2023/2/14, Tue.

  コロナ

 ぼくの手から 秋はその木の葉を食べる――ぼくたちは友達だ。
 ぼくたちは 時を胡桃の殻から剝いて出し それに行くことを教える――
 時は 殻のなかへ戻る。

 鏡の中は 日曜日だ、
 夢の中は 眠っている、
 口は 本当のことをしゃべる。

 ぼくの眼は 恋人の性器へ下りていく――
 ぼくたちは 見つめ合う、
 ぼくたちは 暗いものを語り合う、(end65)
 ぼくたちは 罌粟と記憶のように愛し合う、
 ぼくたちは 貝殻の中の葡萄酒のように眠る、
 月の血の光の中の海のように。

 ぼくたちは 抱きあったまま窓の中に立つ、かれらは ぼくたちを通りから見る。――
 知る時だ!
 石がようやく花咲こうとする時だ。
 焦燥の心が鼓動する時だ。
 時となる時だ。

 その時だ。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、65~66; 『罌粟と記憶』(一九五二))




  • 一年前は文を書くのが面倒くさかったらしく、記述はすくなかった。それでも天気を記しており、きょうのそれとかさなる部分がないわけでもない。「めざめて携帯をみると一〇時一二分。さくばんから予報どおり雪が降り出していたが、夜に玄関の小窓からそとをのぞいたときには車のうえにうっすらと白さが敷かれていながらも宙をながれるものは水っぽいすがただったし、起きたときにもすでに降りは止んでいて、積もるまでは行かなかったようだ。たぶんそうだろうとおもっていた。カーテンのむこうの曇天に、太陽の痕すらうかがえたくらいだ」、「食事を終えて皿を洗ったあたりでは窓外にすこし陽がもれていて、南の空は真っ白だし西でもおそらく水色はみえていないだろうが、ベランダに出るガラス戸のまえには日なたが生まれ、曇天の淡白な宙にも別種の白さのひかりが混ざって、色はないながらかすんだようになっていた」と。今朝覚めたのは一〇時ごろだったが、そのとき曇天だったので。たぶん一年前よりは雲の厚い、太陽の痕はうかがえない白曇りだったとおもうのだが、午後四時直前の現在ではレースのカーテンの最上にしりぞきつつあるほのかなあかるさが宿って地帯をつくっており、上体をちょっとかがめて空を透かしてみれば薄水色もうかがえる。四時でこれだからずいぶん日が伸びた印象だ。
  • 日記を読んだり「読みかえし」ノートをひさしぶりに読んだりして離床は一一時ごろ。瞑想、一一時七分かそのくらいから三〇分ちょうどまで。ここ数日、からだの感じはいっそうよろしくやわらいでいる。鼻から息を吐きながら脚の各所をマッサージするのがやはりいちばん手っ取り早いようだ。くわえて腕や手首を振るのもよい。下半身を丹念にほぐすと全身に血がめぐって、筋肉が、いわばふわっとふくらんだようなやわらかさになる。うまく焼けたやわらかいパンのようなイメージ。そうはいっても左腕の付け根あたりのノイズはなくならず、こうして打鍵していると肩甲骨あたりがちょっとピリピリするし、肩や肘のちかくにも波及をかんじる。瞑想しているあいだもやっぱり左右で非対称だなと感じ取っていた。左肘がわずかにうしろに引いているように感じるのと、左肩がわずかに下がっているように感じるのと。そういうかたちで左にむけてかたむいているような。座っていると左の脚もあいかわらずビクッとなることがしばしばで、だからその刺激を起点に腰からうえの上体が時計回りでちいさく輪をえがいてもとの位置にもどるということがくりかえされる。ビクッとなるのはかならず左脚なので、からだが逆の回転をすることはない。ただいっぽうで静止するのが楽になったから、瞑想をまたいちにちのうちで複数回やろうかなという気もないではないし、出勤の往路帰路もさいきんは静止がちだ。きのうなんかはそれで詩片をあたまのなかにめぐらせていた。
  • 食事は温野菜。白菜はきのうで尽きた。キャベツとウインナーと豆腐。あとバナナに、冷凍のスパゲッティ(緑色の麺のカルボナーラ)。エノキダケをスーパーで買ってきていらい煮込みうどんをつくろうかなとおもいつつけっこうながいあいだつくらず放置してしまっているのだが、白菜もないし大根もほぼないし、つくるのだったら買い出ししてきてからにしたい気がする。あと醤油もそろそろ切れる。また、トイレの洗剤ももう尽きている。「エマール」もおおきな詰替え用のパックをもうひとつ買っておきたい。ところでそういえば、瞑想中に部屋のそとの通路に据えられている洗濯機をつかう気配があって、いつもは上階からくだってきたひとがそうしているのだけれど、きょうは階段を下りてきたのではなくて、扉の開け閉めの音がおなじ階の奥だったように聞こえて、だから最奥に住んでいる女性か、そのひとつこちらがわに住んでいる(はずの)まったくみたことがないし気配もかんじない住人がつかったのかもしれない。洗濯機の響きは、グワッ、グワッ・タン、グワッ、グワッ・タンという感じで、二拍四拍の裏にタン、とかカン、という調子の乾いた打音をはさんでミドルテンポのエイトビートを刻んでおり、聞いているとけっこうきもちがよかった。
  • 食後だらだら。炊飯器の釜はさくばん米がなくなったので漬けておいたのを食事の用意のまえに洗ったが、内蓋もはじめて洗っておいた。湯浴み。出るともう二時を過ぎていたとおもう。髪を乾かして、さらに水気がうすれるのをちょっと待ち、それから布団を床にもどしてごろごろしながら書見。きのう『失敗の本質』を読み終えたのであたらしい本で、ヴェルナー・ヘルツォークの『氷上旅日記』を読むことにした。ヴェルナー・ヘルツォーク/藤川芳朗訳『氷上旅日記 ミュンヘン―パリを歩いて』(白水社、二〇二二年/新装版)。原著は七八年出版。訳書は知らない。中沢新一が解説を書いているが、これはたぶん旧版に載っていたものだろうか。いま36まで行った。歩くことを愛するにんげんのバイブル的な本だという評判を諸所で目にしてきて、風景とか見聞きしたものとかを散文的につらつら列挙しているような感じなのかなとおもっていたのだけれど、そういう部分もおおくあるものの幻視的イメージや話者もしくは書き手の思いや感情とか、突発的な記憶とか、わりといろいろ混ざっている。文章には細部でちょっとへんだとおもわれるような部分があったりして、読み味がすこし独特である。たとえばまず最序盤、つぎのような一段落がある。

 ことによると、右のふくらはぎがやっかいなことになるかもしれない。それにひょっとすると左のブーツも。足の甲の前の方だ。歩いているといろんなことがつぎつぎと頭のなかを駆けめぐり、脳みそが怒り狂う。少し前方で車がもうちょっとでぶつかりそうになる。ぼくは地図を見るのが大好きだ。サッカーの試合が始まる。荒らされたグラウンドにセンターラインを引いている人がいる。近郊線のアウビング駅(ゲルメリング駅かもしれない)にバイエルンの旗が立っている。電車が通ったあと、乾いた紙屑が渦を巻いて巻き上げられ、長いこと渦を巻いていたが、そのあいだに電車は遠くに行ってしまっていた。小さな息子の手の感触がまだ手に残っていた。あの、親指が奇妙な恰好で手首の方に曲がる、不思議な小さい手。舞い上がった紙屑の渦巻きを見ていたら、心が引き裂かれそうになった。もうじき二時だ。
 (9~10)

  • ここにふくまれている、「電車が通ったあと、乾いた紙屑が渦を巻いて巻き上げられ、長いこと渦を巻いていたが、そのあいだに電車は遠くに行ってしまっていた」という一文がいまのところいちばん印象にのこっている文で、こちらの好みからするとそこまでで良かったのに、そのあと息子の手の感触の想起をつうじて感情性にながれ、感情性にながれることじたいはまだしも良いのだが、「心が引き裂かれそうになった」といういかにも通有の言い方で締まっている点がどうもなあとおもったのだけれど、ここで言いたかった主眼はそのことではなく、「ぼくは地図を見るのが大好きだ」というひとことの弱 - 闖入感のことで、この文の内容が前後とどのように関連しているのかがよくわからないのだ。なんでここで急にそういうことを言っているのか。あるいているあいだに街角に地図が設置されていて、それをみてそうおもったのかな、というような推測や想像はできるが、じっさいのところはわからない。記述じたいに、読み手がそのように想像をはたらかせて補完するほかないようなすきまがあるということで、そういう箇所はたびたびみられる。それでいえばおなじ段落のさいごに記された「小さな息子の手の感触」も、これがいつのことなのか、「息子」との関係はどういうものなのか、なぜ「心が引き裂かれそうに」なっているのか、詳細はよくわからないのだ。読み手にとってよくわからない飛躍や説明の不足・欠如(ということばをこちらは否定的な評価としてもちいているのではない)がおりおりあるということで、それは「まえがき」にいわれているように、「途中で書いたものは、読まれることを前提にしてはいなかった」(6)からなのだろう。「ごく私的なところを数箇所削除しただけ」(6)でそのまま出版されたらしく、たしかにそういうすきまのおおきさや、読み手を意識せず、説明をせず、じぶんにだけわかるようなことがらをふくんだり、そういう書き方をしている点が、個人的な日記、メモ、手記という種類の文章だという感触をもたらす。
  • 書かれていることがらの理由や事情など詳細がわからずなんか妙だなという部分をもうすこし拾ってみようとおもうが、12ページではゲルメリングという町のレストランのなかのようすが記されている。「横のテーブルの、てっきり農夫だと思っていた男が、とつぜん正体をあらわす。緑の前掛けをしている。店の主人だったのだ。しだいに酔いがまわる。前からひとつのテーブルが気にさわっていたが、苛立ちがますますひどくなる。近くにあるテーブルで、なぜかというと、コーヒーカップと皿とケーキがならべてあるのに、誰もすわっていないからだ。どうしてこのテーブルには誰もすわっていないんだ。ブレーツェル [訳註: 8の字の形をしたビスケット] についている粒の粗い塩が、言葉では表せないほどぼくをうっとりさせる。このとき不意に、まったく何の理由もなく、店中がある方向を見る。ここまで歩いてきたのはほんの数キロだが、今のぼくにはわかっている、自分の頭がどうかしていることが。それを教えたのは足の裏だ。飲み物食い物にありついて、口の方に問題がなければ、足の裏に問題がある、というわけだ」(12~13)。軽食だけがあってひとが不在のテーブルにつのる「苛立ち」もちょっと奇妙といえば奇妙で、さらにその直後にビスケットについた塩の粒にたいして「言葉では表せないほど」「うっとり」しているという急激な転換もその奇妙さにかさなって印象を強化させるのだが、もっともよくわからないのはその次文、「このとき不意に、まったく何の理由もなく、店中がある方向を見る」という事態だ。これがいったいなんだったのか詳細はまったくわからないし、書き手じしんは「まったく何の理由もなく」と書いてそれに奇妙の念を表明しておらず、理由の推測や追求をしようとしない。そのことが読み手にたいして理由追求のこころみを封じているようにも感じられるが、実際上も、推測の材料となるような情報はここにまったくふくまれていない。だから、なんだかよくわからないがそういうことがとにかく起こったらしい、という受け取り方をするほかない。そのまえの客不在のテーブルも奇妙といえば奇妙だし、どういった事情なのかもわからないが、これにかんしてはことがらじたいの奇妙さの度合いが低く感じられ、まあそういうこともあるかなというところにおさまるし、またこのことにたいしては話者じしん、「どうしてこのテーブルには誰もすわっていないんだ」と理由を問うているわけだ。その疑問の表明が、読み手の感じる奇妙さを減じているようにおもえる。ひるがえってさきほどの、店中の視線がとつぜんひとつの方向に集中したできごとは、話者がそれに疑問をいだいていないからこそ、かえって事態の奇特さがきわだつように感じられる。
  • さきの引用部のさいごから段落の終わりまではつぎのようにつづく。

 (……)そういえば、この店の前に車椅子に乗った男がいた。といっても、からだが麻痺しているのではなく、クレチン病患者で、ひとりの女性がその車椅子を押していた。でもその女性のことはよく思い出せない。牛用の軛にランプが吊るしてある。サン・ベルナール峠を越えたむこうで、折からの雪のなか、すんでのところで鹿と正面衝突しそうになったことがある。野生の動物、それもあんなにでかいやつと出くわすなんて、誰に予測できただろう。山奥の谷というと、いつでも鱒のことが頭に浮かぶ。いいですか、この部隊は、たしかに前進しています、今この部隊は疲れているんです、この部隊の本日の任務は完了しました。緑の前掛けをしたこの店の主人は、顔をくっつけんばかりにして、メニューを見ているところをみると、ほとんど目が見えないらしい。あれでは農夫のはずはない。だってほとんど目が見えないのだから。そうとも、あれは間違いなくレストランの主人だ。店に明かりがともされた。ということは、外はそろそろ日が暮れるのだろう。アノラックを着た、信じられないほど悲しそうな子供が、二人の大人のあいだにはさまって、コーラを飲んでいる。そして拍手がわく。バンドにだ。店の主人がぼそっと、カモがよければすべてよし、という [訳註: 駄洒落で、終わり(エンデ)よければ、というところを、鴨(エンテ)にしたもの] 。
 (13~14)

  • 前半で、話題、もしくは記述の焦点対象がつぎつぎとうつろっているのが読み取られるとおもう。まず店の前で見たにんげんのことが出し抜けに想起される。わざわざ記憶のあいまいさが付記されたあと、「牛用の軛にランプが吊るしてある」といわれるのは、おそらく店内のようすだろう。しかしそのひとことだけで記述はつぎに、鹿とぶつかりそうになったという過去の体験のほうに飛ぶ。それにつづく「山奥の谷というと、いつでも鱒のことが頭に浮かぶ」という表明も唐突といえば唐突で、おそらく「峠」から連想して「山奥の谷」につながっているのだろうが、記述の連結はかっちりしてはいない(「鹿」のエピソードも、もしかしたら「牛」からの連想なのかもしれない。ちなみに「鱒」にかんしては、このさいしょのいちにちの終わりの一文で、「ひょっとして、外の池に鱒がいるだろうか」(21)とまた登場しており、書き手は鱒が好きなのかななどとおもってしまう)。そうしてつぎに調子を変えて「部隊」前進の報告がなされるが、これはじぶんのからだか足をそのようにたとえているのだろうから、比喩の一文になっている。これらのそれぞれの話題のあいだが丁寧に連結されず、すきまをはさんで独立性の高いかたちでぶっきらぼうに投げ出されたような書き方になっているのだ。だからやはり、メモ的な書き方、旅のあいだゆっくり文章を記す時間のないなかで、きれいな整理をかんがえずにどんどん書いていくような手つきの気配がおもわれる。とうぜんながらツールが紙で、手書きであるということもそこに寄与しているだろう。
  • ここまで記して五時二四分、からだがこごったのでいったん中断する。
  • 日記を書いているさいちゅうに携帯をみると着信がはいっていて、履歴を確認すれば職場からであり、急な勤務の追加の打診だったらいやだなとおもってひとまずまだ折り返しはせず、日記を切りのよいところまで書くことを優先した。それでうえまで書いたあと、すこしベッド上(と実家にいたころのゆびのはこびでたまに書いてしまうが、いまは敷き布団である)にころがって背中をやわらげたあと、電話をかけた。するとシフトの問題ではなく、(……)くんの大学受験結果のお知らせで、(……)大学も(……)も両方とも受かったと。良かった、と受けて、さすがじゃないですか、と称賛すると、いや、(……)先生の英語の授業のおかげもかなりあるとおもいますよと来たので、いやいやとんでもないと謙遜しておく。しかし謙遜とはいうものの、じっさい(……)くんの授業ではこちらはそんなにたいしたことをしていないというか、だいたいかれの疑問にこたえるだけというような感じだったので、(……)くんじしんの取り組みの継続がおおきいだろう。まあ高校も大学も受験で結果をたしかにだそうとおもったら、とうぜんながら講師のやることなんかよりほんにんの取り組みがものをいうわけだが。(……)くんは高校二年のときからもう受験を見据えてやっているという生徒だったので、その努力の継続がみのったというかたちになる。とはいえいっぽうで、じゃあ英語の読解力なんかがとうじとくらべてあがったのかといえば、もちろんあがってはいるだろうけれど、しかしこの時期になって、英語だけみても合格水準を取れるかどうか、わりと行けそうではあるがしかし安心とはいえないぞという感触だったわけで、もうすこしどうにかできたんじゃないかと、英語はもうOK、余裕、というくらいのちからに到達できたんじゃないかというおもいもある。なにしろ一年あったわけだから。それはほんにんの性質にもよるところなのでこちらがどうこうできる余地がどのくらいあるのかというのは微妙なのだが、塾でおしえていていつも不思議なのは、なんでみんなたとえば過去問をくりかえし解いて、直近三年間くらいはもう一〇〇点取れるわという状態にしておかないのかなということだ。まあこちらが、いまはともかくむかしはけっこう完璧主義だったということなのだろうけれど、ふつうにかんがえて、過去問をたとえば二周やっても七割くらいしか取れないとしたら、本番の初見の問題で七割取れるわけがないではないかというのが現役時のじぶんのかんがえだったとおもうし、いまもそうおもう。とりあえず三年間分、一〇〇点までは行かなくとも九割くらいは取れるという状態にしておけば、本番でもまあ七割くらいは行けるのでは、というあたまで受験直前はやっていたとおもう。もちろん直前にいたって過去問だけにそんな丹念さを発揮してもしょうがないといえばそうなのだけれど、すくなくともそういう姿勢がないと確実な結果はむろん手にすることができない。まあ受験ってそういうもんだと、七割くらいに持っていければ御の字で、あとは運否天賦といわれればそれもそうだとおもうのだけれど、その点こちらはやっぱり比較的完璧主義だった。受験勉強のやりかたにもそれが出ていたとおもう。つまりだいたいのひとは単語帳でも一問一答でもなんでもよいのだけれど、とりあえずどんどんさきにすすんでさいごまで行ったら、あるいはある程度行ったらもういちどくりかえすというかたちで回していき、ひとつひとつなるべくきちんとおぼえていこうという姿勢は取らないとおもう。周回をくりかえして最終的に六、七割くらいの習得率に持っていくと。こちらはむしろ一ページとかみじかい範囲を確実におぼえたなと判断できてからつぎにすすんでいくタイプだった。石橋を渡るかのようなやりかたといえばそうかもしれず、ただしそうしたってもちろんそのうちわすれる。そこでものごとの暗記・記憶にかんして重要かつ必要なのは反復の一事それを措いてほかにないのだけれど、忘却曲線とかいうものがいちおう科学的な研究によってみちびきだされているとかいうはなしもあり、とうじのじぶんもいまのじぶんもそれを正確に知っているわけではないが、とりあえずきょうやったことを翌日もういちどやればかなり長期記憶につながりやすくなるというはなしはこちらの受験とうじでも耳にする機会があった。あとは三日後、一週間後とか、このスパンで復習すればいちばん効率が良いですよというデータがわかっているはずで、いまとなってみればそんなもんクソくらってやがれとおもうが、大学受験とうじのじぶんは、そんなに厳密にやっていたわけではないものの、「システム英単語」を学習するのにこの範囲は何日にやったというのをページ上部にメモしておいて、それをみて一週間くらいたったらもういちどやって、漏れがなくおぼえられるようにする、というやりかたを取っていたし、一回やってみておもいだせなかった単語にはチェックをつけておいて翌日またやるとか、そういうふうにもしていたはず。ところがそういうことはやっぱりみんなやらん。予備校とか行っててかなり高いほうの大学をねらう高校生らはやるかもしれないが、うちの塾に来るような生徒は、そういうふうにやるといいよというアドバイスをあたえるようなレベルではない子もおおいし、そう助言したとしてもやらないだろう。できるほうの子でも、どうしてもやはりいったん六、七割取れればとりあえずOKという感じで、そのままつぎに行く。しかしそれではもちろん、さいごまでずっと六、七割しか取れない。そのくらいの実力しかつかない。中学だろうが高校だろうが勉強において成績があがらない主要因はほぼひとつで、まちがえた問題やわからない問題を放置したまますすんでしまうということだ。放置してしまう理由にかんしては、理解できないとか面倒くさいとかおぼえられないとかそれぞれあるとおもうが、おおまかに言って勉強ができるようにならない原因なんてほぼそのひとつしかない。だからまちがえた問いやわからなかった問いにチェックをつけてきちんと可視化するとともに、丁寧に復習してその穴を埋めていくと、それができるのが勉強ができるということだ。だからそういうやりかたを確固としたものとしてシステム化できれば、テストの点数なんてものはおのずからあがるだろうとおもうのだけれど、うちの塾はシステム上そういうふうにはなっていないし、たぶん学習塾業界はどこでもだいたいおなじだろう。それにいまは主体性を育む教育みたいなことがいちおう塾としても方針になっている。それはそれでべつによいとおもうが、ことたんじゅんにテストの点数をあげる成績をあげるという観点からすると、暗記的復習というのは必須でもあろう。暗記偏重の詰め込み型教育にたいする批判がおおきくなっていらいすでにかなりの年月が経っていようし、評判のわるかったらしく「ゆとり世代」などというそれじたいあたまがわるいとしか言いようがないことばとものの見方を生み出してしまった「ゆとり教育」なるものがおこなわれてからもかなり経つというか、こちらもいちおう世代的には「ゆとり世代」のはずだ。ただ実感として「ゆとり教育」を受けていたという感覚はないというか、だからといってべつに詰め込み教育をされたという感覚もないのだが、そのへんはよくわからない。いちおう小学校の「総合」の授業が「ゆとり教育」のひとつの実践形態だったはずだが、あれはまあそこそこ楽しかったような気はする。はなしが逸れたが、受験勉強なんていまだってじっさい八割型は暗記の問題だろうということで、そもそも暗記ということばとその意味合いやそれにまつわるイメージがよろしくないというか、どんなものごとであれ理解してある程度いじょう身につけるには、よほどあたまの機能がすぐれていなければくりかえしそのことにふれるのは必須なはずなのに、暗記というとなんか思考停止してとにかく力技で単一の知識だけをおぼえこむみたいなイメージになっている。そうではなくてこちらのおもうところ、理解というのもまた記憶の問題だとおもうのだ。あることをいちど理解したとおもっても、とうぜんすぐわすれる。それを定着させて実体的で実効的な知にするためには、くりかえしその理解をたどって記憶しておかなければならない。英単語ひとつを日本語の単語と一対一でおぼえるみたいなことはまさしく力技的な単純暗記なので、あれはまたはなしがちがってくるとおもうが、そもそもものごとの理解というのは幅のある文脈を、道すじを記憶するということではないのかというはなしだ。問題の解法、すなわち解にたどりつく手順しかり、たとえば日本史上のなにかしらの事件の経緯しかり。そして、現実の物理的道すじにおいて道をおぼえるためにはそのルートをある程度くりかえしたどらなければならないのとおなじように、知の道すじもそれをたしかにじぶんのものにしたければ反復的通行が必須だというだけのはなしなのだ。そういうふうにして道すじをいろいろ知り、じぶんのなかに定着させてストック化していけば、あとはそれらがつながってだんだんと体系的な知になっていき、ひいてはそこから予測ができるようになったり、類似や差異に気づいて比較ができるようになったりして、そのさきで創造性が生まれていくわけで、ストックをつくることなしには創造性などもちようがない。創造とはあらたな道すじを見出すということにほかならず、そのためにはまず既存の道のありかたを知悉していなければならない。
  • なにを言いたかったのかじぶんでも焦点がぼやけてよくわからなくなったが、もとのはなしにもどると、(……)くんがこのあと教室に来るので((……))、そのタイミングでまた電話するのでおはなししてもらえればというので、了承した。それでいったん切り、時刻は五時半くらいだったが、瞑想でもすることに。しばらく椅子のうえで静止し、それから腹が減っていたので食事へ。しかしそのまえにまず汚れている水切りケースを金束子で洗う。再度電話がかかってくるのはおそらく六時二〇分くらいだろうと見込んでいたが、着信があってもすぐにわかるように、携帯はいちおう目の見える範囲の近く(冷蔵庫のうえなど)に置いておいた。つねにサイレントモードなので、画面が見えていないと着信があっても気づかないので。その後、ふたたびスチームケースで温野菜を製作。それを電子レンジでまわしているあいだに手首をぶらぶら振っていると、電話が来たので出て、電子レンジの音からのがれて布団のうえの窓際に行き、(……)くんに替わってもらった。こんにちはとあいさつし、受かったって? と聞いて、おめでとうございますと祝福のことばを述べたあと、わはははははという感じで哄笑した(じぶんはわりと、なにか(冗談とか)を言った直後にみずから笑ってみせる癖がある)。よかったねとつづけ、安心した、あのー、(……)くんももちろん安心したとおもうけど、ぼくも安心しました、と述べる。(……)
  • そうして食事。温野菜と肉まんとバナナ。あとヨーグルトを食っているさいちゅうにインターフォンが鳴り、なんだきょうは籠もっていてもできごとがおおいなとおもったのだが、モニターを見に行くと配達員らしきモジャモジャとした茶髪の若い男性で、はい、と出るとAmazonだという。ありがとうございますと礼を言って扉を開けに行き、茶色い紙袋をこちら荷物です、このままでだいじょうぶですので、と差し出すのにまたありがとうございますと礼を言って受け取った。なんだこれは? と送り主をみてみると(……)とあったので、バレンタインデーでチョコレートを贈ってくれたのだなと理解した。昨年も贈ってくれて、日記に記されてあったのだ。スティックケーキみたいなやつだったがあれはうまかった。それで食後のデザートとしていただこうとさっそく開封してみると、フーシェという会社のOLYMPUSという、ブランド名なのかなんなのかよくわからんがそういう品で、「FVT-4 遥かなるエトワール」というなんだそれみたいな品名がついているが、惑星をかたどったチョコレートの品であり、まず浅い直方体の箱からして濃淡のターコイズブルーを織りなした背景上に地球とか水星とか木星とか土星とか惑星のイラストが描かれたうえ、星図みたいな線と星々の散らばりめいた点が金色で捺されてある(捺されているというかその線と点だけ箱表面からほんのわずかへこんだようなあしらいになっているのだが)豪華できれいなもので、あければチョコレートじたいも、取り上げてみるとじっさいには全球ではなくて半球なのだが、プラスチックの受け皿のくぼみにはいって底がかくれた状態では球状とも見えなくもなく、表面にそれぞれの惑星を模して細密な着色がなされていて、ずいぶん凝ったデザインのきれいな品だなとおもった。種類は七種、左から順に天王星(珈琲キャラメル)、木星(レモンキャラメル)、金星(塩キャラメル)、地球(抹茶キャラメル)、火星(パッションフルーツキャラメル)、水星(ラズベリーキャラメル)、土星(オレンジキャラメル)と、ぜんぶキャラメルチョコレートになっている。どれから行こうかなとまようこともなく端から順に行ってみるかということで、右端の土星から取り上げて、そんなに急いで食ってしまうのはもったいないのでひとつずつゆっくりと、とりあえず三つ食ったが、オレンジキャラメルである土星はたしかにキャラメルの風味がけっこうあるなとおもったのだけれど、つぎの水星はそこまででもなく香料の合わせによってキャラメル風味の前面化の度合いがちがうようだ。火星はパッションフルーツってなんだっけとおもいながら食べたが、ああこれか、たしかにパッションフルーツだわという味が舌に来て、南国の果物だよなとおもいだしたが、しかしパッションフルーツなどいままでの人生で食べた記憶がない。土星を食った時点でLINEに礼のメッセージを送っておいた。
  • その後食後は腹がこなれるのを待ってからまた布団に逃げて、(……)さんのブログを読んだ。以下はやはりすさまじく、こちらが目の当たりに接したことのない世界の側面のはなしなので、うつしておくべきだろうと。こちらは記述で読んだだけなわけだが、(……)さんがいたくだんの職場は、いろいろな面でよくもわるくもすさまじいとしか言いようのないひとびとがよくもまああんなにあつまったなとあらためておもうし、そこに(……)さんというにんげんが属して、かれらかのじょらのことが詳細に記録されることになった、記述をとおして読んでいるこちらも不思議な親しみめいたものすら感じるような、そういう時空として表出されることになったというのは、ちょっとした奇跡と言ってよいとおもう。(……)ではたらいたのは四年半くらいだったともあったが、そんなもんだったの? とおもった。そんなに短かったの? と。

(……)

  • その後デスクにうつってきょうの記述をふたたび。ここまでで一〇時半。やはり背中がこごって少々痛い。こういうときに深呼吸して、胸郭を収縮 - 膨張させればよいのかな? スーパーに行こうとおもっており、書きものにこんなに時間をかけるつもりはなかったのだが、とちゅうで脱線してしまい、ここまでかかった。こうなると出かけるのが面倒くさくなってきている。もう米を炊いて温野菜と納豆ご飯でよいではないかと。しかし夜道をあるきたいこころもないではない。