七時頃外出。部屋を出て鍵を閉めていると、左手、階段前の天井にある電灯が映写機のすばやく回るようなカタカタ音を立てる。が、蛍光灯が切れているため、音が響くのみで明かりは灯らない。階段は濡れそぼっていて、一段一段下りていくたびにぎゅむぎゅむ音が立つ。ポストに何も入っていないのを確認しつつ外へ。傘は持ったが雨はいまほぼ止んでおり、あるかなしかの微妙な粒子が散って触れてくるのみである。とはいえまたいつ突発的な降りが通ってもおかしくなさそうな空気のあんばい、濡れ具合ではある。公園前で路地に曲がると小さな水たまりがひとつ、黒ぐろと穴を開けている。抜けて車道を渡り、左に折れて、(……)の駐車場に沿って進みはじめたあたりで、はやくも顔に触れるものが多くなり、電灯を頼りにみてみれば雪ん子ほどもないかすかな粒の、風にかたむき惑う軽い群れだが、少しは冷たい。角のコンビニに立ち寄る。入ってすぐ端の通路を行き、ATMで金を下ろす。入口に戻る途中、よくみなかったが小型のぬいぐるみUFOキャッチャーみたいなものがガラス際に設えられていて、いまコンビニにこんなんあんのかと思った。出て駐車場を横切り、裏路地のほうへと進む。しかし入る直前で気を変えて、いつもどおり表の車道沿いのほうに移る。お好み焼き屋から香ばしいにおいがただよい出している。空は一面粘土質の地味な色で曇っているものの、暗く沈みこんではおらず、明るい夜空だ。車道は左側にある。こちらのレーンは前から来た車が滞りなく抜けていって電柱や街路樹の影を歩道上にまっすぐ伸ばして放射しながら束の間それを回転させるが、向こうの道路はこちらと同じく西へと向かう車たちがずいぶん長く列なして止まっており、赤いテールライトがいくつも連ねられて水っぽい路面や大気にしみ出していて、止まっているのは行く手に踏切りがあるからなのだが、この時間この方向ってこんなに混むのかと思った。雨はふたたび沈黙している。通りを越え、踏切りを越え(車のライトで歩道際の古びて粗雑になったアスファルトの細かいでこぼこが、何かの病気にかかった皮膚のように浮かび上がる)、中華料理屋の裏から空き地脇へと抜けるあたりでまた見上げれば、左手、つまり南側にかけては暗い淀みも広がってはいるのだが、脇のマンションもしくはアパートに隠れて見えない北方面からは微光が渡ってきているかにやはり味気のない紙粘土の色が明るく薄くも確かである。「(……)」の光る白文字が空に覗くが、進むにつれて、手前の空き地で前から作業中の大きな屋舎の向こうに隠れる。歩道に出て右折するに、だれが残したものかわからない香水めいたにおいが一瞬かおった。途中で柵の隙間を踏み出し、細い道路を向かいに渡ってしまう。こじんまりとした保育園(?)を過ぎれば身が草の空き地に接する。あたりの電灯は二箇所の駐輪場に据えられたオレンジ色がかったものが支配的なので、刈られた草のもういくらか生え返ってふかっとしたようになっている空き地の地面の広がりもどことなくその色を与えかぶせられており、そのなかにこちらの細影がひょろ長く伸びて推移する。カーブを曲がれば西向き。アパートを出て以来、地元と同じリーリーいう虫(たぶんアオマツムシというやつだと思うのだが)がそこかしこで鳴いて歩みに添ってきたが、きょうはエンマコオロギは聞かなかった。柵を挟んで敷地内の木が近くに隣り合うと、その数秒だけリーリー音がさし迫ってかなり大きく降ってきた。進む。追い抜いていったひとを見ればもう雨は降っていないのに傘を差した女性で、傘は丸みの強くて張りのある白になにか細かな模様もあったようで、格好は同じく真っ白な地に模様の散っているらしい、また裾がレースっぽくなっているように見えたワンピース、そこまで認識した時点で、なんか印象派の絵とかプルーストの小説とかに出てきそうな装いだなと思った。黒髪を後ろで一つに結わえており、ワンピースの腰がだいぶ細くすぼまっているのがコルセットなどつけているはずもないだろうがいよいよ一九世紀フランスの貴婦人もしくはブルジョア婦人じみていて、やや落ち着きなさそうな、急ぎ気味の歩調でかつかつ行くのに合わせて尻の上端、仙骨のあたりが左右にわずかに揺動する。傘はじきに閉じていた。右腕に、もしくは右肩から小さなバッグ。後ろ姿では若いのかそこそこの歳なのか判じがたいが、行って四〇代と見えた。その頃にはもう病院裏手まで来ている。自転車レーンのサルスベリはと右に視線をゆるりとあげれば赤い花はいくらか嵩を減らしたように見える。街灯の近い一本が、通った車の風にやられて、つやめく枝葉からしずくが捨てられる。建設現場の白壁に反映する光の演列はこのあいだ書いたからきょうはいいだろと思って大して注意を向けなかった。車道は右側、自転車レーンの向こうである。通りの向かいは食事屋がありつつ、交差点に近くなるとマンションがいくつか立ち並ぶが、あらためて見てみると高い、そしてぼんやり明かりの色づいている側面のベランダの並びに目をすべらせていくに、あそこまで続いていたのかと、奥にも長い大きなマンションだなと思った。そうして「(……)」につき、裏口を入ってそこにある出張ポストに本を返却。一冊ずつ。本を持って手を突っ込む際、ひらく口の蓋がまずきいっという金属音を立て、ひらいた口の下側には本をスムーズに落とすための回転金具みたいなものがついているのだがそれも触れるときゅるきゅるいうような甲高い音を漏らしながら動く。本を離して手を抜くと蓋がバタンと閉じる音が響く。それを何度か、あまりうるさくならないようにゆっくりやりながら繰り返す。出る。車の来ない隙に車道を渡る。先ほど大きなと見たマンションの脇を路地に入る。北に二、三本行った裏道で右折して東向きに。そうして戻っていく。帰り道はスーパーに寄ったのだが、その他大した印象がぱっと出てこない。駅前マンションの灯火列もきょうは特に迫らなかった。