2023/3/8, Wed.

 この点について、イエスの考えを示すもう一つの有名な話に「パリサイ人の祈り」がある。
 「自分を正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスはつぎのたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はパリサイ人で、もう一人は徴税人だった。パリサイ人は立って心の中でこう祈った。[神よ、私はほかの人々のように、貪欲な者、不正な者、姦淫する者ではなく、また、この徴税人のような人間でもないことを感謝します。私は週に二度断食し、全収入の一〇分の一をささげています]。ところが、徴税人は遠くに立って、目を天にあげようともせず、胸を打ちながら言った。[神よ、罪人の私を憐れんでください]。言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのパリサイ人ではない」」(『ルカ』一八の九~一四)
 このパリサイ人は非の打ちどころのない道徳的人間であったにちがいない。律法をきちん(end116)と守るだけではなく、ふつうの人間ならば誰でもやっているような悪事をまったく働いていないらしい。だが、それではだめなのだ。なぜなら、彼は他人を軽蔑し、自己満足にふけっているからである。他者への愛がないからである。
 パウロが言うように、愛がなければ、どれほどの道徳的高潔さもなんの意味もない。それだから、イエスはパリサイ人を「白く塗られた墓」だと言う。「白い」とは、外面は清潔だということだ。「墓だ」とは、中は死んでいるということである。
 (岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、116~117)




  • 一年前からニュース。

(……)新聞は一面を少々。ロシアが「人道回廊」を設置して四都市での攻撃を一時停止したものの、民間人の退避先としてロシア国内かベラルーシがいっぽうてきに指定されていたため、ウクライナが拒否したと。そりゃそうなるにきまっているだろう。阿呆ではないか? 戦争中に、市民をいまたたかっている当の敵国に逃がすわけがない。しかも今回はロシアのほうから侵略してきたわけだし。これもいちおう、こんかいの軍事行動は戦争や侵攻や侵略ではなくて「特別軍事作戦」であるというロシア側の名目とか、目的は政権を支配しているネオナチの排除であってウクライナの民間人に危害をくわえる気はないとかいういいぶん(そういいながらところが、ロシアは民間人居住区にもふつうに空爆をしているわけだけれど)に沿ったものではあり、それはもちろん詭弁というか犯罪的な強弁というか、端的に虚偽なわけだが、プーチンのようすとかロシアのこういう提案とかをみるに、かれらはこれがつじつまのあわないめちゃくちゃな理屈であることをもちろん知っていながらそれを目的のためにいわゆる確信犯的に無理やり押しとおしているのではなくて、ほんきでこれが理屈としてただしい、すじのとおったものであるとおもっているのではないか、といううたがいをもってしまう。ほんとうにそうなのかもしれない。プーチン認知症説なんかもでているようだ。

  • きょう、一食目のあとに読んだニュース。

It will be an “open road” for Russian troops to capture cities in Ukraine should they seize control of Bakhmut, Volodymyr Zelenskiy has warned in an interview with CNN. “This is tactical for us, we understand that after Bakhmut they could go further,” said Ukraine’s president. The Ukrainian deputy prime minister told regional media on Tuesday that fewer than 4,000 civilians, including 38 children, remained in Bakhmut. The city, the focus of fierce fighting in the Donbas region, had an estimated prewar population of about 70,000.

Russia has sustained “20,000 to 30,000 casualties’’ – killed and wounded – in trying to capture the city, western officials estimated at a briefing on Tuesday. While no firm figure was offered for Ukrainian losses, the official said it was “significantly less”. Ukraine’s defence of Bakhmut is forcing Russia to engage in a costly battle for a city that “isn’t intrinsically important operationally or strategically”, according to the US-based Institute for the Study of War.

Intelligence reviewed by US officials suggested a pro-Ukrainian group carried out the attack on the Nord Stream pipelines in 2022, the New York Times has reported. There was no evidence Zelenskiy or his top lieutenants were involved, or that the perpetrators were acting at the direction of any Ukrainian government officials, said the report, citing US officials.

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A court in Moscow has jailed a student activist for eight and a half years for social media posts criticising Russia’s war in Ukraine. Dmitry Ivanov was convicted on Tuesday of spreading false information about the Russian army, AP reported.

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China’s foreign minister, Qin Gang, has said China must strengthen its relationship with Russia in the face of continued hostility from the US. In a fiery press conference, his first appearance as foreign minister, Qin outlined China’s foreign policy agenda for the coming years, presenting its relationship with Russia as a beacon of strength and stability, and the US and its allies as a source of tension and conflict.

Azhar tracks down a few more recent graduates from Kitagawa’s dormitory/agency. They tell similar stories – kindness, consideration, baths, undressings, massages, mouths, pain – but with almost no apparent trauma. They smile brightly and explain that they loved him, that it was understood there had to be a payment for future stardom, that it isn’t abuse if this, it isn’t really abuse if that … “He didn’t get me that much,” says one. “I still think we were treated with love,” says another. It is a rare and breathtaking insight into how grooming works and how deep the psychology of abuse is. Extrapolate further, and you can see how it gives rise to a whole society (beyond that part of it in financial thrall to his empire) that refuses to face the truth and prefers instead to venerate an accused man even after death.

  • いま午後一〇時二〇分で、実家に来ている。着いたのはちょうど七時ごろ。家のすぐちかくまで来ると駐車場に父親の白い車がなく、母親の黒っぽい深緑をした軽自動車はあったので、父親は山梨に行っているのかとおもったところが、みじかい階段をのぼって扉の取っ手を下げると鍵がかかっているのでインターフォンを鳴らしたところ、出た声は父親で、あ、(……)ですとなまえを告げればちょっと待ってとあってから玄関の明かりがつき、扉がひらくと父親はちょうど風呂にはいったところらしく上半身は裸でしたはパジャマだったが、ただいまと言ったそこに背後の道路にやってきた白い車が父親のものらしくみえ、じっさい家のまえで止まって駐車場にはいろうとしたので、ああお父さんの車で(母親はしごとに)行ってんのか、と口にすると、そう、いま、と受けた父親はすでに居間のほうにあるきはじめていたのでことばをいったんそこまでで切り、こちらが靴を脱いで手やマスクにアルコール液をかけているあいだに服を着て、玄関と居間との境で台所に折れながら、いま荷物をはこんだりしてるから、軽のほうが、と理由を述べた。荷物というのはなんの荷物かわからないが、山梨の家に持っていくものということだろうか。
  • 居間にはいるとモッズコートを脱いでハンガーにかけ、東の窓のまえ、天井から吊るされた物干し竿にひっかけておく。それから母親がなにか荷物など持っているかとおもって玄関に行き、扉をあけると、階段を目のまえまであがってきていたが買い物はしてこなかったようでバッグしかともなっていなかったので、荷物はないのかと言ってあいさつし、室内にもどった。服はなんかないのかとおもったところ仏間につづく引き戸のそばで床のうえに置かれてある袋のなかに、まえに来たときにも着たジャージやユニクロタートルネックがあったので、それでいいやと仕事着を脱ぎ、ベストとスラックスをハンガーにかけてコートのとなりに吊るしておいた。ワイシャツは洗ってもらうので洗面所へ。靴下はこのときまだ脱がず、のちほど風呂にはいるときにおなじく洗面所の籠へ。ラフなかっこうになると洗面所で手を洗った。そうして水道から直接コップに汲んで水を飲み、母親がなんとかいうのをちょっと聞いたあとにいったん下階へ。階段の入り口に、つめたい空気が階下からあがってきたり暖房による温気がそちらに逃げるのを防ぐためのシートがあたらしくもうけられ、天井から吊るされていた。自室に行ってリュックサックを置くと、隣室に移動してギター(一弦が切れており、指板や弦がこのうえないほどに錆びついているテレキャスター)をもてあそんだ。ひさしぶりに音をひずませてチョーキングでもやろうかなとおもい、アンプをさぐれば本棚のまえのごちゃごちゃしたところにVOXのおもちゃみたいなやつと、もうひとつなんといったかこれもちゃちなミニアンプがあって、ACアダプターも発掘したのであとはシールドがあればつなげる。それで自室のエフェクターとかを放置してあるところ(ひとつの本棚の最下部)にたしかあったのではとおもって見に行くと、埃まみれのケーブルがあったのでそれを一本引き出して、ティッシュで埃をぬぐって(ちなみに自室からはゴミ箱がなくなっていたが、机の引き出しがすこし引き出されて、その隙間にはさむようにして紙の封筒が立てられており、これをゴミ箱代わりにしろということだろうと理解した)隣室(兄の部屋)にもちかえり、つないでしばらくあそんだ。さいしょはVOXではないほうのミニアンプに挿したが、シールドのぐあいかアンプのほうの接続部のぐあいかこれだとノイズがおおすぎてはなしにならなかったので、VOXのほうに挿してみればこちらは行ける。このおもちゃみたいな小ささのVOXのアンプは、小ささのわりにそこそこの機能というか、ギターから音を出すかたわらでBLUESとかJAZZ/FUNKとかジャンル別のリズムパターンを、ひとつのジャンルにつき六パターン再生でき(ジャズとファンクは目盛りひとつ分でまとめられており、それぞれ三つずつだったとおもうが)、それに合わせて遊ぶことができる。そういうわけでてきとうにリズムを鳴らしてチョーキングを決めたり、じきに飽きたので音色をクリーンにしてピックアップもフロントもしくはセンターに替えてひかえめな音で似非ブルースをポクポクやったりした。
  • それで七時四〇分くらいになった。自室にうつると腕振り体操。前後。横向きの回転版もできなくはないだろうが、ちょっとせまいかもしれない。本を乗せてあるラックなどに手が当たって痛いことになるかもしれない。前後の腕振りをしばらくやってからだをあたためてから上階に行き、夕食。ここからはいろいろかんがえたことがあって、ひとつはあいもかわらぬ父親と母親の関係、母親が言ったことにたいして父親がやたら苛立ち気色ばんで高圧的な言動をするということであり、もうひとつは新聞で読んだ新海誠のことばについてだが、それぞれ記すのはながくなりそうなのでいまはいったん省く。夕食はサバの身を入れたカレーとか、菜っ葉とか、生の白菜とか。食うあいだは母親がなんだかんだはなすのでそれを聞き、こちらの生活ぶりを聞かれるのにもこたえ、ものを平らげるとさっさと皿を洗ったがすこし物足りない感があったので、汁物はないのかと聞くと即席のキノコの味噌汁があるというので皿洗いのあとにそれをいただくことにして、「キノコを食べるための味噌汁」みたいななまえの製品だったが、それをつくって箸でかきまぜつつ啜る。かたわら母親のはなしを聞きつつ新聞もチェックして、さきの新海誠の言をとりあげた震災関連の記事もぜんぶではないが読んだ。そうして九時ごろに。食事を終えた父親が母親の分も皿を洗うと言って運び、こちらが味噌汁を飲み終えたあとまだそのままにしておいた椀と箸も洗うというので礼を言って受け渡し、それからちょっとしてお風呂はいらないのと母親が言うのにはいるよと受けて準備をはじめたあたりで、父親が台所で洗い物をすすめているわけだけれど、それにあたって水をジャージャーつかったり、あとよくわからないが洗剤を節約するみたいな、よくわからないのだが両親のあいだでそういう問答があり、母親は父親の洗い方が節約的でないと言って文句をつけ、父親は父親で意図ややりかたがあるし、ガスと洗剤とどっちがかかるんだよと反論もしており(これいぜんに、というか数日前に母親から来たSMSのなかですでに、ふたりだけで暮らしているのに電気代とガス代がずいぶんかかってしまってたいへん、つましくやらなきゃ、みたいなはなしがあったのだが、たぶん父親は湯をつかわず水で洗うことでガス代を節約しよう、そのぶん水の量はたしょうふんだんにつかってもかまわないというあたまだったのではないか)、ここでこの日帰ってからはやくも二度目の父親の気色ばみに遭遇してしまうことになった(いちどめは上階にあがってきた直後である)。この変化のなさに出くわしていろいろかんがえたというか、かんがえたというよりは端的になんでそんなに怒るんだろう? これはなんなんだろう? という疑問を禁じえなかったというだけなのだが、詳述はのちにゆずるとしてちょっとだけ書いておくと、ひとつおもったのは、父親が変わらず気にせず帰ってきたこちらのまえでもこういうふるまいを取るということは、かれはやはりこちらがこういう場面にふれて胃に来るほどの不快とストレスを感じていたこと、このようなふるまいがばあいによっては殺意をいだくほどにすさまじく嫌いだということ、それが実家を出ることをようやっと決断したおおきな理由のひとつであったことを理解していないのだろうな、ということだ。ちょうどきょう読みかえした一年前の日記でもつぎのようにあった。とうじはじぶんの苛立っているさまをさらしたり、生活を(すくなくとも経済的に)依存している身で両親のことをわるく書いて人目にふれさせるのはよくないというこころがあったのだろう、ブログからは検閲していた。父親のことだけでなく、そのまえの母親について書いた一段もちょっとおもしろかったので合わせて引いておく。
  • アイロン掛けや食事の支度。しかしなにをつくったのかはわすれた。夕食時、(……)の結婚式の引き出物にもらったギフトカタログを注文。いぜんいちどみたのだが、三つのカテゴリから一品ずつえらぶもので、決めるのがめんどうくさかったので両親にこれあげるわというかたちで先日丸投げし、母親が決めたようだった。砥石とか素麺とかだったか。そのさいアドレスを入力する必要があったので食後に自室から携帯をもってきて、タブレットで入力。ついでにスマートフォンに替えていらいあたらしいアドレスや電話番号を母親につたえていなかったので、かのじょの携帯にメールをおくっておいたが、そこからアドレス帳に登録するのすらこちらにいちいち確認しないとできないのでやや苛立った。メールをひらけ、内容をみろといっても、ふだんそのくらいはしているはずなのにまごついているし、アドレスを選択しろ、ゆびでふれろといってもやはり同様。携帯を借りて、ここの文字のいろが変わってさわれるようになってんでしょ、ここにふれて、そうすればアドレス帳に登録みたいなのが出てくるでしょ、というかんじでみちびいた。アドレス帳にうつったらうつったで、あたらしいアドレスを登録みたいな文字が目のまえに記されてあるのに、どうすればよいのかわからない。こういうときの母親は、画面上に書かれている文字やその意味をさだかに認識し理解していないとしかみえない。すくなくとも、ここにこう書いてあるからこれだな、とか、とりあえずこれをさわってみるかみたいな、そういうあたまのはたらきは起こっておらず、ただどうすればよいのかわからない状態のまま、それいじょうじぶんで探るうごきも起こらずにただ停まっている、というかんじ。それでこたえをもとめてそばにいるこちらにつねにどうすればよいのかをたずねてくる。そこに書いてあるだろとおもわざるをえないのだが、そこに表示され書かれてあることをしっかり見てその意味を読み取り、えられた情報にもとづいて試行する、という精神のはたらきがまったく停止しているのだ。とちゅう、あまりの停滞ぶりというか、自己でものごとをみいだすちからの欠如に、おもわず顔をうえにむけて天をあおぐようなそぶりをとり、いらだちながらもちょっとわらってしまったときがあったのだが、それとどうじに、なんというかある種のおそろしさでもないけれど、いったいこれはどういうことなのかな? ただものを見て読むだけのことがここまでできないとは、と神妙にかんがえこむようになってしまった数秒があり、そのあいだは母親がなんとかいうのにもかまわず黙っていたのだが、そのいっぽうで苛立ちもつづいていたので、数秒が終わったあとは呆然としたちいさな声で、すこしはじぶんでかんがえろよ、と苦言をもらしてしまった。その後けっきょくさいごまでみちびいたが、たまにあるこういうできごとからおもうのは、母親はもうなかばぼけはじめているのではないかということで、高齢になってきてのあたまのよわりと痴呆のはじまりというのはあまり見分けがつかないものなのだろう。たぶんかのじょはこのさき認知症になるだろうな、じぶんが兄かがそれを介護しないといけないだろうな、という予測はいままでなんどか得てきたし、このときもそうおもった。
  • 夕食のあとはあとで、自室で日記をしるしていると、上階で父親が母親になんだかんだ言っていて、その声音をきくだけでたしょううるせえなとおもうしストレスをかんじるのだけれど、さらにその後、なにかを言われて気色ばみ、怒りの声を母親にむけてぎゃあぎゃあ言っているのもきこえてきて、それはほんとうにこちらのほうもかなりの怒りをかんじさせられ、ふつうに殺意をおぼえるし、殺すまでいかなくてもぶん殴ってやりたいとか、ビール瓶をたたきつけて割ってやりたいとか、炬燵テーブルのうえにならべ置かれているであろう膳とか酒の缶とかをぜんぶ破壊してやりたいとか、そのくらいの欲求とイメージが発生するくらいの憤慨と嫌悪におそわれて、怒りのあまりからだもふるえるし、とうぜんながら文を記すのにも集中できなくなって、それまでペースよくうごいていた指もとまってしまうくらいだった。
  • そもそも今回実家に帰った経緯としては、三月三日の金曜日に医者に行く用事があったのでそのついでに帰ろうかなとおもって母親にそう連絡したところが、翌四日に映画を見に行く予定があったのでわざわざ実家から出かけるのも面倒だからやはり今度にしようとキャンセルし、するとその後父親からSMSが来て、たまには帰ってこいとあったので((……)はどうしてるかな? と言って母親がときどき涙をながしているという証言すらあった)、こちらじしんもさいきん(年末いらい)行っていなかったがたまには帰って部屋のかたづけなどしたいとはおもっているから、今月は勤務もすくないしそれなら行くかと受けたしだいで、父親はこのSMSのやりとりは母親にはないしょでともつけくわえてきたので、かれとしては母親が息子のことを心配しさみしがっているからたまには帰ってきてもらってその感情をなぐさめようみたいな気遣いの意図があったのだろうと想像される。したがっていちおうかたちとしては、父親の帰ってこいという要請もしくは暗黙の頼みにこたえて顔を見せに来たということになるのだけれど、そうして帰ってきて飯をいただこうとあがっていったところで実家にいたころは殺意をおぼえたり怒りのあまりからだも震えるほどの反応を来たしていた当の場面とおなじものを見せられて、それでこちらがああやっぱり実家はいいなとか、また帰ってこよう、帰ってきたいというきもちを感じるとおもうのだろうか? こちらはいちおうこれからもある程度の頻度で帰ってくるつもりではあるけれど、至極単純素朴なはなし、せっかく息子が帰ってきたのにこんなみっともないやりとりを見せては悪い、飯がまずくなってしまうだろう、くらいの気遣いやつつしみがあたまに浮かんだりはしないのだろうか? とおもうのだけれど、たぶん浮かばないのだろう。おそらく父親も母親も、こういう場面を「みっともない」とも感じていないのではないか。あるいは、もし他人がそれをみたらみっともないとおもうだろう、ばつがわるい、という判断はあるかもしれないが、こちらは家族だから見せても問題ないという私的親密性にもとづいた自己許容があるのかもしれない。もしそうだとすると、やはりこちらがそういう場面からどれだけ不快とストレスをかんじているかということは、充分に理解されていないのだろう(こちらが不快をかんじているということじたいはさすがに理解しているのではないかとおもうが)。こちらじしんも実家にいたころは我慢して基本文句を言わないようにはしていたので、その点意思の疎通が不十分だという事情はあるかもしれないが、ただいっぽうで、耐えきれなくなってキレて父親と悶着を起こしたことが二回はあるわけで、ふだん黙ってしずかにしており感情的に大声を出したりことばを荒らげたりすることがあまりないこちらというにんげんが過去に二度キレたという事実の重さが残念ながら相応には評価されていないと判断せざるをえない。ただこんかいこういう場面に出くわしたからといって、過去ほど怒りや不快をおぼえはしないし(それでもそこそこのストレスは感じるし、このぶぶんを書いているいまもかんじているが)、ふたたびキレたり父親にはっきり苦言を呈そうという気にはならない。まあ父親はこういうにんげんで、母親もこういうにんげんで、このにんげんたちの関係はこれから死ぬまでずっとこういう感じなのだろうというあきらめのこころが優勢で、それを変えるためにはたらきかけようというほどの気力や意欲や気概がじぶんのなかに湧いてこない。端的に言って、かれらにとってはこれが日常で、あたりまえのことであり、おそらくは毎日のようにこれを反復しているはずで(事実、こちらが実家にいたころはそうであり、だからその点まったく変わっていないということになる)、だから「みっともない」と感じないのだ。とうぜんである。ふたりだけで暮らしており、くだんのやりとり・関係性を目撃したりそれにたいして忠言や批判を向けたりする外部の存在がないのだから。それはよくないことだとおもうが、そのような外部の存在になる気力はじぶんにはいまのところ起こらない。
  • そうして入浴。ひさしぶりに湯のなかで静止して瞑想めく。静止しながらうえのようなことをかんがえたり、新海誠の発言についてかんがえたり。四〇分くらいはいっていた。ついでに髭も剃ったのだが、アパートにある、越してきた当初近所のローソンで買ったGilletteのカミソリより、実家の風呂場にあった簡易な、数本まとめて売られているシンプルなやつのほうが軽い感触で容易に剃れるというのはどういうことなのか? 出てくると居間は母親ひとりになっており、テレビは『マツコの知らない世界』をうつしていて、ポテトチップス特集だったが、ソファについている母親がアイスがあるよ、チョコレートの、ちいさいやつだけど、というのでじゃあいただくかと受けた。それで台所のほうに行くと、(……)、わるいけど立ってるついでに、野菜が出しっぱなしだから、ビニール袋に入れて冷蔵庫に入れておいて、というので、ザルにのこっていた白菜(食器乾燥機内に置かれてあったのをこちらが皿洗いをしたさいに小皿を敷いてカウンターのうえにうつしておいたものである)を薄手の袋に手づかみで移動させていき、口をほそくひねって冷蔵庫におさめておいた。アイスはたぶん「パルム」だろうあれは。それを持ってきて椅子につき、食いながら母親と会話をしたりテレビに目を向けたり。ポテトチップスというのは一八二二年にイギリスのレシピ本にはじめて登場したというが、じっさいにつくられたという記録が確認できるのは一八五三年、アメリカのあるレストランで客がつくるよう要求したらしく、日本にはいってきたのは戦後、米国の占領期で、アメリカ人に売るためにさいしょはつくられており、占領が終わったあとに一般化したというが一般化といってもとうじは高級な菓子とされていたのだという。番組に出ていたポテトチップスマイスター的なひとはたしか中村さんというなまえで、まいにちかならず一袋はポテトチップスを食べているといい、すごいな、健康にわるそうだけど、とおもわずもらしてしまったが、かれがいうにはカルビーがすばらしい。というのは、QRコードをつうじてじゃがいもの生産者の情報がみられるようになっており、そうなるとどこのだれのどういう品をつかっているかが(関係者間や業界内で)わかるので、企業側も農家の側もへたなものはつくれない、相互に責任をもってきちんと誠実に品をつくることになると。その後マツコデラックスが食っていたのは「スーパーポテト」とかいう品の、サワークリーム味かなにかと、あともうひとつポテトチップスではなくて「じゃがいもチップス」を銘打って、じゃがいもの風味を尊重した品があり、マツコデラックスいわくドライフルーツの芋版みたいな感じ、ということだが、こちらはすこし食ってみたい気がした。
  • 一〇時をまわったあたりで下階に下がって日記を綴ることにして、湯呑みに白湯をそそいで、新海誠の言が載っている新聞のページとともに持ち帰り、リュックサックからパソコンを出してスツール椅子に据え(スツール椅子を、背もたれ(というほどの高さはないのだが)を正面に置く向きにしてパソコンを載せると、ちょうど座部いっぱいにすっぽり入るようなおもむきとなり、そうすると左右にすきまが生まれないので電源ケーブルをつなぐことができず、いぜんはそれを甘受していたのだが、こんかいはなぜか電源をつなごうという気になり、したがって椅子の向きをすこしずらして、パソコン左側の最奥部にあるジャックが露出するよう半端な置き方をしているので、左側がすこし持ち上がるかたちであさくかたむいている)、電源につなぎ、立ち上げてNotionにログインするときょうのことを書きはじめてここまで。ゆびは軽い。しかしこれでもう一一時五一分になってしまった。実家に来てからのことをさっと要約的に記し、そのあと三月三日金曜日にさきに取り組むつもりだったのだが。


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  • 日記読み: 2022/3/8, Tue.
  • 「ことば」: 1 - 3