2023/3/24, Fri.

 本書が執筆される間に、ニューヨークのシャファー図書館の司書が一七九三年の暦のページの間に挟まれた封筒の中にジョージ・ワシントンの銀色がかった白髪の房を発見し、ウォルト・ホイットマンのそれまで未発表だった小説とジャズ・サクソフォン奏者ジョン・コルトレーンの行方不明となっていたアルバム『ボス・ディレクションズ・アット・ワンス』が姿を現し、十九歳の実習生がカールスルーエ州立美術館の銅版画収納棚で数百枚のピラネージのスケッチを発見し、アンネ・フランクの日記の包装紙が貼りつけられた見開きの二ページがふたたび読めるようになり、三千八百年前に石の小片に刻まれた世界最古のアルファベットが解読され、一九六六年から一九六七年にかけて月探査機 [ルナ・オービター] から撮影された画像データが復元され、従来知られていなかったサッフォーの二つの詩の断片が見つかり、鳥類学者たちがブラジルのサバンナで一九四一年以降絶滅したと考えられてきたアオメヒメバトをたびたび目撃し、木の洞 [うろ] にたくさんの房に分かれた巣を作り、それぞれの房に麻痺させたクモを入れて、生まれてくる幼虫の餌にする新種のスズメバチ、デウテラゲニア・オサリウムを生物学者たちが発見し、北極圏で一八四八年に放棄されたフランクリン探検隊の二隻の船エレバス号とテラー号が確認され、考古学者たちがギリシャ北部でおそらくアレクサンドロス大王自身ではないがその友人ヘファイスティオンの最後の憩いの場所である巨大な墓丘を発掘し、カンボジアアンコール・ワット寺院付近に、かつて中世最大の都市であったにちがいないクメール帝国最初の都マヘンドラパルヴァタが発見され、考古学者たちが死者の都サッカラでミイラ工房に遭遇し、はくちょう座の中の、私たちの太陽から千四百光年離れたいわゆる生命居住可能圏 [ハビタブルゾーン] 内に一つの天体が見つかった――その平均温度がほぼ地球と同レベルにあるため――そこには水が存在する、もしくはかつて存在した可能性があり、したがって私たちが思い描くような生命もまた存在するかもしれない。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、8; 「はじめに」)



  • 一年前から。

(……)新聞をみるにロシアはキエフ侵攻から方針を転換して、東部や南部での制圧地域を増やすもくろみにうつっているのかもしれない、とあった。きのうの報にもあったが、アゾフ海に艦艇五隻ほどを派遣して、海上からマリウポリを砲撃しているという。人口四〇万人ほどのマリウポリでは二〇万人がとりのこされているとみられており、三月上旬から包囲がつづいて人道状況は確実に悪化している。おりしもゼレンスキーが日本の国会でオンライン演説をして、日本の支援に感謝をしめすとともに、制裁や援助の継続をもとめ、またアジアのリーダーとしていまや機能していない国連の改革にとりくんでほしい、というようなことを述べたようだ。ロシアが化学兵器生物兵器、果ては小型核兵器をもちいるのではないかという予測も、日増しに現実味のあるものとしてもたげてきているもようである。極超音速兵器はすでにつかわれたことをロシア側も発表したし、バイデンもそれをみとめた。東部スムイの化学工場が攻撃されてアンモニアが流出したという事件が二日くらいまえにあり、ロシアはこれをウクライナ民族主義者による挑発行動であると主張したのだが、それはみずからが化学兵器をもちいるための下準備ではないかということがいわれている。とにかく、国家のレベルで、ひたすら嘘をついて強弁すればどうにかなるという世界になってしまったことがいちばんゆるしがたい。

  • 瞑想中。なにがしかの感興はある。

出勤まえにまた瞑想。六時二〇分ごろまで。目をつぶるまえにレースのカーテンを透かしてみたそとはいまや暮れがたの濡れたような青さで、尋常な暮らしかたのひとは家にかえってくるころあいだろう、車を降りたあとに鍵が自動で閉まるピッというおとや、砂利を踏むあしおと、おとなと子どものやりとりの声などが窓外からきこえてきて、薄暗くなりつつあるなかに暖色をおびた家の灯が点じられているさまがまなうらにしぜんと喚起される。空を行く飛行機のくぐもったひびきがとおくで鳴っていた。すわっているあいだに飛行機のおとがつたわってくることはよくある。深夜にもある。さいしょは空間のさきでうねりこもっている風の鳴りとききわけがつかないような具合だが、しだいにひびきは独特のゴウンゴウンという重さでとおくというよりはたかくに定位される。このときは直上付近にもやってこず、とおいままにじょじょに消えていった。

  • 「台所の母親は、畑の野菜をとってくれるのはいいがこれをやるのが(つまり料理するとか処理するということだろうが)たいへんだ、とか、お父さんが畑できなくなったらどうするんだろうとおもうよ、わたしはやりたくない、あんなにものを増やしちゃって、身辺整理、生前整理のことがすごく気になる、ともらしていた。いちにち一回、とまではさすがにいかないかもしれないが、三日に一回はこういうことをもらしているのはまちがいない。父親にはたらいてほしいということは、これはほんとうにまいにち言っているとおもう。「繰り言」ということばのこれいじょうなくただしい例だ。このことばがさししめす事象のニュアンスがじつによく理解できる」ということで、先日書いたのとおなじことが記録されている。
  • 往路。よく書いている。

六時四五分か五〇分ごろに出発した。玄関を抜けてポストをみると、夕刊および母親がメルカリで買ったとおもわれるなんらかの包みがとどいていたのでそれらをもって階段をのぼり、戸口まで出てきた母親に包みをわたし、夕刊の一面の見出しだけちょっとながめた。そうしてみちへ。すでに七時とあれば大気は宵、空はあかるくもなく硬質な暗色中に藍のいろみがわずか感知されるのみだが、昼間の雲は去ったのか、星はそこそこはっきりと散ってうつる。坂道を行くととちゅうで路上になにか落ちている影がみわけられ、すぎながら木片のたぐいか? とみおろした直後、カエルだ、ときづいてちょっとながめた。とはいえ眼鏡をかけてもいないし、片側がひらいて空と山とが露わとはいえ木の間のみちは薄暗く、またカエルのようなものはまったくうごかず生命の気配をただよわせないのでほんとうにそうか確言できない。死んでいたのではないか。ウシガエルほどはありそうな、そこそこのおおきさだったが、足らしきものもみえるそのかたまりの端は黒い液が路面をちょっと濡らしているようにもみえ、だから車に轢かれてすくなくとも足のほうはつぶされていたようにおもえる。こときれていたのかもしれない。はなれてしばらく行ったあと、背後から車が一台やってきたが、それに踏まれていよいよひしゃげて趣味のわるい死体となったかどうかは知らない。

街道までくるとみちのさき、ちょっとくだってかくれているそのむこうから自動車はつぎつぎとあらわれて、どれも二つ目のひかりをびしゃりとあびせるようにつよい砲火をまきちらしてきて、ながれる風に目をほそめればただでさえ膨張的なひかりはとたんに触手を生やして伸ばし、百合の花の茎のようにほそくとがった何本もが好機とばかりにいきおいづいてひとみに迫ってくるそこへ、街灯もおなじようにくわわって目にふれる。車のライトのいろは意外ととりどりで、だいたいは黄ともオレンジともいえないものをうっすらはらんだ暖色であり、白いあかりはめずらしいものの、暖色灯のなかでもおのおの濃淡は微妙にちがう。歩道拡張工事の場所ではコーンのあたまに保安灯がともり、赤やら黄やら緑やらをこまかく交代しながら点滅させて、つらなりのぜんたいとしては金平糖がはねるような跳躍感で光点を散らし、オレンジ色のネットにかこわれた溝がそこにあることを知らせている。道路のさきをみとおせばとおくに車のヘッドライトがせまく接して行列をなし、ちかづいてくればしだいに距離をはなしてひとつの車体に変わっていくが、夜道を切ってわたるひかりのいろがあかるすぎるためか、ひとつひとつの車のいろはあとからおもえば意識にのぼらず、すこしも気に留まらず、そのなかからぬけだして路肩に停まった一台の、つるつると光沢をおびた真赤だけが確たる認知のあいてとなった。降りたのは年嵩の女性で、そこにある家の戸口に行って、ごめんください、~~ですと名乗っていた。

バッグはみぎの手首にかけて両手はコートのポケットにはいり、そのときの手はいつも気づかないうちに握られているのがつねである。コートならよいが、私服でズボンのポケットにいれたときなどは、拳が生地をふくらませて野暮ったく、あまり見栄えはよくないだろう。しかし手を平らに伸ばしても、すぐにまた勝手に丸まっているのがいつものことだ。裏路地にはいると左右の家からおもいのほかに灯はもれない。公営の集合住宅はいくつもならんだ窓にそれぞれの生活があらわれているのがみてとれるが、庭のある一軒家はもちろん戸口や、植えられた野菜のあいだなどはともっていても、そとからみてひと気をはらんだひかりが窓にあらわれている家ばかりではない。みちの右側にはさいきん建設中の一軒があり、あたまにライトをつけた人足がひかりをあちこちうごかしながら脇にとまったトラックのうしろにのぼり、また出てくると敷地にもどって家屋の横のすきまに行ったが、家のまえの駐車スペースになりそうな場所には格子状の、側溝の蓋をもっとうすくひろくしたような金属板がいくつか敷かれているらしく、人足がうつむき気味のあたまであしもとを照らしながらそのうえをあるくとシャンシャンいうようなふれあいのひびきが静寂の夜道にひろがった。

車のしたにいた白猫はこちらのあゆみをききつけて、ミャー……といっかいのみながく鳴きながら、みちに出てきて足もとに寄ってきた。しゃがんでからだやあたまを撫でてやったが、それから猫はそこの家の敷地にすこし進入し、ごろんところがって腹をみせたのだけれど、わずか二、三歩程度とはいえひとの家の範囲にはいりこんで、しかもそれとはまたべつのひとの家の猫を愛でるというのも気が引けたので、きょうはたわむれは短時にとどめてたちあがりさきを行った。猫にふれているあいだから二軒ほどさきの家の戸口にひとが立って訪問しているのがみえており、声もうごきもなかったのがあるきだしたところで、四千何円です、ありがとうございました、みたいな声がきこえたので、ピザかなにか取ったものらしいとみてすぎた。バイクもあった。そこからもうすこし行けばハクモクレンの木が花をふくらませつつあり宵闇にかたちをややおぼろにした白の玉が群れで浮かんでいるが、きのうの昼間にもこれは目にして、そのときは電球やら虫を籠めた繭やら、あるいは無数の固形石鹸が枝先につきささったようだなどと比喩をいくつかよびよせて、まだ満開までひらいた花はないくらいで球や楕円の気味がつよいひと揃いのいずれ見事ではあるものの、きれいやうつくしいというよりは、一種の奇観にちかいなとみあげておもったものだった。坂を横切ってまた細道にはいってしばらく、左方の裏にもうけられたちいさな踏切りのそばにたびたび風を受けてさらさら鳴りを吐きおろす大樹があり、いまはしずまっているけれど、みあげればその樹冠の夜空に黒々といっそう厚くちからづよく、もくもくと煙じみていて、まさしく巨大爆弾が破裂したあとのきのこ雲のようだった。

  • 覚醒・起床は九時ごろ。起きた瞬間から左手の感覚がちょっとしびれているような、しびれまでは行かないとしても腕をうごかすと角度によって手のひらや手指がきしむような感じで、これをどうにかしないと支障なく文を書くことができないのだが。難儀だ。腕を揉んだりしてもなかなか解除されない。鼻から深呼吸をしばらくやっていちど床を抜けて、水を飲むと用を足し、洗濯をはじめる。このときはまだそこそこあかるさがあったので洗ったのだが、干すころにははやくも空は白く曇っており、青味は濁りとしていくらか混ざるばかりで、午後二時半現在だとかなり薄暗く、いましがたこれは雨のながれだなと、もう入れてしまおうとおもって取りこんだが、じっさいちらちら舞うものが宙にはじまっていた。デスクライトをつけているくらいの暗さだ。寝床にもどるとChromebookでウェブをみたり、日記を読んだり。往路をあれだけ書けているのはうらやましいところ。正式な離床は一〇時四〇分ごろになった。水切りケースのなかをかたづけてプラスチックゴミをスリッパの足でつぶして始末し、きょうも温野菜をこしらえて食べる。チンゲンサイブロッコリーもなくなったのでいつもどおり、キャベツ・白菜・豆腐・ウインナー。それを食ったあとから椀に米も入れ、それで釜の中身が尽きたので、スチームケースをさきに洗ってかたづけるとともに釜に水をそそいでおき、納豆ご飯を食す。そしてバナナとヨーグルト。食後は歯磨きをしたり洗い物をしたりしながらだらだらとウェブを閲覧し、一時前で寝床へ。しかしたたみあげていた布団をおろすとシーツのうえのこまかなゴミが目についたので、いったんはがして窓外にもっていき、洗濯物の脇でバサバサやって埃を空中に逃がす。もどると敷布団のうえにもゴミがころがっているので箒をもってきていくらか掃き、寝床をセッティングしなおして横になった。さいしょのうちはまたウェブをみていたが、そのうち龍口直太郎訳『フォークナー短編集』(新潮文庫、一九五五年)を読みはじめた。さいしょの「嫉妬」というのはみじかいし、嫉妬にかられた旦那がじぶんが経営する料理店のボーイである若い男が妻と関係を持っていそうなのに狂って最終的にそいつを殺すというだけのちょっとしたはなしで、さいご殺人にいたる構成も説話的構造として尋常で(夫は殺意をいだきつつも、新天地であたらしい生活をはじめようということで土地をはなれることを決め、妻や親族もそれを了承し、店はくだんの青年にゆずることとなって、かれが奥様に餞別の品をというのでふたりして骨董品店にやってきたところ、そこにあった古銃を目にして、もうあしたにはこの土地をはなれてこいつと会うことも二度とないんだからとおもいつつも殺してしまう)、さいご殺すにしても殺さないにしても、やめようとおもったところで事故的に殺してしまうにしても、銃の暴発とかでじぶんが死ぬことになるにしても、おさまりのよいところにおさまらざるをえないというかたちになっている。二篇目の「赤い葉」というののとちゅう、44までいま行っているが、こちらはインディアンの一族と黒人奴隷が出てきたり、三代つづいている首長一家の歴史が手短かに語られたり、さいしょの首長となった男がニューオーリンズでうさんくさいようなフランス人と知己になって庇護を受け、金持ちの家の娘が出奔的に首長となったかれに嫁いでいったりと、こりゃフォークナーですわという意匠になっている。はしばしの描写もけっこういい感じでちからがはいっている。ふたりのインディアン(というのはいまではもう差別語だとおもうが)の微妙に迂遠なような、要領をえているのかえていないのかわからないようなやりとりなんかも特徴的。二時半くらいまで読んで起き上がり、ここまで記して三時直前。そとを行く車のタイヤ音に水気がもうふくまれている。

EU Commission President Ursula von der Leyen said the EU would work to find 16,200 Ukrainian children deported to Russia. Calling it a reminder of “the darkest times in our history,” she said only 300 have been returned so far.

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Hungary would not arrest Putin if he entered the country, prime minister Viktor Orbán’s chief of staff said.

Finland’s president, Sauli Niinistö, signed legislation to make his country part of the North Atlantic Treaty Organisation (Nato). Last year, Finland sought to join the military alliance in response to Russia’s war in Ukraine, and legislation incorporating Nato’s founding treaties was passed in parliament in Helsinki on 1 March.

The UN nuclear agency’s chief said that the situation at Ukraine’s Zaporizhzhia power plant “remains perilous” after a Russian missile strike this month disconnected the plant from the grid. Europe’s largest nuclear power plant needs a reliable electricity supply to operate pumps that circulate water to cool reactors and pools holding nuclear fuel.

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Spain’s prime minister, Pedro Sánchez, said on Thursday he would discuss a peace plan for Ukraine with the Chinese president, Xi Jinping, during an official visit to China next week.

Testifying before a special House committee at the beginning of Ramadan, Gulbahar Haitiwaji, a Uyghur woman, said that during her nearly three years in internment camps and police stations, prisoners were subjected to 11 hours of “brainwashing education” each day. It included singing patriotic songs and praising the Chinese government before and after meals.

Haitiwaji said detainees were punished for speaking in Uyghur and endured routine interrogations during which they were hooded and shackled to their chairs. On one occasion, she said, she was chained to her bed for 20 days. Female prisoners were told they would be vaccinated, when they were being sterilized.

“There are cameras all over the camp,” Haitiwaji said. “Our every move was monitored.”

She said in written testimony that after her head was shaved, she had a feeling of “losing my sense of self, losing my ability to even remember the faces of my family members”.

A campaign by her family and advocacy by the French government led to her release in 2019. Emaciated, she was encouraged to eat so she wouldn’t appear to be malnourished when taken to France. Before her departure, Chinese officials issued a stark warning to Haitiwaji: “Whatever I had witnessed in the concentration camp, I should not talk about it. If I do, they said they will retaliate against my family members back home.”

But Haitiwaji refused to remain silent and published a book about her experiences in 2021. For doing so, the Chinese government has labeled her a terrorist. Since then, she has not been able to contact her family still living in China.

  • 三時のあとはまたごろごろする。布団をたたみあげたりおろしたりするのがめんどうなので、床のうえに直接座布団二枚と枕を置いて、そのうえにからだを乗せた。ながくごろごろしながら脚を揉んだり振ったりして、からだはあたたまったしけっこう良い感じではあるのだけれど、どうしても左腕がきしんで書きものがしづらい。五時過ぎで起き上がって二食目。というかそのまえにトイレに立ったときだったか、米もあたらしく炊きだしたので、それを待ってふたたびごろついたかたち。二食目も一食目と変わらん。それでも飯はうまい。食事後は歯磨きをはやばやと済ませ、洗い物はまだかんぜんにはかたづけておらずいまながしに浸かっているが、ウェブをみたり、Woolfの英文を音読したり。無声音でボソボソ読みながら手のゆびをストレッチしており、そのおかげでいまこうしてたしょうは書けている。さきほど一五日と一六日の記事を投稿した。そのかたわらきのう録ったギター演奏27番(https://note.com/diary20210704/n/ndf428931b7f4(https://note.com/diary20210704/n/ndf428931b7f4))を聞いたがまあけっこうわるくない印象で、そもそもこういうたぐいの演奏で良い悪いもよくわからんのだが、二七分間中断せずにひとりでずっと弾きつづけているだけでもそこそこひとつのものかなという気はする。ただきょう左手がきしむのはきのうギターを弾いてしまったせいかもしれない。洗濯物はとりあえずジャージだけはたたんで、ほかのやつらもとうぜんからっとは乾いていないのだけれど、湿っているというほどでもないし、吊るしていてもしょうがない気はするのでたたんでしまったほうがよいか。あと米が尽きた。そのほかトイレットペーパーもなかったり、ティッシュや洗剤も尽きかけているので、のちほど買い出しに出たいところだが。あと醤油。豆腐も。

Japan’s national broadsheets all ran with Kishida’s visit as their top story. The Asahi Shimbun newspaper said it “applauded” Kishida for making the visit despite the clear security challenges, adding that Japan should continue to provide non-lethal support to Ukraine “as a peace-loving nation”.

It noted that it was “highly” unusual for a Japanese prime minister to visit a country while it is at war, and speculated that Kishida had concluded that he had no choice but to demonstrate his support for Ukraine with a face-to-face meeting with its president, Volodymyr Zelenskiy, before Japan hosts the G7 summit in Hiroshima in May.

Kenta Izumi, head of the main opposition Constitutional Democratic party of Japan, praised Kishida’s visit – speculation over which had been building for months – but said he should report back to parliament soon, according to the Kyodo news agency.

Ministers normally have to receive parliamentary approval for overseas visits when the legislature is in session, but Kishida’s ruling Liberal Democratic party said pre-approval was not necessary this time given the security concerns.

  • さていま一一時直前。一八日土曜日の記事を書き終えた。たぶん八時ごろから書きはじめて、とちゅうでいちど寝床というか座布団のうえに逃げてうえの英文記事を読んだりしていたのだが、その後ふたたび書き出してみると左手の違和感もほぼなく、書いているあいだにゆびがほぐれてくるような感じでけっこうがーっと行けて、けっきょくはやはりごろごろして下半身をほぐすのが最強だということなのかもしれない。そのさいただふくらはぎを揉むだけでなく、脛を振るのも大事だなと気づいた。気づいたというかまえにも実感していたのだけれどそれを再実感。脛を振ると首のほうまで振動がいってそっちのほうもやわらぐので。きょうはこのあとまたすこし休んでからソウルフルスーパー(……)に行きたい。あしたは(……)くん・(……)・(……)と(……)の(……)家で会うことになっている。なので今夜はもうこれいじょう書かず、帰ってきたらよく休んで身をやしなうことを優先したほうがよいだろう。あと記すべきはまずひとつ月曜日の勤務だが、これはもう記憶もうすいのでまあてきとうでいいかなという感じ。もうひとつがおととい行った美容室でのことでこちらは書くことがたくさんありそうだが、それらが済めばいちおうかたづいたということにはなろう。しかしあした出かけるのでまた書くことが増えるが。
  • (……)さんのブログから。したのやつは不意打ちでマジでクソ笑ってしまい、咳きこむくらいだった。

 けれどもこの栄光と光明との発作から、マルシアルは自分がかつて栄光を持った、栄光を所有しているのだという揺るがし難い確信を保ち続けた。人々が彼を認めるか、認めないか、それはほとんど問題にならない。彼はこのことに関してベルクソン氏の「精神的エネルギー」についての本の一節を好んで引用する。「ひとが讃辞や名誉に執着するのは自分が成功したという確信が持てない、まさにその度合に応じてのことである。虚栄心の根底には謙遜があるのだ。自分を安心させるためにこそ、賛意を求めるのだし、自己の作品のたぶん不十分かも知れぬ生命力を支えるためにこそ人々の熱烈な崇拝でそれを取り巻いてやりたいのだ、ちょうど早生児を綿でくるむようにして。だが生きる力を持った永続しうる作品を生み出したことを確信する、絶対的に確信する人、その人はもはや讃辞などどうでもよく、栄光を超越していると感ずるのだ、なぜなら自分が栄光を持っていると知っているからだし、彼が感じている歓喜は神にも似た歓喜だからである。」マルシアルはたしかに他にも本を書いているが、しかしそれは最初の作品より優れたものを作るためではない、絶対というものにおいて進歩はないのだし、彼は一挙に栄光の絶対を手にしたからだ。それら新しい著作の数々はせいぜい、無知で遅れている大衆が最初の本を読んでその光輝を見てとる助けになるだけだろう。
ミシェル・フーコー豊崎光一・訳『レーモン・ルーセル』よりピエール・ジャネ「恍惚の心理的諸特徴」)

     *

 授業を終えて教室を出る。大学の外で(……)くんとばったり出くわす。これからひとりで兰州拉面を食いにいくところだという。門の外で別れてバスに乗る。帰りのバスはほぼ満席。最後尾の座席にすわっていたのだが、こちらの左隣に座っていたおっさんが途中、普通にクソでかい音で屁をこいたので、おもわず「え?」と口に出してふりむいてしまった。その後、災厄のごときにおいが漂いはじめたものだから、やる気をなくして書見も中断。ほんまやってくれんな。きのう「(……)」でエレベーターで一緒になった他人が屁を置き残していく場面を書いたばかり。


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  • 日記読み: 2022/3/24, Thu.
  • 「読みかえし」: 1311 - 1314
  • 「ことば」: 1 - 3