2023/1/26, Thu.

 神々よ ぼくは一度もあなたがたを愛したことはなかった
 なぜなら ギリシャ人はいまわしいからだ
 ローマ人さえぼくは憎しいのだ
 けれども いまぼくがこうして天上のあなたがたを
 見捨てられた神々を
 死んで夜さまよう影を
 風にはらわれる淡い霧のような姿をながめていると
 ひたぶるな憐みとおびただしい同情とが
 ぼくの心をつらぬくのだ
 それに あなたがたを 打ち負かした神々が
 従順の羊の皮を着た 悪意にみちた
 あの 新しく支配する 陰険な神々が
 どれほど 卑怯で あさましかったかを考えると
 そのとき おお 暗い憤りが ぼくを襲うのだ(end238)
 ぼくはその新しい宮殿を破壊したくなる
 あなたがた 古い神々よ あなたがたのため
 あなたがたとあなたがたの立派な神聖な権利のために 戦いたくなる
 あなたがたのたかい祭壇のまえで
 それを再建し いけにえの煙をたたせ
 ぼくは みずからひざまずき 祈り
 両手をたかくあげてせつに乞いねがいたい

 古い神々よ かつてあなたがたが
 人間のあらそいにさいして つねに
 勝者の味方をしたとはいえ
 人間はあなたがたより寛大です
 神々のあらそいにさいして ぼくはいま
 敗者の神々に味方します

 (井上正蔵 [しょうぞう] 訳『ハイネ詩集』(小沢書店/世界詩人選08、一九九六年)、238~239; 「ギリシャの神々」(Die Götter Griechenlands); 『歌の本』)



  • 一年前の日記はなんだか知らないがいちにちをほぼくまなくひろってよく書いていて、目に留まる部分も多かった。まずBill Evans Trio。

(……)音楽はきょうも”All of You (take 3)”にやはりすごいなとおもった。ベースソロにいたるまでのピアノソロぶぶんは流動性がやばくて、よくこんなうごきかた組み合いかたできるなとおもうし、完璧だとしかおもえない。おそらくはEvansのながれにあわせてLaFaroとMotianも感応し、着実にあつまってだんだんと音量を高めて盛り上げている。前半はおのおのがうねって複雑に入り乱れるみたいなかんじなのだけれど、スティックでのフォービートがはじまって以降は一体感がつよく、内部がうごめくおおきな気体のかたまりみたいになっている。離散と集合のこまかな切り替わりのすばやさがとんでもない、ということなのだとおもう。”Jade Visions”はLaFaroの作曲で、タイトル通りつめたいかんじのしずやかな曲であり、構成も三拍×三を一単位とするAB構成で、B部分は四拍 + 五拍みたいに取れるようになってはいるが、わりとたんじゅんで地味な曲ではある。簡素としずけさの美みたいなかんじで、”Gloria’s Step”とこの曲をきくかぎりでは、LaFaroが生きていたらECMからアルバムを出していたとしてもおかしくはなさそうとおもう。”All of You (take 3)”が終わったあと、録音空間のやや左側でひとりの男性が、たぶんDo it again!と言っているとおもうのだが(そしてこちらもその気持ちを共有するものだが)、それにはこたえずこの”Jade Visions”がはじまり、みじかく淡々と終わったとおもうとLaFaroがまだいくらか単音を奏でつづけ、なぜかもういちど、しかもさらにゆったりとしたテンポでもういちどくりかえされることになる。

  • 瞑想や坐禅について。

きのう読んだ藤田一照の記事では、坐禅をやると心身がリフレッシュするなどの効果はたしかにあるが、それはあくまで副産物、副次的なものにすぎず、それが坐禅であるわけではない、その程度のものではなくてもっと深いものだ、と述べられていたが、じぶんなどはしょせん俗物なのでこの心身が高度にまとまるという効果のためにやっているようなものである(それに、坐禅とおもってやっているわけではないが)。藤田一照によれば、坐禅はやはりさまざまな苦しみとか迷妄のもとである「我」からはなれる実践で、仏教の縁起思想は、すべてのものはべつのものとのかかわりやつながり、すなわち諸条件によってなりたっているものだとかんがえるから、「我」も実体として永遠不変のものではなく、それが成立する条件とはべつの条件を用意すれば、変容させたり組み替えたりできるということになる。その条件を整備するのが坐禅であると。じぶんはべつに悟りをひらこうだの我執を捨てようだのめざしていないが、人間、存在していればそれだけでかなり疲れるものなので、その疲労感をたしょうなりとも減らしたいという欲はある。自我からはなれ、その重荷から解放されるというときに、やはり身体性がそこに介在するのが順路であるような気がする。たとえば歩くこともそうだろうし、ひとによってはダンスが存在の自由の実現だったりするだろう。音楽の演奏もそうだし、さまざまな武道やスポーツのうちにそれをかんじる人間も多い。これらは動くこと、からだの動きのうちにおのれを溶けこませ、存在をそこに拡散することでつかの間であっても自由の感覚を生むわけだが、坐禅がそれとくらべてユニークなのは、まったく動かないという正反対の状態のうちでそれを実現しようとすることではないか。いずれにしても、(現代?)生活のうちで忘却されている身体性の回復、という言い分にはなるのだとおもう。

  • 午前の居間の描写。

(……)このころにはうすいけれど陽の色が窓の外にみえていた。川向こうの樹々や山は淡いあかるみに前を降られてほんのわずかかすみやわらいでおり、室内、身のまわりではあかるさにきわだつではないが埃の粒がとおくちかく舞い、微小さのなかにも差異をしめしてみじかい空間の奥行きをあらわす。服をきがえる手足のうごきで埃は瞬時、はげしく旋回した。

  • ニュース。

(……)新聞を見ると一面に共通テストで問題の流出があったという記事が載っていた。試験時間中に世界史Bの問題が流出したと。東大の男子学生ふたりが画像を受け取り、その場で解いて解答を送信者におくりかえしたというが、かれらはその時点では共通テストの問題だとはおもわず、あとで不審におもって届け出たらしい。送信者というのは高校二年生の女子を名乗る人間で、一二月に家庭教師募集のサイトに登録しており、うえの東大生ふたりが申し出ていたところ、教師としての実力を測るといって一月一五日にくだんの問題がおくられてきたという。ほか、国際面で、シリアのISISの人間を収容している施設がISISの残党により襲撃されたという報を読んだ。ぜんぜん知らなかったのだが、もう六日目で、二〇〇人規模の襲撃があったという。収容所には三五〇〇人くらいの戦闘員がとらえられていたようだ。だいたいもう鎮圧されたようだが、いちぶ戦闘員や収容者が人質を取ったりもして抗戦をつづけているらしい。ISISの勢力がいまだちからをうしないきってはいないことを示すものだと。

  • 出勤前の瞑想時。

(……)スーツにきがえると枕のうえに座った。三時八分くらいからはじめて二八分まで。座っているあいだ窓外では子どもたちが数人あつまって遊びまわっている声がにぎにぎしく聞こえていたのだが、とちゅうまでその声はほぼ認識されておらず、耳にはいっていてもあたまは意味をとらえておらず、とおくから飛行機の気配が空をつたわってくるのが聞こえたときに、そこからつながってようやくはっきりと焦点化されたのだが、そうして聞いてみると意味をもった声というよりも風の音とか動物の鳴き声みたいな環境音のいちぶのようだな、とおもった。鬼ごっこをやっているらしく、沸騰した鍋のなかをおどる泡のように行き交い走りまわっているさまがいきおい目に浮かぶ、さんざめく笑い声のかがやかしさだったが、じっさい、つぎは誰が鬼だのなんだのことばをかけあっているあいまあいまで高らかに伸び上がる笑い声の音調ゆれ方しなり方といったら、ほんとうにある種の鳥声とききわけられない、ほとんど物質的な耳触りだった。

  • そして往路。

(……)道に風がながれていたが寒さはない。沿道の家並みのかなたにのぞく南の山や川向こうの景色はあかるみをかけられ穏和に煙ったようになっており、あたりに暖色はみられるものの電柱の碍子などにあたって跳ね返るほどのつやはなく、ひかりのもとがおそらく雲にふれられているらしいとみながら行けば、北西の空につかの間あらわれる太陽のまわりは真っ白で、雲混ざりか否かも判じられないが、ひだりてに東から南へおおきくひろがる反転海のごとき空には崩れもみられず、ただ水色ばかり充溢している。太陽はまもなく、こずえのなかに編み取られた。(……)さんが車庫で台かなにかに乗りながら車の屋根を掃除していたのであいさつ。行ってらっしゃい、と返す声のたしょう息切れ気味だった。坂道に折れてのぼっていくとのり面の壁にあらわれている木漏れ日も淡い。カーブのまえではみぎての木立のなかにも陽がすこしとおっているのが観察されて、ここにも入るんだな、とめずらしく見た。

最寄り駅の階段を行くと左方から陽射しがそそいでくるが、ちょっと温む程度の淡さにすぎず、目をやれば林の上端に接しかかった太陽は純白よりも白いまばゆさにみずみずとふくらんでいるけれど、ひとみを射抜くほどのつよさもそこになく、晩秋頃まで日によってときにのこっていた肌に染み入る液状の熱が慕われるようだった。ホームの奥に立てばきょうは風があってレールの周囲のわびしい草も揺らされている。まっすぐひだりからひかりが送られあたりは弱い琥珀色に封じられたいろどり、正面の丘に間近な若緑の樹がその色のなかで風におとなしくうねっていた。

  • 「読みかえし2」より。昨年の九月後半はヘルソンなどでロシアへの併合の可否を問う(正当性のない)住民投票がおこなわれていたころだ。ヘルソン奪還まではまだしばらくある。

Maya Yang, Léonie Chao-Fong, Martin Belam and Michael Coulter, “Russia-Ukraine war latest: what we know on day 212 of the invasion”(2022/9/23, Fri.)(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/23/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-212-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2022/sep/23/russia-ukraine-war-latest-what-we-know-on-day-212-of-the-invasion))

1131

Pro-Russian authorities in four regions of occupied Ukraine – Luhansk, Donetsk, Kherson and Zaporizhzhia – have been conducting widely-condemned “referendums” on whether the regions desire to be annexed by the Russian Federation.

     *

The governor of the Kharkiv region Oleh Synyehubov has said 436 bodies have been exhumed from a mass burial site in the eastern city of Izium. Thirty of the bodies bore visible signs of torture in the burial site in Kharkiv, a region held largely by Russian forces before a Ukrainian counteroffensive this month, Synyehubov told reporters alongside the region’s police chief.

     *

Long lines of vehicles continue to form at Russia’s border crossings on the second day full day of Vladimir Putin’s military mobilisation, with some men waiting over 24 hours as western leaders disagree over whether Europe should welcome those fleeing the call-up to fight in Ukraine. The Russian president’s decision to announce the first mobilisation since the second world war has led to a rush among men of military age to leave the country.

     *

The Hungarian prime minister, Viktor Orban, wants European Union sanctions on Russia lifted by the end of the year, a pro-government daily newspaper said. Orban, a Putin ally, has frequently railed against the sanctions imposed on Russia over its invasion of Ukraine.

Many of the Ukrainians exchanged in the largest prisoner swap with Russia since the beginning of the invasion show signs of violent torture, the head of Ukraine’s military intelligence said on Thursday. On Wednesday, Ukraine announced the exchange of a record-high 215 imprisoned soldiers with Russia, including fighters who led the defence of Mariupol’s Azovstal steelworks that became an icon of Ukrainian resistance.

     *

1135

 それではごきげんよう、少女よ、少女よ! あなたに良い日曜日、優しい両親、おいしい食事、長い散歩、澄んだ頭脳がありますように。明日またぼくは書きものを始めます、ぼくは全力で突っこみたい、書いていないと、ぼくは(end175)自分が強情な手で生から押し出されるように感じます。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、175~176; 一九一二年一二月二〇日から二一日)

     *

1141

 今晩八時にまだ床についたまま、疲れてもいず、元気でもなく、しかし四方八方で始まった大晦日の祝祭に意気銷沈させられて起き出すことができなかったとき、ぼくがそんな悲しい気分で、犬のようにうち棄てられて横たわり、そして友人たちと晩を過すこともできるというぼくに与えられた二つの可能性(他ならぬ真夜中の祝砲、実際にはひとりも見えない通りや橋の上の叫び声、鐘の響きと時を告げる時計の音)こそぼくをなお一層慰めのない、引込み思案の気持に陥らせ、ぼくの視線の本来の任務は天井をさすらうことにあるように思われたとき、――ぼくがあなたと一緒にいないよう不幸が望んでいることを、ぼくはどんなに喜ばなければならないか、そうぼくは考えました。あなたを眺めるという幸福、最初の会話の幸福、ぼくの顔をあなたの膝に埋めるという幸福――これらすべてをぼくはあまりにも高価に購なわなければならないでしょう。つまり、あなたがぼくから走り去る、きっと泣きながら走り去るという代価を支払わなければならないでしょう。なぜならあなたは優しさ自身ですから。しかし涙がぼくにとってなんの助けになるでしょう。そしてぼくはあなたを追っかけていいのでしょうか? だれにも増してあなたに心服しているぼく、他ならぬそのぼくがそうしていいでしょうか? (表通りから遠く離れたこのあたりでも、路上でなんと人々が喚くことでしょう!)しかしこれらすべてにぼく自身答える必要はなく、最愛のひと、あなた自身答えて下さい、それもいささかの疑念も残さぬ、細かな熟慮の末に。ぼくは最も些細な、取るに足りない問いから始め、時とともにその問いを高めていきましょう。
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、200; 一九一二年一二月三一日から一九一三年一月一日)

     *

1144

 哀れな、哀れな最愛のひと、ぼくが愚かしく書きなぐっているこの惨めな長編小説を、どうか読まなくちゃならないなどと感じないでください。小説がその姿をどんなに変えることができるか、恐しいくらいです。重荷が車の上に載っておれば(なんという弾みでぼくは書いていくことか! インクのしみがなんと飛び散ることか!)、ぼくは上機嫌で、鞭のうなりに有頂天となり、殿様然としています。しかし重荷が昨日、今日のように車から落っこちると(それは予見もできず、防ぐこともできず、黙秘することもできません)、ぼくの貧弱な肩にとってその荷は法外に重く感じられ、そうするとすべてを投げ出して、その場にすぐ墓穴を掘りたくて仕方がなくなります。結局のところ、自分の小説よりもすばらしい、完全な絶望によりふさわしい死場所はありえないのです。(……)
 (マックス・ブロート編集/城山良彦訳『決定版カフカ全集 10 フェリーツェへの手紙(Ⅰ)』(新潮社、一九九二年)、208; 一九一三年一月五日から六日)

  • 1141番のカフカの手紙の文章はなんだこれ! という感じで、いったいおまえはなにを書いてんねんとおもうのだが(意味がわからないということではないが)、しかしなんだか文章として妙によく書けている感覚はある。
  • さくばんは帰宅後に夕食を取ってのち、零時を過ぎたくらいにはからだの重さに耐えられず寝床にうつり、疲れのうちに意識をいつか手放して、一時ごろにいちど気がついたのだったか? わすれたが、ともかくきょうはもう無理だとねむることにして、重いからだを立ち上がらせて電灯のスイッチを消しに行き、デスクライトやエアコンも切って就床、まだ暗いうちにもいちど覚めたのだった気がするが、その後覚醒がさだかになって、どうも遅めになってしまったかな、九時くらいかなと携帯をみると七時半だったので意外とはやかった。寒い。きのうが今季一の冷えこみとかいわれていたが、空気のつめたさがたしかにおとといくらいからちがっている印象で、布団のしたの上体はそこそこあたたかいけれど顔なんかはかなりのつめたさにふれられている。布団のなかにこもったまましばらく鼻から深呼吸をしつつ、胸や腕や手をさすったり背中のほうを揉んだりした。起きたときの手の感じはすこしまえより格段によくなっており、左腕はいまだにこごりがあるにはあるが、手先はどちらかというとあたたまっている。ここ数日は覚醒時の深呼吸をサボっていたけれど、やればやはりすぐからだは軽くなる。口から吐くのと鼻から吐くのとではちがいがあって、口から吐いたほうが筋肉の稼働範囲がおおきいからストレッチなどではそのぶんよく伸びるのだが、鼻から吐いたほうがなぜかからだの感触はやわらかい気がする。あと肌の質感がなめらかになる。八時を過ぎたころにいったん身を起こして首や肩をまわし、カーテンをひらけば青々とよく晴れた無雲の空がひろがっている。水を飲んでから腕や手をちょっと振り、臥位にもどるとウェブをみてから一年前の日記を読んだ。きのうの朝に読みかえしをサボったので、二日分。それから「読みかえし」ノート。床をはなれたのは九時四〇分くらいか。天気がいいしさっそく洗濯をしよう、袋のなかに溜まっているものをすべて洗ってしまおうということで準備し、洗濯機をまわしだすと体操してすじを伸ばす。それからBrad Mehldauの『Live In Marciac』から#6 “Trailer Park Ghost”, #7 “Goodbye Storyteller (For Fred Myrow)”の二曲を聞いた。前者がすごかった。すさまじい。テクニック的な方面でMehldauが本気を出している感じ。圧巻。『Live In Marciac』は『Live In Tokyo』にくらべると、わかりやすくテクニカルな、つらつらつらつら弾きまくるような曲目が目立つ気がする。いっぽうで#3 “Secret Love”はセンチメンタル・バラッドそのものという調子で抑制的に、シンプルにやっていたし、”Goodbye Storyteller (For Fred Myrow)”も後半にいたってメロディを展開しはじめるまではそうだった。そのへんの対比が『Live In Tokyo』よりもおおきい気がする。”Goodbye Storyteller”の終わりのほうで行進的な連打での刻みがはじまり、そのままつぎの”Exit Music (For A Film)”(Radioheadの曲)にはいるのだけれど、これはまだ聞かず二曲だけで切りとした。『Live In Tokyo』は二〇〇三年二月一五日の録音、『Live In Marciac』はリリースは二〇一一年だが録音じたいは二〇〇六年八月二日。三年のひらきがあるわけだが、『Live In Tokyo』の時点でもおなじくらいの実力はまあふつうにもってはいたのだろう。たぶん。三六歳でこれかあというのはあり、いちばん脂が乗っている時期といえばそうなのだろうが、この時点ですでにほぼ余人を寄せつけぬ高みには行っているのだとおもう。”Trailer Park Ghost”みたいなことをつらつらと一〇分間もやれるピアノはジャズ界ひろしといえども数少ないはず。そうでもないのか? さいきんの若手とかはテクニック的にはやたら強力なイメージがあるし、クラシック的な技術もみがいてきたひとだったらできるのか? わからないが、いずれにしてもいまからもう一七年もまえの演奏ではあるわけだ。いまのMehldauがどうなっているのかというのも聞きたい。この『Live In Marciac』も、『Live In Tokyo』よりも好き、というとちがうかもしれないが、くりかえし聞いてみたいというこころをそそられるところがある。
  • その後瞑想。一〇時一九分から四四分まで。座りはじめてまもなく洗濯機のしごとが終わってしずかになっていたのだが、はじめのうちはそちらには意識が向かず、どちらかというと体内もしくは体表面の感覚を追うかたむきで、呼吸がなんだかんだいってもまだ固めだったのが、しだいに肩から鎖骨まわりがほぐれてきて、吐く息が止まって吸う息に移行するまでのあいだの滞空時間がながくなり、またかるくなる。そのうちにじぶんの左方、洗濯機が沈黙したあとの空間に耳が行き、このしずけさ、とおもった。瞑目のうちにそちらの空間の視覚的イメージはぼんやりと想起されるが、聴覚的にはなにも感知されるものがなく、まったくの無音、単純明快な空隙がひろがっている。ひるがえって右手の窓のそとでは、さきほどまでは保育園の子どもたちがややにぎやかにしており、上手、上手だね~、上手だよ、かっこいいね~とか子どもを褒める保育士の声も聞こえていたのだが、いまはそれらのにぎわいはすこし距離を遠くしており、おもての道路を過ぎていく車の音のほうがまさって、タイヤの摩擦とともに風を生み散らしていく走行音が晴天の色と表象域内でオーヴァーラップしてさわやかに響き、そういうそとの音響に耳がひかれればおうじて意識もかるくひろがっていくような気がされる。そのうち冷蔵庫がブーンと音を吐きはじめたので、左の空隙はなくなった。
  • そういえば無音空間をさだかに意識するまえに、階段をあがっていく住人の気配があった。足音をいくらか聞かせながら、よいしょ、みたいなつぶやきと、あとシュー……とかシー……みたいに、声と吐息の中間でたびたび空気を吐き出しており、階段をのぼるのが疲れるのかもしれないが、声色からするにやはり年嵩らしかった。ありていに言えばおっさんということで、年齢まではわからないがたぶんこちらよりはうえのはずで、四〇代五〇代六〇代くらいではないか。おそらくこちらの真上の部屋のひとだとおもうのだが。おっさんといってもじぶんももう三三歳なのだし、仮にあいてが五〇歳だとしてそのあいだに一七歳しかひらきがないからそんなに遠い距離でもなく、むかしは中年といったらなんとなく四〇代くらいからのイメージが個人的にあったが、それにもあと七年しかないところまで来ているわけで、じぶんじゃそういう「おっさん」とべつの人種のつもりでいても、数字上はもうだいたいそのなかまにはいっているというのが世間的な通念だろう。
  • 食事へ。水切りケースのなかのプラスチックゴミを始末。まな板でキャベツと白菜を切る。豆腐も。大皿にあつめてドレッシングをかけ、ベーコンを乗せる。まな板や包丁、ベーコンを封じていたフィルムはすぐに洗ってかたづけてしまう。大皿を机上にうつすと椀に即席の味噌汁をひり出し、電気ケトルで湯を沸かして、椀とマグカップにそれぞれそそいで食べはじめる。その後肉まんやバナナも。食後は洗いものをさっさか済ませると(食後というか肉まんをレンジであたためているあいだにもう皿と椀はかたしているのだが)、ウェブをしばらく閲覧し、そのうちに寝床にもながれてしまって、だらだらしたあと二時前くらいで湯を浴びた。わすれていたが洗濯物は瞑想後にむろん干している。シャワー後につかったバスタオルもまだ洗わずとも行けるので追加で窓のそとに出しておき、髪をかわかしジャージを身につけ、それからきょうのことを書き出した。ここまでで三時一二分。木金土日と、きょうから四日間ものあいだ休みがある。すばらしい。義務のない日々というのはなんと晴れ晴れとしたものなのか。この解放感とおちつき。猶予はおおければおおいほどよい。日記を書くこともたいして気にならない。天気もよいしあるいて書店に行きたいくらいだが、しかしなんだかんだいっても日記をすすめたいはすすめたいので、きょうはこもって、あしたあたりに行こうかなという気分の現状。

 当時、ヴェルサイユは人口およそ5万5千、約60万人のパリに比べれば少ないが、アラスのほぼ3倍の人口を抱える都市だった。パリから南西へ20キロほど離れた郊外に、ルイ14世が豪華絢爛たる宮殿を建設して以降、ブルボン王朝の政治や文化の中心として栄えた。
 左右対称の格子状で区切られた小径や並木道、モニュメントが整然と並ぶ街に、全国三部会の開催に合わせて議員や見物人たちがどっと押し寄せて来たのである。30歳の最後の夜、アラスから7人の第三身分代表と共にやって来たロベスピエールもその1人だった。
 議員総数は約1200名、人数は一定だったわけではないが、第一身分(聖職者)が295名、第二身分(貴族)が278名、第三身分(平民)が604名だった(資格審査を終える7月時点)。
 全国三部会は、会場となったヴェルサイユ宮殿のムニュ=プレジールの間の改修工事のため順延され、1789年5月5日に開幕した。第一身分と第二身分は表口から、第三身分は裏口から入った。最後に入場したルイ16世が短い演説を行って開会を宣言し、第三身分の出身で人気のあった財務長官ネッケルが最後に長々と無味乾燥な演説を行った。第三身分代表として簡素な黒い礼服に身を包んだロベスピエールもその場にいたが、彼を知るものはほとんどいなかった。
 実際、ミラボーやシィエス、ムーニエらを除けば、第三身分代表のほとんどが無名だった。そのなかで異彩を放っていたのは、頭も体も大きく堂々とした物腰で声も大きいミラボー(1749-91年)である。著名な経済学者ミラボー伯爵の次男として生まれながら放蕩生活で借金をつくり逮捕され浮名を流す一方、啓蒙思想の影響を受けて文人として活躍し、第二身分の代表となることを拒んで第三身分の代表としてヴェルサイユにやって来た。その存在感は、会議を傍聴していたネッケルの娘、スタール夫人の目にも焼きついた。彼女はミラボーのうちに「人民の権利の擁護者」の化身を目撃したとのちに証言している(『フランス革命の考察』1818年)。

     *

 三部会は冒頭から紛糾した。歓迎式典後、身分(部会)別に会議を開催するよう指示されたが、第三身分代表がこれを拒否したのである。マクシミリアンはこの様子を、アラスにいる友人ビュイサールへの手紙で詳細に報告している(5月24日)。まず、分かれた会場で議論し自らの権力を誇示しようと企む二つの特権階級代表を非難したのち、彼は次にように書く。

庶民〔平民〕(ここでは第三身分という言葉は古代の奴隷の極みだとされ使用が禁じられているので)の議員は、別の原理原則を持っていました。彼らは国民の議会は一つでなければならず、どんな身分であれ国民の議員すべてが自分たちの運命に関わる議論に同じ影響力を持つべきだと信じていました。(中略)聖職者や貴族の側が、庶民院のなかにある国民の集合体に合流することをあくまで拒むなら、庶民院はみずからを国民議会であると宣言し、行動しなければならないと確信していたのです。

 第三身分の代表たちは三部会開催後すぐ、みずからの部会をイギリス議会(the Commons)に因んで「庶民院コミューン」と名乗っていた。アラスからやって来た法曹家は、特権身分や国王のやり方に強い憤りを覚えながらも、「庶民」議員たちと彼らの考え方に勇気づけられたのである。

     *

 6月17日、第三身分代表はシィエスの提案に基づいて「国民議会」を名乗ることに決めた。そして、この間に幼い息子(王太子)の病死もあって意気消沈していた国王が議場の閉鎖を命じると、彼らは宮殿内の室内球戯場に集まり、決して解散しないことを誓い合った。これが、ダヴィドの絵画とともによく知られる「球戯場の誓い」である。憲法の制定を目的に掲げて国王の諮問機関であることをやめ、みずから国制を論じ設立することを目指した点で、それは一つの歴史的な転換点だった。ロベスピエールも、この誓いに45番目に署名した(下の絵画の右側で椅子の上に立つ男の目の前にロベスピエールの姿を確認することができる)。
 その後、聖職者の大部分と貴族の一部が合流するに及んで、国王も特権階級に対して第三身分(国民議会)への合流を勧告せざるをえなくなる。ただ、国王は「憲法制定国民議会」と改称した合同議会の成立を傍観していただけではない。パリやヴェルサイユに軍隊を召集する一方で、7月11日に事態の打開を狙ってネッケルを罷免したのである。
 しかし翌12日の日曜日、ネッケル罷免のニュースがパリに伝わると、民衆は大混乱に陥った。国王が議会を解散しパリを襲撃するのではないか、という不安が広がったのである。もともと前年からのパン価格の高騰に民衆は苦しんでいた。街には失業者が溢れ、一説によれば浮浪者が10万いたという。パリの盛り場だったパレ・ロワイヤルでは、何人かの弁士が聴衆に向かって自衛のために武器を取るように訴えかけた。すると14日朝、4、5万人の群衆が武器を求めてアンヴァリッド(廃兵院)〔当時は傷病兵の慰安施設〕に押しかけ、次に弾薬を求めてバスティーユ監獄に向かった。バスティーユは、もともと14世紀に首都防衛のために建設された要塞だったが、パリ市の境界が広がるとその役目を終え、政治犯を収容する監獄に代わっていた。もっとも、当時政治犯は1人もおらず、群衆が押し寄せたときに収容されていたのは、有価証券偽造者4名を含む7名にすぎなかったことは今ではよく知られている。
 とはいえ、バスティーユ監獄がブルボン王朝の「専制」の象徴だったことに変わりなく、しかも、このとき偶然のきっかけから群衆と守備兵が発砲し合い司令官ロネーが虐殺されたことから、その襲撃は全土に大きな衝撃を与え、「革命」の発火点として記憶されることになる。

     *

 (……)田舎の友人への手紙(7月23日)からは、ロベスピエールの興奮冷めやらぬ様子が伝わってくる。彼は、専制に対して「公共の自由」を擁護するために立ち上がったパリの〈民衆=人民〉、彼らに加担したフランス衛兵を含む「あらゆる階層からなる30万の愛国者の軍勢」が起こした「蜂起」を称賛しているのである。
 他方で、このとき国王に軍隊の退却を上奏し、事態の沈静化を図った議員団の試みも評価している。ロベスピエールはなかでもミラボーの提案を「真に崇高で威厳溢れる仕事」として高く評価し、彼のうちに国民議会の非公式のカリスマ的なリーダーの姿を見ていた。実はビュイサールへの最初の手紙では「ミラボーは無価値だ」と断じたマクシミリアンだったが、その評価を180度変えたことになる。実際、「国民議会」に対して国王が解散を命じ、議場からの退去を命じた際も、「われわれを動かすには銃剣の力が必要だ」と迫ったのはこの貴族だった。こうして、「革命のライオン」と呼ばれたミラボーは間違いなくヴェルサイユの華(主役)となった。ロベスピエールは、ミラボーのような全国から集まった才能に多くを学んだことだろう。ただし翌年、両雄は対峙することになる。
 その評価からも察せられるように、ロベスピエールが目指した変革も当初は王政を崩壊させることを企図したものではなかったはずだ。蜂起後、国王はネッケルの罷免撤回とパリの軍隊の退去を命じる一方で、ブルボン家の白とパリの都市章の青・赤を結びつけた帽章を受け取ったが、「これほど荘厳で崇高な光景は想像を絶する」とロベスピエールは手紙に書いている。
 こうして、国王は和解のシンボルを受け容れることで、結果的にパリの騒擾で〈民衆(人民)〉がおかした「犯罪」を不問に付した。それもあって、バスティーユ奪取後も群衆による虐殺は終わらなかった。さらに、その噂は地方にも広がり、前年の不作に苦しむ農村地帯で農民たちを不安に駆り立て、貴族たちが自分たちに復讐をしようとしているという「大恐怖グランドプール」と呼ばれる流言まで飛びかった。そこでロベスピエールも、議会で次のように訴えた。「民衆を鎮めたいのか?彼らには正義と理性の言葉を語りかければ良い。彼らの敵が法の復讐を免れられないことを信じさせること、そうすれば正義の感情が憎悪の感情に取って代わることだろう」。

     *

 8月4日の晩、「大恐怖」への対応として数名の貴族が議会で封建制の廃止を宣言した。しかし、特権身分代表の多くが反対を表明、11日に採択された封建制廃止令では地代徴収という経済的特権がそのまま残り、「庶民」議員には不満の残る内容だった。これに対して、議会で同時に作成が進められていたのが、人権宣言である。
 8月26日に議会で採択された「人と市民の権利の宣言」(人権宣言)は、前文に続けて次のように宣明する。「第1条(自由・権利の平等) 人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する。社会的差別は、共同の利益に基づくものでなければ、設けられない」(樋口陽一・吉田善明編『改訂版 解説世界憲法集』)。この条文によって、封建的身分制の解体が鮮明になった。また、第3条では「すべての主権の淵源は、本質的に国民にある」として、国民主権が宣言された。この歴史的な文章は、人間の自由・平等という権利論とともに、国を統治する権限が国民にあるという統治論から構成されていた。
 そこで問題となったのは、主権者である人民の代表である議会の立法権と国王の執行権の関係である。9月11日、議会は国王に法律の暫定的な拒否権を与える提案を可決するが、ロベスピエールはこれを厳しく批判、すべての拒否権に反対した。彼の演説は妨げられたが、その原稿が印刷された。それは彼の独自な国民主権の考え方を理解するうえで、貴重な資料である。

すべての人間は、その本質からして、自分の意志でみずからを統治する能力を持っている。それゆえ、一つの政治的集団、すなわち一つの国民として結集した人間は、同様な権利を持つ。個別に意志する能力の集積であるこの共通に意志する能力、すなわち立法権は、ちょうど個々の人間にとってそうだったように、社会全体において不可侵かつ至上であり、何ものにも依存しない。法とは、この一般意志をかたちにしたものにすぎないのである。

 ここには、心の「師」ルソーの「一般意志」の思想の影響が見てとれる。だが、これに続く文章からは、人民の直接参加の擁護者というイメージが強いルソーとは異なる政治のヴィジョンが垣間見える。「大きな国民は全員で立法権を行使できず、小さな国民はおそらくそうすべきではないため、立法権の行使をみずからの権力の受託者である代表者に委ねるのである」。
 ロベスピエールによれば、一人の人間が拒否権を持ち、その意志が暫定的であれ全体の意志に優位するとすれば、そのとき「国民は無であり、ただ一人の人間がすべてである」。よって国王の拒否権とは、「道徳的にも政治的にも考えられない怪物」だと評する。これに対して、「いかなる政府も人民によって人民のために設立されるものだということを思い出さなければならない」と言うロベスピエールは、同時に次のようにも主張するのである。

もし人民がみずから法を作ることができるのなら、もし市民全体が集合してその利点や欠点を論じることができるのなら、人民は代表者を任命する必要があるだろうか?

 否、人民は立法する「代表者」を必要とする。このように、ロベスピエールの構想する政治の核心には「代表者」がいた。この点で、一見してルソーのヴィジョンとは異なる。もっとも、彼の政治観は革命という現実のなかで揉まれながら、それと交錯してゆくことになるだろう。

  • この日はあとおおかた二一日いこうの日記をすすめたのみ。休憩をはさみつつ二四日まで。二四日にすこしだけ加筆して書き終えたころにはもう日付が変わっていた気がするが、出かけてもいないのにからだがつかれており、椅子のうえで背を伸ばした姿勢をたもつことができず、腹がへこんでくにゃりと曲がってしまうようなありさまで、投稿はせずに寝床にうつるとそのまま死んでいた。
  • 二食目はカップヌードルと温野菜ですませたが、夜には煮込みうどんをこしらえた。ブナシメジ、白菜、タマネギ、大根。それにずっとまえに買っていらいなぜかつかう気にならずひたすら放置していたジャガイモふたつもようやくここでつかう気になったので具材に。皮むきをもちいたのがひさしぶりだ。スーパーで買ったやつなのでちゃちな品で、たよりないし、皮を剝くときの感触もいまいち締まらない。味付けはあご出汁と麺つゆで、あと塩と味の素を振ったが、それでじゅうぶんうまい。食ってみるとすこしうすいようだったので麺つゆを足したが。ショウガもかけらがすこしのこっていたのでぜんぶすりおろした。野菜を弱火でじっくり煮ているあいだに灰汁を取ると、いつもとくらべて汁にほんのわずかとろみの質感があるようにみえたのだが、それはジャガイモのためだろう。デンプンが溶け出したのではないか。


―――――

  • 日記読み: 2022/1/25, Tue. / 2022/1/26, Wed.
  • 「読みかえし2」: 1131 - 1148, 1149 - 1152