2023/2/18, Sat.

  (ぼくは一人だ)

 ぼくは一人だ、ぼくは灰の花を挿す
 熟した黒さで一杯のグラスに。妹の口よ、
 お前はひとつの言葉を語る、それは窓の前に消えずに残り、
 そして音もなくよじ登るのだ、ぼくが夢みたものが、ぼくをつたわって上へと。

 ぼくは咲き終わった時刻の喪章につつまれて立ち
 そして 一羽の遅れた鳥たちのために樹脂をたくわえる――
 鳥はひとひらの雪を 生の赤さの羽に載せて運ぶ、
 ひとつぶの氷を 嘴にくわえ、鳥は夏を抜けて来る。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、86~87; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「逆光」)




  • 一年前。

(……)テレビははじめ、ニュース。ウクライナ情勢にかんして。キエフ在住の日本のひとが出て証言していたが、大多数の住民はふだんと変わらない生活を送っており、国外退避をした人間のほとんどは外国人で、このひとじしんも日本大使館だか当局から、四度退避勧告を受けたと。ロシアはいちぶ部隊の撤退を発表していたが、アメリカの観測ではむしろ七〇〇〇人の兵が増加されており、そのいちぶは一六日(「Xデー」とされていた)に到着したものだと。ゼレンスキー大統領は国民の団結を呼びかけ、国旗を配布する動きもみられているもよう。きのうだかの新聞にも、国旗をつけてロシアへの抗議をあらわしている複数の車の写真が載せられてあった。あと、これは昼間にみたニュースの情報だが、日本海側各地、とくに岐阜や福井や富山などで大雪になっているらしい。福井だかでは二四時間で六〇センチ積もったとか。怪我人も諸所で出ているもよう。映された映像を見ても、ところによっては、ほぼ吹雪じゃないのこれは? という降り方だった。

  • 以下のような言も。これいこう夕食はじっさいほぼ自室で取っていた。

きょうの夕食は自室で取った。居間がうるさいため。今後、父親が家にいるときに夕食を食うばあいは、基本的に自室で取るつもり。きのうもひじょうにうるさく、こちらが飯を食っているそばで炬燵にはいってタブレットでオリンピックらしきものをみながら(たぶんカーリングだったとおもう)絶え間なくずっとひとりごとを言い続けていたし、感動や興奮でたまにおおきな声を出したりもする。その時点で母親もすでに風呂から出ており、テレビをつけていたのだが、たいして見ておらず白けたようなようすだったし(まあ、母親はもとからテレビをつけていてもみるというよりはながしているという感じだが)、ときおりささやき声で文句をもらしてもいた。そんななかだからこちらは新聞を読もうとしても集中できず意味がよくはいってこないし、ストレスで食事の味もあまりよく感じられないようなありさまだったのだ。きょうも帰ってくれば台所に立って洗い物をしながらぶつぶつ言っているし(イヤフォンで音声だけきいているのだとおもう)、部屋にさがって休んでいるあいだも、感動のあまりバチバチバチバチとおおきく拍手をしてうなっている音声がつたわってくる。瞑想をはじめたあと、母親が風呂から出てくれば来たで、内容は知れないがなにかしらのやりとりをしている声はきこえ、父親が母親の言になにか言い返すときの、威圧的とまでは行かないがちょっと偉そうなかんじとか、すこしけなすかからかうかしているようなその声色だけで、動悸がして苦しくなってくるくらいにストレスをかんじた。いまのじぶんの生活のなかでいちばんストレスをおぼえるのは父親がうるさいというその一点。次点が母親。つまり家のなかがいちばんうるさく、反対にそとや職場で苛立ちをかんじることはほぼない。公共空間に行けば心身がおのずとそれ用の対外的なモードになるだろうし、また生活をともにしない他人あいてなので、苛立たしいことがあったとしても自動的に遠慮や検閲がはたらくだろうし、また苛立ちとはべつのかたちでのストレスはあるだろうが、そうはいっても自宅にいるときのほうがよほどうるさく鬱陶しい。食事くらいはひとりでしずかに取りたい。馬鹿というのは黙ることのできない人間、しずかにすることのできない人間のことだとおもった。とくに、ひとがたかだか短時のアルバイトでたいした負荷ではないとはいえ、いちおうははたらいてきてたしょうなりとも疲労しているときに、飯を食っているそのすぐそばでしずかにすることのできない人間はあたまが狂っている。あとちなみに、「俗物」ということばの意味を簡潔に説明する記述のひとつは、「テレビドラマや映画やその他の映像を見ているときに、つぎの展開の予想を口にせずにはいられない人間」だとおもう。これはかなり適切で的確な説明だとおもっている。

     *

きのう飯を食っているあいだにおもったのだが、父親がテレビ番組をみながらひっきりなしにひとりごとを言うというのは、孤独や疎外感のあらわれなのだろうか、と。ちょっとたんじゅんすぎるかんがえにもおもうが、定年をむかえて家にいれば母親はなんだかんだうるさいし、こちらも父親とはほとんどことばを交わさないので、疎外をおぼえてテレビとの対話にはしるのかなと。そうはいってもしかし、(……)やら(……)まわりやらでひととのかかわりはあるだろうし、社会から切り離されているというほどでもないので、やはりたんに趣味の問題かともおもう。酒の影響もある。父親のひとりごとというのは、テレビの音声やそこで起こっていることに対していっぽうてきな対話をしている、というような感じで、感想や評価を述べたり、共感をもらしたり、なにかの発言にいっぽうてきな返答をかえしたり、ときに怒って文句を垂れたり、疑問を言ったり、とそんな調子である。話法としてはたぶん、「うぅ~ん……」という共感や称賛や感動のうなりと、「~~だよなあ」というような、やはり共感だったりいっぽうてきな寄り添いのような語尾がおおいのではないかとおもう。だからなんというか、テレビのなかで起こっていることを共有する一員として積極的に参加しようとしている、というむきがかんじられる。とりわけオリンピックとかスポーツというのは、時期(あるいは時間)限定の、一時的な共感の共同体や、熱のこもった感情的連帯をつくりだしやすい文物である。だから父親も、そういうかたちでテレビ(というかタブレット)のまえでプレイヤーや観客の輪のなかに参加・参入した気持ちになり、一体感のようなものをおぼえているのかもしれない。もし現状にたいして孤独や疎外をかんじているとすれば、連帯作用がその埋め合わせになるわけだろうが、それはさだかでない。たんにそういう楽しみ方だというだけのような気がする。

  • あと、「吉野弘志というベース奏者の『On Bass』というアルバムをながした。diskunionのジャズ新着ページにこのひとの新譜が載っていて、「アコースティックベースを自らの民族楽器としてとらえ、無伴奏・生一本(一切ダビング無し)で奏でる入魂のソロ」などと紹介されていたので、ソロベースですわと興味を持ったのだった。この新譜はAmazon Musicになかったので、かわりに『On Bass』をながした。このアルバムも全篇ソロで、拍手がはいっているのでライブらしく、しかし拍手のないトラックもたまにあった」という情報も。
  • この日は二日分読みかえしているので、たぶんしたからが一八日分かな。

(……)新聞は国際面をみると、ウクライナ周りの情報がひきつづき載っている。きのうのテレビのニュースでもつたえられていたが、ロシアは一部部隊が国境をはなれて駐屯地へもどると発表したものの、米国の観測だとむしろ七〇〇〇人ほど増えており、一六日に到着した人員もそのなかにふくまれているので、ある米政府高官は、ロシアは口では撤退や緊張緩和といいながら、じっさいにはその裏で侵攻への準備を着々と整えている、と批判しているし、ブリンケンだかも、ロシアは言行が一致していないと述べている。もうひとつ、ドイツのショルツ首相との会談後の共同記者会見で、プーチンがとつぜん、ウクライナ東部でいま起こっているのは(ウクライナ政府軍による)ジェノサイドだと発言した、という件がつたえられていた。ショルツはその場では反応しなかったが、のちほど、ジェノサイドというのは真実ではなく、間違っている、と不快感をしめした。政府軍と対立している東部親露派が大量虐殺されていると主張して、それを侵攻の口実にするのではないかという懸念が語られている。親露派組織は政府軍から迫撃砲で攻撃されたと言っているようだし、また、プーチンの発言と歩調を合わせるようにして、ロシア政府のなんとかいう委員会が現地の状況について調査をはじめた、ともあった。「ジェノサイド」ということばをつかうとは、きわめておだやかではない。ロシアは昨年一二月にも、ショイグだったかラブロフだったかの発言として、米国がウクライナ東部で化学兵器による攻撃を計画している、と非難したらしい。

  • 往路帰路はよく書いているなという印象。母親とこちらのしごとばのことなども。

出勤時まで飛ぶ。三時四〇分ごろ出発。空はまっさらに青くて陽射しがあり、十字路がちかくなるとその脇の樹々の群れがひかりをとおされ内にふくんで、葉叢のはしばしに溜まってひっかかったきらめきがそれじたい風に触られるようにふるえて、緑色が若く軽く華やいだようになっている。この景色もずいぶんひさしぶりにみる気がするなとおもった。坂道に折れてのぼればここでも木漏れ日がまだ高めにはいりこんで右手の段上の木立があかるみ、うえからそそぐというよりは幹を一面したから撫であげるように裸木をあたためているひかりのさきで、雲の欠けた穏和な青空が枝のあいだを充たしている。出口付近でも右側の壁の一画に日なたがともって、べつに特徴的でもない草の色がよりあらわになっているが、そのあかるさをみるだけでなにかしら解放感めいたものをおぼえた。表通りに出る脇でも小さな木の色がおなじようにあかるみ、横断歩道にかかればひだりの西空は太陽に占められながれるまばゆさが視界を埋めつつこちらを過ぎ越えて、右手にはそのひかりを浴びた街道がまっすぐながくはしっていくそのさきにまた空がひろがっている。あたりをみながら視線がおのずと遠く伸びるようで、こんなんじゃヴァルザーになっちゃうよとおもった。

道を渡って駅の敷地にはいっても太陽はまぶしさを送りつけてきて、水のようなその白光のなかですぐそばの木の一本の、妙に角張った軌跡で横に飛び出た枝のひとつきわだつはだかのこずえがただ黒いかたちに還元されて、階段にはいるまで色も枝先のとぼしい葉もみえなかった。ホームにうつって先頭のほうへ。おもてのほうからつたわってくるひびきは風音に似ているが車の立てるものである。ほんものの風もあり、線路脇で白く色を抜いていさぎよく老いさらばえたネコジャラシのたぐいがシャラシャラ鳴りをもらすとともに、すぐ眼下、レールのそばにある同種のひともとも、カニのようにぎこちないうごきでふるえもだえていた。線路をはさんで向かいの細道を郵便屋のバイクが特有の排気音を立てながら走ってきて、小回りのよく利くうごきでひかりを跳ね返しながら丘のちかくの家のまわりを行き来する。駐車場の奥、丘がはじまるその林の縁にはひとところ、多色の草が接し合っていろどっている箇所があり、緑やら黄やら半端な褪せ色やら臙脂やら褐色やら、ふさふさやわらかい動物の毛のように、あるいはエアブラシで吹きつけられたかのように微妙なグラデーションをあつめているその色彩に、やばいなとおもった。

帰路。最寄り駅を出て坂をくだっているあいだはあまり周囲をみなかったが、したの道に出て行くとちゅうで歩速がよわまって、一〇時半まえの夜気は寒いには寒いがからだはいそがず、右手にひらいた空とそこにうつった満月をたびたびみあげながら道をたどった。昼間のかんぜんな晴れがつづいて夜空はいまもまっさらになめらかで、星はしかし色の深みに落ちこみがちでさほどきわだたず、月ばかり瓏々と玲々と冴えてひろがるひかりが金属板めく夜空をうすめるが、その色は黒とも灰とも青とも藍とも紺とも白ともなんともいえず、そのすべてをふくみつつどれにも寄らず還元されない分類不能の精妙な単色の濃淡だった。

帰路のことはすでにうえに書いた。父親は山梨に行ったらしく不在で、うるさくないので平和でよい。帰宅後はたいしたことはなく、飯を食って風呂にはいって一三日の日記をすすめたはず。夕食時に母親が職場のはなしをした。同僚の「デブ」の若い男性が掃除やものをはこぶしごとなどをぜんぜんやってくれないのだと。それで女性陣はみんな陰で、わかくてからだもおおきいのにぜんぜん手伝ってくれないよね、と文句を言っているらしい。太っているのでできるだけうごきたくないのだろう、とのこと。職場長は職場長でまえまえからきいているがそこそこえらそうな感じの人間らしく、主に事務仕事などやっているからやはりあまり手伝ってはくれない。「デブ」の男性も資格をもっているらしく、立場としてはパートではなく社員のようで、だから資格のないパートのひとびとをしたに見ているのではないかというのが母親の感触のようだ。掃除とかもろもろの雑務はじぶんのしごとではない、という雰囲気なのだろうたぶん。そのかれはだいたいパソコンにむきあって業務計画などを立てたりしているもよう。手伝ってほしいって言えばいいじゃん、とか、そいつとおなじたちばの女性いないの? とか、職場長に注意してくれってたのめばいいじゃん、などといろいろ言い、言うときはひとりに言わせるんじゃなくて、女性陣をあつめて徒党を組んだほうがいいよ、みんなであつまって圧力をかけないと、などとそそのかしたが、そうすると母親は、言うって、なんて言うの? ときいてくる。おいてめえ、若いくせにサボってんじゃねえぞ、ちゃんとはたらけよ、って、とこたえると母親は、そんなこと言えるわけないじゃん、ととたんに困惑の声をあげたが、それはむろん冗談である。ふつうに、すみませんけどちからがいるしごとのときはちょっとだけでも手伝ってもらえないですか? と言えば良いだけのはなしだ。しかし、どうも母親の職場はあまり雰囲気がよくなく、同僚同士の関係もしたしみやすいものではないようで、そういったことを気軽にチャレンジしたり、そういう問題解決を主導したりする人間がいないようだ。たぶん職場長の性質がそうさせているのではないかとこちらはまえから見込んでいる。労働者たちはみんな陰で基本的に長の悪口を言っているらしく、そんな不満が蔓延していやいやはたらいているひとがおおいのだったら、気楽な雰囲気など生まれるわけがない。もっとも母親の長にたいする印象は、いぜんとくらべるとやや見直されたようで、さいきんは掃除などをたまにやってくれているときもあるらしいのだが。でもみんなほんとうにいやがってじぶんで率先してやらない、なるべくやらないで済むようにしようって感じで、そとに行ったときとかもなるべく時間を遅らせてもどってこようみたいな、と母親は言い、だからたぶん掃除とかゴミの始末とかはだいたいいつもかのじょがやっているのではないかとおもうが、まあそういうもんですよ、大多数の人間はやっぱそうでしょ、とこちらは鷹揚に受けた。例の「デブ」とか職場長についても、男ってだいたいそうでクソバカだから、他人に奉仕するってことを知らないんだよね、クソバカだから、とじぶんのことを棚に上げて雑駁に同族を糾弾した。べつに他人に奉仕するということをあまり知らないのは男女問わずそうで、女性のほうが一般的にそういう姿勢をもっているように見えるのだとしたら、それは社会環境や歴史によって男性はそういう態度をとらなくても済むように免除されてきて(あるいは取ってはいけないと強制されてきて)、女性はそれを強いられてきたということにすぎないとおもう。みんなだいたいじぶんにあたえられたしごとの範囲しかやらないというのはたぶんどこでもだいたいそうだろう。こちらの職場でもそうで、だからおれがいつもトイレの掃除してんのよ、とはなした(あとはたぶん室長だけ)。まあ掃除とか美化衛生はいちおう社員の、つまり室長のしごとの範疇で、アルバイトの講師にそもそも割り当てられていないと言えばそうではあるのだが、とはいえ職場に着いてさいしょに小便をしたくてトイレにはいると、だいたいいつも中蓋の裏が汚れている。だからだれも拭き掃除をしていないのだなということがわかるわけで、じぶんは小便をしたあとにいつもペーパーと洗剤で便器や周辺を拭いておく(これはたんじゅんに習慣である)。ほぼかならずと言ってよいほどに中蓋を立てたときの裏側、楕円形の穴の上端付近を中心になんか茶色いようなオレンジ色のような汚れがついているのだが、それはいつも塾でうんこをする習慣の生徒がいるのかもしれない。しかしいま気づいたけれど、そもそも中蓋の裏が汚れているというのは、立って小便をする男性でないと気づかない。うんこをしたひとや、座って小用を足す女性はわざわざそこまで見ないだろう。立って放尿するのもそれはそれで見えない飛沫がめちゃくちゃ飛び散っていて良くないらしいが、スーツだとワイシャツを出したりスラックスをあけたり、脱いだあとにまたととのえたりするのがけっこうめんどうくさい。はなしをもどすと、みんなだいたいじぶんに課せられたぶんのしごとしかやらないということだったのだけれど、それがわるいかどうかというとまた微妙である。とうぜんのことであるとは言えるし、言われたことだけでなくじぶんにできることをどんどんやっていこうという雰囲気が支配的になるとそれはそれでまた圧迫を生むわけだし。「働き方改革」の観点からするとむしろよくないとすら言える。こちらじしんはすくなくとも職場では、気づいたことをわりとどんどんやってしまうタイプなのだが、それは立場がそれを可能にしているという面もあるだろうし、またそういうことをやっていたのでいまの立場になってしまったということでもあるだろう。いずれにしても、ほんとうはもうすこししごとを同僚や後輩に振っていって育成したほうがよいのだろうが、性分としてそちらのほうがめんどうくさくかんじてしまうのでみずからやってしまう。そして、それをおのずから真似して積極的にはたらきだすような人間はけっこうな少数派である。ここで乖離が生まれてバランスがわるくなり、たとえば派閥などにつながっていったりする。じぶんの職場ではそこまでのことにはなっていないし、そんなに相性の悪い同士というのも明確にはいないとおもう。そこまでまじめではないほうの大学四年生ら数人と室長とのあいだで、ゆいいつややぎこちない感じがあったのだが、かれらはここで卒業していったので、人間のタイプ的な齟齬の懸念というのはいまのところ明確には見受けられなくなった。いずれにしてもそろそろこちらいがいに回す役の人間がほしいのだが、できそうな人員がいないし、できるようになりそうな人員もほぼいない。会議のときに発表したり、はなしあいで主導したりするのそろそろめんどうくさくてやめたいのだが。しかしもうかんぜんにそういう役回りにさだまってしまった。そういうことができるようになったことにいくばくかの自負はおぼえるし、それはそれでおもしろくもあるのだけれど、しかしやはりほんとうはもうすこし人目につかないところにいたいというか、表立ちたくない。

  • 「やはりほんとうはもうすこし人目につかないところにいたいというか、表立ちたくない」などと韜晦傾向だが、もはや現在そういうおもいもなくなって、かんぜんにポジションをつくってしまったし、いやなはなしだがいちおうリーダーシップめいた位置になってしまったと言ってよいとおもう(あくまでも室長の補佐というたちばでいるつもりだが)。出しゃばりすぎではないかとおもうときもないではない。調子に乗らないようにしないと。
  • 以下は(……)さんのブログから。

 シニフィアンの宝庫、言語の場としての〈他者〉において、あるひとつのシニフィアンに同一化することで主体が誕生するために必要不可欠なのが、シニフィアンの一を創設する根源的機能である。ラカンはこの機能を、模倣とは本質的に異なるメカニズムとしての同一化にフロイトが見いだした支え、すなわち何らかの象徴的特徴としての「einziger Zug」を土台にして概念化している。ラカンはこれに、『同一化』のセミネールでは、「trait unique」という訳語をあてているが、のちにはこれを「trait unaire」と呼び直している。煩雑を避けるため、私たちはこれらのタームを一括して「一なる徴」と訳すことにする。
 ここで着目すべきは、最高度に抽象化されたシニフィアンの〈一〉をなす機能は、主体の成立を支えるものではあれ、主体の存在の保証にはいささかも寄与しないということである。ここには、デカルト的コギトの成立に「消失する主体」をみるラカン独自の解釈が深くかかわっている。まず確認しておくべきは、この「消失する主体」のうちにこそ「一なる徴」が機能する契機があるという点だ。これは、「一なる徴」に支えられたシニフィアンへの同一化が、主体の存在欠如と不可分であるということにほかならない。この徴のもとで、主体は一般化可能な、それどころか交換可能なシニフィアンへと還元されることとなる。「一なる徴」は主体と言語の出会いを、主体を条件づける喪失の刻印とともに徴しづけている。それゆえ、いかに逆説的にみえようとも、〈一〉の機能は主体の同一性の喪失の謂にほかならないのである。
(工藤顕太『精神分析の再発明 フロイトの神話、ラカンの闘争』 p.188-189)

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 大人たちは良かれと思ってあなたにさまざまなアドバイスをしてくれます。でもその多くがむしろあなたを「正しさ」でがんじがらめにしてしまう言葉ばかりなんです。あなたに必要なのはみんなとは違う自分独特の生き方を見つけることなのに、大人があなたに耳打ちするのは、どうすれば「普通」になれるか、みんなとうまく合わせられるかということばかりなんです。
 こんなことを言うと、でも私には独創性がない。個性が足りないから普通でいい。そういうふうに言う人がいます。私はいまの状態のままで安心していたい。そうやって、自分の人生が動くこと、他の人たちとの間に距離ができることを嫌う人が多いのです。
 でも、この世界には初めから特別な個性や独創性が存在しているわけではありません。なぜならそれは自ずと現れるのですから。食器ひとつ洗うにしても、歯を磨くにしても、そのひとつひとつにあなたの生きる道が現れます。視界が悪い時には抜け道を探さなくてはならないし、人との関係の中で不整合があれば何とか辻褄を合わせなければいけません。それらの個別的な営みがすでに抵抗なんです。「正しさ」の論理では決して追いつけない個別への生きた対応こそが独創であり、それを地道に続けていくことだけが「正しさ」らしさへの抵抗になりえるのです。もしあなたがいまより豊かな人生を望んでいるのであれば、それはその抵抗のずっと先に現れる独特な穏やかさのことを言うのでしょう。
(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』)

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 いまはとにかく重いことやわかりにくいことが敬遠されがちで、複雑な厚みを持つ人間よりも単純明快なキャラが求められるようになりました。そして、多様性(=ダイバーシティ)の旗印のもとで現実化したのは、多様な逸脱を認める鷹揚さではなく、逸脱のすべてを「普通」の中に包摂(インクルージョン)することで、はじめからなかったことにしてしまおうという世界のクリーン化でした。このことを通して、表面的なきれいさに覆われた軽やかな社会の「正しさ」は、単に自分が周りとうまく歩調を合わせられているかどうかを確認するための平板なものになりました。
(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』)

Zelenskiy warned a possible consequence of delaying western weapons to Ukraine could be a Russian invasion of Moldova. He said neighbouring Belarus would make a mistake of historic proportions if it joined in the Russian offensive and claimed polls showed 80% of its people did not wish to join.

The German chancellor, Olaf Scholz, gave Zelenskiy an indirect rebuff, saying caution was better than hasty decisions and unity was better than going it alone. Scholz said Germany was the biggest supplier of weapons in continental Europe, and that the region was in uncharted territory and there was no blueprint for confronting a nuclear-armed aggressor, making it vital to avoid an unintended escalation.

The French president, Emmanuel Macron, urged allies to intensify their military support for Ukraine to help it carry out a needed counter-offensive against Russia. There could be no peace in Ukraine until Russia was defeated, Macron said, adding that Russia was doomed to “a defeat in the future”.

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As many as 60,000 Russian forces may have been killed in just under a year of Russia’s war in Ukraine, the UK’s Ministry of Defence has said. The casualty rate “has significantly increased since September 2022 when ‘partial mobilisation’ was imposed”. Convict recruits used by Wagner may have had a casualty rate of one in every two men.

  • いまもう二月二六日日曜日をむかえてしまっているので、このへんの数日はまたやっつけでてきとうに始末しようとおもっている。この土曜日は(……)くん・(……)くんと(……)で会合した日。三時に集合だったので、二時半ごろの電車に乗った。出るまでのことなどおぼえていないが、ただちょっと緊張があるようだったというか、具体的に左肩の裏あたりが固くなっていたのだ。それで、ふだんとはちがう方向に電車を乗るし、ふだん行かない街に行くわけで、習慣からはずれた過ごし方として街に出るという、それだけでも緊張しているのかなとおもった。(……)駅のホームではいちばん端、屋根のない青空のしたにあるいていって、そこには老夫婦が一組いたのですこしてまえで止まって待っていると、こちらのあとから小学校三年は行っていないだろうというちいさな女児もひとりでやってきて、すぐ右側に立ち止まって待っていた。パスケースらしきものを横にぶら下げたリュックサックを背負っていたとおもう。ひとりでいったいなんの用事か知らないが、どことなく不安げなようすにもみえた。待っているあいだは手のゆびを伸ばして首すじの固さや緊張をやわらげようとこころみているのだが、その間、向かいのホームを電車が右方へと(つまり西、(……)のほうへと)発っていって、通り過ぎるその車窓にグリーンのモッズコートで立ち尽くしているこちらのすがたと、その横でおなじようにしているいかにもちいさな女児のすがたがならんでうつる。あたまの位置の差、そのあいだの空隙がけっこうなものだった。電車に乗ったあとはさいしょ一番端の南側の扉際、しかしほんとうの端である壁際もしくは角ではなく、そこの扉の座席側の位置を取って、たしかFISHMANSの『ORANGE』で耳をふさぎつつ立っていたのだけれど、緊張はやはりいくらかあった。車内も昼下がりにしてはけっこう混んでいたし。たいしたことにはならないと理解していながらも警戒感はあった。数駅行ってどこかに到着したさい、目のまえのガラスの反映で背後の口に駅員の手によって補助スロープが置かれているさまを発見し、ということは車椅子のひとが乗ってくるわけで、ならばじぶんがいまいる角をあけたほうがたぶん都合がよいのではないかとおもい、ひとつとなりの扉前に移動した。そこでまた目を閉じていたが、気づくとこちらの左側にはベビーカーをともなった女性がおり、たぶん夫もそばの席に座っていたのではないかとおもうが、その女性がベビーカーの横からかがむようにして子どもになにかはなしかけて世話をしており、ただベビーカーとこちらとのあいだにある空間の隙間がせまかったので、やりづらかったかもしれないとおもっていくらか斜めうしろにずれた。
  • (……)着。店は(……)ということになっていた。前回と同様で。そのときの記憶をたよりに改札を出るとこっちだったなと右に曲がり、ロータリーうえの高架歩廊をあるいて店のまえまで行くと(……)くんがいるので手をあげて合流。着いたときにメールでみていたが、めちゃくちゃ客がいて待っており、聞けば二〇組とか言っていたか? わすれたが、それで整理券を(……)くんはもらっていたのだけれど、そんなに待つんじゃなあというわけで、しかも客がおおいから二時間制になるというはなしだったので、べつの店を探しに行こうとあいなった。スマートフォンをいちおう持っているくせに地図アプリやGoogle Mapなどまったくつかっておらず、付近の喫茶店の検索をかんぜんに(……)くんにまかせて、地図をみるかれの先導でサンマルクカフェとドトールと回ったのだが、どちらもほぼ満員で三人はいってはなせるという感じではない。ちなみに(……)くんは一五分くらい遅れるとかでまだ来ていなかった。最終的に、(……)のなかに「(……)」があるようだからそこに行ってみるかということで移動し、ビルにはいり、エレベーターを待ち、満員のなかをレストランフロアにあがっていき、店のまえまで来るとここもいくらか待ちびとはいたようだが、まあはいれそうではある。入り口には店員がお声掛けしますのでお待ちくださいみたいな表示を置いた台があったのだが、店内のすぐそこに記名帳があったので、(……)くんがそれになまえを書いたのだけれど、ことによると勝手に書いては駄目だったのかもしれず、まわりの客たちを抜かしたことになってしまったのではないかとふたりで苦笑した。ただ、けっこういるなとおもっていたのは向かいの寿司屋の待ち客もふくんでいたようで、喫茶店を待っていたのはけっきょくひとりふたりだったようなのだが。(……)くんも合流してきて、そして入店。はいるとすぐ左にレジカウンターがあるが、そのまえを横切って正面奥のすぐ、店内の角にあたる席にとおされた。このとき通してくれた女性はその後注文を受けてくれた女性と同一なのだが、けっこうベテランめいた貫禄で、ただなんというか発話の圧がすこしつよいような、確認いたしますね、なんとかかんとか、なんとかかんとか、いじょうでよろしいですか? というときの「よろしいですか?」に、まるでいまから気を変えるのはゆるさんぞとか、そんなに長居するんじゃねえぞとでも言わんばかりの謎の圧力がかかっているかのような、そのような圧が語調のはしばしに見受けられて、愛想が良いのか良くないのか微妙によくわからんみたいな第一印象だったのだけれど、とくだん機嫌が悪かったとかではたぶんなく、たんにそういう話し方のひとだったのだろう。ところでこちらはメロンソーダをたのんだ。ここにきてもやはり緊張しており、首すじはあいかわらず硬かったし、ひとびとのざわめきにもからだが敏感になっているようだった。そうでなくてもカフェインを取るのはよくないからそれいがいの品になるのだが、とするとだいぶかぎられてメロンソーダくらいしかない。それで序盤は緊張感が気になっていくらかはなしづらく、ソーダもめちゃくちゃちょっとずつ口にして胃にあまり影響をあたえないようにしていたのだけれど、口を閉じているあいだに鼻で深呼吸したり、しゃべっているうちにだんだんほぐれてきて、しばらく経ったあとは問題なくなった。会話はもうおぼえていないしめんどうくさいので省く。課題書は『失敗の本質』と吉田満戦艦大和ノ最期』で、こちらが言ったことはだいたい日記に書いたような感想。
  • 七時くらいまで店にはいた。次回の課題書も決めるわけだが、今回のチョイスはこちらと(……)くんがはなしているあいだに出てきて決まったものだけれど、ジャンルとしてはじぶんは大満足だったしこのまえもソローキンをえらんだからと(……)くんは言って、こちらになにがいいかとゆだねてきたが、なんだろうねと受けつつ、まあこのながれのままで行くのなら、それこそこの本のうしろに載ってるのとか、と言って『失敗の本質』のさいごのほうの既刊紹介ページをひらき、猪瀬直樹の『昭和16年夏の敗戦』とかも読んでみたいし、大岡昇平も読みたいなどと言った。猪瀬直樹のそれは、これいぜんにもはなしに出ていたのだが、(……)くんは読んだことがあると言っていた。大岡昇平は『レイテ戦記』全四巻が紹介されてあり、その一巻目の解説が大江健三郎だと(……)くんが指摘したので(ちなみに二巻目は加賀乙彦、三巻目菅野昭正、四が加藤陽子)、大江健三郎Wikipediaに書いてあったエピソードをおもいだし、大岡昇平ってのはやっぱりすごい作家らしくて、大江健三郎ノーベル賞を取ったときに言ったらしいのね、日本にもすぐれた作家の層はしっかりあって、大岡昇平と、井伏鱒二と、安部公房が生きていたらかれらがもらっただろうって、と紹介した。そこで井伏鱒二があがるというのがこのエピソードをはじめてみたときからかなり意外というか、井伏鱒二なんてもちろん読んだことないし、好きな作家として挙げているひともみたことないし、いまなまえもちっとも聞かないでしょう。知識としてもせいぜい「山椒魚」と「黒い雨」を書いたひとというくらいで、ちなみに(……)くんは高校の国語かなにかで「黒い雨」は読んだらしい。大江健三郎ってどういう作家なの、どういう作品を書いてるひとなのともきかれたが、こちらだって一冊も読んだことがないわけである。それで、いやおれもよくわからんのだけど、時期によってたぶんかなりちがうんだとはおもう、あのー、息子さんが知的障害者なんだよね、それで息子が生まれてからはそれを題材に取り入れた、私小説? と言っていいのかわからんけどそういうのをやってるとか……あと『万延元年のフットボール』ってのがゆうめいだったり((……)くんはその名を聞いたことがあるといった)……あと、「死者の奢り」だったかな、初期作品ではそれがゆうめいなんだとおもう、あのー、大学生が死体を洗うバイトに行くはなしなんだよね、と、聞きかじりで知っているだけのことをはなした。マルケスとかフォークナーなんかに影響を受けて、四国だかを舞台にした共同体ものを一時期やってるみたいなはなしもよく聞くけれど、『万延元年のフットボール』ってそこに属する作品なのか? べつにそれでおもいだしたというわけではなかったのだが、読みたい文学なにかなとかんがえていると、ああそういやフォークナーはやはりぜんぶ、までは行かなくとも主要作ぜんぶは読みたいなとおもいだしたので、その名を挙げた。すこしまえにどういうきっかけだったかおもいだしたときがあって、まえ読んだ『アブサロム、アブサロム!』もすごかったし、なんかやっぱりだいたい読むべき作家だなと。それで『アブサロム、アブサロム!』ってのがすごかったと言いつつ具体的なすごさの説明はなにもしなかったり、『響きと怒り』とか『八月の光』とかがあとはゆうめいだと言ったり、ヨクナパトーファ・サーガっつって、とそれぞれの作品がおなじ舞台にもとづいて関連しており架空の共同体と歴史をまるごとつくるみたいなことをやっているひとで、とはなしたりした(ヨクナパトーファ・サーガの語にはふたりとも、なに? なんて? なんていった? と聞き返していた)。ただ読みのはたいへんだろうし、どの作品もながいとおもうから、読むなら短編集がいいとおもうと言って、書店に行ったあと最終的に次回の課題書はこれ、新潮文庫の『フォークナー短編集』に決定された。
  • 書店は駅そばの(……)。こまかいことは省くが文庫の棚だけみていてもまあおもしろそうな本は尽きない。草思社文庫とかもいままであまり注目していなかったがおもしろそうだし(草思社でいちばんゆうめいなほうの本はたぶんジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』で、これはこちらもまだ読み書きをはじめていなかった時期に読んだことがあるし、このときも平積みになっていて、おなじく平積みになっていたなかにはフランス革命の本もあってそれも気になった)、角川ソフィア文庫なんかも何年かまえまでは日本の古典をビギナーズ・クラシックス版で出しているばかりでややカジュアルだしべつにたいしたものではないという印象だったのが、さいきんだと興味深そうな本がいろいろはいってきている。あとそういえば、講談社文芸文庫蓮實重彦が六五年だかのフローベール全集に訳した『三つの物語』があたらしく出ており、解説もその全集に載せられていたのをそのまま取ってきていたのだが、講談社文芸文庫はここ数年蓮實重彦をつぎつぎと出しており、すこしまえにも『フーコードゥルーズデリダ』が文庫化していたし、編集部内にファンがいるんですか? といういきおい。
  • そうしてこの日がたいへんだったのは帰りの電車で、要は満員だったのだ。ふたりは夕食を取っていくというが、こちらはまだ外食するのは怖いので帰ることにして、時刻は八時すぎくらいだったのだけれど、駅にはいってまあ混んでいるとは予想していたが、端がどんなもんかなと進行方向にあたるほうの端に行ってみたがそのへんにもひとはたくさんおり、これはなかなかやばそうとおもいつつもしかし乗らなければ帰れないわけで、しょうがねえと覚悟を決めてイヤフォンで耳をふさぎ、またFISHMANSの『ORANGE』かなにかながしていたのだけれど、来た電車も満員で、けっこう降りるが乗るほうも多いからけっきょく変わらず、ひさしぶりにほんとうの満員電車、身のまわりがぜんぶにんげんで埋まっている環境下に置かれることになり、これはさすがに駄目なんじゃないかとおもったのだが、まあでもこれだけの状態だったらパニック障害でなくても体調がわるくなってもおかしくないし、しょうがねえだろうという妙な達観が生まれて、そのおかげなのか、なんとかつり革をつかんで目を閉じているかぎりでは意外とだいじょうぶだなと、動悸やせり上がりが来ないなとからだは比較的しずかで、身にふれてくる周囲のひとびとの感触も不快にはならず、むしろいやお互いたいへんですねえ、いやなもんですよねえみたいな、この環境をともに生き抜く仲間意識めいたものがこの車内のひとたちにたいしてきざしてきて、そうなると余裕が生じてまわりのようすを見てみるかと目を開けて、すぐ右の若い女性の背がちいさくて埋まるようになっていたり、そのへんの壁際の眼鏡をかけた男らが満員のなかでもゲームをやっているのを見たりしたのだけれど、そうするとひとに囲まれぎゅうぎゅう詰めになっていて逃げようがないという目下の現実が意識されてまともに受け止めなければならないためだろう、そこでふつうに動悸が来てやばいわとなった。しかし逃げようがないからまぶたをふたたびおろして呼吸とともに耐えるしかない。もしかしたらとちゅうで降りたほうが良いかもしれないともおもったが、降りようにも満員だから扉までたどりつくのも困難である。まあ最悪しゃがみこんでもしかたがないと覚悟を決めて瞑目のうちに鼻でゆっくり息を吐いていると、なんとかだんだんおさまってきて、そのうちひとの移動におうじて扉前を取ることもでき、そちらが開かないばあいはむしろ追いつめられたと言うこともできるのだが、しかしそれもいちおう助けにはなって、目をつぶったまま呼吸をたもちつづけていたのだが、そのうちに開けるといつの間にかけっこうもうひとがいなくなっており、まわりは空いていて、角も空いていたので、これでなんとか助かったと安堵してそこにはいった。しかしその後も余波があるから瞑目と呼吸を基本的につづけながら(……)まで過ごしたが。その後の帰路はわすれたが、すごく消耗したというわけでもなく、夜道を行くあたりではもうほぼ平常になっていたから、心身はかなり良くなっていると言ってまちがいない。


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  • 日記読み: 2022/2/17, Thu. / 2022/2/18, Fri.