夜の光
一番明るく燃えたのは ぼくの夕べの恋人の髪――
彼女にぼくは 一番軽い木でできた柩を送る。
そのまわりは ぼくたちがローマで夢を見た寝台のように 波立つ、
それは ぼくのように 白い鬘をかぶり そしてかすれた声で語る、
それは話すのだ、ぼくのように、ぼくが心たちに入ることを許すとき、
それは知っているのだ、愛について歌うフランスの歌を、それをぼくは秋に歌った。
旅の途上に晩い国にとどまり 朝に宛てて手紙を書いたときに。一叟の美しい小舟だ その柩は、様々な感情の木材から彫られて。
ぼくもまた それにのって血の流れを下っていった、お前の目よりも若かった時に。
いま お前は 三月の雪につつまれた一羽の死んだ小鳥のように若い、(end55)
いま それは お前のもとに来て そのフランスの歌を歌う。
お前たちは軽い――お前たちはぼくの春を最期まで眠る。
ぼくはもっと軽い――
ぼくは見知らぬ者たちの前で歌う。
- 一年前はさらにその一年前からコロナウイルス状況についての記録を引いている。括弧内は二〇二一年二月九日のことだから、日本にはいってきてから一年くらい経ったあとのことだ。
コロナウイルスの感染状況について。「父親がスマートフォンでニュースを見たらしく、(……)は四人だと言う。こちらも朝刊の地域面でチェックしていた。東京都全体だと一日の感染者数はここのところは連日一〇〇〇人を下回っており、五〇〇人くらいまでに落ちてきているが、そのわりに、我が(……)はいまだ毎日地味に、すこしずつだがカウントされていて、なかなかゼロの日があらわれない。緊急事態宣言が出る以前はだいたい一~三程度の増加で、ゼロの日もあったのだが。それで、(……)、学校閉鎖だってと職場で入手した情報を告げた。父親は追ってニュースを調べたらしく、生徒一人が陽性との記事をキャッチしていたようだが、昨日聞いた話では、生徒だけでなく、教師か保護者か忘れたけれど大人にも陽性者が出ているということだったはずだ」。今年は学校閉鎖はわからないが、(……)が学級だか学年単位で先日閉鎖になっていた。一日の新規感染者数にかんしては、(……)でもここのところ八〇人とか一〇〇人を越えているので、去年の数値とくらべるべくもない。
- ウクライナまわりのニュースも。
(……)国際面でマクロンがプーチンと交渉しているという記事を読んだ。ロシアの落としどころとしては、NATOの東方不拡大およびウクライナがNATOに加盟しないことの確約や、ウクライナ東部の親露派が実効支配している地域に「特別な地位」すなわち自治権をあたえること、などがかんがえられるようだ。そのあたりを飲まなかったばあい、軍事行動が起こるかもしれないと。自治権付与はもともと仏独が仲介した「ミンスク合意」でさだめられていたらしく、ウクライナはいままでそれを履行していないのだが、プーチンは、好きか嫌いかの問題ではなく、ウクライナは合意にしたがういがいの道はない、とにかくやれ、みたいなことを言っているらしい。ソ連時代にフィンランドが、隣国ソ連との関係を慮って中立国となったらしいのだが(つまり西側にも東側にも属さない緩衝国ということだろう)、マクロンはウクライナをそういう立場にする案をプーチンに提案したかもしれないと。移動の飛行機のなかで記者団に、そういう案がテーブルに乗る可能性がある、みたいなことを言ったらしい。プーチンもさすがに全面侵攻をしようとはおもっていない気がするのだが(とはいえ、米当局の試算では、最大で五万人の市民が犠牲になりうると言われているらしい)、親露派東部に自治権をみとめさせて勢力圏に組み込みたいというあたりが現実的に狙っている線なのではないか。それにしてもロシアにせよ中国にせよ、連中の領土的拡大の欲求というのはいったいなんなのか? やはり偉大なる帝国の復興をめざしているということなのか? 習近平はマジで中華帝国、中華文明の復活みたいなことをたびたび口にしていたとおもう。ロシアとしては、ウクライナはロシアという国家がはじまった起源の地なので(キエフ大公国というのがロシアの祖らしく、とうじその周辺はルーシと呼ばれ、それが国号にもなっていたらしい)、そこをとりもどしたいという野望がある、みたいなはなしもちょっと聞いたことはある。
- 往路の描写。なかなかよい。実家のそばの馴れた道なので、記述のどこを取ってもいちいち、あああそこね、あそこね、と視覚像が想起される。
道へ。空はあかるく水色にかろやかで、背後から太陽光が寄せて顔を横にうごかすとまぶしくて景色もよく見えなくなる。しかし風があって、日なたにいてすら空気は穏和な色合いにそぐわずそこそこ冷たかった。林の樹冠が鳴らされている。坂に入る直前の脇にカラスウリの枯れた蔓が大量にあつまって絡み合いながら量感をなしており、なかに赤い実が二、三みえていたが、その茂りの内に鳥がはいりこんでいるらしくガサガサ音が立って、すぎざまに見下ろすとたしかに一匹いるのにヒヨドリかとおもったが、それにしては嘴がながいように見えた。坂道をのぼりはじめながら右手のさきに望まれる川面をながめる。白波の絶えず持ち上がっている一帯をはなれてビリジアンの水がしずかに濃くまとまっているあたりでも、ときおり白い線がすーっと生まれ、魚が水中から浮かんできたのかとも見えるそのすじは、水面が切れこみを入れられたようでもあり突如としてひび割れたようでもあるが、いずれにしてもひとところにとどまらず変形しながらそれじたいながれていってまもなく消えてしまう。正面を向いて行けば(……)さんの家に吊るされている洗濯物も風に揺らされていて、見上げるその向こうには青空がひろく高みに君臨していた。
- 覚めて時刻をみると九時四八分。携帯に手を伸ばすまでにそこそこ時間があった。もっとはやい時間にもいちど覚めたおぼえがある。あいまいにうごいて胸をさすったり、横向きになって鼻から息を吐いたりしたのち、なんとか起き上がったのがその時間だった。なんとなくもっと遅くなってしまったかとおもっていたが、まだこのくらいで助かった。さくばんはれいによって寝床で休んでいるうちにエアコンとデスクライトをつけっぱなしのまま意識をうばわれるという愚行をおかしてしまい、たぶん四時くらいに正式に寝た。エアコンのせいだとおもうが喉がややひりつくようだったので、床を抜けて水を飲むのにくわえて、きょうはうがいもいくらかやっておいた。それで布団のしたにもどる。起き上がったさいにひらいたカーテンのさきは真っ青な空で、きもちがよく、ゴロゴロしながらウェブをみたり日記を読んだりするあいだ、レースもある程度ひらいてそとのあかるさがはいるようにしていた。一年前の記事を読んだあとは(……)さんのブログをいくらか読み、一一時ごろ立ち上がった。座布団二枚を窓外に出しておき、布団をたたむ。洗濯へ。洗濯機に衣服を入れて注水しているあいだにトイレで用を足し、出てくると洗剤を投入して開始。腕振り体操をしばらく。それから瞑想。一一時一六分から三八分まで。静止が楽でからだに余計なうごきがほぼ生まれず、安息感がある。瞑目のさなかに、いぜん職場での会議のときに知をひけらかすような言動をすこし取ってしまったことがあるのをおもいだし、あれはよくなかったなと恥ずかしくなった。(……)
- 瞑想を終えると洗濯もすでに終わっていたので干しに。瞑想のあいだだったかわすれたが、園児らがそとに出たらしきタイミングで保育士のひとりが、あー風がつよい! と言っていたとおり、窓をあけてハンガーにつけたワイシャツを物干し棒にかければ、かけるまえから風にあおられておおきく左へ、すなわち南方へとかたむいて、いちばん端に吊るした集合ハンガーにふれるような始末であり、干しているあいだは窓を開けっ放しにしておいて洗濯機と窓辺を往復するから、青々とさわやかな空のしたで屈託なくおおいに駆け回る大気がはいりこんできて室内もいくらか冷たくなった。食事はあいもかわらず温野菜。キャベツと大根と、あと冷蔵庫をひらいたときにウインナーがあるのを発見し、そういえば温野菜に入れようとおもってきのう買ったんだったとおもいあたったので、それも開封して四つ野菜のあいだに仕込む。そして豆腐。レンジにスチームケースを入れて回している七分ほどのあいだはまずまな板包丁を洗ってしまい、それから窓のほう、布団をたたみあげたところの床に立って腕振り体操をしていた。きょうはなんとなく胸や背がぴりつくようで緊張感の芽がわずかにないでもなかったのだが、腕を振っているとそれも散って、からだが膜をまとったかのようにすこしあたたまる。そうして温野菜をとりだして塩と醤油をかけ、またいっぽうで即席の味噌汁を用意。なぜか納豆ご飯も食べる想定でいたのだが、しかし炊いてあった米はさくばんで尽き、食事の支度にはいるまえに漬けておいた炊飯器も洗ったのだ。それなのになぜか、白米はないぞということに食事のとちゅうまで気がつかなかった。かわりでもないがバナナを食う。食後は洗い物をしたり歯磨きをしたりしながらウェブをみてすごし、パソコンの画面に目を向けながら両の足首も手をつかってよくまわしていた。そうして一時を過ぎたころあいで寝床に逃げる。書見。戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫、一九九一年)。いま196まで行っており、ぜんぶで400くらい、読書会は一八日だからまあふつうに間に合うだろう。けっこうおもしろい。おもしろいといって、この本の主眼である大東亜戦争中の日本軍の各作戦における「敗け方」の分析よりも、各作戦や戦闘の具体的な経緯や経過の叙述のほうがこちらにとっては知識として興味深い。ミッドウェーとかガダルカナルとかインパールとか、なまえだけは聞いたことがあるけれど具体的にどういう戦闘だったのか、そのなかみをまったく知らなかったので、こういうものだったのねということを知られるおもしろみがあり、だから各戦闘中の経緯を追う記述はほぼすべて書きぬくことになっている。いまはまだ第一章のケーススタディの段階であり、第二章いこうではそれらの敗戦や作戦失敗に共通する諸要因をピックアップしたうえでより詳細な分析がなされるようなのだが、そのへんはたぶんイメージとしてわりと人口に膾炙しているような内容になっているのではないだろうか。つまり無謀な精神主義とか情緒重視とか。ケーススタディの段階でももちろんそういう要素は指摘されてあって、とくに一九四四年三月に開始されたインパール作戦(この作戦にかんしては戦闘の実施経緯ではなく、杜撰だったと評価される作戦の決定過程が分析対象になっているが)では、人間関係を過度に重視した結果、牟田口廉也陸軍中将という第一五軍司令官のインド進攻への特異なこだわりを許容することになってしまい、つまりかれを止められるものがいなくなり、もしくは止められる関係や立場にあったはずのにんげんもそうせず、合理性を欠いた不必要な作戦の実行をまねいてしまったと論じられている。163には、「牟田口によれば、作戦不成功の場合を考えるのは、作戦の成功について疑念を持つことと同じであるがゆえに必勝の信念と矛盾し、したがって部隊の士気に悪影響を及ぼすおそれがあった」とあり、戦争とか軍事についてむろんなにも体験したことがないし知らない身なので軽々なことは言いたくないが、ここを読むとさすがにただのアホだろうという感想を禁じえない。あと、巻末に付されてある「大東亜戦争関係図」という地図をみるに、いまさらのことだが日本軍が戦った地理的範囲というのはかなり広いぞと、「太平洋戦争」とか「大東亜戦争」とかいいながらもわれわれ(というかこちら)は日本の戦争をやはりどうしても中国や満州、韓国あたりとの関係でかんがえてしまいがちだが、東南アジア全域もその範疇なわけだし、インパール作戦なんてのはビルマ、すなわちいまのミャンマーの防衛とインド進出をめざしたものだったわけだから、西端ではそのくらいのところまで行っていると同時に、この地図で東端にしめされているミッドウェーは太平洋のど真ん中である。そんなことはめちゃくちゃにいまさらなことではあるのだろうが、いままでこのへんの本を読んだことがなかったものなので。
- 書見後は洗濯物を取りこみ、たたんで、湯を浴びて、米を炊いておき、きょうのことをここまで記して四時半。やはりちょっと胸のあたりがピリピリする感。肩や背もわずらわしいが、それを許容できるくらいの心身にはなってきている。
- いま一〇日の午前二時半前。きょうはその後おおかた日記を書くか書見するかに尽きた。もうかなり書きやすくなってはいるが、打鍵しているとやはり左腕の肘付近がピリピリしたり背中が痛んだり首や額や顔がこごったりでそうながくはつづけられず、苦戦はする。それなのでいま七日分までなんとか終えたというところ。六日は勤務だったのだが勤務があるとどうしても書くことがおおすぎて困る。あいまは寝床でゴロゴロ休みつつウェブをみたり書見したりで、『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』はけっこう読めて、いま230くらいまで行ってたかな。読み書きをたくさんできたという意味ではわるくない日ではあった。
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- 日記読み: 2022/2/9, Wed.