2023/4/9, Sun.

 どうやら風邪を引いたらしい。鼻水が止まらない。最近鼻がつまっていたかしら。まったく記憶にない。信じられない。健康にはとても気を遣っているのに。あのいまいましいクリネックスはどこだっけ。たしかこの辺にさっきまであったはず。ちぇっ。とにかくティッシュなしでは出かけられない。ああ、あそこだ、鏡の下! ハンドバッグに入れて、帽子とサングラスをかけて、ドアを閉めて、さあ郵便局へ。今日はまたなんて廊下が臭いの。ああ、そうだ。月曜の清掃日だ。いつも早朝にクイーンズから掃除隊がやって来て、まるで狂ったサル軍団みたいに大理石の床をゴシゴシやりはじめる。日が昇らないうちに眠りを覚まされることもしばしばだ。この建物中で彼女ほど早起きする者はいないのだが。この洗濯女の臭い、少なくとも水曜日までは残るだろう。またも引っ越しを検討しなければならないかもしれない。いったい何度引っ越せばいいの! 泣きたくなる。とりあえずエレベーターはすぐに来た。このボーイも以前はもっと礼儀正しかったのに。お仕えしているのがだれか、聞いていないのかしら。だれだかわからないみたいなふりをしているけれど。挨拶の仕方を教わらなかったようね。まだひよっこのくせにもう堕落して。あのベビーフェイスで、何を自惚れているのやら。他に乗っている客はいなかった。それだけは幸いだ。それでも下までは永遠に時間がかかった。十七階は十七階だ。やっと着いた。少なくとも守衛はマナーをわきまえているらしく、門衛所から立ち上がって彼女のためにドアを開けた。ふむ、けっこう。おや! 空気は澄んでいる。ハゲタカどもの姿(end102)はない。彼女に注意を払う者はいなかった。新しいサングラスのおかげにちがいない。さてと、よし。選り好みしない性質 [たち] だったので、グレーのフランネルのスーツを着た男に行き当たりばったりに目をつけた。男はエレガントというには程遠かった。だが良い選択だ。男はイーストサイド方面へきびきびと歩きながら、人ごみの中を水先案内人のように進み、彼女に方向性とリズムを与えた。それだけでも悪くない。何度か見失いかけたが、すぐに追いついた。何といっても彼女は歩きの達人だった。歩くことは、彼女がある程度のレベルまで極めた唯一の種目と言えた。基本的にそれは唯一の楽しみ、宗教だった。カリステニクスは必要とあらば諦められたが、散歩だけは絶対に諦められなかった。ウィンドーショッピングも、うろつき回ることも、コースから外れることも。毎日最低一時間、できれば二時間。たいていはワシントン・スクエア・パークまで下り、また戻ってくる。たまに77ストリートまで上がっていくこともある。最初は他人のかかとにくっついて歩くのも悪くない。あてもなくさまようのはその後。迷子になんかなりようがない。それが島の利点だった。
 思ったよりも寒い。いずれにしても四月にしては寒すぎた。いくら東海岸といったって。いつだってくそ寒いか、くそ暑いかのどちらかだ、この街は。彼女がなぜここで暮らしているのか謎だった。この不快な、風の強い街では、風邪を引くほど簡単なことはなかった。三月にさっさとカリフォルニアへ行くんだった。毎年そうしているのに。三月が正解だった、三月になったらすぐ! たしかに死ぬほど退屈だけど、あそこは、だって何もすることがないんだから。だけど気候だけは完璧。新鮮な空気。太陽たっぷり。一日中素っ裸で歩き回れる。まあ理論上は。ばかげているのはシュリースキーがあそこを嫌いだってこと。おかげで何もかも自分で手配しなければならなかった。飛行機に運転手、それにマベリー・ロードの家が売られて以降は、ホテルまで。彼女は十分忙しいのに。もう何週間も前から手ごろなセーターを探していた。カシミアでなくちゃ。お気に入りのダーティピンクの。彼女の好きな色はサーモン、ライラック、ピンク。だけどやっぱりダーティピンクがいちばん。他にもい(end103)ろんな予定やくだらない約束が入っていた。たいてい断るけれど、断るのも楽じゃない。セシルがまた何か勘違いしているようね。適当なタイミングと場所を提案するとか、さらに悪いことに、都合を聞くとか言ってきていた。明日だとか三日後だとかにお腹が空いているかどうか、喉が渇いているか、彼に会う気があるかなんて、どうしたらわかるっていうの。いま体調が良くないことはとりあえず置くとしても。彼女の健康が万全だったことなどなかった。本当にいつも身体には気をつけているし、いつも温かい恰好をして、便器にだって絶対に腰かけないようにしているのに。ちょっと風が吹くだけでもう、おかしな風邪で寝込んでしまう。この前はメルセデスとお茶していた時にやられた。開いている窓にほんの少しの間よりかかっただけなのに。夕方にはもう喉が地獄みたいにイガイガしはじめ、いつものようにセーター二枚とウールのタイツでベッドに入ったにもかかわらず、翌朝目が覚めた時にはひどく具合が悪くなっていた。そこそこ快復するまでに何週間もかかった。基本的に具合が悪くない時を言う方が簡単だった。おまけにあのいまいましいほてりの発作が、青天の霹靂のように襲ってくる。とにかくぞっとする。いますぐ新しいパンティーが必要だ。ロンドンで去年の秋にライトブルーの膝までの長さのを見かけたっけ。セシルが書いてよこしていた、リリーホワイツにはロイヤルブルーかスカーレットレッドカナリアイエローのしかないって。だったらハロッズを覗いてくれたらよかったのに。いずれにしても買ってくると彼は約束した。今度はその手配もしなきゃならない。やっぱり彼に会おうかしら、パンティーのためだけに。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、102~104; 「青衣の少年」)



  • 一年前のニュース。

(……)新聞。編集小欄は「花疲れ」という季語を紹介していた。歳時記というのもおもしろそうだ。ウクライナにかんしては、住民の虐殺はロシアの意図的な行動であるとの見方がつよまっているとのことで、そうでないわけがないとおもうのだが、たとえばドイツの諜報機関は自転車に乗ったひとを撃ちころしたということをべつの兵に説明する兵士の通信を傍受していたというし、ブチャの市長がドイツの公共放送とのインタビューで述べたことには、三二〇人の遺体のうち九割には砲撃による負傷ではなく銃創があったという。ロシア軍兵だけでなく、民間軍事会社「ワグネル」の雇い兵も主要な役割をはたしたとみられると。きのうの新聞に出ていたが、この会社はアフリカはマリでも影響力をもって活動しているらしい。また、ロシア軍が市民をウクライナ軍との戦闘の前線で「人間の盾」として利用していたという証言もあるらしい。やっていることがISISなどと変わらない。

More than 30 children have returned to Ukraine and reunited with their families after they were taken illegally to Russia, according to the Ukrainian organisation Save Ukraine. “Сhildren abducted by Russians from the Kherson and Kharkiv regions have been reunited with their families after several months of separation,” it said.

Russia’s campaign to break down Ukraine’s unified energy system within the past winter period has “highly likely failed”, the UK’s Ministry of Defence said in its latest intelligence update. Large-scale long-range attacks on Ukrainian energy infrastructure have become rare since early March, it said.

Ukraine’s ministry of defence provided the latest figures on the conflict. It said 177,680 Russian troops have been killed and 7,020 armoured combat vehicles have been destroyed.

Ukrainians have been marking the first anniversary of a missile strike on Kramatorsk railway station in eastern Ukraine, which killed at least 58 people, including several children. The attack took place on 8 April 2022, when the station was packed with women, children and elderly people waiting to be evacuated.

     *

A Ukrainian government minister is due to visit India on Monday and will seek humanitarian aid and equipment to repair energy infrastructure damaged during Russia’s invasion, the Hindu newspaper said on Saturday. Ukraine’s first deputy foreign minister, Emine Dzhaparova, will make the first visit to India by a Ukrainian government minister since Russia’s invasion.

  • 時刻をみたのが八時二〇分ごろ。息を吐いたりからだの各所をさすったりしてから起上。臥位のあいだは天気がつかめなかったというか、カーテンの裏からもれるあかるみが白かったのでまた曇りなのかなとおもったところが、あけてみれば青の空だった。しかし気温はきのうより低い印象で、起きてまもなくしばらくのあいだは肌寒かった。黒のマグカップでうがいをしたり水を飲んだりし、トイレに行って用を足したり。寝床にもどってウェブをちょっとみてから一年前の日記を読んだが、すぐに、米を炊いておこうとふたたび起き上がって、さくばんかたづけておいた釜を炊飯器から取り、冷蔵庫の横まで行ってしゃがむとそこに置いてある袋から米をすくってなかに入れ、おなじくそこに置いてある浄水ポットといっしょに流し台まで持っていくと水をそそいで炊飯器にセット、素手でちょっとかき混ぜたらもうスイッチを入れてしまう。ほんとうはしばらく置いたほうがよいのだろうが。日記を読んだあとは「読みかえし2」ノートも。そのあと(……)さんのブログもすこし読み、床をはなれたのはごろごろしているうちに便意が満ちたからだった。トイレに行って腹のなかのものをそとに出したが、その時点でもう一〇時をまわっていて、おもったよりも長居してしまったなとおもった。洗濯をすることに。それもながらく洗っていなかったシーツを洗える機会がやっとめぐってきた。それで寝床からはがして窓をあけ、したに通行人がないことを確認し(これいぜんにきのう干しても曇天と雨のためあまり乾かなかった集合ハンガーのものたちを出しており、それは窓外の左端にかかるので、視線がさえぎられて道の左方はあまりみえないが)、バサバサやってからたたんでネットへ。それで洗濯をはじめ、いっぽう椅子にすわって深呼吸兼瞑想。開始が一〇時一八分だった気がする。そして二五分は行かなかったはず。このときサイレンを聞いたようなおぼえがあるが、きのうも室内にいての瞑想中にも二度くらい耳にしたし、そとに出ればほとんど毎度遭遇する。救急車、パトカー、消防車がいそがしい町だ。食事にはつねのとおり温野菜をつくる。春キャベツののこりを皮を剝ぐのではなくもう直接ザクザク切ってしまい、そこに値引き品だった大根をいちょう切りにしてくわえる。もともと値引き品だったうえにたしょう時間を置いたので見た目や断面はあまりあざやかでなくなっている。あと豆腐とウインナー二本。電子レンジをまわしているあいだは窓外に出していた座布団をはやくも入れてそのうえにころがり、ティム・インゴルドの本を読みはじめる。一〇分ほどなのでたいして読むこともできないが。立つと、気温のためか足先がほぐれていないためか、深呼吸と瞑想をやったわりにからだがつめたくたよりなく感じられたので、固形物を食うまえに味噌汁を飲んで腹をあたためようと即席のそれを用意して、スチームケースとともに机上にならべるとパソコンを復帰させながら汁をすすった。きのうからスタンディングスタイルで作業するようになったが、とうぜん飯を食うのも立ったままにせざるをえない。しかしこれはこれでやってみればたいして苦ではない。立ち食いそば屋とかもあるしな。はいったことないが。野菜を食ってしまったあとは冷凍のヒレカツをおかずに炊きたての白米を食おうと用意したのだが、意外と食欲がないというか、からだが冷えていたところに食い物がはいっていったのでまだそれを処理するのに苦戦しているような感覚で、ヒレカツがあたたまってもすこし待って落ち着いてきてから取り出し、米のうえにのせてソースをかけて、すこしずつ食べていった。うまい。その他バナナとヨーグルト。ヤクは飲んだが、アレグラFXはきょうわすれた気がする。しかしそれでも、さきほど四時前から外出してきたけれど、花粉症の症状はぜんぜん出ていない。
  • 食後はRalph Towner『At First Light』をBGMにかけた。diskunionの新着情報でみかけたので。Ralph Townerはなまえだけでとくべつ興味を持ってはいなかったし、いままで聞いたこともなかったとおもうが、ソロギター作のようだったので。unionのページによれば五〇年ずっとECMでやってきてもう八三歳だという。Oregonのギターでもあるとあって、そうだったのかとおもったが、Oregonもなまえだけだ。じぶんも似非ブルースと似非インプロであそんでいるだけではなくて、もっとちゃんと曲のようなかたちで弾けるようになりたいな。
  • (……)そのあとWoolfの英文を読む。Donald Trumpまわりの記事も読んで、そうして臥位での書見へ。洗濯物はすでに干していた。たしかものを食べ終えて一二時ごろ。あとあれだ、書見にうつるまえに『ムージル書簡集』をほんのすこしだけ読んだのだった。こういうでかい本は重いから臥位で両手で持って読むということがしづらいので、机上でちょっとずつ読んでいくのがよい。シュテファニー・テュルカという、行政官の妻でグラーツにサロンをひらいていたという婦人にたいしてよく手紙をおくっている。一九〇五年三月二二日の(ということはムージル二四歳だが)手紙には『テルレス』についての自己解題みたいなことばがながながとあるので、これは書き抜くことにした。いつになるかわからんが。
  • それで書見はティム・インゴルド/柴田崇・野中哲士・佐古仁志・原島大輔・青山慶・柳澤田実訳『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)のつづきで、きょうは327からはじまっていま372まで行っている。第一一章「サウンドスケープ概念に対する四つの反論」からで、つぎの第四部「物語られた世界」にはいって、第一二章「空間に逆らって」を過ぎていま一三章の「分類に逆らう物語」。ティム・インゴルドの中心的な概念やとらえかた、世界観はここまででもう出揃っており、いま読んでいるあたりはそれを各方面に適用してかんがえているようなおもむきなので、まえの内容とかさなるぶぶん、おなじとらえかたが語られるぶぶんもおおく、わかりやすくはある。しかしきょうはこのときなんだか読んでいてちょっとねむかったが。天気が良かったからか? 書見を切ると三時過ぎで、ストレッチなどし、日記を書こうかなというところなのだが、そのまえに椅子にすわって深呼吸していると、天気もよいし書くよりまえに買い物がてらあるいてこようかなというきもちが湧いてきて、どうしようかなとまよったのだが書きものなんてうっちゃっていませっかく生じたこの外向性に、心身の欲求にしたがうべきだと決定し(きのうは籠もってしまってあるいていなかったし)、立つとしたはさらさらとした薄手の真っ黒なズボン、うえは肌着のうえにブルゾンというかっこうに着替えた。かるいリュックサックを背負い、マスクをつけて部屋のそとへ。空気の質感はやはり少々涼しさを越えている感。みちにでると右に折れ、郵便局に行って記帳をしておきたかったのでふだんとちがいふたたび右に折れた。路上には日なたが敷かれ、そのなかにところどころ建物の影が食いこんでいて、陽にあたりきるでもなく陰につつまれきるでもなく半端なところをあるいて明暗をおのおの身にふれさせる。左手から葉の鳴りが聞こえて風のながれに気づき、向いてみれば、その奥に家があるのかなんなのかよくわからない、なんともいいがたい中途半端な土地に立った細い木が緑の葉をさらさらひかえめにゆらしていた。ここの道を行くといつも、右側のアパートのまえにあるダストボックスに目を落としてしまう。まっすぐ伸びていく道路のさきの空は無雲の水色、すこし前方には辻があって、四つ角のうち右奥が郵便局だがほかは建物が立って空間はほそくせまい印象で、いまそのあたりを温褐色と白の三毛猫がいっぴき、ちょくちょくとした小幅な足取りでゆっくり右へと横切っていった。すすんで郵便局前の駐車場にはいってみればその猫が端に座っており(そのまえに辻に出たあたりでカラスの鳴き声があたりに響くとともに、頭上を三匹ばかり電線や木から発ったのが渡っていく)、なかなか可愛らしいようすだったが、こちらを注視していたかれだかかのじょは警戒して、そこにあった黒い門を乗り越えて葉っぱの散らばった土地にはいり、するとその闖入にハトたちがさわいでのろのろ逃げ出し、バサバサっとすこしはなれたところにうつっていた。猫はこちらをみつめたままだが近寄ったりせず郵便局のほうにあるいて自動ドアをくぐる。ATMで記帳。(……)ほどまだのこっていて、あれまだこれくらいあったんだっけかとおもった。とはいえそうおおくはない。というかとてもおおいとはいえない。
  • 自動ドアを出たところで立ち止まり、陽とぬくもりの照るちいさな駐車場で通帳をまじまじとながめて項目を確認し、リュックサックをおろしてなかにしまうとあるきだした。スーパーに行くわけだが、まっすぐ行っても芸がない、散歩がてらというつもりだったので、辻をもときたほうにわたらずひだりに折れる。ここで折れたのははじめてだが行く道はとおったことがある。(……)のひろい敷地の西を縁取ってまっすぐ南の車道まで伸びる道路で、左側には歩行者区画をあらわす白線がないようだったので右岸に渡った。そうしてまっすぐ南へ。道沿いの家々の植物に目をやり、葉がゆれているうえに視線を蝶のようにひとときやどらせたりしながらすすむあいだ、まえからは車もおりおりはやいスピードで来るし、犬の散歩のひとや自転車ともすれちがう。自転車の三人連れが来たときにはまだはなれた時点で英語らしきことばが聞こえ、what you care? とか言っていたように聞こえたが、先頭をやってきた女性、というか少女だったかもしれないが、かのじょは自転車を飛ばしつつうしろにちょっと向きながら、I did! とことばをほうっていた。白人種ではなかったはずで、中国や韓国あたりの印象。ここで日本人だという可能性が出てこないというのも、ある意味へんなはなしかもしれないが。
  • 南の車道沿いに出ればいつもどおり一路西だが、太陽は左岸を越えてはるかな上空、ひだり斜めまえにつねに浮かんで、澄んだ水色の羊水めいたひたり場のなかからまばゆさを終始わたらせて、こちらの行く右岸に陰はなし、道に配された街路樹や電灯、そこにいるひとや通行人がみな一様におなじ角度で青味をひそかににじませた影を路上にななめに伸ばして引いて、ふしぎなことにとまってうごかない木や電柱のほうが影の輪郭線がおぼろにぶれているのにたいし、歩くひとや自転車のほうはすべるうごきのなかで日なたとの境界をかっきりしるしづけてみえるのだった。おなじ角度で湧き落ちている影をみながら行くうちに、じぶんのからだからもおなじ角度で出ているだろうと右を振り向けば、そばの家や塀にかかって折れたすがたがもちろんそこにある。ストアの横はちょっと草地になっており、その端でいま白くちいさな犬がちょこんと座って飼い主といっしょにたたずんでおり、尻尾のほうのふさふさとした毛の質感とあかるい緑の下草がまじりあっていた。横断歩道はちょうど青で、曲がってくる車があったのでポケットから手を出し、歩調をはやめて車に手をあげ会釈しながら渡る。越えるとまた手を布地の内にもどして鷹揚なあゆみぶりとなり、陽にあたるのを好んで裏にははいらず車道沿いのおもてを行った。まぶしさはつづく。(……)通りの横断歩道も青だったがちょっと遠く、しかし渡ってしまおうと行くと曲がる車がやはり待っていたので、渡るとちゅうで小走りになってなんとか抜け、すると行く手では踏切りが閉ざされているのへゆるゆる向かい、止まると首をまわしたりして電車が抜けていくのを待った。あけば向こうに自転車が何台もいるからはいらず脇にひいて通過を待ち、そのあとから渡っていくこのころにはだいぶからだがおちついてきて、歩調もそうとうにゆるやかになって、陽射しがあればおだやかなぬくもりがここちよく、みるものをあえて書こうともせずただみるような意識のかるさ、中華料理屋の裏から空き地のほうを見通すとあかるさのひろがったしたで緑が断片的に敷かれつつ風通しのよくなった淡褐色の穂草がまだ群れで立ち上がってかしいでおり、その脇の道に出ると土地の全貌があきらかになって視界がひろがり、向こうの病院やそれを越えた空まで視線がとおっていくのに、まえにもいちど書きつけたことだが、ストレッチをすれば筋肉が伸びるのとおなじように、視線と意識もまたこのように開放的に伸びていくことで伸縮を増してほぐれていくのだとおもった。ちょっと北側は最寄り駅そばの踏切りである。ちょうど閉まっていたそこまで来ると道端に幼児がひとり若い父親と立ち止まっており、父親はあ、来るよ、とか、見える? とか声をかけている。その言のとおり電車は右手から気配としてちかづいてきており、こちらはせまい踏切りの口の真ん前ではなくそこからちょっとひいたところに立ち、右足を横に出してすじを伸ばしたり首をまわしたりしながら電車の通過を待って、終わればひとびととともに向こうにわたって、ひだりに折れてパン屋のなかをのぞきながら通り、そこから駅前の細道にはいって行けばスーパーなのだがここでもあえて遠回り、マンションと寺のあいだの道のほうに行った。建物と木のために道はおおかた日陰につつまれている。このころになるとあるいてきたために小便がしたくなっており、しかしトイレを借りられるところとかないよな、寺のなかに便所があるか? とおもいながらもはいらず過ぎて、無雲の水色をみあげながら天空とは視覚が対象化するものではなくひかりじたいのことであり、ひかりもまたわれわれがそれを見るものではなくそのなかにあって見るものだというティム・インゴルドのはなしをおもいだしていると(このへんの環境もしくは流動的メディウムを主体と区分された客体的対象とみるのではなく、有機体がそのなかにつつまれ相互浸透することで知覚や能力(ものを見ること、聞くこと、触ること、生きること)を可能にする条件ととらえる見方は、レヴィナスがいうところの「始原的なもの」のあつかいにちかいような気がするのだが)、小便のことはしばしわすれて、おもてに曲がって歩道をスーパーのほうに折れてからまたおもいだし、そこに寺の塀のとちゅうに裏口が出てきたのではいってみるかと踏み入った。はいってすぐ右には住居らしく自転車の何台か止まった建物があり、細い行路の左側には白い小花をちらほらつけたツツジの茂みや、いたいけなちいささの真っ赤な鯉が散らばっている小池がある。抜けていき、広場に出て、トイレはないのかなとあたりをきょろきょろ見回しながらうごき、桶なんかがならんで水道もあるあのへんにありそうかなとそちらに行くと、男用便所はこちらと表示があったのでほそい通路をはいってトイレへ。真っ暗で、入り口に扉もなく外界との空気の交通がよかったが、踏み入れば自動であかりがつき、小便器ひとつ個室ひとつのこじんまりとした室だった。放尿する。水場はそこにはなく、通路をもどって脇に水道があるのでそこで手をかるく洗い、しかしハンカチをわすれてきてしまったのでしめったままポケットに突っこむほかはない。そうして裏口からそとにもどってとなりのスーパーへ。日曜の午後四時台、自転車は多く、いま漕ぎ出すひとも、買い物を終えてじぶんの停めた位置に来たひともおり、対岸で停まった車からは男性が出てきて、青になった横断歩道にガラガラとベビーカーでかかった女性もカーのうしろにバッグをかけつつ、トイレットペーパーはじぶんで持っているようだった。
  • 帰宅したのは四時四〇分くらいで、ちょうど一時間ほどの外出だった。そこからきょうのことを書き出して、ここまでで七時をまわっている。店内と帰路のことはあとで書けたら。おもてを行っているあいだも心身がゆるかったが、それとおなじような調子で、ちからをいれずゆっくりと記すことができた。打鍵によって左半身、主に肘や上腕のあたりがきしまないとはいえないが、しかしきのうとくらべてもましで、さほどのうっとうしさはない。きしんできたなとおもったらいったん切って、そのあたりやからだのいろいろなところをさすってやわらげながらつづけた。あととちゅうで椅子に座ってRalph Towner『At First Light』もすこし聞いた。五曲目の"Guitarra Picante"がよい。
  • スーパーにはいると入り口横のアルコール消毒でペダルをかしかし踏んで手に液をちょっと出し、それをすりつけたあと籠を取って、まず値引き品のラックを見に行く。きょうは豊富。バナナの高いやつが安くなっていたので買うことに。ブロッコリーもたくさんあったのでふたつゲット。安いほうのバナナもあり、さらには半額になっている苺のミニパックもあったので食いたくなって買うことにした。なにしろ果物は高いので、ふだんはバナナいがい買うことができない。その他白菜やキャベツや豆腐、あといまつかっているひとつのみしかなくなっていたティッシュなど。白米を食うときにいいかげんなんか納豆いがいのものないかなとおもってふりかけのコーナーを見に行き、鮭のやつも籠にくわえておいた。きょうは甘味にも惣菜にもパンにも冷凍食品にも興味がむかない。それで会計へ。あいてはよくみる眼鏡の、髪を横で編んでちょっと垂らしている高年の婦人。なまえをわすれてしまったので名札を盗み見ようとしたがみえず。機械で金を払って整理台へ。整理台もいつも行く時間だと空いているのでいちばん端をつかうのがもっぱらなのだが、きょうは日曜日の夕方前、埋まっているのでそのへんの空いているところにはいった。リュックサックとビニール袋に品物を整理し、籠を横のラックにかさねてリュックサックを背負っていると、会計を終えてカートを押してきたからだのたしょう難儀そうな老婆がはいる台をもとめているというかいちばん手近だったこちらのところが空くのを待っているようにみえたので、ビニール袋を取りながら会釈してゆずるような姿勢をみせ、そうして退店。横断歩道を待って渡る。裏道にはいっていくあいだ足はきわめてゆるい。たぶんほかのひとからあるくのおそすぎじゃない? とおもわれるくらい。むかし、実家からあるいて出勤していたときに、とうじの生徒だった(……)が友達といっしょに裏道でとおりかかって、あるくのおそっ、と笑われたことがあった。道中、たいした印象はない。ただ荷物を背負い、袋を右手に提げて、もうかたほうはポケットに入れながらゆるゆるあるいていた。たいした印象はないが心身がしずかによくおちついていまここの時空がかるくまた不純物のすくない明瞭なものとしてつづき、裏道を出ると向かいの小畑で菜の花がゆれていて、その横からまた細道にはいって日なたとじぶんの影をみおろしながら行けば右の一軒で高年の男性が車に泡をつけて洗っていた。公園前に出る。縁にある太い幹のやや屈曲するようにのぼっている桜木はもう若葉の風情がつよく、下方はまだちいさいとはいえぜんぶ緑色になっており、こずえのうえのほうになると白い薄片がちらほらあったり、中間的な鈍い臙脂の点々が混ざったりもしているが、初夏をよそおいはじめているなとおもった。左折してアパートへ。路地のさき、左右の建物、こちらの住むアパートのひとつうえの部屋に吊るされている洗濯物、路地を出たところにはさまる横道、その向こうでふたたび細くつづく路地と最奥に塗られた水色の空、あかるさ、この空間を(ティム・インゴルドは空間という語に純粋抽象的な意味合いをどうしてもみてしまうと反感をしめしていたが)前方に見通して、それを形容し記述するなんのことばもわかず、どういう感覚なのかわからなかったのだが、ただそこになにかがあるような、そこに、というよりはそれをみながらそことひとつながりになった道のうえをあるいているいまこの時間がなにかであるような、そのような言語と表象未満の原 - 感覚、未 - 感覚のようなものをおぼえていた、のかもしれない。そのときには視線を散らばしてただ見ていたのだ。背後からはガラガラというおとが聞こえてくる。ひだりにひらいた横道の向こうに西の太陽があらわになって、午後四時半の春の斜光をみちに降らせて日なたをひろく接続させる。おとはベビーカーらしくおもわれたから赤子を乗せているのだろうとおのずと予想していたら、こちらの右を抜かしていった婦人が押すそれに乗っていたのはちいさな犬だった。そうしてアパートに帰還。風があった。階段をのぼっているあいだも風が通路を満たして身をつつみおどる。
  • 帰ったあとは上述のように文を書き、七時すぎから食事。温野菜と納豆ご飯と苺。食うと八時くらいで、食後は洗い物をしたり歯を磨いたり、Guardianの記事を読んだり、Ralph TownerをBGMに(……)。九時になると一時間経ったからそろそろやるかときょうのつづきを書き出して、ここまでで九時半。打鍵をしていてもからだに軋みがほぼ起こらない。すげえ。立つだけで良かったのか? 座っていると下半身のながれが停滞してしまってやはりよくなかったのか。しかしそろそろ脚は疲れてきた。ときどきさすって延命しているのだが。太ももの裏側をさするのがとくによい。いま調子に乗って、このあいだ散歩に出たときにアパートまえの自販機で買ったサイダーを飲みはじめてしまった。それできのうのこともみじかく書き足して終い。あとは六日と七日だが、さすがにきょうじゅうには無理だ。ただ六日の外出路のことはできればきょう書いてしまいたいが。
  • いま一〇時四〇分。六日の記事の帰路まで書いた。あとこの日は通話中のことだけ。そうしていまふと気づいたのだが、きょうじぶんがじっさいに声を出したのは(Woolfの文の音読は無声音だしひとりだしのぞくとして)、スーパーのレジでポイントカードはと聞かれて手をふりながら「いや、だいじょうぶです」と言ったのと、読み込みが終わって値段を告げられたのに「はい」とかえしたのと、会計のために機械のまえにうつったところに店員が籠を送ってくれたのに「ありがとうございます」と礼を言ったこの三回だけなのだ。これはひとり暮らしあるあるだとおもうし、籠もっていればいちども声帯を実音で振動させない日もあるだろうが、いまちょっとあらためておどろいた。こんなに文を書き、あたまのなかでしゃべりまくっているのに、じっさいに声を出して他人とコミュニケーションしたのは三フレーズだけなのかと。そんなにもしゃべっていないという感じがぜんぜんしなかったのだ。
  • あしたの勤務後に帰る、一〇時半くらいになるとおもうと母親にSMSを送っておいた。せんじつ来たのに金曜の勤務後がいいかもと返したのだったが、それはやっぱりやめとして、月曜の勤務後にすると言っておいたのだ。それをあらためてリマインド。


―――――

  • 日記読み: 2022/4/9, Sat.
  • 「読みかえし2」: 1344 - 1350
  • 「ことば」: 1 - 3