2023/3/27, Mon.

 すべてを保存する記憶は、基本的に何も保存していないに等しい。記憶術を使わずに、一九八〇年二月五日以降のすべての日を思い出せるという例のカリフォルニアの女性は、たえず雪崩のように襲ってくる自分の記憶のこだまから逃れることができない。彼女はアッティカの軍司令官、テミストクレスの亡霊だ。テミストクレスは故郷の町の住人全員の名前を言えたといい、記憶術者シモニデスに、自分が学びたいのは記憶術よりむしろ忘却術だと伝えたという。「記憶に留めておきたいことでなくても、私は覚えていることができる。だが忘れたいことを忘れることができない」 しかし、忘却術というのはあり得ない技術だ。なぜならすべての文字は存在を表しているからだ。たとえそれが不在を示す文字であろうと。ローマ帝国で「記憶の抹消 [ダムナティオ・メモリアエ] 」に問われた人物のほぼ全員の名前を、百科事典はちゃんと知っている。
 すべてを忘れるのはもちろん悪いことだ。だがさらに悪いのは、何も忘れないことだ。知ることは、(end15)まず忘れることによって生み出されるからだ。電力を消費するデータ記憶装置と同じように、もしすべての記憶が無差別に保存されれば、それは意味のない、使えない情報の無秩序な集積にすぎなくなる。
 もしすべてのアーカイブ施設が、その範となったノアの方舟 [アーク] のように、すべてを保存したいという願望によって支えられているとしたら、たとえば南極のような大陸であるとか月そのものを、あらゆる文化的産物を同等に陳列する中央的で民主的な地球博物館に作り変えようという、間違いなく魅力的なアイデアは、その誘惑的な理想像がすべての人類文化のイメージの中に温存されている楽園 [パラダイス] を再現しようとするのと同じくらい全体主義的なのであり、あらかじめ失敗する運命にある。
 基本的にすべての物はすでにゴミであり、すべての建物はすでに廃墟であり、すべての創造は破壊に他ならない。人類の遺産を保管していると標榜する各専門分野や公共機関のする仕事もまた同様である。考古学ですら、たとえどんなに細心の注意を払って過去の時代の堆積物を取り扱っていようとも、それは荒廃の一つの形にすぎない。そして資料館、博物館、図書館、動物園、自然保護区とは管理された墓所に他ならず、そこに保管されるものは、現在の生の循環から引きはがされたものであることが少なくない。そうしてわきへ取り除 [の] けられ、そう、忘れ去られるのだ。町の景色にあふれる、英雄的な出来事や人物の記念碑と同じように。
 故意に破壊されたにせよ、あるいは単に時の経過とともに紛失したにせよ、どれほど偉大な思想や感動的な芸術作品、どれほど革命的な偉業がこれまでに失われたかを人類が知らずにいるのは、おそらく幸福というべきなのだろう。知られざるものに口なし、と思うかもしれない。少なからぬ近代ヨーロッパの思想家たちが、周期的に起こる文化の滅亡を合理的で、それどころか救済的な措置と考えていたことは奇異に思われる。あたかも文化的記憶が一つの世界有機体であって、その生命維持機能は活発な新陳代謝によってのみ成り立ちうるのであり、新陳代謝のためには栄養摂取の前に消化と排(end16)泄が不可欠だとでもいうかのように。
 このように偏狭で独善的な世界観のために、未知の土地の躊躇ない占領と搾取、非ヨーロッパ民族の征服、奴隷化、殺戮、そして蔑視された原住民文化の抹殺が、自然の経過の一部と理解されたのであり、より強い者だけが生き残るという、誤って解釈された進化論のスローガンが、犯した罪の正当化に使われたのだ。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、15~17; 「緒言」)



  • 一年前からニュース。

(……)新聞一面のウクライナの報をみると、ロシアはキエフ侵攻は一時あきらめ、とおくからの砲撃はつづけながらも東部制圧を中心的な目標にする方針に切り替えたと。ロシア当局からも東部親露派地域の占領拡大をめざすという発表があったようだ。ドネツクでははんぶんくらい、ルガンスクでは九割くらいの地域をロシアが制圧しているもようで、それをさらに周辺にひろげることをもくろんでいるのだろう。戦争がはじまった当初はウクライナはもうだめなんじゃないか、キエフもとられて全土を支配され属国になるのではないかという悲観もあったわけで、そこからかんがえるとロシアの勢力はおもいのほかちいさくとどまっていると言えるのかもしれない。とはいえマリウポリは中心部までロシア軍がはいりこんだらしくもう制圧される気配だし、東南部は陸の回廊ができていてアゾフ海への接続は遮断されており、各地で攻撃もつづいているし、ロシアが行き詰まりを打開するために生物・化学兵器をつかうかもしれないという危険もますますいわれるようになっている。

  • 日記の書けなさについて。いまと言っていることが変わっていない。

いま午後九時半前で、帰宅してきて夕食を食ったあと緑茶を飲みつつ三月一八日金曜日の記事をつづった。ようやくこの日を終えられた。べつに書くことがおおかったわけではないのだが、ここ数日手近の日を優先してそちらのほうをさきに書いていたので、過去のほうにとりかかることができなかったのだ(しかも、そのくせしてここ数日のこともしあげられているわけではない)。そのつぎの土曜日はあと職場での会議のことくらいしかおぼえていないし、その翌日日曜日は友人とあそんだのでそこそこながくはなるだろうが、しかしもう一週間経って記憶はうすいのでそこまでにはならないだろう。月曜日はもうあきらめるとして、火曜日以降はそこそこ書いてあるので、日曜日までしあげればいちおうどうにかなる。しかしきょうはきょうで出かけてしまったから印象はおおい。しかし冷静にかんがえるとこういう悩みとかたいへんさって意味がわからんというか、日記に書くことがおおすぎてその時間がなくて怒りや苛立ちをおぼえるとか、一般社会からしてみればマジで奇特なかんじの心理じゃないかとおもう。こういう精神状態、あたまのなかにおぼろげにみえる書くべきことのその規模のおおきさに比して自由時間の幅がちいさく、その齟齬と不一致になやむ、要するにどうがんばってもわすれないうちに書ききることができないぞ、日々の書くことを満足に果たすことができないぞ、ということに苦しむという精神状態を体験したことのあるにんげんは、ほぼいないんじゃないか。日記でなく、ふつうの文筆のしごとだったり、まあもろもろの製作だったりいとなみだったりならおなじことはふつうにあるのだろうが。かなり馬鹿げているようにもみえるだろう。喜劇的で、滑稽ですらあるかもしれない。しかし冗談ではないのだ。多田智満子がなんという本だったかわすれたが、散文もはいった詩集で、じぶんのいままでの生をすべてくまなく書くということに取り憑かれてひたすらに書くのだが、書いているあいだにも生はもちろんすぎていってあたらしく書くことがつぎつぎに生まれるのでいつまで経っても追いつけず、死が来ないかぎり書くことを終えることができない、という男をモチーフにした小文を載せていて、それを読んだときにこれおれじゃんとおもったことがあったが、マジでわりとそういうふうになってきている。もう丸八年(二〇一三年からはじまったのでそこからだと九年だが、うつ病様態で死んでいた二〇一八年の一年をのぞいて八年)の習慣になるわけで、なまじそれで記憶力がよくなって書けることが増えてしまったのがまずかった。さいしょのうちはいちにち二〇〇〇字書くのにほんとうにひいひい言っていたはず。

  • 往路。充実しているといわざるをえない。

(……)たまにはちがうほうから行くかということで東へ。徒歩のときの出勤路である坂道の入り口のところでひだりに折れて、より小暗い木立のあいだをとおりぬけていく細い坂をのぼる。道のすぐ左右は林だったり草の繁茂する斜面だったりして、頭上はおおかた閉ざされているので薄暗くじめじめとしており、足もとの右脇には畑に植わった野菜のような幅広の葉っぱの植物や、ごくふつうの雑草や、いかにも水場に生えていそうな、ほそながくさきがちょっと尖った葉をあさいアーチ様に湾曲させているやつなどが群れている。とちゅうから道はさらにほそくなった坂の左右に階段が埋めこまれたようなかたちになり、まんなかの傾斜には苔がたくさん生えているので階段を踏むが、その旺盛な苔は錆びたような鈍いいろから、すすんで空のみえるあたりまでくると、火に焼けて香ばしくなったかのようないろあいに変わっていた。

街道に行き当たり、隙をみて北側にわたり、駅までぶらぶらあるく。マンションの脇の桜がそこそこ薄紅をはなひらかせており、したをとおりぎわにみあげれば枝先に花弁が充実して放射状にととのえられたところもあり、微小な毬というか万華鏡というかそんな風情もふくまれていた。駅前の一本も溶けかけたみぞれよりもうすこしたしかになっている。ホームへ。ベンチにすわってちょっと待った。風はきのうほどではないが盛んに吹き、宙にはこまかな虫も生じていて、線路を越えてむかいの段上の敷地には、まっすぐまえにまず梅があり、もう時季も終わりちかくてこずえの最上部に溶け残りの白さをわずかにとどめたのみであり、その左手奥には桜がいっぽんあって、こちらはこれからが盛りというわけでいろを満たしかかっているが、いずれも枝はやや左右にジグザグと振れながらも一様に天にむかって突きあがったさまであり、花の白さを添えられているのがその様相をなおさらきわだたせているのか否か、ともかく一斉に万歳を決めこんだようなすがたにあって、さらに風に感じてあたまのほうをゆらゆらわずかにゆらすので、奇矯な舞いを踊っているようでもあった。あたりからはビニール袋がガサガサいうおとがたびたび聞こえており、しかしものがみえずもとがつかめず、背後の駐車場に停まっている車かとか、あるいは屋根のうえにカラスがいてさわっているのかとかさがしていたが、じきにうしろの線路のかくれていたさきのほうから袋があらわれて、これが風にやられてころがっていたのだなとわかった。ときおり押されてレール上を回転するさまはすばやくもはげしくもなくじつに緩慢で、ぐるりとめくれていくようにゆっくりと、地をはなれず撫でるようなうごきであり、これもまた舞台上で演じられる一種のおどりのようだった。電車がやってくる時刻になるとたちあがってホームのさきに行き、しかし立ち尽くして待っていてもなかなか来ず、どうも遅れているようだった。空は雲にまったく閉ざされており、それも層が厚いようで、てまえに浮かぶくすんだ雲たちのあいまにのぞくかろうじての隙間もまた白く、うねりもところどころにあってまた雨が来てもおかしくはない。正面の丘の麓の一軒の脇であつまっているみどりのこずえたちは、きのうは暴風にたおされていてきょうはそこまでではないにしても、やはり風に横からおそわれてだいぶかたむきさわがされており、しかし不思議なことにそのむこうの丘を埋めている木立のほうは襲撃をまぬがれてまさしくどこ吹く風というしずかな顔、ゆれずまっすぐ伸びて整然とならんだみどりの炎の屹立だった。

  • この日は日曜日なので(……)に出向き、本屋に行ったり、(……)さんへの餞別の品および(……)さん歓迎の品を買ったり。

(……)北口広場から左方面に伸びる屋根つきの通路にはいる。モノレール駅からひとびとが階段をくだってぞろぞろ吐き出されているところで、かれらはおおかた屋根のあるぶぶんをたどるようにとおっていたが、こちらはわりとひろい歩廊上をななめに横切るかたちで空のしたに踏み出した。いくらか水は落ちていたようだが問題ではない。モノレール駅下の頭上を全面覆われた薄暗い通路を行きながら左にひらいた町並みをみれば、高架歩廊上を行くひとのなかには折りたたみ傘をひらいたがつよい風でとたんにそれを逆向きにめくりあげられたものもあり、さらにすこし行くとそとを伸びていく道路上には、いまちょうど信号が赤になっているところで左車線には赤い尾灯があつまってならび、右側では鼻面をみせた車が白いひかりをふくらませながらやはり整列しているその双方がななめの位置関係で対峙しており、道路上のたかくにはマカロンのようなかたちをしたオレンジいろの街灯が風通しよく間をあけて点々と浮かびつらなっているそのてまえを、歩廊上を行くカップルがひとつ傘をわけあいながらゆっくりと横にあるいてわたる、それらの光景がみずみずしくてうつくしく、映画の一景のようだなとおもった。

ビルにはいり、ガラスの自動ドアまえで手にスプレーをかけて消毒。(……)はいつも往年のモダンジャズをながしているのだが、きょうはそれがギターで、なかなか軽快にはやく弾く巧者の演奏で、おとのかんじにききおぼえがあるような気がしたのだがわからないし、ジャズギターの音色をききわけられるほどよくもきいていない。Jim HallとかKurt Rosenwinkelくらいならわかるだろうが。演奏のはやさや曲調のオーソドックスぶりにOscar Petersonをおもいだし、もしかしてHerb Ellisかなといったんおもったが、それよりもあの時代のかんじであのおとであのはやさだからJoe Passではないかと推測した。真相は知れない。エスカレーターに乗って書店へ。とりあえず踏み入ったすぐ正面のほうにあった芸術の区画を見に行き、美学の本などみて、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ニンファ・モデルナ』があるのを発見した。森元庸介訳。これはわりとさいきん出たのだったかとおもって奥付をみると、二〇一三年だったのでもうけっこうまえである。そこからとりあえず資格試験の本をゲットしようと理系の区画のほうに移動し、ちょっとみつからずうろついたが壁際の棚にあるのを無事発見し、保持。そのまま海外文学を見分。ヴァージニア・ウルフの『ジェイコブの部屋』が出ていた。しかしこれは新訳ではなく、一九七七年に出淵敬子が訳したみすず書房のやつを文遊社が再刊したものらしい。文遊社ってそういう会社なのか? 『歳月』もそうだったはずだし、フラナリー・オコナーの『烈しく攻むる者はこれを奪う』もそうだ。アンナ・カヴァンとかがどうなのかは知らないが。なんにせよウルフもこれで主要な小説はほぼ入手しやすくなったのではないか。『フラッシュ』もルリユール叢書で出ているのを棚に発見したし、『波』は新訳が出たし、『船出』も数年前に岩波文庫化している。『幕間』も片山亜紀が平凡社ライブラリーで新訳した。じつによろしい。あとかんたんに手にはいらないのは、『オーランドー』がちくま文庫のやや古い版しかないのと、『夜と昼』か。短篇のたぐいは西崎憲の訳が単行本で出ているのをさいきんみかけているが、これはちくま文庫から出ていたやつをたぶんほぼそのままで再刊しただけのものらしく、文庫だったやつをわざわざ単行本化するのも意味がわからんし、西崎憲の訳はむかし読んだときに日本語としてぜんぜんよくない、リズムとかへんだしぎこちないしクソだわとおもったので良い印象はもっていない。いま読めばまたちがうかもしれないが。海外文学も読みたいものはいくらでもあるが、いますぐ買おうという気にはならない。トーマス・ベルンハルトのあたらしいやつがなにか出ていたはず。プリーモ・レーヴィの伝記だか研究書的なやつもずっとほしいが一向に買えない。パウル・ツェラン全詩集とかルネ・シャール全集ももちろんほしいのだけれどやたらたかいし、こういうのをぽんぽん買えるようになるためにはどうすりゃいいの?

その他哲学思想の区画をみて、スーザン・ソンタグの『ラディカルな意志のスタイルズ』を買っちまおうかなとか、レベッカ・ソルニットの『説教したがる男たち』とかほかの二、三〇〇〇円くらいのやつも買おうかなともおもったのだが、けっきょくこの日はみおくることに。文庫のほうもすこしみたが先日たくさん買ったばかりだしきょうはひかえて読むものを読むべきだろうと判断し、資格の本だけもって会計へ。袋はもらわず本だけ受け取り、エスカレーターまえでリュックサックにおさめた。階をくだってそとへ。来たみちをそのまま駅へとひきかえすが、とうぜんながら来るときともどるときでは視点が、つまりみる方向や角度や位置関係やまたそのときの心身の状態や感情などがちがうから、おなじみちでもまったくべつものにみえる。モノレール駅付近の暗い通路にはいるまえ、左方をみとおせば交差点の、街灯の白だったり車の赤だったり建物の黄色だったりとひとつひとつはちいさいながらあでやかなひかりのいろどりが宵の大気にいろをにじませているのがうつる。頭上をおおわれたしたを行っていると、こちらを抜かしていった若い女性ふたりづれのいっぽうが、わたしがあの会社でできることはぜんぶやったんで、と言っていた。かのじょらは薄手のトレンチコートというか、服の分類がよくわからんしあれはたぶんトレンチではないのだが、コート様の、したのほうはロングスカートらしくなったような上着をまとっており、すれ違うひとやこちらを抜かしていくひとびとのかっこうをみてみてもまだけっこう冬っぽいというか、そんなに厚着ではないが春の軽快さはなくて身をまもるかんじの服装がおおく、シャツにジャケットで来たじぶんがいちばん軽装のようにみえた。駅舎ちかくの広場に出ると風がおおきくふくらんで吹き、それを浴びれば夜気はさすがにさむいけれど、広場縁の、背後は植え込みでさらにそのむこうはロータリーのうえにひらいた宙になっているベンチにはカップルなどのすがたがみられる。モノレールがちょうど来るところで、視界の右上をななめにくねりながら、車体にひかりをはねかえし窓をあらわにながれすぎていった。駅舎すぐまえの広場まで来れば植え込みの段にすわる人影は復活しており、あたりにいるひとのなかではひとり、中年くらいの女性が携帯を頭上に掲げて写真を撮っている風情で、それはそびえる駅舎正面か、この広場から生えて頭上に交差する巨大な赤い棒状のオブジェを撮っていたのだろう。すごいよ、とかなんとか連れに言っていたようにきこえた。

  • 八時台に覚醒。胸や手や腕をさすったり、鼻から深呼吸したり。一年前の日記にもちょうどやっぱり起き抜けと寝る前に深呼吸しないと駄目だみたいなことが書かれてあったのだが、一年後のいまもそういうこころになっている。息を吐きながらストレッチしたり肌をさすったりするのもよいのだけれど、呼吸は呼吸で目を閉じて集中してその他のうごきを生じさせずに、肉がじわじわほぐれていくのをかんじるのもこころよい。さいきんは瞑想もできていないし、呼吸法式であれ静止式であれ、そのようにじぶんのからだにフォーカスする時間をいちにちのなかでいくらかは取っていきたいところ。八時半すぎにいちど床を抜けた。天気は曇り。きのうの雨や湿気のなごりか、窓ガラスの下方はやや曇ったり、水滴が付着していたりする。空が白く閉ざされているので洗濯はどうするかという感じで、きのうの夜に天気予報をみたところではいちおう晴れてくるような予報だったし、のちにもういちどみても昼くらいからは晴れのマークになっていたのだが、二時一七分現在白曇りのままでむしろ雨が落ちてきてもおかしくないようなよどみも感じられる。それでも肌着だけは洗っておくかとおもって通話の終わった一二時半ごろに洗い、いま円型ハンガーでそとに干してあるのだが。肌着の上下二セットと靴下も。水を飲んだり用を足したりして臥位にもどると(布団はもうたたみあげてしまい、抗菌化スプレーをあたりにふりまいておいて、座布団と枕を直接床のうえに置いてそこに横になる)、Chromebookで一年前の日記を読む。九時半ごろに離床。一〇時から通話なので。しかし立ち上がったあと腕を振ったり背伸びなどしているので一〇時がちかづき、温野菜を用意して机に乗せた時点でもう目前だった。LINEに、れいによって食事を取ってしまうので少々お待ちくださいと投稿して(……)さんにつたえておく。食料はまたとぼしくなっており、キャベツももうほぼない。豆腐、バナナ、ヨーグルトも同様。きょうの帰りに買いたいところだがきょうは遅くなるだろうから果たしてその気力がのこっているかどうか。あしたでもよいのだが、トイレットペーパーももうさいごのひとつがホルダーについているところなので、はやめに買っておきたい。そろそろ薬がすくないのであしたは医者に行く必要があるだろう。ほんとうは金曜あたりにまわしたいところだが、金曜日は勤務なのでむずかしい。水木は午前中しかやっていない。
  • 温野菜に納豆ご飯、バナナ、ヨーグルトといつもどおり悠長に食っていたのでZOOMにログインするころにはもう一〇時二五分くらいになっていた。すいません、お待たせしましたとあいさつ。(……)その他のはなしはれいによってあとにまわすとして、通話を終えたのが一二時半ごろ、そこから洗濯をはじめたり、洗い物をしたりして、ふたたび臥位になってフォークナーを読んだ。龍口直太郎訳『フォークナー短編集』(新潮文庫、一九五五年)。おととい出かけるまえに36から140くらいまで一〇〇ページほど読み、きのうはそこからほぼ300まで読んで、きょうさいごの「納屋は燃える」を終えて仕舞い。けっこうハイペースだった。まあ文庫本なので。ぜんたいにおもしろく、さすがだなとおもう記述もおおい。しかし感想はまた書けたら。いまはさきにすすむとして、といって現在までのことがらはあといくらもなく、書見のとちゅうで洗濯が終わったので立って干し、同時に米もあたらしく炊いたというのと、二時ごろに立ち上がってきょうのことを書き出したというだけである。これで二時四〇分。きょうは労働で四時ごろ出る。胃液感はないものの、腹のかんじはやはりちょっとちいさい点がえぐられているようなうがたれているような調子で、晴れ晴れと万全のからだとはいえない。無理は禁物。
  • 労働の記憶はもはやない。(……)


―――――

  • 日記読み: 2022/3/27, Sun.