2023/4/12, Wed.

 断片とは、私たちは知っている、ロマン派の無限の約束であり、いまだ有効な近代の理想である。詩はそれ以来他の文学ジャンルに例を見ないほど、雄弁な空虚、投影に養分を与える空白と結びついている。幻肢と同じく「…」はまるで単語と癒合したかのように、失われた完全性を主張する。もしサッフォーの詩が無疵であったなら、かつて派手な色に彩られていたという古代の彫刻作品と同様に私たちは違和感を覚えることだろう。

 残された詩と断片は非常に短く、互いに脈絡もなく欠損しており、全部合わせてもせいぜい六百行ほどだ。計算によると、残されているのはサッフォーの作品の約七パーセントだという。これまた計算によると、全女性の七パーセントが女性にのみ、もしくは主として女性に魅力を感じるというが、ここに相関関係があるのかどうかは、計算によって証明することはできないだろう。

 文字の歴史には、未知のものや未定のもの、不在のもの、失われたもの、空白、無を表す代替記号が知られている。古代バビロニア穀物記録に記された〇(ゼロ)、代数方程式におけるx(エックス)の文字、発言が不意に中断される際の――。

…    …     …/羊飼い  欲望    汗/…    …     …/…の薔薇…/…

 絶句法、すなわち発言を中断する技法は、私たちは知っている、修辞上の文彩 [あや] である。偽ロンギノスもまた彼の崇高論の中でこれを取り上げたはずなのだが、不注意な図書館員や製本工のために、そ(end127)の部分は失われてしまった。途中で話を止める人、つかえたりどもったりし始める人、急に黙り込む人は、感情に圧倒され、その感情のあまりの大きさにただただ言葉を失うしかないのだ。省略記号はすべてのテクストに、言語化しえない感情、与えられた限られた語彙の前にひれ伏す感情の、あの大きな漠然とした世界への扉を開かせる。

…私の愛しい人…

 私たちは知っている、エミリー・ディキンソンが友人にして後に義姉妹となるスーザン・ギルバートに宛てた書簡を出版するにあたり、姪のマーサ、すなわちギルバートの娘が、その中に含まれる一連の情熱的な部分をとくに明示せずに削除したことを。こうして検閲された文章のうちの一つ、一八五二年六月十一日の手紙はこのようなものだ。「あなたがここにいたなら――ああ、あなたがここにいてくれたなら、私のスージー、私たちに言葉はいらない、私たちの目が、私たちの代わりにささやいてくれる。あなたの手を私の手の中にぎゅっと包んでいれば、話さなくたっていい」

 言葉を介さない盲目の理解は、言葉を尽くした無限の感情の誓いと同じく、恋愛詩の不動のトポスだ。判読しうるかぎり、サッフォーの言葉はきわめて誤解の余地のない、明確なものである。それは思慮深いと同時に情熱的に、すでに滅びてしまった言語、翻訳するたびに甦らせなければならない言語でもって、二十六世紀たったいまも何らその強度を減じていない天国的な力について語っている。人をまるで無防備にし、両親も配偶者も、わが子さえ捨てさせる欲望の対象へと、一人の人間が突然の不可思議な、残酷なまでの変化を遂げるのである。(end128)

エロスがふたたび私を揺さぶる、四肢を溶かす者が/苦くて甘い、屈服させがたい爬虫類

 私たちは知っている、古代ギリシャ人にとって、当事者同士が同性か異性かによってその欲望を区別する考え方は馴染みのないものであったことを。むしろ決定的なのは、性行為における役割が当事者の社会的役割に対応していたことである。成人男子は性的に能動的に振舞い、一方若者や奴隷や女性は受動的な役割を演じた。この支配と服従の行為を分けるのは男か女かではなく、侵入し所有する側か、侵入され所有される側かということであった。

 サッフォーの現存する詩において男性が名前入りで登場することはないのに対し、女性の名前は数多い。アガリス、アッティス、アナクトリア、アナゴラ、アバンティス、アリニョータ、アルケアナッサ、エイラナ、エウネイカ、ギュリンナ、クレアンティス、クレイス、ゴルゴーン、ゴンギラ、ディーカ、テレシッパ、ドリチャ、プレイストディカ、ミカ、ムナシス、ムナシディカ、メガラ。彼女たちこそ、サッフォーが優しい献身や炎のような欲望、熱い嫉妬や氷のような軽蔑をこめて詠ったものだ。

 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、127~129; 「サッフォーの恋愛歌」)



(……)トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山(下)』(新潮文庫、一九六九年)。510くらいから。のちにも読んでいま600すぎ。メインヘール・ペーペルコルンのはなしがつづいていたが、かれは死に、ショーシャ夫人もふたたびこの地を去る。ハンス・カストルプはこのふたりとそれぞれ独立の対話をして、その両方と、もうひとりのために「同盟」や「盟約」をむすぶ。ショーシャ夫人とはペーペルコルンのためによいお友達になり、ペーペルコルンとはショーシャ夫人のために「兄弟」になる。後者との対話のときにはじぶんがかのじょのいぜんの「愛人」(といってもじっさいには謝肉祭の夜にいちど、ハンス・カストルプが熱情に暴走して乱痴気的にはなしをしたにすぎないのだが)だったことをペーペルコルンに看破され、ことの経緯をはなすにいたる。おなじあいてをめぐる恋敵であるふたりが「兄弟」の盟約をむすんで和解したあとそのいっぽうが死ぬというのは、それじたいとしてはありがちな、予想される物語のはこびである。このそれぞれの対話においてペーペルコルンとクラウディアは、おなじことがらについてほぼ同一のことばづかいをしており、対称的(「対照的」ではない)なえがかれかたをしている。ふたりとも、もうひとりが不在のところであいてについてはなしをするのに気が引けている(529: 「ねえ、こんなふうにあのひとの噂をするのは、いけないことじゃないかしら」 / 556: 「あのひとのことをこんなふうにして噂するのは、いけないことではないでしょうか」)。ふたりとも、「同盟」もしくは「盟約」にかんしておなじかんがえをもっている(532: 「あたしたちもお友だちになりましょう、あのひとのために同盟を結びましょうよ、普通なら誰かを向うに回して同盟するんだけれど」 / 564: 「(……)あなたにお与えすることのできない償いを、私はあなたにこういう形で、兄弟の盟約という形ではたさせていただきたい。盟約というものは、普通は第三者、世間、あるいはある人間に対抗して結ばれるものですが、私たちはそれをあるひとに対する気持の上で結ぶことにしましょう」)。ハンス・カストルプからみたこのふたりへの関係には、対照的な側面もまたみうけられる。カストルプは、ショーシャ夫人には「あなた」ではなく「君」と呼びかけたいものの、夫人じしんにはそれをいやがられており、また恋心がばれていなかった段階ではペーペルコルンのてまえそうすることができなかった。いっぽう、兄弟の盟約をむすんだペーペルコルンはたがいに「君」呼ばわりをするようもとめるが、カストルプのほうではそれに気が引けている(568にその対照は明言されている)。ペーペルコルンはみなで滝の見物に遠乗りしてでかけたその夜に自室で自殺するのだが、かれの死は、自殺とは予想されないにせよ、病状の悪化への言及によってまえもって用意されており、またその当夜においても、「その夜、ハンス・カストルプの眠りが浅く短かったのは、自分ではまったく意識してはいなかったのに、何事かを心の中で待ち設けていたからであろうか」(586)と入り口をあきらかに舗装されている。ペーペルコルンが死んだところまでで説話としてはひとくぎりし、節がかわるとともに終演にむけてあらたな幕がはじまったというおもむきになって、ショーシャ夫人もいつのまにか去っているのだが、その別れは、「クラウディア・ショーシャがあの偉大なる敗北の悲劇に打ちのめされて、パトロンの生き残った親友ハンス・カストルプと慎み深く遠慮がちに「さようなら」をいい合って、ここの上のひとたちのところからふたたび去っていってしまって以来」(599)と、事後的に、ことのついでといった調子でわずか四行にまとめられているのみであり、ロマンティックな調子は皆無である。のこりは二〇〇ページ弱である。これいこうにかのじょへの言及があるのかどうかわからないが、カストルプをあれほどながいあいだ動揺させてきた恋と欲望の幕引きはじつにあっさりと、冷酷なほどにあっけらかんとしており、そのことには好感なのかなんなのかわからないが、なにがしかの印象をのこされる。

  • ニュース。

(……)新聞でウクライナ情勢を追う。すでにきのうかおとといみていたが、シリアで市民の無差別殺害を指揮した人物がウクライナ侵攻作戦の総司令官に任命されたと。ウクライナ検事総長によれば、キーウ近郊ではいまのところ一二〇〇人超の犠牲者が発覚している。また激しい市街戦がつづけられているというマリウポリでは、市議会がSNSに発信した情報によれば、ロシア軍が市民を殺害しており、その被害はすくなくともブチャの一〇倍いじょうにのぼるだろうということ。三五〇〇人は超えるということである。プーチンオーストリアの首相と会談。オーストリアは軍事的には中立をたもっている国だというが、侵攻にかんしてはやめるべきだと明言している。

フランス大統領選の第一回投票が一〇日におこなわれたが、事前の予想どおりマクロンが首位でル・ペンが次点。決選投票は二四日で、接戦が予想されており、このあいだ新聞でみたときには五二パーセント対四八パーセントくらいでマクロンが上回っているということだったが、ル・ペンが大統領になる可能性もふつうにある。前回も同様にこのふたりで決選になりつつもマクロンが六六パーセントだかをとって圧勝だったというから、ル・ペンはれいの「脱悪魔化」などと呼ばれているハード路線封印によって着々と支持をあつめており、今回マクロンが勝つとしても次回どうなるかはわからない。フランスで国民戦線(いまは国民連合だが)の大統領が生まれれば、ハンガリーやらポーランドやら東では右傾化している欧州のなかで、西にもおおきな楔がうちこまれることになる。

  • 天気。この時期から箇条書き方式をやめて段落と行開けの形式にしているが、これはどれくらいつづいたんだっけか。越してきて体調がふるわなくなってから、やっぱり箇条書きのほうがじぶんにあっている気がするとなってもどしたのが数か月まえだったはずだが。

 きょうは日中ずっとかなり暑くて、六月並みの陽気ときいたおぼえがあるが、たしかに空気の感触や外空間の気配は夏のてまえといった風情で、昼過ぎにねころがって書見しているあいだ、ベッドに接している南窓もベランダにでられる西窓もひらいて風をとりこんでいた。花粉の影響はかんじられなかった。読んでいるあいだにたびたびながれはうまれて、ときに風がそとのものにふれるひびきをともないながら二方のカーテンが、おおきくではなく半端なように、ふくらむまでいかずみじろぎ程度にもちあがって、左右にちょっとだけふりふりとひねるように襞のあいだの各所がぎこちなくうごいたが、カーテンがもちあがらないほどのながれでも、おそらく棕櫚の葉らしく窓外ちかくからパタパタとかるくたたくようなおとはきこえた。
 五時一五分ごろに上階へ行ってアイロン掛け。あいまにソファの側面に両手をつきながら前傾しつつ前後に開脚して脚のすじを伸ばしたが、そうしてみえる南窓のガラスのむこうの空は淡いみずいろ、みずいろとすらいえないようななめらかな淡さが一点の障害もなくただただひろがっており、夕刻をむかえてひかりを減らした青空はさらさらとしたむき身の風情、皮をはがれて果肉をあらわにしたくだもののように清らかだった。

  • (……)さんのブログから。以下、おもしろい。

 (……)さんは「中国スゴイ!」系の网红らについても言及した。このひと知っていますかといいながらスマホの検索バーに表示されている「矢野浩二」という文字をみせるので、あ、中国に来てから知りました、日本にいたときはまったく知りませんでしたけどといった。日本では有名ではないですかというので、たぶんほとんどの日本人は知らないんじゃないですかねというと、中国ではいちばん有名な日本人です、彼は「中国スゴイ! 中国スゴイ!」といって成金になりましたというので、笑った。そこから(……)さんと(……)さんの悪ふざけがはじまった。たぶんビリビリ動画や抖音上にいる「中国スゴイ!」系の外国人の物真似だと思うのだが、こんな大きな建物東京では見たことない! とか、なんて便利なシステム、なんて優れたテクノロジーなんだ! とか、中国は世界でもっとも偉大な国だ! とか、そういう紋切り型のセリフを日本語と中国語と英語でそれぞれ口にしまくったあげく、われらが国家主席は偉大だ! 世界でもっとも優れた指導者だ! 彼のような人物のいる国に生まれたことを感謝している! などと言及の対象がしだいにやばい方向にずれこみ、最終的に、Xi is the gift from God! と(……)さんがクソニヤニヤしながらぶちあげたので、これには爆笑してしまった。と同時に、日本語であればまだしも、英語はけっこう周囲にも理解できる人間がいるかもしれないので、こんな冗談言っててだいじょうぶなのかよとちょっと心配にもなった。(……)さんも(……)さんもこちらと同世代、ということは(……)先生とも同世代、ということは改革開放の恩恵をもっとも受けていた世代のひとであり、かつ、大学で外国語を勉強し留学もしていた人物であるから、やはり現政権にたいしてはかなり批判的なようす。現政権を批判する暗号として(……)さんが簡単な中国語のフレーズを教えてくれた。簡単といいながらこちらには理解できなかったのだが、彼の説明から察するに、日本語でいうところの「バックします、ご注意ください」というトラック音声のようなものらしい。政治体制が皇帝時代に逆行していることを揶揄する言葉として地下で流通しているとのこと。なるほど。

  • したはわかりやすい。

 欲求が要求に変わる瞬間、ひとつの離接が導入される。私たちは自分自身を言語によって表現しなければならないという事実のため、欲求が要求のなかで十分に表現されるということは決してない。私たちの欲求は、他人に向けられた要望や要求のなかで、決して完全には表現されない。その要望や要求は、つねに、欲望されるべき何かを残す。つねにひとつの残り物があり、ラカンはその残り物を「欲望」と呼ぶ。(…)
 解釈されたものとしての私たちの要求は、私たちが欲するものすべてをもれなく説明したり、カバーしたりしない。また、〈他者〉が私たちの要求への応答のなかで与える様々な対象が、私たちを十分に満足させることもない。幼いクマは、母グマに食べるべき蜂蜜を与えられれば、自分自身でがつがつと食べ、居眠りし、満ち足りる。私たちは、要求する毛布を母から受け取っても、車や、人形や、世界支配を夢見る。私たちにはつねに、さらに欲望すべき何かがある。私たちは、自分自身がさらなる何かを欲していることを見いだすが、しかし、その欲を満たしてくれるもの、その欠如を埋めてくれるものは何だろうか。(…)
(…)
 その問いに対するラカンの最初の答えは次のようなものだと思われる。すなわち、ひとりの主体として私が欲するのは、〈他者〉による承認であり、この承認は〔〈他者〉によって〕欲されること、というかたちをとる。私は欲されたい。欲されるために、私は〈他者〉が欲するものを知ろうとする。それを知れば、私は、〈他者〉が欲するものになって、欲されることができる。私は、私に対する〈他者〉の欲望を欲望するのである。幻想を表すマテームのなかの対象aは、ある程度まで、私に対する〈他者〉の欲望として理解することができる。かくして、私は、私の幻想のなかで、私に対する〈他者〉の欲望との関係における自分自身を、想像するのである。
 どうすれば私は、〈他者〉に欲してもらえる、あるいは欲望してもらえるのか。〈他者〉(たとえば両親)が欲するものを知ることができれば、私はそれになろうとすることができるだろう。私の両親は何を欲しているのか。この問いが、〈他者〉の欲望を探求し続け、探り続けるよう私を導く。私は、自分自身の欲望(それが何であれ)を知ることでは飽き足らず、〈他者〉に、「あなたは何を欲するのか」と尋ねる。私の考えでは、このように尋ねることは、欲されるために「私は何をするべきなのか」、「私は何であるべきなのか」という問いに答えるのを助けてくれる。
 〈他者〉が欲するものを発見しようとするこの試みは、しばしば分析のなかでも起こるが、分析家はその問いを主体へと差し返さなければならない。そんなことをしても最初から何か良い効果が見られるということはない。そもそも欲望が〈他者〉の欲望であるなら、主体が何を欲するか——あたかもそれが〈他者〉が欲するもの以外であるかのように——尋ね返すことが、何を意味するというのか。しかし、やはりそれは、主体を自我理想すなわちI(A)から離れさせるための一種の計算された試みなのである。分析家は、この二つを分離するために、すなわち、主体が欲するもの(…)を〈他者〉が主体に欲するもの(…)から分離するために、「お前は何を欲するのか」(…)という問いを掲げる。(…)
(ブルース・フィンク/上尾真道、小倉拓也、渋谷亮・訳『「エクリ」を読む 文字に添って』)

  • したのはなしおもしろすぎるでしょ。腹筋がつかれた。

 授業は5分はやく切りあげた。それでいつもより一本はやいバスにも間に合ったのだが、いや、わざわざ急ぐ必要なんてなかった、終点の西院に向かう女子学生の集団と乗り合わせるはめになったせいで、30分か40分ほどある道中ずっと立ちっぱなしになってしまったのだ。こんなふうになるんだったら一本遅らせるべきだった。立っているあいだもずっと書見を続けていたのだが、途中のバス停でおりるおばはんが、椅子からたちあがったあとの支えをもとめて、つり革に手をのばすでもなく柱に手をやるでもなく、なぜかこちらのわきばらあたりのセーターをその下にある肉ごと指先でぎゅっとつまむようにしたので、は? なんじゃこいつ? 新種の妖怪か? とびびった。ふつうにちょっと痛かったんやが。「いてっ!」とか言ってやればよかったんだろうか? そういえば、(……)には一時期、中学および高校時代だったと思うが、でかい音で屁をこくたびにバカ殿様を演じる志村けんみたいな高い声で「イテーーーーーッ!」と叫ぶという持ちギャグがあった。(……)は基本的にユーモアのセンスが壊滅的で、彼によるウケ狙いの行動および発言はことごとくそれがウケ狙いであることすら周囲から理解されないレベルでドン滑りするというのが日常だったので(と同時に、やつはあたまのネジが外れているタイプのヤンキーだったので、冗談でもなんでもない本人は本気のつもりのふるまいが、その突拍子のなさによって爆笑を誘うということはたびたびあった)、年に一度か二度、ウケ狙いの行動が一度でも成功すると、それを一日におよそ三十回、数年単位で続けるという最悪の悪癖があった(だいたい次のオリンピックまで続く)。だから、屁をこくたびにバカ殿様を演じる志村けんみたいな高い声で「イテーーーーーッ!」と叫ぶというふるまいも、当時はみんな飽き飽きしており、反応せず流すのが普通になっていた——というかそれを流そうとする意識すらなく流していたのだが(それは自衛隊のヘリコプターの音やセミの鳴き声や遠くを走る暴走族のバイクの音なんかと基本的に変わらないものだった)、しかし冷静に考えてみると、屁をこくたびに痛みを訴えるというのはクソおもしろくないか? これ書いとる最中、口の中にふくんだ白湯ふつうに吐きそうになったわ。

  • 覚めて鼻から息を吐いたりからだをさすったりしつつ窓外の声に耳をやって、保育園に子どもをおくってきたあいさつがあまりないのでもうだいたい終わったのかな、九時くらいかなとおもったところが、携帯をみてみると八時前でいがいとはやかった。ちょっとしてから身を起こし、カーテンをひらくと空は快晴。きのう予報をみたときには雨のマークがあったのだが、あらためてみなおしてみると曇りおよび晴れになっていた。ただし風はひじょうにつよく、近間の建物のあいだを吹きすぎる大気の、波が岸壁にぶつかってくだけるのをおもわせるひびきがカーテンをあけないうちから聞こえており、午後二時まえの現在までずっと、頻々とつづいている。いちど床をはなれると水を飲んだりトイレに行ったり。布団にもどってウェブをみたり一年前の日記を読んだり。(……)さんのブログも。それで九時半ごろになった。離床。背伸びしたり、かるくスクワットをやったりしておく。それから瞑想。一五分ほどでみじかく終えた。しかしこんないつもどおりの変化のないことわざわざ書かないでもええやんけとおもう。体調の面からいっても記述の負担をすくなくしていくべきなのだし。そういうわけでもろもろ省略していこうとおもうが、そうすると部屋の内にいるあいだは書くことがなくなってしまうのが現実だ。そとに出ればいくらでもあるのだが。食後はムージルの書簡をまたちょっと読んで、いままで基本併読というのができないタイプだったが(読み書きをはじめて初期のころは二、三冊並行して読み、書き抜きも読んだその日の範囲をすぐに済ませたりしていたが)、なぜかこれはつづいている。メインの読書とべつにもうひとつ、こういうでかいやつとか大長編とかをまいにちちまちまと読んでいくというやりかたもよいような気がするな。それこそ『特性のない男』とかをそれで読んでもよいだろう。ムージルは一九〇七年だから二六~七歳だが、アナという詳細不明の女性にたいする書簡草案を八つも書いていて、いちおうあいてを愛しているということをつたえる雰囲気ではありながら、実質内容のおおくはよくわからん抽象的な考察みたいなものになっていて、カフカにしてもそうだけれどなぜこいつらは愛するあいてにたいしてよくわからん観念的なことばをつらつらと送りたがるのか? そんなものもらっても困るとおもうのだが。
  • ティム・インゴルドの『生きていること』も読み終わった。さいごの一九章だけ、微妙ながらあきらかに翻訳の質が落ちていたようにおもう。誤字とかもたくさんあって、このへんしごとが間に合いきらなかったのかなという印象。校閲でチェックされないのか? とおもうが。もっとも論のはこびじたいもけっこう微妙でつかみづらいところがあったので、なんとなく、原文もそれまでとは調子がすこしちがっていたのかなとも想像された。おおまかには過去の人類学者のたちばを概観しながら記述的統合と理論的統合という対立軸をもうけて論じていくみちゆきなのだが、インゴルドじしんのたちばは前者にちかくありつつも、それに一致しきるものでもないようで、このあたりの整理がじぶんのなかで明晰になされていないのだけれど、所論の要約としては世界についてかんがえる研究としての人類学ではなく、世界とともにかんがえてにんげんの生や存在のありかたを探究するという意味のものとして人類学を復活させたいみたいなことで、そこでは観察は参与と分離されたものではなくむしろたがいがたがいの条件となるし、記述はフィールドから書斎にひきこもってなされる観想的な性質のものではなく、世界じたいにたいする呼応となるというはなしなのだが、じぶんが日記でやりたいというか、この日々の書きものをみている見方もだいたいはそういうものだろうし、いままでじぶんなりにちいさなものではありながらもそういうことをやってきたんだろうとおもう。「人類学者は、自分自身に対して [﹅4] 、他者に対して、また世界に対して、考えたり話したりするように、書くのである」(552)とか、「私たちは自分たち自身の哲学者になることができる。そして世界との観察的な関わり合いや、世界の住人との共同作業や呼応のやり取りのなかに哲学が埋め込まれているおかげで、よりよい仕方で哲学者になることができるのである」(556)という結語直前の一節あたりはしっくりくる。あるべき人類学の探索的・探究的な態度は呼応であるという点も、じぶんの日記にかかれているすべてではないがもろもろのことがらは、身の回りのものごとやできごと、そして世界の生成と流動と運行にたいするまさしく「呼応」でなくしていったいほかのなんであろうと。とくにあるいているあいだのことは。そとをあるいているあいだのことをじゅうぶんに詳細に書ければ、それは世界を書くとともに、その場所で世界とともにあったじぶんの知覚や観察や存在感覚のありかたをも同時に記したものになっている気がするのだが。

Ukraine’s President Volodymyr Zelenskiy has issued a strong statement urging international leaders to act after videos circulated on social media that appeared to show Ukrainian soldiers beheaded by Russian forces. One video being circulated appears to show the beheaded corpses of two Ukrainian soldiers lying on the ground next to a destroyed military vehicle. A voice says: “They killed them. Someone came up to them. They came up to them and cut their heads off”. A second clip, which may have been filmed in summer last year, judging by the appearance of foliage in the clip, claims to show a member of Russian forces using a knife to cut off the head of a Ukrainian soldier. The Guardian has not independently verified the origins and veracity of the two videos, but Ukrainian authorities are treating them as genuine.

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Serbia, one of the only countries in Europe that has refused to sanction Russia for its invasion of Ukraine, agreed to supply arms to Kyiv or has sent them already, according to a classified Pentagon document. The document, a summary of European governments’ responses to Ukraine’s requests for military training and “lethal aid” or weapons, was among dozens of classified documents posted online in recent weeks in what could be the most serious leak of US secrets in years.

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US intelligence reportedly warned Ukraine in February that it might fail to amass sufficient troops and weaponry for its planned spring counter-offensive, and might fall “well short” of Kyiv’s goals for recapturing territory seized by Russia, according to a trove of leaked defence documents.

The same leaked US military documents indicate that the UK has deployed as many as 50 special forces to Ukraine. The documents suggest that more than half of the western special forces personnel present in Ukraine between February and March this year may have been British. It is unclear what activities the special forces may have been engaged in or whether the numbers of personnel have been maintained at this level.

The leak of a trove of highly sensitive documents online could be a move by the US to “deceive” Russia, its deputy foreign minister was quoted as saying Wednesday. “It’s probably interesting for someone to look at these documents, if they really are documents or they could be a fake or it could be an intentional leak,” Sergei Ryabkov told Russian news agencies.

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South Korea has agreed to “lend” the US 500,000 rounds of artillery, a newspaper reported on Wednesday, as Seoul attempts to minimise the possibility that the ammunition could end up in Ukraine - a move that could spark domestic criticism of President Yoon Suk Yeol. Citing unidentified government sources, the Dong-A Ilbo said South Korea had decided to lend the shells rather than sell them - an approach it believes would lower the likelihood of them eventually being supplied to Kyiv.

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Russia’s upper house of parliament has voted to introduce electronic call-up papers via an online portal for the first time. The Federation Council’s vote came a day after the State Duma, the lower house of parliament, gave its approval to changes in the law. The bill will now go to President Vladimir Putin, who is now expected to sign it into law. Changes to the legislation would mean that once an electronic summons is received, citizens who fail to show up at the military enlistment office are automatically banned from travelling abroad.

  • (……)さんのブログにあったMansfieldの一節。ここは邦訳でも読んでいるわけだが(岩波文庫かもうひとつの新潮文庫だっけ?(集英社か?) どちらかわすれたが、そもそもAt the Bayはどちらかにしか載っていなかったかもしれないが、ロッティのさいごのセリフが「あたち」という一人称になっていたのをおぼえている)、原文で読んでも良い。

 "Wait for me, Isa-bel! Kezia, wait for me!"
 There was poor little Lottie, left behind again, because she found it so fearfully hard to get over the stile by herself. When she stood on the first step her knees began to wobble; she grasped the post. Then you had to put one leg over. But which leg? She never could decide. And when she did finally put one leg over with a sort of stamp of despair–then the feeling was awful. She was half in the paddock still and half in the tussock grass. She clutched the post desperately and lifted up her voice. "Wait for me!"
 "No, don't you wait for her, Kezia!" said Isabel. "She's such a little silly. She's always making a fuss. Come on!" And she tugged Kezia's jersey. "You can use my bucket if you come with me," she said kindly. "It's bigger than yours." But Kezia couldn't leave Lottie all by herself. She ran back to her. By this time Lottie was very red in the face and breathing heavily.
 "Here, put your other foot over," said Kezia.
 "Where?"
 Lottie looked down at Kezia as if from a mountain height.
 "Here where my hand is." Kezia patted the place.
 "Oh, there do you mean!" Lottie gave a deep sigh and put the second foot over.
 "Now--sort of turn round and sit down and slide," said Kezia.
 "But there's nothing to sit down on, Kezia," said Lottie.
 She managed it at last, and once it was over she shook herself and began to beam.
 "I'm getting better at climbing over stiles, aren't I, Kezia?"
 Lottie's was a very hopeful nature.


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  • 日記読み: 2022/4/12, Tue.
  • 「ことば」: 1 - 3