2023/4/17, Mon.

 やがて殉教の時が近づくと、マニは弟子たちに言った。「私の本を大切にしなさい! そして折に触れて私が口にした智慧の言葉も、失われぬうちに書き留めておくように」
 それらは赤々と燃えた。それらを食いつくす炎の中から、純金が流れ出した。だが、マニ教の聖なる書物をのみ込んだのは世界の業火でも、燃えさかる宇宙でもなく、彼らの敵が築いた火炙り用の薪の山だった。いかなる反論も許されず、疑いを口にすれば必ず罰せられた。なぜなら神を信ずる者ある所、神を知らざる者あり、敬虔なる信徒ある所、邪宗徒あり。ちょうどマニが光と闇を峻別したように、真の教えがある所には、正と誤を厳格に区別しようとする忠実な信者の熱狂があっという間に燃え広がった。炎は偽りのみを焼きつくすとはいうが、火はやはり選り好みはしないものだ。
 この時、マニ教聖典とともに燃やされたものは何か。世界の滅亡の計算書、大量の魔法書、悪魔を呼び出す呪術書、存在についての無数の相対立する哲学書、何千部ものユダヤ教の経典 [タルムード] 、オウィディウスの作品全集、さまざまな論文、聖三位一体と魂の不滅性について、万象の無限性と宇宙の本当の大きさについて、この世の形と天体の配置に占めるその位置について。審問は何日もつづき、薪の山は何世紀も燃えつづけた。その火は全知を気どる者らの心をあたため、アレクサンドリアコンスタンチノープルとローマの風呂を沸かした。もはや目が理性を欺き得なくなり、自然が書物を教え導くようになるまで。真実がどれほど巨大であれば、周りを取り囲むすべての誤謬の闇をかき消し、世界を真実の光で満たすことができるのだろう。遠くにある物を怖いほど近くに引き寄せる新しい望遠鏡が作られるたびに、限界は押し上げられ、視野は広がる。空に浮かぶ皿は軌道になり、円は楕円(end165)になり、濃淡の霧は球状星団と渦巻星雲と銀河になり、六つだと思われていた惑星は七つ、八つ、九つ、そしてまた八つになり、宗教的秘儀は物質になる――その成立過程はマニの宇宙論に劣らず奇抜なものだ――惑星を軌道上に保つ恒星、星を引き寄せのみ込むブラックホール、遠い未来へもうだれも受け取る者のない光を放射する霧。どれほど多くの数字や公式が宇宙を表そうと、どのような知見が宇宙の本質に迫ろうと同じことだ。時がつづくかぎり――それを疑う者がいるだろうか――どんな説明も所詮は物語にすぎない。引力と斥力、初めと終わり、生成と消滅、偶然と必然についてのお馴染みの物語。宇宙は成長し、膨張し、銀河と銀河を引き離し、まるでそれを把握しようとする理論をかわして逃れようとするかに見える。この逃げゆく宇宙、不安定な空虚の中へ増殖していく宇宙という考えの方が、収縮という考え、縮んで元の小さな脆弱な点に戻るという考えよりも不気味に思われる。その小さな点、すべての力と質量、すべての時間とすべての空間が渾然一体となり、ひと塊になっていた点から、かつてすべてが始まったのだ。最初は点、つづいて塊、生き埋めの。そして爆発、膨れあがっていく空間、高温で高密度に圧縮された状態、そこから膨張し、冷却し、その中から原子が生まれ、光と物質が分かれて、目に見える世界を形作っていく――恒星、分子の雲、塵、宇宙の虫けら。始まりを問うことは、終わりを問うこと。すべてが拡張し、加速し、ある日反転してふたたび収縮する。誕生も崩壊も知らない循環の中に閉じ込められて。私たちが知っていることはどれだけあるのだろう! ただこれだけはほぼ確実だ。世界の終わりが来るということ。それは一時的な終わりかもしれないが、想像しうるもっとも恐ろしい終末であることに変わりはない。太陽が巨大に膨れあがり、水星と金星をのみ込み、地球の空はすべて太陽に覆われる。すさまじい高温の熱が海水をすべて蒸発させ、岩石を溶かし、地殻を引き剝がし、地球の最深部を外へ引きずり出すだろう。やがて冷気が流れ込み、時は終わる。
 (ユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)、165~166; 「マニの七経典」)



  • 一年前。「あと、となりの(……)さんが今朝だかきのうの四時に亡くなったらしい。一〇一歳だか一〇二歳だかわすれたが、いずれにしても大往生。とつぜんくるしいようすになってそのままながびきもせずに逝ったと。さいごまでたいしたものだった」とのこと。
  • 風景。

 四時ごろにはやめに上階にあがってアイロン掛け。手をうごかしながらときおり顔をあげて、正面、南窓のむこうをみやる。風景に春の葉の量が増えてその範囲がひろくなり、空間がいかにもみどりして、陽のいろのない平板な空気ながら色調があかるくいろどられているのがみてとれる。空はかわらずのとざされた白曇りで、やまぎわちかくにはほんのわずかな窪みといったかんじで青灰色がほのかに混ざりながれており、そのしたの山は冬も生きていた濃緑よりも、いつのまにかはだかをやめた木の若い明緑がおおいくらいで、巨人がそこをのぼるためのみちびきのように斜面をいろどり染めている。

  • この日青空文庫樋口一葉をすこしずつ読んでいこうとおもって、あいうえお順でいちばんうえに来ている「あきあはせ」というやつをまず読んだのだが、これがよかった。小説というより随筆もしくは随想だが。したにぜんぶ引いてしまう。ルビのいるものいらないものを選別していちいちカッコ内におさめていくのがめんどうくさかった。

 雨の夜

 庭の芭蕉 [ばせを] のいと高やかに延びて、葉は垣根の上やがて五尺もこえつべし。今歳 [ことし] はいかなれば、かくいつまでも丈のひくきなど言ひてしを、夏の末つかた極めて暑かりしに唯一日 [ひとひ] ふつか、三日とも数へずして驚くばかりになりぬ。秋あきかぜ少しそよ/\とすれば、端のかたより果敢 [はか] なげに破れて、風情次第に淋しくなるほど、雨の夜の音なひこれこそは哀れなれ。こまかき雨ははら/\と音して草村がくれ鳴 [なく] こほろぎのふしをも乱さず、風一しきり颯 [さつ] と降 [ふり] くるは、あの葉にばかり懸るかといたまし。
 雨は何時も哀れなる中に秋はまして身にしむこと多かり。更けゆくまゝに燈火 [ともしび] のかげなどうら淋しく、寝られぬ夜なれば臥床 [ふしど] に入らんも詮なしとて、小切れ入れたる畳紙 [たたうがみ] とり出だし、何とはなしに針をも取られぬ。まだ幼 [いとけ] なくて伯母なる人に縫物ならひつる頃、衽先 [おくみさき] 、褄 [つま] の形 [なり] など六づかしう言はれし。いと恥かしうて、これ習ひ得ざらんほどはと、家に近き某 [それ] の社 [やしろ] に日参 [につさん] といふ事をなしける、思へばそれも昔しなりけり。をしへし人は苔の下になりて、習ひとりし身は大方もの忘れしつ。かくたまさかに取出るにも指の先こわきやうにて、はか/″\しうは得も縫ひがたきを、かの人あらばいかばかり言ふ甲斐なく浅ましと思ふらん、など打返しそのむかしの恋しうて、無端 [そゞろ] に袖もぬれそふ心地す。
 遠くより音して歩み来るやうなる雨、近き板戸に打つけの騒がしさ、いづれも淋しからぬかは。老たる親の痩せたる肩もむとて、骨の手に当りたるも、かかる夜はいとゞ心細さのやるかたなし。



 月の夜

 村雲 [むらくも] すこし有るもよし、無きもよし。みがき立てたるやうの月のかげに尺八の音 [ね] の聞えたる、上手ならばいとをかしかるべし。三味 [さみ] も同じこと、琴は西片町 [にしかたまち] あたりの垣根ごしに聞たるが、いと良き月に弾く人のかげも見まほしく、物がたりめきて床しかりし。親しき友に別れたる頃の月、いとなぐさめがたうもあるかな。千里 [ちさと] のほかまでと思ひやるに、添ひても行 [ゆか] れぬ物なれば唯うらやましうて、これを仮に鏡となしたらば、人のかげも映るべしやなど、果敢なき事さへ思ひ出でらる。
 さゝやかなる庭の池水 [いけみづ] にゆられて見ゆるかげ物いふやうにて、手すりめきたる所に寄りて久しう見入るれば、はじめは浮きたるやうなりしも次第に底ふかく、この池の深さいくばくとも量 [はか] られぬ心地になりて、月はそのそこの底のいと深くに住らん物のやうに思はれぬ。久しうありて仰ぎ見るに、空なる月と水のかげと孰 [いづ] れを誠 [まこと] のかたちとも思はれず。物ぐるほしけれど箱庭に作りたる石一つ水の面にそと取落せば、さゞ波すこし分れて、これにぞ月のかげ漂ひぬ。かくはかなき事して見せつれば、甥なる子の小さきが真似て、姉 [あね] さまのする事我われも為すとて、硯の石いつのほどに持て出でつらん、我れもお月さま砕くのなりとて、はたと捨てつ。それは亡き兄の物なりしを身に伝へていと大事と思ひたりしに、果敢なき事にて失なひつる罪得がましき事とおもふ。この池かへさせてなど言へども、まださながらにてなん。明ぬれば月は空に帰りて余波 [なごり] もとゞめぬを、硯はいかさまになりぬらん、夜よな/\影や待 [まち] とるらんと哀なり。
 嬉しきは月の夜の客人 [まれびと] 、つねは疎々しくなどある人の心安げに訪 [と] ひ寄たる。男にても嬉しきを、まして女の友にさる人あらば、いかばかり嬉しからん。みづから出 [いづ] るに難 [かた] からば文 [ふみ] にてもおこせかし。歌よみがましきは憎くき物なれど、かかる夜の一ト言には身にしみて思ふ友ともなりぬべし。大路 [おほぢ] ゆく辻占 [つじうら] うりのこゑ、汽車の笛の遠くひゞきたるも、何なにとはなしに魂あくがるゝ心地す。



 雁がね

 朝月夜 [あさづくよ] のかげ空に残りて、見し夢の余波もまだ現なきやうなるに、雨戸あけさして打ながむれば、さと吹く風竹の葉の露を払ひて、そゞろ寒けく身にしみ渡る折しも、落 [おち] くるやうに雁がねの聞えたる、孤 [ひと] つなるは猶さら、連ねし姿もあはれなり。思ふ人を遠き県 [あがた] などにやりて、明くれ便りの待わたらるゝ頃、これを聞たらばいかなる思ひやすらんと哀れなり。朝霧ゆふ霧のまぎれに、声のみ洩らして過ぎゆくもをかしく、更けたる枕に鐘の音 [ね] きこえて、月すむ田面 [たのも] に落 [おつ] らんかげ思ひやるも哀れ深しや。旅寐の床、侘人 [わびびと] の住家 [すみか] 、いづれに聞 [きき] ても物おもひ添ふる種なるべし。
 一 [ひと] とせ下谷 [したや] のほとりに仮初 [かりそめ] の家居 [いへゐ] して、商人 [あきびと] といふ名も恥かしき、唯いさゝかの物とり並べて朝夕のたつきとせし頃、軒端 [のきば] の庇あれたれども、月さすたよりとなるにはあらで、向ひの家の二階のはづれを僅かにもれ出 [いづ] る影したはしく、大路に立 [たち] て心ぼそく打あふぐに、秋風たかく吹きて空にはいさゝかの雲もなし。あはれかかる夜よ、歌よむ友のたれかれ集ひて、静かに浮世の外 [ほか] の物がたりなど言ひ交はしつるはと、俄かにそのわたり恋しう涙ぐまるゝに、友に別れし雁唯一つ、空に声して何処 [いづこ] にかゆく。さびしとは世のつね、命つれなくさへ思はれぬ。擣衣 [きぬた] の音 [おと] に交りて聞えたるいかならん。三つ口など囃して小さき子の大路を走れるは、さも淋しき物のをかしう聞ゆるやと浦山しくなん。



 虫の声

 垣根の朝顔やう/\小さく咲きて、昨日今日葉がくれに一花 [ひとはな] みゆるも、そのはじめの事おもはれて哀れなるに、松虫すゞ虫いつしか鳴 [なき] よわりて、朝日まちとりて竈馬 [こほろぎ] の果敢なげに声する、小溝の端、壁の中など有るか無きかの命のほど、老たる人、病める身などにて聞たらば、さこそ比らべられて物がなしからん。まだ初霜は置くまじきを、今年は虫の齢ひいと短かくて、はやくに声のかれ/″\になりしかな。くつわ虫はかしましき声もかたちもいと丈夫めかしきを、何 [いつ] しか時の間におとろへ行くらん。人にもさる類ひはありけりとをかし。鈴虫はふり出 [いで] てなく声のうつくしければ、物ねたみされて齢ひの短かきなめりと点頭 [うなづ] かる。松虫も同じことなれど、名と実と伴はねばあやしまるゝぞかし。常盤 [ときは] の松を名に呼べれば、千歳 [ちとせ] ならずとも枯野の末まではあるべきを、萩 [はぎ] の花ちりこぼるゝやがて声せずなり行く。さる盛りの短かきものなれば、暫時 [しばし] も似 [あへ] よとこの名は負 [おは] せけん、名づけ親ぞ知らまほしき。
 この虫一とせ籠 [こ] に飼ひて、露にも霜にも当てじといたはりしが、その頃病ひに臥したりし兄の、夜な/\鳴くこゑ耳につきて物侘しく厭はしく、あの声なくは、この夜やすく睡らるべしなど言へるも道理 [ことわり] にて、いそぎ取おろして庭草の茂みに放ちぬ。その夜なくやと試みたれど、さらに声の聞えねば、俄かに露の身に寒 [さぶ] く、鳴くべき勢ひのなくなりしかと憐れみ合ひし、そのとし暮れて兄は空 [むな] しき数に入りつ。又の年の秋、今日ぞこの頃 [ごろ] など思ひ出 [いづ] る折しも、ある夜ふけて近き垣根のうちにさながらの声きこえ出ぬ。よもあらじとは思へど、唯そのものゝやうに懐かしく、恋しきにも珍らしきにも涙のみこぼれて、この虫がやうに、よし異物 [こともの] なりとも声かたち同じかるべき人の、唯今こゝに立出で来たらばいかならん。我れはその袖をつと捉 [と] らへて放つ事をなすまじく、母は嬉しさに物は言はれで涙のみふりこぼし給ふや、父はいかさまに為 [な] し給ふらんなど怪しき事を思ひよる。かくて二夜 [ふたよ] ばかりは鳴きつ。その後 [ご] は何処 [いづこ] にゆきけん、仮にも声の聞えずなりぬ。
 今も松虫の声きけばやがてその折おもひ出 [いで] られて物がなしきに、籠に飼ふ事は更にも思ひ寄らず、おのづからの野辺に鳴弱りゆくなど、唯その人の別れのやうに思はるゝぞかし。