、ということだろうと。そこで「臓物」。「モツ」とカジュアルなことばをつかうとより粗野な感じが出て良い気もしたが、しかし「モツ」ではうまくつくれないので、そこでせめてカタカナのルビをわざわざ振ってちょっとそういう感じを入れこみたいかな、という目論見だ。「モツ」というこの二字を視覚化してしめしておきたいと。(洋語でない)カタカナのルビというのはそんなに見ないけれど、たまにある。
  • あとこまかいところの言い回しはもちろんぜんぶかんがえているし、とりたてたというのはあまりないのだけれど、そのなかではcrossを「袖にする」としたのがたぶんいちばん意訳寄り。ふつうに「逆らう」でもべつによかったのだけれど、口に出して読むとこっちになった。そのまえのher last wish in deathは、日本語は便利なものでlast in deathを「最期」の熟語に集約できる。もともとそのまえの、Humour her till it’s over.を「最期まであやしてやりゃあいいんだ」として、ここにつかっていたのだけれど、しかしそのつぎの文をみるとこっちにあてたほうがいいなとなり、そこでtill it’s overは「全部済むまで」と変えた経緯。あと訳すのがむずかしそうな箇所としては、それとおなじ文の後半、because I don’t whinge like some hired mute from Lalouette’s.だろう。ここはわりあいうまく処理できたかなとおもう。集英社文庫の訳は、「臨終の願いに逆らったくせして、おれがラルエットの雇人みたいに泣かないとふくれっ面をしやがる」となっていて、「雇人」なんてことば口にしねえだろうと。ラルエットが葬儀屋だという点を訳文に明示して、そこのやつら、そこの連中くらいな感じでよいだろうと。この部分を直訳(というのがどういうことなのかわからないのだが)すると、「ラルエットから来た雇われの黙ったひとみたいにおれが泣き言を言わないので」みたいなところになる。muteというのはかんぜんに無言とか喋れないというよりは、バック・マリガンみたいにぺらぺら余計なことを言うのではなくて、葬儀社の一スタッフとしてしめやかな悲しみをしめして遺族の悼みに同調している、くらいの感じじゃないかとおもうのだけれど、hiredというのは「回し者」みたいな感じなのかな? ともさいしょはかんがえた。しかしたんじゅんにスタッフ、葬儀をとりもつ人員のことだろうとおもったのだけれど、これはもしかして泣き女みたいなことを言っているのだろうか? スタッフだったらmuteが複数形になっていそうな気もするし。わからん。あとwhingeも辞書的には、「不平や愚痴や泣き言をしつこく言う」という感じで、あまり直接的に泣いている、なみだしているという感じではなさそうなので、そこもなんなのかとおもったのだけれど、これは「めそめそする」くらいのニュアンスじゃないのかなと。muteを動詞に転化してそれとつなぎ、こちらの訳は、「じぶんじゃ最期の願いを袖にしたくせして、おれが葬儀屋ラルエットのやつらみたいに黙ってめそめそしてないからって、すねるんだから」となった。めちゃくちゃこまかいところにふれておくと、「袖にしたくせして」か「袖にしたくせに」かも迷って、後者のほうがたぶんすわりがよいのだけれど(前者は「した」と「して」の音がかぶったり、「くせして」のSの音の連続がちょっとひっかかりを生んだりする)、ここはバック・マリガンが文句を言ってきたスティーヴンに反論しているセリフで、いらだちもあるようなので、「くせして」のくどさのほうが相応するかなと愚考した。「くせに」の「に」はリズムをそこで置きやすくて、いわば休符をはさめるのだけれど、「くせして」にすれば一音分、セリフがさきに出るというか、前のめりになるような感じがあって、くわえてSの音の連続による摩擦感もはらむことになる。と、口に出して読みながらつくっていたときにそこまで厳密にかんがえていたわけではないけれど、なんかここはこっちのほうがいいかなという感覚だったのだけれど、これはもしかしたらうえで書いたような、「文として読むとちょっとここがあれだけれど、演じるときのセリフとしてかんがえるとこれがベストだな」というような判定のしかたになっていたのかもしれない。
  • 起床は一〇時半ごろ。ふくらはぎや太ももを隅までよくほぐす習慣を再確立しつつあるので、覚醒時のからだの感じはよろしい。すこしまえにくらべると格段にあたたまっている。左腕の肘とか手首とか甲とかがピリピリしているようなこともあまりない。起床すると洗濯の用意。ワイドハイターの詰替え用を買ってきたは良いものの開封して補充していなかったので、開けて、直接洗濯機のなかにいくらか垂らすとともに、流しのなかでボトルにそそいでおいた。
  • トイレにはいって便器に腰掛け、用を足しているあいだ、なぜか"Promise In Love"のメロディが唐突にながれてこの曲をおもいだした。Jose Jamesのバージョン。それでひさしぶりに聞きたいとおもったが、まだ聞いていない。聞きたいというよりむしろうたいたいが。
  • 食事はいつもどおりだが、先日実家からもらってきたソーセージをくわえている。
  • 瞑想もした。ちょうど二〇分ほどだったか? わすれた。はじまりと終わりもおぼえていないが、一〇時五〇分くらいが開始だっただろう。食事の支度をしているあいだに洗濯が終わったので、さきにそちらを干したのだけれど、窓をあけたときにあたりの空気があまりにもしずかで、保育園はとうぜん無人だがそのほかにもうごきの気配がまったくなく、ただひかりが空間に停止しているようなありさまで、これが正月のしずけさか、などとおもった。しだいに飛行機の響きがつたわってきたり、またすぐに通りをあるくひとの声がしてきたり、車もとおったりはしていたが。
  • 二八日、年内さいごの勤務の日、しごとを終えて帰る段になって入り口にむかうこちらに向かって(……)さんが良いお年をとあいさつしてきたのだが、年末という感覚などぜんぜんおぼえないと口にしていたこちらは、ああ、良いお年をか、とおもい、良いお年をなんてもう言わないですけどね、明けましておめでとうはいちおう言うけど、などと妙なところで逆張りめいてへらへら笑い、あちらも笑ったのだったが、そもそも良いお年をってなんやねん、といまさらおもった。たぶん、良いお年をお迎えください、の略なのだ。ばあいによっては、今年のわずかな残り、良いお年をお過ごしください、という意味合いもふくむのかもしれないが。いずれにしても良いお年など知ったことじゃあない。良いお年だろうが悪いお年だろうが、来るものはすべてあまねく来やがれ。おれは暦ではなく天気に生きるぞ。
  • 洗濯物を入れたのは三時くらい。まだたたまず、吊るしたり、布団の足もとの段ボール箱のうえに置いたりしておいて、そのまま臥位になって書見をした。ブランショのつづき。きょうは349からはじめて、本篇は読み終え、補遺にはいっていま381まですすんでおり、だからあとすこしなのだが、補遺のうち「Ⅱ 想像上のもの [イマジネール] の二つの解釈」は言っていることがほぼわからん、という感覚だった。しかし体調が良くなっているのでだからといってひるまず、問答無用で読んでいくという体力を獲得している。いま「Ⅲ 眠り 夜」のとちゅうにいて、あとは「Ⅳ ヘルダーリンの旅程」でさいご。
  • きのうブランショを読んでいたときに感じたのは、かれは作品について、それはそれじしんの存在のみを証示するものであり、本源や原質なるものへとむかいつづけるゆえのない情熱であり、その本源とは作品や言語がそれをとらえようとするときになってはじめて、決してとらえることのできないかなたなる不在や欠如としてのみ現前しその存在をしめすものであって、作品は終わりなき彷徨のなかでくりかえしその周辺をめぐりゆき、その不在としての存在をあきらかならしめざるを得ない、みたいなことを言っているわけだけれど(理解や文言の正確性はやはり期待しないでほしいが)、これはたぶんハイデガー存在忘却についてのはなしにもとづいているのだろう。というかじっさい著作中でもそういうはなしがちょっとされていたのだけれど、ハイデガーは、西洋哲学が古代からいままでずっと目を向け論じてきたのはあくまで「存在者」であって、諸「存在者」を存在させ成り立たせる根拠としての「存在」を哲学は忘却してきた、という批判をとなえて、そこをあらためてかんがえなおそうとしたにんげんだったはずである。ブランショもそれを踏まえて、存在をわすれることでにんげんは自己の(自律的?)主体性を成立させることができ、また世界を変革させる真理や否定のちからを得て、昼の世界のプロジェクトをすすめていくことができる、みたいなことを言っていたが、「神」にせよ「存在」にせよ「イデア」にせよ、こういういわゆる否定神学的発想もしくは構造、つまり手の届かないかなたになにか本源的なもの、本質的な領域があり、基本的ににんげんがそれにふれたり参与したりすることはできないのだけれど、なにかの契機にそれが一瞬あらわになったり、あるいは手の届かない不在というかたちでその存在があらわれる、というようなはなしはほんとうに西洋の思想をつうじてずーっと変奏されているものなのだとおもう。それは良いとして、ブランショを読んでいて感じたことというのは、この書物の文章や語りじたいがこの書物に語られていることをそのままやっているかのようだな、ということで、おなじはなしやおなじような文のくりかえしも多いし、もちろんたしょうの展開や進行はあるにしても、だいたいのところこの否定神学的モチーフのまわりをめぐって、ひとつの源泉から来たるものをいくつかの角度からいろいろな言い方で述べつづけているような印象で、しかも文章がかなり晦渋であり、訳文も「~~するところの」などの修飾をもちいまくってながながしく読み取りづらいものになっており(一種独特な悪文とすら言っても良いかもしれない)、その特殊な質感が、そういう暗黒的彷徨みたいな雰囲気をいや増しているように感じられる。文章として読みやすいとはとても言えないし、内容もおおまかなところをはなれた細部はぜんぜんわからんのだが、へんなはなしある種のグルーヴ感みたいなものはあるのかもしれず、音楽でイメージすると、進行はほぼワンコードで(もしくはモード的なやりかたなのかもしれないが)、通奏低音としてドローン的な暗い空間音響が敷かれたうえに、ほぼ同型のモチーフがくりかえされたりちょっと発展したりたまに変化したりしながらひたすらつづく、みたいな。ありがちなイメージだけれどシャーマン的なというか、なにか超越的源泉から来たることばを執拗にくりかえし語りつづける秘儀的雰囲気のようなものがある気がする。
  • あとブランショがかんがえる文学とか芸術とか作品というのは、したがって、本質的にはそれじしんとしか、もしくは本源としかかかわらないもので、だからきわめて超越的なものとしてあるはずで、そこをいわゆる芸術至上主義として理解する向きも生じうるかもしれない。ただ漠然とした印象としては、かれはたしかにそういう芸術の独立性というか自閉性を言っているとはおもうのだけれど、だからといって芸術至上主義だという感触はなぜかあまりない。そもそもつうじょうの芸術至上主義は、芸術の独立的自己目的を言いながらも、それじたいが政治的・社会的な領野での一立場であらざるを得ないわけで、ぜんぜん政治性を排除できていないじゃんとおもうのだけれど、ブランショをもし芸術至上主義だとするなら、そこをも越えて徹底したかたちでのそれだと言うべきかもしれない。とはいえかれは、芸術はそのようであるべきだというようなべき論はまったく取らず、たんに本来的にはこういうものだということをひたすら語りつづけるのみで、その文章はときに断言的であったり、ときに提起的疑問をもちいたりしながら、ひじょうに堂々とした堂々めぐりというような探究のおもむきがつよく、だから押しつけがましさはとくに感じない。またかれは芸術の超越性ばかりに目を向けるのではなくて、昼の領域、つうじょうの社会領域(それはまた行為や労働の領分であり、真理の領分でもある)のなかでの芸術というポイントにもふれており、本来的には芸術は超越的なものであるとしても、じっさいにはつねに昼の世界のなかでそれに適合するべく明確に意味化されたり、利用されたり、馴致されたりせざるを得ない(それが端的に言って「流通」である)という認識があるようにおもわれ、もちろん本来的領域により高い価値を置いているのはまちがいないだろうけれど、だからといって昼の世界をことさら否定的にあつかっているとも感じない。そういうことにどうしてもなってしまうよね、という、メカニズムのはなしをしているような。だからこそ詩人は追放された存在であらざるを得ない、定着のばしょを得ず、終わりなき彷徨をつづける存在であらざるを得ない、ということにもなるのだが。
  • きのうの昼間だったかgmailにアクセスし、ここのところ見ていなかったもうひとつのアカウントのほうも見ると、「(……)」さんからあらたなメールが来ていて、まえのメッセージにたいする正式な返信を書くと言っていながらだらだらやっていて書いていなかったので、そろそろいい加減、書きたい。
  • 五時ごろまで寝床にとどまって起き上がると、二度目の食事。ソーセージをおかずにさいごにひとつのこっていたパック米を食う。サラダは切らず。ほか、シジミの味噌汁や、バナナや、あときのう(……)がくれた余りの菓子、すなわちポッキーとか、チップスターとかも食ってしまう。食後は皿をさっさとかたづけ、手や腕をさすりながら「ことば」ノートをいくらか音読し、そうして書き抜き。ブランショ。diskunionの新着情報ページをみるとEnrico PieranunziがオーケストラとJohn Lewisの曲をやったアルバムが出たらしかったので、それを聞いてみようとAmazon Musicを検索したものの出てこず、めちゃくちゃひさびさだが『Live In Paris』にした。このアルバムはむかし、名盤というかすごい演奏だとおもってそこそこながしていた。ドラムのAndre Ceccarelliがすげえなとおもって興味を持っていた時期があり、そのながれで入手したんだったか、それかこのライブ盤とかを聞いてすげえなという認識を確立させたのだったか。二箇所抜いただけで日記の記述にうつり、ここまで記すと八時一四分。
  • いちにちが過ぎたらともかく問答無用で記事を投稿してしまうというあらたな方針を数日前からさだめてそれにしたがってやってきたわけだが、はやくも翻意の芽が生えてきていて、けっきょくべつにそういうやりかたにしても、じゅうぶんに書けないことは変わりないし、一年後の読みかえしをかんがえても、あるいちにちのことがらが複数の記事にまたがって断片的に拡散しているというのは、それはそれで妙なはなしだし読みづらいだろうというあたまも生まれてきたし、どうしようかなあというところ。やはりまたふつうに、その日のことはその日の日付の記事に書くかたちにするか。じっさい、書くばしょが変わるだけだしな。いままでだって、いまもう何日の何時、という文言とともに過去の日付の記事に書いていたから、やっていることは実質変わらん。投稿がはやくなるかおそくなるかだけのちがいでしかない。そういう迷いがあって、きのうの記事はまだ投稿していない。またやりかたをもどして、二六日二八日あたりはもうあきらめるにしても、ひとまずきのうの記事から書いてみることにしようかな。あとは二九日、三〇日のことをなるべく書きたいのと、「(……)」さんへの返信をつくりたい。きょうじゅうにぜんぶは無理なので、この連休中のあいだに。
  • 箇条書き方式じたいは良いとおもわれる。正確な時系列に沿って記憶をおもいおこそうとするとやはりたいへんなので。箇条書きだとおもいだした順番に書くことのできる楽さがある。あと、一項目がすくなくても気にならず、なにかゆるされる感じがある。
  • うえまで書いたところでまた布団のうえに逃げてブランショを読み、さいごまで。難解でなかなか骨の折れる、たいへんな本だったが、ここ数日、さいごの一〇〇ページくらいはガンガン挑むことができてよかった。このような調子といきおいでいくらでも書物と文を読んでいきたい。床を立ったのは九時半過ぎくらい。煮込みうどんをこしらえることにして、まず水切りケースのなかからプラスチックゴミを取り出し、スリッパを履いた足でつぶす。すこしまえまでは鋏で切っていたのだけれど、切ると断面がするどくなって袋に穴をあけることがあり、ゴミ収集のひともことによると手を傷つけるかもしれないので、やっぱり潰すほうがいいのかなとさいきんはそうすることが多い。切ったほうが嵩は減るのでそうしたいときもあるが。まな板と包丁を洗濯機のうえに用意し、鍋に水を汲んで火にかけると(ダウンジャケットは脱いでジャージすがたになっていた)、大根の小片から切りだした。ほか、具はすくないというかキノコがなくて、ニンジン、白菜、タマネギのみ。キノコがあったほうがやっぱりうまいのだけれど。白菜をこれでもかというくらいに入れた。麺つゆをそそぎ、味の素も振って、それで弱火で煮る。まな板包丁はさっさと洗ってケースへ。そのケースを洗濯機のうえから下ろすと、そこには椀とお玉と鍋の蓋を置いておく。しばらく手を振ってからここまで加筆。一〇時一二分。
  • その後、鍋を煮込んでいるあいだにちょっと休もうとおもって寝転がったら、いつの間にかねむっていた。気づくと零時。火をつけっぱなしだったので見に行き、水嵩がだいぶ減っているのを補充して、この時点ではまだやはり活動をつづけるつもりだったので寝床にもどって脚を揉んだりしていたのだが、またしても意識を落としてしまい、午前三時へ。こうなってはさすがにねむらないわけに行かない。鍋はまたしても湯の量が格段に減り、最弱の火だったとはいえ長時間煮込んでしまったので、野菜はかなりくたくたになっていた。火や換気扇を消しておき、さすがにねむらないわけには行かないが、とはいえいくらかねむったのだからすこしは起きていてもだいじょうぶだろうというわけで、布団のうえで三島由紀夫金閣寺』を読みすすめた。さきほど一一時ごろからすでに読み出していたはず。ブランショのつぎになにを読もうかなあと収納スペースしたに積んである本たちをながめたのだけれど、実家から本を満載してもってきた紙袋のうえにまたあらたな本が積まれていたり、そのほかビニール袋や紙袋が乱雑に散らかっていたりして、手前やうえのほうにある本しかみられず、袋のなかを見分するには手間がかかる。なにを読もうかなあとまよいつつ、理論的な本を読んだからいちおうやはり小説とか実作かなあとゆるくかたむき、中上健次とかリルケとかホメロスとかローレンス・スターンとかあるのだけれど決めきれず、読んでりゃなんだっていいのだ、どんどん読むのだときもちが拙速になって、いぜん読みさしになっていた『金閣寺』がえらびとられた。これは三〇日に実家から帰ってきたさいに、ロンブ・カトー『わたしの外国語学習法』、西谷修戦争論』、ジャン=リュック・ナンシー無為の共同体』とともに持ってこられたものである。94からはじまって、この夜は131まで。三島はなんだかんだ言って気の利いた表現はおおいので、たびたびここは書きぬこうかなというポイントには出くわす。けっこうおもしろい。語り手の金閣や鶴川や柏木との関係において、思想的なというか象徴的なというか、そういう構図や構造はあきらかにつくられ仕込まれているのだろうけれど、それを精査に読み解くのもめんどうくさいし、じぶんはそういうのはべつによろしいというきもちになってきた。見えれば見えるでよいし、見えなければ見えないでよい。ただ読むのだ。それで四時半くらいまで読んで就寝。


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  • 「読みかえし2」: 665 - 679
  • 「ことば」: 40, 31, 9, 22 - 24
  • 日記読み: 2022/1/1, Sat. / 2014/5/31, Sat.