三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天の間近に夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球面をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことをぜんぜん聞いてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、互いにささめく梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を喚び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、蜂蜜など、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気に、どこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、という抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。さながら他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。それは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風の生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れに残照の消えた直後の雲と似通う青さに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さをさらし、木もれ陽のつくる影の水面 [みなも] の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周囲を頻りにあそんだ。見事な花を見つけたならば、ふたりは道々、繊細な手つきで、躊躇なくやすやすと茎から手折って干し草の上に飾りを添えた。朝方に蟻が入りこんだら夜までさまよいつづけることもできそうな、幾重にも折りかさなった花弁をたばねて仰々しくも肉厚な花、煮立った鍋に細くそそがれた鶏卵のやわいまとまりじみてとらえどころなくしなやかな花、例えばそういうものだった。色は? 紅や黄色、青や桃色、果ては白まで、何でもよかった。ゆるやかな下りの道に差しかかるころ、あたりは岩場めいてきて、踏まれる砂粒は蕭寥とした響きを発し、横から下から照り返す熱がこめかみや唇の上をくすぐった。湖は巨大だった。のみならず、墜落してきた太陽をすっぽり丸ごと呑めそうなほど、ひろく深く澄んでいた。その水もいまは、了解しがたい容易 [たやす] さではるかな光を受けがって、おもてを剝がされ顕わとなった空間自体の地色のように、さざなみしながらきらめきつづけるばかりだった。すれ違うひとびとはみな、「こんにちは」と挨拶を交わした。帽子を被っていれば、指先でつばをちょっとつまんだり、あたまを手のひらで押さえたり、そのまま片手に取って腰骨の横に据えたりしながら、会釈やお辞儀を送り合った。見知った顔に出くわしたなら、ふたりは丁寧に、かつ快活に挨拶をして、休憩がてらそこらの石に腰掛けてかるく話をすることがあった。作物の出来や牛の体調、ここ数日の天気についてや星々のめぐり、村で起こった由無し事など、他愛のない話だった。知人のひとりに、三、四層の楕円模様がぎょろりと睥睨する目のような、真っ赤に染まった鳥類の羽根を帽子の片方 [かたえ] に貼りつけている者がいた。どこともさだかに言うことのできない、足と素肌に刻みこまれた歩みの声だけがそうと告げる二、三の地点が山中にあった。際限を知らず渦巻きながらなだれていくかの山並みの先に、谷間のながれがはっきりと細くのぞいて見える場所だった。巨人の両手でこじ開けられた裂傷と紛うその水は、周囲の緑を吸収できずただひたむきに青白く、下っているというよりは、逆 [さか] 向きになった重力のもとを昇ってたずねていくかのごとく、ほとんど停まっているとも映った。散らばる囀りの背景へと、かすかな響きが渡っていた。村まであとどのくらいなのか? 村からもう、どのくらいなのか? 村の中央をつらぬき通る坂道は互い違いの石敷きで、ひとびとの靴や車輪はもちろん、牛馬の蹄に踏まれたときには、ことさらに硬く小気味よい音が角砂糖めいて散っては消えた。左右にいくつも分かれて伸びる砂と小石の細道沿いに村人たちの住まいがあった。坂の敷石が割れたり欠けたり、あまりに磨り減ったりしたときは、どの村にもひとりふたりは住み着いている腰の頑健そうな石職人がすぐさま補修に働き出した。民家の合間を果実の緑樹や、傾いた納屋や家畜小屋、貧寒な畝の畑が占めて、家禽は色濃く濁った土を我が物顔でほっつき歩き、野生の小鳥と一緒になって葉物の端を突っついていた。屋根の種類は乏しかった。もしも雲の縁から見下ろすことができたとすれば、段をなして雑多にならんだこの屋根、この道、このひとびとは、山の一隅に時ならず湧いた甚大な黴の群れだったろう。増えることなく、じつにしぶとく、居残りつづける黴だった。村の一方の入り口は、見上げた者のうなじを潰して喉を目一杯引っ張りあげる断崖のもとにひらかれてあり、老いさらばえた山羊の太髭をつなげて陽に当て萎ませたような、不規則に橙がかった白さの蔦が壁のあちこちにはびこっていた。その脇を抜けてくる坂の途中にふたりの姿があらわれて、荷車とともにゆっくりゆっくり、徐々に大きくなっていった。村に入ったふたりは、近間の家々に声をかけたり、坂に面した商店から来る歓迎の声に手をあげたり、時には立ち話のため時間と道草をいっぺんに食って興じつつ、子どもや鶏に注意しながら石敷きの道を下っていった。剛の狩人に力の限り引きしぼられた長弓めいて坂の終わりは大きく曲がりこんでおり、砂地に復してしばらくのちに次の森へと通じていた。出口の手前で横にひらいたわずかな傾斜の木下道をたどっていき、台地状に盛り上がった見晴らしの良い一角に来ると、車とふたりの歩みは停まった。商いはこの広場で行われるのが常だった。貨幣だけでなく、ごわごわとした皮の横縞模様が土臭い芋や、煮込んだところで葉茎の繊維の固い野菜、豆に干し肉、布地や衣服、香草の粉末や蠟燭や、ざらついた紙の一方の端を紐でくくった簡易な帳面、その他薬や小間物類との物々交換も受けつけられた。つまり、生活に必要なものならほとんど何でも、乳の価 [あたい] となるのだった。とりわけよく識った商店とのあいだでは、品を金高に換算するのが互いに面倒だったので、脈を通じた散漫な交渉でこだわりなしに物は行き交った。乳が捌 [は] けてしまって代わりの荷物が干し草の上に集まっても、ふたりはすぐに帰らなかった。懇意の家に招かれて畑仕事を手伝ったり、干した果実を漬けこんでおいた豊かな風味の液体に売ったばかりの乳を入り混ぜた酒をもらって談笑したり、そのまま一夜を村に捧げて、明けて発つことも多かった。それどころか、近隣の集落まで出張って牛の飼育の手ほどきをしたり、得た品物をまた別の品と交換したり、狩りに加わり屠った肉をいくらか分けてもらったりと、二、三日間、自身の住み家を離れることもままあった。それでは三人は、取り残されていたというのか、山の上に、牛たちと、干し草まがいの犬とともに、子どもたちだけ、たった三人で? その通りだった。そして、そうではなかった。峠の道を行き交うひとびとのうちのひとりは、帽子を頭に乗せていた。つばの広い、仕立ての良さそうな帽子だった。こざっぱりとした格好で、片腕に掛けてたずさえている裾の長い薄手の上着は、中身を隅まで取り去りきって腑抜けた布人形のさまだった。ふたりの姿を見つけると、まだ間のあるうちから道端に寄り、早々と帽子を取って鳩尾あたりを覆うようにして支え持ち、直立不動で待ち構え、近くなればそのままふわっと上体を折って過度に上品な一礼をした。交わす会話は、近頃の三人の様子や、学習の進捗についてだった。この家庭教師が週に一度か二度、一家の住まいを訪れることになっていた。ふたりが出かけている日にあたれば、子どもの世話も仕事となった。たいそう骨の折れる仕事だった。三人はひっきりなしに遊びたがって、教師をからかい、いたずらをしては、騒がしい声でうろつき回ってばかりいた。それを椅子に座らせるまでが一苦労、座ったところでそこに留まらせるのが一苦労、留まったとして教本に顔を向かわせるのが一苦労、お茶をつくってやったり、歯ごたえの固い小粒のお菓子で興味を引いたり、用を足したくなったイリヤに付き添ってやって面倒を見たり、その間に家を出て牛たちのなかに転げ出していたふたりを追って連れ戻したり、三つどころか九つの鍋を同時にまもって灰汁を取り、次々とかき混ぜては火の加減を調えながら回りつづける忙しさだった。教師はたびたび顔の近くに片手を上げた。眉のあたりが痒かったので搔こうと思って持ち上げながら、顔の表面を目前にして突如記憶を奪われたような上げ方だった。指を揃えてぴんと伸ばし切るわけでなく、五指を花としてこれ見よがしに手のひらを示すわけでなく、意識されない自然な形のひらきと曲がりで三人の目を寄せながら、「わたしの言うことをよく聞いてください」と静かに言った。手の効果は短かった。力不足のおなじ手が何度か繰り返されたのち、騒ぐことに疲れると、ようやく三人は勉強に向いた。遊びに飽きれば、学びに興を見出すのだった。紙にじっと目を落としつつ、口を結んで鼻からほのかに息をしているどれもあどけない横顔は、思いのほかに神妙だった。熱心に、時には夢中になるほどの熱中ぶりで文字の書き取りに励みつづけたイリヤはしかし、いつの間にやら瞼を下ろして深くうつむき、顔の角度を定めきれずに首から上を前後にふらふらさまよわせていた。すると教師は小さなからだを膝の上へと招いて抱き、あたまをなでたり、両目を片手で隠してやったり涎を拭いてやったりしながら、唄をうたった。古くから山にうたい継がれる唄だった。声素朴にして、唄は可憐だった。可憐さのなかでイルとイリリは、数の操作や歴史の襞や、うるわしい天の紋様を知った。
 「おっと」 唄は中断された。「シェシェット! こんなところにいたんですか?」 脚のあいだをくぐり抜けてあらわれたのがシェシェットだった。なでやかな毛並みにつつましくもひかりを添わせるこの猫は、調理台の上から便所のなかまで家中どこでも道として、鄙の皇族めいた瀟洒なる傲岸さを振りまきながら自分勝手に歩き回るのが癖だった。気に入りの場所などつくらなかった。ロチェットとジェネットの二匹と仲が良く、三匹揃って連れ立ったり、食卓の下で片方を相手にじゃれ合っているのもしばしば見られた。二匹の一方は寝台の端、三つの枕を立て掛けてある木板の間近に布団を引き寄せ布に囲まれたなかで丸くなり、もう一方は食器棚と天井のあいだにすっぽりと乗って寝そべったり、家に入ってすぐ脇にある薪置き場の真ん前でうにゃうにゃひとりふざけているのがお好みだった。老猫のアゲットは気力の衰えに従容と屈するがまま、台所の隅っこでほんの倹しい肉の切れ端をいただきながらむやみに余生を引き延ばしていた。最後の一匹がダレットだった。馴れ合いを嫌い、屋根の上を居場所と定め、光と風と雨とを嗅いで日を暮らすのにもっぱらだった。時折り地面に降り立って足の裏に土を感じると、そのまま森に入っていき、みずから小動物のたぐいを狩って腹を満たしているらしかった。五匹の猫はみなそれぞれ、じぶんがこの家の主であって、ほかの連中は我が縄張りにひととき置いてやっているだけだと見なしていたに違いない。真っ黒いからだにつぶらな瞳で生意気めかした黒猫二匹は、誰にも気づかれないよう入れ替わっていることがたまにあったが、騙されるものはこの家にはいなかった。
 さて、牛たちは? 二十九頭の牛たちにも、むろんそれぞれ名があった。ひとつひとつ、それらを並べ立ててみせる必要はないだろう、ここは神話のなかではないのだから。彼女らは無為の達人だった。革命未然の幼い歴史の、機械的なまでの緩慢さだった。うつくしいその碧 [あお] の瞳は、放っておけば何を映し出すとも知れなかった。そうは言うけれど、斜面を見晴らすその時、一頭のすがたが消え去っているのに気がつくこともまたあったのだ。一から数えて二十八まで至ったところでようやく確証を得るのではなく、ことのはじめからひとつの欠如をあやまたず見つけ出す十 [とお] の目だった。一家は意気揚々と捜索に繰り出した。こういうときの習いとなっている、おういおーい、おいおーい、という呼び声を全員で元気いっぱい響かせながら、前後左右を見回し見回し、斜面をひたすら下っていった。協和とも不協和ともなりようのない独特の距離をかかえこんで、五つの声は宙にふれ合い、谺を招いてさらにふれ合った。地形のいくらか折れこんでいるその陰や、そう深くはない林の茂みに見つかれば、それで済んだ。日の暮れが来ても見つからなければ、それはそれで仕方がなかった。ながながしい上りとなった帰り道、子どもたちばかりがいつまでも、おういおーい、と牛を求めて声を張ったが、その実、牛ではなく谺を呼ばうことのみを目的とした惰性の空元気でしかなかった。またひとつの遊びであるには違いなかった。数日後、村の数人が一家をたずねて、ことの次第を語ってみせた。あなたがたもご存知のとおり、谷間の幅がだいぶ狭くなっている場所がいくつかあるでしょう、だいぶと言っても、とても人間の足でも鹿の足でも飛び越えられる距離ではないが、そのうちひとつのすぐそばに、崖の途中が岩鼻めいてちょっと突き出したようになっている半端なところがありまして、そこにいたんですよ、たまたまあっちのほうに用があって通りかかった者が向かいの崖上から見つけまして。「わたしたちもまさか、と思ったんですが、たしかにそこにいたんです。十人ほどを集めて連れ立っていきまして、そこらのいっとう太い木に縄をぐるぐる何周も巻いて、それはしっかりと結びつけまして、身の軽いふたりに下りてもらって、そっちのほうでもしかと巻きつけました。締めつけるようで悪かったけれども、もしもほどけたり抜けたりしたら、轟々いってるあの水のなかに真っ逆さまですからね。でも、ずいぶんおとなしいものでしたよ。それでみんなで力の限りに引っ張り上げました。岩壁にこすりつけるようになってしまって、無理やりでしたが、何しろ重いから。それにしても、どうやってあんなところにいたんでしょう? ここ何日か、首のかしげ通しですよ。あんまり何度も傾けたもので、耳の穴から茸が生えてくるんじゃないかと思ったくらいです」 これはあくまで例外である。こうした椿事を除いたならば、牛たちは常に斜面の上の生命だった。巨大な響きが山の下方からもちあがり、気の抜けきった酒のような覚束なさで、だが穏やかならず心を騒がす苦々しさをたしかに残して山稜の宙をさ迷うときも、彼女らはまるで聞こえるそぶりを見せなかった。ひとの耳より敏くすばやく羽根が大気の震えを識るのか、梢につどったり牛の頭や背にあそんでいた鳥たちはみな、前触れもなしに飛び立ちながらわめき散らして、いつも刹那のあとに音が来た。牛たちは羽根をもたなかった。油のなかにとどまりすぎた揚げ菓子のような焦茶色、黒というほか言いようのないなめらか至極の濃密な黒、みずからためこみ絞り出される乳の白より澄んだ白。彼女らは無為の達人だった。目も耳も舌も、ことばも思念も直感も、丸ごとはるかに神さびてとうに無益な賢人会議のおもむきだった。芝生の上で、自足は罪を喚ばなかった。
 人間は? ひとびとはさすがにそうも行かなかったのだ。三人は、もちろんリルとリラに許可を得た上で、遠出をすることがあった。目的などあろうはずもない、ただ家から離れて歩いてみたい、遠くの空気を呼吸してみたい、その欲望にのみ衝き動かされた道行きだった。山上の草のなかのにおいとは別の香りがいくつもいくつもあらわれて、何も残さず過ぎ去っていった。大気はあくまで清涼だった。木立が途切れ、陽に触れられたとてそうだったのだ、言うまでもなく。誰か歩行者と出くわせば、三人はかならず、こんにちは、と挨拶をした、「こんにちは!」 すれ違ったひとびとは、「可愛らしい子どもたちだ」と口にした。口に出して言うだけでなく、心のなかでもそう思った。麓では戦争が続いていた。あるいは谷間に迫ってすらいるのかもしれなかった。にもかかわらず、ひとびとは心の底から思ったのだ、「可愛らしい子どもたちだ」と! そこに偽りの忍びこむ余地があっただろうか? ああこれはまた、なんと不思議でかなしげな顔!
 山の上を訪れるもの、それが逃亡兵だった。いったいなぜわざわざ、追い詰められるかのように? 平地にもはや逃げ場はないと、正しくも見て取ったのだろうか? 逃げる者にも理があった。山は聳えるばかりでなく、遠くつらなってもいたからだ。ことによるとそれは、隣の国までも通じているのかもしれなかった。たしかに稀な訪れだったが、ひとりやふたりのことではなかった、決して、決して。兵たちはみな礼儀正しく、わたしは第何師団第何連隊所属、階級はこれこれで、名前は誰々といいます、と素性を名乗り、一夜の食事と寝床を乞うた。学芸会の芝居のために教えこまれた台詞を暗唱してみせる生真面目な生徒の滑稽さが、どこかにほのめき滲んでいた。粗暴なところはまるでなかった。存在そのものに根を張った困憊を前に粗暴さなど、鳴りをひそめるほかなかったのだ。一家は兵士を歓待した。軍服の差異はどうでもよかった。何よりもまず、肌に染みついて同化した汚れと疲労をながしていただこうというわけで、滅多に使わないものだったが、鋼鉄製の巨大な桶に火を焚いて、溢れんばかりにいっぱいの水をなまめきうねる乳白色を吐いてやまない湯に変えた。足の裏に踏む木蓋とともにそっとからだを沈めていくと、たぷんと押し出された熱湯は数秒のあいだ全方に向けて分厚い無色の髪束をこぼし、待ち構えていた三人は裸足の熱さにさんざめいた。うねりはもはや線も筋も帯もうしなって、濃いと淡いとをうつろいつつもひと繋がりに目の前を染め、風行き渡る野天の星を見えなくしたが、それがふたたび現れ出ると、血の気を戻した顔だけがまじわりを知らぬ熱気と涼気をふたつながらに味わった。場所が場所のこと、食事は常に質素だったが、できる精一杯のもてなしをして、料理には塩漬けしていた仔鹿の肉をふんだんに用い、果実酒を何杯もふるまった。