2023/1/3, Tue.

 安心している暇はない。メアリはとっくに気づいていた――なにかおかしなことが起きている。悲鳴をあげるよりずっとよくないこと、口にするのも恐ろしいことが。なんなのかははっきりしない。わかるのは、それが何年も前、まだひとりで着替えができないくらい小さなころに起きた恐ろしい騒ぎを思い出させるということだけ。あれは一生でいちばん恐ろしい出来事だった。うっかりそれを思い出してしまって、メアリは枕に顔を押しつけた。その記憶を枕の下に隠そうとした。けれど、記憶は這い出てきた。真夜中の部屋で目覚める恐怖を、そう簡単に忘れられるわけがない。よく知っているものがみんな真夜中の顔に変わるのだ。あの恐怖が今あらためてよみがえる。ベッドから引っぱり出されたこと、洗いたての寝具の氷のように冷たくごわつく感触、叱りつける怒った声、永遠に止まらないように思えた自分の涙。いちばん怖かったのは、この部屋に立っていたおばあさまの姿だ。孔雀の尾羽が刺繍してあるドレッシングガウンをはおった、背の高い異様な姿。あなたはもう赤ん坊ではない、不潔なのは恥ずべきこととわきまえるべきだ、と告げる声。「おお、いやだこと!」 おばあさまがそういうと、孔雀の尾羽の目という目がぎらぎらとまばたいた。夜に囚われた神秘の家を歩いてくるおばあさまのことを、おばあさまにいわれたすべてのことを、永遠に消えない恥ずかしさのこ(end22)とを思うと、メアリは今でも泣きそうになる。
 (アンナ・カヴァン安野玲訳『草地は緑に輝いて』(文遊社、二〇二〇年)、22~23; 「受胎告知」)



  • 覚醒八時一五分、起床は一〇時二〇分ごろ。寝床で読んだ「読みかえし2」ノートから。

「【全文文字起こし①】ロシア軍事戦略の専門家・小泉悠氏がウクライナ侵攻を解説」(2022/3/15)(https://blogos.com/article/580591/(https://blogos.com/article/580591/))

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そういう観点でいうと、よくいわれるのは昨年7月12日に発表されたプーチン大統領の論文ですね。プーチン大統領はときどき論文を書くんですよね。もちろんこれは学術的なものではないんですけども、例えば1999年大統領代行になったときですね。つまりこれから大統領になるというときに書いた「千年紀のはざまにあるロシア」という論文であるとか、2012年、つまり首相から大統領に復帰してくるときですね。そのときに選挙キャンペーン中に書いた7本の論文があって、これはいわゆるプログラム論文と呼ばれている、つまりこれから先2012年から先の私の任期でこんなことをやりますということを分野別に色々書いたんですね、プーチンさん。国防とか経済とか、社会と旧ソ連政策とか色々あったわけですけども。

そういった形でこれまでプーチンさんは自分の考えっていうのを文章にして体系的に述べることを好むリーダーだったと思います。今回も書いてきたんですけど、ちょっと異例だなと思ったんですね。いま申し上げてきたようにプーチンさんが長い論文を書くときというのは、キャリアの節目なんですね。これから自分の任期を始めるにあたって、こういう方針でやるということを示す。

政策綱領的にものを書くということが多かったと思うんですけど、今回は去年、つまり2021年7月ですから、大統領選まではまだ先ですよね。大統領選は24年3月ですから、そういう選挙キャンペーンの時期というわけでもない。そういうときにこれから先何をする、というよりは、去年の7月のプーチン論文というのはずっと過去を振り返っているわけですね。過去を振り返って、あれ多分本当にプーチン大統領は自分で一生懸命歴史の本を読んだんだと思うんですよね。大統領府のペスコフ報道官も大統領はこのコロナ禍の間に相当歴史の本を読んだのだということを言っていますから、多分プーチン大統領は自分で勉強して、それの成果としてああいうものを書いたんでしょうが。

言っていることは歴史的に見てつまりロシア人とウクライナ人というのは分けられないのであると。不可分の同じ民族なんだということをその中で主張しているわけですね。私は歴史学者ではないのでここでプーチンさんがいっていることがどのくらい正当なのかどうかっていうことは何とも判断しがたいんですけれども、そういうことを言った上で何を主張しているかっていうところは論じられると思います。つまり今存在するウクライナというのはボリシェビキのときに作った行政区分にすぎないと。それがソ連崩壊によって独立して国家になってしまったんだとプーチンは主張するわけですね。私なりの言葉にすると、ウクライナっていうのはあれは手違いで独立国になっているんだっていうニュアンスが非常に強いわけです。

さらに現在のウクライナ政権に関してプーチンは何て言っているかというと、本来我々はこんなにも近しい同一の民族である、ソ連崩壊後も協力は続けてきたのに、現在のウクライナの政権というのは完全に西側の手先になり下がっているではないかと、強い憤りを示すわけですね。例えば政治的に見てもアメリカ、EUに完全に従属させられてしまっているであるとか、ゼレンスキー政権は非常に腐敗していて、ウクライナの富をみんな西側に流しているんだとかですね。それから軍事的にいうとNATOにこそ加盟していないかもしれないが、アメリカの軍事顧問団が入ってきているし、いずれロシアを脅かすようなミサイルが配備されるかもしれないではないかと。プーチンは細かいミサイルの名前も挙げながら論じているんですよ。「SM6を配備すれば」とかですね。以前からプーチンさんは軍事とか核抑止の問題には関心があるんだろうなと思っていましたけど、この論文なんかを読んでも彼なりに関心を持っているんだろうということが再確認されたような気がします。


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それにプーチンさんは以前、ドイツは主権国家ではないと言ったことがありますよね。2017年だと思いますけど、つまりそのときにプーチンが述べたことというのを要約すると、どこか同盟に入っている、大国に頼っている国というのは、フルで主権を持っていないのだと。自分で自前で安全保障を全うできる国だけが本当の主権国家なのであって、それは一例としてそのときプーチンが挙げたのはインドと中国なんですよね。要するに非同盟の核保有国だけが本当の主権国家であるということをプーチンは言ったことがあります。だからそういうプーチン的な世界観とか、主権観とかからすると、西側に頼ろうとする、つまり欧州大西洋世界との統合を志向するウクライナというのは自ら主権を放棄した、あるいは西側によって主権を奪われた国であるということになるのかもしれません。ロシアのロジックでいうとですね。

だけどそこでウクライナが主権を取り戻すためにはロシアとのパートナーシップを通じてしかないのだというのはどう解釈するかっていうのはなかなか難しいと思うんですよね。つまりここまで申し上げたようなロシア的主権観からするならば、ロシアとのパートナーシップ、つまりロシアとウクライナを1:1で比べたら圧倒的にロシアの方が強いわけですよね。それはつまりロシアによって今度は主権が制限されるっていう話になるんじゃないかと思うんですけど、プーチン論文の中ではそれこそウクライナが本当に主権を取り戻す道なのだというふうに言われているわけです。

だからこれはそもそもロシアとウクライナは一体なんだということを受け入れろと。そうすればロシアの一部として強い主権を発揮することができるという話なのだろうというふうに私は解釈しています。(……)

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いずれにしても予測より相当遅い。多分これは我々外部の人間の予測より遅いだけでなくて、クレムリンの予測より遅いのではないかと思っています。ひとつはどうもこの進撃が遅れた理由と、表裏一体なんですけども、多分ですが、クレムリンはロシア軍が攻めていけばウクライナ軍はそんなに強く抵抗しないのではないかという前提で物事を組み立てたんじゃないかとしか思えないんですよね。

開戦初日にもう地上部隊が国境を越えてウクライナに侵攻しているんです。それだけではなくて、空挺部隊がヘリコプターに乗って、大規模なヘリボーン攻撃を行っているんですね。キエフ周辺に。これも成功すればいいわけですけど、まだウクライナが制空権を取っている段階でこんなもの突っ込ませていくわけですから、当然大損害が出る。こういうことを分からないロシア軍ではないはずなんですよね。

私はロシアの軍事が専門で、特に軍事思想とかその辺を見ているんですけど、1991年の湾岸戦争とか、99年のユーゴスラビア空爆、それから2003年のイラク戦争。ああいうのをロシアの将軍たちは非常にショックを持って見たんですね。つまり、NATOのハイテク戦争すごいと。これをやられたら我々は負けるかもしれないし、できたら我々も同じことやれるようにしておかなきゃいけないねということは90年代からずっと言われ続けていて、実際に2000年代以降になるとだいぶロシア軍も建て直してきますから、ロシア軍自身も巡航ミサイルみたいなものを大量に取得して、同じような長距離精密攻撃ができるような能力を構築してきたわけです。

ロシアの将軍たちが書いているものを見ると、初めは激しい航空戦から始めて、我が方がそんなに損害を出さないようにしながら大量の巡航ミサイルを撃ち込んで敵の防空システムとか、指揮通信結節とか、飛行場とか、そういうものを叩くと。敵が組織的な抵抗をできない状態にしてから地上軍が進撃していく。その際には地上軍自身もハイテクを駆使してうんぬんかんぬんということを、ずっと論じ続けてきたし、毎年秋にロシア軍は軍管区レベルの大演習を行うんですけども、こういうところを見ても相当そういう方向性でロシア軍は考えてきたんだと思うんですね。


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ところが今回まったくそういうこれまでの思想であるとか、演習の成果が活かされているように見えない。初日大規模な空爆を行ったのはセオリー通りなんですけども、それを本当だったら数日続けて、別に焦ることはないので、数日続けてウクライナが十分に叩けてから地上部隊を侵攻させればよかったはずなんですよね。ところが初日からいきなり地上部隊を侵攻させちゃう。まだまだウクライナ軍はピンピンしている状態なんですよね。これがまずあんまりよく分からない。

それから空軍の活動も当初非常に低調だったんですよね。巡航ミサイルとか短距離弾道ミサイルを撃つだけではなくて普通に考えれば、巡航ミサイル第一波でレーダーサイトを潰したら次に戦闘爆撃機がなだれ込んできて、さらに幅広く軍事施設を叩く、軍事用語でいうと戦果の拡張をおこなうわけですよね。戦闘機を送り込んでウクライナ上空の制空権をとるということを当然するだろうと思ったんですけど、していないんですよね。

これは我々もウクライナ周辺のロシア軍の重要飛行場をいくつかピックアップして、やはり衛星で継続的に見ていたんですけど、飛行機自体はいるんですよね。普段輸送機しかいないところに戦闘爆撃機がびっしりいるとか、全然使っていない予備飛行場に飛行機がびっしり集まってくるとかっていうことを確認したので、これはやっぱり開戦劈頭の航空戦は相当大規模なものになるだろうと思っていたら、ならないんですね。こういうことを全部総合すると、さっきの話に戻るんですけど、そんなに頑張って叩かなくていいだろうと思っていたとしか思えないんですよね。思想もあるし、能力もあるのにやっていないわけですから。それはなんでそんな考えになっちゃったのっていうと、これはやっぱり歴史的な検証を待つしかないのかもしれませんけれども、やっぱり現状でパッと思いつくことは何ですかと言われたら、それはプーチンの7月論文で述べたような思想が背景にあったんじゃないかという気はします。

つまりロシアとウクライナは兄弟民族である、今のゼレンスキー政権は悪い政権であると。だからロシアが入っていけばそんなに抵抗せずにロシアを受けいれるだろうというような考えをロシアがしていないと、やっぱりこういう軍事作戦にならないんじゃないかと思うんですよね。

私もそうですし、日本の自衛隊の人なんかもそうですけど、ロシアの軍事力というものに対しては非常に、変な言い方になりますけど、リスペクトを持っていたわけですよね。これまでもロシアは軍事大国でありますし、西側とはまた違ったやり方で軍事力を使ったプレゼンスを発揮してきた国であると。それがこうもグダグダな軍事作戦をやって2週間ウクライナ相手に苦戦しているというのは非常に意外であります。


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もう1個ご指摘しなければいけないのは、ウクライナが決して弱い国ではないということですね。何となくロシアにいじめられているかわいそうな小国というようなイメージを持たれがちですけども、そもそもウクライナというのは人口でいうと旧ソ連の中では第2位。4200万人くらいですよね。それから面積の部分で見ても、旧ソ連の中ではロシア、カザフスタンに次いで第3位。しかもこれは欧州という括りで見ると最大の国なんですよね。日本の1.6倍くらいあると。しかも日本は山国ですから、7割でしたっけね、山地ですけども、ウクライナの場合ひたすら真っ平らなんですよね。上を飛行機で飛んでみると分かるんですけども、どこまでいってもずっと平らな国なんですよね。国土を全部利用できて、そこを農業に使ったり、あるいは工業地帯に使ったりということができると。

ですから旧ソ連の中では非常に豊かな穀倉地帯でもあったし、重工業地帯でもあったという国ですね。なので早い話がそれなりの軍需産業をもっていて、軍隊も大きいです。ウクライナ軍が今年のミリタリーバランスを見ると、ウクライナ軍の総兵力が19万6000人くらい。うち地上兵力が一切合切して15万人くらいなんですよね。ということは実はウクライナ軍の正規の地上兵力というのは、ロシアが今回ウクライナ周辺に集めてきた地上兵力と大体同じくらいなんですよね。

それからウクライナ旧ソ連の他の国もそうですけど、色んな準軍事組織を持っていて、特に重武装のものが国家新鋭軍。昔内務省国内軍といったやつですけども、これが6万人くらいいると。その他ひっくるめて1万人くらい。さらに今回ゼレンスキー大統領が総動員令を発令しましたので、数ははっきりしませんけど、民間人をかなり動員しているということなので、数だけで見ると多分ロシアの侵攻軍よりもウクライナ軍の数は膨れ上がっている可能性、もっとずっと大きい可能性がある。

しかも地の利があるわけですよね。地形をよく知っているだとか、ロシア軍の兵站戦が比較的長くならざるを得ないのに対して、ウクライナ側は内戦作戦であるので、内側からロジスティクスがやれるであるとか。色んな面に優位があって、それをウクライナ側は逃さずにきちんと活用しているなという印象を持っています。これに対してロシア側はいわゆる外線作戦ですので、ウクライナの全周に軍隊を配備して、普通だったらそのうちのどこから攻めていくか分からないようにしたうえで、つまりウクライナ側に戦力の分散を強いたうえで、どこかに主攻撃軸を定めてそこから一点突破していくというのがセオリーだと思うんですけど、今回は何か作った周りに作った部隊グループを本当に最後まで分散させたままで攻撃軸が5つくらいあるんですよね。周りからブスブス、ブスブス攻めていると。これはせっかくのロシア側の外線作戦の利点を全部殺しているんだと思うんですよね。

私なんかは最初はこういうふうに周りにたくさん攻めてきそうな場所があるので、これのうちのどれかが本物なんだろうと。残りは偽装の攻撃軸であって、でもそれを無視するわけにもいかないから、ウクライナの戦力を分散せざるを得なくなると。これ、91年の湾岸戦争などはそうなんですよね。ペルシャ湾岸に強襲揚陸艦を待機させておいて、強襲上陸をやるんじゃないかということでイラク軍の相当大規模な兵力を南側に張り付けざるをえないというところでサウジ側からぶん殴りにいくと。

これをロシア軍はやるんじゃないかなと、これをやられたらウクライナ軍はひとたまりもないんじゃないかと思ったら、各方面から非常に中途半端な侵攻をグズグズ、グズグズ続けるだけであったと。やっぱり不可解なんですよね。そういうことが分からないロシア軍ではないだろうと。結局同じ話に戻っちゃうんですけど、やっぱりこの政治の側が変な見通しを持っていて、それでこの軍事作戦がかなり制約を受けたんじゃないかという感覚をもっています。


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1つが、今回ロシア軍がベラルーシから侵攻していっているっていうことですよね。これも旧ソ連の国々を見て来られた方からすると、ちょっと「おっ」っていう感じだと思います。

つまりこれまでベラルーシというのは非常に上手にコウモリ外交をやってきて、ロシア側に完全に吸収されることもなく、かといってEUの方に近づいて行ってルカシェンコの独裁体制が倒れるというわけでもないというふうに上手にバランスをとってきたわけですよね。それが良いか悪いかは別としてです。

なのでベラルーシって実はロシアの軍事同盟国でありながら、同時に憲法には、憲法18条でしたっけね、中立をめざすという、あんまりよく分からないんですけど、少なくとも最終的に中立になりたいということは憲法の中で明記していたわけです。それから同じ18条の中では核兵器を持ち込ませないということも書かれていたので、ベラルーシとしてはこの辺の条項を盾に、ロシアの同盟国なんだけども、ロシア軍を配備させないっていう方針をとってきたんですよね。

正確にいうとソ連自体からある弾道ミサイル警戒レーダーと、あと潜水艦に指令を出すVLFの通信タワーだけは置いてあったんですけど、これだけなんですよね。これ以外に関してはロシア軍の戦闘機部隊だとか、戦車部隊だとかそういうものは一切お断りという姿勢をとってきて、10年位前からロシアとしては、あそこに戦闘機の基地を作らせてくれとか色んなことを言ってきたんですけど、ルカシェンコは全部突っぱねてきたんですね。当然ウクライナとの戦争なんか一切協力しませんと。むしろ仲介者として振る舞いますよということで、2014年の第一次ミンスク合意、それから2015年の第二次ミンスク合意。これは両方ともまさにミンスクというくらいですから、ベラルーシの首都ミンスクで調印されているわけですよね。

というようにこれまでは中間的な立場であって、しかもこのロシアとウクライナが戦争している真っ最中のベラルーシ軍需産業ウクライナと協力し続けているんですよね。なんていう状態だったのに、今回は完全にロシア側に出撃基地を提供している状態ですよね。

それから実は今回、ベラルーシ軍が参戦するんじゃないかという話もあって。ただこれがなかなか国内の抵抗で参戦が決まらないんじゃないかなんていう観測も出ていますけど、いずれにしてもそういうところまでいってしまったわけで、もう完全にベラルーシが軍事的にロシアに逆らえなくなっているという感じを私は強く持っています。その内幕がどんなものなのかって、これも分からないですけども、2020年8月の反ルカシェンコ運動が大きく影響していたということはほぼ間違いないと思うんですよね。

あのとき本当にルカシェンコ政権が倒れる直前までいったわけですけども、ロシアが「これ以上やったら治安部隊を送り込むぞ」という素振りを見せたので、反体制派はここで引かざるを得なくなって失速していった。しかもその後、その前からもそうですけども、ルカシェンコ政権が凄まじい民主派の弾圧をやったので、西側諸国との関係も完全に切れてしまって、これまでのようにロシアと西側の間でコウモリ外交することもできなくなってしまった。要するにもうロシアに頼るほかなくなったわけですよね、ベラルーシは。

なので今回はあれほど嫌だったロシアの軍事的な作戦に巻き込まれているという状態であるわけです。だからロシアがウクライナを属国化するかどうかということに注目が集まっていますけど、その前の段階でロシアがかなりベラルーシに対する影響力を持ってしまったということがまずあって、さらにその上でウクライナも。で、ロシア、ベラルーシウクライナ、どういう形をとるか分かりませんけども、ロシアが主導して、東欧のスラヴ3カ国をまとめあげるということをロシアは考えたのではないかという気がするんですよね。それを何かやはり国内向けの政治的な成果にしたかったんじゃないのかなというふうに、全く根拠はないですけど、私は考えているんですけど。



「【全文文字起こし②】ロシア軍事戦略の専門家・小泉悠氏がウクライナ侵攻を解説」(2022/3/16)(https://blogos.com/article/580596/(https://blogos.com/article/580596/))

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アメリカの位置付けについては、要するにプーチンもロシアの戦略家たちもみんな思っているのは、アメリカ中心の秩序は面白くないってことですよね。冷戦後の世界というのはアメリカの単独覇権。ロシア側の言い方をすれば一極支配であったと。これを多極世界に変えていかなければいけないということをロシアはずっと言ってきたわけなので、まずそれがベースにあるんだと思うんですよ。

ただ2010年代前半までのロシアは経済大国として台頭していこうと。要するにアメリカ中心秩序をより平和的な手段によって変えていこうという意思自体はあったと思うんですよね。特に2000年代は原油バブルでものすごく国力がバンバン伸びていったし、特にそんなに地政学的な対立の火種がバチバチしていたわけでもないので。まだそういう見通しがあったというのがやっぱり2010年代に入ってから、プーチンが急速にアメリカに対して幻滅を強めていったような感じが私はするんですよね。

特にきっかけになったのは2012年の時のマグニツキー法ですね。ロシアの人権侵害を罰する法律。ああいうものに対してもうアメリカとはやっていけないっていう感情を10年ぐらい前にプーチンは持ったんじゃないかなというふうに私は思ってます。だから、プーチンも彼の書いたものとか言ったことを見てると、20年前のプーチンはもっとアメリカとか西側に期待してるんですよね。でもそれに対して苛立ちがどんどん、どんどん強まっていって、それが破談点に達したというのがまあ今回の戦争というふうに言えるのかなと思います。

だからこの先ロシアがおっしゃるように軍事侵攻はできないとしても西側の国にちょっかいかけ続けることは間違いないと思います。つまり、最終目標がアメリカ中心秩序を解体する。ガラガラ崩すのは無理かもしれないけど、溶解させてあのベトベトにしてダラダラに溶解させてしまうということが彼らの目標なのであるとすると、これから先もいろんなことはやってくるのは間違いないと思っています。それは軍事力を使う場合もあるし、サイバー攻撃かもしれないし情報の力かもしれないと思います。

  • 覚醒してから身を起こしてデスクの端の携帯で時刻を見るとともにカーテンをあけるまでの間がみじかくなってきている。もっともそこからだらだらととどまってしまうのだが。しかしその間、おおかた日記や読みかえしノートや本を読んでいるわけで、いちにちのはじめから文を読めるというのはよいだろう。起きてまもなく本を読める生活。これはよろしい。特権的だが。
  • 三島由紀夫金閣寺』は247からはじめて、午後三時まえにさいご(本篇は330、解説を入れて368、そのあいだにはさまっている註は本篇を読むあいだにぜんぶ読んでおり、さいごの年譜ははぶいた)まで読了。印象にのこった点などはあとで書ければ。
  • きょうも天気はしずけさのわたる快晴。洗濯をした。タオルをいくらかと、着ていたダウンジャケットにジャージとすくないが。寝床をはなれて洗濯をはじめてからはしばらく手や腕を振ったり、ストレッチ的に体操をしてすじを伸ばしたりして、瞑想をはじめたころにはもう一一時がちかくなっていた。どれくらいやったか終わりの時間をみなかったようでおぼえていない。まあまあ。
  • 食い物がだんだんなくなってきており、キャベツに白菜に豆腐にベーコンのサラダと、冷凍のソーセージだが、ドレッシングももう尽きて、かけられる量がすくなかったので野菜の味を堪能するしかない。白菜なんか生でそのまま食っても甘みがあってけっこううまいですけどね。実家からもらってきたソーセージは二種類あり、大皿の端から端までわたれるくらいながいやつはつうじょうのもので、それはもうぜんぶ食べてしまったのだが、もっとみじかい、コンパクトなやつはチーズ入りのタイプらしい。それを三本、木製皿に置いて電子レンジであたためたのだが、デスク上、パソコンひだりの食い物を置くスペースがそうひろくなく、おおきな皿をふたつ同時に余裕をもって置けないので、サラダをさきに食い終わってしまってから取りに行こうと時間を置いたところが、それでレンジをあけてみるとソーセージから漏れ出た脂やチーズらしきものが白濁した影のようにして皿にくっついており、そのため食後は木製皿を洗剤と水で漬けることになった。それはさきほど(いま三時四七分だが)洗ってかたづけ。
  • 食後ちょっとしてから湯浴み。出るところがって『金閣寺』をさいごまで。むかいの保育園が無人なので大手を振ってカーテンをあけておける。足もとのむこう、北側の白璧上に、はやくもほのかに暖色をふくみはじめているあかるみの矩形がななめにやどってひらく。洗濯物は二時台後半に入れた。
  • きのうの記事を書き足して投稿しようとしたところで、通話時のことを書いていないなとおもいだしたのでとどまった。まあ無理に書かなくてもよいのだけれど、きのうはカントーロヴィチのこととか(……)さんにおしえてもらっておもしろかったので、そのあたりのことは書いておきたい気がする。とはいえすぐにやる気にはならなかったので、いったんこちらのきょうの記事にうつってここまでで四時まえ。食い物がないので買い物に行きたいのだが、それは二食目と二粒目のヤクを摂取したあとだ。やはりなんとなく、ロラゼパムを二回飲んでからでないとそとに出る気にならない。
  • 文を書いていても左を中心に肩や首や腕の上部あたりがおもく、呪縛力のつよい霊に取り憑かれているかのようなうっとうしさがあり、同時にいくらかピリピリしたりうずいたりもして、とりわけきのうたくさん文を書いてしまったからそうなっているのだろう。気遣いのなく自由に文を書ける身体はまだまだとおい。
  • うえまで書いて四時。ふたたび布団へ横たわる。そのまえにあたらしく読みはじめる本をなににしようかなとれいによって見分し、ほんとうにどれでもいいというかどれも読みたいなという感じなのだけれど、小説を読んだから実作でないやつに目が向いて、そのなかでも思想とか文芸関連ばかり読んでいるからたまにはそうではないものも読むかとながれをとらえ、大沼保昭著/聞き手・江川紹子『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(中公新書、二〇一五年)をえらんだ。おなじ中公新書の『白人ナショナリズム』でもよかったし、ちくま新書の『レイシズムとは何か』、文庫クセジュの『ショアーの歴史』とか、あと中村隆之の『野蛮の言説』もひかれたが。布団のうえで読みはじめて、いま東京裁判について語った一章を終えたところまで。ページでいうと36が第二章のはじめ。著者じしんが「はじめに」のなかで、「歴史認識」がまつわる「戦争責任」とか「慰安婦」とかもろもろの問題にかんして研究や活動をすすめるなかで、「どの時代にも、いかに一般の人々が問題について基本的な事実を知らされていないか」(ⅳ)ということを実感してきた、読者にはこの本を読むことで「第一に、問題にかかわる基本的な歴史の事実を知っていただかなければならない」と言っているとおり、第一章を読んでみても語られているのは基本的なポイントばかりなのだろうけれど、なんだかんだ東京裁判についてきちんと勉強したことはないので参考になりまくり、つぎつぎと書き抜きポイントがメモられる。ここはおさえておくべき、というポイントがわかりやすく簡便にまとめられているようにおもわれる。
  • 五時ごろで起き上がって、食事。またキャベツや白菜や豆腐のサラダだが、ドレッシングはなくなったので麺つゆをかけて食べるほかない。そのほかシジミの味噌汁と、実家からもらってきたミカンをふたつ。食後は食器をかたづけたのち、手の爪が伸びていたので切ることにした。Enrico Pieranunzi Trio『Live in Paris』をBGMにしつつ、皿が去ったパソコンの左側にティッシュをいちまい引いてそのうえで切り、やすりもかける。このやすりかけという作業がいつもめんどうくさく感じられる。生活のなかで退屈をおぼえる時間はもはやまず存在しないが、爪のやすりかけのあいだだけは退屈かもしれない。ながれていたのは”I Fall in Love Too Easily”で、ゆびさきの処理が終わるとどうせなのでとそのつぎの”But Not For Me”を目を閉じて聞いたのだが、これはなかなか良い演奏だ。まず冒頭のテーマからしてメロディのいっぽうで不協的な音を同時にちょっと入れこんでいるし、全体的にもリハモの響きが多様で、ピアノの行き方もリズムとおうじて有機的に変容する。後半のバースチェンジにはいるときのコードの打撃は、リズムやトップメロディとしては古き良きバップのピアニストがやるようなかたちなのだけれど、響きの内実はぜんぜんちがっていてちょっとおもしろかった。
  • あとついでに性懲りもなく、Bill Evans Trioの”Autumn Leaves”のステレオ版と、”When I Fall in Love”も聞いておいた。
  • それで六時過ぎだったが、まだ腹がおちつききっていないので打鍵をする気にはならない。かといってウェブでなにか読むとか、すわって本を読むという気分でもない。そういうときに掃除をするべきなのだ。といって床のうえをみても箒を取って掃こうとか、テープをベタベタやろうというきもちもまた起こってこない。しかしゴミ出しのカレンダーをみてみると、木曜日に新聞・折込チラシの表示があったので、アパートに来ていらいずーっと放置していたチラシや雑紙のたぐいをいよいよ整理して出すかというこころになった。とはいえこれは雑紙の区分なので、木曜には出せないのだが。ともあれそれで先日実家から食い物を持ってくるのにもちいた紙袋を取り上げ、布団のほうにうつり、座りこんで、壁際の青いおおきなビニール袋(Nojimaのもの)に突っこんだまま放置しきっていた雑紙やチラシのたぐいをすこしずつ取り出し、折ったりして紙袋におさめていく。この袋にはいっているものたちのさいしょのほうは、まえの居住者である(……)というひとが郵便受けに大量に放置していった封筒とかいろいろで、なんでおれが始末してやらなきゃならんのだとおもったものだが、それらもここですべて紙袋のなかにおさめられてようやく処分を待つ身となった。ビニール袋にはいっていたものどもはぜんぶうつすことができ、それで紙袋のほうもちょうどいっぱいくらいだった。ハンドブックの写真をみてみると雑紙を出す袋にはとくに紐など縛らなくてよいようだけれど、かたちをととのえこぼれにくいようにする意味合いでもいちおう紐をかけておこうかなとおもい、これもダンボールをかたづけるつもりで買ってきながらいままで開封していなかった荷造り紐をようやっとつかい、持ち手の左右、脇をかためるように一本ずつ紐をくくっておいた。これで来週の水曜日に出せばよろしい。そのほかデスクの奥にあたる南の壁際には、ヨーグルトの紙容器とか飲むヨーグルトのパックとかも袋に入れて放置されてあるのだけれど、これもおいおいかたづけていきたい。すこしずつでも部屋を整理し、きれいにしていく。あえてあげるならばそれが今年の目標ということになろう。
  • それからここまで書き足して七時四〇分。そろそろ買い物に行こうかなというところ。あとはきのうのことをちょっとだけ書いて投稿し、「(……)」さんへの返信をきょうじゅうにとりかかることができたら。
  • いま八時五〇分。きのうの記事をつづり足し、投稿したところ。なかなかよろしいしごとぶりといえよう。まあ連日休みなのでとうぜんだが。しかし本もよく読めている。そろそろ夜気のなかに踏み出してそのつめたさにふれつついくらかあるくとともに食料を調達してこなければなるまい。
  • スーパーから帰ってきてキャベツ白菜ののこりと、買ってきた冷凍の唐揚げや米で食事を取ったあとは、「(……)」さんへの返信を書きはじめた。しかしたいして書かないうちにとちゅうまででちからつき、布団にうつったところ(まだ零時くらいだったとおもうのだが)、いつか意識が消えており、二時半に復活。立ち上がってすこしふらつきながら明かりのスイッチを消しに行き、デスクライトも落としてそのまま就眠した。いまさらながら「(……)」さんからのメールをうつしておくと以下。

(……)

     *

(……)

  • こちらの返信(作成中)はした。

(……)

  • スーパーに買い出しに出たのは九時をまわったくらいだった。かっこうはれいによってジャージのままモッズコートを羽織り、しただけズボンに履き替えた。扉を抜けるとマスクをつけわすれていたことに気づいたので、まだ鍵を閉めていなかったドアをあけて、すぐ右、靴箱上面の端(そこは電子レンジの脇でもあり、室の角にあたる箇所でもある)に乗っている箱からマスクをいちまい取って顔につけた。部屋のそとの通路にはすこしまえからなにか黒い、細長くぐしゃっとつぶれた手袋のようなものが落ちており、さいしょにあらわれたばしょからまったく移動していないのでだれもふれずにスルーしているのだが、これはなんだろうとしゃがんであらためて見、つまみあげてみると、靴下だった。通路のまんなかに落ちているので、せめて壁際に寄せておくくらいはしておこうかとおもっていたのだが、靴下ということはここにそなえつけられている洗濯機で洗ったものをあやまって落としたままということなのだろうか? しかしそれにしては時間が経ちすぎているようにもおもえる。落ちているあいだに使用者がもういちど洗濯に来る機会もあったはず。捨てたのだろうか。知れないが、まあ靴下ならいちおう洗濯機のうえに置いておくかというわけで機械の端のほうに乗せて、それで階段をおりてそとへ。左手へ。空がじつに澄明で、家屋根のむこうを満たしている青さがかっきり色濃く、同時に星も光度のつよいものはおおきく目立っており、頭上をあおげば夜空にやや沈みがちな二流三流の星もはっきり散らばるとともに月もしらじら照っていた。公園がちかづくと声が聞こえ、入り口付近には自転車も停まっている。通りかかりながら左を向くと、奥のほうの滑り台の付近に何人か男がいるようで、しゃべっている声はわりと若く、二〇歳くらいの学生なんかにもおもわれるが、しかし断片的にとらえられる文言や雰囲気からして、もうすこし年嵩で家庭をもっているあつまりのようにもおもわれた。かれらはこちらがいるほうを公園敷地の下辺とすると、左上の角のあたりにいる。そこから右方、反対の角にちかいあたりでは、夜空を背景にして闇になかばつつまれた裸木を周囲に置きつつ、街灯をふりかけられた茂みの緑色がそこだけ浮かびあがっている。こちらの目前、下辺を縁取っている垣根の草も夜闇によって硬質化しており、最上段のちいさな葉のおもてをひかりが淡くすべるさまは、巨大な蟻の黒々とした背をおもわせる。公園前を過ぎ、建設中のデイサービス的施設のまえも過ぎていく。土地を画すさかいはぜんぶ格子状フェンスになったとおもっていたが、端のほうにはまだ白くつるつるした壁ものこっていた。その表面にもほのかにやどった街灯の薄片が、壁のつなぎめにあわせて弱く屈折しながら散らばっている。
  • おもてに出ると道はまっすぐ東西、車道沿いを西へとむかう。車のとおりはすくない印象で、路上に空白がながくつづくが、対岸を行く通行人がちらほらあって、若い男女のうち女性がころびかけたようで高めの声でなんとかかんとか言っていた。落ち葉の散らばったうえを踏み、ドラッグストア店舗を右に置く横断歩道にかかれば、向かいはコンビニである。信号がちょうど青だったのでコンビニの駐車場から出てくる車をうかがいつつ渡り、停まっているのをかぞえてみればいま出ていったのもふくめて四台、ここの(……)はよくみるコンビニの印象とはちがって夜のなかに皓々と、無害ぶった衛生的な白さのひかりをひろげていないなと注視すると、それは横にながい店舗のおもてがわ、ガラスが入り口のものをのぞいてすべてやや磨ったガラスになっているからなのだ。だからなかのようすがそんなにわからず、ひかりもおだやかにしかもれてこない。
  • 西へ一路、歩道をすすむと、正面の果てで電車が踏切りを通過し、ふたつの純白な光球と化してとおくほそまった道を埋めていたこちら向きの車のライトが、そのあいだはひとつになったりもどったりを高速でくりかえす。その踏切りへとおもむくとちゅうには(……)通りの横断歩道があり、青が見えてもいそがず行くと着くころには変わっていたが、右を見ても車が来ないので(左はT字の行き当たりで、そこには(……)が建っている)かまわず渡り、向かいに来て立ち止まっていた男性もこちらの行動にうながされたのか、かれからは左手にあたる道のさきを確認しつつ、すれ違いざま踏み出していた。踏切りに止められることはなく難なくわたり、中華料理屋や空き地のほうへとすすんでいく。夜気はつめたい。モッズコートのファーをはずしてしまい、かつストールもつけてこなかったので首もとの防備はおろそかだが、だからといって身がつらぬかれてふるえだすほどの冷気ではなかった。とはいえ肌にはつめたさが生じ、音もなく、街路樹の葉も見たところ揺れず、耳の穴のまえにあからさまな響きを置くほどのながれでないが、しかしまぎれもなくながれはほぼ絶えることなく大気を通過している。空き地の草ぐさのほう(右手)をみやればながく部屋にこもってひとみがちかくばかりみていたからか、枯れ色の草の波がことさらぼやけてひろがるようで、その向こうには駅前マンションのまだらな灯模様がつねにかわらずひそやかにとりどりの感、そのマンションやら病院やら、高い建物に目をむければ背景の空ももれなくともなわれてきて、にごりのない夜の青が澄明ながら深かった。病院のほうにわたらず、草の空き地に沿って角を北向きに曲がり、はやめにもとのほうにもどることに。草っ原の西辺を縦にあがっていく歩道で、そのとちゅうには工事用の車両がはいったりするための口がもうけられており、ちいさなカラーコーンと棒でくぎられたそのあいだだけは草が消滅して平らな通路をなしていて、道とのさかいにはリング状の鍵で閉ざされた斜め格子の門が立ち、土地内を斜めにまっすぐ横切っていく通路はなにか作業中の区画へとつうじている。向かいからは若い男ら三人が来て、いかにも若い学生くらいの口調だった。脇に寄ってすれ違い、草原の向こう、これから行く最寄り駅間近の踏切りあたりで、覚醒的なオレンジ色の街灯が二、三、赤々とひかりをひろげているのをじっとながめた。裏まで来るとそのまま右に折れて方途は東になる。その道の向かいはここもなにか建設中であり、おおきくてながい壁の足もとにやはりコーンと棒が設置されているが、その棒に沿って上下に波打つようにからんで保安灯がつけられており、交替交替にともることで左右への瞬間移動をくりかえす鈍く真っ赤な灯はチューブかなにかのなかで曲線におうじてかすかな揺曳をひきつれて、まるでありがちな人魂のイメージめいたかたちだった。踏切りをわたりながら右を向けば線路は果てでさきのみえない暗闇へとつうじており、左を向けばすぐそこが駅だから左右のホームからひかりを落とされたレールはまざまざと浮かび上がっているものの、駅を過ぎた果てはやはりするどく暗んでいる。出ると目のまえがコンビニ、金をおろしたかったので入店した。手を消毒し、店舗内の奥側というか、レジから遠いほうの隅へと曲がってしまったが、そのへんをみてもATMがないなとふりかえれば、反対側、レジカウンター脇のひっそりと奥まったところにあったのでそちらへ。金をおろして財布におさめ、はやばやと退店。そうして駅前の細道をはいってスーパー(……)へ。あるいているとちゅうにもしかしてまだやっていないのではないかという可能性を浮かべていたが、無事に営業していた。なにしろこの店はいまどきめずらしい(そうでもないのか?)二四時間営業をつづけているブラック企業だからな。元日はいざしらず、正月も三日目にかかればもうはたらかずにはいられないのだ。
  • すでにこの翌日の記事にも書いたが、棚の諸所には空白があって、正月だからとどいていない物資があるらしく、キャベツと白菜はそれにあたるようで見当たらなかった。豆腐とか米とかヨーグルトとかパンとかを買う。あと冷凍の唐揚げ。夕食はそれをおかずに米を食えばよかろうとおもっていた。ドレッシングも尽きたので買っておく。三が日の夜でもそこそこ客はいる。とはいっても午後一〇時まえだしたかが知れてはおり、店内通路には悠々としたスペースがあるが。
  • 会計と整理を済ませてリュックサックを背に、ビニール袋を右手に退店。通りを渡って裏道へ。さむい。袋をもつために右手を外気にさらしているとつめたいので、とちゅうからビニール袋の持ち手を腕にかけて、モッズコートのポケットに両手ともつっこんだ。そうすると袋があゆみに応じてからだの右側にあたってガサガサいうのでなんとなくうっとうしい。ちかくに通るひとも家なかの気配もないが、救急車のサイレンがとおくからかそけくつたわってくる。ほんとうに夜あるけばそれを聞かないときがないくらいにおもわれる。空気がつめたいわりに道を行くほどに心身がおちつくようになって、やがて明鏡止水的なしずけさにいたり、おのずと一歩も減速し、もうすこしすれば淡い恍惚か明視的集中か、自由の安息が生じていたかもしれないが、そこまでは行かずしずけさのためのしずけさにとどまった。月は頭上にずっとついてきておりみあげればラグビーボールのような、横にひろがっておおきくにやけた口のようなかたちで、周辺に星も撒かれて消えない。公園前に出る細道を行くにじぶんの影がまえに伸びるが、そのさいごで、すぐ足もとに顔を出してひろがらずにそのままとどまるちいさな影がひとつ生まれて、行くほどに変化するふつうの影だったらなかば分離された分身として親しいも遠いも気にならないが、左足にまつわるような距離のちかさと停止のためか、その陰性滞留だけはなにか妙な存在がついてきているような異物感があった。抜けてアパートのほうに折れるその視界の端に豪奢じみたひかりのひらめきがみえ、それは南方のマンションのものでたいして豪奢などではないことをわかっていたが、ふりむき返ってみればとおくで黄色っぽい点灯がおおくならんで、それよりもてまえ、行きに通った路地を目でたどればおもての信号の青緑や左右の電灯の白さがふくらみ、そのあいまやこちらがわには暗さが差しこまれて、数瞬のあいだ立ち止まりなにかが来るのを待つような、なにかがあるかと精査するような目になった。


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  • 日記読み: 2022/1/3, Mon. / 2014/6/2, Mon.
  • 「読みかえし2」: 701 - 720