(こうしてお前は)
こうしてお前はそうなってしまった、
ぼくがお前を決して知らなかったふうに――
お前の心は 至る所で鼓動している
泉の国で、そこでは飲む口もなく
影を縁取る姿もない、
そこでは 水は湧き出て輝きとなり
輝きは水のように泡立つ。お前はすべての泉のなかへ降りていく、(end93)
お前はどの輝きも漂い抜ける。
お前はひとつのゲームを考え出し、
それは忘れられようとしている。(中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、93~94; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「逆光」)
- 一年前の日記より。ウクライナまわりの情勢について。ロシアの侵攻まであと四日。
(……)一面にはきのうニュースでみかけたバイデンの発表の内容がつたえられている。現時点でプーチンが侵攻の決断をくだしたと確信している、というやつだ。米当局者のはなしによると、国境付近の軍隊のうち四割からはんぶんくらいは攻撃態勢をとっているという。東部でも親露派による砲撃が増えているらしく、かれらはウクライナ政府軍に攻撃されていると主張しているようなのだが(親露派が攻撃すれば政府軍はじっさい、たしょうの反撃くらいはするとおもうが)、これは攻撃の口実をつくるためのロシアの古くからのやりくちであるというのが米国のかんがえだ。国境地帯で工作してなにかしらの騒乱を起こし、ロシア系住民の保護を名目に進軍するというのが順当にかんがえられうるシナリオらしい。
- 「いま八時。さきほど、きのうの日記までしあげて投稿できたのでよかった。さいきんはだいたい数日のおくれが発生してしまい、満足に書けないやっつけしごとをまじえつつ休日に一気におくれをとりもどすというパターンになっている」という一節もあったが、これはいまとまったくおなじだ。一年前から変わっていない。たぶんその一年前からもあまり変わっていない。さいきんでは、曲がりなりにも書くことは書いて、ひとまず現在時に追いつけたという瞬間がもうずいぶんおとずれていない。つねに未筆のなにかが浮遊霊のようにただよい取り憑いている、半端な状態のなかで日々を生きている。
- 音楽。
(……)書抜きのうしろにはNina Simone『Feeling Good: Her Greatest Hits And Remixed』というアルバムをながした。diskunionのジャズ新譜ページをみていたら載っていた最新のベストアルバムで、こちらはぜんぜん知らないが著名らしいDJらによるリミックスもはいっているというのできいてみたが、二枚組でながいし今回はリミックス音源までたどりつかなかった。ながし聞きのかぎりでよかったのは”Black Is The Color of My True Love’s Hair”、”Ain’t Got No / I Got Life”、”Love Me or Leave Me”、”Strange Fruit”あたり。”Love Me or Leave Me”は作法としてはジャズで、ピアノトリオでの弾き語りなのだけれど、Simoneのソロのフレーズの組み方はよくきくジャズのそれというかんじではあまりなくてちょっとおもしろかった。五〇年代とか六〇年代のジャズのやりかたの基本というのは要するにバップで、六〇年代はまたちょっとちがうものがあるとしても、モダンジャズはわりと音を均等に詰めていくことがおおい音楽なのだが、ここでのSimoneのソロはそういうバップ的なながれかたよりも緩急がおおきく、空白をひろくあけたかとおもえばしばらくこまかいフレーズを詰めこんでまた休む、というふるまいを特徴的にもちいていたし、ちょっとクラシカルな雰囲気の、指練習的なフレーズをおもわせる整然としたひとつながりもあった。Nina Simoneはイメージとしてはめちゃくちゃブルージーな印象だし、じっさい歌や音楽はあきらかにブルースのながれだが(Bessie SmithやBillie Holidayを踏まえている)、この曲のピアノソロのかんじは、たとえばModern Jazz Quartetというなまえをあたまに浮かばせるようでもあった(といってMJQもそんなにきいたことがないが)。検索すると五六年だったかの『Little Girl Blue』というアルバムにはいっているらしかったが、しかしもうひとつ、六五年だったかの『Let It All Out』でもこの曲をやっているようで、ベスト盤に収録されたのがどちらの音源なのか確認していない。前者はJimmy BondとAlbert Tootie Heathのリズムで、ベツレヘムレコードから出したとあった。
- Samantha Lock and agencies, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 362 of the invasion”(2023/2/20, Mon.)(https://www.theguardian.com/world/2023/feb/20/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-362-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2023/feb/20/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-362-of-the-invasion))
The US and Ukraine are “still having discussions” amid pressure to supply F-16 jets. The US ambassador to the United Nations indicated on Sunday that the White House could reverse its refusal to supply F-16 jets to Ukraine. Ukrainian officials have urged US Congress members to press Biden’s administration to send the jetfighters to Kyiv, saying the aircraft would boost Ukraine’s ability to hit Russian missile units with US-made rockets, lawmakers said.
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Zelenskiy and French President Emmanuel Macron spoke by phone on Sunday and discussed strategies, including what the Ukrainian leader described as joint decisions ahead of this week’s anniversary of Russia’s invasion of his country. In his nightly video address, Zelenskiy said he thanked the French president “for understanding our needs and for expressing jointly that we cannot waste any opportunity or a single week in our defence against Russian aggression … We also discussed important decisions that we are planning for this week – for our year of resistance.”
France has said it would deliver the AMX-10 light armoured vehicles it has promised to Ukraine “by the end of next week”. Macron added in an interview that he wants Russia to lose the war but he does not want to see it “crushed”.
China may be on brink of supplying arms to Russia, the US secretary of state, Antony Blinken, has warned. Blinken told US networks that the US had information China was considering whether to give Russia assistance, possibly including guns and weapons, for the Ukraine war..
The Polish prime minister said he and US President Joe Biden will discuss the possibility of increasing US troop presence in Poland and making it more permanent. “We are in the process of discussion with President Biden’s administration about making their (troop) presence more permanent and increasing them,” Mateusz Morawiecki said on CBS’s Face the Nation on Sunday.
- そしてこのいまは午後一時四七分である。きょうが通話だというのにさくばんは四時くらいまでだらだら夜を更かしてしまった。寝坊するといけないからと九時に鳴るようアラームをセットしておいたが、結果的にはそれを待たず八時半ごろに覚醒が来た。布団のしたでしばらく鼻から息を吐き出して、それとともに腕や胸や肩や腰などもさすっておく。そうしてからだを目覚めさせていき、九時ちょうどくらいに起き上がった。布団をまだ下半身のうえにかけたまま、あぐらの体勢で首や肩をまわす。就寝の遅さ、睡眠のみじかさのわりにからだの感覚は濁っておらず、肉は比較的ほぐれていた。意識にねむたいという感じもない。午後二時前でも同様だが、しかしじっさい眠りがみじかいわけだから、このあとどうなるか。きのうは夜にスーパーに出たいがいは籠もっていたので疲れもすくないはずで、きょう勤務をこなして帰ってきたあとはそうは問屋が卸さないだろう。つまり書きものはできないだろうということで、帰宅後にかんしてはあらかじめあきらめておいたほうがよい。そのぶん、手帳へのメモをやりたいところだ。
- きのうスーパーから帰ってくるときの夜道で空をみあげると、雲が一面をくまなく覆って、くすんだ乳白色を内に全面化しつつ含みこんだ夜空だったので、こんな調子であしたはほんとうに晴れるのかなあ、天気予報をみたときには快晴らしかったが、とおもったものの、明けてみればたしかに晴れ晴れとした濃い青さのひろがる朝で、通話のまえに洗濯をやっておくことにした。通話はだいたい一二時くらいに終わるのだけれど、そこから洗っていると陽にあたる時間がすくなくなってしまうからだ。正午から二時くらいにかけてがこの部屋にゆいいつもうけられた西の窓のいわばゴールデン・タイムである。それでニトリのビニール袋にはいっていたものたちをすべて洗濯機に入れ、注水しているあいだにトイレにはいって用を足したり顔を洗ったりした。洗濯機をはたらかせ、その他腕をちょっと振ったり、鼻から息を吐き出しながらストレッチ的にからだをうごかしたり。両腕をかかげて背を伸ばしながら左右にかたむくことがおおい。あとは左右に開脚して前傾しながら肩を脚のあいだの空間に差しこむようなイメージで上体をひねる姿勢とか。そうして水切りケースのなかをかたづけたのち、温野菜を用意。電子レンジでまわしているあいだはきょうもまた腕振りではなく椅子について目をつぶりながら呼吸をしていた。食事。食べはじめたのが九時四〇分くらいか。通話前に済ませてしまいたかったので、これにくわえて納豆ご飯を食っていると時間がかかるなとおもい、きのう買ってきたランチパック(ツナマヨネーズ)を取る。そしてバナナ。スチームケースと箸も洗っておいて、パソコンを再起動させたあと、一〇時をほんのすこし回ってからアクセス。カメラをつけると(……)さんも同様にうつしておはようございますとあいさつが来るので、おはようございますとかえした。きのうくらいから急にあたたかくなって、と時候の体感がまずはなしにあがるが、きのうの夜道はたしかに寒くなく、春の気配を風のなかにかんじるようでもあったのだ。(……)さんは花粉症で、気温があがったことでもう来ているのをかんじるという。こちらも花粉症はおなじだが、まだ感知していない。もう三月か、ともらし、去年もふつうになってたはずなんですけど、なんかよくおぼえてないなとか、アレグラFX飲んでましたよとか言う。
- 雑談がしばらくつづいて、Ulysses本篇をやったのは一一時くらいからだったか? 今回もまたじぶんは訳文をつくることができなかったのだが、(……)さんがいくらか訳してきてくれたので、原文とそれを読んでもらい、かれの感想や理解を聞き、こちらからもはなす。本篇を終えたあとはふたたび雑談にながれて、(……)さんはなにか用事があって一二時でかっきり去っていくこともおおいのだが、きょうは用事がないのかそこを越えてもはなしがつづき、こちらもこちらでみずから終わらせにかからずながれにゆだねる鷹揚な姿勢になって、一二時半ごろに終了した。椅子から立ち上がると背伸びなどして、それから洗濯物を干す。たたみあげてあった布団はおろして窓外の座布団二枚もはたいてなかに入れる。それでしばらくごろごろしながら一年前の日記を読んだ。記述はそうおおくはない。そのつぎにGuardianのウクライナ概報も。それで一時を越えたので起き上がり、「読みかえし2」のほうにウクライナの記事を送っておいてから、湯浴みをすることに。素手で洗いながらふれてみた感じ肌の感覚は比較的なめらかである。疲れていたり、冷えていたり、めぐりが足りなかったりすると、ざらついてかたい感触になる。出てくるとここまで記して二時二一分。書きぶりとゆびのはこびはおだやかである。
- 往路。出発してまもなく、前方から自転車に乗った母子が来て、うしろに乗せられた女児がなんとか言ったらしく、雨降ってきた? と母親が聞いていた。しかし明確なしずくはない。気温は高めでストールを巻かずとも問題なく、涼しさと冷たさのあいだでどちらかといえば冷たさ寄りの状態は昨晩スーパーに出たときの大気とおなじだ。風はあった。公園は無人。南の車道沿いに出て西にあるいていると、空は不思議な様相で、正面は南側からひろく雲におおわれて、果ての下端には隙間があって西陽の色が貼られているものの、そこにも薄雲があるのか暖色は濁り気味でぜんたいとしてたしかに雨をおもわせるのだが、いっぽう北にあたる右側では雲がちぎれてすくなくなり、青さがたくさん露出してむしろ晴れていると言ってよい。踏切りをわたると中華料理屋の裏をとおって空き地の東側を南北にとおる細道に出た。空き地を満たす茶色の穂草はたばねられたようにある程度のまとまりをつくりながら群れており、風がくればなびきもしようが、かたむかず突き立ったそのすがたは固そうで、動物の毛のようなふさふさとした質感を目にあたえてはこない。一方通行の細い車道を渡り、やってくる車を避けて柵の切れ目まで段に乗る。そこには保育所があって、それがはさまれたあとまた老いの草に満ちた原っぱだが、保育所を過ぎてすぐの道脇、草のなかにはポイ捨ての缶などゴミがいくつか投棄されていた。こちらがわの草は背が伸びたような、まえよりも密になって勢力を増したようにうつる。気温のせいかとおもったが、こんなに乾いた褪せ色の草が、あたたかくなったからといって伸びるものなのだろうか?
- (……)駅に着いて改札をくぐり、ホームに向かえばちょうど電車から降りて階段をのぼってきたひとびとがたくさん湧き出ているところで、向かいから寄せてくるひとびとのうごきとそのあいだに刻々生まれる隙間を検知しつつ、応じてこちらの歩もうごかしてぶつからないようよけてすすむその処理が、シューティングゲームみたいな感じだなとおもった。
- 勤務(……)
- この日の勤務後あたりからは体調がややすぐれなくなり、あたまがやたらと硬く、少々頭痛があって、吐き気のてまえくらいの状態だった。あとは通話。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)生まれたときから知っているひとというか、じぶんが生まれたときからのことしか知らないひとにそれいぜんの過去がある、あったというのは、あたりまえのことだけれどおもしろいとこちらは言って、そこから祖父のはなしをすこしした。この祖父というのはこちらもいっしょに暮らしていた母方の(……)じいさんのことだが、直接聞いたわけでなく兄がはなしているのを聞いただけで、しかも兄もそんなに正確に知っているわけではなさそうだったので情報の質がわるいが、祖父は戦争中は呉にいたらしく、つまり海軍だったのだが、訓練中に上官になぐられて気絶しただか怪我だかして、それでじっさいの戦闘に出ずに済んだとかいうはなしなのだ。たぶんビビってへまをしたみたいな、きちんと軍人らしい行動ができなかったみたいなことだとおもわれ、それでこのへなちょこ野郎が! みたいな感じで殴られたのだとおもうのだけれど、いつだったか実家に兄が来たときにかれが言っていたのは、とうじの状況ではあまり褒められたことではなかったかもしれないが、その臆病さのおかげでじいさんが生き延びることができて、われわれが生まれていまここにあるわけだから、みたいなことだ。戦後のキャリアもぜんぜん知らないのだけれど、(……)のなかでなにかしらはたらいてはいたらしく、それでフォークで飯を食う習慣になったというはなしだ(祖父は家でもいつも箸をつかわずフォークで飯を食っていた)。そういう祖父が、若えころはチャリに乗ってどこどこの店に(……)さんをむかえに来てよお、というエピソードを、祖母の見舞いのときだったか、あるいはもう死ぬとなってあつまったときだったか、(……)さんか(……)さんのどちらかがはなしているのを聞いたことがあって、そのさいそうした祖父母の像が想像的にあたまのなかに浮かんでなんということだ、あのふたりにもそんなときがあったとは! と磯崎憲一郎的なおどろきに打たれたことがあったが、そのことはとうじの(おそらく二〇一四年の)日記に書いてある。たしか祖母がもう死ぬときではなかったかとおもうが。もうひとつおもいだすのは、祖母がまだ元気で家にいたころ、畑に出たさい、こちらも野菜を取る手伝いかなにかでいっしょに行ったのだが、畑の縁の段に乗ってそのへんの草をちぎり、むかしはこういう遊びをよくやったもんだといって草笛をやろうとしたときがあって、その瞬間に祖母のすがたにおさない少女のイメージがかさなって、なんということか、祖母にも子どもだったころが、いたいけな少女のころがあったのだ! とおどろきに打たれて感動し、ちょっと泣きそうになったこともあった。これもとうじの日記に書いたが、ただ祖母が元気だったということはまだ二〇一三年中のことだろうから、この記録はもはやのこっていない。とおもいつつ、祖母がたおれたのは二〇一二年の夏ではなかったか? とおもうので、これは祖母ではなくて母親の記憶違いかもしれない。いずれにしても、過去があった、あるということ、いまこの瞬間がある、あったということ、ここにこれが、そこにそれがある、あったということ、これはひとつのまごうことなきおどろきであり、ときおり回帰してくるそのおどろきこそが、おそらくはじぶんに日々を記述させるおおきな動因のひとつである。あるいは本質的にはそれしかないのかもしれない。
- (……)
- (……)
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- 日記読み: 2022/2/20, Sun.