二時半前に外出。道に出るときょうは左へ。公園では子どもを連れたママさんたちが数人集って立ったまま話をしている。右手、角にある家の戸口前、車の置いてある屋根付きのスペースには、白い半袖Tシャツの比較的若い男が何をするでもなくたたずんでいる。若いといってもこちらと同じくらいか、前後ほどか。きょうが休みなのか、在宅勤務のひとなのか、こちらと同じく胡乱な身分なのか。その角を曲がって住宅に囲まれた細道をまっすぐ進み、車のいない道路を渡って南に向く。視界がややすっきりとひらけて空も拡大する。天気は真白いなかにところどころくすんだ青さや灰色のわだかまっている曇りで、雨が落ちてきたとておかしくなさそうな空気感だが、それでも白さの明度からして、なんとなくまだ大丈夫なんじゃないかと思われた。スワイショウをたくさんやったのでからだはわりあいすっきりしており、足も軽いが、へその左側から上がってくるような不安定さが内部にわずかにないではない。道路を渡って太陽の名を冠したストアへ。入り口前に置いてあるスプレーのペダルを踏んで消毒液を手に塗りつける。入店。すぐ前、薬類が置いてある一番端の通路を前進して向かい側へ。そこから天井付近の区画表示をちょっと見て、ひとつ隣の列に入る。たどっていくと、じきに「めぐりズム」を発見する。ホットアイマスクである。先日、休むときや寝るときに試してみたら結構よかったので、ふたたび使うことにした。五枚入りのと一二枚入りのとがあり、おのおの無香料のものからラベンダー、カモミール、ゆず、森林浴の香りなど、香料付きも並んでいる。せっかくなので匂いのあるのも試してみるかと思い、無香料のと森林浴の香りのとを五枚入りのほうから取って、通路を出ると店内反対側の飲み物の棚を冷やかしたあとに会計へ。男女の老人が先にやっている。女性のほうが終わり、こちらの番。店員はひょろっとして背の高めな若い男のひとで、テンションはまるで高くなく、ちからの抜けた語調と身振りをしている。やる気がないというわけではない。問いかけの調子も丁寧で自然だった。やりとりで口からことばを出す際に、ほんのわずかにえずくような感覚がないではなかった。退店。小箱二つをリュックサックにしまい、財布はポケットに入れたままで道路を渡り、コンビニの前を通り過ぎて西方面へ。車道に面した表の歩道。街路樹の葉が風に揺れている。なんの木だかはわからない。ものによっては梢だけでなく、下端のほうをべつの草、蔓のあるタイプのそれが取り囲むように茂っていて、そちらもふよふよ揺らいでいる。すこしすばらしい。じきに(……)通りに至るが、ここで曲がらずもう少し行くことに。渡って(……)の踏切りまでのあいだには雑駁な感じの植込みがあって、白いアジサイが咲き出している。ガクアジサイもある。踏切りを越えて前進し、中華屋を過ぎて空き地前に来ると、このあいだまで草が伸び放題に氾濫していたその土地が、端から端まで見事に刈られてすっきりと見通せるようになっていた。間近は白っぽいなかにくすんだ茶色の混ざった枯れ草の集まりが主だけれど、視線を奥に伸ばしていけばまもなく緑が混ざりだして、遠くはむしろそちらのほうが主調となり、低木が一本残されたなか、その近くではかたちも色もわからない、ただ小さな何かがちょっと跳ねたり飛んだりしている動きでしかない鳥の影がいくつかあった。ハトではなくて、ムクドリではないかと思った。土地の縁の真ん中あたりには見上げる高さの真っ白な屋舎が建てられてあり、ヘルメットの老人が立っている入り口をのぞいてみても、薄暗いもののなかは縦にも横にも広い。水道管の増設工事をしています、という、青い縁取りのお馴染みの看板が入り口の脇に立っている。角まで来て渡れば病院前になる。前庭の外縁を行くかたちとなり、歩道との境にいくつか立っている木々や、敷地内の木や植込みが、その奥にそびえる病院の白い建物の前を滑るように、歩みに同じて少しずつ横に推移していき、手前と奥の二層が交錯して常に見え方が変わっていくのに、それだけでちょっと、あー、となるような感じだった。前庭区画の端まで来ると、少し長めの横断歩道が差し挟まる。バスや車の出入り口としてひらいた道路にかかったものだ。渡れば病院本棟のそばとなり、ここから敷地が終わるまで、やたら建物を見上げ眺める格好となった。本棟はここから見ると、二階か三階分ある土台のような下層の上に、もう少し範囲は狭まった上層が何階分か見てもいないが乗って重なるかたちをしており、壁の色はどちらも白で、ただし下層のほうは縦横の線の刻みがこまかく小さな格子をなしているのに、上層部分はもっと広い四角形になっていた。それももしかすると距離の問題、衰えゆく一方の視力の問題だったかもしれない。下層のほうが窓ガラスは縦にやや長い。それが五つ横に並んでいるのが基本単位で、窓の左右や、ところによっては窓枠の上も含めて壁は炭色となっており、その色の帯のなかに窓が埋めこまれているような感じだ。上層階は窓がもう少し小さい上に四つ単位が基本と見えて、炭色があいだに挟まるのは同じだが、こちらでは窓枠を越えた余剰部分が存在せず、帯の幅と窓の幅が端から端までずっと一致していた。病院を過ぎると、(……)の脇まで行って裏に折れようかなと思ったのだけれど、そういえばここの横道通ったことないなと思い直し、病院敷地のすぐ脇にある通路に入った。左右に木々があしらわれている。右側はそう分厚くないが、左は少しだけ段になった上に低めのやつから太幹の堂々としたものまでいくつも並んでいる。低めの細い幹に枝といっても、こちらの背丈よりは優々高い。どれも豊かに茂っている。なかには太幹の周りに細いのが何本も生えて囲いこみ、低い茂りと高い茂りと合わせて鬱蒼と膨張しているものもあった。その向こうは公園で、遊具が見えるがいまは誰もいない。道の右側にはベンチがあり、スーツ姿の細身で若い男がスマートフォンを片手に座っていた。そのあたりで足元に目を向けると、規則的ではあるのだろうがその規則がいまいちつかみきれないような模様の地面となっている。かたちとしては、小さな長方形が横縦横と三つ分、角張って硬直したS字みたいに組み合わさったのが、たぶん共通単位となっていたのだろう。もう少し正確に言うと、カタカナの「エ」や工事の「工」の字がある。これの上下の横棒を、上は右に、下は左にずらして、端で縦棒とつながるように持っていったのがそれだ。三つの長方形の長さはおそらくどれも同じだったのではないか。色は濃いのと薄いのと二種あって、ただしその配置には規則がなかったのかもしれない。そこを越えて裏側に抜け、右折して東方面に戻る。外を歩けばどこにいてもものがある。常に何らかの形と色があるということだ。ものをものとしてというより、形と色に分解して認識しがちな意識にとっては、路上は実におびただしいことになる。
 疲れたのでいったんここまで。