全生涯
まどろみの太陽たちは 夜明けの一時間前のお前の髪のように青い。
それらもまた 鳥の墓をおおう草のように ずんずん大きくなる。
それらもまた ぼくたちが快楽の船の上の夢となって遊んだ戯れに誘われる。
時の白亜の岩塊の傍で それらもまた短刀に出会う。深い眠りの太陽たちは もっと青い――お前の巻き毛がそんな風だったのはただ一度きり――
ぼくは 夜風となって お前の妹の金で買われる胎内にとどまっていた、
お前の髪は ぼくたちの頭上の木に引っ掛かっていた、だが、お前はそこにはいなかった。
ぼくたちは世界だった、そしてお前は門の前の茂みだった。(end60)死の太陽たちは ぼくたちの子供の髪のように白い――
その子は お前が砂丘にテントを張ったときに、満ち潮から現れた。
その子は 幸運のナイフを 光の消えた目をして ぼくたちのうえに抜いた。
- 一年前。ウクライナ侵攻前の状況。
夕食時に夕刊を読んだが、米国がロシアのウクライナ侵攻の可能性がかなり高いとして、ウクライナに滞在している米国人に四八時間以内の出国をもとめたという。一二日、すなわちきょうだが、バイデンがプーチンと電話して侵攻の回避をさぐるとのこと。イギリスとオランダも同様に在ウクライナの自国民に出国をもとめた。米当局の発表によれば、プーチン大統領が最終決定をくだしたとはおもっていないとしながらも、情報をあつめるにつれてわれわれは北京オリンピックの終了までにはロシアが侵攻する可能性が高いという認識にいたったといい、同国の大部分を占領するというシナリオも否定はできず、ロシアが攻撃するとしたらおそらくは空爆とミサイル攻撃からはじまるので国籍を問わず民間人に被害が出るだろう、とのこと。アメリカは東欧戦力のうち八五〇〇人に有事にそなえて待機命令を出し、三〇〇〇人をポーランドに増派することも決定、そのほかの国もそれぞれ一定の兵を東欧に送っているものの、なにしろロシアのほうは一二万人だかいるわけである。エストニアをはじめバルト三国も警戒をつよめており、ウクライナとの連携を表明している。エストニアはNATOに加盟しており、NATOは加盟国が第三国から攻撃されたばあい、ほかのすべての国もあわせて集団として対抗しなければならないという規則があるらしく、だからロシアが隣国エストニアに攻撃すればそうとうな衝突になって、常識的にかんがえればそんなことはしないはずだが、しかし今回のウクライナの件でNATOのそうした「抑止力」もうすれてきているのがみられると。ロシア軍はエストニア付近の西部にも一〇万だかそのくらいの兵を配備しているらしく、二週間あれば前線に送ることができ、エストニアの兵力は六万ほどなので見るからに劣勢で、しかも英独だったかNATO側の支援国をあわせたよりも多い戦車数の部隊をつくったとかで、だからロシアが本気になればエストニアをとることなど容易なのだろう。マジでどうなってんねん、という感じ。ロシアがほんとうにウクライナに攻め入ったら、マジでなんの大義も必然性も事情もないというか、ほんとうにたんに領土拡張と欧米への対抗という意味合いしかない、どうあがいても正当性の見いだせない愚行だとしかおもえないのだが、そんなことをしてゆるされると、その後国際社会のなかでやっていけると本気でおもっているのだろうか? おもっているのだろう。すでにクリミアでやっているわけだし、第二次大戦時のドイツなんかもたぶんそういう感じだったのだろう。ロシア国民も、これでいいとおもっているのだろうか? とおもってしまうが、たぶんわりとこれでいいとおもっているのだろう。アメリカの譲歩をひきだすために、攻めこむという動向をみせたり情報をながしたりしてギリギリのところを狙っているのではないか、という気もするが。しかしかりにそうだとしても、譲歩をひきだせなければふつうに攻めこむというながれになっても、ロシアとしてはおそらく問題ないのだろう。
- 一〇時半ごろの目覚め、というか目覚めてしばらく呼吸したあとに携帯をみるとその時刻だった。夜更かししたので遅め。カーテンの裏からもれだしているあかるさは白っぽく、そう晴れてはなさそうだとおもったが、幕をあけてみれば淡い雲がぜんたいに混ざった水色の空で、一年前の日記でも二月一二日の天気はそんな調子だった。「天気は晴れだが、文句なしの快晴ではない」、「窓外のようすはあかるめだが、空は全体的に雲が淡く混ざっており、瓦屋根のひかりかたもひかえめでさほど水っぽくはない」という。雪降りの二月一〇日から翌日の快晴、翌々日の雲混じりまで、今年と昨年の天気はおなじように推移している。午後三時四五分現在では水色もみえなくなって地がそのまま白く液体めいてひたされた空。いちど床を抜けて水を飲み、腕振り体操をちょっとしてからもどったが、時間も遅いし洗濯もしてしまおうとおもってふたたび立った。洗うものはすくない。きのう着たワイシャツや肌着やタオル、それにいま着ていたパジャマもくわえた。ジャージやシーツも洗いたい。あとは枕のカバーもそのうち。いつもタオルをあたまのしたに敷いているのでそう汚れてはいないとおもうが。寝床ではウェブをみたり一年前の記事を読んだり、(……)さんのブログを読んだり。一一時半くらいで洗濯が終わったのでそれを機に立った。このころはまだ陽射しがあって座布団もそとに出す。布団をたたむ。洗濯物を干す。風もそこそこながれて、レースのカーテンがまだあかるかった昼過ぎには窓のむこうで吊るしたものらがかたむき揺れているのが透過像となっていた。
- 食事は温野菜。スチームケースの野菜を平らげたあと、米のあまりを納豆で食おうとおもって炊飯器から白米を椀に入れ、冷蔵庫をあけたところが納豆がなかった。あれ、きのうで切らしたんだっけか、とおもった。出勤前に食ったときのがさいごだったのだろう。そのほかにも食べものはいろいろもうないので、買い出しに行かなければならない。炊飯器はハンドタオルでつかんですぐ水に漬けておき、米はしかたがないので塩を振っただけで食した。
- 一時過ぎくらいで湯浴み。そのまえに腕振り体操をやったり、裸体の浴室でシャワーがあたたまり湯がいくらか溜まるのを待っているあいだも手首を振ったり。出ると髪を乾かして、水気がすくなくなるのをすこし待ってから寝転んで書見。戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫、一九九一年)。300ページくらいからはじめていま318。第二章「失敗の本質」にはいっており、そのなかの「組織上の失敗要因分析」にいたっている。「人的ネットワーク偏重の組織構造」の項。要は官僚体制のなかに情緒的要素や「間柄」を重要視する価値観が過度に入りこんで、官僚制の特徴であるはずの公式命令の下達というのがうまく機能せず、中央部と現場で乖離が生まれ、指揮統帥がはたらかなかったと。ノモンハン事件のときなんかは中央部は関東軍にそうおおきな軍事行動を取らせたくなかったのだけれど、現場の自主性を尊ぶという理由でその意思をはっきり示すことをせず、兵力の制限をもとめるなどの微妙な表現でもって意図を読み取ってもらおうとしたが、関東軍のほうはその暗黙性を理解してかせずにか独断的行動をつづける仕儀に出て、はっきりした中止命令がなされるまでだいぶ余計な時間がかかっている。「察する」ことをもとめる風土が行き渡っていたのだとおもわれ、「空気」とか「忖度」とかそういうことばは森友・加計学園問題のときにもかまびすしく口にされていたとおもうが、現代日本にもそういった暗黙の了解的風土は多々のこっているのだろう。314~315では日本軍の特徴を「集団主義」と呼び、ただしそれは「個人の存在を認めず、集団への奉仕と没入とを最高の価値基準とするという意味」でのそれではなく、「個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく、組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされるという「日本的集団主義」」として定式化されている。「そこで重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的、体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の「間柄」に対する配慮である」といわれ、よくあるはなしではあるけれど、こういうふうに説明されるとちょっと新鮮味があった。「個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく、組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間との間の関係(対人関係)」を重視するというのは、うまくはたらけば官僚的組織の硬直性をやわらげてむしろ円滑な業務遂行だったり、なんらかのインターアクションだったり、そこからの取り組みや組織更新的活性化を生みうるとおもうのだけれど、日本ではいかんせんそれが過度にはたらいて組織構造の枠組みがぐずぐずになってしまうということなのだろう。すくなくとも日本軍ではそうだった。いまはそういう集団ばかりではないのだとおもうが。米国はそれにたいしてニミッツ太平洋艦隊司令長官が「指揮官交替システム」(316)を取っていたり、参謀部でも作戦部員と前線とで約一年ごとに人員交替がなされていたといい、そのやりかたは興味深い。あとは日本と米国の兵器生産量の圧倒的な差とか、その要因となった生産にかんする思想上の差異などもおもしろい。ぜんたいとしておおざっぱには聞きかじっている内容を具体的な記述でくわしく知ることができる本という感想で、たぶんこの本によってもろもろの有名説が人口に膾炙したのだろうか。そういう意味で踏まえておくべき古典的著作ではあるのだろう。日本と米国をひじょうにわかりやすく対比する説明のしかたなので、たぶんいくらか単純化の誹りも受けてきたのだと推測するが、著者たちもその旨「はしがき」かどこかで述べていたように、この本を出発点として批判的にあつかうことでこうした研究がより進展してほしいということなので、おそらくそれいこうもっと微妙な点を掘り下げた研究がいろいろ出ているのではないか。もっとも基本的な、おおまかな枠組みとしてはこの本の論がいっているような日米の差異は確固たる事実としてあったのだろうし、土台的な認識として具体的におさえておくべき著作という印象。
- 書見後はギターをいじる気になっていじり、録音もしたがあまりうまくいった感はない。そのあとで洗濯物を入れてきょうのことを書いているととちゅうでめずらしくインターフォンが鳴り、なにかとおもって冷蔵庫のうしろの壁にある通話モニター(いまは冷蔵庫のうえに電子レンジが乗ってしまったので、ボタンを押して話すためにはわりと邪魔くさい)のところまで行くと、女性が立っており、みおぼえがあって、いぜんも来た聖書を紹介するひとだなとわかった。エホバの証人のひとだろう。いぜんはたしかひとりだったとおもうのだけれど、今回はもうひとり女性が脇で補佐するような感じでいた。それでつないでちょっとはなしたが、まあそんなに口はうまくなさそう。口のうまい宗教者なんてなんかいやだが。しかし坊さんにはけっこうそういうはなしのうまいひともいるようなイメージ。こちらの顔はみえないわけだし、はい、はい、と受けたりときおり笑いつつ文言を漏らしたりするけれど、相槌を打たない瞬間もあったので、呼吸の間合いなんかが取りづらくてはなしづらい、ということもあったのだろう。れいによってモニター越しにパンフレットをみせてくるので、入れておいてくれればみますとこたえて会話は終了した。さいごに、入れさせていただきますのでぜひ見てみてください、またこうしてなかからでもいいのでおはなしできればさいわいですみたいなことを言っていたので礼で受けたが、まあ入信したり神や最後の審判や永遠の命を信じたりする気はないけれど、来てはなすというなら拒むほどの理由もない。エホバの証人のひとがじっさいどのように聖書を読んだり、まなんだり、神のことをかんがえたりしているのか、ちょっと興味もないではないし。ここまで書いて四時四〇分。
- そういえば起きたあとの寝床とかでさくばん進行した詩片にまたあたまが引かれて、いくらか足した。そろそろできそう。
- いま八時四三分。二月八日の記事を書いて完成。書きぶりはおだやかで、ちからを入れずおちついてできているのだが、打鍵をしているとどうしても背中がこごってきてわずらわしく、やりづらい。肩甲骨のあたりである。深呼吸をするのと腕や手を振ったりするのでかなりほぐれはするのだが、芯のほうがうずくような感覚。
- 四時四〇分まで記したあとはともあれ腹が減ったので、冷凍のスパゲッティ(クリーミーボロネーゼ)で食事を取った。先日スーパーに行ったさい、通路とちゅうの(壁際の肉のコーナーと、肉まんとかハンバーグとかナンとかが置かれているあたり)ケースにピックアップされていて、二品セットで割引となっていたので買っておいた次第。ピックアップケースは二、三個あって、さいきんだと苺のアイスがよくそろえられていた。食事はスパゲッティと味噌汁だけで腹には物足りない感じがしたが、致し方ない。
- Gmailをみると(……)がとどいていたので、視聴してLINEに異存なしとコメント。また、これはきのうのことだが、母親からSMSが来て、雪だいじょうぶだった? との言とともに、(……)家の(……)に赤ん坊が生まれたということで写真も付されてあった。めでたい、と返信。兄からこのあいだ(……)家に行こうかと連絡があったこともつたえておく。遊びに行って夕食を食わせてもらいたいとはおもっており、外食はまだビビっているが親戚の家で食うくらいならたぶんもう問題ないだろう。(……)ちゃんと(……)がギターをやるようになったというからそれも楽しみである。遊びに行ったさいには(……)と(……)とに結婚祝いをあげたいともおもってはいる。こちらのほうが金のない身のはずなので、少額にせざるをえないが。
- 食後しばらくしてから足の爪を切った。ようやくのこと。かなり伸ばしっぱなしにしてしまっていたので切れてよかった。いちど寝床の座布団のうえに座って、引いたティッシュに厚い爪を切り落としたが、それを捨てるとやするのは椅子にうつって、蓋をあけたゴミ箱のうえに足を浮かせて直接やった。爪を切るというのは退屈をおぼえることのないこちらの生のなかで例外的に退屈めいたものを感じる時間でなかなかやる気にならないのだが、それをまぎらすためにさきほど弾いたギターの音源を携帯で耳にながしていた。終わるとnoteにアップロード(https://note.com/diary20210704/n/n17264996910c(https://note.com/diary20210704/n/n17264996910c))。それでLINEにコメントしたあと、静止がてら聞くかとおもって、椅子についてじっと止まりながら聴取。まあたいしたものではないなとおもう。弾いているさいちゅうもあまりうまく行った感がなかったが、聞いてみても同様。いまいち冴えていないような。ただちょっとねむかったし、日をあらためて聞いてみるといいじゃん、乗れるじゃん、となったものが過去にあったので、のちほど聞けばまた違うかもしれない。そのまま音楽も聞くかとおもってBrad Mehldau『Live In Marciac』から”Unrequited”と”Resignation”を聞いた。あわせて一九分くらい。この音源ではこの#4、#5とつぎの”Trailer Park Ghost”というのがクラシック寄りというかやや現代音楽的というか、把握しづらい、抽象度がたかくてつかみづらい演奏になっているのだけれど、だからこそかえって興味を惹かれるというところはある。”Unrequited”を聞くに、やはりMehldauというのは意外にもかなり叩くピアニストなんだなと。曲や拍子の構成はどちらもよくわからんというか、”Unrequited”のほうはずっとおなじ拍子のままシンコペーション的にずらしているのか、それとも一部変拍子で拍を欠いている箇所があるのか、いまいちわかりきらない。後者のようにおもえるのだが。ところがその欠拍のタイミングが一定なのかどうかもつかめない。五曲目もさいしょのうちは六だったか三だったか七だったかわすれたが、つうじょうの拍子にくわえて一単位がみじかくなってはやめに回帰するリズム構成になっていたとおもうのだけれど、だんだんそれもわからなくなってくるし、後半では変わっていたような気もするし。
- 音楽を聞いたあとは日記に取り組もうとしたのだけれど腰がこごっていたのでいったんベッド(ではなくて布団だ)に逃げてまたちょっと書見し、それから文を記す。八日をしあげ、きょうのことをここまで書き足せばもう九時一七分になっている。買い出しに行ってこなければなるまい。そのあと一〇日の記事も書きたいがそれは無理かもしれない。詩もすすめたい。書き抜きもしたい。いずれにしてもそのときの心身にしたがう。
- 買い物に行ってきて夕食を取ったあとはいつの間にか椅子のうえで意識をうしなっており、気づけば三時くらいになっていた。したがってうえに書いた望みのどれも果たせず就寝。
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- 日記読み: 2022/2/12, Sat.