2023/3/6, Mon.

 天地創造の最後に、「神は自分にかたどって人を創造された」(『創世記』一の二七)と記されている。だから、人間は神に似ているのである。
 では、神に似るとはどういうことか。神は切に他者を求めて世界を創造した。そうであれ(end95)ば、人間も本質的に他者を求める者だということである。このことが「愛」という言葉で表現されるのであれば、人間は本質的に愛する者なのである。「神は愛である」とは後に新約聖書ヨハネも強調していることだが、そうであれば、神に似て創られた人間も愛なのである。
 ところで、愛しうる者は自由な者でなければならない。選びうる者、否を言いうる者、拒否しうる者、憎みうる者でなければ、愛することはできない。なぜなら、けっして否を言いえない者とは、因果法則にしたがって必然的に運動する無機的な自然物、あるいは機械のごときものであり、いわばロボットであり、せいぜいのところ奴隷であるにすぎないからである。
 それゆえ、愛し合う者どうしは自由意志の根源から相手を肯定するのであって、けっして支配・被支配の関係にあってはならない。なぜなら、支配・被支配の関係はそれ自体が愛を破壊しているからである。だから、切に愛を求めた神は、自分を拒否しうる者、自分を否定しうる者、すなわち罪を犯しうる者を創りだしたのである。なぜなら、ロボットをつくりだしても、愛の相手にはならないからである。けっして否を言わない応答機械をつくりだしても、それは他者ではありえず、呼びかけはむなしく虚空のうちに消滅してしまうであろう。
 ここに、人間の創造の恐るべき秘密があるにちがいない。人間の愛を切に求めた神は、愛(end96)を求めたがゆえに、ついに、人間を自分と対等な者にまでしてしまうという、パウロの表現を使えば、「神の愚かさ」にまでいたってしまったのだ。
 「神の似姿」としての人間のもう一つの特徴として、人間の唯一性、絶対性、現在流行の表現を使えば、「かけがえのなさ」があげられるであろう。神が唯一、絶対なる者であるように、その似姿である人間も、一人一人が唯一、絶対なる者なのである。
 このことの意味は、いかなる分類原則にしたがうにせよ、人間を類的普遍者として一括してはならないという点にある。「自由な者」であるということそれ自体が、そのような存在者には類的普遍者などというものはありえない、ということをすでに含意しているのである。自由な者である他者を、自分の同類としてくくりうる根拠はどこにもない。
 このことを無視して、人間を、理想によるにせよ、思想によるにせよ、宗教によるにせよ、イデオロギーによるにせよ、類的に全体化して一括統制することが、二〇世紀に荒れ狂った全体主義なのである。一人一人がみな異なった絶対者なのだ。
 愛とは、一人の絶対者が一人の絶対者へと呼びかけることである。類的な同一性の中へ相手を同化することではない。それゆえ、罪とは、他者のこの呼びかけの拒否以外のものではない。他者との対面を拒否すること、他者を避けること、あるいは逆に、他者を奴隷化すること、言いかえれば、自己を絶対化すること、それが根源の罪であるだろう。同化ではなく、(end97)呼びかけである。神が人間を呼んだように、人間も人間を呼び、それを通して神を呼ぶのである。それが、「神の似姿」であることの意味である。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、95~98)




  • 一年前より。新聞のニュース。

(……)新聞一面はとうぜんウクライナ情勢。二回目の停戦協議で合意された「人道回廊」の設置にもとづき、マリウポリからきのう攻撃の報があったザポリージャまで二〇〇キロの範囲で市民を退避させるために一時停戦がなされるというのだが、ロシアはそれが宣言されたあとも攻撃をおこなってしたがっていないという観測もあるようだ。一、二面に細谷雄一の寄稿があった。二次大戦時のイギリスをひきあいに出して、プーチンがまえから攻撃の準備をしていたのはみえていたのに、まさかそんなことはしないだろうという楽観があってふせげなかったと。二次大戦直前のイギリスも、ナチスドイツがチェコスロヴァキアのズデーテンラントを併合しようとしたさいに、ネヴィル・チェンバレンが、遠くの国でおこっているわれわれとは関係のないいさかいだ、みたいなことを述べて容認した件が悪名高いが(ちなみにヒトラーズデーテン地方を併合したときの理屈は、「ドイツ系住民の保護」だったというからプーチンの理屈とまったくおなじである)、それは第一次大戦の記憶と傷がまだまだつよくのこっているイギリスに厭戦気分が支配的で、とにかく戦争を回避するという政府の姿勢を国民もあとおししたからだと(とうじは労働党の議員すら、ヒトラーはいっぽうで犯罪的な意図を口にしているが、たほうでは平和をもとめることばも発しており、それは額面通りうけとめねばならない、と言って、ナチスプロパガンダを鵜呑みにしていたらしく、平和への欲求がかれらの合理的な判断力を鈍らせていたのだと細谷は書いていた)。そしてそれがヒトラーにはイギリスの弱さの象徴と映り、非介入を確信させて、結果的に平和をもとめるイギリスののぞみが戦争の惨禍をまねいてしまうという皮肉な経過になったのだと。こんかいも、さくねんの米国のアフガニスタンからの撤退とそこでの失敗が、プーチンにはアメリカの弱さの象徴として映っただろうという。チェンバレンは宥和外交をとったのだが、つぎに首相になったチャーチルヒトラーの虚偽や悪意や本質を見抜き、ヨーロッパを結束させてちからをもちいたやりかたでドイツを止めようとした。バイデンにはチェンバレン的な顔とチャーチル的な顔の両方があり、アフガニスタンでは前者が主にあらわれていたが、いまは後者を前面に出していくときであるとまとめられていた。

(……)ベッドにころがって書見へ。トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』の上巻。だいたい人物も出揃ったようで、ちょっとずつうごきはじめてきたかな? という印象。しかしハンス・カストルプがついて明けてさいしょの一日は、二度の朝食と昼食とお茶と夕食のそのたびに食堂とそこにいるひとびとのようすがえがかれ、また食後の散歩ならびに帰ってきたあとのバルコニーでの「安静療法」もなんどもなされて、食事、散歩、安静療法というこのながれがくりかえされるだけである。よくこれだけ反復しようとおもったな、とおもった。その退屈さというのはそのままこのサナトリウムでの生活の退屈さをあらわすものでもありうるわけで、181でカストルプがセテムブリーニに、「それで、あなたはここの生活様式をおもしろいとお思いですか」とたずねられたときに、「おもしろいともいえれば、退屈だともいえるようです」とこたえているのは、読者の感想を代弁したり、あるいはそのかんじ方を誘導したり再考させたりする機能を果たしているかもしれない(カストルプはそれにつづけて、「場合によってはこの二つを区別するのが困難でしてね。全然退屈しなかったともいえるのです。ーーなにしろ退屈するには、ここの上の、あなたがたの生活はあまりにも賑やかですからね。見るもの聞くもの、すべてが新しかったり珍しかったりで、しかも、それがふんだんにある」とも述べている)。食事・散歩・安静のセットは昼食までの三回、きっちりくりかえされるのだが、そのあとのお茶で食堂にあつまったさいには、その後の夕食までの時間がみじかく省略されており、それまでのはなしのはこびに比してあきらかにそっけなくなっているのが、まるで、またおなじこと書くのめんどうくさいし内容もおもいつかないし、読むほうも飽き飽きしているだろうからもういいでしょ? といわんばかりで笑った。つぎのような調子である。

 ハンス・カストルプは紅茶を注文し、それにビスケットを浸して食べた。マーマレードにもちょっと手をだしてみた。乾ぶどう [﹅3] 入りケーキは、とっくりと眺めはしたものの、それを食べることは、考えただけでぞっとした。こうして彼はもう一度、簡素で華やかな円天井の下に、七つの食卓を置いたこの食堂の自分の席に坐っていた。――これで四回目である。しばらくのちの七時に、彼は五度目にそこに坐ったが、これが夕食だった。この夕食までのわずかな間に、いとこ [﹅3] ふたりは例の山の絶壁の筧 [かけひ] のかたわらにあるベンチのところまで散歩した。――このときはずいぶんたくさんの患者が道を往来していて、ふたりはひっきりなしに挨拶を繰返さなければならなかった。――さてそのあとがバルコニーの安静療養で、この一時間半はあっという間に、なんの内容もないまま経ってしまったが、ハンス・カストルプはその際烈しい悪寒を覚えた。
 (トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)、176)

あいかわらずさしておもしろいところもないのだけれど、ちょっとだけ笑ってしまうような箇所はたまにあり、全般的にはその滑稽味のトーンが印象にのこる。


     *

(……)そうしてまた書見。220から223で急に、ハンス・カストルプの動向をかたることから一時はなれて、語り手が時間や退屈さや習慣についての註釈的な考察を披瀝する。いかにも唐突で、物語のながれをあからさまに断ち切り、とどこおらせているもので、一連の記述のさいごで、「こういう見解をここへ挿入したのは、二、三日経ってからハンス・カストルプ青年が(赤く充血した眼でいとこ [﹅3] を見て)、つぎのようにいったとき、彼もまたこれに似たことを考えていたからなのである」(223)と言って説話とのつながりをつけながら物語にもどっているが、やや強引な感はいなめない。この小説は一九二四年に発表されたようだが、「まえおき」が付されている点とかこういうやりかたとかをみると、トーマス・マンってかなり古典的な、この時期としてもすこし古めかしいような作家なんじゃないか、という気がする。まあ二四年といえばウルフだってまだ『ダロウェイ夫人』をつくっているさいちゅうだろうし、いわゆるモダニズムいがいの作家はだいたいそんなかんじなのかもしれないが。考察の内容は、生活が新奇でおもしろければ時間ははやくすぎるようにかんじられ逆に単調で退屈だと時のながれがおそくなると一般にかんがえられているが、これは比較的短期の時間のばあいにいえることであって、もっと長期的な、おおきな時間量の場合には、かわりばえのしない習慣による空虚さだったり単調さというのはむしろ時間を劇的に短縮し(「一日が他のすべての日と同じであるとしたら、千日も一日のごとくに感ぜられるであろう」(221))、事件やできごとの豊富な時間はそれだけ重みをもってながくおそくなる、ことほどさように、習慣とはすなわち「時間感覚の麻痺」(222)をもたらすものであり、あたらしい習慣をもったり、転地や旅行でそれまでの習慣をたちきってべつの生活のなかにはいるのは、時間の体験感覚を新鮮に若返らせ、生命力を維持することなのだ、みたいなはなしで、これをここ数日言及している、読んでいるこちらがかんじる退屈さとむすびつけて、読者がこの小説を読むときの時間感覚に援用してかんがえられたりしないのかなとおもったが、うまい理屈はおもいつかない。ただ、これほどひんぱんに時間がどうのこうのといわれているし、登場人物の口からもたびたびその語が出てくるので、この作品は小説のかたちをとって時間というものについてなにかしらの考察をこころみたものというおもむきはつよいようにみえる。そもそも「まえおき」でも時間性のテーマはふれられているから、さいしょからその点はほぼ明示されているといえる。また、「私たちはこの物語を詳しく話すことにしよう、綿密かつ徹底的に。――というのも、物語のおもしろさや退屈さが、その物語の必要とする空間や時間によって左右されたことがはたしてあっただろうか。むしろ、私たちは、綿密すぎるというそしりをも恐れずに、徹底的なものこそほんとうにおもしろいのだという考えに賛成したい」(10~11)ともそこでは述べられているので、ぜんぜんはなしすすまなくて退屈だわ、という感想にたいしては、この方針表明があらかじめ先回りして反論を打っているともかんがえられる(まあ、そんなに「綿密かつ徹底的」だともかんじないが)。

     *

夜半ごろからはベッドで『魔の山』を読みすすめた。そうして三時に就寝。この日で290くらいまで。だんだんすじらしきものにはいりかけているのがみてとられるが、あいかわらず、おもしろいかといえばそうでもない。すじというのは、ハンス・カストルプがショーシャ夫人にひかれつつあるということで、「休暇中の一ロマンス」(302)めいたことがこれから展開されるのかな、という予測が立つというわけだ。ちなみにそのショーシャ夫人は、ハンス・カストルプが一三歳くらいのときにひかれていた同級生、プシービスラフ(プリービスラフ)・ピッヘという少年の記憶をおもいおこさせる存在として書かれている。したがって、かのじょはカストルプが一時期こころをひきつけられたこの少年の反復であり、精神分析理論でいえば関係の転移ということになるだろう。少年によせるカストルプの感情が恋愛のたぐいだったのかは明言されていないが、271~272で、「病人の女に男が関心を懐くということ、これは……つまりかつて自分がプシービスラフ・ヒッペに対してひそやかな関心を寄せたことと同様に、まったく反理性的なものだ」と述べられている。この文脈では、男女の恋愛は「つぎの世代のため、人類の繁殖のため」(271)という「目的」をもっているものだとされており、しかし「女性が胸を病んでいて、母になる資格をまったく欠いているとしたら」、かのじょがそれでも身をよそおって「男の好奇心を惹きつける」ことは、「無意味」であり、「似つかわしくないこと」ではないか、とすらいわれている。だから、「病人の女に男が関心を懐くということ」が「反理性的」なのは、それが生殖と「つぎの世代」の生産につながるつうじょうの(とみなされる)恋愛からはずれたものだから、ということになる。とすれば、プシービスラフ・ヒッペへの関心がおなじく「反理性的」なものとしてならべられているのは、これもつうじょうの恋愛からはずれた同性愛的な感情だったということを言っているのではないか。

  • 英文記事。

Oil prices are high now, but [Oilprice.com](http://oilprice.com/) reports, “Shares in Rosneft, Gazprom, Lukoil, and Surgutneftegas collapsed on the London market, losing as much as $190 billion of their combined market capitalization, or 95 percent.” I don’t know if the world has ever seen a crash like that. The sheer volatility of fossil fuel has made it a bad investment, and on Tuesday the climate divestment movement celebrated that its efforts have resulted in $40tn being divested from fossil fuel. In events not just unforeseen but almost unimaginable until they happened, BP, Shell, Exxon and a number of other major oil companies walked away from their Russian investments and partnerships, which throttles both Russian capacity to extract and to market the stuff. Germany declared that renewables were freedom energy and vowed to accelerate its transition away from fossil fuel and dependence on Russian supplies, and the world acknowledged what climate activists have long been shouting, that fossil fuel is inextricable from corruption and violence. The Nord Stream pipeline company promptly collapsed into bankruptcy. Had anyone described this energy situation a week before it happened, they would have been laughed out of the room.

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Despair is a delusion of confidence that asserts it knows what’s coming, perhaps a tool of those who like to feel in control, even if just of the facts, when in reality, we can frame approximate parameters, but the surprises keep coming. Anyone who makes a definitive declaration about what the future will bring is not dealing in facts. The world we live in today was utterly unforeseen and unimaginable on many counts, the world that is coming is something we can work toward but not something we can foresee. We need to have confidence that surprise and uncertainty are unshakable principles, if we want to have confidence in something. And recognize that in that uncertainty is room to act, to try to shape a future that will be determined by what we do in the present.

It would be unreasonable to predict that we can leave the age of fossil fuels behind and do what the climate requires of us, but it would be unwise to say that it’s impossible, and only our actions can make it possible. The livable world of 2072 is almost unimaginable. But the way that I imagine it is possible is by thinking how unimaginable the 2022 we’re all in now would have been in 1972 and how little it resembles either most science fiction or prediction. We see no farther than the little halo of our lanterns, but we can travel all night by that light.

As she [British investigative journalist Carole Cadwalladr] notes, Putin’s minions were not only directing their attention to the United States, and included pro-Brexit efforts and support for France’s far-right racist National Front party. The US interference – you could call it cyberwarfare, or informational invasion – took many forms. Stunningly, a number of left-wing news sources and pundits devoted themselves to denying the reality of the intervention and calling those who were hostile to the Putin regime cold-war red-scare right-wingers, as if contemporary Russia was a glorious socialist republic rather than a country ruled by a dictatorial ex-KGB agent with a record of murdering journalists, imprisoning dissenters, embezzling tens of billions and leading a global neofascist white supremacist revival. In discrediting the news stories and attacking critics of the Russian government, they provided crucial cover for Trump.

In her 2019 testimony to House of Representatives Permanent Select Committee on Intelligence, former National Security Agency staffer Fiona Hill declared, “Russia was the foreign power that systematically attacked our democratic institutions in 2016. This is the public conclusion of our intelligence agencies, confirmed in bipartisan congressional reports. It is beyond dispute, even if some of the underlying details must remain classified. The impact of the successful 2016 Russian campaign remains evident today. Our nation is being torn apart; truth is questioned; our highly professional expert career Foreign Service is being undermined. US support for Ukraine, which continues to face armed aggression, is being politicized. President Putin and the Russian security services aim to counter US foreign policy objectives in Europe, including in Ukraine, where Moscow wishes to reassert political and economic dominance.”

The assertions of interference were compelling all along. On 7 October 2016, US intelligence agencies released a bombshell press release declaring “The US Intelligence Community (USIC) is confident that the Russian Government directed the recent compromises of e-mails from US persons and institutions, including from US political organizations.” In one of the weirdest days in US political history, the Access Hollywood tape of Trump boasting about sexually assaulting women was released half an hour later, and half an hour after that, “WikiLeaks began tweeting links to emails hacked from the personal account of Clinton campaign chairman John Podesta.” WikiLeaks is thought to have gotten its material from the Russian intelligence agency GRU; longtime Republican operative and Trump ally Roger Stone appears to have been a liaison between WikiLeaks and the Trump team.

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A stunning number of Trump’s closest associates had deep ties to the Russian government. They included Paul Manafort, who during his years in Ukraine worked to build Russian influence there and served as a consultant to the Kremlin-backed Ukrainian president who was driven out of the country – and into Russia by popular protest in 2014 (the Russian line is that this was an illegitimate coup and thus a justification for invasion is still widely repeated). Manafort was, during his time in the campaign, sharing data with Russian intelligence agent Konstantin V Kilimnik, while campaign advisor Jeff Sessions was sharing information with the Russian ambassador Sergey Kislyak. Manafort, Donald Trump Jr and Trump son-in-law Jared Kushner held an illegal meeting in Trump Tower with a Kremlin-linked lawyer on 9 June 2016, where they were promised damaging material on the Clinton campaign.

After being seated next to Putin while being paid to speak at a dinner celebrating RT, Russia’s news propaganda outlet, Michael Flynn briefly became Trump’s national security advisor. He was soon was fired for lying to White House officials and later pleaded guilty to lying to the FBI about his contacts with the Russian ambassador. Jared Kushner allegedly directed him to make those contacts and as the Washington Post reported in May 2017, “Jared Kushner and Russia’s ambassador to Washington discussed the possibility of setting up a secret and secure communications channel between Trump’s transition team and the Kremlin, using Russian diplomatic facilities in an apparent move to shield their pre-inauguration discussions from monitoring.” The Guardian reported the same year that “Donald Trump Jr has been forced to release damning emails that reveal he eagerly embraced what he was told was a Russian government attempt to damage Hillary Clinton’s election campaign.”

  • ふたたびニュース。

七時ごろ夕食へ。カレーや天麩羅や、白菜の味噌汁など。新聞の二面から、今年の年末に改定される国家安全保障戦略みたいな文書でロシアとの関係を抜本的に見直し、相互の発展をはかる友好的なパートナーみたいな文言から、中国や北朝鮮などとおなじ、日本の安全保障上の課題という位置づけに変える、という記事を読みつつ食べていたのだが、ちょうどはじまったテレビのNHKニュースではウクライナ情勢がつたえられており、避難民や攻撃を避けて家のなかにこもっているひとびとのようすがうつされるのをみた母親は、まったくたいへんだね、とつぶやき、つづけて、しあわせだね、そうやって食べられて、とこちらにも言をむけてきた。「まったくたいへんだね」も、「(わたしたちは)しあわせだね」も、ただしいかただしくないかでいったらただしい言明ではあるのかもしれないが、こちらじしんはぜったいに、それこそ死んでも口にしたくないことばである。そういうことをかんじることはあってもしかたがないかもしれないが、それを口にすることだけはぜったいにしたくない。あまりにもつつしみがないとおもう。

新聞はきょうの国際面や書評面を部屋にもってきていた。国際面には、ロシアが情報統制をつよめているという記事がある。「ロシアのプーチン大統領は4日、露軍に関する「虚偽情報」を広める行為などを禁じ、最長15年の禁錮刑を科す規定を刑法に新設する法案に署名した」。「刑法には、対露制裁を外国政府などに訴える行為を違法とし、最長3年の禁錮刑を科す規定も加えられた」というが、ここを読んだとき、中国が香港に課した国家安全維持法をおもいおこした。「虚偽情報」というが、プーチン政権はウクライナ侵攻を「特殊軍事作戦」といっているわけなので、「戦争」とか「侵攻」とかいえばそれがもう「虚偽」になるわけである。外国メディアへの圧力もつよまっており、この法でもロシア国内の外国人も対象とされているし、BBCやヴォイス・オブ・アメリカなど外国メディアのウェブサイトもいくつか遮断されているという。「ウクライナ侵攻に関し、「虚偽の情報」を拡散したことを理由としている」とあるが、ここを読んで、いまさらではあるのだけれど、ひとつの国家が、明々白々としかおもえない事実をひたすら「虚偽」といいつのって、それでよいと、それでどうにかなると、ほんとうにそうおもってそれを実行しているのは、じつにすさまじいことだなとおもった。

モルドバジョージアEUへの加盟を申請。書評ページでは井上正也が戸部良一ほか『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(中公文庫)を紹介。斎藤真理子は黄皙暎 [ファン・ソギョン] という韓国作家の『客地ほか五篇』を紹介。岩波書店から出ていたがもう品切れになっているらしい。朝鮮戦争のリアリティを書いたものだと。あといくつか書評にとりあげられて気になった本をメモしておくと、佐々木雄一『リーダーたちの日清戦争』(吉川弘文館)、木村幹『韓国愛憎』(中公新書)、清水真人『憲法政治』(ちくま新書)、樋田毅『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)、マリアナ・マッツカート『ミッション・エコノミー』あたり。

  • 七時半ごろに覚醒、というか、覚醒してしばらく布団のしたで過ごし、起き上がって時間をみると七時半だった。布団のしたで胸や腕をさすってみると、肌の質感はやわらかくなめらかで、曇りの朝らしいが寒くもなく、きのう横向きの腕振り体操をよくやったおかげでからだはあたたまっている。深呼吸もすこしするものの、やはり鼻が詰まり気味でしづらいので口のたすけを借りる。起き上がるとカーテンをひらき、曇天のくすんだ白さを窓から受け、ティッシュを取って鼻の穴を掃除。立ち上がると水を飲んで、さっそく腕を振る。きのう横向きのほうもいいなという実感をえたのできょうはそちらから。回転運動だから腰まわりにひねりがはいるし、股関節や脚のほうもうごき、背中も前後に振るのとはちがったかたちでほぐれる。また前後よりうごきがおおきいからからだのあたたまり度合いで行ったらこちらのほうが高いかもしれない。前後パターンもちょっとやり、トイレに行って用を足すとともに顔を洗って、出てくると布団のしたにもどってChromebookで一年前の日記を読んだ。(……)さんのブログもすこしだけ読んで、八時四〇分くらいには離床したのではないか。もうすこし遅かったかもしれない。ふたたびしばらく腕を振って身をあたためる。それから食事の支度。水切りケースのなかをかたづけ、温野菜はキャベツと大根、豆腐とウインナー。そのほか納豆ご飯にバナナとヨーグルトといつもどおり。ウェブを見つつ食し、ロラゼパムを一錠飲み、洗い物も済ませてしまうと一〇時まで一〇分ほど余った。たたみあげた布団のむこうに埋もれていたChromebookを取ってきて机上に置き、UlyssesのPDFをひらくとともに、このあいだ訳した一段落を記した記事をNotionで用意しておく。そうしてまもなく一〇時になったのでZOOMにログイン。(……)さんも直後に来てあいさつ。先週はすみませんでしたとまず来たので、いえいえ、問題ないですと受けた。そこから(……)さんの祖父母が住んでいる広島のはなしがいくらか。広島市内なのだが山のほうなので、杉の林がちかいのか、花粉症がやばくなったという。花粉症だいじょうぶですかと聞かれたので、ぼくもなってますけど、アレジオン20っていう薬を買って、それ飲んだらそんなに、わりとだいじょうぶですね、いままでアレグラFXだったんですけど、このあいだ勤務の帰りにそろそろやばいとおもってストアに行ったんですよ、したらアレグラFXぜんぶ売り切れてて、棚のそこだけ空白になってて(と爆笑する)、みんなアレグラなの? そんなに売れるの? っておもったんですけど、まあそれでしょうがねえからべつのってことでアレジオン20にしたんですけど、いちにち一錠をねむるまえに飲むっていうやつで、それでもかなりいけますね、アレグラはいちにち二錠だったはずなんで、むしろそっちよりいいかもしれない、とてらてらはなした。それから、広島市ってのは山があるんですかとたずねてみると、山のあいだにできているような街で、山からながれてきた太田川(中学の地理でなまえが出てくるので知っている)の左右にひろがっていて、河口ちかくの三角州に市の中心部があるようなつくりになっていると。三角州に街があるというのはこれも中学校の地理でよくいわれているはなしであり、都立高校入試なんかにも広島はけっこう出てくるので聞いたことがあったが、山も市内にあってそんなに近いというのははじめて知った。広島行ったことないですよ(まあ日本全国、だいたいどこも行ったことがないのだが)、平和記念、資料館でしたっけ、平和記念公園か、あそことか行ってみたいですけどね、と言うと、あそこは展示がけっこうえぐいですねという言が返り、広島に来たら行くことをおすすめしますとのことだった。また、福山市? でしたっけ? そこに友人がひとりいるんで、たしょうはなし聞いたことありますけどと言うと、東の端ですね、ほとんど岡山みたいなところにある、いいところですよ、カキが安くて、とのはなし。
  • 通話の冒頭はそんな感じで、その他のはなしはれいによって後回しにしたいが、終えたのは一二時半ぴったり。退出するとイヤフォンをはずして椅子から立ち上がり、両腕を天井もしくはそのさきの天に向かってかかげて背伸びをする。そうして布団をたたみあげてあるあとの床に移動し、また腕を振ってからだをやわらげたのち、布団を下ろして掛け布団は片端に寄せ、座布団も配置し、ごろんとあおむけになって書見。松井竜五『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶應義塾大学出版会、二〇一六年)の第二章。「西洋科学との出会い」というわけで、和歌山中学に入学したのちの南方熊楠と、当校の教諭であった鳥山啓というひとのかかわり・かれからの影響や、また鳥山とおなじ世代でとうじの日本の博物学の確立に役割を果たした田中芳男という学者についてなど。中学校とうじの南方熊楠は題して「動物学」という教科書を四パターンもノートに自作していたというのだが、その序文の内容や言葉遣いが、田中芳男がかかわっていたとうじの教科書と類似しているとか、第一稿から四稿までの分類法の相違とか。そのへんを分析しているあたりまで。ページでいうと66から80まで読んでいるところ。
  • 腕振り体操によってからだがあたたまり肌がなめらかになっているので、寝転がって膝でふくらはぎを揉んでみてもそのふくらはぎの質感がとにかくやわらかく、ふわっとした感じでほぐれていき、血も背中のほうまでよくめぐってあたたかくなる。立ち上がると一時一六分。便所へ。クソを垂れ、出て水を飲むと、きょうのことを書き出してここまで。ちょうど二時になった。日記はやはりなかなか進行できず、からだがついていかないので、とりあえずいちにち一回書けて、また読書進行におけるメインの本も読めればそれでOKとするべきだろう。そのようにじぶんを洗脳していきたい。したがってきょうはもう最低限やるべきことはやった。そのうえでより書いたり読んだりできるかどうかはそのときの心身のコンディションや、その他の用事の条件しだいと。きょうは労働で、四時前には出る必要がある。したがってもう猶予があまりないので、二食目を食ったり湯を浴びたりしたい。打鍵をはじめるとやはり胃などがちょっと反応する感はある。それでもきょうはかなり楽に書けているが。
  • その後湯を浴び、二七日月曜日の勤務時のことを書き終えていま三時をまわったところ。さきほどからカーテンに薄陽のいろが宿る時間が生まれており、一時台二時台はそれでも一時的で、雲がまだ太陽のまわりをうろちょろしているのが空を見ずともうかがえたのだが、いまやカーテンのあかるみは増しており、空もどうやら淡いながら水色が支配的になってきたようす。そろそろものを食って出発へ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)


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  • 日記読み: 2022/3/6, Sun.