2023/4/10, Mon.

 こうして彼女は立っていた、洟を垂らしながら。鼻水が流れ落ちた。だれもそれを止めてくれない。なんてみじめなの! 彼女の世話を焼いてくれる者はだれもいない。彼女に注意を払い、彼女がだれだか気づいて手を差し伸べてくれる者は。皆が通り過ぎていった。彼女のすぐそばを。手袋をはめた指でバッグの中をまさぐっている女のそばを。いまいましいクリネックスめ、まるで地面に飲み込まれたみたい。グランド・アーミー・プラザの噴水すら動いていない。これのせいで散歩を中止するなんて、まだ二ブロックも歩いてないのに。仕方ない、鼻水はすすり上げて、次の青の集団と一緒に道を渡っちまおう、そしたらもう実験はおしまい、フィフス・アベニューをちょっと下って、マディソン通りへ移ろう。グレーのスーツは間違いだった。また一つ間違いが増えた、それだけのこと。驚くにはあたらない。彼女はしょっちゅう間違いを犯した。目も当てられない。だけどいつもそうだったわけじゃない。昔は違った。あの頃はそんな馬鹿な間違いはやらかさなかった。自分の欲しいものが何か、どれくらい欲しいのか、いつだって承知していた。いい勘を持っていた。考える必要なんかなかった。じっくり考えることが何かの役に立ったためしはない。よく考えて何かを決めたことなど一度もない。うじうじ考えたって皺が増えるだけだ。これまでの人生で一度も、彼女は何かについてじっくり考えたことがなかった。考えるというのがどういうことか、それすら知らなかった。知的には彼女はどのみちゼロだった。とにかく何も知らなかった。まるで無教養で、本を読んだことすらない。では彼女が学んだのは何か。いろいろな頭の角度が意味するもの。頭を下げるのは相手に従うということ、頭を反らせるのはその反対、頭を軽く前へ出すのは同意を示し、高く掲げた頭は落ち着きと安(end105)定を表す。彼女がそれを覚えたことは驚嘆に値した。彼女は何も覚えない。とにかく何も知らない、あるのは夢遊病者的な直観だけ! それは頼りになった。まだちっちゃい坊やの頃から、彼女は自分のしたいことをちゃんとわきまえていた。いずれにしても昔は。それがいまは消えてしまった、あのむかつく直観め。いつの間にか霧のように消えていた。あの水着の化け物に無理やり身体を押し込んだ時、あの直観のやつは一体どこへ行っていたのだろう。回りつづけるカメラの前で、目を開けたまま破滅に向かって突き進んだあの時、純粋な自殺行為だった。頂上の空気は薄い。一度でも下を見たら負け。いまいましい恐怖に支配権を奪われる。そして何もかも失う。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、105~106; 「青衣の少年」)



  • 一年前の日記から『魔の山』について。ただ要約しているだけだが。

(……)トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(新潮文庫、一九六九年)下巻のつづき。500すぎくらいまで。あいもかわらずメインヘール・ペーペルコルンのはなし。ハンス・カストルプからするとショーシャ夫人もしくはクラウディアの旅の伴侶であるこの男(もう六〇歳かそのくらいのようだが)は恋敵になるはずなのだが、しかしハンス・カストルプは、さいしょのうちはいらだたしさもみせていたものの、かれにさそわれて宴会にあそんだ一夜のあとはむしろそのもとにたびたびおとずれはなしをするという友好的なふるまいをみせ、いあわせるショーシャ夫人はかれらの会話を「監視」しつつ、謝肉祭の一夜にあれほど度を失ってじぶんをかきくどいてきたこの青年がそんな調子でおちつきはらって男同士の敬愛をしめしているのでかえっていらだつ。しかしカストルプじしんはじっさいにこの老人がたいしたにんげんだとおもっているらしく、みずからすすんで「この人物の人柄の影響を受けようとした」(478)。なんについてもひとまず「傾聴に値する」とかんじていろいろなひととつきあう「愛想のよさ」は、かれ特有の性質であり、それがハンス・カストルプのまわりにひとをあつめ、たがいに敵対心や冷淡さをいだいているあいだのにんげんでさえも媒介的にむすびつけることになった、という点は488に述べられている。交際仲間一団の散歩にはすでに「ベルクホーフ」を出て婦人服仕立師の家に間借りしているセテムブリーニと、おなじ家の一階下に住んでいる同宿人レオ・ナフタもくわわり、論敵であるこれら啓蒙的自由主義者のイタリア人と、共産主義ユートピア神の国を同一視するテロリスト的イエズス会士とはあいもかわらずあるきながら高尚な議論をたたかわせ、王者メインヘール・ペーペルコルンもさすがにそれに口出しなどできず、「ただ額の皺を深めて驚いて見せたり、曖昧で嘲笑的な切れぎれの言葉をさしはさんだりするだけであった」が(502~503)、この「人物」のふしぎなおおきさや威厳によって議論の高尚さや重要性は格下げされ、「こういってはたいへん気の毒だが――結局こういう議論はどうだっていいのだという印象をみなに与えて」しまうのだった(503)。哲学者ふたりは根っから教育家的な性分であり、ハンス・カストルプへの思想的影響力をあいあらそっているのだが、そのふたりともメインヘール・ペーペルコルンのまえにあってはちっぽけな存在とうつってしまい、セテムブリーニはしかしそのことが理解できずにあんなのはたかだか「ばかな老人」(493)じゃないですかと青年に苦言を呈している。ところがハンス・カストルプがいまやみつけたのは、馬鹿とか利口とかにかかわりのないなんらかの優越性があるということなのだ。セテムブリーニはまた、カストルプがショーシャ夫人よりもじぶんの恋敵であるこの男にむしろ関心をもっているという点にも違和をとなえているが、カストルプはそれをじぶんが「男性的」(500)ではないということ、またペーペルコルンが「大人物」(501)でとてもかなわないということによって説明している。もうひとつ、ペーペルコルンはジャヴァでコーヒー農園を経営しているオランダ人であり、太平洋の島々などで原住民が利用する薬物や毒物についてかたってみせるのだが、それにおもしろみをおぼえるハンス・カストルプにセテムブリーニは、「そうでしょうとも、あなたがとかくアジア的なものにしてやられるのはよく存じています。いや実際、そういう珍しいお話は私などにはしてあげられませんからね」(499)といやみっぽいことばをむけ、あいもかわらぬアジア蔑視とヨーロッパ中心主義をあらわにしている(キルギス人のような切れ長の眼をしたロシア婦人クラウディア・ショーシャも、この「アジア」や「蒙古」に属する存在である)。

  • 天気は、「きょうはかなり暑く、のちに新聞の天気欄にみたところでは最高気温は二五度だという。寝床にいるあいだもひらいたカーテンのあいだで青海と化した空にたゆたうおおきな太陽がひかりをぞんぶんに顔におくりつけ、肌をじりじりとあたためてからだに汗を帯びさせていた」というようす。それできょうの天気予報をみてみたところ、最高気温は二二度で似たような初夏めきの陽気。
  • ニュース。

(……)新聞の一面からウクライナの情報を読んだ。ロシア軍がミサイルを撃ちこんだドネツククラマトルスク駅での死者は五二人に達したと。東部では住宅地や民間施設への攻撃が激化しているもよう。キーウ近郊ではブチャいがいにも銃殺された遺体がたくさん発見されているようだ。ロシアはいままで孤児をふくむ一二万人ほどを国内につれさったという情報もあった。プーチン生物兵器化学兵器、はては核を使用する決断をしないかという、そのことがいちばん気がかりである。香港の行政長官選挙で、前政務官であり林鄭月娥のもとでのナンバー2だったらしい李家超という人物が出馬表明という報もみた。警察出身で、民主派の弾圧を指揮してきた張本人であり、国家安全維持法を補完する国家安保条例みたいなものを制定するのではないかと危惧されると。選挙は親中派の選挙人による事実上の信任投票である。

  • 地元の美容室に行っている。その往路と帰路。

陽射しのひじょうにあかるい正午だった。みちをあるきながら坂下の家並みやとおくの山などをみやると、そのいろがずいぶんくっきりと、大気中になんの夾雑物をもなからしめる洗浄光のかわいた明晰さで空間にしるされている。風もたえまなくあたりをながれ回遊し、下草や林の樹々をなべてにぎやかしてはおとの泡を吐かせている。頭上をおおかたおおわれたほそい木の間の坂道にはいっても、樹冠のあいだがみずいろに澄み、みちのよこにひろがる草木の占領地にもひかりがかかって立ち木の枝葉をながれおちるよう、濃いのとあかるいのと、みどりがさまざまかさなりながらわきたっているそのむこうに、うえのみちの家の裏手のベランダにピンクや青やのあざやかなシャツがいくつか干されてあるのがのぞいた。足もとにわずかだが桜の花弁がまざっているのをみつけ、どころかのぼるあいだに宙をふらつく一、二片もあったが、あたりをみまわしみあげてもみどりばかりでもとがみつけられない。

一時くらいで終えて会計。ふたりにそれぞれむきながら礼とあいさつを言って退店。陽射しはあいかわらずさんさんと分厚くふりそそいで額を熱し、目をおのずとほそめざるをえず、街道沿いを行けばまえからやってくる車たちのフロントガラスにやどりこんだ太陽はほとんどギラギラとした感触で純白のおおきな球としてふるえては突出を八方に伸ばしている。コーラが飲みたくなって自販機で缶を買った。それをうえからつかむかたちでみぎてにもちながら車がとぎれるタイミング、もしくは工事現場でとめられた列のすきまをわたるタイミングをうかがっていたが、こちらがわでとまっても対岸の車線をくるながれがあったりしてなかなかわたれず、しかたないのでとりあえずさきにむけてあるきだし、ときおりふりかえってようすをみながら快晴のしたをぶらぶら行った。しばらく行くとようやく隙がうまれたので南側にわたり、来た方向にもどっていって木の間の細道をくだる。草木のあいまにはいるとこまかな羽虫が発生して顔に寄ってくるのがうっとうしい陽気となった。したのみちに出て家まで行けば、父親が林縁の土地でピンクの小花の円陣めいた群れにかこまれたなかでなにやら地面を掘っていた。玄関にはいるまぎわ、みちのむこうのべつの林縁で段上に立った紅や白の花木の、あかるい大気のなかでいろがみごとに凝縮的につよく小球を凛々とつらねたようにきわだつさまや、林のいちばんはじのみどりがひかりをまとってかがやきながら微風にそれをはじいているのにちょっと目を張った。

The documents suggest that without a huge boost in munitions, Ukraine’s air defences could be in peril, according to the New York Times, which added that it could allow the Russian air force to change the course of the war.

The documents also say Russia’s notorious Wagner mercenary group has ambitions to operate in African states as well as Haiti, and that it plans to source arms covertly from Nato member Turkey.

  • 覚醒するとちょっと呼吸。携帯は高くなった机のうえから布団の横、本や書き抜き箇所メモ用のノートが置かれているところにうつしてあった。みると時刻は九時。保育園では子どもやおとなの声が聞こえている。深呼吸をしたりからだの各所をさすったりして、九時二〇分ごろに床をはなれた。というか起き上がった。脚をさすったり首をまわしたりして、カーテンをひらくと、臥位のときから天井にもれているひかりの反映に色味をみてとっていたが、空は色濃く真っ青だった。立ってうがいをし、水を飲み、小用や洗顔。たしょう背伸びなどしておいて床にもどるとChromebookをもってウェブをみたり一年前の日記を読んだり。快晴の初夏日とはいえ起き抜けはまだ肌がいくらかつめたい。日記を読み終えて座布団や枕をそとに出し、布団を床からあげたのが一〇時半ごろだったが、よくかんがえたら一年前の日記を読みかえすのに一時間もかかるというのはわりとふざけているな。記事中に引用されている小泉悠の記事とかも律儀にぜんぶ読んだのでそうなったのだが。洗濯日和このうえないが、洗うべきものはきのうまでですでに洗った。瞑想。一〇時四〇分から五七分まで。わるくないが、座ってじっとしていると太ももの裏から尻にかけてが座部に圧迫されるから、やっぱりここが押されて血行がわるくなっていたんだろうなとおもった。その点、椅子に座ってやるのではなく、まえみたいなあぐらの姿勢のほうがよいのかもしれない。そのほうがまだしも接地面が減る気がするので。そうして食事へ。キャベツのあまりときのう買ってきたブロッコリーを豆腐やウインナーとともに温野菜にする。値下げされていたブロッコリーの値札をあらためてみてみると、もともと二七〇円とかで、それが九〇円になっていたのでたすかる。ふたつ買っておいた。電子レンジでまわしているあいだはストレッチをしたり、その場歩きをしたり。塩と醤油をすこしかけて立ったままで食う。パソコンをセットアップしつつ。平らげるとスチームケースをながしにもっていって汁をながし、水にちょっと漬けたあと即座に洗ってしまい、そのいっぽうで米をよそって納豆とともに食べる。その他バナナとヨーグルト。食後はすぐに歯磨きをし、白湯をつくってちびちびやり、比較的はやめに洗い物もかたづけ、ウェブをみたりGuardianを読んだり、ムージルの書簡を読んだりWoolfの英文を三つ音読したり。そうして一時過ぎから窓外の座布団と枕をとりいれ、ころがって書見。ティム・インゴルド『生きていること』のつづき。372から394。相互にからみあった系譜および分類の知識モデルを批判し、あらかじめ確立している前決定的な要素が輸送されるものとしての知識ではなく、環境のなかをうごきまわってそれとの関係において習得・熟練される、絶え間なく再産出される「複雑なプロセス」としての知(「複雑な構造」ではなく)というモデルを提出している。それはまた分類にたいして、「物語られる」知識でもある。このへんのはなしはロラン・バルトをおもいおこさせるところがある。ティム・インゴルドも終始一貫して固定を批判し生成運動のほうに視線をむけつづけているのでとうぜんのことといえばそうなのだが、バルトも「構造/構造化」とか「生産物/生産」とかを区別して、つねに動的プロセスを意味するほうの原理を好むことを表明していた(どこでだったかわすれたが、たぶん『ロラン・バルトによる』のなかだろう)。分類的知識というのは統合的に構造化されるものであり、それを移動の軌跡としてかんがえると、そのモデルは「輸送」であり、すでに構築されているある実体的なものが空間を(おそらく最短距離的に)横切ってべつの場所へはこばれるイメージになるが(それがいくつもむすびつけられたのがネットワークであり、また包括的統合図としての系統樹である)、物語とは移動のあいだのプロセスこそが問題となるありかたであり、その不規則な線条の過程のなかで、周囲の環境とのからみあい、巻き込まれのなかで知は創発され、ひとはあらかじめそこにある知をゆずられ獲得するのではなく、知にむかって成長することでそれを獲得し、そしてまたその過程は生と同様に終わりはない。こうした物語られた知識に相応する移動のモデルは、あいだの過程よりも目的地こそが重要視される「輸送」のそれではなく、「散歩」である。とこういうわけなのだが、蓮實重彦的「物語/小説」の分類法で行くなら(蓮實重彦的というよりもむしろ保坂和志的といったほうがよいか?)、むしろ「物語」のほうがきれいに構造化・体系化されうるものとして理解されているはずだから、それはティム・インゴルドのはなしのなかでは「輸送」に対応し、構造からこぼれ落ちる細部とか結節点のあいだのすきまをこそ重視する「小説」のほうが、「散歩」にちかいものとなるだろう。二時ごろからここまで記していまちょうど三時。レースのカーテンがひどくあかるく、明度を下げ、くわえてダークモードにしているモニター上の文字が見づらい。
  • この日は労働。その後あるいて実家へ。ひさしぶりに地元の夜道をあるいたわけだが、裏通りをゆっくり行っているうちにしずけさが周囲にも身の内にもひとつながりとなって満ちてきて、ひどくおちついた。ひとつの快楽だった。快感というとちがってくるが、おだやかでつつましい、しかしたしかな満足、充実の感覚。夜空は暗く、前方左右の屋根はそのなかに染み入るようになって境がわかたれず、とくに右手は林の木々もあわせて黒々とあつまり、空が家々のすぐさき、近距離にあってぶつかるかのような、空間がせまく閉ざされたかのような夜道だった。じぶんの靴音が打音としてはっきりと浮かび絶えずつれそってくるそのようなしずけさだが、かんぜんな無音の時間ばかりというわけではむろんなく、道沿いの家で風呂を浴びているらしき香りや気配、駐車場で降りた車のドアを閉める音や、とおくからつたわってくる車のひびきや耳のまわりを回遊する風の音がときに生まれ、まれにひとのすがたもないではないのだが、それらすべてがこの持続的なあゆみの時空を満たしているしずけさの構成要素として、積極的に還元されるではなくとも場に共存し、平行的に調和しているのだ。つまり包含の時だ。夜道をひとりでゆっくりあるいているときのこのおちつきと解放こそがやはりじぶんにとっての約束の地、絶えずかえりたい場であって、積極的な意味での故郷や郷愁の対象というものがじぶんにあるとしたらそれはいまかえってきているこの地元のまちでも実家でもなく、このしずけさにほかならないだろうとおもった。


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  • 日記読み: 2022/4/10, Sun.
  • 「ことば」: 1 - 3