2023/3/3, Fri.

 しかし、同時に、クセノパネスのうちには、神が精神的存在であるという新しい洞察がある。この両者が明るいイオニアの啓蒙的知性のうちで合体し、擬人的神観にたいする壊滅的批判が成立した。

もし牛や馬やライオンに手があれば、あるいは人間のように手で描いたり芸術作品をつくれたら、馬は馬に似せ、牛は牛に似せて神々の姿を描き、彼ら自身の体のような神々の体をつくったことだろう。(断片一五)
ホメロスとヘシオドスは人間たちのもとで恥辱と非難の的であるすべてのことを神々に帰した。すなわち、盗み、不倫、騙しあい。(断片一一)

 2章「ホメロス」で論じたように、ギリシア人は神々を人間の本性の典型として造形した。それだから、神々はその生活や行為において、人間の美点と同時にあらゆる弱点をも示すものだった。このような神に対して、クセノパネスは「否」と言う。それは、人間が神を自分(end45)にかたどってつくったからである。そういうことであれば、神は牛にとっては牛であり、馬にとっては馬であるということになるだろう。この笑うべき不条理は、擬人的神観を打ち砕くに十分な巨大な一撃だった。それでは、クセノパネスの考える真実の神とはどのようなものだろうか。

唯一の神、神々や人間たちのうちで最大なるものは、その姿においても思惟においても、死すべき者とは似ても似つかない。(断片二三)
神は見るはたらきそのもの、考えるはたらきそのもの、聞くはたらきそのものである。(断片二四)

 クセノパネスが、擬人的神観の否定を跳躍台にして神の超越性、精神性、唯一性の方向に進んだことは明白である。この二つの断片には、後にアリストテレスが厳密な論理によって基礎づけた「不動の動者」という神概念を予感させるものさえある。こうして、ミレトスの理性主義は、神学の領域においても、神観念の純化を遂行したのであった。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、45~46)




  • 一年前の三月三日はひどくだらだらしたらしくほとんどなにも書かれていなかったのですぐ読み終わり、じゃあひさしぶりに二〇一四年のほうも読むかという気になった。それで六月三日(火)と四日(水)。いぜんいちばん古い記事から順番に読みかえしていき、そのついでにNotionの記事は整理されていないから(そもそもEvernoteからまだ移行していない日記もたくさんある)整理する(また検閲するべき箇所があればブログから検閲する)ということをやっていたのだけれど、いつか中断しており、そのつづき。六月三日はとうじ読んでいた古井由吉の文章に影響を受けて全篇真似をしている。おもいのほかに、そこそこよくできているようにみえる。読み書きをはじめて一年と半年弱でこれだけ書ければたいしたもんだろう。以下は全文。

 いつの間にか正体もなく眠っていた。正午を迎える前の、読書のさなかのことである。昨日よりも熱を減じ、居間の温度計は二十八度だった。四度落ちれば相当に過ごしやすくはなるが、風のゆるく湿り気を帯びた空気が気怠い睡気を誘ったと見える。暑気が度を超すようでは午睡もままならない。眠りと言って、夢と現のあいだに幻影のもとを彷徨っていたようでもある。その影のいくらか残り、汗のにじんで重たるい頭を起こした。
 起き抜けの頭は夾雑を眠りに落としてかえって感じやすくなるものか、気を失う前よりも書に惹きこまれた。碌に息もつかずに読んでいたらしい。終えて、直に八十にもなろうという老作家の、さすがに巧む筆に打たれた。夢と現、過去と現在のあいだを自在に往還し、老いの記憶を書くなかに圧するような烈しさが隠れていたと見えた。幾十年書き継いで、年の功の果てに至った芸の境地であろう。なまなかなことではない。
 曇りがちの水っぽさは梅雨の兆しか。風呂から出て居間の窓を透かせば、日向と日蔭の境も定かにならず、それでいて山は光を帯びたように薄白さをまとい、遠くにあってかすむでもなく、くっきりと物静かに佇んでいる。眼下に目を転じれば、柘榴の木が葉のなかに花を増やして、髪飾りのように朱色を装いはじめた。色の濃いその緑葉を艶めかせるほどの陽の照りもいまはない。
 鏡のなかの背広を着たおのれの姿に不調和を感じたのは、これも勤労を厭う心か、と内心で苦笑しながら家を出た。服に着られるなどと言うが、着ると着られるとは一体のものではないか、とふと思った。着ながらにして同時に、服のほうでもこちらを着ている。こちらに着る気持ちがなければ、あちらのほうでも着るのを願い下げても仕方はない。その結果の不調和だったか。
 家から西に数分歩き、十字路を右に折れ、林中の路をあがれば駅前に出る。坂をのぼっていれば、陽ざしはなくとも内から汗がにじむ。風も停まりがちであり、ホームに立って時折の涼しさを受けても、水っぽい冷たさがシャツのなかに貼りつくのみで、いっそ晴れ晴れと陽が射して青さが見え、乾いた風も吹けば好いものを、空は白く閉ざされており、清涼感のいかにも希薄な昼下がりだった。追い打つように西陽が白さの裏から放つ蒸した熱を、肩に乗せながら職場の扉をくぐった。
 夜まで室の内にこもって夕暮れを見る暇もない。帰りのホームに立てば、線路を見下ろす白色灯の裏に、黒々と沈む闇の濃さが目につく。騒いでいるのは中学生ばかりで、ほかは一様に押し黙っている。知らぬうちに背すじを伸ばして胸を張っていたのは、疲れに押し負けまいとしたか、それとも押し返そうとしたのは何か別のものか。席についても頭をすっと持ちあげているのは自分くらいのもので、背広姿はみなもたれるように椅子に坐り、視線は下を向いている。背が丸み、肩が落ちている。降りては手提げ鞄の重さによたよたと、それでいて忙しなく足早に階段をのぼっていく。そんななかに自分の影の肩の張っているのが不遜と見えても仕方がないが、背くらいは伸ばしたいものだ。朝からの疲れと家の重みがこごった身体ではそうも言ってはいられないか。
 労働を終えて帰った耳にテレビの音はいかにも邪魔くさい。消してしまおうか、と母も言いながら一向にリモコンに手を伸ばさず、見るともなしにぼんやりと眺めている。おもしろくもなさそうだが、なければないで余計つまらない。手持ち無沙汰を埋めている。押し黙っていた背広たちも家に帰ればやはり眺めて気を紛らすか。疲れた身体にあの軽薄さは障りそうだが、父などは休みの前の晩にはいつまでも居間にいる。ひとりで酒を飲み、何がおもしろいのか夜中に馬鹿笑いが聞こえる。
 玄関で偶然迎えた息子を見る父の、薄い髪の灰色が息子の目にはついた。風呂を出た母の目元にも暗さがわだかまっている。ふた親の老けるさまが目立つ歳になった。深夜の飲酒と哄笑も母の不安を呼んでいるようである。老いを知らぬがゆえの騒ぎか、それとも知っているからいまとばかりに騒ぐのか。常は寡黙な男の度を忘れたような上機嫌は薄気味が悪くもあり、境を越えて一時に良からぬものに転じないとも限らない。慌てる歳ではなくとも、十年経てばどうなっているか、そうと言って、おのれこそいまだ定まりのつかぬ身である。
 いずれ一日を重ね、ひと息を継いでいくよりほかはない、と仕事に取りかかった。読書は愉楽として、書き抜くのは仕事と取っているようである。てんで進まぬ翻訳も同じく、小説を書きはじめれば執筆もそうなるのだろう。日記とてはじめて一年と幾月も過ごせば、書きながら目出度くはしゃげるようなものでは疾うにない。晴れるのも稀な倦怠の霧に捕らわれて久しいが、それでも続けている。あるいは書くことも呼吸を継ぐことか。一語一文をひと息としながら継いだ先に一日を書きつないでいる。書くことがそうならば読むことも同じだろう。他人の吐いた息を受けて、自分の息を継いでいく、そうして呼吸が完成する。そんなふうに思いなして人の言葉を写し、日をまたいだ寝床で書をめくって、明かりを消した。

  • 翌日からはそれまでの調子にもどっており、したはさいしょの二段落。

 おとといよりも涼しかったきのうよりもっと涼しかった。朝はゆうべの野菜炒めの残りと米で、納豆は食べなかった。茶を飲んでひと息ついてトイレに行くと時計が八時半だった。十二時までに書ければよかった。ここ数日古井由吉を読んでいたから、新しいふうに書く欲求がたまっていた。おさまりがつかなくて、頭に浮かぶ文章がもうそうなっていたから、一日だけやって解消することにした。日記は十一時に書き終わった。毎日ああいうふうに書くのは無理そうだった。
 ハムエッグを焼いて米にのせた。いつもどおりの食事で、十分もかからない。シシャモの残りが冷蔵庫にあったけれど、食べなかった。部屋にもどって古井由吉『蜩の声』を書きぬいた。Enrico Pieranunzi『Doorways』を流した。上にあがって、タオルだけ入れてたたんだ。空は雲に囲まれたなかに青の隙間が見えて、きのうは真っ白だったのに、今日のほうが陽ざしが弱かった。雲もその下の青も色がうすくて、あるのかないのかわからないような感じだった。雨が降るような気がした。

  • そのつぎの段では小発作的なものにおそわれている。

 風呂を沸かしているあいだにウルフの"Kew Gardens"をすこしだけ訳した。モニターの前にじっと座って文をつくっていたら、突然頭に電流が走ったような感触があって、くらりとした。動悸が静かにはやくなった。水を飲んだ。薬も飲んだ。モニターを見ているとくらくらしてくるから、閉じてベッドに寝転がって深呼吸をくりかえした。横になっていてもすこしくらくらしているようだった。こういうとき、まさか脳内出血とかではないかと考えるくせがついている。からだの状態の変化に集中した。頭は痛くないからちがったけれど、神経症だから不安だった。四十回くらい呼吸して、ゆっくり起きあがって、上にあがった。風呂に入ろうとして洗面所に入ったら、息がすこし苦しくなって、後頭部には熱はなくて冷たいまま焼けるような感じがあった。いったん部屋にもどって薬を追加して、覚悟を決めて風呂に入った。意外と大丈夫そうだった。下を向いてお湯をあてて頭を洗うとき、気絶するんじゃないかと思うことがあるけれど、実際にしたことは一度もない。時間がなかったからすぐに出た。

  • 「スーツに着替えるとからだがだるかった。実際の手足と場所と感覚の場所がずれて震えているような感じがした。額はなんとなく熱かった。不安障害が発覚する前、半年くらいのあいだずっと微熱ぎみでふらふらしていたのを思いだした。だけど別にどうということはなかった。死ななくて、読んで書けて聞ければそれでいい、と思いながら電車に乗った」とも。勤務のまえに地元の図書館を二館おとずれて、『失われた時を求めて』の七巻目や、蓮實重彦の対談集である『魂の唯物論的な擁護のために』や、柴崎友香の『ショートカット』を借りている(いまこのぶぶんを書くさい、柴崎友香を念頭におきながら「しばさきもとか」と打ってしまい、変換すると想定していた漢字列が出てこなかったので、え? あれ? なまえなんだっけ? と数秒おもいだせない困惑がはさまった)。「駅のエスカレーターを下っていると電車が止まっているのが見えて、だけど降りた人たちの列が出来ていたから見送った。列の最後のほうに元生徒がいた。女子校が楽しすぎて、いまちょっと男嫌いになってます、と言ったから思わず笑った」とあるが、この元生徒がだれなのかはさすがにわからない。二〇一三年一四年の生徒などもうわすれてしまった。とうじはまだ勤務中のことを日記に書いていなかったからだ。もったいない。そのちからがまだなかったのだ。
  • 「電車で帰った。おじさんふたりだけが喋っていて、あとはみんな黙っていた。見事にみんな下を向いていて、目が下を見ているだけではなくて頭が前に傾いていた。横から見るとよくわかった。立っていてもそうだった。携帯をいじっているか寝ているか本を読んでいるか何もしていなかった。隣のおじさんはワンピースを読んでいた。スーツの上着を着ているのはたぶん自分だけだった。降りるとうすくて星の見えない空だった」などという観察も。
  • 覚醒し、れいによって胸をさすったり上腕を揉んだり、横になって腰もさすったり揉んだり、肩甲骨の付近も同様。時計をみなくても時刻がはやいのは空気のいろでわかる。保育園のほうでもおはようございますという声がたびたび聞こえているが、不思議と子どもの声は耳にとどいてこなかった。きょうは三月三日だからひな祭り、桃の節句だが、休日ではないよなとおもう。覚醒からそうながくはかからず身を起こすと八時過ぎ。さすがに睡眠がみじかすぎるとおもうのだが、腕振り体操をやっているとあたまがはっきりするのでながくねむらずどうもすぐに起きてしまう。それはそれでよくないようにおもうのだが。あとで仮眠を取るか、医者に行く予定だから電車のなかでねむろうとおもった。あぐらの姿勢で首をよくまわす。あたまをまえにもってくるときに首を曲げて深く落とすと、肩を越えて背骨のほうまできくのがわかる。立ち上がると水を飲んで腕振り体操をやり、トイレに行って黄色い液体をながながと放ったのち、ペーパーで便器を拭いて水をながすと、顔を洗って出てきてまたちょっと体操。そうして布団のしたにもどり、Chromebookで一年前の記事をみたところがほぼひとことしか書いていないありさまで、二〇一四年のほうも二日分読んだ。過去記事の総読みかえしおよび検閲もすすめていきたい。この朝は空気がやや冷たく、エアコンをつけた。あと、前夜二時ごろに米を釜にしこんでおいたので、布団にもどるまえに炊飯スイッチを押しておいた。日記のあとは「読みかえし2」も読んで、離床は九時半すぎ。布団をたたむ。天気は曇りだったので洗濯はしないことにし、座布団も出さなかったが、その後薄陽はみられて、午後一時現在でもレースのカーテンにひかりがふれており、空はおそらく淡い雲がぜんたいにしのんでいるとおもうが水色をひろげている。腕振り体操をまたやる。やっているさいちゅう胃液感がすこしあり、またときおり腹に緊張がさしこまれるような、ストレスのかかったときの反応が生じるので、やはりねむりが足りないのだろうとおもっていたが、温野菜をレンジでまわしているあいだにまた腕を振っていると、だんだんからだじゅうがほぐれて安定してきた。カバーできてしまうのか? 温野菜はきのう買ってきたキャベツと大根、それにウインナーと豆腐。レンジでまわしはじめると包丁にまな板を洗ってケースに入れておき、窓のほうにうつって運動し、できると用意して食事へ。そういえばわすれていたが瞑想も一〇時一〇分くらいからやった。二〇分弱。その間だったか腕を振っているあいだだったか、(……)さんにひさしぶりにメールをおくろうかなとおもい、もうほとんどあたまのなかで書きはじめたときがあった。いぜんからおりにふれてどうしてんだろう、まだオレゴンにいるのだろうか、どんなことやってんだろうとおもい連絡しようかなというときがあったのだが、こちらから報告するようなこともなにもないし、というのがさまたげになっていたようで、しかし報告することなにもなくてもおくればいいかというきもちにこのときなったのだった。またもうひとつ、おとといの朝に脳裏におとずれた山梨の情景(イメージ)とそれへの(すなわちいまここでないどこかへの)憧憬めいた感覚にまつわっておもったことがあり、もろもろの瞑想的実践というのはほぼ共通していまここの現在をとらえつづけるようおしえるものだとおもわれ、かつ、たとえばマインドフルネスなんかだとよくいわれるのはそれにたいする良し悪しの判断を一時停止させ、つまり括弧に入れて「ありのまま」に受け止めるようにせよということで、そのとき「いまここ」の「ありのまま」の現在というのは言ってみれば実体的なものとして(それが真実であるとして)あつかわれており、たいしてそこに生まれる感情とかじぶんの判断とかは言うなれば観念的なもの、解釈だとみなされているだろう。だからこれはおそらく唯物論的二層構造の一バリエーションとみてもよいとおもうのだが(正確には、「ありのまま」の現在というものも、仏教の縁起思想のなかでは(それは実体は存在しないというかんがえなので)「実体」や「真実」とはされないとおもうのだけれど、そのへんの厳密性はいまは措く)、唯物的なものというか、「いまここ」こそがほんとうにあるものであり(じつはそうではないのだろうが)、そこに生じたりくわえられたりする感情や思考やイメージや記憶(つまりひとことで表象と言ってよいのかもしれないが)はいわば二次的なもの、空虚な、ある意味で虚妄である、絶え間のない「いまここ」こそが真実在だというのがほんとうだとしたら(禅仏教には「二念を継ぐな」というおしえもあったはずで、それはつまり生起したなんらかの第一の念にたいして、感情的な反応や、価値評価や、判断や、さらなる思念をつづけるなということだろう。個人的な見解では、理想的には、その「二念」もが「一念」、「いまここ」としてとらえられるようになるというのが、瞑想実践の習熟ではないかとおもうが)、にんげんはその現在、「いまここ」に恒常的に拘束されているという見方もできるはずだ。ひとが直面できるのは「いまここ」だけだと。そうかんがえたときに「いまここ」でないどこかというのは、それもまたつかのまの自由と解放の契機となりうる。ただその「どこか」というのは、想像的な領域においてしか「どこか」として体験(?)することはできない。というのも、「どこか」に憧憬をいだいてその「どこか」にじっさいに行ってしまえば、そのときには「どこか」だったものが「いまここ」になっているからだ。これはおそらく、このわたしがどうあがいても他者にはなれずこのわたし、自己でしかありえないということとおなじはなしをしていて、自己もまたそれがなんであれ他者(他者としての他者というか、他者のままの他者)になることはできない。自己がなんらかの生成変容を起こして他者だったものになったとしても、そのときにはその他者だったものが自己となっているからだ。ここからかんがえるに、「~になる」という事態もしくは言明は、同化するという意味をあらわす(あたりまえのことだが)。わたしが他者になる、わたしだったものがなにかべつの他者になるということは、同時に、他者でありわたしではなかったものがわたしになるということでもある。だから「~になる」という動態は、自己化、もしくは自己同一化の作用だとおもうのだけれど、ここになにかしら、魔術のような、詐術のようなものがあるようにおもうのだ。「このわたし」が「このわたし」としての視点しかもてないというのもおなじことで、それは自己意識をもったにんげんのまさしく存在の条件なのだけれど、まえまえからたまに書いてきているとおり、これはなにかおかしいのではないかという気がしている。おかしいというか、端的にそのことに根拠などはむろんなく、なぜかわからないがそういうふうになっているということで、根拠がないからおかしいというつもりはないが(そもそも根拠など据えようがないことがらだし――というのはつまり、超越論的なことがらだという言い方ができるということなのか?)、たんじゅんなはなし、べつににんげんは自己と自己いがいの視点を二重化(もしくは多重化)したような意識をもった存在として進化してもよかっただろうと。自他分離の存在という条件が課せられたのはただの偶然なはずで、自他未分化でも自他分離でもなく、自他重層というか自他共存みたいな存在条件があったとしてもべつにかまわなかったはず(ただそのときの「自」と「他」がどういうものなのかというのもいまいちわからないが)。そこをなぜ自意識が発達してしまったのかは知る由もないが、自他重層みたいなのはSF小説なんかにありそうな発想でもあって、じっさいにそういうのはおおく書かれているのだろうけれど、そのときの表現とこちらの念頭にあるそれがおなじものなのかはわからない。またこれは多重人格みたいなはなしとはもちろんちがう。ひとつの意識のなかに複数の人格があるとしても、それらはそのそれぞれがべつものとして分離されているはずで、したがってそのときどきで自己があり、べつの人格は他者となっているはずだからである(現実の多重人格についてなにも知らないのでまちがっているかもしれないが)。こちらがおもうのは、自己が自己としてありながら同時に、他者が他者のままでそれと、同居しているのか癒着しているのか混淆しているのかわからないが、そんなイメージで、つまり自己が想像的に他者をつくりあげたり、その仮構的な視点をとおしてじぶんをあたかも外部からみたかのように他者化している、というのとはちがって(それはあくまでも他者における「自己」を想定し、他者における「自己視点」をつくりあげているだけだからだ)、他者が他者の視点をたもったままで自己とともにあるみたいなことなのだが、しかしじぶんで言っていてそれがどういうことなのかよくわからない。そもそも「他者の視点」ということばを書いた時点で、「他者における「自己視点」」がどうしても想定されてしまうから、これはやはり存在論的条件に抵触するぶぶんで、「視点」というのがそもそも根本的にはおそらく一人称でしかありえないということなのではないか? そしてこれはまた、なにか文章があれば、そこに話者が生まれてしまう、身分や地位や性質はどうあれ、かりそめにでも文章をたばねる集束点としての話者を想定せざるを得ない、という問題と相同的だとおもう。だからうえのようなはなしはおそらく、話者から乖離した純粋な語りというものはありうるのか? という問いとだいたいおなじではないかとおもうのだが。
  • 温野菜と納豆ご飯、バナナにヨーグルトで食事を取り、食器を洗い、足首をまわし、歯も磨く。そのあと手のゆびをほぐしながらWoolfの英文を三つ読む。きのうの晩にそれらを記録してある「ことば」ノートを再構成して、これはいいかなというやつは削り、まいにち読みたいような引用だけのこしておいた。しかしじっさいにいまのところまいにち読む気になっているのはWoolfの英文だけだ。(……)
  • それからきょうのことを書き出したのがたぶん一二時半すぎ。ここまで記せばもう二時が目前。
  • すでに三月九日木曜日の午前零時四五分なので、この日のことはたいはんわすれた。なんだかんだしているうちに医者に出かけるのがけっこう遅くなってしまい、(……)駅まであるいていると診療時間に間に合わないなというくらいになってしまったので、ひさしぶりに最寄り駅から電車に乗った。しかしそれいぜんにものを食ってからじゅうぶんな間がなかったこと、またおそらく前日にたくさん打鍵をしたために胃がすこしひりついていたこと、そして三〇分ほどあるく時間が取れなかったのでからだがあたたまっていなかったことが要因となり、(……)で乗り換えたあと行きの電車内の序盤は緊張があり、
  • (ここからは三月一〇日金曜日の午後二時半)胃はつねに微妙にひりひりとした存在感をうったえてくるし、いくらか差し迫ってくる瞬間もあったが、乗り切ってじっとしているうちにからだはわりとおちついた。(……)に着くとトイレに寄ってから医者へ。線路沿いを行く。頭上や線路向こうのマンションのうえにいただかれる青さと白さが最大限の淡さに混じった空をながめつつ。ビルに着くと階段で上がっていき、待合室にはいれば待っている客は一組だけだったはず。受付にあいさつして診察券と保険証を出し、額で体温測定もしてもらうときょうはカウンターの向かいにある細長い席へ。じぶんのまえに待っている一組は親子らしく、眼鏡をかけた息子はまだ少年の範疇で中学生くらいとみえ、親のほうは母親である。かれらが受付カウンターのすぐ脇からはじまって診察室の扉がある壁のきわまでつづいている席に腰掛けていたので、じぶんはそちらではなく入り口にちかいほうについた次第。待っているあいだはなにをしていたのだったかわすれた。本を読んでいたか、携帯で(……)さんのブログでも読んでいたか、それかなにもせず瞑目のうちにじっとしていたかだが、たしかさいごの様態だった気がする。待ち時間はそうながくはなく、呼ばれるとはいと受けてリュックサックを持って診察室のほうへ行き、いちおうノックしてからはいってこんにちはとあいさつ。黒い革張りの椅子に腰掛けるといつものようにどうですか、と聞かれるので、リュックサックを床に置くため顔を伏せたまま、まあ、まあ、いいですね、みたいな回答をする。それで良い体操をみつけまして、と前後に腕を振るのが良いということをちょっとはなし、けっきょく緊張してるときってかならず肩のまわりが凝ってるってことに気づきまして、これをやるとそのへんがかんたんにほぐれるので、からだが、なんといいますか……安定しますね、と述べた。あとは先月からしごとも週三ペースにもどっているということと、しかしこのあいだ友人と会いに出かけたさい帰りが満員電車で、いつぶりかわからないほどひさしぶりに満員電車に乗ったが、さいしょのうちは音楽で耳をふさいで目を閉じていれば意外とだいじょうぶだなという感じだったもののそのうちにやはり動悸が来て、ということをはなし、とはいえそれですごく消耗したという感じでもなく、あとに影響がのこったというわけでもないので、むしろそれくらいで済む程度に回復しているとかんがえている、とも述べた。そのくらいではなしは終わり、ヤクを変わらずおなじ量で出してもらう。とりあえずいちにち一錠にするのを目標にしたいとおもっておりますとさいごに付け加えて退室。
  • 薬局で薬をもらって駅へもどる。ふたたび線路沿いを行くがそう時間が過ぎたわけではないのに行きとは暗さが格段にちがう。六時過ぎだったとおもうが。駅にもどってホームでつめたい風のなかしばらく電車を待ち、乗って(……)へ。図書館へ寄るつもりだった。道中のことはわすれたので割愛し、入館するとまずゲートをくぐって右側に表紙を見せてピックアップされている新着図書を見分。興味深いものはいくつかあったがわすれてしまい、ひとつおぼえているのは日本モダニズム詩選みたいなやつがあったことだ。現代詩文庫くらいのサイズだったとおもう。それはちょっと借りてみてもいいかなとおもったのだけれど、この日はけっきょく借りず。南方熊楠の研究書をもとめて伝記の区画へ。ここもおもしろそうな本はいくらでもある。みすず書房から出ていたとおもうが、一四世紀だか一六世紀だかの石工だったか大工の自伝みたいな本があって目にとまった。ダニエル・ロシェ編集みたいななまえもみえて、これって池澤夏樹が編纂した河出書房の世界文学全集にはいってたあのひとだよな、こんなしごともやってんのかとおもったものの、あとからおもいかえすに、それはダニロ・キシュとかいうなまえだったはずで勘違いである。やはりそう。ユーゴスラヴィアのひとで、たしかじぶんはもう相当むかし、読み書きをはじめてまもないころになるが、『若き日の哀しみ』というやつを読んだのではなかったっけ。このとき目にとめた自伝は、ジャック=ルイ・メネトラ/ダニエル・ロシュ校訂・解説/喜安朗訳『わが人生の記――十八世紀ガラス職人の自伝』というやつで、みすず書房ではなくて白水社だった。ロバート・ダーントンが序文を書いているらしい。民衆史や社会史もおもしろそうなんだよな。いちおう大学で西洋史をやっていたくせに、アナール学派なんぞほぼ読んだことがない。
  • くだんの松井竜五『南方熊楠――複眼の学問構想』はつつがなく見つかったので保持し、そこからいったん哲学に行って熊野純彦の『本居宣長』があるのも確認し、中島隆博の『悪の哲学』を取ったのち、海外文学のほうにうつって書き抜きの済んでいない二冊をゲット。それからあと一冊なにか借りたいなとおもって日本の小説をみたり詩をみたりしたのだけれど、こころが決まりきらなかったのできょうは南方熊楠だけでいいやと貸出へ。その後のことは忘却。


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  • 日記読み: 2022/3/3, Thu. / 2014/6/3, Tue. / 2014/6/4, Wed.
  • 「読みかえし2」: 1254 - 1258
  • 「ことば」: 1 - 3