2023/1/4, Wed.

 父がひとり娘に幸福を意味するレティシアという名前をつけたとき、まさか不幸を招くつもりでいようとは、当のミス・レティには思いもよらないことだった。ともあれ本人は短縮形のほうが好きで、かつての家では誰もがそちらを使っていた。その呼びかたを聞かなくなってすでに久しいが、今もかならず彼女は夢にミス・レティとして足を踏み入れる……いつもバスケットに夏の花を摘んで庭からもどり、暗く古めく格式張った部屋から部屋へと、吹きこぼれる虹のように飾って歩く。
 背後で閉じた扉がきらめく陽光を隠し、鉾槍 [ハルバード] から垂れる陰気なタペストリーが閉じた扉を隠すと、仄暗い玄関ホールの奥にかかった鏡のなかで、ミス・レティはフラワーバスケットを手にした背の高い青白い少女と向きあっている。ロングスカートが背の高さを際立たせ、硬いスタンドカラーが細い首を引き伸ばして、なにやら仲間と逸 [はぐ] れた首長鳥が、そっと物陰から歩み出てこちらを覗いているふうでもある。細長い窓と黒みがかった鏡板の壁は、真夏の真昼でさえも、この玄関ホールを真っ暗な洞窟に変えてしまう。まわりの部屋と同じように、ここを埋めつくすのは影と、そして、鍾乳石さながらここで生え育ったかに見える、大きく重く、か黒く年古りたものたちだ――巨大で動かぬ黒ずんだ家具と色褪せたブロケードのカーテン。どっしりした額におさまって壁から睨みつける、何枚もの(end43)誰ともわからぬ肖像画。昔の武器。埃まみれでぼろぼろになった異形の獣たちの首は、あるいは荒々しく、あるいは悲しく、あるいは責めるようなまなざしばかりが生時を髣髴させる。けれど、余所者ならば死にかけた不気味な場所と見なしそうなこうしたすべても、ミス・レティには代々住みつづける館の不変の親しみやすさとしか思えない。世界のほかのどこでもない、こここそが、彼女の属する場所なのだ。彼女はまわりとひとつになり、穏やかな心持ちで部屋から部屋へと歩きまわって、どこを最初に飾ろうかと思案する。
 (アンナ・カヴァン安野玲訳『草地は緑に輝いて』(文遊社、二〇二〇年)、43~44; 「幸福という名前」)



  • 一年前の日記: 「きょうは朝八時半くらいから夜の八時すぎまで労働で、とちゅう飯に出かけた時間はあったもののほぼ一二時間ずっと職場にいたわけで、いったいこの世はどうなってんねん? そして、大多数のひとびとが来る日も来る日もそのような暮らしをしており、そうでもしなければ満足に自立して生きることすらできないというこの社会と世界の現実におののき震撼せざるをえない。資本主義も共産主義も超越したユートピアにさっさと到達するか、さもなければ原始共同体からもういちど人類史をやりなおそうぜ」とのこと。
  • 「読みかえし2」から。

内田樹×成瀬雅春「武道家とヨーガ行者が考える、善く死ぬために必要なこと: 前編 過剰な善意は必ず過剰な暴力をもたらす」(2019/9/19)(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/uchida_naruse/7120(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/uchida_naruse/7120))


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内田 7月の参議院選挙のとき、僕は、立憲民主党の候補者の推薦人になっていたので、大阪の駅前で三回、街頭演説をやったんですが、そのとき「今の日本人は、デモクラシーの考え方が間違っているんじゃないか」ということを申し上げました。
 10年ぐらい前からでしょうか、日本の有権者たちが、民主制というのは個人の剥き出しの欲望をぶつけ合って、多数を取り合うゲームだと思うようになったのは。勝負なんだから、格好つけることはない。包み隠さずに自分の偏見や利己心や欲望を露出して良いのだ、と。それが人として誠実で正直なマナーであって、偽善に対して、本音をぶつけることに批評性がある、と。そういうふうに思い始めたんじゃないかと思います。
 だから、議員や首長の選挙でも、自分たちの代表者がとりわけ徳性や知性において卓越していることを求めなくなった。それよりはむしろ、自分たちと同じ程度にエゴイスティックで、了見が狭くて、偏見に満ちていて、意地の悪い人間こそが自分たちの代表にふさわしいのではないか……、そういうふうに思うようになった。
 それは与党も野党も一緒で、いつの頃からか、「お茶の間の感覚を国会へ」「生活者の目線で」というようなスローガンをどこの政党も掲げるようになりましたね。僕も最初の頃は、そういう考え方にも一理あると思っていたのです。でも、ある時期から、特に大阪で、「お茶の間感覚」とか「生活者目線」というのが、「市民的常識を踏みにじってでも剥き出しの本音を語ること」と解されるようになった。
 「NHKから国民を守る党」という政党が出てきましたけれど、以前ならあの政見放送では議席を得ることなんかあり得なかったはずの政党が国会に一議席を獲得した。投票した人たちは、その綱領や政策に特別に共感したというわけではないと思うんです。NHKを潰すことが現代日本において優先的な政治課題だと思って投票した人はごくわずかでしょう。おそらく投票した人の多くは、ふつう人前では抑制するはずの非常識な態度をテレビカメラの前で示し得たことには「鋭い批評性がある」と思った。こういう仕方で、世の中の偽善や欺瞞を叩き壊すことは端的に「いいこと」なんだと思った。政策は評価しないが、ろくでもない良識を破壊する力は評価する……というロジックで投票した人が多くいると思います。
 でも、これは昨日今日の話じゃなくて、大阪に維新が出てきた時から、ずっとそうなんです。きれいごとを言うな、空疎な理想を語るな、現実の実相はこうなんだ、と。「公的な人間としては心ならずも守るべき建前」を片っ端から破壊していった。そのあげくに、今、僕たちの目の前には救いのない荒涼たる風景が広がっている。
 道徳的な歯止めがもうほんとに効かなくなった。刑事事件で立件されないことなら、何をやっても構わないという道徳的なアナーキーに今の日本はあるわけです。それが日本社会全体を覆っている殺伐さ、非寛容、底意地の悪さの原因だと思います。
 メディアで垂れ流される「嫌韓言説」がまさにそうですけれども、あれは政治的主張のような外見をとってはいますけれど、その本質は幼児的な攻撃性、暴力性を吐き出しているんだと思います。今なら、韓国批判という文脈なら、どんな下品なこと、どんな非道なことを言っても処罰されないから。ある種の人間たちは「処罰されない」という条件が付くと、日頃抑制していた、差別意識や憎悪を剥き出しにすることにきわめて熱心になるんです。

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内田樹×成瀬雅春「武道家とヨーガ行者が考える、善く死ぬために必要なこと: 後編 善く死ぬためには、よく生きること」(2019/9/21)(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/uchida_naruse/7154(https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/uchida_naruse/7154))


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内田 よい先生に出会えないというのは運不運の問題じゃないと思うんです。最終的には本人がそれを決めている。僕には先年亡くなった兄がいます。その兄にはとうとう生涯、「先生」と呼ぶ人がいませんでした。
 兄は懐の深い、頭のいい男で、性格も優しくて、僕は素直に尊敬していました。でも、兄には友だちがいなかった。彼はどこに行っても誰からも「兄貴」と呼ばれていましたけれど、それは「樹の兄貴」だから(笑)。僕の友だちの中にしか友だちがいなかった。自分で連れて来た友だちを僕に紹介するというようなことがなかった。
 兄には友だちも先生もいませんでした。それは彼が師匠や親友というものに設定していたハードルが高かったからだと思います。自分が「先生」と呼べるような人間であれば、これくらいのレベルであってほしい、自分が「友だち」と呼べるような人間であれば、これぐらいの器量の人間であってほしい……という条件をつけていて、誰もその条件をクリアーすることができなかった。
 ある時兄からしみじみと「樹はほんとうに“弟子上手”だよ」と言われました。「お前は先生をみつけるのがほんとうにうまい。オレからみたら、それほどでもないと思える人でも、すぐに『先生、先生』と慕っていって、結果的にはその先生からいろいろなものを学んで、人生を豊かにしているんだから」と言われました。そんなふうに考えたこともなかったけれど、言われてみて、なるほどそうかと思いました。
 質問にあった「先生という人に、なかなか出会えない」ことについてですけど、僕はそれは話が逆じゃないかと思うんです。理想の先生がどこかにいて、それを探し続けて、場合によってはついに生涯出会えませんでした……というのはなんかものを習う上できわめて非効率な気がするんです。「人間到る処青山あり」ですよ。そこの角を曲がったら師匠がいたって(笑)。いや、本気でそう思います。できるだけ多くの人を先生と呼んで、学んだほうがいい。
 「蒟蒻問答」という落語がありますね。こんにゃく屋の六兵衛さんという人が坊主のふりをして、そこに旅の雲水がやってきて禅問答をするという話です。雲水の方は次々と難度の高い質問をするんですけれど、六兵衛さんはそれを全部こんにゃくに関することだと勘違いして、こんにゃくの話で切り返す。でも、雲水の方は六兵衛さんのこんにゃくについてのコメントをすべて仏教の真理に関するものだと勘違いして、「ありがとうございました。よい勉強をさせていただきました。また修業し直して参ります」と去ってゆく。
 これはなかなか深い話だと思うんです。粗忽な雲水がこんにゃく屋の六兵衛さんに騙されたという話のように見えて、実は一番得をしたのは雲水なんですよ。こんにゃくをめぐる問答から、仏教の真理に触れたわけですから。
 師弟関係というのは、ある意味でそういう「勘違い」を必然的に伴っていると思うんです。師匠が何の気なしに口にした、どうでもいいような一言を「あれはオレだけに向けて師匠が告げた叡智の教えなのだ」というふうに勘違いして、「ありがとうございます。勉強させて頂きました」と涙ぐむ……というようなことは、師弟関係では日常茶飯事なんです。それでいいんです。師弟関係、習った者勝ちなんです。弟子になった者勝ち。
 でも、「弟子になった者勝ち」というふうに考える人は少ないですね。人に教える立場になるためには何か条件が要るように考えている人が多い。
 僕が大学の先生をやっていたころに、時々、学生に対して「僕は君たちに『先生』と呼ばれるほどたいした人間じゃありません」というような奇妙な謙遜をする人がいました。同僚に「何とか先生」と呼びかけると、「いや、俺は内田さんの先生じゃないから、先生と呼ぶのは止めてください」なんてね。うるさいこと言うんです(笑)。そんなのこっちの勝手じゃないですか。「先生」って呼びたいから呼んでいるわけで、こっちの都合なんですよ。自分を「先生」と呼べるのは、これこれこういう条件を満たした人間だけだなんていうのは、自分が「先生」と呼ぶのは、これこれこういう条件を満たした人間だけだ、というのの裏返しなんです。こういう人は誰かの先生にもなれないし、自分の先生を持つこともできない。こんにゃく屋の六兵衛さんだって先生になるんですから、「先生」と呼びたかったら、どんどん呼んでください。
 僕は誰からでも「内田先生」と呼ばれても全然構いません。「君に教えたことはないから『先生』と呼ばないでほしい」とか、「俺は人から『先生』と呼ばれるほどの器じゃない」とか言う権利が僕にはないと思っていますから。『先生』と呼ぶか呼ばないかは、僕の問題じゃなくて、先方の問題なんです。『先生』と呼びたければ、そう呼んで下さい。誰かを『先生』と呼びたいという気持ちって、ある種の向上心なんですよ。それに水を差すことないですよ。

  • (……)さんのブログから。このなかの、「ところが一方、環境的なものを含めて、一度に多くのものを観察し、聴くことに注意が向けられる——つまり排他的ではなく包括的である——ところでは、理解しうる構造をつくるという意味で、ものをつくることはもはや問題とはならない(人はここでは観光客である)」という一文など、やはりちょっと禅っぽいなとかんじる。ところでそこに、東浩紀が数年前に著述化した「観光客」という概念が出てくるのもなにかしら示唆的ではないか? ただ、コロナウイルス状況によってかれのその言論も一面では失効することになってしまったのだろうし、もう一面ではよりアクチュアルな「権利」の問題としてかんがえなおされなければならなくなったのだろうが(そういうことを東浩紀じしんが述懐しているインタビュー記事からの抜き出しも、きょうの「読みかえし2」では読んだ)。

 作曲家たちは「実験的」という言葉で自分たちの作品が言い表されることに対して、異議を唱えることがしばしばある。その言い分はこういうことだ。いかなる実験も、最終的な決定が行われる段階に先だって行われるものであるし、決定を行うということは、意図して用いる要素の特定の秩序を、それが伝統的なものではないにしても、事実上認識し、採用することを意味している、と。こうした異議が出てくるのも、たしかにもっともではある。だがそれは、今日セリー音楽が示しているように、人の注意が集中する境界や構造、表現にもとづいてものをつくることが、相変わらず問題とされる場合にかぎられる。ところが一方、環境的なものを含めて、一度に多くのものを観察し、聴くことに注意が向けられる——つまり排他的ではなく包括的である——ところでは、理解しうる構造をつくるという意味で、ものをつくることはもはや問題とはならない(人はここでは観光客である)。そしてここにおいて、「実験的」という言葉がふさわしいものとなる。ただしそれは、後からその成否が判断されるような行為ではなく、たんにその結果が予知できない行為を言い表すものとして、この言葉が理解されたときのことである。
ジョン・ケージ柿沼敏江・訳『サイレンス』より「実験音楽—教義」 p.33-34)

  • 「偽日記」の最新、おおみそかの記事から。これはおもしろく、またきわめて重要なはなしだ。フィリップ・デスコラとかがはいっている水声社のあの真っ赤なシリーズも読みたいんだけどなあ。アルフォンソ・リンギスのやつとかは持ってる。

●『不穏な熱帯』(里見龍樹)を読み始める。第一部「他者」を読んだ。以下は要約的なメモ。

人類学には過去四十年くらいの間に、古典的人類学を揺るがす転回が二度あった。一つは八十年代から九十年代に起こった「再帰的転回」であり、もう一つは2000年代後半に起こった「存在論的転回」だ、と。著者は、2008年くらいに他分野から(十分な知識を持たないまま)人類学に参入したために、2009年および2011年に行われた最初のフィールドワークの実践において、この二つの「転回」の両方に一挙に直面せざるを得なかった。

大雑把には、再帰的転回とは、モダンに対するポストモダン的転回であり、存在論的転回は、ポストモダンに対するポスト・ポストモダン的(思弁的実在論的)転回といえるだろう。

再帰的転回は、「人類学の対象」の客観性・自明性の消失であり、それにかわってあらわれる「我々」と「彼ら」との間にある政治性の露呈であろう。それは、オリエンタリズム批判などにあらわれるような、「彼ら」についての表象(テキストの書き方)の問題であり、認識論的な問題であるとされた。

たとえば、古典的な人類学では、フィールドワークの一回性、実体験性と、学問的言説としての客観主義的記述と間の解消しがたい齟齬がごまかされ、「わたし/あなた」という双方向的な行為としてのフィールドワーク体験だったものが、「彼ら」に関する客観的な記述にすり替えられる(「わたし」は客観的な記述をする権利をもつ主体となり、「あなた」は記述される客体として三人称的な「彼ら」となる)。人類学者にとって過去の(わたし/あなたの双方向的)経験であったはずの出来事が、「彼らの文化」「彼らの社会」として現在形で書かれることで、あたかも彼らが永久不変の「異文化」や「未開社会」に生きているかのよう印象付けられる。

《フェビアンは、時制と人称代名詞のこのような使い分けによって、フィールドワークにおける「私」との間主体的な相互行為から独立して「異文化」があるかのような印象が生み出されてきたことを指摘し、さらには、「他者」や「異文化」のそのような客体化それ自体が帯びている暴力性を批判する。》

《(…)これらの批判を受け、一九八〇年前後から、人類学的知識の構築性や、そこから排除しがたい主観性・テクスト性や政治性を明示的に認めるような、再帰的あるいは自己言及的な民族誌が次々と生み出される。(…)人類学の対象としての「文化」や「社会」---たとえば「マライタ島のアシ文化」---が存在し、それを客観的に記述すればよいという想定がもはや維持しえなくなっていた(…)。》

(著者は実際に、フィールドワークの場において、「文化」や「社会」というものが決して固定的なものではなく、常に失敗可能性をもつ変化へのトライであり、不穏な環境により変化を強いられる不安を含むものでもあることを知る。)

《「これまでの人類学が問題にしてきた文化的他者などというものは実在しない。それは、グローバルな政治経済システムが生み出した周縁を想像上の素材として、西洋近代における表象・言説が構築したものにすぎない」》

だが、このような認識論的な転回は、《「テクスト」や「他者表象」をめぐる表象論的で構築主義的な議論への偏向、「立場性」(…)をめぐる政治的あるいは道義的議論への閉塞、「対話」や「主観性」あるいは「私」の語りを取り込めばよい、といった安易なスタイルへの帰着》などに繋がり、《テクスト・表象論に還元しがたい実在性》という視点の欠如をもたらした。と。

(たとえば、再帰的・認識論的・表象論的な思考では「地球環境の危機という実在性」について考えることはできない。)

(とはいえ、再帰的転回による「反省」は、ただ果てしない自己言及のみを生み出しただけではない。多くの人類学者が「伝統的な生活様式を維持した非欧米圏の地域=わかりやすい他者」ではなく、我々の「現代社会」の問題---《臓器売買、宗教的原理主義、医療、開発援助、難民といった主題》---をフィールドとすることになり、社会問題に対して貢献し得る人類学のあり方を生み出した。)

極端に言えばこれは「他者については語り得ない(そもそもそれは「他者」なのか?)」という語りばかりを繰り返す自己言及の閉塞のような状態だ。しかし、だからといって、古典時代にもどって「他者」や「異文化」についてあたかもそれが客観的対象であるかのように語ることは許されない。再帰的転回が閉塞を生んだのだとしても、それをなかったことにはできない(問題は解消されない)。

だが、ここで問題になっているのは、あくまで「わたしとあなた(他者)」の関係であり、政治であって、つまり人間と人間との関係にすぎない(他者表象の政治学)。ここに「広義の自然(実在性)」というものが絡んでくるはずだ、と。「広義の自然」とは、「狭義の自然(≒自然科学的実在)と対になった概念だという。

文化相対主義的な視点では、自然科学によって最も近い近似で記述され得る「唯一の(客観的な)自然」があり、その一つの自然を多様に解釈する多数の文化があるとされる。しかしそのようなものではない、「自然/文化」の二元論に収まらずに、自然そのものに多数性がみとめるような「自然」が「広義の自然」だ、と。

ここでもラトゥールのインパクトは大きいようだ。《科学技術社会論は、科学的知識それ自体に内在する実践性・不確実性や複数性を明らかにすることを通して、近代人類学における文化相対主義を暗に支えてきた、「自然科学によって解明される、客観的・普遍的な唯一の自然」という観念を解体してきた。》

著者は、「広義の自然」について、薮内匡『イメージの人類学』から引用する。《現代の民族誌的フィールドワークの対象が人間に限定されるのではなく、人間を含む様々な事物の全体に向かっていることである。……民族誌的フィールドワークは、一言でいうなら、人間的世界を取り囲む、広義における---あらゆる人間的・人工的なものを含めた意味での---自然的世界に向かっていくのである。》

自然は唯一の客観的なものではなく、多くのアクターたちの関係のネットワークと、その関係をやり直す諸力である、と。他者(社会・文化)の多様性ではなく、自然(存在)そのものの方に多数性を認めること。ここに、「存在論的転回」があらわれる(存在論的転回について、それを主導したヴィヴェイロスやデスコラに関する記述もあるが、それは他でも読めるのでここには書かない)。このとき「他者」とは、彼ら(人間・社会・文化)のことではなく「広義の自然」ということになる。《本書で言う「広義の自然」こそが、今日の人類学にとって重要な他者性として、あるいは、本書の「はじめに」でフーコーにならって述べた「外」として再発見されている(…)。》

たとえば、著者がフィールドワークしていたマライタ島のファウバイク村周辺の伝統的に人工島に住んでいる人々は、近年、サイクロンやツナミへの不安から「もう海には住めない」と言い、また、「海で捕れる魚が小さくなった」と言って、古い出自である山の民へと回帰しようと口にするようになっている。つまり「海に住まう」という従来の環境とのかかわり方と、「違う仕方で」関係する試行錯誤を「広義の自然」から強いられている。

再び、『イメージの人類学』からの引用。《長期間のフィールドワークを通じ、特定の民族誌的現実の中に深く潜入することによって、人類学者は、単に社会文化システムの「既に構成された形態」だけでなく、その背後にある「構成してゆく諸力」にも次第に接近していくようになる。そして、そうした研究対象の社会の「構成してゆく諸力」との接触のなかで、人類学者自身も、何らかの意味でアイデンティティの識別不能地帯へと踏み込んでゆくのであり、そこから新しいものを創造しようとする(…)。》

おそらく著者が「人類学の対象」と考えているのは、「広義の自然」に対処しようとする「(我々とは異なる彼らの形をした)構成してゆく諸力」の作用(「広義の自然」との関り直しの力)を捉えることなのではないか。しかしそれは、客観的に外から捉えるのではなく、人類学者自身もまた、「構成してゆく諸力」に巻き込まれ、「我々」と「彼ら」とが識別不能になっている状態のそれである、と。

《人類学者はフィールドワークという転置=転地の体験を通して、それまで生きてきたのとはまったく異質な「自然」、すなわち人間とそれ以外の諸存在からなる関係の中に入っていく。》

《(…)人類学者を含む「われわれ」と「彼ら」の同一性がともに不確かになるような「識別不能地帯」がたしかに生じている。》

東日本大震災の後、計画停電の際に使っていた懐中電灯を握りしめてマライタ島に戻り、アシの人々と、夜の調理小屋で火に当たりながら「ツナミ」の体験について語り合っていたとき、私が経験していたのは、まさしくそのような、「私」と「彼ら」の双方における「広義の自然」との関り直しであった。》

  • めざめるとまだ暗くて夜が明けていないわりになぜかあたまはすっきりしており、ねむりが足りないような気もしたが鼻から息を吐いてからだをセットアップしはじめてしまった。手や腕をさすったり。左腕もつめたいにはつめたいが(とくに手の甲)、そのわりにすごくこごっている、ピリついているという感じでもなかった。身を起こすまでそう時間はかからず。携帯をみると六時になる直前。はやい。カーテンもあけてしまうが、そとをみやれば空は青さをふくみはじめてはいるものの、まだまだ夜の圏域にある暗さなので、さすがにレースまではひらかず。さむいので。エアコンもつける。そうして布団をかぶったままChromebookを持ち、ウェブをちょっとのぞいたり、Notionにきょうの記事をつくって日記を読みかえしたり、あとは「読みかえし」ノート。(……)さんのブログもさいごにちょっとだけ読む。そのようにして脚を中心にほぐしながら二時間弱過ごし、起床は八時である。そのころにはもちろんひかりがみえはじめていて、いまだ窓やあたりの空間におおっぴらにかかるというわけではなくて、明けてから時間の経っていない太陽光のしずしずとした調子を帯びているが、ともかく朝である。保育園もきょうからはじまるらしく、七時くらいから扉のロックを解除する電子機器の音が聞こえていた。子どもの声ものちにいくらか。
  • 起き上がると布団をたたみあげておき(ここさいきんは足もとのほうにむけてたたんでばかりだったので、きょうは枕方向、南へと折っておいた)、水を飲んだり、手を振ったり、ちょっと背伸びしたり、屈伸したりなどなど。トイレに行って小便をするとともに洗顔も。水切りケースのなかのプラスチックゴミも始末したはず。年末さいごの収集日に疲労でプラスチックゴミを出せなかったのだが、きのうは年始で収集がなく、来週の火曜日まで待たなくてはならず、わりとやばい。溜まった袋はいまながしのしたの戸棚に入れてあるが、いっぱいになりつつある。燃えるゴミも同様に疲労で出せず、冷凍庫がいま生ゴミの保存庫と化しているのだけれど、これはあした収集があるのできょうの夜にわすれずに出さなければならない。
  • 瞑想。鼻からしばらく深呼吸してから静止。妙なはなし、でもないのかもしれないが、口から吐く深呼吸よりも、鼻から吐く深呼吸のほうがからだや肌の感触がなめらかになる気がする(吸うのはどちらも鼻からである)。やはり口で吐くと吐けすぎてしまうから、呼気と吸気のバランスが、ひいては酸素と二酸化炭素のバランスがくずれるのか。からだへの負荷がおおきくなり、筋肉をつかいすぎてしまうということもあるのかもしれない。とはいえ口で吐いたほうが肉をおおきくうごかせるから血流促進の効果はあきらかに高い。瞑想はわるくない感じだ。とくだんの印象はのこっていないし、いつからはじめていつ終えたか時刻もおぼえていないが。ところでさいきん、朝起きるとあたまのなかにWoolfのTo The Lighthouseの英文が勝手に浮かんでいることがわりとある。ここ二日三日はサボっていたが、基本まいにち読んでいるのでふつうにおぼえてきている。四段落あるながい記述のあれのうち、第一段落はたぶんけっこう暗唱できる気がする。あときょうは夢もみて、まだ暗い部屋のなかでちょっと顧みたのだけれど、その後日記の読みかえしなどしているうちにわすれてしまった。さいきんは夢をちっとも記述できていなくてそれもなんかすこし残念だ。
  • 食事はサラダにできる野菜がなくなったので、というのはつまりキャベツと白菜をきのうでつかいきったということだが(スーパーにも行ったけれど、正月三日とあって来ていない品もおおいようで棚のところどころに空白があり、そのふたつは売っていなかった)、それなのでしかたなく野菜は食えず、シジミの味噌汁とランチパックのツナマヨネーズ。あとバナナ。そしてデザートにきのう買ったモンブランプリン。それらを賞味しつつ(……)さんのブログを読むなど。食後は皿をかたづけ歯を磨き、白湯をつくってちびちびやりつつ、(……)作業のBGMに、Enrico Pieranunzi Trio『Live in Paris』をイヤフォンで。”But Not For Me”から。なかなかすばらしいライブ音源だとおもう。”But Not For Me”のさいしょでも不協的な音のつぶてをちょっと混ぜているのだけれど、CDだとたしか二枚目のはじまりだったような気がする”Someday My Prince Will Come”も、原曲のメロディははっきりのこしながらも色をやや抽象的な方向に塗り直しており、わりと絶妙な色づかいだなとおもった。YouTubeにあったのを貼っておくので興味のある向きは(https://www.youtube.com/watch?v=o0pZ7V2tO-8(https://www.youtube.com/watch?v=o0pZ7V2tO-8))。
  • そのあとひさびさに音楽を耳にながしたままできょうの記事を書き出してみると、胃とか胸のへんな感じに妨害されることもなくここまでさらさら書けている。いま一〇時一九分。はやい! なんてことだ。勤勉。天気もいいし、街まであるいていって本屋や図書館に行きたいきもちもある。
  • 洗濯は、シーツを洗おうかなあどうしようかなとおもったのだけれど、それにまだ時間はあるのだけれど、なんとなくやる気がかたまりきっていない。それよりもトイレというか浴室の掃除をしたほうがよい気がする。そちらもやる気がかたまっていないが。
  • 今月の二一日にもともと(……)くん・(……)くんとの会合がはいっていたのだが、数日前に、これ職場の会議の日じゃんということに気づき、きのうようやく日程変更願いのメールをおくった。それで二月一八日(土)に移動させることに。一か月延びてしまったが、あいだが空く分には余裕ができていろいろ読めるのでこちらとしては問題ない。課題書は講談社文芸文庫にはいっている吉田満戦艦大和ノ最期』と、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』。前者はまえに(……)さんがブログでふれていたのでおぼえており、こちらがはなしに出した。後者はゆうめいな本で、日本的組織論の古典みたいなあつかいのはずで、あえてそういうことばをつかうならば「意識の高い」ようなビジネスマンとかも読んでいるはず。中公文庫。Amazonのページをみても、ランキング第一位のベストセラーとか、「各界のリーダーが「座右の書」に挙げるロングセラー」という売り文句が見える。組織論的研究もよいが、ウルフの『灯台へ』か『波』を座右の書にしろ。それかヴァルザー。ヴァルザーを座右の書にしているビジネスマンがいたら信用できる。
  • いま一二時一七分。うえまで書いたあとそのままきのうの記事にもとりかかり、買い出しに出たときの往路帰路のことをつづってしあげ、投稿した。すごい。はやい。正午にもうきのうのことが書き終わったとは。書きぶりも情報のおおさのわりにだいぶすらすらと、やすやすとした感じで書けて、いつもこうなら良いのだけれど。正月だろうが休みだろうが関係がない、たいしたしごとぶりだ。しかしこれはしごとなどではない。しごとでないからして休みもない。書くことはつねにそこにある。「書くこと」とは書く対象ということでもあり、書くそのうごきということでもある。それに休暇も従事もない。書いていない時間に書くことを休んでいるというわけではないのだ。書くことはつねにそこにあり、書かれることはつねに書かれつつある。おれはまいにち書く。からだがととのいさえすれば。それについていけさえすれば。しかしさすがにちょっとねむいような感はある。
  • だらだらしながらじぶんの日記を読みかえしたり、(……)さんのブログを読んだり、大沼保昭著/聞き手・江川紹子『「歴史認識」とは何か 対立の構図を超えて』(中公新書、二〇一五年)をちょっとだけ読みすすめたり。それから二食目。シジミの味噌汁と、チョコチップメロンパン。あとミカンとバナナ。クレラップも切れたし、サラダをつくれる野菜もないので(まあタマネギとかニンジンとかはあるので、それこそ実家からもらってきたスチームケースをつかって温野菜をつくるべきなのだろうが、やる気にならない)、のちほどまた買い出しに行きたいとおもっている。食後は白湯を飲んだり歯磨きしたりしながらウェブをみつつ腹がおちつくのを待ち、そうするうちにひさしぶりにギターを弾きたく鳴った。それで四時前くらいに部屋の角(北西、椅子に座った位置からみて右斜め四時くらいの方角)にあるケースからアコギをとりだしてもてあそぶ。ちょっといじってみて、なんかわりとよさそうな雰囲気だったので、ひさしぶりに録ってみることにした。携帯で。ボイスレコーダー。ところが録音ボタンを押すとそれだけでやはりいましがたなにも気にせず遊んでいたときのこころもちとはちょっとちがって、緊張感まで行かないがなにかちゃんと弾かなきゃみたいな意識が侵入してくるのが感じ取られ、それでさいしょの二、三分くらいはゆびのうごきがぎこちなく、音を密接に追えない気がしたが、じきにわすれた。似非ブルースを各キーでてきとうにやって飽きると似非インプロにうつるといういつものながれで、めあたらしいことがなにもないのだがまあそうわるくなくできたかなという感じ。携帯からGoogle Driveにうつしたのをダウンロードし、noteに投稿しておいた。一一月に録ったやつが携帯にはのこっていて、これはたしか出来がわるかったので投稿するのはやめておこうとおもったんではなかったかとおもうが、かまわずそれも投稿しておいた。その後今回録った一二番(https://note.com/diary20210704/n/n3b964cdb2371(https://note.com/diary20210704/n/n3b964cdb2371))をいちおう聞いてみる。三二分間。座って聞いているとねむくなってきたので、とちゅうから立って手を振ったり、背伸びをしたり、開脚で上体をひねったりしていた。まあそうよくもないがわるくもなさそう。ゆびはけっこううごいているのではないか。
  • この夜にはきのうにひきつづきスーパーに買い出しに行った。というのもラップがなくなってしまったからなのだが、しかしその肝心のラップを買い忘れてしまい、七日現在まだあらたな品を入手できていないから、たとえばバナナを食っても皮をつつむことができず、ひとまずそのままで冷凍庫に入れてしまっている。前夜は散歩がてらたしょうの遠回りをしたけれど、この夜はほぼまっすぐ店まで行った。出た時間も七時か八時かそのくらいではやめだったはず。きのうとはちがうルートで行こうと路地を右手に抜けると、車の来ない隙にすぐさま通りを向かいへわたり、西方面へと進路を取れば風がけっこう盛んに吹いて、通り沿いの布団屋のシャッターがガタガタ音を立てるとともに、そのとなりの建物もおなじように表面を揺らされている。横向きにはさまった細めの車道をわたり、(……)通りにはいって西進。そうながい道のりではないからと首もとをまもらずモッズコートだけで来たからさむいにはさむいが、身内からふるえるほどの冷気ともかんじず、脚をよくほぐしてあたたまっているからからだもぜんたいに安定感があり、夜もはやくてたびたびあらわれる通行人を堂々とむかえうつような、そんな視線や歩みぶりになる。おもて(すなわち(……)通り)まで来るとそこではわたらず左に折れた。どこかから咳き込みが聞こえてくる。すすめばコインランドリーのまえでガードレールのそばに寄って、老人がひとり煙草を吸っており、左をみやればいつでも無害ぶった白さの店内には人影はない。洗濯を待っていたのだろうか。とおりすぎたあとにゴホゴホいっていたのでこの老人が咳き込みのもとだと知れた。時間がはやいのでまだやっている飯屋飲み屋なんかをちょっとのぞきながら行き、横断歩道でわたってスーパーへ。きのうも来たしたいして買うものもない、キャベツ白菜くらいだとおもっていたところがなんだかんだでやはりけっこう買ってしまった。「アルフォート」のアソートパックとか。けっこう毎食後、ちょっとだけでよいので甘いものがほしくはなるんだよな。鍋スープのもともひさびさに買って煮込みうどんつくるかとおもい、濃厚味噌のやつをえらんだ。あしたが労働で食事を簡便にしたかったので、ランチパックもまた購入。ツナマヨネーズとたまご。
  • 帰路は裏路地にはいると前方を年嵩の男がひとり、ちょっとよたよたとしたような、ガニ股というほどでもないがたしかにカニがまえにあるいているかのような、脚をまっすぐ前方に出すのではなくて横にすこしひろげたのをちょこちょこと小刻みにおくってからだをはこぶしかない、みたいな歩きかたで、みあげればこの夜も硬質のなめらかな青い夜空に月や星が明晰であり、男は星よ~~、聞いてるか~~、みたいなふうにうたを口ずさんでいた。しかしうたといっても音程もなにもあったものではなく、あるいはあってないがごときもので、たぶん酒を飲んできて良い気分なのでてきとうにそんなことばを節にしてみただけだろう。昭和の酔っ払いの鑑みたいなにんげんだ。こちらがうしろにいるうちは小声だったが、追い抜かして(こちらの歩みで追い抜かせるということは足のはこびがそうとうに遅かったことの証左である)ちょっと経つと、いくらか調子をあげてきていた。アパートのある路地、公園のところまで来ると細道から出たその正面で、敷地の縁に寄って、自転車をともなったふたりの婦人が立ち話をしており、保育園やクリーニング屋の同僚同士か、わからないが、よくこんなさむいなかで立ち止まってながくはなしているなとおもった。内容は聞いていないが、雰囲気としてはたのしげなものではなく、ややまじめなはなしというか、たとえば子育てとか、たがいの家庭や生活のことなんかを交換しているような印象。


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  • 日記読み: 2022/1/4, Tue.
  • 「読みかえし2」: 721 - 750