20240920Fri.
- 四時台外出。アパートを出る。右に折れる。路地を抜け、また右に折れる。クリーニング屋のなかをのぞくと壁の時計が四時半付近を指している。自販機を見やりながら過ぎる。空はすっきりと水色に晴れている。雲は端切れがいくらかある。日なたの色があかるい。路地の前を通るときに右を向いてまっすぐな道を見通す。果てに南の団地マンションが水色の空を背景にくっきりと立っている。すこしうつくしく感じる。郵便局の駐車場に踏み入る。(……)の棟の側面についた外階段の面が西陽を受けて、真っ白なうえにひかりの白さをかさねている。そこに手近の木の影が映りだしている。局に入る。ATMで記帳する。記録を確認しながら出る。駐車場を出て左折する。南向きになる。通りの右端を歩く。左側は(……)の敷地がつづく。棟の非常階段がことごとくまっさらに陽を受けている。だいたいのところ影映しになっている。電柱の電線の影が模様となったものがある。すばらしい。樹木の模様もある。一棟のものは近間の木が数本あって、枝と葉の影の重なり方が複雑で抽象画めいている。木本体を見る。葉の色や質感にみずみずしさはなく、ひかりに厭いたように乾いた表面になっている。黄味など混ざって色も少々くたびれたような感じになっている。まわりをみながら自動的に脳内で記述しているのに体調の向上を感じる。体調が比較的にでも良い状態で光と風を浴びながらそとをゆっくり歩くのは最高の享楽である、と考える。南の道路沿いに出る前に右に折れる。西陽を真向かいから受ける路地になる。陽射しの厚さと熱にすこし息がしづらくなる。まだまだ熱中症になってもおかしくない熱さだと思う。福祉施設の敷地との境に生えた雑草の緑が鮮やかにひたすらあかるい。いくらかみずみずしさを見る。細長い葉に光の白さが乗って金属質に滑る。じきに路地左側の家陰のもとに入る。(……)前に出る。右折する。歩道を行く。たびたび日なたを通る。ながく当たっていると熱中症になってもおかしくないなとまた思う。そのうち陰の道になる。交番の角を曲がる。じぶんのからだを見下ろす。無印良品で買ったスモーキーブルーのTシャツの胸がみぞおちあたりを中心に汗の染みをひろげている。アパートに帰る。簡易ポストからチラシを取り出す。三枚ほどのそれをたいして見ずに折りたたみながら階段をのぼる。部屋に戻ると明かりをつける。チラシを紙袋に捨てる。シャツを脱ぐ。背中のほうがびっしょり濡れている。
- 一食目のあと、左右のスワイショウをする。アイディアをひとつおもいつく。名詞だけを並べてつくる散文詩的なテクスト。修飾部にはその他の語句も使う。そうでないと具体性・特殊性が出せない。このままこの世のすべての名詞をここに並べて心中したい、というフレーズを以前つくったことがある、その謂ではないが、と心中独語する。小笠原鳥類という名前を思い出す。読んだことはない。「水辺の生物の観察記録」みたいな題の作品が現代詩文庫に入っていたはずで、それが参考になるかもしれないと漠然と想起する。いっぽう、これはベケットの二番煎じに過ぎないのか? と思う。いっぽう、ウルフ『波』のような感じをちょっと入れたいと思う。『波』のような感じというのは、輪唱っぽい感じというか、音楽的な統一感というか、と左右にからだを振りながら言語化する。語群を色分けすることをおもいつく。三種か四種。語だけ、修飾つきとはいえ名詞だけでテクストを構成するというのは、人間主体の感触を最大限に希薄化したものだということができるだろう。文の形がないからである。もちろんだからといって完全に語り手不在になるわけではなく、語だけだろうが発語者の位相は残る。残らざるを得ない。人間味を解体しきったものをやりたいとも思わない。とはいえそれが相当に薄いものにはしたい。けれどどこかに、姿はほぼ見えないとはいえ、匿名的な発語者が、発語「者」としてひかえているような感触を出したい。語群を四種類ほどに色分けして、それぞれの色になんらかの統一性をもたせる。グループ間に意味やイメージの面でそこはかとない関連をつくる。内容としてもなんらかのながれをつくる。語やフレーズのながさとリズムを工夫して展開をつくる。語自体、ことばだけしかそこにないような印象になっても悪くはない。だがやはり語同士の響き合いによってコミュニケーションの感じを導入したい。交話というか、交語というか。交語の感触によってかろうじてそこに人間かもしれない存在が四人いるのかもしれない、という感じ。『波』を踏まえてなにか進められるとしたらそういうものではないか。そういったことをその場であたまのなかで分析する。
- 勤務から帰ってきたおとといの深夜ときのうでウルフ『波』の書評文を完成させる。五〇〇字以内。はてなブログの投稿欄で四九六字になった。最初は六〇〇字ほどだった。繰り返し読んでいると、ここはいらんな、余計だな、かっこつけで言いたいだけだな、というのが見えてくる。その他段落の組み換えでどうにかなる。LINEで(……)さんに送る。好評をもらう。小見出しの字数条件を聞く。二四字以内という。二四字か! と思う。その字数だと可能かわからないが小見出しは四冊とも本文からの引用にしようと思っていたそれでもOKかとたずねる。もちろんいいという。『波』の小見出し候補としてメモしておいたページと行をたどっていく。三つに絞られる。
「言葉、言葉、言葉。言葉が駆ける [ギャロップ] ――」(93; ネヴィル)(19字; 括弧含む。以下同様)
「世界が現われ、ぼくらも現われ出た、だからぼくらは語り合える」(142; ネヴィル)(31字)
「瞬間がすべてでした。瞬間で充分だったのです」(319; バーナード)(23字)
- まんなかのやつがいちばんいいと思う。字数条件を超える。紙面デザインはまだ決まりきっていないので融通をきかせる余地はあると(……)さんは言っていた。次回の通話のときに相談しようと考える。
- きょうの二時半ごろ、LINEをみる。(……)さんから着信が入っている。折り返す。出る。ビデオ通話にする。髪型がロックバンドっぽいといわれる。そんなことないでしょ、と笑う。ストロークスみたいなという。ストロークスかあ、と笑う。ちょっとわからないでもないと思う。ぼく三四なんですけど、(……)さん何歳になりました? と破顔しながら聞く。五〇歳になったという。じぶんが三四になったっていうのより、(……)さんが五〇歳っていうほうがびっくりしますわと笑う。近況を互いに話す。(……)さんは以前と同様、テレビ番組の制作会社をやっている。社員は五人ほど。近くその五人をべつの会社に移籍させるという。じぶんも立場をゆずって宮古島に越すという。ずっとそこに住むわけではない。二五年やってきて、この仕事が楽しいという感じとか新鮮味がなくなってきたので、人生を転換するという。ここ七、八年で宮古島にはまったという。海中を泳いだり銛突きをしたりしているという。四年ほどまえに結婚したという。あいては三四歳だからこちらと同年だという。きょういちばんの驚きだと笑う。平成元年生まれという。こちらは二年だが一月なので学年は同じだろうと返す。ひじょうにアクティブなひとで、今年アフリカに二回行っているという。いちどはひとりで一ヶ月滞在したという。既成の価値観にとらわれないひとで、大金持ちが前にいても物怖じしないし、ホームレスのひとにもどんどん話しかけにいくという。彼女をみていておれもだいぶ価値観変わったわ、という。めっちゃいいっすね、と受ける。じきに端末が加熱しているのであと二〇秒で自動的に終了するという表示が出る。終わる。日をあらためてパソコンで話すことに。noteをやっていると話したらURL教えてくれといわれたので、通話後LINEに貼っておく。