夕方、保育園のお迎えで、母親がはやくチャリに乗るよううながしても、やだー、と聞かない女の子がいる。きょうはじいじの誕生日だから、と母親は説得した。帰ってからじいじの家に行って、祝ってあげよう、という趣旨らしい。説得はうまく行った。じいじ、六〇歳? と子どもは聞き、意想外を頬の内側にふくんだような調子の笑いをちょっとこぼして母親は、よく知ってるね、と肯定した。ばあばは? と続くのに、ばあばは五九歳、ばあばは十月になると六〇歳、と返る。〜〜は四歳? と女の子がじぶんについてもたずねて、そうだよと微笑みまじりの同意を得たあと、さらに二、三、ことばがあって、ママは? と来た。ママは、と、一口前置いてから、おふざけめいて、可愛い子ぶってきゃるきゃる語調を変じた声が、ママはねえ、何歳でしょう? 問題です、ママは何歳だと思いますか? と濁していた。
 ゴールデンウィークに実家で兄夫婦と会った際、(……)さんも、(……)ちゃんに対してじぶんの歳を秘密にしていた。五月六日が我が母親の誕生日である。六五になる。兄夫婦はわざわざ新宿高野のケーキを買ってきてくれて、数日はやい祝いとなった。腹を満たしたこちらが台所に立ちかさばる洗い物を片づけているその脇で、(……)さんがケーキを箱から出して用意し、母親が来ればこちらのからだに隠すようにしてささやかにサプライズめいたのだけれど、何しろ腹と背の距離がたいそう近い人間なので、ほんとうに隠せていたのかさだかでない。いちおう明かりを消して、(……)さんがハッピバースデートゥーユーを口ずさんだ。その流れだったのではないか。(……)ちゃんがかあか何歳か知らない、と言い、(……)さんもそうだと言うので、知らないの? 教えてないんすか? と聞けば、秘密にしてるとあったので、思わず大きく笑ってしまった。
 (……)ちゃんは四月で七歳か。ここで小学生になった。しばらく会わないうちに、むやみやたらとチンコチンコ言うようになっていた。屈託のない笑顔をしながら大きな声で言い散らすので、(……)さんはたびたび注意し、母親もたしなめ、兄も一度、こないだ言ったでしょ、ふだんからそういうこと言ってると、学校とかでも言っちゃうよ、そうなったときに困るのは(……)ちゃんだからね、とおともかあかもいないからね、助けてあげられないからね、と叱っていた。そのときははあい、と笑みを半分くらい削ってにやけ面に退却するが、(……)くんもいっしょにこちらの自室にいるときなどは、いくらでも言う。チンコだけでなく、童謡「森のくまさん」の、かなりお下劣な感じの替え歌なんかも歌っていた。お下劣というのは、下痢がどうとか、その下痢のついたパンツがどうとか、そういうことばが含まれていたからだ。その他よくわからないが、浮気がどう、浮気したあたしをぶってみたいな、七歳が歌うにしちゃあなまなましく色めいたような歌も口にしていた。どうも替え歌とともに、YouTubeが参照のみなもとらしい。じっさい、三月の下旬頃だったか、兄夫婦に頼まれて両親があちらの家に子の世話をしに行ったあと、母親が話したことに、(……)ちゃんがYouTubeで妙に大人びたような動画を見ていたと、気がかりそうな口調があった。エロいやつということかと聞けば、エッチなというのではないが、性的な内容を含んでいたようなと、いまいち判然としない答えがあった。浮気がどうとかいうのはそういうものだったのかもしれない。どういうコンテンツなのか皆目わからない。聞き知ったものをそのまま歌っていることもあれば、じぶんの創意でさらにそれを少し変えていることもあるようだった。
 (……)ちゃんがチンコチンコいうものだから、(……)くんも当然言う。言うだけでなく、触る。滞在中の二度の朝、両方とも八時か九時頃に、(……)くんは階下にやってきて、まず隣の兄の部屋に入って、腹のボタンを押すとワンワンキャンキャン鳴き声を立てるお気に入りの犬のぬいぐるみを騒がせながら、朝だよ、起きて! と目覚ましになった。それからこちらの部屋に来て、同じように朝を知らせる。すぐには起きずに布団のなかに招いてやると、こちらの横に転がって、遅れてきた(……)ちゃんに見つからないよう、もぐりこんで隠れたりする。可愛らしい。日中もこちらの自室で遊ぶとき、横になることが何度かあったが、その際、股間に手をやってくる。だんだん遠慮がなくなって、五月四日は朝からはやくもまさぐってきた。痛い痛い、そこは触っちゃだめだ、と言っておいた。
 ふたりとも、基本的にはニコニコしていることが多かった印象だ。疲れや、不満や、嫌気や、ぐずりや、泣きわめきや、無感情や、そういった顔もそれぞれあるが、険のある顔、険悪な表情、そういえるものの記憶はない。悪意の顔を、ひとはいつ身につけるのか? 子どもに悪意のないわけがないが、その顔色は大人のそれとは違うものだろう。ところで、神が悪意をいだくとすれば、そのときの顔はいったいどんな表情だろう?