2023/3/26, Sun.

 死という節目は、遺産と追憶の出発点であり、死者を悼む行為はあらゆる文化の源である。それはぽっかりと口をあいた空白、突然襲った静寂を歌や祈りや物語で埋めようとする行為で、その時死者はもう一度甦る。あたかも鋳型と同じように、喪失の体験は亡き者の輪郭を浮かび上がらせる。哀悼のうちに死者が美化され、渇望の対象と化すことも稀ではない。ハイデルベルク大学のある動物学教授は、『新ブレーム叢書』の一冊の前書にこう記している。「失われたものに今あるものよりも価値を(end13)置くのは、理性では理解しがたい西洋人の特性の一つであるらしい。そうでなければ、そもそもフクロオオカミに端を発するあの奇妙な熱狂は説明がつかない」
 過ぎ去りしものをつなぎ止め、忘却をくい止めるための方法はじつに多様だ。伝承を信じるなら、私たちの歴史の記録は、ペルシャ人とギリシャ人の間で長くつづいた破壊的戦争とともに始まったのだし、今日ほとんど忘れ去られている記憶術の発端は、多くの死者を出した事故だった。紀元前五世紀初頭、ギリシャテッサリア地方で家屋が倒壊し、祝宴に集まっていた人々が下敷きになった。唯一の生存者であったケオス島の詩人シモニデスは、その訓練された記憶の力を借りて、記憶の中であらためて倒壊した建物内に入り、来賓たちの席順を読み上げることに成功した。おかげで瓦礫に埋もれ変わり果てた遺体の身元を確認することができた。死者が二度と取り戻せない失われた者と呼ばれることで、その喪失の悲しみは倍になると同時に半分にもなるというのは、生か死かの二者択一に内在する多数のパラドックスの一つだ。それに対して、行方不明者や失踪者の曖昧な運命は、胸苦しい希望と禁じられた弔いの悪夢の中にその家族を封じこめ、その体験を乗り越えることも、人生を先に進めることも困難にする。
 生きるとは、喪失を経験するということだ。未来はどうなるのだろう、という問いは人類そのものと同じくらい古い。だが変えようのない、私たちを不安にする未来の特徴とは、それが予測可能性の外にあり、したがって死がいつどのような状況で訪れるのかも闇の中だということにある。甘くて苦い苦悩の先取という防御魔法を知らない者がいるだろうか。心の中で先取りすることで、恐れていることを防ぎたいという抑えがたい衝動を。惨事を予測し、あり得べき被害を想像することで、最悪の事態に対して心の準備ができていると思い込むのだ。古代において、夢は慰めを約束するものだった。ギリシャ人たちはそう言いふらした。夢は神のお告げと同じように、来るべきものを予告してくれる。それによって未来を変えることはできないが、予想外の出来事に驚かされることは防げる。死への不(end14)安から命を絶つ者は少なくない。自死は、未来の不確実性に打ち勝つためのもっともラディカルな手段のように映るのかもしれない。もちろん生存を短くすることと引き換えにだ。言い伝えによれば、アウグストゥス帝がかつてサモス島でインドの使節から贈られた献上品の中に、トラ一頭、手の代わりに足を器用に使える腕のない少年、そしてバラモン階級出身のザルマノケガスという名の男がいた。彼はそれまでの人生が望み通り運んできたというまさにその理由で、自ら命を絶とうとしていた。今後予想外のことに遭遇しないことを確定するために、彼はアテネで身体を香油で清め、全裸で笑いながら炎の中に身を投げた。こうして彼は間違いなく苦しみに満ちた焼死を遂げ、自ら決めた死の演出とともに、歴史の一部になった。かつて八十巻から成っていたカッシウス・ディオの『ローマ史』の一冊に出てくる奇妙な逸話として、その内容が偶然後世に伝えられたにすぎないにせよ。結局のところ、現在あるものとは残されたものにすぎない。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、13~15; 「緒言」)



  • 一年前よりニュース。

(……)新聞をみると青山真治の訃報が載っていてちょっとおどろいた。映画も小説もふれたことはないが。ガンで闘病していたらしい。国際面をみるに、ロシア政府内部でいくらか異変があり、情報機関でもいちぶがクーデターも辞さないというかまえになってきているという観測があるという。セルゲイ・ショイグ国防相も二週間くらいすがたをみせておらず、ロシア大統領府は安全保障会合で発言するかれのようすを画像だか動画だかで発表したのだが、調査報道を専門とするメディアによると不自然なぶぶんがみうけられるという。国際機関との交渉をになう大統領特別代表みたいなたちばのひとはウクライナ侵略に抗議し、辞職して亡命したといい、このひとはエリツィンのときに副首相をつとめていてもともとリベラル派と目されていたらしい。はやくプーチンをどうにかして政権が終わるとよいのだが。プーチンに情報をあげていた情報機関(FSB=連邦保安庁)の幹部なんにんかは軟禁されているらしい。

  • 風。

そういうわけでそのあとはまた脚を足で揉みながら書見した。レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)はずっとおもしろく、おもしろくない章がない。一時五分ごろから二度目の瞑想。瞑想といういいかたもやはりぴったりこないので、静坐と言ったほうがよいのだろうか。それもそれでそんなにぴったりはこないが。このときすわっているあいだに、大風が吹いたときがあった。かなりとおくでひびきがはじまったのをすぐに感知して、さいしょは飛行機のあらわれかともおもって判別できなかったのだが、しだいにどうも風だなというきこえかたになってきて、だんだんとちかづいてくるそのうなりの迫りかたはずいぶんとゆっくりな、じわじわと時間をかけた移動だったのだけれど、そばまで来ると音響は例になくおおきく、津波でも来たのか地震でもつたわってきたのかというほどの激しさで、あたりの草木を圧迫したりものを落下させたり家々をガタガタいわせたりするのがききとれるものの、家は揺れても不思議とガラスはふるえずさわがなかった。去っていきおさまるまでもけっこうながかった。

  • 往路。けっこうな書きぶり。というか、この描写をちかごろ読んだな? というおぼえがあったのだけれど、なにかでブログを検索した機会に瞥見したのだった気がする。あらためてすべて引きはしないが、「生徒を変えようなどというのは教師の傲慢である。しかし教育とは、生徒を変えることいがいのなにものでもない。だから、教師は、生徒を変えるために、それをはじめからの目的としてあいてを承認するのではなく、ただたんににんげんとしてあいての現在を承認すること、それをつづけ、関係をきずくことで、生徒を変えなければならない。偶然の変化がそこに呼び寄せられることが可能であるようなスペースを、余地をひろげ、つくらなければならない。そこにじっさいに変化がまよいこんでくるかどうかは、偶然である」ということばで締めくくられる一段を、何か月かまえに検索して引いたような記憶があるので、そのときついでに目に留まったのだとおもう。

(……)コートがなくてはさむいかとおもっていたのだが、そとに出れば風のつよいわりに大気の質感じたいはおだやかで、ながれるものの感触もかるくやわらかく、駆けたとてつめたさにむすぼれることのない、たましいをすくいとっていくような春の風だった。路上にはそれによって剝がされた杉の茶色い枯れ葉やら、なにかべつの緑葉がついた枝片やら、また木からいくつも落とされた柑橘の黄色い実などが散らかっていた。空は端まで雲につつまれかさなりが薄く灰色がかり、風はやわらかくとも厚くはやいから雨が来てもおかしくなさそうとみれば、はやくもあるいているあいだに落ちてきて、はじめはいたいけなはぐれ粒だったがすぐに少々数を増し、ななめに飛ばされて路面にぽつぽつ模様をつけながらもこのときはまだ盛らずに、降りになるまえにとどまった。

十字路にかかればちょうど風が木立のあたまを薙ぐようにゆがめて、坂に折れるとその風からわかれたなかまによって落ち葉たちがぱちぱちとおとを立てて一斉に、回転しながら走りおりてきて、小学校の運動会にでもありそうな全員競走の様相、しばらくのぼっていくと前方に、家の入り口で木立がとぎれひらかれたその縁に立った一本が、やはり風に揉まれてもだえるように枝葉をこまかくまわしているのがみあげられた。出口てまえの右手の壁にはのり面のくぼみに雑草があつまっているが、そこを風がびしゃっと通るさまが草の折れるののつたわりかたでみてとられ、バケツからみずを投げ捨て撒き散らすときのようなすばやいいきおいの通過だった。

最寄り駅では桜がいくらか咲いていた。といってまだにじんだ程度の、溶けかけのシャーベットがのせられた程度の風情ではある。時間はもどるが坂下の、公団に接した小公園の木も花はまだだがつぼみにいろをためつつ枝のうえに整列させていた。階段通路をとおってホームにむかうと、駅の反対側ではもうそれなりにいろの揃った桜木も一個あり、ホームのさきのほうに出て見れば、丘のてまえの家の敷地にはあれは桜ではないとおもうのだけれど、丸く刈りととのえられたちいさな庭木の、鈍い葉叢の端からはんぶんくらいがいろを横から吹きつけられたように、黴が生じて浸食しているように、桜によくみられるあの浮遊的な薄紅色に、和菓子めいてかすかに甘さの香るような粉っぽい淡色に染まっていた。

風はここでもたいそうつよく、丘のふもとの家の脇にある樹々など風の切迫に横から追いまくられてみどりの葉叢の数本がぐわっと押したおされるようにかたよっており、荒れ狂った、といってよい激しさの吹きつのりだった。電車に乗って移動し、職場へ。(……)

  • 帰路のこれも読んだおぼえがある。

八時半ごろの退勤だったか? もうすこしはやかったか。職場を出たとたんに雨がぱらつきはじめ、しかも駅に行くまでのあいだにすばやく勢力を拡大し、本式の降りになってきたのでコンビニで傘を買ったほうがよいかもしれないとまよったが、最寄り駅についたときに止んでいる可能性もあり、降られるか降られないか運否天賦にまかせようとさだめて改札をくぐった。しかし、通路を行くあいだにも屋根を打つ雨粒のおとは盛んにひびき、ホームについてベンチにすわるとさらに嵩増して、しばらくはげしい音響がつづいて目を閉じている顔に水粒がちょっとふれてくるくらいだったので、これはどうも止まないのではと負けをおもったが、まもなくピークは過ぎて電車に乗ったころにはだいぶ弱くなっていたようだ。瞑目して休みつつしばらく待ち、最寄りで降りてみても、まったく降っていないわけではないがたいした量でもないので、まあ賭けには勝ったと言ってよいだろうと判断した。しかし駅を抜けて街道に出るあいだにもまたちょっと粒が増えたりして、変化のこまかくておちつけない雨である。とおりすぎる車のライトが黄色くひらいた空間のなかに雨線の軌跡が詰まっているが、意に介さずに街道をあるき、「(……)」のまえの自販機でコカコーラゼロの缶をひとつ買った。それからひきかえして駅正面の木の間の坂にはいる。このころにはまた止みかかっていたが樹冠のしたにはいれば枝葉からしたたる粒のためにかえっておとは繁くなり、しかもしたのみちに出て行くうちにまた本降りになってきて、それでも急がずに頑迷とも言える態度で一定の速度を踏みつづけたが、だから賭けは最終的には引き分けというおもむきになった。この日、来週の労働が増えてしまうことが判明し、月曜から木曜までずっとまいにち三コマという絶望的というほかない状況におとしいれられてしまったのだけれど、帰路をあるくあいだはそのことをかんがえていた。そのことにうすい怒りはおぼえるが、それは(……)さんがわるいわけではない。(……)さんに怒りをおぼえるのではなくて、そのことじたいに怒りをおぼえる。怒りをおぼえるのは正確にいえばはたらかなければならないことではなく、それによって記したいことを満足に記すことがますますできなくなるという予測にたいしてである。それもだれがわるいわけでもなにがわるいわけでもない。こちらじしんがまったくわるくないとはいえないだろうが、かといってとりたててわるいわけでもないだろう。世界が社会がわるいという観念的なロマン主義をとることもむろん可能だが、それはクリシェであり、とうぜんながらそういったところでなにをもとらえたことにはならない。とはいえ、ひとはつねに行為と行動に、やらなければならないことや、やるべきこと、やりたいことに追われている。ただ追われているのではなく、追いこまれ、追いまくられている。現代世界はそれがこれまでになく細分化され、ひとはより緻密なかたちで、芸術的なほどに精密なかたちで追われるようになったとは言えるのかもしれないが、しかし歴史上、大多数のひとが行為に追われるということはだいたいのところつねに変わらない状況だったのだとおもう。なにかしら、なにかのためにやらなければならないことがいつもあり、それをのがれることができたのは極々小数の特権者のみである。ひとはひたすらずっとやらなければならないことに追いこまれ、それによって心身や自己や主体や存在を支配され、占拠されてきた。それはとうぜんのことである。そして、そのとうぜんのことをおれはぜったいにゆるさんぞとおもった。ありていに言って、じぶんはいそぐことと焦ることがとにかく嫌いなのだ。急ぐことはまだよい。いそがされ、あせらされることがとにかく苛立たしい。やらなければならないことややりたいことややるべきことに囲いこまれて、じぶんの心身のなかに焦りの感触がはいってくることが嫌いである。いまの状況がまさしくそれである。日記をじゅうぶんに書き、書けることをできるだけ記録したいが、労働やらなにやらもろもろのやることや事情のためにそれが満足に果たせず、この不一致やジレンマによって怒りや苛立ちや欲求不満が生じ、焦りが生まれる。だれかやなにかやじぶんじしんや、状況や環境や条件の総体が、じぶんのなかにそういう感覚や心情や思考を発生させることを、おれはぜったいにゆるさない。現実にはそれは無理だが、ともかくも抵抗はしていく。いそがしい状況であっても、いそがしいという感覚によってじぶんの心身をかんぜんに占領されることをおれはぜったいにゆるさない。とにかくいそがしいとおもって焦りたくない。じぶんの心身がいそがしさに明け渡されることをどうにかして回避していく。どこかに抵抗のスペースをかたちづくり、そこを拠点にしてできるだけのことをやっていく。

  • いま午後八時四八分。きのうは(……)の(……)家にお邪魔して、二時半くらいから遅くまでいて帰りは零時ごろだったし、外出となるとからだをととのえることを優先して打鍵はしなかった。そのくせ行きも帰りも電車のなかでは小発作があったのだけれど、その疲労からかきょうもすぐには文を書く気にならず、この時間になってしまった。(……)家でギターをたくさん弾いたのでそのせいもある。左腕がきしんでいたのだ。いましがたは書きもののまえにとおもってひさしぶりに書き抜きをしたところ。中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)の、いぜんのつづき。また三分の一も済んでいない。いま借りている四冊は三一日が返却期限だが、とても終わるものではない。きょうの覚醒は九時ごろだったが、そこからかなりだらだら寝床にとどまって、離床のころにはもうほぼ正午だったとおもう。天気はひきつづき雨。花冷えというべきか、寒々しい空気のもどりで、ジャージのうえにダウンジャケットを羽織ることになった。ここまでほぼ籠もっているのでとくだんのこともないのだが、五時ごろに食った二食目に、きのう(……)家で(……)がつくってくれた煮込みうどんのあまりをもたせてくれたのをいただいた。パックにはいったのを鍋にあけて、うどんは生麺が一袋付属されてあったのでそれをくわえて煮込んだ。うまい。水分やエネルギーが渇れてきたからだにあたたかいスープをとりこむと安堵と充実のおだやかさがあって、味もそうだが熱そのものがうまく、それを食っているような感じになる。激しくはないもののしとしとと雨が大気をまとった日で、いまも降っているのか否か、目を閉じて耳を寄せてみたところでは音がキャッチされないのでもう止んだか、よほどかすかになったのではないかとおもうが、雨降りのわりに鼻水とくしゃみがよく出て花粉症は元気で、アレジオン20がもうなくなってしまっていたのでまた買わねばならんと、こんどはなじみのアレグラFXを買おうとおもい、三時過ぎに近間のストアにくりだした。きのう小発作があったところだし一錠しか飲んでいない状態で外出するのを気後れするこころがたしかにあったのだけれど、まあちょっと行くだけだしとジャージから(しただけ)ズボンにきがえてモッズコートを羽織ってそとへ。きのう(……)家でいただいたジンジャーエールの空ボトルをもってきたのをアパート横のボックスに捨て、道に出ると南方へ。雨は降っており、70cmの白いビニール傘をさしている。まちがえた、折れたのは左方ではない、ほんのわずかだが歩く距離を多くしようとおもってあえて反対の右へと路地を抜けたのだった。そうして左折し、てくてくあるいていって、T字ぶぶんの横断歩道に来るとちょうど青だったので向かいに渡り、もういちど左折、つまり南方へ。歩道を行く。向かいからひとが来ると、ふたりとも傘を差したまま歩道上をすれちがうのはすこしせまそうなので、そのたび車道の端に下りて場所をゆずりつつ通る。ストアは道路が股に分かれたそのあいだに中州のような位置づけとして存在している。そのいわば中之島に渡ろうと道路上にしるされた横断白線のほうに踏み出したところが車が来るのを察知したのでいったんはなれてさきに進み、車が過ぎてから白線のないところを渡って店へ。入り口の屋根のしたで傘をバサバサやり、薬を買うだけだからビニールはいいやとしばっただけで袋には入れず、くぐると足踏みペダルで手に消毒液を受けて、すぐ正面の棚にアレグラFXがこんかいは売り切れずいくつもあったので、そこに寄って二八錠一四日分のかるい箱をひとつ手に取り、それでもう会計とふりかえったところがレジにはなんにんもならんでいて、そこにくわわってならぶと待っているあいだに緊張しそうだったのでもうすこし空くのを待つかと無目的に通路にはいり、壁際をぐるっと一周するかたちで棚にぼんやり目をやりながら店内をまわっていき、そうするとふたりが会計を済ませているうしろにつけるタイミングだったのでレジ前で停止。ただふたりのうち奥のひとりは老婆でもたついており、手前の男性もカードをつかってポイントを消費したりしていて、そのわずかな待ち時間のあいだですらやはりすこし緊張したが。手前がさきに終わったのでそこにはいり、二〇〇〇円少々をはらって退店へ。緊張していたわりに礼を言う声が比較的しっかり出たが。財布と箱は上着のポケットに入れ、傘をふたたびひらいて駐車場に踏み出し、ではなかった、この帰路もほんのわずかだが遠回りしようとおもってもと来たほうとは反対側に向かったのだ。つまりストアの角を曲がってアパートから南の車道沿いを行ったということで、対岸には桜の木が一本あって、粉砂糖をかためてつくった風のまろやかないろあいを浮かべている。アパートの路地までそう遠くない。すぐにそこに着いて折れると、黒々としたアスファルトが水を溜めていっそう黒くなっており、こちらが行く道の端には道の中央部分からはみだしてきた水のすじが断裂的な複雑さで、これも真黒く触手めいてえがかれてあり、道路まんなかのほうではすぐさきの電柱とそのまわりの空がさかしまにうつりこみつつこれも水の溜まりのあんばいでぶつ切りにとちゅうを何度か消し去られている。もうすこし進むとしかし路面がもっとこまかくでこぼこした地帯にはいって、そうすると水もあまり黒々と凝縮せず、あたりの反映もばくぜんとする。公園内、向かいには桜の木が二、三ならんで満開の風情、ところが雨がありこちらでは身に風もふれてきていても、あちらでまるい薄紅色を雲めかしている花叢にうごきはみえず、直下には落花の粉がいくらか引かれているのがわかるがそこにくわわるひとひらもみえず、水を吸って花の色を重くしながら雨に耐えるというさまですらなく、超然としずまっていた。進んでこちらがわにも一本あらわれ、ここでは剝がれてゆるくながれる白さもありみあげればたしかに花満つは過ぎたようで、対岸よりも嵩がほそく色も白さに寄っているとみえ、白いレインコートをまとった高年がひとり正面で止まって目をあげていたが、それにならってこちらも過ぎながら顔をうごかせば花の色よりもむしろ濡れた幹がこんなに太かったかと、そちらのほうが新鮮で、またその色もぎゅっと詰まったつよい黒さ、まったくうつくしい比喩ではないが道端にころがったかわいた犬の糞のような、あるいは端的に鉛筆の芯のような濡れた真黒さで、それでいてどこか藍色めいた青味をふくんだ気配をまとわせており、過ぎてアパートまで行きながら、おとといの夜にスーパーに出たときも霊妙の印象を得たけれど、桜という連中もなにとはなしに薄気味悪いような、色とはべつに青白いような雰囲気や面構えをしやがる木だなとおもった。
  • 日記は一七日と一八日分を投稿。もう書き上げていたもの。おともにdiskunionのジャズ新着をのぞいてうえのほうに出てきたVince Mendoza『Olympian』をながしたが、グラミー賞の音ってこんな感じだよね、という感想。フュージョン的に上品にまとめて口当たりが良いというか。フィリップ・セスをおもいだす。書き抜き中もながしたが、七曲目だったかですこしフリーっぽくやたらブロウしまくっているやつがいて、Chris Potterが参加しているというからかれかな? とおもったのだけれどアルトの音だったような気がする。David Binneyもいるというのでそっちだな。


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  • 日記読み: 2022/3/26, Sat.
  • 「読みかえし2」: 1318 - 1324
  • 「ことば」: 1 - 5, 12 - 16


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  (目――)

 目――
 土砂降りの雨で ほのかに光る、
 神がぼくに飲むように命じたときに。

 目――
 夜がぼくの手の中に割り当てた黄金、
 ぼくがいらくさを摘み、
 そして 文句たちの影を掘り起こしたときに。

 目――
 ぼくのうえで輝きはじめた夕べ、ぼくが門を開け(end102)
 そして ぼくのこめかみの氷でぼくが冬となり
 永遠の村たちを駆け抜けたときに。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、102~103; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「夜の茎たち」)

     *

  永遠

 夜の樹の皮よ、錆びついて生まれたナイフたちが
 お前に囁く、あの名前たちを 時を そして心たちを。
 ぼくたちがそれを聞いたときには眠っていたひとつの言葉が
 葉蔭にすべりこむ――
 秋は 雄弁になるだろう、
 秋を拾いあげる手は もっと雄弁に、
 その手に接吻する口は 忘却の罌粟のように 瑞々しく。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、104; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「夜の茎たち」)

     *

  磯波

 お前が、時刻よ、砂丘ではばたく。

 時は、細かな砂でできていて、ぼくの腕の中で歌う――
 ぼくは 時に添い寝している、右手にナイフをもって。

 さあ、泡立て、波よ! 魚よ、こちらへ来る勇気をもて!
 水があるところで ひとはもう一度 生きられる、
 もう一度 死と声を合わせて 世界をこちらへ歌い寄せる、
 もう一度 切り通しから 叫べる――ごらん、
 ぼくたちは庇護されている、
 ごらん、陸地はぼくたちのものだった、ごらん、(end105)
 どんなにぼくたちが星の行く手を遮っていたかを!

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、105~106; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「夜の茎たち」)

     *

  (心臓と脳から)

 心臓と脳から
 夜の茎たちが 生え出る、
 そして 大鎌たちに語られたひとつの言葉が
 その茎たちを 生のなかへ傾ける。

 その茎たちのように押し黙って
 ぼくたちは 世界へとなびく――
 ぼくたちの眼差しは、
 慰められるために 交わされながら
 手探りで進み、
 ぼくたちに こちらに来るように 暗く合図する。(end107)

 うつろな眼差しで
 いま お前の目は沈黙し ぼくの目のなかへ入る、
 さまよいながら
 ぼくは お前の心臓を唇に運び、
 お前は ぼくの心臓を お前の唇に運ぶ――
 いまぼくたちが飲むものが
 この時刻の渇きを静める、
 いまぼくたちであるものを
 この時刻が時に注ぐ。

 ぼくたちは その口に合うだろうか?
 どんな音も どんな光も
 それを告げるために ぼくたちの間にすべり込みはしない。

 おお 茎たちよ、お前たち 茎たちよ。
 お前たち 夜の茎たちよ。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、107~108; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「夜の茎たち」)

     *

  (お前が言葉に目眩まされ)

 お前が言葉に目眩まされ
 足を踏みならして 夜から
 影が先に咲く木を 生じさせると――
 その木をめがけて 灰の瞼が飛んでくる、その下で 妹の目は
 雪を いくつもの想いに紡いだ―

 いま 葉むらは充分だ、
 風の息吹や文句を推し当てるには、
 そして 星たちは、積み重ねられて、
 時の鏡の中に いま映っている。(end112)

 窪地に足を踏み入れよ、テントを張れ――
 彼女が、妹が、お前のあとをついていく、
 そして 死が、両の瞼の隙間から現れながら、
 歓迎のしるしに お前たちにパンを割り、
 お前たちのように 杯に手を伸ばす。

 そして お前たちは その死のために葡萄酒に味をつける。

 (中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、112~113; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「夜の茎たち」)