2023/2/13, Mon.

  晩く そして 深く

 黄金の言葉のように意地悪く この夜は始まる。
 ぼくたちは啞の人々の林檎を食べる。
 ぼくたちはそれぞれの星に喜んで委ねる仕事をする、
 ぼくたちはぼくたちの菩提樹の秋のなかに 物想う旗の赤さとなって立つ、
 南方から来た燃えている客となって。
 ぼくたちは誓う キリストに 新しき人にかけて 塵を塵と、
 鳥たちをさまよう靴と、
 ぼくたちの心を水の中の階と契らせることを。
 ぼくたちは世界に砂の神聖な誓いを誓う、
 ぼくたちはそれを喜んで誓う、
 ぼくたちは夢のない眠りの屋根から大声でそれを誓い(end62)
 そして 時の白い髪を振る……

 かれらは叫ぶ、「お前たちは冒瀆している!」と。

 ぼくたちはそれをとうに知っている。
 ぼくたちはそれをとうに知っている、けれどそれがどうしたというのだ?
 お前たちは死のひき臼で 約束の白い粉を挽く、
 お前たちはそれを ぼくたちの兄弟たちと姉妹たちの前に置く―

 ぼくたちは時の白い髪を振る。

 お前たちはぼくたちに警告する、「お前たちは冒瀆している!」と。
 ぼくたちはそれをよく知っている、
 ぼくたちのうえに罪が来るように。
 あらゆる警告のしるしの罪がぼくたちのうえに来るように、
 ごぼごぼと音を立てる海が
 甲冑に身をかためて向きを変えた突風が(end63)
 真夜中のような昼が来るように、
 決していまだかつてなかったものが来るように!

 ひとりの人間が墓から来るように。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、62~64; 『罌粟と記憶』(一九五二))




  • 一年前の日記より。フローベール神経症的完璧主義の自己証言。「凡庸なもの[﹅5]をよく書くこと、しかも同時に、その外観、句切り、語彙までが保たれるようにすること、これぞ至難の技なのです」という文言をみるに、文のレベルでの完璧を志向する形式主義、とにかく文のかたちに苦心惨憺するにんげんだったようだ。

 うんざり、がっかり、へとへと、おかげで頭がくらくらします! 四時間かけて、ただのひとつ[﹅6]の文章も出来なかった。今日は、一行も書いてない、いやむしろたっぷり百行書きなぐった! なんという苛酷な仕事! なんという倦怠! ああ、〈芸術〉よ! 〈芸術〉よ! 我々の心臓に食いつくこの狂った(end279)怪物[シメール]は、いったい何者だ、それにいったいなぜなのだ? こんなに苦労するなんて、気違いじみている! ああ、『ボヴァリー』よ! こいつは忘れられぬ想い出になるだろう! 今ぼくが感じているのは、爪のしたにナイフの刃をあてがったような感覚です、ぎりぎりと歯ぎしりをしたくなります。なんて馬鹿げた話なんだ! 文学という甘美なる気晴らしが、この泡立てたクリームが、行きつく先は要するに、こういうことなんです。ぼくがぶつかる障害は、平凡きわまる情況と陳腐な会話というやつです。凡庸なもの[﹅5]をよく書くこと、しかも同時に、その外観、句切り、語彙までが保たれるようにすること、これぞ至難の技なのです。そんな有難い作業を、これから先少なくとも三十ページほど、延々と続けてゆかねばなりません。まったく文体というものは高くつきますよ!
 (工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』(筑摩書房、一九八六年)、279~280; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年九月十二日〕月曜夕 午前零時半)

あと、蓮實重彦の批評にかんしてはもうひとつ、描写みたいな感じだとおもうんですよね、という説明もした。風景を描写するのに近いというか、あるテクスト、ある物語の見え方を、その諸要素をひろいあげてつなぎなおすことで変形させてしまい、その様相を記述しなおす、というような理解をしていて、というかそれじたいはどんな批評文でもそういう感じなのだろうけれど、蓮實重彦のばあいはそこであくまで個別のテクストの見え方や様相にとどまるという点で、なんかこちらなどが風景を見て描写するときの感じにちかいような気がするのだ。書かれたものをひとつの風景のような対象として見て、それを組み換え、書き換える、と。まあ、風景は言語ではないのに対して、テクストはすでにいちど記述され言語化されたものだという違いはあるのだが。で、風景描写というのは基本的には、そこにあった具体的な風景や個物いがいにはかかわりを持たないもので、その記述が良いとかうつくしいとかおもしろいとか、こういううごきかたをしているとか、だいたいはそういう範疇のものだとおもう。もちろん、必然的に(あるいは不可避的に)たしょうのひろがりははらむだろうし、風景によってなにかを暗示する(通俗的にもちいられることがかなり多い)技法があったり、またその風景の見方から話者や人物の内面にはいっていったり、そこになんらかの思考や思想めいたものを見出したり、はたまたアラン・コルバンがやっているように精神史の変遷を探ったりすることも可能ではあるのだろうけれど、基本的には風景というのは象徴秩序に回収されきらない細部の価値としてあるというのがこちらの認識である。だからだいたいのところ、それは事物とうごきと見え方とニュアンスの問題なのだ。蓮實重彦の批評もそういう意味での風景の描写や記述に近いような気がするのだが。

     *

ボヴァリー夫人』についてはあまりはなされなかったのだけれど、(……)くんの知り合いのもうけっこう年嵩らしい女性の感想がひとつ紹介された。われわれのあいだでは登場人物のだれにも共感できない、という声がきかれたのだが、その女性はむしろエンマにひじょうに共感したというか、かのじょのような境遇やありかたがとてもよくわかると。というのは、やはりかのじょが若かったころのような時代の女性は創造性を発揮しようとしてもあまりその場がもとめられず、だから恋愛にむかってそれをそそぐほかなかったのだと。『ボヴァリー夫人』が書かれた当時の時代状況はもっと束縛のつよいものだったはずだし、結婚という制度や家に閉じこめられてがんじがらめにされた女性が、じぶんのちからや情熱や意欲や想像力を昇華させる方法を見いだせず、恋愛にはしってそれを爆発させるというのはかなりわかる、ということで、それはたしかにそうだろうなあと納得された。

     *

ガンジー自伝』に行くまえもそのあとも雑談がおおくつづいたのだけれど、どういうはなしだったかあまりおぼえていない。ひとつ明確に記憶しているのは、近藤勝彦キリスト教教義学 上』という新刊が紹介されたことで、これは佐藤優毎日新聞だかの書評で紹介していたのを(……)くんが見かけて興味をもったのだという。佐藤優という作家はじつにうさんくさいイメージで、なんかやたらいろいろ読んでいる印象だがぜったいそんなにきちんと読んでないだろとこちらは勝手に見くびっており、詐欺師だとおもってましたと言ったのだが、(……)くんいわく、詐欺師であることはまちがいないけれどガチのキリスト教徒ではあるので、キリスト教まわりにかんしては信用できるのではないか、ということだった。たしかに貼られた記事を画像を瞥見したかぎりではうえの本の書評もちゃんとしていたのだが、この著作というのがなかなかの代物で、一四三〇〇円で全一二一〇ページ、上巻だけで二九章をかぞえるという化け物なのだ。ぜひ教文館の紹介ページを見ていただきたいが(https://www.kyobunkwan.co.jp/publishing/archives/20019(https://www.kyobunkwan.co.jp/publishing/archives/20019))、もし下巻も上巻とおなじボリュームで出るなら全六〇章ちかくで二四〇〇ページという事態になるし、紹介文には「既刊の『キリスト教倫理学』『キリスト教弁証学』と合わせ、ここに著者の構想する「キリスト教組織神学」の全貌が明らかに!」などとあるから三部作なわけで、あたまがおかしい。どんなしごとぶりやねん。キリスト教神学という分野のおそろしさを垣間見るわ。こういう、世の中一般にはぜんぜん知られていないようなところで、こういうしごとをしている人間がたくさんいるんだなあとおもうと、マジで世界のひろさを感じますね、と素朴な感慨を漏らしてしまった。

ガンジーについてもじっさいそんなに詳細にはなされはしなかったというか、(……)さんに感想をきいてかれが語った点がだいたい(……)くんのいいたいこととおなじだったようだが、かれがあとで言っていたのは、ガンジーって聖人のイメージがつよいけれど自伝を読んでみるとそうでもないし、あと見た目もそこはかとなくうさんくささみたいなものがあって、ガンジーのあの表情とか風体でせまられるとなんか怖いというか、有無を言えずにしたがってしまいそうなかんじがある、ということだ。じっさいWikipediaの写真なんてかなりおもしろい表情をしているとおもう。こちらの印象は、よくもわるくもかなり極端な人間なのだなあ、ということ。おもいこんだら一直線みたいなところがあるのだが、いっぽうで自己相対化と反省もきちんとしながら突きすすんでいる感じで、原理主義や狂信にはおちいっていない(そういうかたむきがまったくないわけではないとおもうが)。思想をその都度具体的な行為や生活の領域に落としこんで実験し、自己を変容させていくその行動力はふつうにすごい。それでついには服を着ないところまで行ってしまうのだから、そういうところが極端で変なのだが。行動力はとにかくあるひとだったようで、いろいろな方面に知己をつくったり、農園を建てたり労働者を動員したりとさまざまなプロジェクトをこころみているが、ほんにんが序文で語っていることには、政治的な方面での「実験」はかれにとっては言わば二次的なもので、自己の完成にむけた精神的・宗教的な方面での「実験」のほうが価値を持っていたらしい。しかしこの自伝でかたられている政治的な活動のほうもこちらにとってはおもしろいもので、主には南アフリカにいるあいだのサッティヤーグラハ運動、非暴力的抵抗の実践なのだが、そのなかのひとつに五〇〇〇人ほどの炭鉱労働者を行進させるというものがあった。とうじは南アフリカが連邦化される直前で、トランスヴァールにインド人がはいると逮捕される状況だったのだが、ガンジーの仲間らはすでにそのまえから故意に州境を越えて逮捕されることで悪法の不当さをうったえる、という抗議活動をとっていた。そしてストライキをしていた五〇〇〇人の炭鉱労働者にもそのように場合によっては逮捕されることを同意させ、数日間つづく大行進をおこなったのだけれど、よくもまあ五〇〇〇人ものひとびとにそんなふうに逮捕収監されることをみとめさせることができたなと。ガンジーじしんはこの行進のあいだに三度逮捕されている。さいしょの二回は保釈金をはらって釈放され、すぐにまた行進の一団のところにもどっているのだが、おもしろいのは、かれを逮捕しにくる警察官などもガンジーにたいしてけっこう礼儀正しくふるまっている点だ。それだけすでに知名度が高く社会的立場もあったということでもあるのだろうが、ガンジーはとにかく公正さを重んじるところがあり、抗議をするにしてもまずかならず文書でもって役所や政府に意見を述べており、それがある程度受け入れられて役人などと面会ができればはなしあいに行っている。役人方面ともたしょう親しい関係をつくったりしており、かれらをあまり「敵」としてとらえていないような感じで、また、人種差別やかれの政治的活動に起因してなんどか暴力をふるわれる事件も起こるのだけれど、そのあいてを罪に問うことなくゆるしている(いちばんさいしょのころの差別体験においては激怒しているが)。いわば「敵」をもゆるすというこのふるまいは、キリスト教における隣人愛の思想とかさなりあうところだろう。公正さという点はまた、なにかの抗議活動をしたときに、裁判でわざわざ発言をもとめて、じぶんの指導にしたがって逮捕された人間とじぶんとではおのずから罪のおおきさがちがうはずだから、かれらとじぶんがおなじ刑罰なのはおかしい、より責任のあるじぶんのほうはもっと重い刑にするべきだと主張していることにもあらわれているだろう(この主張は裁判官にみとめられず、ガンジーはつうじょうどおりの刑になった)。以下の記述がその場面である。

 アジア人局の役人は、特定の指導者を逮捕しないでおくかぎり、運動の勢いをくじくことはとてもできない、と思うようになった。それで、指導者格の幾人かに対し、一九〇七年のクリスマスの週に治安判事のもとに出頭せよ、という通告を発した。通告を受けた者は指定された日、つまり一九〇七年十二月二十八日の土曜日に出廷し、法律によって要請された登録出願を怠ったかどで、一定の期間トランスヴァールを退去すべし、との命令を受けた。しかし私たちはそれには従えない理由を陳述した。
 治安判事は、各人を別々に切り離して取り扱った。そして、ある被告に対しては四十八時間、他の被告には七日間、またある被告には十四日間、というふうにして、全員にトランスヴァールを離れているように命令した。この命令の効力は一九〇八年一月十日に切れた。そしてその日に、治安判事のところに呼び出されて、私たちは刑の宣告を受けることになった。私たちのうち、弁明を申し出た者は一人もいなかった。命令された期間中、トランスヴァールを退去しておるべし、との命令に服従しなかったかどで、全員で有罪を申し立てたのであった。
 わたしは、ちょっと考えを述べたい、と許可を求めた。それが認められたので、わたしの場合とわたしに指導された人々の場合とは、区別があってしかるべきだと思う、と述べた。わたしは、ちょうどプレトリアから、そこのある仲間が、三ヵ月の懲役に処せられたうえ重い罰金を科せられ、それが支払えないなら、その代わりとしてさらに三ヵ月の懲役を科せられるということを聞いたばかりであった。これらの人々が犯罪を犯したならば、わたしは(end270)さらに大きい犯罪を犯したわけである。したがってわたしは、治安判事に対して、最も重い刑罰を科するように要求した。しかし、治安判事はわたしの要求をいれてくれなかった。そしてわたしに二ヵ月の単なる禁固刑を宣告した。
 (マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、270~271; 第六部; 「52 投獄」)

こういう断固としたところはすげえなとおもう。極端さとかこだわりのつよさがあらわれているもうひとつの点は食事や養生面で、ガンジー菜食主義者であり、また自然療法をいろいろ信じてもいたようだ。そのあたり迷信的ともみえるのだけれど、かれにはそういう宗教的・迷信的な側面と近代的・理性的な側面とが両方あって、しかもそれらがうまく混ざり合って統合的に体系化されるのではなく、ガンジーのなかで取捨選択されてかれの吟味に耐えたことがらだけがとりあげられて共存しており、それによって独特な、特異な人間のありかたがかたちづくられている、というような印象。(……)さんは、奥さんめっちゃたいへんそうだなとおもいました、と言っていた。かれは一三歳だかそのくらいで結婚しているのだが、そういう過剰な早婚の文化は人間的ではない馬鹿げたものだとも言っていた。若いころのガンジーはやや押しつけがましいところがあるというか、妻のかんがえかたや行状をじぶんとおなじようなものに変えて良いほうにみちびこうなどという意図をもっていたり、また悪友とつきあうのもかれを善導するためだみたいなことを言ったりしているが、そういうところは良くなかったと反省してもいる。とはいえその後も妻カストゥルバとはおりに悶着があったり、また議論をたたかわせて詰めてしたがわせたりすることもあったのだろうとうかがえるところもあるから、わりと頑固親父的な感じだったのではないか。そうでありながらカストゥルバのほうもガンジーのさまざまな活動を助け、じしんでも積極的にコミットしていたようである。あと興味深いのはもちろんインド独立史で、『自伝』は一九二〇年代の前半くらいまでの記述で終わっており、二七年に上巻が出版されたとあったとおもうが、どうもガンジーインド国民会議により深くコミットし、本格的な政治闘争を展開するのは三〇年代以降のことらしいのだ。そのあたりのながれもとうぜんおもしろそう。また、接神論という神秘主義の動向があるらしく、ガンジーはイギリスに留学しているあいだにその方面のひとびとと知己を得ているのだけれど、この宗教的派閥がインド独立にもけっこうかかわっているらしいというのもおもしろい。とくにアニー・ベサントという婦人の存在がおおきかったようで、かのじょはインド国民会議にも参加して一時議長をつとめたりもしている。

  • 雨降りの朝できょうも会えないやなんとなくという感じで、早朝に覚めた時点から空気は薄暗い印象だったし、カーテンの裏からもれる外気のいろも冴えなかった。ひさしぶりに一〇時から通話のため八時にアラームをしかけておいたが、それが鳴るのを待たず覚め、しかし薄暗さのために時間がつかめず、保育園に気配が聞こえないからけっこうはやいなとおもいつつあいまいな状態でいると、だんだん扉のロックを解除する音が立ちはじめて、じきにアラームの振動をむかえた。それで起き上がる。それいぜんに布団のなかで鼻から息を吐き出しつつ胸とか腰とかからだの各所をさすっており、それだけでもだいぶ肌や肉はほぐれてかるくなる。この朝の時点では降っているのかいないのか一見してあきらかでなく、ただ車の音には水気がふくまれているから路面は濡れているとわかったし、レースをちょっとめくってみてみてもやはりそうだ。午後一時過ぎ現在では明確に降っている。しかしそんなに寒いという空気の質感でもない。
  • いったん布団を抜けて水を飲んだり腕を振ったりしてもどり、Ulyssesのきょうやるページをあらためて読んでおいた。ネット上の辞典で単語もしらべる。翻訳をいくらかでもしようかとおもいながら果たせなかったのだが、(……)さんが一段落だけやってきてくれていた。次回はおのおのできそうだったらやってくるということに。Ulyssesの確認を終えたあとは一年前の日記を読みかえし、九時半前に正式に起床した。布団をふだんとは反対方向にたたむ。通話のまえに食事を取ってしまいたかった。いつもどおり温野菜を準備。きのうの買い出しでウインナーはいぜん買ったのとはちがう、グラム量のわりに安いやつを買ったのだが、そうするととうぜんながら味は落ちた。まえに買った品のほうがうまい。スチームケースをレンジで回すあいだはきょうは椅子について呼吸したりちょっと静止したりしていた。温野菜を食っているあいだに一〇時がちかづいてしまったので、飯を食べてしまうので少々お待ちくださいとLINEにつたえておき、納豆ご飯も食す。済ませると洗い物はながしで漬けておき、バナナ。そうしてZOOMにログインしようとしたところが更新しなければならないらしく、そうしたものの進捗をしめすバーがとちゅうで停まって一向にすすまない。やりなおすとブラウザ版へつながるリンクもあったのでそちらでログインしてみたが、めちゃくちゃ重くてはなしにならない。それで退出し、もういちど更新をしてみると無事できたので開始。一〇時二〇分くらいだった。おひさしぶりですといわれたのでおなじ言をかえし、さいきんどう? といつもながら漠然ときいてみると、日記を書いてるからなにがあったのかすぐに確認できるのが日記のいいところですねと(……)さんは言って手近から帳面を取り、(……)がやっている太極拳の会に二年ぶりくらいに行ってきたと言った。しかし通話時のことはあとまわしだ。本篇は一段落だけだったのでだいたいは雑談に尽きた。たがいにいま読んでいる本のはなしをしたり。
  • 正午で終了。洗い物をかたづけ、湯も浴びたいがいったんベッドに逃げる。ごろごろしながら戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫、一九九一年)を読む。勉強になる本だ。まあ組織論的な部分はそんなに目新しい発想やかんがえかたではないかもしれないが勉強にはなるし、分析のために必要な歴史的事実の側面がじぶんにとってはやはり興味深い。帝国陸軍の白兵戦闘主義についてとか。あと、日本軍と米軍の統合性の対比で、米軍には陸海空を一挙に統括する統合参謀本部という部署があったのにたいし、日本軍には陸海をまとめて束ねるそういう部門は存在せず、戦時に構築される大本営も実質的にはそれぞれの利益追求のための協議の場であったというはなしがあって、そこを読むに、やはりこれは神という一元的根本統合原理が根づいている西欧文化のたまものなのか? などとかんがえてしまうが、あまりそういう観念的なほうに寄せるのもどうかなあとおもう。いま360まで行っているのであとすこし。
  • 横になっているあいだは鼻から息を吐きつつ腰を座布団にこすりつけたり膝でふくらはぎを揉んだりしていたが、息を吐きながらやるとてきめんにからだはあたたまる。背中がぽかぽかしてきもちがよい。一時で立ち上がり、腕をちょっと振ったり体操的にストレッチしたりして、湯を浴びようかともおもったがさきにきょうのことをここまで記した。一時四〇分。出勤まえに文を書けるようになってよろしい。きょうは四時には出る。
  • 日記は一〇日と一一日分があるが、まあ焦ってもいくらも書けるわけでなし、きょうはきょうのことをすでにすこしでも書けたからよいだろうと鷹揚なきもちになっている。ともかくも文は書けたし、本も読めた。一時四〇分のあとはそういうわけで、湯を浴びるまえにまたもうすこし本を読もうかなとおもいふたたび寝床へ。『失敗の本質』を読みすすめて、二時をまわるとシャワーを浴びた。髪もそろそろもさもさなので切りたい。越してきていらい美容室もしくは床屋をどうするかというのがひとつの問題だったが、先日帰ってきたとき簡易ポストに比較的近間にある(といってもたぶんあるいて二〇分くらいかかるが)「(……)」という美容室のチラシがはいっていて、みれば完全マンツーマンらしく、スタイリストは男性でメンズカットも受け付けているからよさそうじゃないかとおもい、ここに行ってみるつもりでいる。予約をまだしていないが。湯をくぐってくると二時半で、この一段を加筆。これから二度目の食事を取り、身支度をして出勤にむかう。
  • いま帰宅後の零時四〇分。温野菜を電子レンジでまわしているところ。帰り着いたのは一一時半ごろ。深夜の夕食前の休息の時間で『失敗の本質』をほぼ読み終えた。のこすはあとがきだけ。帰路の電車内や夜道ではあたまが詩片に向く時間がおおかった。勤務もなかなか丹念にうまくできた感があるし、ひさしぶりに会った(……)先生には、(教室長不在だったのでデスクについて報告メールなど書いていたところ)貫禄ありますよ、気合の入り方がちがいますね、講師の鑑じゃないですか、などと軽口めいたお褒めのことばをいただいたくらいだ。きょうの心身はパフォーマンスが高い。
  • いま二時半。さすがに勤務をはさんで一〇時間くらいあけてしかもこの遅きにものを食うと、食後のからだは鈍くなる。とはいえきょうは意識をうしなってしまうほどの重みはない。帰路のあいだにおもいついていたことばを足して、詩片はいちおうさいごまで行ったのだが、これで仕上がりとしていいのかなというのがいまの鈍ったからだだとつかみきれないので、公開はあしたいこうの判断にする。細部でちょっと、まだどうにかできるのでは? というか、これではないのでは? という箇所がある気がするのだが。二月八日と九日の記事は投稿した。一〇日の記事をこれからやるのは蛮勇だ。
  • 久方ぶりに本式の雨の日で、往路のとちゅう、草原の空き地で直立的な穂草たちが水を吸って晴れの日よりも茶色をつよめ、こんがりとしあがった狐色という風情に濡れているのをみた。(……)通りを越えたあとは三つあるすじのうちまんなかの道を取ったのだが、特段の記憶はない。ひとつおぼえているのは駅がもう近くなったあたりで歩道沿いにアクセサリーかなにかをこまごまと売っている木造り風の内装をした一店があるのだけれど、そこからながれでているBGMを耳にしたとたんに知ってるな、となって、これJourneyの曲じゃなかったかとおもったのだった。アルバムタイトルをわすれたがたぶん二〇〇〇年くらいに出たやつがあって(再結成作?)、その六曲目だった気がする。"If he should break, your heart"と歌うやつ。ちょうどサビのその部分がかかっていて記憶を刺激されたのだった。そういうわけでいま調べてみたけれど、このアルバムは二〇〇〇年ではなく一九九六年の『Trial By Fire』というやつで、やはりオリジナルメンバーで一〇年ぶりくらいにあつまってつくった作品だった。"If He Should Break Your Heart"は四曲目。このアルバムはいまはなき地元のCDショップ「(……)」で中学か高校のころに入手したはずで、たぶん新品で買ったのではなく、半額コーナーにあったのを購入したのだった気がする。Journeyはそのほかいちばんゆうめいな『Escape』と『Frontiers』をけっこう聞き(それいぜんの『Evolution』もいちおう持っていたがこれはあまり聞いたおぼえがない)、『Trial By Fire』もちょっと耳にしただけで記憶がよみがえったということはそこそこながしていたのだろう。すごく良いアルバムだった印象もないが。しかしいま曲目をみてみても、バラードである#3の"When You Love A Woman"とかこのフレーズをふくんだサビのメロディが脳内で再生されるし、#6 "Castles Burning"もやはりサビの終わりにあったとおもうがこのフレーズの部分だけ再生される。あと、一曲目の歌詞が(たぶんサビで)canをもちいるものだったとおもうのだけれど、Steve Perryのcanの発音が「キャン」ではなくてもろに「カン」で、canってこんなふうにも言うの? と、はじめのうちおもっていた記憶もある。いまAmazon Musicにはいってながしてみたが、とうじ聞いたときほどあからさまに「カン」だとは感じなかった。しかしじつに暑苦しいボーカルだ。ちなみにすこしまえにGuardianで、JourneyのキーボーディストであるJonathan Cainが、ドナルド・トランプ派の会合でステージに立ち、"Don't Stop Believin'"を弾いて批判されたという記事をみかけた。それで『Escape』でもながしてみようかなとおもったが、近年の(二〇二一年録音らしい)ライブ盤である『Live in Concert at Lollapalooza』というのをみつけたのでそちらをながしている。聞いてみてもどうということもないが。冒頭は"Separate Ways"。じつに暑苦しい、大仰な曲だ。いまのボーカルはArnel Pinedaというひとで、Steve Perryに似ているみたいな評判をまえにどこかで目にしたような気がするが、まあわりと似ている気はする。Neal SchonとJonathan Cainはいて、ベースがMarco Mendozaなのがちょっと意外だ。いつからそうなのか知らないが。ドラムはひとりがDeen Castronovoで、これはけっこうまえからそうだった気がするし、Neal Schonのべつのバンドにも参加していた気がするが、もうひとりNarada Michael WaldenのなまえがWikipediaには記されてあり、これも意外だ。
  • 勤務中のこともたいしておぼえていないのでみじかく。(……)
  • (……)
  • 通話についてももはや記憶はうしなわれている。(……)


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  • 日記読み: 2022/2/13, Sun.