Mさんのブログを見ると、以下の記述。初出は2020年7月25日という。

Fくんが日記でこちらの不安障害について触れているのを見てふと思い出したのだが、あの当時のじぶんには「死ぬ」という概念がほぼなかった。というかありとあらゆる場面における「死ぬ」がすべて「殺される」によって取って代わられていた。つまり、交通事故で死ぬのではなく交通事故で殺されるのであり、病気で死ぬのではなく病気で殺されるのであり、老衰で死ぬのではなく老衰で殺されるのである——「死」を自動詞として受け入れることができず、すべて他動詞「殺す」の受動態というかたちでしか認知することができない、そういう状態に当時のじぶんは陥っていた。そのことを思い出した。

 これを見て、今年の一月から二月頃、文をまた書きはじめてまもないあたりに、あらためてじぶんの精神の傾向や構造の分析を気まぐれにしたなかのひとつを思い出したのだけれど、それもまた死についてのものである。つまり、じぶんは死ぬことよりも、殺すことのほうが怖いのではないかと思ったのだった。パニック障害の構造分析なので、じぶんの不安の最終的な対象、じぶんがいちばん怖いもの、ありうるなかで最悪の事態というものを考えたのだったと思う。
 例えばじぶんは過去、試験や受験をひかえて緊張するという生徒に、もし失敗しても死なないから大丈夫、じぶんも死なないし、誰かほかのひとも死なないから、と極端なことを(へらへら笑いながら)言ってはげましたことが何度かある。そのくらいの気楽さでいたほうがいい、と。じぶんの人生観としても、まあとりあえず死ななきゃOK、もしくは誰かを殺すことにならなきゃOK、という感じだ。これはたぶん、いままで何度か書いたことがあるが、パニック障害初期の頃にラッセルの『幸福論』を読んで、じぶんがいま不幸だとか苦境にある、困難に直面しているというひとは、それが最悪なのかどうかを問うてみるがいい、最悪でないのだったら、本当に最悪の事態はどんなものか考えてみるがいい、繰り返しそうしていると、いまのじぶんがそう不幸ではないように思えてくる、みたいなことが書いてあって、そこから導き出された考えだと思う。電車に乗って嘔吐恐怖に動悸を高まらせつつ震えながら、もしいまここで吐いたとしても死ぬわけではない、じぶんがいくらか恥ずかしいのと、赤の他人にいくらか迷惑がかかるだけだ、と言い聞かせていたわけである。
 逆にいえば、じぶんが死ぬか他人を殺すことになったら、それはもう取り返しがつかないことだということだろう。そういうものとして自己の死、あるいは他人の殺害がじぶんの精神のなかで観念化されているわけだが、ここでひとつ思ったのは、じゃあ例えばなんらかの事故や災害で死ぬとか、通り魔的な人間に殺されるとかが怖いかというと、怖いには怖いだろうけれど、それはもうそうなったらしょうがないじゃん、という感じのほうがつよいのだ。取り返しがつかないうんぬんというか、仮にそういう出来事がじぶんの身に訪れたらもうどうしようもないことなので、怖いとか取り返しがどうのとかの問題じゃないじゃん、と。ひとまず死ななきゃOKだし、もし死ねばそれまで、と。
 さらに思い出すのは二〇一八年の鬱様態だった数か月間のことで、あの時期は希死念慮甚だしいことこの上なく、毎日死にたい死にたいとそればかりに取り憑かれて、約束された安息の地であるベッドの上に寝そべりながらも安息を得られず、近所の(といっても歩いて三〇分くらいかかるが)橋から飛び降りることを繰り返し想像したり(ちなみに自殺の名所であり、祖母の友人だったO.Mさんも何年かノイローゼに苛まれたあげく、ちょうどその一八年の三月にそこから身投げした)、冬になったら練炭を買ってマジで自殺しようと考え、ネット上でうまくやる情報を集めたりしていた。その過程でよく覗いていた2ちゃんねる(当時はもう5ちゃんねるだったのか?)の自殺志願者スレは、いまから思うとかなりすごいところだったというか、月並みに過ぎる言い方だけれど、この世のひとつの暗部がまざまざとあそこにあったな、という感じだ。ヘリウムを吸って苦しみなく自殺するための装置の作り方をまじめに詳しく考察したりしているわけですね。よく覚えていないが、適正量がちゃんと一気に出るか吸えるかとか、バルブの取り付け方とか、うまく成功させるのは結構難しいようだった。それでたびたび書きこんでいたひとが姿を見せなくなると、あのひと最近見ないけど、先に逝ったかな、うまく自殺できたかな、その勇気に合掌、冥福を祈る、みたいなことが書きこまれたりする。
 それは余談なのだけれど、あの頃はたしかに、死にたい死にたい思いながらも死ぬのが怖かった。怖くて結局実行できなかったのだ。むしろ、どちらかといえば、自殺を試みた挙句に失敗して死にきれず、心身に障害を負ったりした状態で生き残ることのほうが怖くなって思いとどまったというのが大きいのだけれど(そういう例を集めたページを読んで、まだいくらか悩みつつも自殺はやめようという気になったのだった)、ともかく死ぬのも怖かった。ただそれはやはり単に「死ぬ」ことではなくて、「自殺」が怖かったのだ。すなわち、じぶんでじぶんを殺すのが怖かったのだ。
 こういうことを思い出したときに、じぶんの恐怖の対象として大きいのは「死」よりも、「殺す」ことのほうじゃないかと思ったのだった。他人を殺すのもむろん怖いというか、それは本当に取り返しのつかないことだという観念がある。何らかの外部的な要因によって訪れる自己の死はじぶんの力の範囲外であり、怖いもクソもない。それに対して、自身もしくは他人を殺すというのは、じぶんの力によって実行可能なことであり、じぶんにその意思がなかったとしても場合によっては起こり得てしまうがゆえに怖いのだ。
 ここからさらに思い出すのは鬱様態に移行する少し前、二〇一八年の一〜三月あたりにあった自生思考騒ぎで、そのなかにひとつ、こちらが「殺人妄想」と呼んだものがあった(その軽い版でいわば「加害妄想」というのもあった)。家の台所で飯を作るため母親と並んで立って包丁を持っていると、「これを使えばひとを殺せるんだよな」みたいな考えがおのずと浮かびあがってくる、というものだ。しかもその対象として漠然と想定されているのがどうも両親だったりする。それでじぶんは殺人欲求を抱えているのだろうかとおののき、疑いと自省の渦に巻きこまれてだんだん混乱していき、まさにじぶんがわからなくなっていったのだけれど、あれもいまとなっては単純な話、ふつうに本当に殺意があったんだろうと思っている。殺意と言ってしまうと大きいけれど、人間やっぱり他人といっしょに暮らしていると、どうしようもなく苛立つことがあるじゃないですか。マジでぶち殺すぞみたいなことはときにあるわけだ。じぶんで禁圧していたそれが不安障害と結びついて、妄想とじぶんに感じられる形で発露したということではないかと。当時はそれがじぶんのなかに確かにあるものだと認められなかった。それは精神が不安定だったのでしょうがない面もあるのだけれど、それをじぶんのものと認められなかったがゆえに混乱していったわけだ、おそらく。
 このことは親だけでなくてより広く、じぶんと他人との関係のありように関わっている事柄である。つまり、一般的な他人に対してもそういう禁圧があるに違いない、というのがいまのじぶんの考えだ。というのも、じぶんは他人に苛立ったり怒ったり不快に思ったりするということがあまりない。職場の同僚とか生徒に対してもないし、友人知人に対してもない。むしろ家族こそが、じぶんがほとんど唯一、不快を覚える相手だったのだ。しかしそんなわけがあるかい、これは「他人を悪く思ってはならない」みたいな禁圧がじぶんの精神内にあるんだろう、と考えるのが妥当だろう。それでそのストレスがあまり明確な形で認識されないのだ。平たくいえばええかっこしいというか、いい子ちゃんなのだ、じぶんは。その禁圧がパニック障害の症状、つまり他人に対する全般的な(時に発作的な)緊張や不安や恐怖の根本原因なのかというと、そんなに単純でもないとは思うが、大きな要素ではあるだろうと思う。つまり、他人との関係において、いい子ちゃんぶれなくなることを恐れている? その結果として相手を何らかの形で害してしまったり、不幸なことになったり、葛藤が生じたりすることが嫌で怖いのだと。その最も極端な、突き詰められた形が殺害であると。いちおう筋は通るのだけれど、じつにありきたりな筋ではある。そのありきたりさがしかし発作まで引き起こすことになったというのは少しありきたりではないかもしれない。いずれにしても、これはひとつの幼児性である。じぶんを乱したり崩したりすることなく保つことのできる、齟齬の生じないユートピア的な関係こそを(それのみを根本的には)求めている、ということになるだろうからだ。しかしそもそも他人とはそういうものではない。
 他人一般に対する不安要因をまさしく一般的なところから考えてみると上のようになるのだけれど、これはあくまで心理的・精神的な側面の話であって、パニック障害もしくは精神疾患の要因はそこに限られるわけではない。身体的な面とか神経的・生理的な面とかもある。それらすべてが複合的に関わっているのが精神疾患であり、逆にいえば脳や神経の問題に還元されきるわけでもなく、ヤクを飲んでりゃ根本がどうにかなるということでもないと思う。ヤクはあくまで対症療法に過ぎず、精神疾患が精神疾患である限り、やはりそのひとの考え方や認知・認識のありかた、人格など、精神の問題も捨象することはできない。いずれにせよ、ここには症状の具体性が欠けている。つまりいまのじぶんだったら主に嘔吐恐怖である。この点に関しては「吐く」というワードから、「食べ物を吐く」(嘔吐)ということと、「ことばを吐く」(発話)という二面を考えて、それぞれにおける他人との関係を一月頃に考えたりもしたのだけれど、まとまらなかったのでひとまずここまで。また、結局じぶんの症状に完治ということはないだろうというか、そもそももはや「パニック障害」「障害」ということばでじぶんの状態を名指すこともそぐわない気がしているということもまたの機会に。簡単に言えば、じぶんが「パニック障害」を発症したのは、じぶんがじぶんとして正常に機能した(ある意味、機能しすぎた)ことの結果であり、じぶんはいまも正常に機能しつづけているということなのだが、前に書いたんだっけ? どちらにしても、これは自己の物語のきれいな逆転である。今年になるまでは、「パニック障害」になったことでじぶんはそれまでのじぶんではなくなった、不可逆的な変化を被った、と考えていたからだ。いまはそう思っていない。それ以前からの順当な流れのなかで発症したと思っている。
 最後にひとつだけ付け加えておくと、「殺す」ことが恐怖の根本的な対象(の一つ)だとして、それは「取り返しのつかない」こととも言われていた。言い換えれば、「不可逆的な」ことである。このように抽象化してみると、大なり小なり「不可逆的な」ことは人生においていくらもあるだろう。いま書いていてひとつ思ったのは、殺すとは逆、生むことである。つまりじぶんが結婚する気にならない、子どもを作る気にならない、それはじぶんには無理だなと思うのも、上のような精神傾向が関わっているのかもしれん。あと、じぶんが風景をあんなにも愛好してその書きぶりにじぶんで破廉恥だったりいかがわしいような何かを覚えたというのも、他人を恋愛できないことの代理なんではないかとかも考えたが、それもまたいつか。