2023/2/21, Tue.

  (こうしてお前は)

 こうしてお前はそうなってしまった、
 ぼくがお前を決して知らなかったふうに――
 お前の心は 至る所で鼓動している
 泉の国で、

 そこでは飲む口もなく
 影を縁取る姿もない、
 そこでは 水は湧き出て輝きとなり
 輝きは水のように泡立つ。

 お前はすべての泉のなかへ降りていく、(end93)
 お前はどの輝きも漂い抜ける。
 お前はひとつのゲームを考え出し、
 それは忘れられようとしている。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、93~94; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「逆光」)



  • 一年前より。ニュース。

(……)新聞はウクライナ関連の記事をちょっと追ったとおもうのだが内容をおぼえていない。二面に、銃撃だか砲撃を受けた建物の写真があった気がするが。かわりにきのうだかおとといの新聞で読んだ情報をおもいだしたが、ウクライナ東部の親露派は支配地域の住民を隣接するロシア南部に避難させると表明し、ロシアのほうも、同地で起こっているという爆発事件などの調査をするためになんとかいう機関の人員を派遣するのだという。国家主権をそなえた他国の領域内で起こった事件についてなぜロシアの司法的な(だったとおもうのだが)機関がおおっぴらに調査をするのか、正当な道理がないとおもうのだが、そんなことを言ってもつうじる国ではない。緊急対応大臣みたいな高官を南部に派遣して、避難住民には財政支援をするよう指示したともいう。

  • 音楽。

(……)手の爪が伸びていてうっとうしかった。爪というのはじつにわずらわしい。1.5ミリくらいになっただけでなんか指先が重くなってくるというか、ジリジリするようでちょっと気持ちがわるいというか。かゆいところをかくときや、意図せずして肌にあたるときに感触がかたいのもうっとうしいし。キーボードを打ちにくくなるのもめんどうだ。そういうわけで切ることに。ベッド上にティッシュをいちまい敷いて切ったりやすったりしているあいだ、The Carpenters『Ticket To Ride』をかけた。ファースト。The Carpentersはあきらかにポップミュージックの最高峰なのでキャリアぜんぶしっかりきいてみてもいいなとおもっている。このファーストのさいしょからして讃美歌的な分厚いコーラスとそのうごかしかたで音楽的教養がうかがわれる気がしてレベルがちがうし、ベスト盤にはいっていないような曲でもふつうにすごいものがいくらもある。古き良きアメリカをさいだいげんに体現する選良というかんじ。やりくちとしてめだつのはやはりコーラスワークと、ときに過剰ともおもえるようなストリングスの活用だが、後者の感触を中心に曲のアレンジはこのとうじの、いまからすれば古典的なと言うべきなのだろうかそういうたぐいの映画音楽の豊穣な財産をおおいにまなんでいるような印象(そしてそれはたぶん、ブロードウェイとかミュージカルなどの劇伴から直通しているものなのだとおもう。ジャズスタンダードとしてとりあげられているような曲の作曲家もだいたいそのまわりだし、五〇年代六〇年代になるとそれらが映画方面にも進出していく印象で、”The Shadow of Your Smile”なんかがそうだったはずだし、”My Favorite Things”も映画でうたわれているのが有名らしい)。いまはもうあまりこういう感触の音楽は流行りにくいような気もするが、それでもポップスをやろうという人間がまなべることは無数に秘められているのではないか。Amazon Musicの音源は七曲目に”(They Long To Be) Close To You”がはいっていて、Wikipediaを参照したらこれはオリジナル版にはなさそうだからなぜはいっているのか不明なのだが(つぎのセカンドアルバムが『Close To You』だし)、英語めっちゃききとりやすいなとおもった。歌詞の内容じたいはクソというかまあただのしずかなドキドキロマンチックなのだけれど、なんか英語の一語一語のアーティキュレーションの立ち方とかリズム感と、メロディのながれや展開がばっちり調和していてやたら気持ちがよかった。いちどしずかにしまえて間奏のトランペットにはいると同時に転調するのもあざといといえばあざといけれどやっぱりちょっとはっとするし、終盤のコーラスもすこしびっくりする。そこのコーラスの三回目だけリズムをずらしてシンコペーションのはじまりにしているが、それまで「ウワァ~~」というW音の発音を取っていたのが、ここだけH音に変えているのも芸がこまかく、とにかくかんがえ抜かれていない、おざなりにされている細部が一箇所もないようにきこえるというのがCarpentersの楽曲からうける印象で、すべてに必然性があって緊密に組み立てられているというそのありかたは、ロラン・バルトのことばを援用すれば、古典的な「読みうるテクスト」の最たるもののような音楽、ということになるだろう。カレン・カーペンターの声がきれいだすきとおっている絹のようだとかいうのはたぶんほぼかならずいわれる定着しきった世評だが、あらためてきいてみればたしかにやたらきれいで、夾雑物がまったく混じっていない雲でできた帯みたいなかんじのなめらかさで、歌は素朴といえば素朴だがてらいのないまっすぐさが優美までいたっているし、しかも意外と線は細くなくてふくよかなひびきもともなっている。あとドラムうまいなと。もろもろすごいのだが、ただ音楽形態としてはもうかんぜんにCarpentersじゃんと、このファーストからもうCarpentersになっていて完成しちゃってるじゃん、という感も受け、その後キャリアの終わりまでこのグループの音楽はなにかしら実質的な変化をこうむることはなかったのでは? という印象も浮かぶ。

  • さくばんは疲労がつよく、帰宅後に寝床で休んでいても起き上がる気力が湧いてこなかったので、これはもうきょうは寝てしまったほうがいいなと判断し、一時にいたらないうちに消灯して就眠した。その甲斐あって今朝はわりとはやくから覚めていたようだが、時刻を確認したのは八時二〇分。そこからまだしばらく呼吸したりして、八時四五分ごろ身を起こした。快晴。あぐらで首をまわす。立ち上がって水を飲むと腕振り体操もやっておき、布団のしたにもどって下半身もやわらげる。そのあいだChromebookでウェブをみたり日記を読んだり。「読みかえし2」もすこしだけ読んで、一〇時ごろには床をはなれた。座布団を窓のそとに出して敷き布団をたたんでおく。快晴だけれど洗濯物はすくないからどうしようかなとおもったのだが、きのう着たワイシャツもあるし、枕に乗せているやつとか冷蔵庫のうえに置いて手を拭いたりするのにつかっているやつとか洗いたいタオルもあるにはあるので、きょうも洗濯をすることにした。準備して回しだしたあと椅子について瞑想。一〇時二五分からちょうど二〇分ほど。よろしい。しかしあいかわらず足のさきはなかなかほぐれず冷たい。手のほうは腕振り体操をやったため、きょうはかなりあたたかかったのだが。手先足先が冷たいということは体調が良くはないということだと、からだが調った状態ではないということだと判断することにしている。
  • 食事はいつもどおり、温野菜と納豆ご飯にバナナとヨーグルト。鬱病患者の治療食ですか? みたいな、最高効率でトリプトファンを摂取することを目指してんのか? みたいな食事になっている。しかしそれにとくべつ不満も感じない。ひきわり納豆うまいし。金井美恵子がいまWebちくまでやっている連載のどこか、たぶん土井善晴にふれた回だったのではないかとおもうが、そこで、まいにちおなじメニューの食事を取り続けても飽きないというには、そのメニューが好きだとか食に無関心だとかいういじょうに、ある種のストイックさが必要ではないかとおもうのだが、みたいなことを書いていたおぼえがある。じぶんのこのいかにも無頓着な食生活がそういうものなのかはわからないが。
  • 温野菜のスチームケースを空にするとながしに持っていき、汁をながして水をそそいで、それから椀に米のあまりをぜんぶ盛り、その釜もタオルをつかって持ち上げるとながしに置いて水をそそいでおく。そうして納豆ご飯を食すとその椀もいちどながしてから釜に溜まった水のなかに沈めておき、納豆のパックもわざっと(というのは母親がときどきつかっていたことばで、おそらく祖母から受け継いだものだとおもわれ、「てきとうに」とか「大雑把に」とかいうニュアンスで用いられていたのだが、検索してみるとそういう意味はなく、「わざと」に挙がっている意味のなかでは「ほんのちょっと」とか「すこしばかり」がいちばんちかいようで、たぶんそこから我が家で独自に転化したのだろう。「わざっと」は方言としてはいちおう群馬のものにあたるらしい)洗ってから水でいっぱいにしておく。バナナはラップをあらかじめ机上のランチョンマットのうえにいちまい敷いてからそのうえで食い、皮を包むとさらにもういちまい出して二重に包みこんでから冷凍庫へ。ながしに置いておいた洗い物はのちほどシャワーを浴びるまえにかたづけた。
  • せっかく洗った洗濯物だが、とにかく風がつよすぎて、吊るしているとその重みの影響で激しい風が走ったときに物干し棒が落ちてしまうありさまで、風はつねに南へと駆けていく北風だから、窓外を右から左へ引っ張ることになり、したがって支え具の穴に両端を入れて架けてある棒の右側の端が決まって落ちる。二度そういうことになったので、棒を紐で支え具に縛る策もあるだろうがめんどうくさいしあきらめて、ワイシャツとバスタオル、肌着のシャツは室内に入れてしまった。そのうち肌着だけはレースのカーテンの向こう側、ガラスの手前でカーテンレールに引っ掛けて、まだしも午後には陽が当たるようにしておく。集合ハンガーは左側の支え具の穴に吊るしているのでこれはだいじょうぶ。とはいえつねに南に向かってタオルたちがかたむきたなびいているようなありさまで、ハンガーのフックの先端部分もだいぶあがってくるので、これでも落ちやしないかと心配したが、いまのところそうはなっていない。二度物干しをこころみてあきらめたあと、正午をまわって陽射しがあかるくなってきてから、肌着だけなら行けるんじゃないかとそのいちまいだけまた棒に吊るしてみたが、それでもやはりだめだった。風を受けるものがいちまいでもあると、そこにかかる圧力によって引っ張られてしまうのだろう。反対になにも吊るしていなければ棒は落ちてこない。それもあまり勢いがつよいとわからないが。湯浴みのまえ、一時ごろに腕を振っていたあいだには、空気のかたまりが巨岩となって家並みのあいだをごろごろ転がっていくような風の響きがそとから立っていた。
  • 食後は歯を磨き、そのあと椅子についたまま手帳にメモ。きのうのことなど。パソコンが目のまえにあるのだからそちらにメモすれば良さそうなものだが、あえて手帳に手書きするというのがひとつの興でもあり、書くおこないのなかになにかしらべつのものを招き入れるという意味で重要な気もする。あと手帳とかノートのほうが見返すには圧倒的に手間がかからず楽なんだよな。パソコンの情報管理ソフトが紙にまさることのできない点はそれだ。検索にはつよいだろうが。いちいち記事をひらいたり、スクロールをしたりしなければならない。紙をめくるほうがはるかに楽でかんたんである。手帳に書いておけばちょっと見返して、記されてある断片的な文言から記憶を再生させて定着させておくということもできる。
  • 一時過ぎで湯浴み。出るとここまで記して二時半。シャンプーがそろそろないが、数か月まえに地元の美容室にさいごに行ったときにもらったやつがあるのでそれをつかうつもり。ボディソープはまだたしょうある。
  • 寝床にうつって書見。ヴェルナー・ヘルツォーク/藤川芳朗訳『氷上旅日記 ミュンヘン―パリを歩いて』(白水社、二〇二二年/新装版)をさいごまで読んだ。三時過ぎで洗濯物というか集合ハンガーも入れる。きのう(……)さんと通話したとき、花粉がもう来てると言っていたが、職場でもはやくもやられている生徒はなんにんかいて、こちらもきょうになってみれば目がかゆかったりくしゃみが出たりするからやはりどうも来ているらしい。床を立つととりあえず米だけ炊いておくかとおもってセット。なんだかんだ米をだいたい毎食食っているので、兄が炊飯器と合わせて送ってきてくれた無洗米がもう尽きつつある。したがってきょうの夜あたりまたスーパーに行って買ってきたほうがよいかもしれない。トイレの洗剤もないし。
  • それからきょうのことを書き足そうとおもったのだが、そのまえに記事下部にうつしてある詩片をみて、さいきんのひとつを読みかえすと行を足すあたまになってしまった。いちおうこれで締めでもいいかなというところまで行ったが、半端な感じもあるし、なかば自動筆記でもないけれど、意味の構成をかんがえたものではないのでどうやって終わらせればよいのかわからない。自動筆記といったところで出てくるのはやはりおなじみのモチーフばかりなのだが。まだ終いとはできないかなという感覚。ともかくも口に出してなんども読みかえしてみないと。
  • ここまででいま四時。書けていない過去のことはおおい。とりあえず一六日分をどうにかすることを目標とするか。
  • そういうわけで一六日分に取り組み、いま五時半過ぎだがかたづけた。きょうはこれで最低限は果たせたとするべきだろう。やることはやった。あとはさらに書ければそれもよいし、読書にはげむならそれもよいし、なまけるならそれもよいし。とりあえず二食目を食べたい。
  • 二食目にはひさびさにレトルトのカレーを食った。そのまえに温野菜も。トマトとニンジンの中間みたいないろのスチームケースから野菜をつまみあげて食っているあいだに鍋でパウチを湯煎して、米はいぜん生サラダをこしらえるのにつかっていた大皿に盛ってそこにルーをかける。生のサラダもとんと食わなくなってしまった。
  • 食後に一六日の記事をブログとnoteに投稿したが、そのさい読みかえしていると、「最寄り駅のそばにはマンションがのぞまれ、正面は陽をいっぺんに受けてあかるいものの、右の側面(反対側の駅前の通りに面した部分)は陰となりながら斜め奥に向かって細まっており、角をさかいに明暗の配がくっきりと截然されている」という一節があり、書いたときにはなぜかまるで気にしていなかったが、「截然」は動詞ではないからこんないいかたはほんらいないはずだ。もしかすると「切断」との混線があったのかもしれない。しかし読んでみて意外と違和感がないので、このままにしておくことにした(ついでに言えば、「截然」に「くっきり」とか「はっきり」の意がふくまれているから、「くっきりと」はいわば冗語で余計なのだが)。
  • いまもう三月二日の午後八時まえ。この日の夜にはスーパーに行った。米を買いたかったので。室内にいても脚のほうから冷たさがのぼってくるようだったので、ストールは巻いた。夜気はやはり寒く、歩くうちに身がややふるえるようで、肩もあがり、夜はまだまだ空気がつめたい(しかしこれを書いている現在、きのうあたりから本格的に春めいてきた)。空はそう色濃くないが青味はたしかに敷かれており、星もはっきりと目にとまる。雲なしのひといろ、一面のみのひろがりで、往路中はみあげたさきが晴れており無雲なので、道を行って身を冷やす風が天から降ってきたかというような冷たさだなとおもった。帰路で東向きに裏路地を行くと、晴れているのはたしかなのだが明度は高からず、電線がすこし先のは暗く埋まるし、すぐ頭上のやつも高さによってはだいぶ見えづらくなっていた。それでいてしかし屋根はわりとはっきり分かれている。大気のうごきがにぎやかで、風がひととかかわりなく風だけで祭りをやっているかのようなざわざわとした夜道だった。
  • スーパーでは米いがいにキャベツとかトイレの洗剤とか、あと鍋キューブとかも買ったのだけれど、米の区画をさいごにみて、端の無洗米の棚をみると、「ゆめぴりか」とか「あきたこまち」とか「こしひかり」がある。というか棚の上段、二キロのところはそれしかない。正確には「青天の霹靂」という三キロの袋もあって、こんなんあるのかと興味をもったのだけれど、これは無洗米ではないようだった。無洗米ではないのになぜか無洗米に割り当てられた区画のなかで、しかもそれらのあいだにはさまれていたのだ。しかしべつに無洗米を買う必要もないといえばない、これからの季節だったら寒くもないしふつうに磨げばよいわけで、こんど買ってみてもよいかもしれない。五キロは重そうだったので二キロの「ゆめぴりか」にしたのだけれど(袋のデザインがくどくなかったので)、三月二日現在、この二キロの米たちはちょうどきょうなくなったので、やはり五キロを買うのがよいだろうとおもう。ただそうなるとリュックサックがほぼそれで埋まるだろうから、ほかの品をあまりおおく運べないのが難点だが。


―――――

  • 日記読み: 2022/2/21, Mon.
  • 「読みかえし2」: 1244 - 1245




三島由紀夫『中世・剣』(講談社文芸文庫、一九九八年)


 常徳院殿足利義尚 [よしひさ] は長享三年三月廿六日享年廿五歳にして近江国鈎里 [まがりのさと] の陣中に薨 [こう] じた。父義政の悲しみは傍目も苦しき有様であった。嘗ての並びなき専制君主がこのような凡俗の悲しみに身悶えする為体 [ていたらく] を私 [ひそ] かに嗤うものさえあった。遉 [さすが] に霊海 [りょうかい] 禅師はさような人々とはちがっていた。義尚の訃に接して廿日の後、義政の前へ出た霊海はこの人の悲しみがより遥かな場所から来ているのを知った。臆せずに禅師は云う。「恐れながら義政公には未だ度脱召されぬそうな」 義政はいつもの瞬かない茶色の瞳で霊海を見た。その言葉は物静かであり和やかであった。「其許は月に向って星の言葉を使うておる。月には月の言葉で話すものではあるまいか。――として月は言葉を持たぬのじゃ」 霊海は手を打って感服した。彼にははからずも義政によって暗示された別乾坤の意味がわかったのである。禅師は快げに衣の袖を翻えしつつ東山殿を去った。
 応仁の乱果てて、天下の乱は、今その幕が切って落されたばかりであった。当時の京師 [けいし] (end8)にただようたきらびやかな頽唐の薫について、語り得る人がどこにあろう。美のいかなる片鱗も予兆以外のものではなく、(洵 [まこと] に予兆が美の凡てであった、)西空に立つ夕栄えの美しさが少しでも甚だしいと、人々はこれを仰ぐや畏怖悚懼 [しょうく] して祈るのだった。日もすがら都の上を迅速な美しい風が吹きわたった。人々はそれに気づかずその風音を聴かなかった。
 (三島由紀夫『中世・剣』(講談社文芸文庫、一九九八年)、8~9; 「中世」; 書き出し)

     *

 霊海禅師は己が蘭若 [てら] へかえった。庭は荒れ築地は破れ月かげも恣 [ほしいまま] なる堂宇に端座して、雨降る日は屋根漏る雨滴をながめて禅師はすごした。おそらく霊海は大閻浮提 [だいえんぶだい] が一滴一滴融落してゆく物音をきいたのだ。「きょう参禅されたは誰方か」「猿楽の菊若殿」 廊下を来かかった雛僧がひざまずいて応えた。
 ――そこには蒼ざめた美しい少人がすわっていた。そして禅師を一ト目みると嗚咽して顔を得あげなかった。「御身は死ぬ覚悟とみゆる」 菊若をいたく駭 [おどろ] かせつつ、莞爾として霊海は云った。「却々 [なかなか] にかかる世にこそ、死ぬべくして人は死なぬ」と更につづけて云うのであった。「死ぬべき道具立が揃うたれば最早死ぬには及ばぬこと。――義尚公の御跡を追うとてか?」 少人ははじめて顔をあげた。その眼はゆゆしく煌めき、女と見紛う双手 [もろて] には舞のあでやかな疲れが籠っていた。「義尚公の薨去をば、どのようにして諦め得ましょう。身は義政公義尚公御二代の御鍾愛にあずかりました。勿体ないこと乍ら殊に義尚公は兄者人ともお慕い申上げておりました。嗚呼あのような智勇文武を兼ねたもうた名君が(end9)世のつねの朝居る雲となりたもうたは何事。彼岸へ渡す船人の誘 [いざな] いを、(その梶を御武勇を以て摧 [くだ] きたもうこともなく、)易々とお受けあったは何事。師よ。身が繰言をお聞き下さい。
 ――秋の末つ方、(あれは身が生年十五歳の砌 [みぎり] )、お能果ててお召にあずかった時、義尚公は身の技を愛でさせられ、『菊若』の名を賜わりました。義政公の御寵愛がやや衰えかけた折でありましたから、義尚公の御招きはお受けし易く、また身にしみたのでありました。それ以来義尚公の御側に侍りつつ、公の懐く不壊のおん悲しみはようやく分明になってまいりました。師よ。公のような稀なおん方が世に出られることは、澆季 [ぎょうき] のしるしでなくて何でございましょう。再び帰らぬ時世 [ときよ] のはてに、あらわれるのはその時世の洵の意味でなくて何でございましょう。身共の生きてまいりましたる侘しい爛漫の世のありさまは、公の御手を俟ってはじめて目も綾な織物に織り成されるのでございますね。
 御出陣前のある夕べ、御庭先の薄紅葉を御覧遊ばす為簀子に立っておられましたが、折しも泉水のはてに宵明星があらわれました。公は之を御覧あって、あの明星を何と見るか、と仰せられ、更に答を待たで次のように申されました。『予はかの宵明星でもあろうか。ものの終りであることが予に与えた力は測りがたかった。なべて失われたものは滝のように予にふりかかり、予はそれに清められ勇気を得た。泉は穿たれる処にのみ湧く。予を慰めるものは離別であった。予を喜ばすものは失寵であった。然るに足利家の旧臣等は(end10)予を目して中興の祖と夢想した。永い間彼等 [あれら] はもののはじめというものに憧れていた。彼等 [あれら] は知らなかった。宵明星がまた、昼の終りを告げる別世界からの使者だとは。全体、王者にのみゆるされる格別な終焉の儀式が下品 [げぼん] にわかる道理もなかった。その場所に立って予は、あらゆる海あらゆる大陸あらゆる都邑を、嘗て在ったもの凡てをわが支配の下においた。失うとは極まりなき支配である。――光彩ただならぬ今の世を支える者は予だ。そうしてまた今のうつし世によって支えられる者は世だ』 公のお言葉は身にとり、高直 [こうじき] な美酒でありました。身の心は酔い、うつつなく今宵も、公のお伽を勤めました。公は身の手をとられ濃まやかに其 [そ] を弄び、あるいは指のおのおのを強 [きつ] く返して苦しがる身を嗤われ、努めて事なげに下のように仰せられました。『此度の陣中はそちには危い。一応平定してよりそちを呼ぼう。短い別れはわかっているが別れの際 [きわ] の切なさはどうあろう。坂本では湖水をわたる秋風がさぞや身にしむことであろう。そちと共に見られぬのか。都の紅葉も。……』 公は切れ長のおん眼を倦気 [たゆげ] にみひらかれて、火焔太鼓に紅葉の紋様をちらした身の金襴の領 [えり] のあたりにじっと眼をそそがれました。豊かに白い御胸ははだけそれはゆるやかに波立っておりました。公の御掌にはなつかしい重味があり、御衣 [おんぞ] の沈香 [じんこう] の薫は菊灯台の明るみに夏の花畑のそれのように高く、身はつかのまの倖せ故何もかも放念いたしました。……
 (三島由紀夫『中世・剣』(講談社文芸文庫、一九九八年)、9~11; 「中世」)