ハイデガーは、彼以前の哲学はすべて存在忘却の哲学であった、と断罪する。存在忘却とはなにか。存在(Sein)と存在者(Seiendes)との区別がつかないこと、存在を存在者と考えることである。アリストテレスも、これを継承したキリスト教の神学も、万物の存在根拠としての神を最高存在者として考えていた。しかし、「存在者がある」のであって、「存在がある」のではない。「大地はある(die Erde ist.)」、「農夫が畑にいる」、「峰峰の上に静けさがある」。これらはみな意味のある発言であるが、「あるはある(ist ist.)」などとは言えない。(end230)それゆえ存在はあるのではないのだ。
いったい、「ある」はどこに「ある」のか。宇宙の涯のはてまで探しまわっても、私たちは存在を見つけることはできないだろう。私たちは、どれほど巨大であろうとも、存在者に出会うだけである。したがって、存在者でないものは無としか言いようがないとすれば、存在とは無なのである。それは、存在者を贈りだしてくる根拠として、それ自身はけっして姿を現さない深淵なのである。存在は存在者を贈りだすことにより、己を隠す。ここでは、顕現と退去とは必然的な相互関係のうちにある。
そうであれば、存在忘却は人間の過誤によっておこるのではなく、それ自体が存在の贈り物(Geschick)であり、運命である、と言わなければならないだろう。人間の本質はアリストテレス以来「ロゴスをもつ動物」として規定されてきた。人間は、ロゴス(言葉、収集〔Versammlung〕)によって、存在者を収奪し、すなわち言葉にもたらし、それによって世界を現成させる。言葉を語ることによって世界を出現させることが、人間の本質的な使命にほかならない。
しかし、ロゴスは存在を存在者として出現させることにより、存在自体を隠蔽するのである。ロゴスは人間の了解のはたらきである以上、人間の自己根拠化の汚染をけっして脱却することはできない(『根拠の命題』)。存在者の存在根拠をさししめすロゴスは、アナクシマン(end231)ドロスにおいてはアペイロンとして、プラトンにおいてはイデアとして、アリストテレスにおいてはエネルゲイアとして、カントにおいては超越論的統覚として、ニーチェにおいては力への意志として、現れてきたが、それらのそれぞれが「存在の退去(epochê)」をしめす存在の歴史(Epoche)なのである。そうであれば、人間はけっして存在忘却を免れることはできないだろう。しかし、世界を出現させることにより、存在がつねに己を隠蔽していることに、気づくか否かは大問題である。
(岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)、230~232)
- 一年前からニュース。
(……)一面でウクライナ情勢をみると、マリウポリで、市民四〇〇人ほどが避難していた美術学校がロシア軍の攻撃を受けて倒壊し、おおくの死傷者が出ている見込みとの報。ロシアは作戦の行き詰まりをむかえ、市民を標的にした残忍な攻撃をおこなっている、と米国は非難。国内外に避難したウクライナ人は一〇〇〇万人を超え、戦争前の人口は四二〇〇万人ほどだからおおよそ国の四分の一が避難したことになる。一八歳から六〇歳までの男性は国外に出ることをみとめられていないという。徴兵というか、ばあいによっては戦力としてかぞえるということだろうか。キエフ近郊に住んでいた足のわるい男性が、杖をつきながら一昼夜森のなかをひたすらあるいて避難した体験をかたる記事もあった。ふつうの道路などはロシア軍がいたり戦闘があったりなどでとおれず、みちのない森のなかを行くしかなかったと。道中で両軍の死体をたくさんみたという。とちゅうでロシア軍の検問所にひっかかったが、身分証明書かなにかみせたらとおることができたらしい。足がわるかったためではないか、とのこと。
- 以下のようにも。いまと変わっていない。
部屋にもどるとNotionを用意し、「英語」ノートを読んだ。86から120まで。それからここまで記して一時一二分。とにかく日記を書く時間がぜんぜんとれない。一五日の火曜日分からずっとしあげられていない。しかも火曜日は外出したので書くことが多く、まだまだ終わっていない。どうもさいきんいそがしい。世の多数者にくらべればよほどなまぬるい環境と条件にあるとおもうのだが、それでもずいぶんいそがしくかんじられ、やりたいことややるべきことをぜんぜん満足にこなせない。困難をおぼえる。とはいえ、そこで文句を言って腐ってもしかたがない。つねに困難があるのはとうぜんのことで、そのなかでできるだけのことを粛々とやっていくしかない。それが建設的で生産的な態度というものだろう。義務感で文を読んだり書いたりするなどくそくらえだ。おれはぜったいにこの文を出版しないし、金にもしないし、作家にもならないぞ。
- 「読みかえし2」より。
Steve Phillips, “America is built on a racist social contract. It’s time to tear it up and start anew”(2022/10/22, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/22/america-racist-social-contract-start-anew-steve-phillips(https://www.theguardian.com/commentisfree/2022/oct/22/america-racist-social-contract-start-anew-steve-phillips))
1292
In his original draft of the Declaration of Independence, Thomas Jefferson included a forceful denunciation of slavery and the slave trade, condemning the “execrable commerce” as “cruel war against human nature itself”. The leaders of the states engaged in the buying and selling of Black bodies balked at the offending passage, and Jefferson explained the decision to compromise, writing, “The clause … was struck out in complaisance to South Carolina & Georgia who had never attempted to restrain the importation of slaves, and who on the contrary still wished to continue it. Our northern brethren also I believe felt a little tender under those censures; for tho’ their people have very few slaves themselves yet they had been pretty considerable carriers of them to others.”
The constitution itself, the governing document seeking to “establish justice” and “secure the blessings of liberty”, is replete with compromises with white supremacists’ demands that the nascent nation codify the inferior status of Black people. The “Fugitive Slave Clause” – article IV, section 2, clause 3 of the constitution – made it illegal for anyone to interfere with slave owners who were tracking “drapetomaniacs” fleeing slavery.
And, of course, there was article I, section 2, clause 3, which contains the quintessential compromise on how to enumerate the country’s Black population, resulting in the decision to count individual human beings – the Black human beings – as three-fifths of a whole person.
The whites-first mindset about citizenship and immigration policy that still roils American politics to this day is not even really the result of compromise. It is in essence a complete capitulation to the concept that America is and should primarily be a white country. The 1790 Naturalization Act – one of the country’s very first laws – declared that to be a citizen one had to be a “free white person.” That belief was sufficiently uncontroversial that no compromise was necessary, and the provision was quickly adopted.
In a unanimous opinion in the 1922 Ozawa v United States case, the supreme court ruled firmly and unapologetically that US law restricted citizenship to white people because “the words ‘white person’ means a Caucasian”, and Ozawa “is clearly of a race which is not Caucasian, and therefore belongs entirely outside the zone” of citizenship. The racial restriction was official law until 1952, and standard practice until adoption of the 1965 Immigration and Nationality Act. This centuries-long, whites-first framework for immigration policy was most recently articulated by Donald John Trump – the man for whom 74 million Americans voted in 2020 – when he asked in 2018, “Why are we having all these people from shithole countries come here?”
The sweeping social programs of the New Deal were the result of compromises with Confederate congressmen working to preserve white power. In a Congress that prized seniority, many of the most senior and influential members came from the states that barred Black folks from voting. In his book When Affirmative Action Was White, Ira Katznelson breaks down how “the South used its legislative powers to transfer its priorities about race to Washington. Its leaders imposed them, with little resistance, on New Deal policies.”
Social Security is perhaps the signature policy of the New Deal era, but in deference to white Southerners, the program explicitly excluded farmworkers and domestic workers. As Katznelson explains, “These groups – constituting more than 60 percent of the black labor force in the 1930s and nearly 75 percent of those who were employed in the South – were excluded from the legislation that created modern unions, from laws that set minimum wages and regulated the hours of work, and from Social Security until the 1950s.”
Even the cornerstone of democracy – the right to vote – remains to this day the result of a creaky compromise with white nationalists. Most constitutional rights don’t require regular legislation to be renewed. There are no Freedom of Speech or Right to Privacy or Right to Bear Arms acts. We don’t revisit those fundamental rights every 10 or 20 years. When it comes to the fifteenth amendment, however, the right to vote has necessitated further legislation to guarantee enforcement, and the opposition has been so intractable and longstanding that the Voting Rights Act has to be regularly renewed by Congress, necessitating negotiation and compromise with those who fear the power-shifting implications of letting everyone of all races actually cast ballots.
- 目を覚ますときょうは直後からおのずと鼻で息を吐き出し、深呼吸の態勢にはいった。そうしながらしばらく胸やら腰やらをさする。天気は曇りらしいが寒くはない。からだの冷えもほとんどない。時刻をつかめなかったがそれはきょうが休日で、向かいの保育園に声がないためだ。身を起こして携帯をみると一〇時半過ぎだったので、遅くなってしまったなとおもった。カーテンをひらいて曇天をさらしだし、あぐらの姿勢で首や肩をゆっくりまわす。首をまわしながら首だけではなく、同時に上半身のうえのほうもまとめてまわすようなおおきなうごきになっている。首をまわすのは地味に大事で、背中や腰のほうにまで波及する。床を抜けると水を飲んだり用を足したりし、さくばん米がなくなったのであたらしく炊きはじめておいた。そうして寝床にもどってウェブをみたり一年前の日記を読んだり。「読みかえし」ノートも。ある時期からウェブ記事もそこに記録しておくようになり、くわえて書き抜きをなかなかできていないのでそればかりになり、一項目がながいから読みかえすのに時間がかかる。離床は一一時四〇分ごろ。遅くなったので瞑想ははぶいて食事の支度へ。もう食い物がほとんどないのでまた買い物に行ってこなければならない。ついでに書店に行って『フォークナー短編集』を買おうか、それともAmazonでたのもうかまようところだ。ところで課題書に設定された新潮文庫のこの本は、Amazonのページをみたら一九五五年だというのでずいぶん古い。新潮文庫にはありがちなことだが。新潮文庫の海外文学はわりと過去の遺産で食っている感がある(それを言ったら岩波もそうか?)。もちろんあたらしい翻訳も出てはいるのだろうが。近年だと『ボヴァリー夫人』とか、あとたしか『ワインズバーグ、オハイオ』も新潮であたらしく出ていなかったっけ。小島信夫がむかし訳したやつだが。読んでいないが。ブコウスキーの書簡を読んだときに作者のシャーウッド・アンダーソンを尊敬するというか好きだみたいな評価が出てきたような来なかったような、よくおぼえていない。食事はれいによってキャベツと白菜と豆腐の温野菜に、実家でもらってきたセブンイレブンの鶏肉(ひとつ分ぜんぶではなく、こまかく分けられたもの二切れだった)と、冷凍の唐揚げをひとつの椀に入れて加熱し、それをおかずに炊きたての白米を食う。バナナとヨーグルトももうないのできょうは食べられない。食後はウェブをみたり、歯磨きをしたり皿洗いをしたりしているうちに一時半を越えた。Woolfの英文を読むのをわすれてしまったが、身をやしなうべく布団を床にもどし、座布団や枕も配置しなおしてそのうえに横たわる。書見はひきつづきホメロス/松平千秋訳『イリアス(下)』(岩波文庫、一九九二年)。182から238。パトロクロスが死に、その遺体をめぐってはげしいたたかいがくりひろげられており、最終的にアカイア勢はなんとか遺体を奪取して船陣へと引き上げる。アキレウスにもつかいがわたされて親友パトロクロスが死んだことが知らされる。灰をあたまにふりかけて顔や着物をよごしたり、土のうえに横たわって髪をかきむしりながら悲しみにくれるアキレウスのようすを察知して母親テティスが海の底から浮かんできて、出陣を決めた倅にヘパイストスの武具をとどけるように約束する。翌朝にはそれがとどき、集会がひらかれてアガメムノンとアキレウスは和解して、一刻も早く戦に出てトロイエの兵士らを滅ぼさんとはげしくはやるアキレウスを、まずは食事をとオデュッセウスがいさめるあたりまで。おもしろかったのはまず、183に、アテネがメネラオスにたいして、「その肩と膝に力をつけ、その胸には蚊の如きいっかな退かぬ強かさを吹き込んでやった」とあるところ。英雄にちからを吹き込むのに蚊なんていう些末な存在の比喩がつかわれているからだが、つづけて、「人間の肌からいかに逐い払われようとも、人の血は何よりの美味、しつこく咬みついてやむことを知らぬ」と「強かさ」の具体的な説明がある。ギリシャ人も蚊にはうっとうしく悩まされたのだろう。あと190には、「大いに手薄を喞 [かこ] ち」という表記があって、かこつってこんな字も書くのかとおもった。いま検索してみると、音読みはショク・ソクで、訓読みは「なく・かこつ・そそぐ」、その意は不平を嘆くいがいに、虫が鳴く、すだくこと、また水などを注ぐことがあるらしく、漢字おもしれー。白川静の研究読んでみたい。あとなんだっけ、もうひとつ平凡社ライブラリーにでかいのがあったはず、『言海』だっけ? 平凡社ライブラリーじゃなくてちくま学芸だったか? そうだ。大槻文彦。一八四七年生まれで大槻玄沢の孫だという。大槻玄沢ってどこかで聞いたことがあるぞ。高校日本史でやったんだったかな。杉田玄白とかのなかまうちのひとりでなかったっけ。やはりそうだ。Wikipediaに「『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子」とある。たしかもうひとりいたはず、ゆうめいな四人というかんじで。しょうじき江戸時代の蘭学黎明期の研究とかかなりおもしろそうだとおもっているのだが。『イリアス』にはなしをもどすとあとおもしろかったのは、アキレウスの母親である海の神ネレウスの娘テティスが、ヘパイストスのもとにいって息子の武具をつくってくれるよう頼むのだが(もともとアキレウスが身につけていた武具、すなわちテティスとペレウスの婚姻の日に神々が祝いの品としてかれにあたえたものは、パトロクロスが借りて戦場につけていき、かれを倒したヘクトルが奪ってしまったので)、そのさいヘパイストスの工房というか鍛冶場のようすがちょっと描かれるのだけれど、そのなかに、「生きた娘さながらに造られた黄金製の侍女たちが、主の身を支えながら足早に歩んでくる。侍女たちの胸中には心が宿り、言葉も話しまた力もあり、神々から教えられてさまざまな手業の心得もある」(214)とあって、人造人間じゃん、アンドロイドじゃん、そういう発想がもう紀元前八世紀(といちおうされているわけだが)の時点ですでにあったのか、とおもった。かんぜんに日本の漫画とかアニメとかファンタジー方面の作品に出てくるそれとおなじもので、こうしてみるとマジでそのへんの意匠ってほとんどギリシャ神話で出揃っているんだろうなとおもう。それでいえばテティスが海からあがってくるまえに、ネレウスの娘(姫神=海のニンフ=ネレイデス)たちのなまえがいきなりひたすら列挙される一段があって(196~197)、あまりにも列挙されたのでどんだけいるの? とおどろいたのだけれど、そのなかに「ガラテイア」なんてなまえがあり、これもキャラクターのなまえとかでよく目にするものだろう。ちなみに訳註によると、この「いわゆる「ネレイデスのカタロゴス」は、ヘシオドス『神統記』二四三以下と相似しているところから、古来後世の挿入とする説が有力であったが、訳者は必ずしもそうは考えない。ネレイデスの数は五〇とされ、ヘシオドスにはその全部が挙げてあるが、ここでは三三に留まり、残りは省略してある」(428)とのこと。ここもそうだが、『イリアス』にはなまえしか出てこないような人物はいくらもいる。また、ゆうめいなというか主だった英雄でなくて、登場してすぐ殺されるような兵士らにも、この者はだれだれの息子でどういう来し方で、という情報がみじかくつけくわえられていることも多く、そのへんのいわば「設定」の豊富さときたら近代いこうの創作物の追随をゆるさないというか、いや、近代のそれだってやろうとおもえばできるだろうし、やっているものもふつうにあるだろうけれど、なんというかリアリズム的なつくりこみというのとももちろんぜんぜんちがうし、つまりだれしもに「物語」があるというような感触とはまったくちがうし、空隙がひじょうにひろく底のみえない神話的時空のネットワークのなかで断片的な位置づけを占めているという感じなのだろうかあれはやはり。どういうふうに成立したのか不思議だ。近代いこうの文学で、これほどなまえの与えられた登場人物のおおい作品というのはドストエフスキーくらいしかないんじゃないかたぶん。ドストエフスキーも『悪霊』しか読んだことがないのでよく知らないが、カラマーゾフとかはめっちゃ多いというはなしを聞いたのだけれど。
- 三時ごろまで読み、起き上がって便所に行って肛門からクソをひり出し、ここまで記すと四時。とりあえず湯を浴びないと。その後はどうしようかなという感じ。書店に行くべきか、籠もって書きものに日をついやすべきか。いずれにしても買い物には行かなければならないが。あと四月のシフト希望もきょうじゅうに送っておかないと。
- シャワー。湯をいくらか溜めているあいだ、裸のからだをぜんたいてきにさする。胸とか肩口とか。それから左手をまずながれでている湯にふれさせ、同時に左足から浴槽縁をまたぎこしてなかにはいる。手足の末端がけっこう熱い湯につつまれるので、その影響でたしょうからだがゆれるのをかんじる。それから手を洗い、顔もよく洗ってうっとうしい髪の毛をかきあげておき、じきにシャワーを壁からはずして持ってからだにかけつつしゃがみこみ、湯の安逸にひたる。首とか耳のうしろとか腰とかを、湯をかけながらよくこすっておく。そのうちシャワーを出しっぱなしのまま壁にもどして、ボディソープを取って洗体。ながすとあたまも。洗い終えたあとは栓を抜いて湯を捨てるのだけれど、このとき量によっては浴槽そとの床にある排水口へとながれこんでいった湯があふれてしまうことがあるので、だいじょうぶか見極めながら栓を抜く。湯がながれだしていくあいだは手のゆびをストレッチしていた。いつも音読のときに読みながらやっているのだが、きょうはわすれていたので。出てきて髪をかわかすとなにかでしばらく時間をつぶし、ギターを弾いてもだいじょうぶかなというくらいにゆびの皮膚がかわくと楽器をいじった。さいしょにほんのすこし手をうごかしただけで、もうすぐ録音してみようと携帯のボイスレコーダーをひらいて赤丸を押す。いつもはいちおう録るあいだはひとくくりという意識があるのだけれど、きょうはもしとちゅうで止まったとしてもそのままにして、ひとくくりの演奏を録るというよりは、ギターであそんでいる時間ぜんたいを録ろうというつもりでいたのだけれど、けっきょくべつにとちゅうで止まることはなく、三〇分弱弾きつづけていた。ミスはそこここにいくらでもあるが、ちゃんとした演奏として録るというよりはそういうのもふくめてただ弾いている時間として録っておきたい。録音を終えるとギターをしまい、音源はすぐGoogle Driveに送ってパソコンで落とし、さらにnoteにアップロード。その後とちゅうまで聞いてみた感じあまりおもしろくはなかったが。ギターのあとはすこし休んでから二食目。温野菜と、実家で一パックだけもらってきたレトルトのカレー。ハウスのプロクオリティビーフカレーとかいうやつで、これは値段のわりにけっこううまかったはず。温野菜をレンジでまわしているあいだにさきほど弾いた音源をたしょう聞き、食事を取ったあとは背中のまんなかがすこし詰まるような感じがあったので、後頭部を背もたれにあずけてゴロゴロやり身をやしないつつWoolfの英文をここで読んだ。その後、ころあいになって寝床にながれてだらだらしたのち、ここまで書き足してもう一〇時一七分。『フォークナー短編集』はけっきょく、やはり書店に行くのはめんどうくさいし書くことも増えてしまうのでAmazonで注文した。木曜日にとどく。そろそろ買い出しに行くべきだが、日記もいくらかでもすすめたい。いま一四日の火曜日分まで投稿済みで、一六日の木曜までは休みだったからあらたに書けるような記憶もなく、現状のまま投稿すればよい。一七日に実家にいったのでそこからをすすめておきたい。
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- 日記読み: 2022/3/21, Mon.
- 「読みかえし2」: 1292 - 1294
- 「ことば」: 1 - 3