地球自体は周知のとおり、過ぎ去った未来の残骸の山であり、人類は色とりどりに寄せ集められ、互いに相争うヌミノース的な太古の相続共同体として、たえず獲得・変革され、拒絶・破壊され、無視・排除されなければならない。その結果、世間一般の想定に反して、未来ではなく過去が可能性の空間となるのだ。だからこそ、過去の解釈を変更することが、新しい支配体制の最初の公務の一つになる。私のように勝者たちによる聖像破壊、さまざまな記念碑の撤去といった歴史の断絶を体験したことのある者にとって、あらゆる未来のヴィジョンの中に未来の過去を見ることは難しくない。たとえば再建されたベルリン王宮が廃墟となり、今度は共和国宮殿の再建のために場所を護るのである。
一七九六年、共和制五年めのパリのサロンにおいて、バスティーユ牢獄の襲撃やムードンの城の見(end18)取り図、サン・ドニ聖堂の王家の墓の冒瀆をスケッチに留めていた建築物画家のユベール・ロベールは、二枚の絵をルーヴル宮殿で展示した。一枚は王宮をルーヴルのグランド・ギャラリーに改造する計画案を示していた――ガラス天井のおかげで十分に採光できる、多くの人々が訪れる広間に、絵画や彫刻作品がたくさん並ぶ――そしてもう一枚は、同じ空間を廃墟として描いている。一方の未来図において天窓があるところに、もう一方では雲に覆われた空が顔を覗かせている。丸天井は崩落し、壁はむき出しの裸で、床には壊れた彫像が転がっている。ナポレオンの侵略戦争の戦利品だったベルヴェデーレのアポロ像だけが、煤にまみれつつも無傷のまま屹立している。破壊の跡を見に来た野次馬たちが廃墟の風景をうろつき、瓦礫に埋もれたトルソーを掘り出したり、焚き火で身体を温めたりしている。崩れた丸天井の割れ目から草が生えている。廃墟は過去と未来が一つになるユートピア的な場所だ。
建築家アルベルト・シュペーアは、その思弁的な「廃墟価値」の理論によってさらに先へ進んだ。彼は国家社会主義 [ナチズム] の終焉から数十年後に、単なる暗喩 [メタファー] として理解すべきでない彼の千年王国構想が、とくに耐久性のある建築素材を使用する予定であっただけでなく、崩れた状態でもなおローマの遺跡の偉大さと肩を並べられるように、それぞれの建築物が未来の廃墟になった時の姿まで考慮したものであったと主張している。一方、アウシュヴィッツが廃墟なき破壊と呼ばれたのは、故なきことではない。それは徹底的に非人間化された建築物であり、その細部に至るまで指示され、何も残さず稼働をつづける工業的な絶滅装置は、何百万人もの人間を抹殺することにより、二十世紀ヨーロッパにおいて最大の空白を後に残した。被害者側と加害者側、双方の生存者とその子孫の記憶の中で、分裂した統合しがたい異物として、いまだ総括的な見直しを俟つトラウマである。ジェノサイドという犯罪こそ、喪失をどこまで追体験可能にしうるかという問いの緊急性をさらに高め、後世の少なからぬ人々の見解を、そこで起こったことはいかなる方法によっても表現不可能であるという、無力感に満(end19)ちた、しかし理解しうる結論に至らしめた。
(ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、18~20; 「緒言」)
- 一年前の日記。ニュース。
(……)新聞、『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞受賞と。アカデミー賞関連では、ウィル・スミスが授賞式でプレゼンターのなんとかいうコメディアンに平手打ちをくらわせたという一幕もあったらしい。なんでもこのコメディアンがウィル・スミスの妻の頭髪を揶揄するような発言をしたとかで、かのじょは女優であり脱毛症で治療しているということを公言しているらしく、ウィル・スミスはこの言動に激怒し、コメディアンのほうはジョークだったと弁明したものの、スミスはおまえはわたしの妻のなまえを口にするなとすら言ったらしい。その後おちついて謝罪したとのこと。この文脈だけきいたかぎりでは、ウィル・スミスが怒ってもしかたがないのでは、という印象を受けはする。ただ、だからといって平手打ちが良かったかというとそれは別問題だろう。公的な場だし、ことばであいてをいさめるやりかたもありえたはず。いずれにしても具体的にどういうジョークだったのかとか、もうすこし詳しい情報がないとたしかな判断はくだせない。
ロシアとウクライナは二九日にトルコ・イスタンブールで対面の停戦協議をおこなうみこみ。キエフ周辺にいたロシア軍のいちぶは一時ベラルーシまで撤退しているらしいが、それは来たるべき総攻撃の準備をしているということらしく、兵力をあつめるようすがうかがわれると。マリウポリの郊外は「完全に掌握した」とロシアが発表し、中心部でも激しい戦闘がつづいているという。チェルノブイリ付近に弾薬などをはこびこんだりもしているとか。ほか、ここで二次大戦中の米国日系人収容がはじまってからちょうど八〇年になるということで連載がはじまっていた。
- 日記について。
- いま帰宅後、もう日付替わりもまぢかである。夕食をとりながら一年前の三月二九日(月曜日)の記事を読んだ。印象にのこったのは以下。
あとはサヘル地域についての記事。ここもイスラーム過激派が台頭してかなり政情不安らしい。マリでは人口二〇〇〇万人だかのうちの四五パーセントが貧困にあり、食料を得られない人間も相当いるようだ。昨年、政府に対する市民の不満が爆発して大規模な抗議運動が展開されたといい、それを受けて軍がクーデターを敢行し、八月に軍事色の強い新政府ができたらしいのだが、状況は変わっていないとの声が聞かれるようだ。イスラーム過激派も地域に浸透しており、彼らは特定の民族と結びついて共同体に入りこむことで積年の民族対立の再燃を引き起こしかねない。一部の地域では連中によってISISみたいな統治がおこなわれているらしく、つまり水を運んでいる女性がヴェールをかぶっていなかったからと暴力を振るう、みたいなことだ。ただマリ政府関係者によれば、実際のところ、誰が過激派で誰が市民なのかを見分けることは不可能だとのことで、事柄の軍事的な解決はもはや見えず、したがって武装組織側と和平交渉をして社会に統合するしかない、という感じになっているらしい。
*
その他のことは忘れた。たしかこの日だったと思うのだが、労働からの帰路に元生徒の(……)さんに会った。徒歩で帰っていて、駅前を折れた裏通りを行き突き当たりを横に曲がったところで、こちらがこれから入る裏道の続きから出てきた二人があって、一見してギャルだった。彼女らはなんとか話しながら表の方向へ折れ、こちらは彼女らの後ろで裏通りを進もうとしたのだが、二人の一方がこちらに気づき、ひとがいると思っていなかったようで、うわ、とびっくりした声を発していた。それでちょっと決まりが悪かったのだろう、紛らすように笑って街道に向かおうとしたギャルは、しかし足を止め、あれ? と疑問の声を続けてこちらをじっと見ている。こちらも立ち止まって見返し、え、とつぶやくと、塾の先生ですよね? と質問が来たので、そうです、と答え、どなた? と訊いた。すると、(……)ですとあったので、(……)? と間髪入れず聞き返せば、それで正解だった。このとき即座にフルネームを、しかも正しく漢字表記で(珍しい字面なので印象に残っていたのだろうが)思い出したこちらの想起の迅速さには自分でも驚かされたが、聞けば彼女が通っていたのはちょうど一年くらい前までだというから、まだ近い時期の子だ。二〇二〇年初に高校受験をしたわけだから、通っていた期間としては主には二〇一九年中になる。たしかに(……)さんが教室長だった頃の生徒だからそうなのだろうが、まだそれしか経っていないのか、という感が強かった。もっと昔の生徒のように感じられたのだ。(……)さんは、金だか茶だかよくわからないが夜道でも目に立つあかるい色の髪になっており、いかにもギャルという感じの雰囲気だったが、中三のときもわりとそちら寄りではあった。それでちょっとその場で立ち話をしたのだが、高校はもう辞めて働き出すのだと言う。もう働くの? すごいね、と言わざるを得なかった。水商売系のキャッチだとか言っていて、よくわからないが高校はもともとあまり行っておらず、「こっちにもいなかったし」とか漏らしていたので、都心のほうにでも行って夜の世界に踏みこんでいたのだろうか? たかだか一六歳くらいでしかないのだろうに大したものだ。しかしそんなにはやく働かなければならないとは、やはり家庭に金がないとか、そういう事情なのだろうか。あるいは単純に、勉強についていけないとか、勉強したくないとかいうことかもしれない。中三のときも学業はからきしという感じだったし。ただ、祖母のことを話すことが多くて、ギャル風ではあるが心根の優しいような子だという印象を持っていた。いまは(……)の桜を撮ってこようと思って行ったら、暗くてめちゃくちゃ怖かったので引き返してきたところだと言う。室長が変わったことを告げると知ってると言い、この子に聞いたと連れ合いの黒髪マスクの少女を指したので、誰かと思えばこれが(……)さんだった。全然気づかなかった。マスクもしていたし、夜道で暗いし、こちらの目も悪いし、距離も多少あったので。(……)さんは今年度の生徒で、受験を終えてこのあいだの二月までで辞めた子である。
それでしばらく話して別れ、黙々と夜道を歩いたのだが、そのあいだ、なんだかはかないような、むなしいような気分が差していて、これはやはり時の過ぎざまが目に見えたからなのだろうなと思った。このあいだまで中三の生徒だった女子が、ギャルに育って、もう働くなどと言っているのを受けて、時間が一気に過ぎたような感覚になったのだろう。なんというか、当たり前のことだが、彼女もまた生きているんだなあ、という感じだ。今回ここで遭遇したのはまさしく奇遇というほかなく、職場での仕事の片づけ方がちょっと違って、この位置を通るのがあと二〇秒も遅ければたぶん彼女たちとこちらは邂逅することなく互いに気づかなかったと思う。偶然というものが面白いのは、自分の見えないところで確かに世界がまわっているということ、営みが営まれているということを実感させてくれることだ。それは他者の生に対する想像力であり、自分などというものはどこまで行っても所詮は自分でしかなく、自分がいまとまったく違う人間になったとしても、あるいはいまの自分ではなかったとしても、それもまたたかだか自分自身でしかない。つまり人間が持てるのは最終的にはこの自分としての、一人称の視点と意識でしかなく、ひとはそれを逃れられず、自分ではなく他者であるという自己消失は不可能だし、自分でありながら同時に他者であるという二重視点もまあ大方は無理だろう。それはごくごく当然の事実にすぎないのだけれど、まったくもって退屈なことであり、その退屈さと、他者の見ているものを見たいという情熱とが、文学とか物語とかをこの世に生み出すにいたった要因のすくなくともひとつではあるのだと思う。
- (……)さんとの遭遇を読みながら、いや、おれの日記おもしろいな、とおもった。とくに、「徒歩で帰っていて、駅前を折れた裏通りを行き突き当たりを横に曲がったところで、こちらがこれから入る裏道の続きから出てきた二人があって、一見してギャルだった。彼女らはなんとか話しながら表の方向へ折れ、こちらは彼女らの後ろで裏通りを進もうとしたのだが、二人の一方がこちらに気づき、ひとがいると思っていなかったようで、うわ、とびっくりした声を発していた。それでちょっと決まりが悪かったのだろう、紛らすように笑って街道に向かおうとしたギャルは、しかし足を止め、あれ? と疑問の声を続けてこちらをじっと見ている」というあたり。つまり、遭遇したあとのやりとりの内容やそこから受けた感慨など、そのできごとの中心部分、そのできごとをできごとたらしめ、記録されるべきものにしたであろうとみなされるぶぶんではなく、遭遇までのながれをいちいち順を踏んで書いているのが、読んでいてなんだかおもしろかった。記録という観点、日記という形式の一般的なとらえかたからすれば、こんな経緯は書かなくてもよいはずなのだ。二段落目の述懐もいつもながらの内容ではあるがまあわるくはないし、つまらなくもないのだが、それよりもこの遭遇までの数段をえがいた文のほうがおもしろかった。おもしろかったというのは、なにかしらの感覚をあたえるものだったということで、それはやはりリアリティとか、具体性とかいうことになるのだろう。なるのだろうというか、どうしてもそういうことばでとらえてしまい、またこの感覚をいいあらわすにあたってそういうことばしかじぶんのなかにみつからないのだが、端的に言って、この記述のなかで(……)さんが生きているのはこのさいしょの数文しかないわけだ。それいこうはぜんぶ(……)さんではなくてじぶんじしんを書いているものにすぎず、それはやはり退屈なことではある。記録とは、死にゆくものを、それが死につつあると知りながら、まるで生きているかのように、あたかもそれがまだ生きられるのだとでもいわんばかりに、かろうじてとどめようとするおこないなのだから。
- こういうところ、記録として重要だとおもわれ中心とみなされる部分だけでなく、どうでもよいようなこと、書かなくてもよいようなことまでふくめてそこにあったことをすべて、できるかぎりですべて書きたいというありかたが、やはり日記という形式におけるじぶんの文章の特異さなのだろうなとおもう(しかしそれはまた、おおかた日記という形式でしかできないだろう)。じぶんの過去の日記を読みかえすとき、そういうふうに傍流的なぶぶんまでこまかく書いてあるのをみると、こいつはとにかく書きたいのだなと、どうでもよいようなことまでぜんぶ書きたいのだなと、そういう欲望がまざまざとあらわれているようにみえることがあり、そこになにかみずみずしいようなものをおぼえてちょっとだけ感動することもある。やっぱりこの世は書くにあたいする。そうとしかおもえない。すばらしいか否かとはかかわりなく、端的に書くにあたいする。じぶんがずっと書きつづけているというのはそういうことでしかない。
- 帰路。
この日の帰路はなかなかいいかんじで、最寄り駅で降りて坂をくだるあいだくらいまではべつにそうでもなくふつうだったが、坂道には同道者がふたりおり、どちらも煙草を吸っていた。駅を抜けて車の来ない隙に街道をわたったところでまえにふたり男性がいて、ひとりはのそのそとしたかんじのいつも片手にビニール袋を提げてくだっていく中年でよく帰りがいっしょになってみかけるが、もうひとりは知らないにんげんだったし曇天のもとで暗いので風采もよくみなかった。さいしょはふたりともこちらよりさきにいて、先頭をいくのはビニール袋のひとで、もうひとりがそれにつづいてときおり煙を吐いたりたちどまったりしており、マスクを顎までずらして露出した鼻に大気に混じった香りがまえからふれてきて、煙草のにおいというのはむかしはあまり好きではなかったがいまはそんなにわるくなくかんじる。母親などは煙のにおいと喫煙者を蛇蝎のごとく嫌っているが。煙草を吸うにんげんというのもちかごろだいぶすくなくなったというか、数としても減っているのだろうけれど、分煙がすすんで喫煙所いがいで吸う者がゆるされなくなったので、みかける機会が減ったのだろう。ふたりめはあゆみが比較的おそかったしときおりたちどまってもいたので、こちらでも抜かすことができた。
したのみちに出てビニール袋の男が公団へと去っていったあとただひとりの夜道となったわけだが、首をちょっと横にうごかしてその公営住宅の窓からもれるオレンジ色の明かりや、そこにうっすら映っているようにみえるひとかものかあいまいななにかの影や、月はおろか星もまったくなくて練ったように一面のっぺりと暗んでいる空などをみているうちに、解放的な気分がきざしてきて、おうじてからだのちからがぬけて歩調がゆるくなり、恍惚まではいかないがうすい快楽とここちよさをはらんだ自由の時間が現成した。仏教のいう諸縁を放下するというのはこういうことだとおもうのだが、いまこのときしかない時間というか、じっさいにはそうではなくて過去も未来も念頭には浮かぶし、あしたまた労働がひかえていることも理解しておりあたまにもよぎるのだけれど、ただその拘束的なみとおしがいまこのときの心身になんの影響もあたえてこない、そんな独立の安息で、心身がこういう感覚になるのはほぼ決まって夜道をひとりでゆっくりとあるいているあいだである。朝にあるいたとしてもたぶんならないだろうし、周囲にひとがいてひとりきりでない状態ではぜったいにならないと断言できる。これがにんげんの自由というものだ。あるきながら、おれたちは無償性のみをなんとかそうして夜はかがやきなんとかみたいな短歌をまえにつくったなとおもったのだが、正確な文言がおもいだせなかった。かえってきてからみてみると、「われわれは生きるのだ無償性のみを夜はそうしてかがやきとなり」だった。夜はそうしてかがやきとなり! 小説のタイトルにつかえる。
- 二〇一四年分も一日だけ読みかえして述懐している。
一年前の日記を読んだあと、過去の日記をあたまからぜんぶ読みかえしたいとおもって、まあそんなことをもくろみながらきょうしかつづかないことはわかりきっているのだが、とはいえじっさい読みかえして固有名詞を検閲しなおさなければならないのもたしかではあるのだが、ともかくブログに載せてあるいちばんはじめの記事である二〇一四年一月五日をみてみると、いま現在、きょうとまったく同様に、ハムエッグを焼いて米に乗せるという一回目の食事を取っており、そこに八年前からずっとじぶんの生活が変わっていないことがかんぜんに集約されているようにかんじられて、この変わらなさはなかなかおそろしいことだぞとおもった。しかもこの八年まえの正月もまた英文を音読したりもしているし、「晴れてはいたが雲が多い空で、南西の山の上空には列島のように連なった雲が長く伸びていたし、北西の山の向こうからは煙めいた雲がもうもうと湧き出ていた。西陽は隠れがちだが雲を逃れるわずかなあいだには穏やかながらたしかな暖かさをもったひとすじの光が地上を染めた」という風景描写をみてみても、本質的にはいまと書き方が変わっていないようにおもえる。(……)に出ているのもおなじ。植え込みのまわりの段でまちあわせしているひとをみているのもおなじ。八年経っても、書き方も、書いている内容もだいたいおなじ。なかなかにおそろしいことだ。「ひどく久しぶりに」とはいいつつも、瞑想もやっている。ただし、「ベッドに置いたクッションの上に腰掛けて四十回深呼吸をした」と書いているから、このころはまだ呼吸式のもので、無動の境地をみいだしてはいない。外出時に音楽をきいているのもいまとはちがう。もはやそとで音楽をきくこと、耳をふさぐことはかんぜんになくなったし、携帯音楽プレイヤーももっていない。帰りの、「四時半に帰宅すると、陽も落ちて空気が灰色めいていた。雲は一面にのび広がっていたが、層は薄く、その下から水色が透けて見えていた。南東の市街の上空には紫に染まった雲がわずかにのぞいていた」という描写はじつに気が抜けていて、とうじはこれでわりと精一杯だったのだろう。あと、行き帰りの道中、電車内とかあるいているあいだとかのことがまったく書けておらず、段落が変わると一気に(……)に着いている、みたいになっているのがまあ雑魚ではある。
- Guardian staff and agencies, “Russia-Ukraine war at a glance: what we know on day 399 of the invasion”(2023/3/29, Wed.; 00.03 BST)(https://www.theguardian.com/world/2023/mar/29/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-399-of-the-invasion(https://www.theguardian.com/world/2023/mar/29/russia-ukraine-war-at-a-glance-what-we-know-on-day-399-of-the-invasion))
The head of the UN nuclear watchdog has described the situation at Ukraine’s Russian-occupied Zaporizhzhia nuclear plant in south-eastern Ukraine as “very dangerous” and unstable. Rafael Grossi said his attempt to broker a deal to protect the plant was still alive, adding that there had been increasing military activity in the region without giving details.
The United States has not seen any indications that Vladimir Putin is getting closer to using tactical nuclear weapons in his war on Ukraine, after the Russian leader said he was moving such weapons into Belarus. Belarus confirmed it would host Russian tactical nuclear weapons, saying the decision was a response to years of western pressure. Poland’s prime minister, Mateusz Morawiecki, said Belarus would face further EU sanctions.
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Germany’s much-awaited shipment of 18 Leopard 2 battle tanks has arrived in Ukraine, the German defence ministry has confirmed. Berlin first promised 14 but increased that to 18 as part of a deal under which several EU states would contribute to a shipment of two Leopard 2 battalions and 31 American-made M1A2 Abrams tanks from the US.
The first British Challenger 2 main battle tanks have also arrived in Ukraine and will soon begin combat missions, Ukraine’s defence minister, Oleksii Reznikov, has said. The UK said in January it would send 14 of the tanks to Ukraine. Reznikov wrote on Twitter that the tanks had “recently arrived in our country” and posted a video that showed him sitting in one of a long line of tanks in an open field, all of them flying Ukraine’s yellow and blue flag.
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A Russian man who was investigated by police after his 12-year-old daughter drew a picture depicting Russian bombing a family in Ukraine has been sentenced to two years in a penal colony, according to a rights group. Alexei Moskalyov has been separated from his daughter Maria since he was placed under house arrest, and she was taken into a state-run shelter last month. Court officials said on Tuesday that the 54-year-old had fled house arrest and his whereabouts were unknown.
The International Olympic Committee has recommended that Russian and Belarusian athletes are allowed to compete in international sporting events under a neutral flag. A decision regarding next year’s Olympics in Paris and the Milan-Cortina Winter Olympics in 2026 would be taken “at the appropriate time”, it said. Germany’s interior minister, Nancy Faeser, said the committee’s decision was “a slap in the face for all Ukrainian athletes”.
- Pjotr Sauer and Andrew Roth in Moscow, “Putin prepares Russia for ‘forever war’ with west as Ukraine invasion stalls”(2023/3/28, Tue.)(https://www.theguardian.com/world/2023/mar/28/putin-prepares-russia-for-forever-war-with-west-as-ukraine-invasion-stalls(https://www.theguardian.com/world/2023/mar/28/putin-prepares-russia-for-forever-war-with-west-as-ukraine-invasion-stalls))
Speaking at length to workers at an aviation factory in the Buryatia region recently, Putin once again cast the war as an existential battle for Russia’s survival.
“For us, this is not a geopolitical task, but a task of the survival of Russian statehood, creating conditions for the future development of the country and our children,” the president said.
It followed a pattern of recent speeches, said the political analyst Maxim Trudolyubov, in which the Russian leader has increasingly shifted towards discussing what observers have called a “forever war” with the west.
“Putin has practically stopped talking about any concrete aims of the war. He proposes no vision of what a future victory might look like either. The war has no clearcut beginning nor a foreseeable end,” Trudolyubov said.
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One western diplomat in Moscow described Putin’s message in the speech [“state of the nation” speech last month] as preparing the Russian public for “war that never ends”.
The diplomat also said it was not clear that Putin could accept a defeat in the conflict because it did not seem that Putin “understands how to lose”.
The person said Putin did not appear to be reconsidering the conflict despite the heavy losses and setbacks of the last year. The diplomat noted that the Russian president was a former KGB operative and said they are trained to always continue to pursue their objectives, rather than reassessing the goals in the first place.
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Over the winter, western military analysts and Ukrainian officials repeatedly warned that Russia, after drafting 300,000 men last autumn, would mount a major new attack.
But Moscow’s offensive across a 160-mile arc in eastern Ukraine, which started in February, has brought the country minimal gains at staggering costs. Western officials have estimated that there have been up to 200,000 killed or injured on the Russian side.
“Russia simply does not have the offensive capabilities for a major offensive,” said US military expert Rob Lee.
According to Lee, less than 10% of the Russian army in Ukraine is capable of offensive operations, with the majority of its troops now conscripts with limited training.
“Their forces can slowly achieve a few grinding attritional victories but do not have the capacity to punch through Ukrainian defensive lines in a way that would change the course of the war.”
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Despite the setbacks on the battlefield in Ukraine, the Kremlin has weathered any potential backlash against the war at home, crushing the remnants of Russia’s civil society and remaking the face of the country in the process.
“Many in the country have now fully accepted that this war will not go away and believe that they need to learn to live under the reality,” said Andrei Kolesnikov, a senior fellow at the Carnegie Endowment who has studied public attitudes towards the war since its beginning.
Kolesnikov said that the population’s ability and willingness to adapt to the new reality has turned out to be much stronger than many observers expected.
When Putin ordered a draft of 300,000 reservists in September, sociologists noticed a record uptick in fear and anxiety, with men concerned about going to fight and mothers and wives worried about their husbands, fathers and sons.
Yet within several months, the dread decreased, according to Kolesnikov.
“The propaganda campaign has been successful despite the initial hesitance of the people,” said a source close to the Kremlin’s media managers, referring to the early anti-war protests, which led to more than 15,000 arrests across the country in the first weeks after the invasion.
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Meanwhile, schools have been instructed to add basic military training and “patriotic” lessons that aim to justify the war in Ukraine. State rhetoric, including calls by Putin to get rid of “scum and traitors”, have led to a wave of denunciations by ordinary Russians of their colleagues and even friends.
“The country has gone mad,” said Aleksei, a former history teacher at an elite boarding school outside Moscow who recently quit after a disagreement with management over the new “patriotic” curriculum. “I had to stop talking to colleagues and friends. We are living in different realities,” he said.
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At a Moscow launch event in mid-March for the “International Movement of Russophiles,” a group backed by Russia’s foreign ministry and heavily populated with fringe European activists and conspiracy theorists, the message was dire.
“We are not just seeing neo-Nazism, we are seeing direct nazism, which is covering more and more European countries,” said Sergei Lavrov, the Russian foreign minister, during a speech.
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“Not everyone in this country yet understands what we’re going to have to pay to win this war,” said Alexander Dugin, a radical Russian philosopher and prominent supporter of the war. “People in our country have to pay for their love for Russia with their lives. It’s serious and we weren’t ready for this.”
Dugin’s daughter, Darya Dugina, was killed last year in a car bombing that may have targeted him. Putin has spoken several times about the attack on Dugina and her name was written on a briefing paper held by Putin during a recent security council meeting, video uploaded by the Kremlin showed.
“I don’t think people in this country fully understand what is happening after a year,” Dugin added.
“Of course there’s full support from the president but it hasn’t fully come into the hearts and souls of all our people … some people have woken up, some people have not. Despite the year of war, it is going very slowly.”
- 覚めてしばらく鼻から深呼吸したり、胸とか首のうしろや背中とかをさすったり。起き上がって時刻をみるとちょうど九時だった。カーテンをあければ空は白い。首や肩をよくまわしておき、布団のしたを抜けると水を飲んだり用を足したり。米を炊いておくことに。さくばん空になった釜を漬けたままながしに放置していたのでそれを洗ってあらたに炊きだす。二合半。そうして寝床にもどるとウェブをみたり、一年前の日記を読んだり。Guardianものぞくとページのトップに、創設者が奴隷制に関係していたことを謝罪するという文言がみられ、特集が組まれていた。記事はまだ読んでいないがメモしておきたいところ。離床は一〇時半すぎで、空がいくらかあかるくなってきていたが、横になっているあいだにみたYahoo!の天気予報によれば午後からまた曇って場合によっては雨も少量落ちるらしく、洗濯をどうしようかなというところだったがひとまずシーツを剝ぎ取って窓外でバサバサやり、それとともに敷き布団も風に当てようとおもって窓の向こうのせまい柵内に二つ折りで立てておいた。空に青味がみえており陽が出る気配だったので洗濯もすることに。とはいえタオルと肌着と靴下だけにする。それでも円型ハンガーがいっぱいになり、肌着も二セットをそれぞれハンガーにかけるようだったが。洗濯機に注水しているあいだはまた腕振り体操をしてからだをやわらげ、洗いはじめると椅子について瞑想。一〇時五二分から。さいしょしばらく鼻で深呼吸し、それから静止した。一一時一三分まで。窓外では子どもらがかしましい。済んで背伸びなどしていると洗濯が終わったので干し、食事へ。温野菜はキャベツとチンゲン菜。後者はつかいおわったのでつぎからブロッコリーにはいる。その他豆腐とウインナーをいつもどおり乗せ、レンジで回し、回しているあいだは座布団二枚のうえにころがってGuardianを読み、レンジが止まると立ってスチームケースを取り出し塩を振る。いっぽうできょうは納豆ごはんではなくレトルトカレーを食べることにして、鍋に水を汲んで火にかけ、沸騰しないうちからパウチももう入れてしまう。このとき、というかすこしまえから部屋のそとで掃除機をかけている音が聞こえており、さいしょは上階からだったのがこちらのいる階にも下りてきていて、椅子について温野菜を食っているあいだに我が部屋の扉のまえ、その縁までかけているのが掃除機がコツコツあたる音でわかり、たまにこうして業者がはいっているのだろうかとおもった。業者だか大家ほんにんだか知らないが。あるいは上階のひとがわざわざ部屋のそとの通路まで掃除しているという可能性もあるが、よほどの奉仕心をもっていないと下階までやろうとはおもわないだろうから、たぶん管理方面のひとだろう。とちゅう、ありがとうございますと礼を言う男性の声も聞こえたが、うえから下りてきた気配ではなかったので(掃除機の音で感知できなかった可能性もおおいにあるが)、これがいまだそのすがたをみたり気配をかんじたりしたことのないふたつとなりの部屋のひとだったのではないか。野菜を食い終わるとスチームケースをながしにもっていって即刻洗ってしまい、大皿に米をよそって鍋の火をとめ、パウチの端をゆびでつまみあげてながしのうえで水滴を切ると、大皿を置いた洗濯機のうえにもっていって立てながら鋏で開封。なかみをあけて、パウチは汚れたプラスチックは燃えるゴミでよいというはなしなので細くたたんでカレーをできるかぎり押し出すと切れ端といっしょにゴミ箱に入れてしまい、ふたたび椅子についてものを食べる。その他バナナとヨーグルトも。ロラゼパムとアレグラFXも一錠ずつ飲んだが、花粉症の症状はもうほぼかんじなくなってきている。このくらいの時期で終わるものだったっけ? カレーの皿は流水でルーの滓をながしたあといったん漬けておき、歯磨きをしたあとWoolfの英文を読んだり、Guardianの記事を読んだり。うえのしたのほうの記事を読むに、ロシア国内は全般的にほんとうに戦時中の日本とおなじ調子になっているという印象。
- 一時ごろで席を立ち、また腕振り体操をちょっとやったあと寝転がって書見。フォークナーを読み終わったのでホメロス/松平千秋訳『イリアス(下)』(岩波文庫、一九九二年)にもどっている。きのう238からはじめて313まで読み、きょうはそこからいま352まで行っている。もう終盤で、第二三歌であり、のこすはあと二四歌のみ。238ではパトロクロスの死を知っていよいよ蹶起し怒りにはやるアキレウスをオデュッセウスがいさめてアガメムノンと正式に和解させ、その後戦闘がはじまり神々もゼウスのゆるしをえておのおの好きな陣営のほうに味方をしつつ神同士でたたかいもする。アキレウスの活躍は今風にいえばいわゆる「無双」状態で、アポロンのたすけによってヘクトルこそなかなかつかまらないが出くわした兵をことごとく殺しまわり、その屍で埋まってしまったスカマンドロスの河神は怒ってアキレウスを激流で追放しようとするが、人間離れしたアキレウスも抵抗して踏みとどまりつつ神に祈り、ヘレの指示でヘパイストスが炎で介入し、河はしずまる。神々のなかではたとえばアレスがアテネと、アルテミスがヘレと対立するが、前者はアレスが「この犬蠅めが」(294)とあいてをののしったり(争いでは負けるのだが)、後者ではヘレが「恥を知らぬ牝犬めが」(298)と叱りつけたりしており、尊貴の神々もなかなか罵倒の口がわるい。ヘクトルはアキレウスとたたかう決心がつかず怖気づいて逃げ回り、聖都イリオスのまわりを三たび駆け回って逃げたのち、アテネの介入でいよいよ両者の一騎打ちがなされ、ヘクトルは討たれてその遺骸は船陣に引き上げていく戦車のうしろに引きずられるというはずかしめを受ける。そうして悲願を果たしたアキレウスならびにアカイア勢はパトロクロスの葬儀にはいり、かれの遺体を荼毘に付すまえに羊やら牛やら馬やらたくさんの獣がほふられるとともに、「勇猛トロイエ人の十二人の優れた息子たち」(342~343)もまた斬り殺されていけにえに供される。その後唐突に葬送競技がはじまって戦車によるレースがおこなわれているのが現在地。336に「腹癒せ」という表記があって、なるほど腹いせというのはそういう意味だったのかとおもった。また、349には「葡萄酒色の海の上で」といういいかたがあり、海のいろを葡萄酒色とする表現はほかにもなんどか出てきたが、これはJoyceのUlyssesに引かれている。Epi oinopa pontonというやつだ。英訳するとupon the wine-colored sea。序盤のバック・マリガンの台詞で、〈―God! he said quietly. Isn’t the sea what Algy calls it: a great sweet mother? The snotgreen sea. The scrotumtightening sea. Epi oinopa ponton. Ah, Dedalus, the Greeks! I must teach you. You must read them in the original. Thalatta! Thalatta! She is our great sweet mother. Come and look.〉というものがあるのだ。まえにつくったこちらじしんの訳をしめしておくと、「――いやはや! とおだやかにもらした。海ってえのは、アルジーが言ってたとおりじゃないか? 大いなる麗しの母だと。青っ洟緑の海。玉袋縮み上がる洋 [よう] 、ってとこだ。葡萄酒色の海の上にて [エピ・オイノパ・ポントン] 。なあ、ディーダラス、ギリシャ人だよ! おまえに教えてやる。原文で読まなくっちゃだめさ。おお、海原 [ターラッター] ! おお、海原 [ターラッター] ! ってな。 [別案: わだつ海よ! わだつ海よ! ってな。] われらが大いなる麗しの母だぜ。ほら、見てみろ」。Ulyssesは周知のとおり、『オデュッセイア』を下敷きにしているらしいのだが(そうはいっても具体的にどういうかたちで下敷きになっているのかよくわからないし知らないのだが)、この表現は『イリアス』だけでなく『オデュッセイア』のほうにもたぶんよく出てくるのだろう。
- 二時を越えて立ち上がると、たしかに空にはまた雲がひろがって陽がうすれがちになっており、それでも射してはいるからもうすこし出しておくかと左右に腕を振ってからだを振り子状にうごかしていたところ、そのうちに空と空気のいろがよどんでふたたびの白曇りが完成したので、もう入れようと布団と洗濯物をすべて取りこんだ。肌着はたたんでもよさそうだったので始末したが、円型ハンガーのタオルのほうは端がまだすこし濡れていたので吊るしたまま。それからきょうのことを書き出して、とちゅうで立って運動を入れつつここまで記せば三時四七分。天気は急速に下り坂を駆け下りてきたおもむきで、白天を越えて青灰色が湧きひろがってよどみ、たしかに雨が来てもおかしくないようなほの暗さとなっている。
- あとは籠もって書いたり読んだりだらだらしたりなので、特段のこともない。書きものは一週間前、二二日水曜日のこと、美容室での会話をすすめたのだけれど、六時くらいからはじめて腕振り体操をはさみつつ九時くらいまでやったのでひさしぶりにけっこうがんばりはしたが、さいごまで行かず。というかさいごでフォークナーの感想にながれてしまい、文庫本からいちいち文言を引こうとしているところでからだが耐えられなくなりちからつきた。燃えるゴミはまだ溜まっていないのでよいとしても、折込チラシの回収日も翌日だったのでほんとうは出しておきたかったのだが、その気力もなし。打鍵をおおくするとやはり左腕の付け根、上腕と腋の接触部あたりがひりついてきて、そこをさするとピリピリした。あと横向きの腕振り体操をしているとよくわかるが、左半身のひっかかりはやっぱり首から足のさきまでぜんぶつながってんだなと。夜はれいによって寝床にいるうちにあいまいに寝てしまい、四時台に覚めて正式に就寝した。
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- 日記読み: 2022/3/29, Tue.
- 「ことば」: 1 - 3, 4 - 6
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静かに!
静かに! ぼくは 棘を お前の心に打ち込む、
なぜならば 薔薇が、薔薇が
影と一緒に 鏡に映り、それは 血を流している!
それは すでに血を流していた、ぼくたちが「諾」と「否」を混ぜ合わせたとき、
ぼくたちが それを啜ったとき、
テーブルから転がり落ちたグラスがひとつ 音立てたから――
それは ぼくたちよりも長く暗くなった一つの夜の開始を鳴り告げ知らせた。
ぼくたちは 飢えた口で飲んだ――
胆汁のような味がした、
だが それは葡萄酒のように泡立った―(end115)
ぼくは お前の目の輝きの後を追った、
そして ぼくたちのために まわらぬ舌は甘くしゃべった……
(そう まわらぬ舌はしゃべる、そう いまなおしゃべる。)
静かに! 棘は お前の心にもっと深く入り込む――
それは 薔薇と結託している。
(中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、115~116; 『罌粟と記憶』(一九五二); 「夜の茎たち」)
*
斧たちと戯れながら
夜の七時間、覚醒の七年間――
斧たちと戯れながら
お前は 直立させられた亡骸たちの影のなかに 横たわる
―おお お前が切り倒さない木々――、
口にされなかったことの華麗さを 枕元において、
言葉のがらくたを 足元において
お前は横たわり 斧たちと戯れる―
そして最後に お前は斧たちのように きらめく。
(中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、134; 『敷居から敷居へ』(一九五五); 「七つの薔薇だけ遅く」)
*
一粒の砂
石、それから ぼくは お前を彫った、
夜が 自身の森を 荒らしたときに――
ぼくは お前を 木のかたちに彫り
そして お前を ぼくのほんのかすかな文句の茶色のなかにくるみこんだ
樹皮でくるむように―
一羽の鳥が、
一番丸い涙からすべり出て、
木の葉のように お前の頭上で揺れる――
お前は待つことができる(end137)
皆に見守られて 一つの砂粒がお前に輝き始めるまで、
一粒の砂、
それは ぼくが夢みるのを助けてくれた、
ぼくが お前を見つけようと もぐっていったときに―
お前は それに向かって根を伸ばす、
大地が死で赤く燃えるとき、お前を巣立たせる根を、
お前は 高く身を伸ばす、
そして ぼくは一枚の葉となって お前に先立って漂う、
あの門たちがどこで開くかを知っている葉となって。
(中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、137~138; 『敷居から敷居へ』(一九五五); 「七つの薔薇だけ遅く」)
*
一房の髪
一房の髪、それをぼくは 編まなかった、それをぼくはなびかせるままにした、
それは 去来によって 白くなった、
それは 額たちの年に ぼくがその傍を通り過ぎた
額から ほどけた― ――
これは 万年雪のために
呼び起こされる 一つの語だ、
雪の方を見つめていた 一つの語、
ぼくが 目たちに 夏のようにとり囲まれて、
お前がぼくの頭上に張った眉を 忘れたとき、
ぼくを避けた 一つの語、(end139)
ぼくの唇が 言葉のあまり 血を流したとき。
これは いくつもの語と並んでやって来た 一つの語だ、
沈黙の像を写しもつ 一つの語、
つるにちにち草と悲痛が そのまわりに茂る。
遠いものたちが ここに降り立つ、
そして お前が、
薄片となった彗星が
ここに雪と降り
そして 大地の口に触れる。
(中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、139~140; 『敷居から敷居へ』(一九五五); 「七つの薔薇だけ遅く」)
*
遠方
目と目をあわせて、冷たさのなかで、
ぼくたちも こんなことを始めよう――
ぼくたちを 互いの前から隠す
帷を
一緒に吸い込もう、
夕べのとるあらゆる姿から、
夕べがぼくたち二人に貸し与えてくれた
あらゆる姿まで
まだどれほど離れているかを
夕べが測り始めようとするときに。
(中村朝子訳『パウル・ツェラン全詩集 第一巻』(青土社、一九九二年)、144; 『敷居から敷居へ』(一九五五); 「七つの薔薇だけ遅く」)