退勤すると一〇時の電車で(……)へ。あいだは基本ずっと瞑目。降りて駅を抜ける。火曜の午後一〇時台だとさすがに人波というほどのものはなく、ひとが多いは多いが隙間もひろい。南口の出入り口付近にはやや柄の悪そうな若い男らが数人たむろしている。なにをしているのかわからない。むしろ特別なにもしないでただそこにいることをこそ、たむろと呼ぶのかもしれない。かといってあまり談笑している風でもなかった。なにか待っているような雰囲気がないでもなかったのだが。その脇を通り抜けて高架歩廊を行く。(……)のビルの広告モニターはホットヨガかなにかの宣伝をながしていた。左に折れてエスカレーターをくだる。カラオケ屋の女性店員が道行くひとに声をかけながらチラシを差し出しているが、こちらには出してこない。その隣にもう一店あるべつのカラオケ屋の入口でも、こちらは若い男性店員が気のない声で客を誘っている。セブンイレブンの角まで行くと右折しながら向かいに渡る。車道沿いだが道は暗い。行きつつ左を覗けば、ビルの合間の路地のもっと暗い空間に、三人くらい人影が見える。このへんもやはり若い男らがよくたむろしている。(……)通りに至って左折し、一路東。途中、ファミリーマートのある角で横断歩道に止められた。しばし待つ。足もとを見下ろす。信号が青に変わったのを、目を上げないままに、道路に反映する微光の感触の変化で知る。目を下ろしたまま踏み出して、それから顔を上げる。ここでちょっと止まったことで足と意識がゆっくりになった。一歩一歩が、ことさら密というのでもない、確かというのでもないが、まさに一歩一歩、という感じになった。一歩を単位として時空が分節されるような感じ。途中、ちょっと洒落たというか、洒落てまではいないにしても小綺麗な感じのランドリーがある。黒い外観で、なかは白すぎずわずかに暖色をはらんだ照明が、コンビニとかもっと安っぽいコインランドリーの、あの無害ぶった衛生的な蛍光灯の白さよりも衛生的であり、待ち席ではテーブルにパソコンを置いて作業をしている姿なんかもたまに見かける。その前で風呂の、というよりは風呂上がりのにおいがただよった。あたりにだれもいないし、店内にもいない。空は灰色もしくは墨色だが色がそう濃くはなく、といって地味な鈍さで貼りついた雲以外の場所がそう明るいわけでもない。風はさほどないが吹けば涼しい。路面の影が微動する。目を上げれば街路樹の枝葉もゆれている。なにかがすばらしい。夜、帰り道、徒歩、ひとり、風。これらが揃うとなにかがすばらしい。束の間のことではあるけれど、なにともかかわっていない感じがするのだ。べつに恍惚が香るわけでなく、垂直性の崇高さが兆しまた立つわけでない。なんでもない平常の気分のまま、風を肌に感じて、すばらしいすばらしいと思っている。(……)通りとの交差点が近くなると、横断歩道が青になっているのが見えたがむろん見送る。車道の目の前で立ち止まる。待つ。右を向けば広い道路の先では信号がことごとく赤になっていて、その色の丸い光が一〇はいかないくらい、ある範囲に散っている。近間には大きなコンテナトラック。右折しようと待っている、つまりこちらがこれから渡ってその脇を行く東側の車道に曲がろうとしている。側面、コンテナの下辺に黄色のライトが五つ並んでいる。上面の角にもひとつずつついている。曲がる際に見えた面には、まず左端に円が描かれており、その右に接して縦に立った8が描かれていて、左の円は8の上下の円よりいくぶん大きく、真ん中あたりに接している。右方にはBeing Groupの文字。じきに向かいに若い女性。信号が青になる。女性は携帯をみていて渡りだすのが遅れる。先んじて左によけてすれ違う。このへんから一層ひと気がなくなって一層しずかになった。冷蔵庫に食い物が大してなかったはずなのでスーパーに寄って帰ろうかと思っていたが、きょうはもうこの時空感のまま人間と接したくないのでまっすぐ帰ろうと決めた。虫の声。じぶんの足音。病院の前庭でヒマワリが花の顔をさらしながらもほんのわずかかたむいている。踏切り。遮断される。電車が右から左へ通る。乗客は乏しい。遮断棒の表面を明るさがほっそりながれ、その下の道路やこちらの上をあいまいな明暗の織りなしが高速でながれていく。すぐに尽きる。進む。やたらしずか。ひとが少ない。というかいない。こんなにひとがいないのは久しぶりではないかと思った。そのうちコンビニ。その手前まで来ると、車のドアがバタンと閉まる音が聞こえる。そこそこ重めの響き。車自体は、コンビニ横の家の大きなシャッターに遮られて見えない。ここにこんなシャッターあったっけ? と思った。新しい家ができたんだったか? 駐車場まで来ると停まっているのは一台だけで、店舗のすぐそばに停まっており、濃いめの灰色の車で、後部の顔を見るにややいかついタイプの人間が乗っていそうな印象を得たが、それは先ほどの音に引きずられた印象かもしれない。日産スカイラインを想起したがトヨタのマークがついていたっぽいのでたぶん違う。そもそもスカイラインはいまだに新しいバージョンが生産されているのだろうか? 駐車場を斜めに切って行き、進んで裏路地へ。ほんとうにこんなにしずかなのは久しぶりな気がする、とまたも思った。虫の声。じぶんの足音がはっきりと聞こえる。鼻から吸って吐けばそれもよく聞こえる。踏んでいるのは土の地面ではない。ちょっとガリガリした感じのアスファルト。植木鉢の多い一軒から、ピに濁点が加わったような声の虫が一匹鳴きを立てている。通り過ぎて聞こえなくなった、と思うやいなや、またべつの一軒からおなじ種類のその声がおなじリズムでまた一匹分立つ。アパートはもうすぐそこ。