2023/1/21, Sat.

  洞穴のなか

 洞穴のなかの子供らのかたわらに
 ふさぎこんであおむけに寝そべりながら
 アッタ・トロルは 物思わしげに
 前脚をなめなめつぶやく

 「ムンマよ ムンマ 黒い真珠よ
 おまえを世の荒波のなかで
 手に入れたのに おれはまた
 世の荒波におまえをなくしてしまった

 もう おまえには会えないだろうか
 ただ会えるのは おまえの魂が
 地上の枷から解き放たれて
 浄らかに生れ変るあの世でしかないのか(end155)

 ああ おれはその前にもう一度
 おれのムンマのかわいい口を
 なめずってやりたい
 蜂蜜をぬったような甘いあの口を

 そして もう一度
 あのなつかしい黒いムンマの
 独特の匂いを嗅ぎたいものだ
 ばらの香のようなすばらしい匂い

 だのに ああ あのムンマは
 人間などと名乗りやがって
 万物の霊長だとうぬぼれてるやつらの
 鎖につながれて苦しんでいるのだ(end156)

 いまいましい 人間などという
 この最大の貴族主義者は
 横柄にいばりくさって
 動物界を見くだして

 おれたちの女房や子供を奪い
 おれたちを縛り 虐待するばかりか
 おれたちをぶち殺して
 皮を売り 骨までしゃぶりやがる

 おまけにやつらは そんな悪事を
 ことさら熊たちに
 おこなう権利があると思い
 そいつを人間の権利とぬかしやがる

 人間の権利 人間の権利
 だれがきさまらにそんなものを授けた(end157)
 自然はけっしてそんなことはしなかった
 自然はそんな不自然なものじゃない

 人間の権利 だれがきさまらに
 そんな特権を与えたのか
 理性はそんなまねはしない
 理性はそんなに不合理じゃない

 人間ども きさまらは きさまらの
 食い物が煮たり焼いたりしてあるから
 おれたち動物より少し偉いとでも思ってるのか
 いかにもおれたちは食い物を生 [なま] のまま食う

 だが 結果は所詮おなじことだ
 何も食い物で 気高くなるんじゃない
 感情が気高く 行いが気高い
 そういうものが高貴なんだ(end158)

 人間ども きさまらは
 学問や芸術をうまくやらかしているから
 偉いとでも思ってるのか
 おれたち動物だってばかじゃないぞ

 学問のある犬だっているじゃないか
 会社の顧問みたいに計算のうまい
 馬だっているじゃないか
 兎だって達者に太鼓を鳴らすじゃないか

 たいていの海狸 [ビーバー] が静力学で
 抜群だったじゃないか
 灌腸が発明されたのは
 鶴のおかげじゃないか(end159)

 驢馬が批評を書いてるじゃないか
 猿が芝居をやってるじゃないか
 尾長猿のバタヴィアより
 うまい女優があるかってんだ

 鶯は歌をうたうじゃないか
 フライリヒラートだって詩人じゃないか
 あいつと同郷の駱駝以上に
 獅子のことを歌えるものがどこにある

 踊りにかけちゃ おれといえども
 ラウマーの書法ぐらいの域にゃ達した
 それとも やつの書き方が
 熊のおれの踊りよりうまいというのか

 人間ども おれたち動物より
 どうしてきさまらが偉いのか
 きさまらはたしかに頭をまっすぐに立てている(end160)
 だが その頭には思想がいやしく這ってるぞ

 人間ども 皮膚がつるつるしてるから
 きさまらがおれたち動物より偉いというのか
 それしきのことなら
 きさまらは蛇と同じことだ

 人間ども 二本足の蛇め きさまらが
 ズボンをはくわけはよくわかってるぞ
 きさまらは そのつるつるの蛇肌を
 他人の毛皮でかくすんだ

 倅 [せがれ] たち あの毛のない
 できそこないに用心しろよ
 娘たち あのズボンをはく
 化け物には気をゆるすなよ」(end161)

 熊が不逞な平等観の妄想にふけって
 人間にむかって どんなに
 非難の屁理屈をならべたか
 ぼくはこれ以上報告したくない

 それはと言えば ぼく自身
 やっぱり人間なのだから
 人間を傷つけるに終るだけの
 無礼な言葉をくり返したくない

 そうだ ぼくは人間だ
 他の哺乳動物よりすぐれているのだ
 この生れながらの利益は
 絶対に否認しない

 それで ほかの動物と戦争するなら
 ぼくは 人類のために(end162)
 生来の神聖な人間の権利のために
 あくまでも忠実に戦うだろう
 
 (井上正蔵 [しょうぞう] 訳『ハイネ詩集』(小沢書店/世界詩人選08、一九九六年)、155~163; 「洞穴のなか」(In der Höhle......); 『アッタ・トロル』)



  • 一年前から。天気と風景。そこそこ。「いたいけな反射光」という形容や、「綱渡りする生き物のように影が線上を往復」するさまをみているあたり。

(……)ジャージにきがえるあいだ窓を見た。晴れ日の一一時前だからひかりは宙によく通って瓦屋根にもいくらか白さが塗られ、風にゆれる電線の根もとがいたいけな反射光をひらめかせたり、あるいは綱渡りする生き物のように影が線上を往復したりしている。そのしたで手前の家屋にかくれながらも伸び上がってさきののぞくススキのたぐいがさわさわ回るように揺らいでおり、室内右手にはベランダの洗濯物が振れるようすも見えるが、あたりはしずかで風に家を鳴らすほどのいきおいはない。(……)

二面と国際面にバイデンが就任から一年の演説をおこなったという報。ロシアにたいして、もしウクライナに侵攻すればロシアの銀行のドル取引を停止する制裁をおこなう、おおきな代償を支払うことになる、と警告したと。ウクライナNATO加盟については、国際規約上、原則としてどの国も自由に同盟をむすぶことができるとしながらも、ウクライナが近いうちに加盟する可能性は高くないと発言。ロシアがもとめているヨーロッパからの核撤廃とかは交渉の余地はないと断言で拒否。ジョー・マンチンなど党内の反対で難航している一. 七五兆ドル(二〇〇兆円)規模の大型歳出法案については分割・修正する意図を示し、中間選挙までには成立させることができる自信があると表明。国際面の記事は就任から一年をむかえたがバイデン政権は行き詰まりの感がつよいという内容で、支持率も当初の五〇パーセント台からいまは最低の四〇パーセントまで落ちている。一一月に中間選挙をひかえて融和路線から対立路線に転換し、支持を回復するべきだという声が党内に増えているらしく、それで今回の演説でもバイデンは共和党を批判し、また六日におこなった演説でもドナルド・トランプをこれまでになく痛烈に批判した。しかしそれはかれが就任当初に掲げた米国の「団結」をとりもどすという目標とはもちろん背反する動きである。渡辺靖がコメントを寄せており、バイデンはほんとうは前向きなメッセージを発したかっただろうが、どうにも行き詰まって大統領選のころのようにトランプを直接的に批判することになった、それは「分断」に回帰しなければならないくらいに追い詰められているということだ、外交で失策をするとまずい、とくにウクライナ情勢の対応で失敗すれば致命的で再選はあやうくなるだろう、と述べていた。

  • Bill Evans Trioの感想とその周辺をいろいろ書いている。

(……)口をゆすぐとスーツに着替え、時刻は四時四五分だったので、二曲分だけBill Evans Trioを聞くことにした。六一年のライブのディスク2の”My Romance (take 2)”と”Milestones”。My Romanceのピアノソロ中はベースが二分音符中心でかなでるパートが二コーラスだか四コーラスだかわからんがつづき、ドラムがスティックに持ち変えるとともに(たしかブラシからスティックに持ち替えていた気がするのだが、もしかしたらさいしょからスティックで、ただ四つ刻みはじめただけかもしれない)LaFaroも4ビートに移って、一コーラスだか二コーラスだかやったその後また二分音符のリズムにもどり、そのままベースソロにはいる。LaFaroはテンポが半分の前半でむしろよくうごいていて、四小節だか八小節だかわからんが偶数単位の終わりごろでうごめくオブリを入れることが多い。アルバム全体をきけばEvansのフレーズの収まりにあわせて副旋律をはさむようなやりかたもけっこうあるのだけれど、このMy Romanceではピアノがメロディを奏でているのにおかまいなくじぶんも旋律的にうごく場面が多い気がした。それでいてぶつからず、並行的なながれかたになっている。Evansがややコード的なプレイをしているか、あまりこまかく埋めていない箇所だったのかもしれない。4ビートのパートではこまかなうごきはほぼ入れず、めずらしく一拍一音を基本に尋常なバッキングに終始していた。2ビートにもどってからは一箇所、高めに浮かび上がって三音セットを三連符で二、三回くりかえしたあと、おなじ一音をリズミカルに連打するところがあって、なにやってんねん、とおもった。Motianもしかしそれにあわせていくらかバシャバシャやっていた。”Milestones”のほうは、My Romanceやほかの数曲みたいにいちおうバップの延長上にあるというかようするにコーダルな曲からみると、かなり風通しよく解体されている。つまりモードということだが、EvansはEvansでもちろん、色調のうすくてやや神秘的なつめたさのフレージングが板についているし、LaFaroもLaFaroで頻繁にこまかく走っている。フリーまであと数歩のところに来ているんじゃないか、とおもった。Bill Evansはおそらくフリーができる演者ではなかった、LaFaroが生きていてトリオがさらに発展してもかれ個人はそこに踏みこむことはなかっただろうとこちらは勝手におもいこんでいるのだけれど、しかしこの路線でこのまま熟して、行けるところまで行きはしただろう。フリーにははいらないとして、そのときのトリオがどうなっていたのかまったくわからないが。フリーをやるにはEvansが堅固すぎる気がするのだ。その点、LaFaroはあきらかにコードもリズムもかんたんに捨てられる人種だろうし、六一年時点でそういう志向はふつうに見えるとおもうし、これいぜんにOrnette Colemanの録音にも参加していたわけだし(あれはあれでなんかちょっと特殊な気がするが)、フリーインプロヴィゼーションは余裕で身につけたとおもう。だからLaFaroの解体力がどんどん激化していったときに、Evansがそれにどう対応したか、どう影響を受けることになったのか、じぶんを保っていられたのか、というのは音楽として聞いてみたかった。このふたりのスタイルはある種ひじょうにわかりやすく対照的に聞こえる。それでいながらもちろん調和してもいるのだけれど、その調和はふつうの噛み合い方ではなく、もっと複雑な、ほんとうはうまく組み合わないはずのものが一周回ったさきでなぜか調和してしまった、というようなありかたであるようにおもえる。聞いていても、ある種のちぐはぐさの感覚をおぼえることがある。しかしちぐはぐといってそれもまた、齟齬でも衝突でもなく、並行の感、まったく別種の関係のないものが偶然おなじところに居合わせて理由もなく共存してしまっている、という感じがつよい。その、いってみればいびつさが、六一年のBill Evans Trioの特殊性なのだとおもう。かれらのかたちはぜんぜんスタンダードではない。もちろん一九六一年六月二五日のVillage Vanguardの録音は世紀の大名盤としてジャズ史にその名を刻んでいるし、不思議なことにさいしょに聞くべき入門の一枚として挙げられることすら多いわけで、その後、ピアノトリオをやろうという者は例外なくこのトリオの影響範囲に入り、なんらかの意味でそれを参照しなければならなかったはずだし、こういうスタイルを学んでみずから実践したトリオもいくらでもあるはずだが、かれらのうちの成功したものは、たぶんみんなうつくしく、うまく調和したはずだ。Bill Evans Trioは、うつくしく、うまく調和してなどいない。なにかそれとはべつのありかたをしている。それが、この演奏がいまにいたるまでずっと聞き続けられてきた理由だとおもう。

とはいえ、LaFaroはフリーをやってもそんなに衝撃的な演者にはならなかったのではないか、という気もする。かれがすごいのはやはりバップの範疇、コードの制約があるなかであれだけの泳ぎ方踊り方をしてみせたという点にほかならず、モードとかフリーとかのかたちで自由に闊達に動き回れるというのは、ある種あたりまえのことだろう。真の自由は規則のなかにこそある、というありがちな言い分にあたってしまうが、LaFaroの自由さというのはほんとうにすごい。規範を逆手に取ってたくみに活用しているとか、なんかそういうレベルではない。それまでのベーシストのだれにも見えなかったみちすじを見出しているとしかおもえないし、LaFaro以後にかれとおなじみちすじが見えるようになった人間もほんのわずかしかいないとおもう。コードの解体いぜんに、コードに沿いながら、なおかつそういうフリー的な自由の感覚をそのなかにみちびきいれてしまったのがすごいわけで、LaFaroが生きていてフリーに行ったとして、かれがその段階でやったであろうことは、たぶんその後Jimmy GarrisonでもGary PeacockでもEddie Gomezでも誰でもできたとおもう。しかしかれらの誰一人として、LaFaroがBill Evans Trioでやったことはできなかっただろう。

“Milestones”は、六〇年代のいわゆる新主流派というのか、Herbie Hancockとかがやったことを先取りしているような感じがある。かれらはまあだいたいのところMiles Davisの傘下から発生したと言ってよいとおもうが、MilesとColtraneとEvansというレジェンド三者のそれぞれの発展を追ってみるのもおもしろそうなことだ(というか、そのうち後者のふたりもやはりMiles Davisの傘下から発生したと言ってよいわけで、それをかんがえるとMilesってマジでやばいなとおもう)。御大は五八年に例の『Kind of Blue』でモードの画期をつくったものの、その後の過激化はたぶんそんなにはやくなく、Coltraneが生き急ぐかのように『Giant Steps』をつくり『My Favorite Things』に行ったのとくらべるとやや出遅れた感はある(六一年はまだ『Someday My Prince Will Come』の段階だ)。六四年にはクインテットがきわだった完成度にいたっているし、六七年くらいにはもうわりと意味のわからん状態になっているが。行き着くところまで行ってもうこれいじょう無理だからエレクトリックに活路を見出した、というかんじだろうたぶん。かれはまた性分としてもそんなにフリーに適合してはいなかったはずで、たしかOrnette Colemanははなしにならん、みたいなことを言っていたとおもうし、Eric Dolphyのこともディスっていたはず(かれの音を「馬のいななき」と評したのは御大ではなかったか?)。また、多重奏団やオーケストラなんかもこころみてきたし、バンドリーダーとしてアンサンブル志向がほかのふたりよりつよいというか、音楽を全体としてかんがえ発展させるという意思がある気がされ、あまり個人技というタイプではない。たいしてColtraneは個人技も個人技で、標準的なジャズ史では五九年録音(六〇年発表)の『Giant Steps』でハードバップが行き着くところまで行ったとされているわけだが、もちろんあれはあれですごいものの、あえてけなしていえば、あんなのは独裁的な音楽でしょう(六〇年以降、つまりレギュラーカルテットになったあとはまたちょっと違ってくるとおもうが)。それとわかりやすく対比させていえば、Bill Evans Trioは平等の形象である。スタジオ盤はまだしもピアノとリズムで上下がある気もするが、六一年のライブでは階層が存在しなくなっている。史上稀有な音楽的民主主義といってもよい。

  • したのテレビドラマの内容はなにもおもしろくはないのだが、われながら過不足なく要約するなあというのと、「一瞬たりとも途切れることなく約束事にしたがいつづけるたぐいの、あふれでる既視感の連鎖でもって時空を持続させるドラマ」という一文の淡々としたけなしぶりがちょっと笑えた。「なぜかわからないがなんとなくいい話ふうの不条理なおさまりかたをした」というのも。

(……)テレビはサスペンス的なドラマ。中学時代の同級生らのひとり(女性)が、山梨から東京に出て漫画家をやっている主人公(波瑠)に嫉妬し、かのじょの部屋に忍びこんでナイフで衣服を引き裂いたところをつかまえられ、その後、悶着の場面。下手人の動機は、上京したり人気漫画家として成功したり、中学時代にあこがれだった男性(「雨宮くん」)と仲良くしていたり、じぶんがほしかったものを波瑠がぜんぶ手に入れているという嫉みだったが、空き巣に忍びこんで部屋のようすをみてみれば、成功どころかかつかつの暮らしをしていることがわかり、人気漫画家などではとてもなく、ファンはひとりしかいないじゃない、と盗みだしたファンレター数枚を手にしながら女性はさげすみ、わたしよりあんたのほうがよっぽどみじめよ、と言い放つ。そうして、わたしに謝って、嘘ついてすみませんって、謝りなさいよ、などと言いつつファンレターを地面に捨てて踏み潰すと、怒った波瑠がかのじょを押しのけて手紙をまもり、ちょっとなにすんのよ、とかもらしながら(このときの語調は平板でやや棒読みで、大根感があった)ちかづいてきたあいてにさらに平手打ちをかまして、わたしのことを馬鹿にするのはいいけど、こんなわたしでも応援してくれるひとがいるの、そのひとのことを馬鹿にするのはぜったいにゆるさないと啖呵を切り、つかみあいになりかけたところで雨宮くんがあらわれて女性をいさめる、というながれ。一瞬たりとも途切れることなく約束事にしたがいつづけるたぐいの、あふれでる既視感の連鎖でもって時空を持続させるドラマ。その後、波瑠は、もうひとりの女友達が、かのじょのやったことは犯罪だと言って通報しようとするのを意に介さず女性をゆるし、女性もあんたたちよりも成功してやるから、幸せになってやるから、と宣言して、それを雨宮くんと波瑠が楽しみにしていると受け、なぜかわからないがなんとなくいい話ふうの不条理なおさまりかたをしたあと、場面が変わってこの同級生グループのなかにひとりわすれられていた人間がいたのではないかという、よくホラーものにあるような展開のしかたをして、そこにさきの女性が(たしか真っ赤なコートを着ていたとおもうが)旅行先らしく渓谷みたいな場所でだれかにたいして、いいたいこといえてすっきりした、手伝ってくれてありがとね、とか感謝を述べているカットがさしはさまったのち、喫茶店だかバール的な場所にいる波瑠たちのもとに、かのじょが死んだという知らせがはいってくる。それでこの回はだいたい終幕だった。

  • 「読みかえし2」より。

Julian Borger in Washington, “China’s treatment of Uyghurs may be crime against humanity, says UN human rights chief”(2022/9/1)(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/31/china-uyghur-muslims-xinjiang-michelle-bachelet-un(https://www.theguardian.com/world/2022/aug/31/china-uyghur-muslims-xinjiang-michelle-bachelet-un))

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Over the past five years, China swept an estimated million Uyghurs and other minority groups into internment camps which it termed training centres. Some of the centres have since been closed but there are still thought to be hundreds of thousands still incarcerated. In several hundred cases families had no idea about the fate of relatives who had been detained.

Out of 26 former inmates interviewed by UN investigators, two-thirds “reported having been subjected to treatment that would amount to torture and/or other forms of ill-treatment”.

The abuses described included beatings with electric batons while being strapped in a “tiger chair” (to which inmates are strapped by their hands and feet), extended solitary confinement, as well as what appeared to be a form of waterboarding, “being subjected to interrogation with water being poured in their faces”.

The US and some other countries have said the mass incarceration of Uyghurs and other Muslims in Xinjiang, the destruction of mosques and communities and forced abortion and sterilisation, amount to genocide. The UN report does not mention genocide but says allegations of torture, including force medical procedures, as well as sexual violence were all “credible”.

It said that the authorities had deemed violations of the three-child official limit on family size to be an indicator of “extremism”, leading to internment.

“Several women interviewed by OHCHR raised allegations of forced birth control, in particular forced IUD [intrauterine device] placements and possible forced sterilisations with respect to Uyghur and ethnic Kazakh women. Some women spoke of the risk of harsh punishments including “internment” or “imprisonment” for violations of the family planning policy,” the report said.

“Among these, OHCHR interviewed some women who said they were forced to have abortions or forced to have IUDs inserted, after having reached the permitted number of children under the family planning policy. These first-hand accounts, although limited in number, are considered credible.”

In the report, Bachelet, a former Chilean president, noted that the average rate of sterilisation per 100,000 inhabitants in China as a whole was just over 32. In the Xinjiang Uyghur Autonomous Region it was 243.

Legislation seeking to limit how teachers talk about race has been considered by at least 15 states, according to an analysis by Education Week.

In Idaho, Governor Brad Little signed into law a measure banning public schools from teaching critical race theory, which it claimed will “exacerbate and inflame divisions on the basis of sex, race, ethnicity, religion, color, national origin, or other criteria in ways contrary to the unity of the nation and the wellbeing of the state of Idaho and its citizens”. The state’s lieutenant governor, Janice McGeachin, also established a taskforce to “examine indoctrination in Idaho education and to protect our young people from the scourge of critical race theory, socialism, communism, and Marxism”.

In Tennessee, the legislature has approved a bill that would bar public schools from using instructional materials that promote certain concepts, including the idea that, “This state or the United States is fundamentally or irredeemably racist or sexist.”

The Texas house of representatives has passed a flurry of legislation related to teaching history, including a bill that would ban any course that would “require an understanding of the 1619 Project” and a bill that would establish an “1836 Project” (a reference to the date of the founding of the Republic of Texas) to “promote patriotic education”.

Mitch McConnell, the Senate minority leader, in April came out in opposition to a small federal grant program (just $5.25m out of the department of education’s $73.5bn budget) supporting American history and civics education projects that, among other criteria, “incorporate racially, ethnically, culturally, and linguistically diverse perspectives”.

“Families did not ask for this divisive nonsense,” McConnell wrote in a letter to the secretary of education, Miguel Cardona. “Voters did not vote for it. Americans never decided our children should be taught that our country is inherently evil.”

     *

“Whose children are we talking about?” asked LaGarrett King, a professor at the University of Missouri School of Education who has developed a new framework for teaching Black history. “Black parents talk to their kids about racism. Asian American parents talk to their kids about racism. Just say that you don’t want white kids to learn about racism.”

“If we understand the systemic nature of racism, then that will help us really understand our society, and hopefully improve it,” King added. “Laws like this – it’s simply that people do not want to improve society. History is about power, and these people want to continue in a system that they have enjoyed.”

While diversity training and the 1619 Project have been major targets, critical race theory has more recently become the watchword of the moral panic. Developed by Black legal scholars at Harvard in the 1980s, critical race theory is a mode of thinking that examines the ways in which racism was embedded into American law.

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But in the hands of the American right, critical race theory has morphed into an existential threat. In early January, just five days after rightwing rioters had stormed the US Capitol, the Heritage Foundation, a rightwing thinktank with close ties to the Trump administration, hosted a panel discussion about the threat of “the new intolerance” and its “grip on America”.

“Critical race theory is the complete rejection of the best ideas of the American founding. This is some dangerous, dangerous philosophical poisoning in the blood stream,” said Angela Sailor, a VP of the Heritage Foundation’s Feulner Institute and the moderator of the event.

“The rigid persistence with which believers apply this theory has made critical race theory a constant daily presence in the lives of hundreds of millions of people,” she added, in an assessment that will probably come as a surprise to hundreds of millions of people.

The Heritage Foundation has been one of the top campaigners against critical race theory, alongside the Manhattan Institute, another conservative thinktank known for promoting the “broken windows” theory of policing.

Bridging the two groups is Christopher Rufo, a documentary film-maker who has become the leading spokesperson against critical race theory on television and on Twitter. As a visiting fellow at Heritage, he produced a report arguing that critical race theory makes inequality worse, and in April the Manhattan Institute appointed him the director of a new “Initiative on Critical Race Theory”. (Rufo is also affiliated with another rightwing thinktank, the Discovery Institute, which is best known for its repeated attempts to smuggle Christian theology into US public schools under the guise of the pseudoscientific “intelligent design”.)

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For some of these groups, critical race theory is just one of many “liberal” ideas they don’t want their children to learn. No Left Turn in Education also complains about comprehensive sex education and includes a link on its website to an article suggesting that teaching children about the climate crisis is a form of indoctrination.

For others, it seems possible that attacking critical race theory is just a smokescreen for a bog standard conservative agenda. (Toward the end of the Heritage Foundation’s January panel, the group’s director of its center for education policy told viewers that the “most important” way to fight critical race theory was to support “school choice”, a longstanding policy goal of the right.)

Whatever their motives, today’s reactionaries are picking up the mantle of generations of Americans who have fought to ensure that white children are taught a version of America’s past that is more hagiographic than historic. The echoes are so strong that Adam Laats, a Binghamton University professor who studies the history of education in the US, remarked, “It’s confusing which decade we’re in.”

In the 1920s and 1930s, reactionaries objected to textbooks that gave credence to the progressive historian Charles Beard’s argument that the founders’ motives were not strictly principled, but instead were influenced by economic self-interest, according to Seth Cotlar, a history professor at Willamette University.

In 1923, an Oregon state government controlled by members of the resurgent Ku Klux Klan enacted a law that banned the use of any textbook in schools that “speaks slightingly of the founders of the republic, or of the men who preserved the union, or which belittles or undervalues their work”. And in the 1930s, conservatives waged what Laats called a “frenzied campaign” against the textbooks of Harold Rugg, another progressive historian, that actually resulted in a book burning in Bradner, Ohio.

     *

Another battle over textbooks flared in the 1990s when Lynne Cheney launched a high-profile campaign against an effort to introduce new standards for teaching US history, which she found insufficiently “celebratory” and lacking “a tone of affirmation”. Harriet Tubman, the KKK, and McCarthyism all received too much attention, Cheney complained, and George Washington and Robert E Lee not enough.

  • はや帰宅後の深夜丑三つ、すでに二二日の午前二時半である。疲労は否みがたい。が、それでもこうしてちょっとだけであれ文を記す気になっているのだからたいした気力だ。きょうは職場で会議があった。家を出たのは四時半、六時ごろに着いて準備、本篇やその後のもろもろもあって退出は一〇時半過ぎ、アパートに帰り着いたのは一一時四五分くらいだっただろう。少々やすんでから飯を食い、気づけば一時、そこからうえの英文記事を読んで二時をまたいだ。
  • 覚醒は八時二三分、離床は一〇時過ぎ、母親が部屋をおとずれてきたのが正午まえくらいだった。(……)でおこなわれる落語漫才のたぐいのイベントに父親とともに行くので、そのついでに寄って食い物や菓子をくれるというはなしだったのだ。一〇時過ぎに床をはなれたこちらは腕を振ったり瞑想したりして一一時ごろから飯を食いだしたとおもわれ、食後にさくばんスーパーで買ったちいさなカップケーキというか、苺そのものとそのソースが乗った生クリームが生地のうえを埋めているたぐいの、小カップにはいった甘味をデザートとして食っているときに、建物入り口のあたりに気配を感知し、まもなく扉のそとからこんにちは、来ました、とかいう母親の声が聞こえたので、はい、と受けて椅子を立ち、ドアをあけてどうもどうもとあいさつをした。食い物をもろもろ持ってきてくれた。(……)に行ったらしく、そこの品であるレトルトのイノシシカレーとか、あとほうれん草とか言っていたかなにかの料理とか、冷凍のウインナーとかミカンとか。甘味も少々。布団のカビをみたいとかSMSで言っていたので、みる? と言ってなかにまねき、きょうはシーツを洗ったので皮がなくて裸になった敷き布団をたたんでおいたのをちょっとうごかして裏側をみせると、ほんとだ、という。しかしまあそこまでひどくはないとおもう。その他母親は部屋のなかをいろいろみつつ、はじめてはいったと言ったがそうだったか。まえにいちどはいったでしょ? と疑問を投げると、まえは入り口まででなかにははいらなかったという。それで兄夫婦からとどいた炊飯器をきのう開封して段ボールをかたづけて縛ったとか、きょうはシーツを洗ったとかおしえる。そのシーツだが、きょうは風がたいそうつよくて、起床後に窓をあけて座布団を出したり、下の道の通行人に注意しつつシーツに溜まりまくった埃を宙に解放してながしたりするあいだにも、寒さは感じなかったもののさわやかなつめたさといった午前の風が凛と身にふれ、部屋のうちにもはいっていくらか冴えたのだったが、物干し棒にかけて左右を留めたシーツはその風に追いやられて左側におもいきり追いやられており、母親に窓をしめしたさいにそのことに気づいたので、あ、だめだ、風がつよいから、ながされてるわといって、棒のうえをすべり片寄っていた右端部分をもとのように右方にもどした。しかしだめで、またすぐに風に押しやられてしまう。それで棒を支柱として二つ折りとなったかたちの左右端、縦線をピンチではさんで留めるだけでなく、棒にかかっている上辺も三箇所くらい留めればだいじょうぶだろうとピンチを追加したが、これでもだめで、棒といっしょにはさんでいてもやはり風のつよさに負けてずれていってしまうのだ。最終的に、母親が帰ったあとに解を見出した。つまり、右端の最下部を柵のほそい一本といっしょに留めるかたちで固定して、それでようやくかたちが崩されることなく風を浴びることができるようになったのだ。シーツが寄ったのはつねに左、南へと向けてだったので、ながれはもっぱら北風である。
  • いちどシーツをなおしたときにちょうど父親も荷物を持って眼下を通っているのがみえたので、ああどうもどうも、とあいさつを落とし、アパートの入り口に置いておくとのことだったので部屋を抜けて階段を下りた。そのときにはあちらはすでに建物の角、おもてみちとの境のところまで退いており、車のところにいないとまずいから、というので礼を送って袋を部屋へ。それにはハンガーがはいっていたり、あと毛布があったり、また大根とネギがあったりしたのだが、毛布はさいしょに越してくるさいにもってきたのがありながらもつかっておらず、掛け布団だけでどうにかなっているのでいらんと言い、持ち帰ってもらうことに。その他冷凍のものを入れてきたフリーザーバッグも保冷剤とともに返却。品を確認して冷蔵庫に入れたりして、母親がそのへんをみたりトイレをのぞいたりするのを待ちつつちょっとはなしたりする。かのじょはでもこれならきれいにしてるほうだね、といったが、そうか? まあ部屋の狭さに比してものが(おおかた本だが)おおすぎて整理されていないというだけで、そんなに汚れている、きたないというわけではないかもしれないが。しかしトイレのほう、とくに便器内はまごうことなく汚れていてきたないので、母親がトイレの扉をあけるときには、トイレきたないよ、と先手を打った。トイレはいるときはそのスリッパ? ときかれて気づいたのだが、そういえば便所用のスリッパとかサンダルというものを用意しておらず、トイレ内でも居間というか部屋本体内でもおなじスリッパで行き来していた。トイレ用の履き物があってもよいかもしれない。そうしてじきに行くというので、持ち帰ってもらう荷物をはこびがてら見送ることに。置くばしょがないからといいつつ毛布などのはいった袋を持ち、いちおう鍵も閉めてくかともらしながら出ると施錠し、アパートのそとに出て路地を抜ければすぐそこに父親の白い車があるので寄っていき、後部座席をあけてこれは持ち帰りでと袋を置いた。そうして歩道側にうつって別れを交わし、車が発つのを見送るのだが、そこは保育園の側面でちょうど日陰になっており、陽のかよわない薄陰につつまれたなかに風がびゅんびゅん走るので、晴れ空のもとでもつめたいといったらなく、父親がナビを設定するのをみながら立ち尽くしているあいだ、顔をしかめるようにして目を細め、さむいなとつぶやきながら腕や上体で意味のないうごきを演じざるをえなかった。それでじきに発車するので、礼を言い、手をあげて別れ。ある程度見送るがさむいので見えなくなるまでは追わずにアパートにもどる。じぶんの部屋の窓外にシーツが白く干されてあるのをしたからみあげて細い入り口をはいる。
  • ここまで書いてもう三時だしそろそろやめたほうがよいだろう。ゆびはなめらかである。心身もおちついている。それはなぜかというときょうは腕振り体操をよくやったからだろう。いわゆるスワイショウのうち前後に振るほうだが、あれをやるとからだのちからが抜けて、血がめぐるうえにリラックスもできてよい。肩まわりをうごかすからそのあたりがあたたまってなにかほわーっとした感じになるし、すると心身が総合的におちついて焦りがなくなり、日記を書かなくてはというおもいに駆られることもなかった。出勤路に出るのもだいぶ余裕をもった時間取りだったが、とはいえいつもより遅め、午後五時台になると電車は平日四時台とくらべて格段に混んでおり、座席はぜんぶ埋まって車両の端もひとが多く、またある口からはいったところには(……)にでも行ったのか子どもらがあつまって占領し、扉脇も先客がちだったが、一箇所あいていたのでそこにはいる。この混み具合のなかを苦しみなく切り抜けられる自信はないぞというわけで発車までのあいだにヤクを一錠ブーストした。それでももうよほど緊張は弱く、さいしょのうちはあるいてきてからだも動的になっているし、おちつかなくて首をまわしたり肩をまわしたりしてしまったり、手すりをつかんだままじっとしていてもほんのすこし喉元の圧迫をかんじたり、それでまたおちつかなくて手指を伸ばしてみたりとそわそわ気味だったが、ceroの『POLY LIFE MULTI SOUL』で耳をふさぎながらじっとしているうちにそこそこおちついてきて、また客もだんだん減ってくるのでまだしも楽になり、(……)を越えたあたりではだいじょうぶだなという感じになっていた。とはいえその(……)で停まっているあいだに、一瞬瞑目を解いてあたりのようすをみたときに、もう座席に空きも生まれているくらいだったのだがひとの多い電車内という空間状況をまともに感じてしまったのか、目を閉じたあとに緊張が高まりかけたひとときはあった。もうたいしたことにはならないだろうという体調にはなっており、三錠目を飲めばどうにでもなるという感触でもあるが、いっぽうでやはり状況によっては、つねに潜在的なおびやかしを受けてもいる。
  • 往路や帰路のことはわすれたので職場での時間のみ書いておく。(……)
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  • 職場を出たのはけっこう遅くなった。一〇時半を過ぎていたはず。その後の帰路や帰宅後はおぼえていない。


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  • 日記読み: 2022/1/21, Fri.
  • 「読みかえし2」: 1086 - 1108