2023/4/3, Mon.

 私は彼らの心に養分を与えた憧れがいまなお見て取れるそれらの絵を、図書館の地図室の風通しの良くない広間でじっと観察した。問い合わせてみて知ったのだが、その広間の曇りガラスの窓は、資料保存のために開けられないようになっていた。スケッチの中には、ディスカバリー号の航海士が描いた海図もあった。彼は船から可能な範囲で島の大きさを測定し、大まかな地図を作成するよう指令を受けて、あまり大きくないその島の周りをスループ型帆船で一周したのだった。島の輪郭が二重線で縁どられたこの地図には、まるでもじゃもじゃの毛房のように見える大胆な線で丘陵が描き込まれ、二重の意味で不条理な表題がつけられている。筆記体の文字が華々しく、それが「ディスカバリーの島」であることを宣言している。余計な名前、そう私は思った。何の根拠もない主張。この名を生んだ古い習慣と同じく、不遜で馬鹿げている。
 というのも、浜辺にはとっくに島民たちが集まってきていたからだ。彼らは自分では気づかないうちに発見され、異国からの報告書に欠かせない原住民の役割を負わされることになっていた。そんなわけで、こうした目的のために島民たちはすでに浜辺に大勢並んで棍棒を担ぎ、槍を構えていた。茂みの陰からさらに多くの島民が続々と朝日の中へ姿を現すにつれて、彼らの喉の奥から発せられる歌(end35)もまた大きく、緊迫したものになっていった。彼らは武器を振りかざし、叫び声のリズムに合わせてそれを空中に突き上げた。それが威嚇なのか、それとも歓迎の意を表しているのか、何度望遠鏡の助けを借りて見ても判断がつきかねた。なぜなら接眼レンズの中でいつの間にか二百人ほどに膨れあがった群れは、明らかに大きく見えるようになってはきたものの、木と真鍮とガラスで作られたこの道具は結局のところ、はるかに重要度の高い疑問を解明するには役に立たないとわかったからだ。報告書の率直な好奇心にもかかわらず、また彼らの言葉や身振り、体格や服装、髪型や肌の入れ墨についての詳細な描写にもかかわらず、またこの部族を他の部族と比較する際の精確さにもかかわらず、あらゆる言葉以前にこれらの人々に向けられるまなざしには、本質的なことはすべて隠されたままだった。なぜならこのまなざしは、未知か既知か、類似かそれとも独自のものかという区別しか知らず、もともと一つであったものを分け、境界線のないところに境界線を引くからだ。それはまるで航海図の複雑に入り組んだ海岸線が、どこで海が終わり、どこで陸地が始まるか、知っているかのように見せかけているのと同じだ。
 私は長いこと考えつづけた。いろいろな合図を、だれが真に解釈できるだろうか。火縄銃や船の旋回砲の言葉、無数の右手や左手、それを上に挙げているか前に伸ばしているか、乱暴な仕草や穏やかな仕草、火にかざした串刺しの手足、互いに鼻をこすりつける仕草、まっすぐに立てたバナナや月桂冠の枝、挨拶の仕草、融和のシンボル、人肉食。何が平和で、何が戦争か。何が始まりで何が終わりか。何が慈悲で何が策略か。私はカフェテリアの暗赤色のビロード張りの椅子に身を預け、食事に夢中になっている周囲の人々を観察しながら自問した。同じ食事を分け合うこと、夜更けに焚き火の炎の照り返しを浴びつつ共に座ること、喉の渇きを癒すココナッツを鉄器やその他とるに足りない物と交換すること。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、35~36; 「ツアナキ島」)



  • いま四月六日の午後一〇時前で、この日のことはなにも書かれておらず、おぼえてもいないので往路と勤務時のことだけ書ければ。往路でも印象にのこっていることはすくなく、中華料理屋の裏をとおると、そこは向かいがマンションで裏手に陽など当たるはずがないのに、タオルなんかを吊るした集合ハンガーがふたつかけられ風に揺れており、抜けて病院手前の空き地まで来れば穂草の空き地とこれまでよく言っていたがもう草穂のたぐいはだいぶ減って、嵩を減じてほそくなったゆえにかえって硬いようにもみえる縦線の束がわずかになびきつつ茶色く立っているそのまわりで、地面のうえには緑の雑草がたくさん生えてそちらのほうが色彩の印象として優勢だった。北にちょっと行って西向きに角を折れ、裏通りをまっすぐすすんでいくと、病院と公園の境あたりまで来て道路をはさんでななめ向かいに生えている桜木のいっぽんがいま風にやられて花弁を大量に吐き出しており、近間の宙に吐かれてゆるく舞っている群れはさながら春や秋の路上でひかりのなかを浮遊する羽虫の風情、いっぽう息を吹きこまれたシャボン玉のように湧出のうごきでつぎつぎばーっと吹きながされているものたちは道路を越えてこちらのすすむ歩道のほうまでわたってきて、前方を行くひとの頭上やまわりにちらつきながら、なかなか落ちずに、しかしやがておのおののいどころを見つけゆくようだった。(……)通りの交差点まで来れば対岸のすこし左にあるコンビニの上空に午後四時半の太陽はまぶしく、車が左右に行き交う道路上にぬくみ色づく日なたもかかって、ビルの影とで境界線をつくっているその暗から明へ、つまり右からひだりへ車が抜ける瞬間、それまで日陰に同化してうつっていなかった車の影が歩道のほうへとななめに伸びてあらわれるとともに車内のひとの顔が暖色にあかるんで彫りを深くする、そのさまが目を引き、またたんじゅんに距離としてもちかいので、視線が行くのはひだりから右へとながれていく奥の車線よりももっぱら手前のながれのほうだ。渡って路地にはいると比較的はやい段階で向かいに渡った。巨大なマンションが建つらしい工事現場ではきょうもクレーンが二機、緑色の土台組みを高く伸ばしたそのうえに白と赤で組み合わされた上部構造がさらに高みへと上がりつつ首を曲げている。あるいているうちけっこう便意がある気がしたのだが、駅まで行って高架通路したのトイレにはいれば個室は使用中だったのでとりあえず小便だけ済ませた。すると曲がりなりにも下腹がかるくなったからか、不思議なもので便意も感じなくなり、電車に乗って(……)まで行き、ここでまた感じるようになったので改札前にある多目的トイレにはいって便器に腰掛ければすぐに出てくる。腹をすっきりさせた状態で勤務ができたのでよかった。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • この日は帰りも(……)駅からあるいたのだったとおもうが、その道中のことはなにもおぼえていない。(……)通りをあるいた。けっこうからだがたよりなく、寒いような感じで、そのせいで周囲の知覚や思考に意識が行かなかったのだ。


―――――

  • 日記読み: 2022/4/3, Sun.
  • 「ことば」: 1 - 3