こうして二隻の船は、帆が垂れ下がった状態で漂っていった。耳を聾するような静寂が訪れた。その静寂は、図書館にこもる私の調和に満ちた静けさとは根本的に違うものだった。それでも私には時おり、間隔をあけて押し寄せるうねり、あざけるような晴天、無限に寄せては返す波の音が聞こえる気がした。この波がかつてマゼランをそそのかし、この大海に「太平」の名を与えさせたのだ。不気味なまでの協和、荒れ狂う嵐よりもなお恐ろしい、永遠の無慈悲な音。何となれば、嵐はいつか必ず(end32)過ぎ去るからだ。
しかしこの海は、平和でも静かでもなかった。光の届かない深部で、飼い慣らすことのできない巨大な力が再来する好機を狙っていたからだ。海底はひび割れて溝を穿たれ、地殻には海溝と海山によって深い皺が刻まれていた。それは太古の癒えない傷跡だった。いまだ分かれずに一つの塊として漂っていた大陸が、巨大な力によって引き裂かれ、地球のマントルに押しつけられた結果、プレート同士が重なり合い、互いに下へもぐり込んで、慈悲も正義も知らない自然の法則に従って、あるいは不意に深淵へ引きずり込まれ、あるいは明るい山頂へと押し上げられた。海水が火山の火口を覆い、無数の珊瑚がその縁に棲みつき、太陽の光を浴びて礁を形成した。新しい環礁の骨組みだった。その肥沃な土の上で、漂着した木の種子が芽ぶき、繁茂していった。一方、火の消えた火山は深く暗い海底へと沈んだ。無限ともいえるゆったりした速度で。そしてそれが耳には聞こえない轟きとともにいまなお起こりつづけている間、甲板の下では飢えた動物たち、牡牛、牝牛とその子牛たち、牡羊、牝羊、ヤギがけたたましく鳴いていた。牡馬、牝馬はいななき、孔雀とその雛たちは甲高い叫び声をあげ、鶏たちはガアガアと鳴きわめいた。クックはいまだかつてこれほど多くの動物を乗船させたことがなかった。王のたっての希望でノアの方舟の半分を引き連れ、その手本と同じく繁殖させることを目的としていた。クックは自問した、全船員と同じだけの食糧をむさぼり食う、腹を空かせた獣たちの餌を、ノアはどうやって工面したのだろう。
(ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、32~33; 「ツアナキ島」)
- 午後六時である。椅子にすわって両手のゆびでキーボードを打ち、文をつづるのがあいかわらずけっこう負担で、打鍵をするとからだがきもちわるくなるようなところがある。きのうおとといはまったく文を書かなかったはず。おとといは労働だったし、きのうは(……)くん・(……)くんとの読書会があり、先週の土曜日に小発作をまねいて以来遠出をして無事に帰ってくる自信がないので、オンラインにしてもらったのだが、オンラインでも画面をまえに数時間座りつづけているとそれだけでけっこうきもちがわるくなる。勤務のある日はたいがい疲れてしまって書けないし、休みの日でも打鍵じたいがからだに負担だからなかなかそちらに向かう気が起こらず、ひるんでいるようなところがある。いよいよおれもやばいかもしれない。営みの頓挫がちかいかもしれない。書けないなりに書いていこうとおもうが。健康が第一なので簡易版みたいな感じにしたほうがよいのだろう。むかし、二〇一四年の日記を読みかえして削除するというときに、まったく消し去ってしまうのもあれだからと簡易版なる記事をつくってそこにみじかい箇条書きでその日のトピックをまとめたが(その後、過去のじぶんをゆるせるようになり、一四年の日記で削除されたのはいちぶにとどまった)、イメージとしてはあんな感じ。日記というか、日誌みたいな、業務報告みたいなそっけなさにしたほうがほんとうはよいのだろうと。できる自信はないが、しかしある程度簡易版的な感じにしていきたい。体調がどうしてもついていかないようだったら、さいあく数か月くらい休むのもよいだろう。むかしはぜったいにまいにち書かなければならないという執念を燃やしていたけれど、いまはそこまでのこだわりはなくなっている。一年間鬱様態におちいった一八年のときも、読み書きができないからマジで生きていてもしょうがないなという感じだったが(まあその虚無感は読み書きにかかわらず鬱様態の症状だったのだろうが)、いまはそんなことにはならないとおもっている。読むほうはできるし。もう文を書かなくてもふつうに生きていけるとじぶんではおもっている。
- 書くことをしぼっていくとすると念頭にあがるのはやはり天気で、きょうは離床した九時ごろにはまだ白く曇っていて、これじゃ洗濯はあれかとおもってひかえていたところ、午後からある程度のうすびかりが窓にやってきた。しかし時間ももうおそかったので洗濯はしなかったが。書見はきのうからティム・インゴルド/訳者多数『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)を読みはじめて、そのつづきをすこし。これはたしかおなじく左右社から出ているレベッカ・ソルニットの『ウォークス』と(またほかに三冊くらいまとめて)同時に買ったのではなかったか。『ウォークス』もそうだったけれど、これはじぶんの関心やかんがえかたや世界のとらえかたにたぶんかなりちかいことを書いている本だろうなとおもいつつ買ったのだが、じっさい読んでみればやはりそうで、言ってること全部同意みたいな感じ。まだ一章までしか読んでいないが。その序章はティム・インゴルドが「人類学を生きかえらせるために」(29)おこなってきたこころみを四つのフェーズに分けて概説するもので、「生産」、「歴史」、「住まうこと」、そして現在(この本の原著は二〇一一年に出ており、二〇〇七年には『ラインズ』の原著が、二〇一五年には『ライフ・オブ・ラインズ』の原著がそれぞれ出ている)は「線」がキーワード。めちゃくちゃ大雑把にながれを追うと、エンゲルスなんかでは生産というのは事前にいだいた観念的デザインをもとに目的志向的に対象にはたらきかけて改変する他動詞的な行為としてとらえられているのだけれど、それを自動詞的なものとして、つねに進行しつづけ、その「進行にしたがって生じるかたちによって節目づけられるようなプロセス」(34)、あるいは、「世界それ自体の変成に参加すること」(39)としてとらえたいということ、とすれば歴史も、物質世界から切り離されたものとしてとらえられるにんげんが世界にたいしてはたらきかけることでつくっていくものではなく、つまり、「社会の地平における人間としての大文字の「歴史」と小文字の自然の歴史の交錯ではなく、さまざまな人間と人間以外の動物が相互に巻き込み合う交錯が織りなすひとつの歴史である」(41)ということになる、そうした織り成されたネットワークのなかで具体的な関係の文脈においてなにかをしたり、生み出していったり、生成するものとしてにんげん(や動物や環境)をとらえるのが「住まう視点」だが、かんがえていくうちに、存在性を「住まう」という「区画された局所性のニュアンスを帯びて」(48)いる概念よりも、「生の道すじに沿って漕ぎ出す動き」(48)のようにとらえることが重視された、そうして「線」というテーマが出てくると。そことの関連で、ドゥルーズ、ベルクソン、ホワイトヘッドという思想家たちが重要な示唆をあたえてくれたと述べられている。ちなみに、ティム・インゴルドがいた八〇年代初頭のイギリスでは、ベルクソンやホワイトヘッドの著作は「まったくの流行遅れ」(49)だったという。日本ではむしろニューアカとかドゥルーズ受容からベルクソンが注目されて、いまでも現代思想方面ではベルクソンはかなり重要ななまえとして論じられている印象だけれど、イギリスではそうでもないのだろうたぶん。英国と大陸で思想界にも断絶があるみたいなことはよく聞くし。世界を織物的ネットワークの総体のようにしてかんがえ、にんげんも特権的な存在ではなくそのなかのいち参与者にすぎないみたいなこととか、生産を「世界それ自体の変成に参加することだと考える」(39)点とか、「人類学とは、世界という織り物のなかで繰り広げられていく人間の生成変化を探求してゆくことなのだ」(41)とか、「感受性をもつこととは、世界に対して開かれ、包まれ、己の内部を世界を満たす光と響きに共鳴させることである。光や音、感覚に浸され、知覚者であると同時に生産者である感受性をもつ体は、その連続変化に寄与するとともに、世界の展開の道すじをたどっていく」(48)とか、「知覚者=生産者は歩を進める散歩者であり、生産の様式とは拓かれゆく行程であり、たどられる道すじである」(48)、「私が言いたいのは、歩くことが、生き物が世界に生息する根本的な様式だということである」(48~49)など、我が意を得たりという一節がちょくちょくある。ネットワーク的な関係性の束、すなわちテクストとしての世界という観念はバルトを読んだあたりからじぶんのなかに生じていたし、むかし、実践的芸術家もしくは芸術的実践者という概念でもって、みずからの行為によってテクスト=世界になにかを書き入れ、それをつくりかえていく存在という発想をもったこともあった。
- 一年前の日記より。きょうは朝の寝床で読まず、午後七時ごろになった。
(……)さんのブログの四月一日付けから。こいつは明快でおもしろい。とても大事なはなしでもある。「だから、この「法外なもの」について、もっと考えないといけない。たとえば、正義とは法外なものだというデリダの認識がありますよね。法に適うように行為することは、あらかじめ法によって正しさを保証されているわけだから、正義でもなんでもない。正義とはそういった法の後ろ盾がないところである判断を下し、行為することだと」というのは、かんぜんにハンナ・アーレントだとおもった。「後ろ盾がないところである判断を下し、行為すること」という点。かのじょはたしか道徳的判断というのはそういうものであると、それまでの法や道徳性が一挙に転換してしまったナチスドイツの経験をもとにかんがえ、”judge without a banister”と呼んでいたらしい(というのはNew York Timesでむかし読んだ記事で知った情報で、原典にはあたっていないのでちがうかもしれないが)。あと、千葉雅也が「すべてが空間化されている」というのは、なるほどそういうとらえかたができるのかと感心した。
國分 最近、一般に「責任」と翻訳されるレスポンシビリティ(responsibility)を、インピュタビリティ(imputability)から区別するべきではないかと主張しているんです(國分功一郎、「中動態から考える利他——責任と帰責性」、伊藤亜紗編、『「利他」とは何か』、集英社新書、二〇二一年)。責任がレスポンシビリティであるなら、それは目の前の事態に自ら応答(respond)することですね。それに対し、インピュート(impute)というのは「誰々のせいにする」という意味で、責めを負うべき人を判断することであって、これを「帰責性」と呼ぶことができます。
今日の議論で言えば、いまはインピュタビリティが過剰になって、それを避けることにみんな一生懸命だから、レスポンシビリティが内から湧き起こってくる余裕がないという状態ではないか。レスポンシビリティはまさに中動態的なもので、「俺が悪かった」とか、「俺がこれをなんとかしなきゃ」とか、ある状況にレスポンドしようという気持ちですね。
ところがレスポンスを待つ雰囲気がいまの社会にはない。とにかく誰かが俺にインピュートしてくるのではないか、俺のせいにしてくるかもしれないということばかり考えているから、責任回避が過剰になる。
千葉君の話と結びつければ、日常生活でレスポンシビリティを待つことができていれば、インピュタビリティが過剰になったりしないと言えるのではないか。さらに言えば、レスポンシビリティは法外なものと関わっている。自分の気持ちだから。
だから、この「法外なもの」について、もっと考えないといけない。たとえば、正義とは法外なものだというデリダの認識がありますよね。法に適うように行為することは、あらかじめ法によって正しさを保証されているわけだから、正義でもなんでもない。正義とはそういった法の後ろ盾がないところである判断を下し、行為することだと。
千葉 計算を超えるわけですよね。
國分 そう。一番わかりやすい例は、良心的兵役拒否です。たとえばベトナム戦争に私は行かないというのは、その時点では明らかに違法行為だけれども、それが正義だったことは後からわかるわけです。
ポイントは時間にあって、ジャスティスのほうは時間がかかる。いまはむしろコレクトネスばかりで、それは瞬時に判断できる。判断の物差しがあるから。社会がそういう瞬時的なコレクトネスによって支配されているから、時間がかかるジャスティスやレスポンシビリティが入り込む余地がなくなってきている感じがします。
千葉 現在では法と矛盾するけれども。未来時点においてはコレクトになるかもしれないという別の時間性、時間の多重性を導入するのがジャスティスの問題ですよね。それは未来方向にもそうだし、過去からの経緯や歴史を踏まえることによって、瞬時的な判断とは別の判断を行うという形でも多層性を含んでいると思うんです。
だから、歴史性を考慮することと、未来に向けてのジャスティスを考えることはつながっている。それがどちらもなくなっているというのは、やや抽象的に言うと、すべてが空間化されているということですよね。不可入性の原理、つまり一つの場所を二つのものが同時に占めることはできないから、どちらかを取るという話にしかならない。
部分的に賛成と反対が共存することを複数の時間性において考えるようなことを言うと、「何をごちゃごちゃ言ってるんだ」という話にしかならず、議論にならないんですよ。逆に、すべてを空間的に並置して、不可入性の原理で話をすっきりさせることが民主化という話になっている。それがエビデンス主義のポリティカルな対応物だと思うんです。
(國分功一郎+千葉雅也『言語が消滅する前に』)
- その後しばらくだらだらしたあと、買い出しに出ることに。八時。二食目を取ってからもう数時間経ってからだがたよりないようだったので、つまり外気がそこそこ冷たそうにおもえたので、ジャージのうえにモッズコートを羽織ることにした。したはいつもの青灰色のズボン。だらだらするまえに米をあたらしく炊飯器にセットしておいたので、スイッチを押してしばらく漬けてあったそれを炊きはじめるとともに靴を履き、マスクをつけてそとへ。階段を下りる。簡易ポストをのぞくとなにかしらのチラシがはいっている。道に出て右へ。すぐに路地を抜けて車の来ない道路を向かいへ渡りながらななめに左折。きょうも布団屋のまえに立った旗が風にうねっており、きのうの通話中に(……)くんが、「へんぽんと」というはためきをあらわすことばがどういう意味かわからなかった、知らなかったと言っていたのをおもいだす。空は一面の曇り。横断歩道にいたると渡り、歩道に乗ると右に折れてすでにシャッターの閉まった豆腐屋のまえをとおりすぎ、(……)通りへと左折。胃が空になっているからだに風はやはり肌寒く、あるきはじめてまもなくモッズコートのまえを閉めたし、首もとのボタンもこのあたりで留めることになった。公園の桜はみあげればみぞれ状、枝に花ももうすくなくて、低い位置などほとんどないようであまりいろもたしかならず、ただそのしたの地面の端には散った花びらが寄りあつまって帯なしており、ほのかに白くあかるむようで、左足もとに目を振ってこちらがわの端もみればおなじように散花が無数にかたよっているが、白に饐えたようなピンクのわずか混ざったその集合は、花びらというよりザラメ糖のようにみえ、もっといえば削ぎ落とされた魚のうろこじみてうつった。日曜の夜である。通りのとちゅうにあるちいさな喫茶店はなかにあかりをともしているし、自転車の対向者ともいくらかすれちがう。通りを抜けると当たるのは南北にまっすぐ伸びて二車線の明確な(……)通り、たどりつくまえに横断歩道の青が消えたが車がなかったので無視して悠々と渡り、寺の角から裏にはいった。もともとそのさきを曲がって寺とマンションのあいだの道を、塀内にならんだ桜をみあげつつ駅前まで行ってスーパーへとおもっていたのだが、曲がらずに路地をまっすぐすすむこころが湧いて、このみちびきにしたがおうとコートのポケットに両手を突っこみつつすすむ。せまい夜道で、まえから来るものの顔もむろんわからない。路地のとちゅう、まんなかにいちまいのみ、両端がちいさく焦げたような、鼻血のくっついたような広葉の、くすんだいろの葉っぱが表面あらわに落ちていて、あたりをちょっと見回してもどこから来たものかわからなかった。道の端に歩道というほどのものはないが、駐車場とか建物の敷地とかとの境はほんのちいさな段になっており、そのちょうど接触部から薄緑の雑草が意外とたくさん生えて小人の髪の毛じみた細葉を乱している。踏切りにかかるまえ、その口の脇でフェンスに張られたなんらかの掲示のうえに赤いひかりがひらひらうつり舞っており、右手の赤色灯はまだ電車の通過を告げていないよなと寸時混乱したが、背後からちかづく車の気配があり、ということはと横に来たのをみればパトカーだった。慎重すぎるくらいに踏切り前で間を置いてから渡っていったのは老婆がひとり渡りかかっていたからかもしれず、車とすれちがいながらこっちに来たそのひとを脇にひいて待ってからじぶんも越える。夜空をみあげれば月の位置はあそこだなというのが湯のなかでひるがえる卵の数滴のような白さでもってかろうじてうかがえるけれどそれいがいは星も差異もなにもなくおしなべて雲の埋め尽くす一面で、灰色といい煤色といい、たしかに骨が焼けたあとの灰とか紙が燃えくずれた煤とかで塗ったような白っぽい曇り方で、だからつつまれているわりに暗くはなく、建物の線との受け合いもあきらかでむしろあかるい。一軒の道側になんの木なのかわからないが小暗くわだかまったものがあり、大ぶりの花がいくつも地に落ちてぐちゃぐちゃと地獄のカボチャみたいな色であたりを汚しているのが花というよりつぶれた果実の散乱にみえる。路地のまっすぐ果ては(……)通りで、ちいさな出口に信号や街灯のあかりがいくつか満ちているのをしたわないでもなかったが、しかしきょうはこのへんで曲がっておくかと左に折れたのはおとといの出勤時にも曲がった角で、二ブロックさきはちょうど病院や公園の裏道にあたる。一ブロックすすんだ辻の路上にはさくら花がもともとそのような模様であったかのように道に点描をなしていて、それはそのさきにある病院の駐車場の縁にならんだ木々から降ってきたものだが、おととい通ったときには散り時で過ぎる間にも風につぎつぎはぐれていったとはいえまだしも白いたなびきを頭上にふわふわとどめていた花たちもいまとなればもうだいぶなかまを減らしたよそおいで、あいだに街灯を置いてもいろがあざやかならず鈍い混迷のすがた、道の宙に伸び出た枝の先端にのこっていれば白さがひとひら浮かびあがるが、内側のほうは灰色の空の内でぜんたいに水に浸かったようなほの暗さをまとっていた。病院裏の道は向かいにわたっていつもの歩道を左、駅のほうへと向かう。このくらいあるいてくれば肌寒さはとうになく、服の内はひかえめな体熱で充実し、風は涼しさといういじょうに軽さとなって肌を摩擦し、左手前方のさきには駅前マンションの一面が後景をひろく占めていて、左に向かって階段状にだんだんひくくなっていくかたちの内部はベランダのくぼみがあらわならず均されたうえに部屋部屋の窓あかりがカーテン越しのぼんやり顔で無数に乗って、大別すれば白と黄色の二種になるそれら灯火もおのおの微妙な明度色調の差をはらみ、角が欠けていたりもするし輪郭はやわらかくてあまり四角く立たないやつらが不規則にならんであいまに黒い一画もあるから独自の図模様をつくっており、その右にはもうひとつ、ほんとうは線路の向こうがわだが夜闇によってあいだの空間が消失し直接つながって立っているかにみえるべつのマンションもつづいていて、こちらはベランダのくぼみとそのまわりを画する太線が見て取られてひかりも四角く奥まってうつり、暗い褐色でわずかつやを帯びつつ縦横に行き来する壁の感じがチョコレートワッフルのようにみえる。恍惚とまでは行かないが、たびたびそちらに目をやってああー、となかば呆けたようになりながら、周囲のひとびとがだれもそちらを見ておらずそもそもまわりをあまり見ていないようなようすなのに、なぜだれもこれを見ないのだろう、なぜみんなこれを見て書き記したいとおもわないのだろうとおもった。こんなにも、こんなにも、とつづけて、こんなにもなんなのかはしかしわからず、すばらしいと言ってもよいのだろうがそういうことでもない気もするし、うつくしいとかあざやかとかもしっくりこない。こんなにも、このようにしてここにある、ここにあるのに、というほかなかった。これらのものたちをすべて支障なく、苦しむことなく粛々と書き記すことのできるからだをあたえてくれとおもった。じぶんが行く歩道の右脇には格子状の白く古びた門もしくは柵があって、左の道路を前方にすぎていく車の尾灯が穴と交互に配されたその縦線のうえをななめに赤く走ってながれ、正面奥には駅のまわりでオレンジっぽいひかりをひろげている街灯のひとつがいま門の裏にはいってこちらのあゆみに応じて隙間のなかでビカビカ点滅し、すぎればしかし高所でしずまりながらいまいち落ち着かないいろあいであたりを染めている。場所は穂草の空き地である。穂草といってこちらがわにはあまりなく、この時季をむかえて菜の花のたぐいがいま街灯によってやや乱された黄色の花を群れさせて、先端がこちらの顔くらいの高さにまで伸びているものもけっこうあるが、草花がまったくみられず根絶されたか黒い土だけの一画がひらかれてもいて、ここにもなにかを建てるのだろう。ひるがえって左、駅裏の駐輪場で無数の自転車が降るひかりをまとって橙がかっているのはそれだけで写真めく。踏切りをわたるとあたりにだれもいない無音に気づき、めずらしいなとおもったが、右に踏み出せばもう道のさきから自転車のライトがすべってくる。表、というのは行きに越えてきた(……)通りだが、そちらに向かいながら、ここにこれがあるということをただひたすら言いつづけたいとおもった。それだけを言いつづけるには、たぶんやはり、日記のようななんともいえない、中途半端な、作品化しがたい形式の文章が必要なのだろう。ここにこれがあり、そこにそれがあり、またあったということ。時空が、知覚感覚印象が、かたちや色やニュアンスが、ものたちが。なによりもものたちがある。無数のものたち、必要としてそこにあるものや、あってもなくてもよいものや、必要不要などとはかかわりなくたんにそこにあるものたち、そうしたものたちがそこにあり、世界を構成し、成立させているということがそれだけでじぶんをときに惹きつけ、書き記すことへと駆り立てる。ものがそこにあること、それはそれだけでなにかなのだ。そして梶井基次郎にいわせれば、みること、それもまたなにものかである。そしてまたそこにじぶんもあると言わなければならないのはいくらかいけすかないようであり、すこし不幸なようにも感じるが、受け入れざるをえないことだ。わがままを言ってもどうにもならない。
- おもてに出て左折し、ひとに満ちたラーメン屋とか学習塾とかのまえを過ぎていけばスーパー。買い物をして帰路をたどってアパートに着いたのはちょうど九時くらいだった。一時間ほど出ていたことになる。着替えるとさっそくいましがたの外出路のことを書き出した。書き出せば肩はすぐこごってきて、蜘蛛か虫の霊が肌のうえかなかをうごきまわって取り憑いているかのようなもやもやとしたわだかまりがだんだん濃くなってきて、三〇分も書けばいちど立って腕を振らなければならず、そのようにしてなんどか休憩をはさみつついまここまで書いて一〇時四二分だから、一時間半くらいかかっている。しかしきょうは書けてよかった。ゆびもよくうごいたし、からだもそんなにやられてはいない。やっぱり前後の腕振り体操がいちばんからだがいい感じになる気がする。すっきりしてほぐれるというのもそうだけれど、やっていてなんだかリラックスしてくる、安心してくるというのがじぶんにとってはいちばん大事なところだ。パニック障害なので。
- スーパーでは値引き品に特段のものはなかった。バナナやタマネギ、豆腐を籠へ。また、ドレッシングもほしかった。そろそろあたたかくなってきたし、ひさしぶりに温野菜ではなくて生のサラダをまた食おうかなというきもちが湧いており、それでせんじつ値引き品ラックにあった三個入りのトマトなんかも買ったのだけれど、そのとき肝心のドレッシングを買うのをわすれてしまったのだ。ごま油&ガーリックをえらぶ。その他ヨーグルトや、冷凍のメンチカツ。これもいぜんたまに買っていたが今回ひさしぶり。帰宅後にそれをおかずに白米を食った。しかしこのメンチはほんとうはフライパンで揚げる用のもので、それをレンジであたためているのでとうぜんながらぜんぜんカリッとはしない。よくかんがえればふつうにレンジ用のメンチカツ製品がほかにあるはずで、そっちを買えば良かったのではないか。あと、また味噌汁もしくは煮込みうどんでもつくろうとおもってエノキダケやタマネギも買ったのだけれど、味噌を袋から取って溶かすのがめんどうくさいというかわずらわしいので(袋のなかに箸かスプーンを突っこんでがんばってお玉に取らなければならないのがわずらわしい)、味噌味の鍋の素を買えばよいかとおもっていたところが、見当たらなかった。代わりにボトルの味噌でも買っておけばよかったかもしれない。レジはたしか「(……)」という中年いじょうの女性。まえにもなんどか当たったことはある。慇懃な態度だが、ほがらかさやあたたかみはない。ただこの日、こちらが読み込みを通過して機械のまえで会計しているさいちゅう、おなじように読み込みを終えてとなりの機械のまえに移動したつぎのひとにたいして、アボカドはこちらの袋にまとめてしまってよろしいですか? とたずねているのをみて、ていねいなしごとのひとではあるのだろうとおもった。客にたいして礼もよく言っているし。こちらも金を支払って籠を運びはじめるさいに礼を言って整理台へ。
- 帰路、アパートの路地からいっぽん駅側の通りまで来たさい、そこを渡ってこちらがいつもはいる細道の角にちいさな畑があるのだけれど、そこで菜の花がたくさん生えて茎とともに黄色い花を風にすこしゆらしているのをみた。なんの野菜をそだてているのか知らないが、菜の花であるからにはアブラナ科のなにかなのだろう。帰宅後は上記のようにきょうの文を書き、その後夕食。生野菜サラダを食べようかなとおもいつつも、空腹の時間がながいからだはとうぜんあたたかくなく、野菜をつめたいままで食うのに気が向かなかったので、温野菜にした。キャベツと買ってきたチンゲン菜。その他メンチと白米、バナナにヨーグルト。食後は歯磨きをしたり、足首をまわしながらウェブをみたりし、一時まえになって燃えるゴミを出しておくんだったとおもいだした。この時間になるとそとに出るのがめんどうくさいようではあったが、冷凍庫に生ゴミがけっこう溜まっていたのでやはり出したい。それでゴミ箱から袋を取り出し、生ゴミをくわえてみると、余裕をのこしてぜんぶはいったのでよかった。ときどき生ゴミの数がおおいとき、それだけを入れるのにつかう五リットルの袋がもう切れてしまっていたので。パジャマのままでなにも羽織らずそとへ。夜気はそうつめたくはない。道に出てゴミをアパート脇に置き、もどりながらみあげると、やはり灰色のずいぶんあかるい深夜で、南のほうなど夜半というよりそろそろ明けてくるかのような、午前四時くらいのいろあいとみえるようだった。Joe Locke『Makram』をBGMに二三日の日記をnoteに投稿(二二日はさきほどすでに投稿しており、二三日もブログのほうにはあげたのだが、なぜかnoteにうつすのをわすれていた)。その後ここまで加筆。一時半。やはりからだがきしむ。きょうはもうやめよう。
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- 「ことば」: 1 - 3
- 日記読み: 2022/4/2, Sat.