2023/2/3, Fri.

  海を渡るお前の髪

 お前の髪も 金色のねずと一緒に 海を渡って漂う。
 それはねずと一緒に白くなる、そこでぼくは 石の青さに染める、
 ぼくが最後に南へ引きずられていった あの街の色……
 いくつもの太綱にかれらはぼくを結び付け そしてそのどれにも帆を結わえつけた。
 そして 霧のかかった口々から ぼくに唾を吐きかけて 歌った、
 「おお 海を渡って 来い!」と。
 けれど ぼくは一叟の小舟となって 翼を深紅に彩色し
 そして 海風は ぼくにまで喘ぎ、かれらが眠る前に、沖に出た。
 ぼくはそこで お前のために 赤く染めなくてはならなかった、その巻毛を、だがぼくはその石の青さを愛している――
 おお ぼくが倒れて そして南へ引きずられていった街の目よ!(end31)
 金色のねずと一緒に お前の髪も海を渡って漂う。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、31~32; 『罌粟と記憶』(一九五二))



  • 一年前。(……)自転車屋のおじさんが来て、母親のバイクを処分している。

皿洗いと風呂洗い。ひさしぶりに緑茶をつくって帰室。一服。のち、FISHMANS『Oh! Mountain』をながして「読みかえし」を読みはじめたところで、母親が呼びに来た。(……)さんが来たからバイクを押すのを手伝ってくれという。母親の原付を処分するために(……)の自転車屋に数日前に連絡していたのだが、それがきょう来たらしい。それで音楽をとめて上がっていき、マスクをつけてサンダル履きでそとへ。家の横をおりていくとおじさんがバイクに寄っていたのであいさつ。鍵を挿しこんでもうまく回らず苦戦していたが、けっきょく挿しこみが足りなかったのだとわかり、解決。そうしてオートバイをふたりで押して短い坂をのぼらせ、家のまえへ。おたがいにサンダル履きである。おじさんが梯子みたいな細い経路を軽トラの荷台から地面にかけ、そこをまた押してのぼらせた。その後、自転車も。母親は当初、自転車はまだ取っておこうとおもっていたようだが、土埃にまみれ各所がかんぜんに錆びつき、サドルの尻当てすらひび割れている惨状を目にして、やっぱりこれも駄目だねと意をひるがえしていた。自転車はたいして重くないのでひとりではこんでいき、こんどは横からふたりでもちあげて荷台に載せる。そのチャリの鍵が見つかるまでにややかかった。母親が持ってくる鍵がどれもこれも違うやつだったのだ。最終的に冷蔵庫の横に自転車の鍵としっかり表示されたうえで貼られていたのが発見され、無事解錠された。両方処分するように頼み、荷台に乗ったすがたを見つつ、ながくはたらいてくれたから手でも合わせておくかとたしょう拝んでおいた。チャリはまだそこまでながくはなかったはずだが、バイクのほうは今年の九月で一九年になるらしかった。あさましいほどのあけっぴろげな晴れ空で、雲のまったくゆるされていない青の地帯から旺盛にふくらんだ太陽がひかりを捨てつづけ大気をあまねく充たしているので、おくるにはいい日である。母親が廃車同意書みたいなものに記入をしになかにはいったあいだ、ちょっと立ち話。父親についてきかれるのでてきとうにこたえていると、どこに勤めてんのよと来るので、もう定年で、とかえした。つれあいが職をひけたまままだ勤めに行っていないということを母親は知られたくないらしく、たびたび恥の感情を漏らしているが、嘘をつく義理もない。でもまだ嘱託みたいなのがあんでしょ? 何年か、と来るのには、まあまた行くとおもうんですけど、さいきんは山梨に、実家のほうに行ったり、とこたえ、山梨が実家なの? というところでいったん切れたので、いちおうこれいじょう深堀りされないようにしておくかと考慮し、どうですか景気は、とお決まりの問いで話題を転じた。ひどいという。コロナウイルスまえからひどかったのに、コロナでひとも出なくなったし、とてもじゃないと笑っていたが、むかしからあるローカルでちいさな自転車屋なんてもうこの地域でいまの時代で生き残りようがないだろう。おじさんはあたまに野球ファンのようなつばつきの帽子をかぶり、薄茶色のチェック柄のシャツのうえにダウンジャケットのたぐいを羽織ったかっこうで、ひらいたまえの裏にさらにもう一枚、ダウンベストのような羽織りを着込んでいるようだった。したはふつうのズボンで足もとはすっぽり覆うかたちの黒いサンダル。はなしぶりははやく、はなしているあいだよくからだをすこしかたむけて荷台にもたせかけていたが、バイクをはこんだりした余波でかすこしはあはあいっていたようでもあったし、そうしないとからだが疲れるのかもしれない。なにしろもう八〇は超えているだろう。あまりじっとしているタイプの人間ではなく、はなしながらこまかく動いており、説明をするときの動き方や手の振り方なども小気味よく、芝居がかっているというわけではないが、舞台上の役者の身振りをみているようなおもむきがちょっとあった。記入を終えてもどってきた母親が、それで、いくらくらいになりそう? ときいても、すぐさまぱきっと具体的な金額をよこさず、荷台のバイクを指しながらここが高くてどうの、とか言っており、煙に巻こうとしているのか、はっきりした数字をいわずにすませようとおもっているのか、とちょっと疑っていたが、最終的に、廃車の費用は無料でやってくれるということになった。そのうちに廃車証明書が届くという。母親はその後、あれでまたじぶんのところで売るかもね、あれだけでもけっこう金になるよ、部品とか、と言っていたが、それならそれでべつによかろう。景気がひどいのだからおおからずとも稼いでもらえばよい。

時刻は七時。すこし休んでから瞑想した。BGMにBill Evans Trioの『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』をながした。だから瞑想というより、どちらかといえば音楽をきいているのだが。しかしこちらのいう瞑想って静止のことなので、そこに音楽があるかないかしか変わらない。先日も冒頭から”All of You (take 1)”まで四曲きいたのだが、きょうもおなじルートをたどった。はじめの”Gloria’s Step (take 1; interrupted)”は注記されているとおりとちゅうで音がとぎれて空白がすこしはさまるのだけれど、それが明けたときのLaFaroの、浮かびあがって円蓋を描くようなうごきかたはやっぱりなにやってんねんこいつとおもうし、そのつぎのコーラス冒頭もアルペジオですか? みたいな上下運動を太い音でくりかえしていて、こんなことやらないしゆるされないでしょふつう、と困惑する。かれはまたソロのとちゅうによく三連符でおなじ単位のフレーズを突発的に連打することがあって、それはかんぜんに衝動的とも言い切れないニュアンスなのだけれど、そこをきくと執拗さとか過剰さをおぼえる。LaFaroはあきらかに過剰な演者だが、Evansに過剰さは微塵もない。すべてがあるべきところにおさまっている。その整然とした秩序のととのいぶりが総体としてある意味LaFaroよりも過剰であり、異様さの域にいたっている。”Alice In Wonderland (take 1)”はこのあいだきいたときにもかんぜんに並行的なありかただなとおもったが、きょうもその感は変わらず、ピアノとベースの分離独立をさらにつよく感じた。困惑するとともに、感動する。いや、あなたたちはここでほとんどまったく関係していないですよね? もしかして、コード進行と拍子が偶然おなじなだけのべつの曲を演奏しているんじゃないですか? という印象。こいつらマジでおたがいの音ぜんぜん聞いていないだろうし、じぶんのやりたいことをひとりで好き勝手やってるだけだろ、と。このベースは、ほとんどもうソロだとおもう。LaFaroはここではバッキングという役目をほぼ捨てて(ほかの曲でもけっこう捨てているが)、Motianだけにそれをまかせているようにきこえる。それでいて、ピアノソロのさいごだけは、それまでたがいにあゆみよるようすなどまったく見せていなかったのに、LaFaroが瞬間グリスであがっていき、Evansの呼吸とあわせて終わってそのままベースソロにはいっていく。びっくりするわ。だから相互連関というか、調和的インタープレイという意味ではそういう様相はピアノソロのさいごからはじまって、ベースソロの序盤にEvansがバッキングをつけているそのあいだのほうがよほど濃い。ピアノソロの大部分は、かれらはまったくかかわりあっていないように聞こえる。それでも統合や統一が成り立つのはもちろん”Alice In Wonderland”という曲の枠組みとリズムがあるからなのだけれど、そのなかでこういうことをやるのは、フリーインプロヴィゼーションをやるよりむずかしいんじゃないかという気が漠然とする。フリー的な即興だと、ほんとうにたがいに好き勝手やってそれがかさなったときに偶然生まれる効果に賭けるか、あるいはたがいの音をきいてそれこそひじょうな密度で対話し、精密なコミュニケーションをおこなわないと成り立たない気がするのだけれど、ここでのLaFaroとEvansは、楽曲という共通の土台があるがゆえに、双方を考慮せずにただそれだけにむかっていればよく、それぞれひとりで勝手にじぶんと曲とのあいだの関係を追究している、というありかたをしているように聞こえる。そしてふつう、このようなレベルで「双方を考慮せずに」、「ひとりで勝手に」、なんていうことはできないものだとおもう。どうあがいたって調和したり衝突したり関係したりしてしまうものではないかと。ここにおそらくジャズがある。それはきわめて純化されたかたちでの音楽的自由のことだ。

“My Foolish Heart”の起伏をつかさどっているのはMotianだろう。”All of You (take 1)”はやはりすごいし、イントロが終わって本格的にリズムをともなったテーマにはいったその直後から、六一年というこの時代のベースとピアノにあるまじき対峙のしかたをしているな、とおもった。尋常な曲と演奏の形式で、こんな受け方をするベースは、さすがにまだほぼいなかっただろうと。このトリオはほんとうに、スタンダードなどではまったくなく、突然変異的な畸形種だったとおもうし、二〇二二年のいまきいてもその畸形ぶりはうしなわれていないとおもう。

  • 覚醒して鼻から息を吐き出し、深呼吸。そうしながら胸をさすったり腕を揉んだりもする。合蹠も。ついわすれてしまったり、またやる気にならなかったりするのだが、起きてすぐしばらく深く呼吸しておくとやはりからだのまとまりや柔軟度はかなり変わる。起き上がって時刻を確認するとちょうど一〇時ごろだった。あるいは深呼吸をしたのはそれからだったか。わすれたが、布団をいちど抜けると水を飲み、用を足したり体操をしたり。そうしてまた臥位にもどると一年前の日記を読んだ。そのあとはさいきん(……)さんのブログをあまり読めていなかったのでそちら。一月二三日付をさいごまで読み、そうして起床。一一時半ごろだったか。天気はふるわない、白くてくすんだ曇りである。したがって洗濯はしない。腕をちょっと振るなどしてから食事へ。水切りケースのなかのプラスチックゴミをスリッパを履いた足で踏み潰して薄手のビニール袋のなかに入れておき、温野菜用にキャベツや白菜を切ってスチームケースへ。ハムを二枚乗せ、さらに豆腐も手のうえでこまかく分割してそのうえにばらまく。電子レンジに突っこんでまわしておき、あいま、鍋のうどんを加熱しながら腕振り体操をしていたのだが、きょうは医者に行ってヤクをもらってくるつもりなので、うどんはあとで二食目にあてようとおもってそのうちに火をとめた。温野菜ができるとひらいたカバーに溜まっている水滴をそのへんにあったつかいかけのくしゃっとしたキッチンペーパーで吸い取り、塩と、醤油もかけて、デスクへ。そのほか米を椀に盛り、それで釜が空になったのでハンドタオルをつかってもちあげ、ながしに置くと水をそそいで溜めておく。納豆も冷蔵庫から出してデスクへならべて食事。温野菜をまず平らげてしまい、それから納豆のパックをあけてかき混ぜ、米のうえへ。あと五個入りのちいさなオールドファッションドーナツが一個のこっていたのでそれも食べた。バナナが食いたい。腸や内臓をととのえるのにバナナはやはり有能なのではないか。洗い物を済ませて、炊飯器の釜と納豆のパックは水に漬けておく。ケトルで湯を沸かしてマグカップにそそぎつつ歯磨きをはやばやとおこなう。そうしてウェブをみてすごし、一時をまわったあたりでそろそろ湯を浴びようというところだが、そのまえに音楽を聞くことにした。Brad Mehldau『Live In Marciac』のつづき。”Exit Music (For a Film)”と”Things Behind The Sun”。前者はRadiohead、後者はNick Drakeの曲。いまWikipediaをみてみると、”Exit Music (For a Film)”まででディスク1だった。どちらの曲もバッキングを終始連打的にたたきつづけるやりかたをとっており(”Things Behind The Sun”のほうはサビでそれをやめて浮遊的になったり、後半ではたしょう変えていたが)、前者はそのなかでいかにもRadioheadな間のひろいメロディを単音でぽつぽつ滴下する。Nick Drakeの曲のほうは前者よりもいっそうリズム的な、かなりゴツゴツした弾き方を取っており、『Live In Tokyo』のほうがどんな感じだったかおぼえていないのだけれど、ここまでゴツゴツとビートチックではなかったのではないか。おだやかなあかるさをおびるサビ部分にくるとしずまってメロディ主体になるのだけれど、いちどそれを越えたあとの二周目ではかなり低音までつかってゴリゴリリズミカルに弾いていたし、一周目でも原曲のベース&ストロークのリズムを両手に分けて再現していた。展開は巧みで、後半にかけて変容をほどこしつつ盛り上がっていくし、ときどきのサビ部分がひとつの節目になるがそこではまいどちがうアプローチをしており、コードにあわせたかたちでしずかにさらさら速弾きをする場面もあったり、描き方の多彩さはいつもながらけちのつけようがない。ただ、Mehldauにしては細部でリズムのキレがすこしだけわるいような気もされた。ぜんたいてきになんとなく焦燥の気配があるというか、おちつききっていないように聞こえたのだけれど、それが瑕疵かといえば微妙で、意図されたラフさのようにもおもえる。いずれにしても八分をずーっと打ちつづけるような曲ではなく(それはそれでたいへんだろうが)、たしょう弾むようなリズムなので、一六分のすきままできっちり正確にやるのはむずかしいのだろう。それもありつつ、やはりながれかたとしてちょっと粗めに行くかという判断があったというか、弾いているうちにおのずとそういう感じになってきたのでそれに乗っかったのではないかという気がする。ジャズピアノの独奏でこんなにリズムをたたきつづけるというのは、原曲がロック/ポップスであることから要請されたのだとおもわれ、そうなるとやっぱりロックになじんで育った世代からのアプローチなのかなあとおもったりするけれどじっさいのところはわからない。Radioheadの曲のほうは、『Live In Tokyo』でやっていた”Paranoid Android”にせよ、ここの”Exit Music (For a Film)”にせよ、やや平板、単調な気味にかたむきがちと聞こえるのだけれど、それももとがRadioheadだからというのがおおきいのではないか。いろやかたちを変えづらいというか。暗鬱ないろあいの地となる水平面が延々とつづくそのうえに雨がかすんでいて、ときどきむすばれるおおきな雨滴がメロディとしてぽつぽつ浮かびあがるみたいな。
  • “Things Behind The Sun”の、原曲ではここで終了というさいごの箇所では終わらずに転調コードがつなげられて、そのあいだの交替がくりかえされたのでこのままスローになって終幕なのかなとおもっていると、そうではなくてそれはつぎの”Lithium”(Nirvana)につなげるための方法だったのだ。しかしメドレーをつづけては聞かず、そこで切って湯浴みへ。すっきりして出てくるときょうのことを書き出し、あいまに立ってからだをうごかしつつここまで記せばもう三時が目前。
  • いま帰宅後の八時前で、米を炊いているあいだに(……)さんへの返信を綴った。

(……)

     *

(……)

The prosecutor general’s office of Ukraine has pressed criminal charges against Yevgeny Prigozhin, the head of the Wagner group of mercenaries fighting on the Russian side in Ukraine. Prigozhin has been charged with encroaching on the territorial integrity and inviolability of Ukraine and of waging a war of aggression against Ukraine.

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Russian-installed authorities in Crimea said on Friday that they had nationalised about 500 properties in the peninsula, including some belonging to senior Ukrainian politicians and business figures.

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Norway will order 54 new German-made Leopard tanks for its army from the KraussMaffei Group, the Norwegian public broadcaster NRK reported on Friday.

The EU said on Thursday it intended to work with Ukrainian prosecutors to set up an international centre for the prosecution of the crime of aggression in Ukraine, to be located in The Hague.

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Russia is planning a major offensive to coincide with the one-year anniversary of its invasion on 24 February, according to Ukraine’s defence minister. Speaking to French media, Oleksii Reznikov said Russia would call on a large contingent of mobilised troops. Referring to the general mobilisation of 300,000 conscripted soldiers in September, he claimed that numbers at the border suggest the true size could be closer to 500,000.

     *

A senior Russian lieutenant who fled after serving in Ukraine has described how his country’s troops tortured prisoners of war and threatened some with rape. “I have personally seen our troops torture Ukrainian soldiers,” Konstantin Yefremov, who is the most senior soldier to speak out against the war, told the Guardian in a phone call. “I feel relieved that I can finally speak out about the things I have seen.”

A state-of-the-art missile defence system provided by Italy and France should be up and running in Ukraine within the next two months, Italy’s foreign minister, Antonio Tajani, has said. France and Italy agreed to supply their SAMP/T air defence system to Ukraine on Kyiv’s request, to help protect the country’s critical infrastructure and cities from the regular barrage of Russian missiles hitting Ukraine.

The process by which this happened demanded effort, thought and consideration. Moreover, it required huge numbers of people – not just thousands, or tens of thousands even, but hundreds of thousands. These people gave Hitler the practical means to achieve his ideological vision. Hundreds of thousands of men and women who cooperated, in various ways, with the mass murder of 6 million men, women and children.

For years it has been suggested that the people responsible for this were either acting on orders that they had no choice but to follow, or were so brainwashed they had no meaningful understanding of what they were doing. I have found very little evidence to suggest that this is the case. Indeed, what shocked me most about some of the accounts I heard while filming was not just how much collaboration and compliance there was, but how readily this was offered. The path to genocide did not seamlessly unfold in front of those who walked along it: they had to build it for themselves.

From the very first shootings at the beginning of the German invasion of the Soviet Union on 22 June 1941, those on the ground did not wait for orders from Berlin to determine action – they used their own initiative.

Hitler’s Wehrmacht forces were followed into the Soviet Union by four specially assembled SS units called Einsatzgruppen. These units were given instructions to identify and eliminate Hitler’s political enemies. Initially, their primary focus was Bolsheviks, but under the tenets of Hitler’s belief that Bolshevism was a Jewish conspiracy, this swiftly evolved to encompass all Jews.

Visiting the site of one of these first acts of mass murder at the Lithuanian town of Gargždai was a sobering experience. In the years since the war, housing has built around the place where Lieutenant Hans-Joachim Böhme ordered 200 Jews to be shot on the afternoon of 24 June 1941. Today there is a memorial, but it is hard to find. All remnants of the Jewish community who lived on the site are gone.

Gargždai speaks to the foundational moments where the Nazis’ violent persecution of Jewish people became explicitly murderous. Those killed were not the first Jewish people to die at the hands of the Nazis, but they were some of the first to be murdered in the pursuit of a policy that would become unequivocally annihilatory.

In the weeks that followed, the scale of this mass murder grew substantially, and in less than a month the targets of the Einsatzgruppen had moved on from military aged men to include women and children. By the end of the year more than a million men, women and children had been killed.

     *

Until recently I had been unaware of the number of these remaining mass graves. Knowing that from 1942 the Nazis embarked on a programme to disinter and destroy the remains within them, as part of a desperate attempt to conceal their crimes, I had naively assumed little was left. I was wrong.

I was confronted with this in a direct way in a small wood on the edge of the Lithuanian town of Alytus. A few hundred yards from the carpark, Harry Jol and Phil Reeder – two of the geophysicists working with us on the programme – identified an unmarked grave. A small number of historic accounts indicated that shootings had been conducted at the site, but details were sketchy. The research conducted by Jol and Reeder’s team revealed that not only was there a pit where these accounts suggested one could be found, but it was far larger than anticipated. In fact, their scans suggested that beneath the damp and sun-dappled earth were tens of thousands of bodies.

  • (……)くんにもメールを送っておこうとおもう。ウェブ「考える人」で連載されている髙山裕二「ロベスピエール 民主主義の殉教者」をさいきん読んだわけだが、なんとなくかれはこういうの好きそうかなとおもって。

(……)

  • この日は医者に行ったのだが、(……)駅までの道中はもうわすれた(現在二月七日の四時半)。とちゅう、「(……)」の裏口内にあるブックポストに図書館で借りている三冊を返却したが。ガラスの自動ドアをはいるとそこのせまいスペースにポストは設置されてあり、自動ドアをもうひとつはさんだむこうは施設内の一角になっていて、そこもたいしてひろくはないが、いまなにかの用事を済ませたらしい年嵩の三人がつどっていて、帰るまえのあいさつをしているところだった。本を返却してそとに出て道を行っていると、そのうちのひとり、六〇代か七〇くらいとみえる老人がキャリーケースをガラガラ引きながらうしろから来て、じきにもうひとり、女性も合流していたのだが、(……)通りの交差点をわたってまた通りにはいってすこし行くと、男性のほうが、急ぐから、とか言って別れ、歩調をはやめて一気にこちらにちかづくとともに、ちょっとよけたじぶんの横を追い抜かしていった。年嵩で荷物も引いているのにスタスタ行ってどんどん距離をはなしていく。別れるまえにはきょう参加した催しかなにかにかんしてなにかしら会話を交わしていたのだが、女性のほうはそうでもないとしても男性のほうが、たいしてはなすこともなくなったので気詰まりになり、それで別れを言ってさっさとすすんだ、というかたちだったようにおもう。
  • 電車に乗って(……)へ。降りるともう五時二〇分とかそのくらい。うっすらと微妙なうねりを刻んだ曇天をながめながら線路沿いを行く。医者に着いて階段をのぼりつつきょうはどうかなと待合室の混み具合をおもい、耳をおくるようなこころになるわけだが、のぼりきって向きを変えてはいってみると、ソファについている先客はひとりしかいなかった。さいきんは毎回そのくらいの閑散の時に出くわしており、楽でよい。金曜日のさいごのほうというのは狙い目なのかもしれない。受付をすませていつもの位置、カウンター側の壁に沿って伸びている長椅子の端、診察室の扉にいちばんちかい角へ。なかからはいま診察を受けている男性と医師の声が漏れ聞こえてきて、男性がちょっと不満げな声でなにかいうのを聞きながらも、先生は最終的に、これで行きましょうとそれいじょうの抵抗をおさえて終わらせにかかったような雰囲気だった。出てきた中年くらいの背のおおきめな男性はたしょう息をついたりはしていたが、受付に呼ばれるとはいはいはい、と小気味よく返事をして、会計をすませてまたお願いしますといいながら去っていくようすなど、慇懃というほど固くはないがけっこう丁寧で、不満げな雰囲気はまとっておらず、先生にたいして文句を言っていたわけではないのかもしれない。薬局で薬を受け取っているのをみたときには、先生にはこう言われまして、みたいなことを局員にはなしていた。室内にもうひとりいた先客というのは女性で、帽子をかぶって黒い上着にパンツスタイル、そして金髪の比較的若そうなかっこうだったが、たぶん三〇代は越えていたというのがこちらの印象で、待っているあいだは脚を組んでからだをやや前傾させながらずっとスマートフォンをながめていた。受付になまえを呼ばれて診察室に向かうときの足取りやからだのうごかしかたが、意外と腰を低くしてちょこちょことあるくような、ひかえめな感じで、おごりたかぶる若者特有の威勢の良さとか外界への敵愾心がうかがわれず、ふつうにへりくだった礼儀をそなえた成熟者のふるまいだったので、それもあって年格好を判断した。高校生のころに(……)でアルバイトしていたときの同僚だった(……)さんというパートの女性をちょっとおもいださせるようでもあった。漏れ聞こえてくる声の色も二〇代という感じではない。済んで出てきて会計するときには、こんど母親を連れてきますね、と受付に言っており、さきに市役所に行かなきゃいけないみたいなこともはなしていたが、精神科に用があるのはこのひと自身ではなくてその母親のほうなのかもしれない。
  • こちらの番が来ると返事をして立ち、リュックサックといっしょに診察室へ。いちおうノックしてあけるとこんにちはとあいさつ。そうして革張りの椅子につき、いつもながらのみじかいやりとりを交わす。どうですかとさいしょに聞かれるのには、まあかなり順調ですとこたえて、いちにち二錠でもうほぼ問題なくなってきている、ただこのあいだ職場で面談に同席したときにはちょっとまずかったが、ということをつづけてはなし、おなじ量の薬を出してもらうというだけで、五分くらいで終わる。味気ないは味気ないので、たまには雑談でもしてみようかなと、体操をよくやってますとかじぶんのからだの分析とかをはなしてみようかなとおもわないでもないのだが、どうもそういう気にもならない。むかしはたまに病気と関係のないはなしもしていたのだけれど、今回通いはじめて以降はそういうきもちが起こらない。先生のほうもなんとなくそんな雰囲気というか、あまりはやく事務的に終わらせすぎてもなんだけれど、かといって聞くこともおもいつかない、というような印象で、けっきょくいつもはやばやと終わる。礼を言って退出すると会計し、薬局にも行って金を払って薬をもらう。
  • 帰路の電車内は音楽も聞かず、なにをするでもなく、まぶたを閉じたりひらいたりしており、ときどきまわりのようすに目を向けていた。先頭車両の端に乗っているわけだが、その角、こちらもよく立っている、運転席のなかやそこをとおして風景がのぞける小窓のついた場所に、大学生かそのうえくらいかという若い男がひとり乗っており、手に文庫本を持って読みつつ耳にはイヤフォンをつけていて、電車の走行音ではっきり聞き取れないがこのひとがなにか独り言をたびたびもらしているようだった。独り言というか、悪態をついているような雰囲気で、sかchの子音が音響のなかからときおり浮かび上がってきたし、「くそっ」とか「死ね」とか「うわっ気持ち悪い」とか言っているようにもうっすら聞こえた。言っていたとしてその対象はわからない。小窓の向こうにみえるなにかにかんしてだったのか、読んでいる本の内容だったのか、あるいは聞いている音声がそういうたぐいのものだったのか、意味はなかったのか。ちなみに持っている本は岩波文庫の緑版で、目がわるいのでタイトルまで確認できなかったが、だからなにかしら日本の近代文学だったわけだろう。いっぽうこちらのまえのならびにはとちゅうから髪がもうすくなくてみじかく刈られてのこったそれも白く染まっている、六〇代くらいとみえる勤め人風情の男性が来て、かれも文庫本を読んでおり、わずかにのぞく表紙のかんじに見覚えがあるような気がされて、ちくま学芸のニーチェ全集のイラストがあんなではなかったか? とおもったのだが、のちほどちがうなと判断した。このひとはこちらの右側の端があいたときにそちらにうつっていたが、向かいについているほかの男はスマートフォンを見下ろしており、右に目をふればそちらのほうの七人掛けにならんだ四人も一様にスマートフォンを見下ろして時間をつぶしている。また、そこにはコートをまとって黒っぽいすがたのサラリーマンもいたしもうすこし違うかっこうのひともいたが、みなリュックサックやバッグをじぶんの腹のまえにかかえたかっこうでスマホをみており、向かいに目をもどしてもそうで、たいしてこちらはいつもリュックサックを脚のあいだに置いているのだが、あれ、そうじゃないのかな、ちゃんとした社会人はかかえるもんなのかな、とおもった。
  • そのあとのことは忘却。


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  • 日記読み: 2022/2/3, Thu.