(……)さんのブログより。

 二階の瓦に鬼火のような炎がいくつも散って、すでに内に火が入ったらしく障子が薄赤く染まり、廂の下から白い煙をゆっくりと吐く家を、私は一度見あげたきり後も振り返らず走ったが、壕の蓋に土をかぶせるために子供たちを外で待たせてひと足踏み留まった母親はいよいよ走る間際に、玄関の路と庭の境の、垣根に沿って植えた薔薇が一斉に先端から炎を吹いて、その火が横へつながって流れたのを見つめてしまったようで、避難者の群れに混じった後で、綺麗だった、とようやく気落ちした声で話した。荘厳だった、ともしもそんな言葉を持ち合わせていたらの話だが、私も炎上寸前の家の姿をそう伝えたかもしれない。どちらも、恐怖の恍惚のようなものだ。生涯の光景というものは恐怖の極でこそ結ばれる。しかしその底に恥の念がふくまれていた。屈辱や恥辱ばかりでなく、現実に起こった事の前で子供ながら不明を恥じるような心だった。
(古井由吉『野川』より「花見」)

 口を動かして読んでみると一文目の長さとながれかたがさすがにすごい。『野川』は結構好きで、三回くらい読んだ気がする。古井由吉の作品のなかで一番読んでいるんじゃないか。『白髪の唄』と『ゆらぐ玉の緒』のふたつはたしか二回読んだ気がする。